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「彼らに主の名をほめたたえさせよ! パート12 
  〜主を呼び求め、祈り、賛美し、宣言しよう!Part2〜」

2018年6月24(日)
新城教会主任牧師 滝元順
エレミヤ書29章11節〜12節

『わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。‐‐主の御告げ‐‐それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。』

 ハレルヤ!今も賛美の中で、「ハレルヤ!」という言葉が多くでてきましたが、「ハレル」とは、「ほめたたえる」という意味です。「ヤ!」は「ヤーウェー」、「神」です。「神をほめたたえましょう!主を賛美せよ!」という意味が「ハレルヤ!」です。
 私たち人類は、すべての被造物に対して、「主を賛美しなさい!」と宣言する役割が課せられています。「ハレルヤ!」と叫ぶときに、「主を賛美せよ!」と宣言しているわけです。私たちは何気なく「ハレルヤ」と、挨拶のように使いますが、そうではなく、「主を賛美せよ!」という命令の言葉です。

 みなさんにお祈りしていただきまして、三週間ぶりに、ここに立たせていただいています。北海道に一週間ほど、「リバイバルミッション二〇一八」の働きで巡回させていただきました。祈っていただきましたから、大変すばらしい集会でした。
 その前は沖縄に行って、次に、北海道に行ったのですが、北海道と沖縄では文化もかなり違います。北海道で、七時から集会が始まるならば、十五分前くらいに会衆は集まります。

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 七時になったら、ぴったりと始まります。しかし沖縄は違います。「七時から始まります。」と言うと、教会に電話がかかってきます。「すいません。今日の七時からの集会、何時から始まりますか?」と、沖縄はゆったりしています。でも、この頃はだいぶよくなりました。
 北海道は、冬は吹雪などもありますから、帰れなくなったりしますから、時間がシビアなんだと思います。
 北海道と沖縄は、どこに行っても多く人が集まります。ウィークデーの集会なのに、多くの方々が集まりました。今回、私はティム・ケプラーとコンビを組んで、奉仕をさせていただきました。
 八月にティムさんは、新城に来ます。ティムは本当にすごい人です。

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彼の歌は、近くで聞くと、本当に感動します。彼は今、ロサンジェルス・エンジェルスという、大谷選手で有名になっているチームで、毎回スタジアムで試合前に、アメリカ国歌を斉唱します。アメリカで野球って、宗教みたいなものです。そこで国歌斉唱は相当な人ではないと、使ってもらえないのですが、彼が歌っています。本当にすばらしい歌声です。
 しかし彼は、毎回証しをするのですが、長いこと刑務所に入っていた男です。彼はかつて麻薬中毒者で、自分で使っているだけではなく、薬を売っていた男です。富山の薬売りとはわけが違うわけです。やばい薬を十年に渡って、売っていたというのです。一度そういう薬を始めると、やめるのはなかなか難しいです。
 彼は逮捕されて、独房の中に入れられました。特に麻薬を売るのは罪が重いのです。日本でも、アメリカでも同じです。彼は刑務所に入れられ、どん底に陥ったそうです。
 そこで幼い日に教会に通っていた事を思い出したそうです。しかし教会から離れて、十年間、麻薬の売人という、悪い生活をしていたのです。その結果は、どん底に落とされて、「俺は変わらなくちゃいけない!」と思ったそうです。
 普通は変わることはなかなか難しいですが、独房の中で、主に叫んだそうです。「イエスさま!私はあなたから離れて、悪い生活をしていました。自分の力ではどうすることもできません。助けてください。」と祈ったそうです。すると、独房の中で、ほんの一畳しかないような、手洗場とトイレしかないような中で、主は祈りを聞いて下さったのです。
 彼は出所後、麻薬中毒から解放されて、今、彼は何をやっているのかというと、全米の刑務所を回って、囚人たちに対するミニストリーをしています。
 アメリカには極悪人が入るような刑務所がいっぱいあるというのです。そこに行って、「イエスさまに希望がありますよ!」と歌い、証をしています。それを彼はライフワークとしています。
 彼と一緒に一週間以上過ごしましたが、彼には二人の子どもがいるのですが、一人は今度、牧師になるといいます。もう一人も会社を経営していて、一人の息子は今年から名門イェール大学に入るというのです。「すごいね、誰に似たの?」と聞くと、「百パーセント奧さん!」と言っていましたが、本当に祝福された家庭です。彼に、将来と希望が実現したのです。
 今日もみなさんと一緒に、みことばを宣言しましたが、本当にすばらしい言葉ですね。三週間前に、このみことばから語らせていただきましたが、主が、私たちの為に立てている計画は、「わざわいではない」というのです。「平安を与える計画」であり、「将来と希望を与える」ためのものだというのです。

