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「圧倒的な勝利を頂くには」

2018年5月27(日)
第二歴代誌32章1節~8節

『これらの誠実なことが示されて後、アッシリヤの王セナケリブが来て、ユダに入り、城壁のある町々に対して陣を敷いた。そこに攻め入ろうと思ったのである。ヒゼキヤは、セナケリブが攻め入って、エルサレムに向かって戦おうとしているのを見たので、彼のつかさたち、勇士たちと相談し、この町の外にある泉の水をふさごうとした。彼らは王を支持した。そこで、多くの民が集まり、すべての泉と、この地を流れている川をふさいで言った。「アッシリヤの王たちに、攻め入らせ、豊富な水を見つけさせてたまるものか。」それから、彼は奮い立って、くずれていた城壁を全部建て直し、さらに、やぐらを上に上げ、外側にもう一つの城壁を築き、ダビデの町ミロを強固にした。そのうえ、彼は大量の投げ槍と盾を作った。彼は、民の上に戦時の隊長たちを立て、彼らを町の門の広場に召集し、彼らに励ましのことばを与えて言った。「強くあれ。雄々しくあれ。アッシリヤの王に、彼とともにいるすべての大軍に、恐れをなしてはならない。おびえてはならない。彼とともにいる者よりも大いなる方が私たちとともにおられるからである。彼とともにいる者は肉の腕であり、私たちとともにおられる方は、私たちの神、主、私たちを助け、私たちの戦いを戦ってくださる方である。」民はユダの王ヒゼキヤのことばによって奮い立った。』

 ハレルヤ!今日こうしてみなさんの前に立ってお話ができることを心から感謝しております。昨日は、今すばらしい演奏を聴かせてくださった中村匡さんが、青年会主催のザコールにてすばらしいご奉仕を行って下さいました。

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 感謝な事に九十七名の方が集い、新しい来会者は五十名だったそうです。本当に祝福された集会を持つことができました。昨日、賛美やメッセージを聞いて下さった方々が、続けて教会に来ることができるように、お祈り下さい。

 また、今日まで東北地区のリバイバルミッション2018が行われています。今日は、福島県いわき市の二つの教会で集会が行われますのでお祈り下さい。また今日は皆さんにもリバイバルミッションのニュースをお渡ししましたが、和歌山県の橋本バプテスト教会で発送作業が行われます。その為三名の兄姉が橋本バプテスト教会の礼拝に出席して、発送作業をして、帰って来る事になっております。その為にもお祈り下さい。

 それからみなさんにお祈り頂いておりますがインドのダラムサラのほうに滝元開牧師ご夫妻をはじめ四名の方々が出かけております。みなさんの中には世界宣教とりなしメールを受け取っておられる方もおられると思いますが、水曜日まで行かれております。大変な状況の中とりなしの祈りをし、賛美をささげておられますのでぜひお祈り下さい。

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 この所はダライ・ラマの本堂、王座と呼ばれている所だそうです。昨日はそのところにも出かけて行って、とりなしの祈りをして来たみたいです。ぜひ続けてお祈り下さい。来週の礼拝後には、報告会が行われ、その生々しいお証しを伺うことができると思います。

 そして滝元順先生ご夫妻は霊的戦いセミナーとして、長野県飯田市に出かけておられます。今日は多くの方々が外部の奉仕等で出かけておられますのでお祈り下さい。

 それではみことばを学んでいきましょう。今日は先ほどお読み頂いた第二歴代誌三十二章一節から八節から学んでいきたいと思います。

 私たちは毎日様々な問題を持って生活しております。病気や経済的なこと、人間関係など、多くの問題に対して祈り、解決を求めています。今回この第二歴代誌三十二章一節から八節のみことばを読んだ時に「土台を整えなさい」ということが心の中に浮かんできました。その為再度ゆっくりこの第二歴代誌三十二章一節から八節のみことばを祈りつつ学ばさせていただいた時、私たちの教会にとって、とても必要なみことばであると教えられました。私たちは誰もが分かっていますが、イエスキリストが私たちの神であり、圧倒的な勝利者であり、聖書六十六巻全て神のことばであって、私たちを愛して、祈りは必ず答えをくださるという信仰は持っております。しかし現実を見ると、その信仰は消え失せ、問題に苦しみ、悩み、悲しみ、恐れを抱いてしまいます。今日のタイトルのように、神に信頼していく時、圧倒的な勝利をいただくことができます。その答えを頂くためにはどうして行ったら良いかを学んでいきたいと思います。