 今日、不安を持って、この教会に来られた方がもしも、おられたら、あなたへの計画は、不安な計画ではありません。平安と、将来と希望を与えて下さる、すばらしい計画です。

 今日は礼拝が終わったら、「リバイバル感謝報告会」があるのですが、毎年、一年を感謝して、年間にあったことをまとめて、報告させていただいているのですが、一年間をまとめてみると、「いろいろとやったなぁ」と思うのですが、「感謝だなぁ」と思います。神さまの働きは、その場ではなかなか分からないのですが、振り返ると、「私は山に向かって目を上げる」と先ほど歌われましたが、どうなるだろうか・・・というようなことが人生にはありますが、振り返ると、「山を越えたな!」とわかります。

 実は新城教会、二〇一八年で、「六十五年」になります。私たちの教会は、あまり何周年記念とかいうのはやりません。教会の完成は、イエスさまが帰って来られた時ですから、あまり教会自体を称えるのは良くないと思っています。
 でも、六十五年経ったのは事実です。それで、今日、花がかざってある、というのではなくて、昨日、インターナショナルで結婚式があった名残です。
 六十五年間、よくやってこれたなぁと思います。最近、懐かし写真をよく見せています。これ見てください。

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 新城中学校の隣にあった、最初の会堂です。元ダンスホールを買い取って教会にしました。草創期の信者さんたちです。この方々が、がんばって下さいました。それで時代を作り上げることができたわけです。

 聖書のストーリーは、「天地創造から、新しい天と新しい地の創造」だと言われます。それぞれの時代を任された人たちによって、主は、ご自分の計画を成し遂げられるのです。
 ダンスホールの小さな教会から始まったのですが、やがて手狭になって、こちらに移ってきました。この地に教会堂が建ちました。それが一九六〇年のことです。

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 そこでの礼拝の模様です。子どもたちが賛美しています。今でも、子どもたちは賛美していますが、今から、何十年も前にも、子どもたちは賛美していました。この子ども達は、今では、おじちゃん、おばちゃんです。

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 親父とおふくろも若かったなぁと思います。やがてこの会堂が狭くなって、継ぎ足して増築しました。

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 この頃にがんばってくださった方々は、今では少なくなってきました。しかしその時代、その時代に、主が人々を呼び出し、神の国の拡大のために使われました。
 当時の礼拝の模様は、こんな感じでした。

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 これは結婚式の模様です。誰の結婚式か分りますか。私と家内の結婚式です。これで私に昔、髪の毛があったことも証明されるでしょう。

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 これは誰の結婚式でしょう。雨が降っても顔が濡れないようなヘアースタイルですね。岡本正弘さんの結婚式です。
 やがてこの会堂も古くなり、シロアリに食われました。そして現在の会堂が一九八〇年に、同じ場所に建ちました。それから四十年近く経っています。この教会堂ができた後に、最初に結婚式を挙げた幸せ者たちが、この二人です。すごくハンサムな男性と、美しい女性です。今この中におられます。
 しかし六十五年を振り返ると、将来と希望が実現した事が分かります。

 パウロが語っていますが、将来と希望を、どのように確認できるのかというと、今まで主が助けて下さったという事実がある故に、将来に向けて希望を持つ事が出来ると語っています。六十五年を振り返って、主がここまで助けてくださったわけですから、これからも必ず、助け、祝福してくださるという確信です。この確信を、私たちは将来に向けて、宣言しなければいけないです。

 信仰に関して、前回もヘブル書十一章から語らせていただきました。ヘブル書十一章一節〜三節、

『信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。』

 まさに新城教会の六十五年間も、みことばに照らし合わせて見ると、信仰によってなされたことが分かります。六十五年前に、今を予想するのは不可能でした。今も、次の時代を予測するのは不可能です。しかしその時、その時、集められた主の勇士たちが、信仰を持って未来に挑戦した結果、今があるということです。
 みなさんの人生も、私の人生も、新城教会の未来も、同様です。信仰をもって、未来に向けて前進しなければいけないのです。
 これからも必ず、主は支えて下さることを、強く、信じたいです。

 先日もお話をさせていただいたのですが、神は時間と空間の外におられるお方です。ですから神が語られることばは、私たちとは違います。計画とは、ある日計画書が作成され、十年後、二十年後に、「滝元順の為の計画を実行するのを忘れていたなぁ…」と、慌てて神が何かをするのとは違うのです。神が「あなたの人生に将来と希望を与えます!」と語られた時点で、未来の時間軸上に、即、実態として現れるのです。将来と希望は、やがて出来上がるものではなく、目に見えない世界では、神がことばを発せられた時点で、完成するのです。みなさんにとっての将来と希望は、すでに、あなたの未来の時間軸上に、完成済みです。

 聖書の世界は、時間軸を越えた世界です。やがてイエスさまが帰って来られる日、神の国がこの地上に下りて来ます。それは神がこの地上に下りてきて、大工さんのように仕事を始めるものではないのです。黙示録二十一章一節〜四節に、こんなことばがあります。

『また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」』

 これはヨハネが見た幻ですが、天のエルサレムが、すでに完成していて、それが下りて来たのです。完成品が下りてきたのです。
 神が新しい天と新しい地を創造します、と語られた時点で、未来の時間軸上に、神の国は完成したのです。やがて、それが下りて来るのです。
 私たちのための神の国は、すでに完成済みです。主を信じる者には、完成品が下りて来るのです。神の国はすばらしいです。そこには死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。目の涙をすっかり、ぬぐい取ってくださるとあります。こんな完成品が、未来にあるとは、大きな希望です。すでに、将来と希望がしっかりと、出来上がっているのです。

 しかし悪魔も、我々の次元外に住んでいますから、未来にわざわいを置く事が可能なのだと思われます。
 前回もお話ししましたように、現在の物理学は、今、起こっている事柄が、未来からの、なんらかの影響を受けている可能性がある事を示しています。素粒子レベルでは、時間は双方向に流れている可能性があるというのです。
 ブラックホールでは、十一次元くらいの方向軸があると考えられるそうです。未来、現在、過去、とかの時間軸はなく、すべてが同時存在しているというのです。
 ということは、悪魔は、未来を塞ぐ働きをしているのではないかと思われます。人生は、ある意味、未来に対する戦いです。霊的戦いは、未来に置かれた災いを打ち破り、神に直結させる働きです。

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 未来に置かれているわざわいを取り去るのには、第一に、時間と空間を創造された神に寄り頼むしかないです。人は未来に、既におかれたわざわいに吸い寄せられていくようです。しかし主の約束は、「わざわいを取り去り、将来と希望に向けて歩むことができます!」です。私は感動しています。

 しかし、将来と希望の計画を受け取るためには、主からゆだねられた使命を果たすことが必要です。
 どういう使命かと言えば、「人は被造物の管理人」という使命です。初めに神が人を造られたとき、創世記一章二十八節、