 今日のみことばの読んでいただいたみことばに登場人物が二人出てきております。まずユダの王ヒゼキヤともうひとりはアッシリヤの王セナケリブという方が出てきています。当時のアッシリヤ王国とイスラエルの地図を見ますとよくわかると思いますが、囲んであるところがアッシリヤ王国です。

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 そしてその地図の中の左側のほうにイスラエルとありますが、小さなイスラエルも、アッシリヤに統治されていました。そのアッシリヤという大国のセナケリブ王が、ダビデの街、城壁で囲まれたイスラエルの民を占領しようとしてきている場面です。大国アッシリヤが大軍を伴い、イスラエルを攻撃して来ています。ダビデの町は城壁で囲まれています。その戦いをヒゼキヤはどのように戦ったのかを見てみましょう。先ほど読んでいただきました第二歴代誌三十二章一節を見ると、

『これらの誠実なことが示されて後、アッシリヤの王セナケリブが来て、ユダに入り、城壁のある町々に対して陣を敷いた。そこに攻め入ろうと思ったのである。』

『これらの誠実なことが示されて後、』とあります。ヒゼキヤ王は、「誠実なことが示された」とあります。彼は主の前にとても誠実な人だったみたいです。ヒゼキヤがどんなに誠実であったかということは今日時間の関係上お読みできませんが、第二歴代誌二十九章から三十一章の所に記されています。第二歴代誌三十一章二十一節には、こんなみことばがあります。

『彼は、彼が始めたすべてのわざにおいて、すなわち、神の宮の奉仕、律法、命令において神に求め、心を尽くして行い、その目的を果たした。』

 主が「このようにしなさい」と語った事を、誠実に果たした王様でした。

 この第二歴代誌三十一章二十一節を共同訳で見ると、

『彼は神殿における奉仕について、また律法と戒めについて、神を求めて始めたすべての事業を、心を尽くして進め、成し遂げた。』

このヒゼキヤは、すばらしいの働きをして全て成し遂げたと書いてあります。この「成し遂げた」という語は、ヘブル語の動詞は「ツァラーハ」の使役形に書かれてあるというのです。文法で他のものに何か動作をさせる意を表す言い方で、本来、主の霊が激しく下ることを意味します。ヒゼキヤ王は、主の霊が激しく望んで「成し遂げる。成功する。目的を果たす。栄えさせる。反映する」という意味になります。

 先週はペンテコステ礼拝でした。聖霊さまが私たちの所に来てくださった記念日です。聖霊さまが来られなかったら、私たちはイエスさまを神として認識することもできないばかりか、人生を助けていただくことも出来ません。助け主聖霊さまが、私たちの所に来てくださった記念日がペンテコステの日です。
 私たちの教会も、田舎の小さな教会でしたが、リバイバルを祈り求め始めて行く時、九二年二月に聖霊さまが力強く臨んで、この教会が変わりました。当時一九九三年リバイバルミッションを高校野球で有名な阪神甲子園球場を開催するという計画がありました。しかしこの田舎の教会のメンバーが中心となって、最大六万人はいる球場で、三日間の伝道会が行われるという時、人の力では、経済力など考えても絶対に無理な状況でした。計画してまもなく、先週も礼拝で証しして下さった佐藤岩夫さんが生々しくお話して下さった様に、協力してくれると思っていた教団やこの教会の一部の方々とも別れてしまい、とても苦しい状況に陥りました。しかし阪神甲子園球場に三日間で十二万四千人という大会衆が集い、すばらしい祝福を頂きました。この奇跡が起きたのには、ただ聖霊の力が私たちの教会に望んで下さったからです。
当時様々なありもしない誤解が、各キリスト教会に流れていました。根も葉もない噂が流れていたので、当時私は滝元明牧師と話して、誤解だらけのニュースが流れているので、「クリスチャン新聞やマスメディアに違うということを掲載して反撃したら?」と言ったことがあります。しかし滝元明牧師は「反撃せずに祈ろう。」とその一点張りでした。当時本当に苦しかったのですが、主は祝福を見せて下さいました。日本のキリスト教界の歴史に残る集会をさせて頂きました。ただ聖霊さまが深く臨在くださり、激しく臨んでくださったからこそ、あの業が起こされたのです。あの時から二十六年経ちました。もしあの時人間的力、憎しみなどで批判し、祈らずに事を行っていたらどんなになっていたでしょう。今もリバイバルミッション二〇一八という各地の教会での伝道集会を開催させて頂いているのも、激しく聖霊さまに臨んでいただいた証拠だと思います。もう一度、さらにリバイバルを求めて、聖霊さまの力に満たされて、激しい注ぎを受けて進んで行きたいものです。ヒゼキヤ王は、神の力をいただいた人でした。しかし先ほども語りましたが、ヒゼキヤが治めているダビデの町に大きな問題が発生しました。それは、