『「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」』

 「支配せよ。」とは、「管理せよ」と訳したほうが適切であると言われるのですが、最初の人類に語られたことばは、最後の人類まで共通するテーマです。

 人には、様々な夢があり、希望があります。あなたの将来に対する希望は、何ですか。いろいろな希望を持っておられるかもしれません。しかし希望とか夢は、歳を取るにつれて変わります。私も若い頃は、いろんな夢を持っていました。しかし六十七歳にもなりますと、あまり夢や希望ってありません。昔の希望は薄れて、唯一の楽しみは、二ヶ月に一度訪れる十五日、年金の支給日くらいしかなくなってしまいます。
 神が計画を持っておられるとか、希望を与えてくださるとか聞いても、人の夢や希望は変わってしまうのです。だからクリスチャンでも案外、「私はクリスチャンになって二十年も経つけれど、あんまり希望がないなぁ。何のために生きているんだろう・・」と、口には出さなくても、出す人もいますけれど、結構多いのではと思います。
 本当に一生涯変わらない働きは何かを押さえなければいけないと思います。それが、「人は被造物の管理人」ということです。
 この働きは人間の基本的な使命です。これを基礎に据えて、その上に自分の様々な夢や希望を置かないと、歳が進むにつれて希望を失います。被造物の管理人という使命を知っているなら、赤ちゃんから、死ぬ寸前まで変わらない働きができるはずです。

 「管理」とは、具体的には何かというと、いつも話していますが、「彼らに主の名をほめたたえさせよ」すなわち、「ハレルヤ」に集約されます。「ハレルヤ」とは「主を賛美せよ!」という命令の言葉です。花にも、「主を賛美しろ!」と宣言出来るわけです。
 この働きは死ぬ瞬間までできます。「息がない…」という瞬間でも、誰かが病室にお見舞いに持って来た花に向かって、「主を賛美しろ」と言って、死んでいくことができます。最後の最後まで、できる働きです。
 これが人に神が与えた、基本的使命です。「人は被造物の管理人」という土台をしっかりと据えて、自分の夢もその上にのせたらいいのではないでしょうか。

 私は北海道のいろんな教会で奉仕させていただいたのですが、従来の伝道集会は、「神、罪、救い」というテーマで話し、最後に、「イエスさまを信じたい人は手を上げてください!」とチャレンジするタイプが多かったですが、それも大事ですが、やはり、人は被造物の管理人ですから、そのことを話さなくてはいけないと思い、どこでもそれを話しました。
 北海道に行きますと、広大なじゃがいも畑、たまねぎ畑、アスパラガス畑だのいろいろあるし、牛もいっぱいいるし、北海道の人達は既にその管理人です。ですから、「畑に行ったら、主をほめたたよ!と宣言してください。」と話しました。

 聖書を見ますと、すべての自然現象といわれるものに対して、人には権限があるのを見ることができます。
 時々、台風とかが来ますが、それらに対しても、「主を賛美しろ!」と宣言できると以前にお話ししました。詩篇百四十八篇七節〜八節を見ると、

『地において主をほめたたえよ。海の巨獣よ。すべての淵よ。火よ。雹よ。雪よ。煙よ。みことばを行うあらしよ。』

とありますから、台風はただ単に来るのではなく、神のみことばを実現するために来るわけです。ならば、台風めがけて「主を賛美しろ!みことばを成就させろ!」と宣言できると思います。

 旧約聖書のナホム書一章三節〜五節を見ますと、

『主は怒るのにおそく、力強い。主は決して罰せずにおくことはしない方。主の道はつむじ風とあらしの中にある。雲はその足でかき立てられる砂ほこり。主は海をしかって、これをからし、すべての川を干上がらせる。バシャンとカルメルはしおれ、レバノンの花はしおれる。山々は主の前に揺れ動き、丘々は溶け去る。大地は御前でくつがえり、世界とこれに住むすべての者もくつがえる。』

 『主の道はつむじ風とあらしの中にある。』とあります。これはただ単なる、比喩的表現ではなく、身のまわりに起こる自然現象にも、主のみ手があることを示しています。
 ここには、『山々は主の前に揺れ動き、丘々は溶け去る。』と記されています。これは、地震とか火山の噴火を連想させる表現です。

 先週、関西で大きな地震がありました。震度六くらいの地震は、日本中、どこにでも起こる可能性があるというのです。明日、新城に起こる可能性だって、充分にあるわけです。
 しかし、自然現象に対しても、「主を賛美しろ!」と宣言する権限があるとしたら、すごいことです。未来に置かれている、地震というわざわいも、取り去ることができるはずです。

 去年最も大きな台風は、「台風二十一号」でした。「超大型」で、「非常に強い勢力の台風」で、近畿地方や東海地方を暴風圏に巻き込んで進みました。この付近を直撃みたいでした。
 しかしあの時、台風二十一号に対して、「台風二十一号よ!聞け!主を賛美しろ!主をほめたたえろ!」と宣言したわけです。そうしたら何が起こったのか、覚えていますか。

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 これは気象庁発表です。「超大型で広い暴風域を持つ台風二十一号によって、経路上の各県において、全域に渡る暴風警報が発令された。ただし、暴風警報が発令されなかった地域は、以下の二つのエリアのみ。西三河北東部、東三河北部、共に愛知県。」となっていました。その中心は新城市でした。私は台風二十二号でも試してみたら、同じでしたよ。これ、絶対に命じたほうがいいです。
 ツイッターに、「愛知県最強説」というのが載っていました。「愛知県に来る台風は1,直前に避けていく、2,直前で消滅する、3,夜に通過していく、の三つしかない」
 これ、どう考えますか。これって「主をほめたたえろ!」と命じているからじゃないでしょうか。

 この会堂を建てた時、新城市は「特別震災強化地域」に指定されて、初めの設計よりも、倍くらい鉄筋が増やされました。それで予算がオーバーしちゃって大変だったのですが、あれから四十年、地震が避けているのか、でかい地震が控えているのか分かりませんが、地震を体験していません。私は地震が避けているような気がするのです。これは「主をほめたたえろ!賛美しろ!」と宣言しているからじゃないでしょうか。管理人とは、我々の生活に直結する働きです。
 私はこのことを、北海道のある教会で話しました。するとそこの牧師先生が、「この間、サハリンから一人の牧師が来て、同じことを話していましたよ!」と言って、後にメールでサハリンの教会で起きている証しを送ってくれました。

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 サハリンは北海道の北にある島ですが、ボロナイスクという街にある教会が、同じことに気づかされたというのです。この教会は、以前、深刻な天候に襲われた島の東側の小さな町ですが、台風に対してイエス・キリストの名前で祈り始めたというのです。初め、それは狂った幼稚な祈りだとみんな思ったというのです。しかし彼らにとっては、深刻だったというのです。
 祈り始めるとボロナイスクに来る台風が、それるようになったというのです。東のほうにそれて、また北に戻るというのです。
 ボロナイスクの北側には気象台があって、天気予報の専門家グループが常駐しているというのです。なぜならば、その近くにロシアの空軍基地があって、その気象観測所は、詳細な天気予報をロシア空軍に提供する役割を負っているからです。
 専門家たちが詳細にデータを集めて、天候を予想しても、外れるようになったというのです。すると上司が怒って、「おまえら、何やってるんだ!全く予報が当たらないじゃないか!」と怒ったそうです。そうしたら、その近くにクリスチャン医師がいて、「いや、ボロナイスクには教会があって、真剣に祈っているんです。だから台風がそれるのです。」と話したそうです。それで気象庁の人たちが、教会に調査に行ったそうです。教会が、いつ、どのように祈ったのかを調査したというのです。
 そうしたら、本当に、彼らが祈った通りに台風が動いていることが分かり、びっくりしたそうです。それで所長と職員たちが、クリスチャンになったというのです。以来、その気象観測所は、事前に気象情報を教会に伝えるというのです。すると教会が祈るのです。その祈った情報に基づいて「気象庁発表」をやると、ぴったりと当たるというのです。いや〜新城に起こったことと同じですね。
 これは人は管理人ですから、実行したら被造物は動くのです。時々、私たちは「地震が来るんじゃないか、何かわざわいが来るんじゃないか」と、不安になりますが、私たちは管理人ですから、主を信じたら、すべての被造物に対して、「主をほめたたえろ!」と宣言するなら、被造物は振る舞いを変えなければならないのです。