『ヒゼキヤは、セナケリブが攻め入って、エルサレムに向かって戦おうとしているのを見たので、』

 とあります。巨大な国アッシリヤがイスラエルの民を滅ぼそうと攻め込んできました。当時ダビデの町は城壁で囲まれていました。その城壁の周りを大国であるアッシリヤが奪いとろうと、周囲を兵士で囲んだのです。その時ヒゼキヤ王が取った行動で、ヒゼキヤは勝利、奇跡をもたらすことができました。ヒゼキヤがまず取った行動は何をしたかというと、それが第二歴代誌三十二章三~四節に書かれています。

『彼のつかさたち、勇士たちと相談し、この町の外にある泉の水をふさごうとした。彼らは王を支持した。そこで、多くの民が集まり、すべての泉と、この地を流れている川をふさいで言った。「アッシリヤの王たちに、攻め入らせ、豊富な水を見つけさせてたまるものか。」』

 城壁に囲まれて、包囲されてしまった時の戦いは、食糧と水が絶対大事になります。特に水が尽きてしまったら、死んでしまうわけです。その為まずヒゼキヤ王がとった行動は、泉と川を隠し、城壁内に水をわからない様に引き込むことでした。他の聖書の箇所、列王記によると、「ヒゼキヤはギホンの泉から直接五百三十三メートルのトンネルを掘って水を引いて、そしてその城壁の中に水を取り込んだ」というのです。そんなことをしているとは知らないアッシリヤの王セナケリブ「すぐに敵は降参する。負ける」と思っていたのです。しかし城壁内には水が満ちあふれていたのです。大きな工事をして、五百三十三メートルのトンネルを掘って、城壁中に水を入れることを成功させたのです。そして第二歴代誌三十二章五節には、

『それから、彼は奮い立って、くずれていた城壁を全部建て直し、さらに、やぐらを上に上げ、外側にもう一つの城壁を築き、ダビデの町ミロを強固にした。そのうえ、彼は大量の投げ槍と盾を作った。』

と書いてあります。水もすばらしいことですが、今回私はこのみことばで本当に感銘を受け、教えられました。『くずれていた城壁を全部建て直し、』とありますが、当時城壁には崩れた箇所があり、そのままの状態では敵が簡単に侵入する事ができる状態でした。その為、ヒゼキヤはただ修復させたのではなく、くずれていた城壁を全部建て直おさせたのです。そしてそれだけではなく『さらに、やぐらを上に上げ、外側にもう一つの城壁を築き、』とあります。そこまでやるかと思うほどに、城壁を立て直したにも関わらず、もう一つ周りに城壁を新たにつくり、高いやぐらを作ったのです。そして

『ダビデの町ミロを強固にした。そのうえ、彼は大量の投げ槍と盾を作った。』

と書いてあります。またミロを強固にして、守りをこれでもかと言うほど強固にしただけでなく、その上戦いのために、投げやりと盾を造ったというのです。このことを読んだ時に、一つのみことばが浮かんできました。第一ペテロ五章八節、