 先週も地震があって、関西は結構大変でした。震度六でした。私たちはすぐに祈りました。地震は、月曜日の朝だったでしょう。新城教会の月曜日の夜の祈祷会は、ここでやりました。

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 新城市を縦断して中央構造線が走っています。近くに中央構造線がむき出しになっている場所があります。かつて日本で最大級の地震が起こった痕跡です。そこに行って、断層に手を置いて、「主を賛美しろ!」と命じて賛美して祈りました。普通から見たら、アホに見えるかもしれません。しかしこのような祈りによって、地震は起こらず、台風も来ないとしたら、そんなすばらしいことはありません。

 イエス・キリストを信じると、その権限が与えられるのです。元々人はそのような権限と共に創造されましたから、クリスチャンではなくても、限定された権限があるはずです。以前にも話しましたが、水に対して感謝の言葉をかけると、きれいな結晶ができ、汚い言葉をかけると結晶ができないそうです。何年か前にその事が話題になりました。その事は教科書にも取り上げられたらしいです。もちろん、賛否両論あるそうですが。
 この事を韓国の番組が、実証実験をしたそうです。日本が言っているのは嘘じゃないか?ということで、韓国語でもうまくいくかやってみたそうです。「カムサハムニダ」とか感謝し、一方には悪い言葉を使うと、結果は日本語と同じだったそうです。日本語でも、韓国語でも、同じ結果が現れたそうです。
 私はこの事を先日、沖縄で「私たちは管理人だ!」と話しました。
 すると、集会が終わったら一人の牧師が来て、「順先生が言ったことは本当です!私は実験してみた!」というのです。どんな実験をしたのかと聞くと、生米を三つに分けて、実験してみたというのです。再現写真を作ったのですが、一つは悪口。馬鹿だか、悪い言葉ばかりをかけたそうです。

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 もう一つは、人間的な感謝の言葉をかけたそうです。「感謝します。ありがとう。」
 そしてもう一つは、「主の名によって、祝福を受けよ!」と命じて六ヶ月間、試してみたというのです。どうなったかというと、これも再現写真ですが、悪口を言った米は真っ黒に腐ったそうです。

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 そして人間的な感謝な言葉を語った生米は、腐らず、そのままであったそうです。しかし、「主の名によって」と命じた米は、きらきら光った米になったというのです。みなさんも実験してみたらどうでしょう。誰かの悪口なんか言っちゃいけませんよね。
 よく孫たちが兄弟げんかをして、お互いに「馬鹿」とか言っているので、私はこの頃、彼らに「黒くなるぞ!」と言ってやります。悪い言葉はいけないですね。「祝福します。感謝します。」とお互いに、祝福し合う時、守られるのです。
 そのような権限が与えられていることを、捉えた上で、自分に与えられた使命に生きていく時、人生は豊かになるのではないかと思います。

 先ほども話しましたが、私たちの戦いは、「未来に対する戦い」です。未来に、すでに良いものが与えられているのに、悪魔は障害物を置いて、未来から悪い影響を与えているのではないかと思うのです。私たちの未来への時間軸と空間に、祝福に到達する以前に、障害物が置かれるのです。

 そもそも、どうして未来に、悪いものが置かれるのでしょうか。その原因は何かということです。

 聖書には神の語られたことば、イエスさまのことば、聖霊さまのことば、天使たちのことば、使徒たちの言葉、一般人、さらには、悪者たちの語った言葉など、様々な言葉が出て来ます。
 その中でも、父なる神が語られたことばは、重要です。神が直接、人に語られたことばは、聖書の中でも最優先されるはずです。
 そんな中で、神がモーセに直接語り、授けた「十戒」は、本当に重要な人類に対する戒めです。
 その中には、神からの裁きと刑罰、そして、祝福が伴った戒めのことばがあります。それが何かというと、「偶像礼拝」に関する事柄です。出エジプト記二十章三節〜六節、

『あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。』

 これは神が直接モーセに語りましたが、それは人類全体に対して語られたことばとして捉えることができます。偶像礼拝は案外、日本では簡単に考えられていますが、これは罰則が伴っている罪です。日本語の聖書で見ると、「それを拝んではならない。仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし」となっています。
 偶像礼拝は、日本では良いことのように一般では考えられていますが、実は、たいへん恐ろしい罪なわけです。
 しかし偶像礼拝から離れるなら、祝福が与えられるのです。

 この箇所を読むと、我々日本人は、日本的世界観で理解します。日本人には、家系の呪いという概念があるからです。「あそこの家は呪われているね。お父さんに起こった問題が子どもにも起こっている。孫にも起こった、、」と言います。聖書も、『父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、』とあります。一度偶像礼拝をすると、その影響が三代目、四代目くらいまで続くイメージです。
 しかし、クリスチャンになると、三代、四代目くらいまでなると、呪いも薄まってくるのかな・・・という感じです。図に表すと、「偶像礼拝の影響は、代を重ねる度に、少なくなる」と考えます。その理解は、正しいと思います。

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 しかし、先週、私はこの箇所をヘブル語と、英語の聖書でもう少し掘り下げて研究してみました。すると日本語訳のニュアンスと、原文とは違うのです。どういうふうに違うかというと、「父親たちの偶像礼拝の罪の結果は子ども達の上に、第三世代目と、第四世代目の上に訪れる」というニュアンスです。呪いは流れると言うよりむしろ、「第三世代目と、第四世代目が狙い打ちにされる」というニュアンスのほうが強いのです。
 偶像礼拝は、未来の、第三世代目と第四世代目の子ども達を狙い撃ちにする、ミサイルとなるのです。

 第三世代、第四世代とは、一世、二世、三世、四世と考えますから、自分の孫とか、ひ孫の世代が狙われることになるわけです。偶像礼拝とは、世代を飛び越えて爆弾が落ちる罪なのです。

 しかしさらに、ここに引っかけがあります。私は第三世代目、第四世代目の意味を、ヘブル語辞典で調べてみました。すると、三代目が「ひ孫」となっていました。そして四代目は「玄孫」となっていました。一般的には、第三世代は「孫」、第四世代は「ひ孫」です。しかし聖書では、一世代ずれるのです。
 聖書は、一番目の子孫を、自分の子どもとしています。そして、二番目の子孫が孫、三番目の子孫が「ひ孫」、四番目が「玄孫」となるのです。

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 となると、偶像礼拝の罪の結果が現れるのは、「ひ孫と玄孫」の世代という事になります。
 偶像礼拝の罪の結果が、特定の世代を狙い打ちにするなんて、聖書を読んでいても案外、気づかないところではないかと思われます。
 ということは、そのことをしっかりと理解し、祈らないといけないです。

 大陸間弾道ミサイル「ICBM」というのがありますが、偶像礼拝は、「世代間弾道ミサイル、IGBM」と呼んでもいいと思います。偶像礼拝は、ひ孫と玄孫への呪いのミサイルとなり得るのです。偶像礼拝から離れることが、未来に対するわざわいを取り除く、重要なテーマです。
 イスラエルも、神に助けてもらったのに、牛を拝んだりして神の怒りをかいました。それは日本の御輿と同じです。結果がなんと、三世代目と四世代目の上に訪れるというのです。先週、そのことに気づかされて、その視点で祈っていなかった事に気づかされました。