『身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。』

 こういうみことばです。これをリビングバイブルで読んでみると、第一ペテロ五章八節、

『最大の敵である悪魔の攻撃に備えて、くれぐれも警戒しなさい。 悪魔は、飢えて、ほえたけるライオンのように、引き裂くべき獲物を求めて、うろつき回っているのです。』

とあります。飢えて、ほえたけるライオンのように、悪魔は引き裂くべき獲物を求めて、うろつき回っているのです。その時私の周りに城壁を更に建てなさいと教えられました。悪魔は罪があるところを進入口として入ってきます。だから聖さを更に求めて、城壁を建て直し、更なる聖さ。更にもう一つの城壁を造らなくてはいけないと教えられました。そして更に高いやぐらを造りなさいとあります。私たちはもっと霊的戦いを意識して、悪魔の攻撃をしっかり見張って阻止しなくてはいけないと教えられました。私たちの敵は飢えたライオンのように、獲物をみつけるためにうろうろうろつき回っています。飢えているのです。どうにかして城壁内に侵入したいと考えて、あの手この手で戦ってきます。あなたの城壁はどのようになっていますか?崩れていませんか?私たちは戦う前に生きるための水を確保しなくてはいけません。ヨハネによる福音書七章三十八節から三十九節

『わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。』

生ける水川のように、聖霊の力を求めましょう。過去どんなに激しく臨まれたとしても、敵に水を奪い取られないように、今もう一度激しい聖霊の訪れを求めましょう。ペンテコステの時のような激しい聖霊の訪れを求める祈りをささげましょう。

そして水を確保すると同時に、城壁を建て直しました。また外側にも城壁を建てました。守りを完璧にしました。エペソ六章十一節に、こういうみことばがあります。

『悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。』

 今回教えられたことは霊的戦いを常に覚えて、いつでも戦えるようにファイティングポーズを取る必要があります。常に戦いの武器であるみことばの剣を持っていなくてはなりません。第二コリント十章三節~四節に、

『私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。』

ここで教えている事柄は、「戦いは見えない領域の戦い」であり、「神があなたに与えて下さる武器」は、肉のものではなく、「霊的な戦いの武器」の事です。今日教会に来て、あなたは戦いの武器を神から受け取るのです。そして、それを見えない領域で使うのです。そしてその武器は、神のみ前で「要塞をも破るほどに力がある」ものだというのです。

 私たちがイエス・キリストを信じると、暗闇から光に、サタンの支配から神の支配下に移されます。霊的戦いに勝利するためには、まず第一に、イエス・キリストを神として信じることが絶対に必要です。今日まだ、イエスさまを信じておられない方は、イエスさまを神として信じて下さい。そうすれば、サタンの支配から、神の支配下に移され、戦いの基本に立つ事ができるのです。私たちがイエスさまを信じていなければ、霊的戦いはありません。なぜなら人生は、「敗北のただ中、すなわち、悪魔の奴隷状態」にあるからです。勝利を得るためには、イエスさまを信じて、神の支配に移されることが大切です。そして、イエスさまを信じるとき、「霊的戦いに突入する」ということを知るべきです。案外、多くのクリスチャンが、イエスさまを信じたら、悪魔・悪霊は関わってこない、と考えているのです。しかし、現実には、多くの問題があります。だからクリスチャン生活が苦しくなり、矛盾を感じるのです。クリスチャンになっても良いことがあまりなく、苦しいことばかり続くのです。今回私はこのみことばを調べていく中で、二〇〇三年の滝元順牧師が語られたみことばを読み直しました。

その中に今の時代、家族、夫婦間などの、人間関係が破壊されています。人間の抱えている問題の八割から九割が、人間関係です。今、あなたが問題を抱えているとしたら、人間関係の問題でしょう。「何とかうまく行かないものか」と考えます。しかし、私たちが知るべき事柄は、