 私の家系ですが、親父は明、じいさんは清三郎です。ひいじいちゃんは「徳治郎」と言います。親父の偶像礼拝や、爺さんの偶像礼拝は意識していました。けれども、ひいじいさんの徳治郎の罪が、私を狙い打ちするなんて思ってもいませんでした。そこが結構、盲点だと思われます。聖書を詳しく勉強することは、大事ですね。
 今日は、みなさんのひいじいちゃんの偶像礼拝の罪を意識して祈りましょう。イスラエルは本来、父系社会です。母方というよりも、父方です。私は二年前に、イスラエルのサマリヤ人を訪問したのですが、サマリヤ人たちは、今でも父系社会です。だから嫁さんはどこから来てもいいのです。「サマリヤに嫁さん、来てくれないかな。日本人女性でもいいから。」と言っていました。父方が悪魔に狙われると思われます。
 ひいおじいさん、ひいひいじいちゃんを意識して、「そこから飛んでくるミサイルを打ち破ります!」と祈りましょう。それは同時に、未来の新しい世代をも守ることにもなります。未来に置かれた、わざわいが消えると信じます。その結果として、将来と希望が実現するのではないでしょうか。

 日本において、偶像礼拝から離れることだけでも大変すばらしいですが、ピンポイントでみことばを理解すると、さらにすばらしいことが起こると思います。
 エレミヤ書三十一章二十七節〜三十一節を見ますと、新しい契約が結ばれる日には、「『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』とは言わない」と記されています。
 今の時代、イエス・キリストの十字架により、新しい契約が結ばれた時代ですから、その立場に立つ事が出来ます。普通、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』とは考えないです。
 「歯が痛い!親父が酸いぶどうを食べたかな?」なんて考えることは、ありません。しかし、家系の中にいろんな問題が起きるということを、当時の人たちも意識していたのです。
 日本語訳の「父」も、原文では複数です。出エジプト記二十章と対応すると思います。エレミヤ書 三十一章二十七から三十一節

見よ。その日が来る。──【主】の御告げ──その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家に、人間の種と家畜の種を蒔く。
かつてわたしが、引き抜き、引き倒し、こわし、滅ぼし、わざわいを与えようと、彼らを見張っていたように、今度は、彼らを建て直し、また植えるために見守ろう。──【主】の御告げ──
その日には、彼らはもう、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』とは言わない。
人はそれぞれ自分の咎のために死ぬ。だれでも、酸いぶどうを食べる者は歯が浮くのだ。
見よ。その日が来る。──【主】の御告げ──その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。

 私たちには、新しい契約に立って、世代間をに打ち込まれるミサイルを廃棄し、平和をもたらす権限が、主から与えられています。
 今日の聖餐式の時は、自分の父方の、ひいおじいちゃんと、ひいひいおじいちゃんの偶像礼拝の罪を悔い改めて、新しい契約のうえに立って宣言したいと願っています。最後に一言、みなさんとお祈りして、将来と希望を宣言したいと思います。一言お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ。天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝いたします。あなたは私たちを救ってくださり、将来と希望を与えて下さいます。未来の時間軸の上に、どんなわざわいがのっていたとしても、新しい契約とともに、それらを打ち破ることができることを心から感謝します。
 特に私たち日本人は、偶像礼拝の中に生きています。主よ、それらの罪を赦して下さい。狙い打ちされている世代に祝福を宣言します。すべての方々の家系の中で、特に、ひいじいちゃんとひいひいじいちゃんの世代が行っていた偶像礼拝の罪を、悔い改めます。同時に、そこから発せられている、わざわいのミサイルをすべて破棄します。
 皆が健康で、幸せに生きることができますように。そして被造物の管理人として、働くことができるように導いてください。
 今からイエスさまの流してくださった十字架の血潮を心から感謝し、いただきます。
 みことばと聖霊によって、聖餐式を祝福します。三代、四代の勝利を宣言し、千代の祝福を宣言します。尊いイエスさまのみ名によって祈ります。アーメン。