『私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。』

もし夫婦間に問題があったとしたら、それは決して人間的な問題や感情的な問題ではなく、目に見えない霊的な問題であり、その背後に人間関係でトラブルを起こさせる悪魔の力が働いていたのです。親子関係にトラブルがあったならば、感情の行き違いというよりも、霊的問題です。ですから、霊的視点を持って戦わなければなりません。また、会社で上司と同僚という関係で問題があったら、霊的戦いという視点に立って祈るべきです。と語っておられました。あなたはどれだけ霊的戦いの視点を持って生活しておられますか?何か問題が起きた時、霊的戦いを意識して祈っておられますか?家庭や会社、学校など普段の生活の中にいると戦いをオフにしてしまい、自分の力、説得、自分で行動をしていませんか?城壁は聖さです。罪があったら城壁が崩れてしまっています。結構私たちの人生の中で、親や親族の問題と同じ問題で苦しめられていませんか?また以前苦しんだ問題と同じ問題起きて苦しんでいることありませんか?同じようなところで、結構負けているとき、問題が勃発している時ってあると思います。ある人は経済的な問題の中で、ある人は性的な問題で、ある方は死や破壊で苦しみ悲しみなど、同じ内容の問題で苦しんでいる時があります。今日城壁が崩れていたならば、一度城壁を作り直して、更に外側に城壁を作成しなくてはいけないと思います。何度も同じ問題で苦しんでいるなら、完全に作り直して更なる守りの城壁を造ることが大事です。しっかり後ろの扉を閉めて、霊的関係を断ち切り、そして更に守られるように守りを徹底して行かなくてはならないと思います。私たちはいろんな問題があって、祈らなければいけない問題、山ほどあるかもしれませんが、しかしまず自分に目を留め、自分の関係するところに目を留めて、崩れてしまっている城壁があったならば、それをしっかりと建て直して、今度はそこをもう一度破られないように、外側にも城壁をつくることが大事だということをすごく教えられています。

 イエスキリストの十字架と復活は完全です。信じたら全ての罪が赦されます。しかしそれを妬み、私たちの救いを崩してくる敵の存在をしっかり知る必要があります。キリスト教会の中で「悔い改め」という言葉があります。私も小さい時、「悔い改めろ!」と言われると、すごく抵抗を感じたことを覚えています。また神さまから、生活の中で「ここ改めたほうがいい」と語られた時、いろんな理由づけをして弁解します。またその悔い改めるという事に対して、分かってはいるけど軽く考えてしまう時があります。しかしヒゼキヤは、城壁が崩れている所を全て再建し、その他外側にも城壁を作成しました。これでもかというほど内側をしっかりして、戦いに望みました。私たちは信仰の土台である聖さをしっかりと持つことが大切。二度と同じ所は攻め込まれないように、準備することが大事だと教えられます。今は簡単に淫乱的な映像や画像。また文章も、小学生でも簡単にスマホで操作して引き出すことのできる時代です。雑誌などは未成年禁止となっていますが、スマホで奥まった自分の部屋などで、誰にも邪魔されずに見ることができてしまいます。。
 また援助交際だとか、不倫など夫婦関係など簡単に出会うことができる時代です。本当に危ない時代です。また簡単にお金も借りることができ、お金のトラブルが増えています。
このような時代に私たちクリスチャンは、時代に流されてはいけません。聖さを土台とし、絶対に敵が入ることができないように守りを完璧にしていなくてはいけません。また罪を軽く考え、日曜日の礼拝時に悔い改めれば良いとか聖さの城壁が崩れてしまっているところを建て直すことすらしないでいる私たちです。今日ヒゼキヤと同じように、あなたが神の前に出て悔い改め、しっかりと建て直して、絶対に崩されないためにも外にも城壁を制作し、また高いやぐらを建て、もう二度と敵にやられないように、しっかりと守りを築いていかなくてはなりません。。

 聖書の中に、ガラテヤ書三章二十七節に、

『バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。』

というみことばがあります。バプテスマを受けた時にキリスト、聖さを着ました。しかし今、キリストを着ていますか?聖さを着ているでしょうか?私たちは汚れてしまっています。感謝なことに私たちの教会ではほぼ毎週、聖餐式が行われます。今日自分の内側をしっかり点検して、崩されている所を再建して、二度と敵に入り込まれないように準備していく時を持ちたいと思います。ヒゼキヤ王の戦いがどのようになったかを続けて見ていきたいと思います。第二歴代誌三十二章二十節~二十一節

『そこで、ヒゼキヤ王とアモツの子預言者イザヤは、このことのゆえに、祈りをささげ、天に叫び求めた。すると、主はひとりの御使いを遣わし、アッシリヤの王の陣営にいたすべての勇士、隊長、首長を全滅させた。そこで、彼は恥じて国へ帰り、彼の神の宮に入ったが、自分の身から出た子どもたちが、その所で、彼を剣にかけて倒した。』

 ヒゼキヤが完璧な守りをし、預言者イザヤとともに主に叫び求めて祈りました。その時何が起きたのでしょう?同じ場面のみことばが、イザヤ書にも出てきています。イザヤ書三十七章三十六節、

『主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた。』

 ヒゼキヤ王や国民が戦ったと思いますか?いや、戦っていません。なんと不思議な主の業でみ使いを遣わして、一晩のうちに、十八万五千の人たちが死んでいたというのです。聖さを土台にして、絶対に崩れないようにし、主に求めて祈っていく時に、自分が出て戦うとか何かをするというのではなく、主が事を行ってくださいました。なんと完璧な、圧倒的な勝利を治めることができました。

 今日、私たちはみことばの剣を持つということはすごく大切です。そして戦っていくことは大切ですが、今日もう一つの霊的戦いを持って圧倒的な勝利を頂く秘訣があります。それは私たちが聖さを持つことです。崩れている城壁を建て直し、更に城壁を建てるとき圧倒的な勝利を見せて頂く事ができます。今まで戦って、いろんな人にとりなしの祈りを要請をし、みことばの剣で敵を打ち倒してきました。しかし今日のみことば、ヒゼキヤの壊れた城壁を再建し、守りを強固にして行く時、主が戦ってくださいました。ヒゼキヤに起きたことが、私たちの日本に、教会や自分に起きたらすばらしいと思います。一晩のうちに、主の使いが敵を滅ぼして下さいました。

 今日もう一度、ヒゼキヤのように、へりくだりなさい。悔い改めなさい。主の前に悔い改める時、圧倒的な勝利を頂く事ができます。あなたの神は生きていますか?私たちの神は今も生きています。私たちがへりくだって、悔い改めていくときに、驚くような奇跡を見ることができると思います。私たちは神さまに生かされています。私たちは今日その主に戦いをゆだねていきたいと思います。
 一晩で十八万五千人、全部死体になった。ありえないことです。聖書六十六巻、神のことばであり、今も生きて働くことば。主です。今日聖さを追い求めて行きましょう。

 お祈りしたいと思います。今から聖餐式を行います。今日厳粛になって聖餐に預かりたいと思います。主がみなさんの心の扉をノックして下さいます。崩れていないかと、主が教えているところをしっかりと建て直し、その上に城壁を立て、やぐらを高く上げる器になっていきたいと思います。

 世の終わりの時に、私たちは主に動いていただいて、圧倒的な勝利をいただきましょう。聖さが必要です。今からしばらくの間、全員の方、崩れていないかを点検して、完璧な、ヒゼキヤ王と同じ祝福を頂きましょう。ご一緒にお祈りしましょう。

 愛する天のお父様、あなたはみ子ひとり子イエス・キリストをこの地上に送ってくださり、私、またここにいらっしゃる一人ひとりの罪のために死んでくださり、葬られ、三日目によみがえってくださったことを信じ、感謝します。
 今日は土台をしっかりと、今日崩れている城壁を再建し、二度と破られないように守り、建て直させてください。今日イエスさまの十字架の血潮によって建て直し、そしてこの聖餐を通して、さらにもう一つ、大きな大きな城壁を作ってくださって、完璧な聖さをここに与えてくださるようにお願いします。また同時にペンテコステの油注ぎも与えて下さい。
この聖餐式を祝福してください。圧倒的な勝利を私に、一人ひとりにお与え下さい。感謝し、主の聖名によって、賛美しお祈りします。アーメン。