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「彼らに主の名をほめたたえさせよ!パート19
〜人とは、何者なのでしょう?Part4〜」

2018年9月30(日)
新城教会主任牧師 滝元順
詩篇八篇

『私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。すべて、羊も牛も、また、野の獣も、空の鳥、海の魚、海路を通うものも。私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。』

マタイ8章23節〜26節

『イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。』

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。台風にも関わらず、礼拝に出席して下さり感謝します。日本は災害が多くて、いろいろなことが連続して起こっていますが、このような時にこそ、主の前に出て、その意味について深く考えなければいけないと思います。

 今日は九月三十日です。明日から十月ですね。今年も、残りわずかです。もうすぐクリスマスです。子どもたちは嬉しいと思います。プレゼントが近づいていますよ。楽しみにしていただきたいと思います。
 今年のクリスマス・コンサートは、懐かしい方をお呼びする予定です。

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 この方を覚えていますでしょうか?小坂忠さんです。十二月二十五日に来てくださることになりました。
 彼は自分でも公表しているのですが、去年、大病をされました。苦しみの中で、「もう一度立ち上がって、神さまのために働きたい!」と決意を新たにされていました。でも見た感じでは、なかなか難しい状態だったのですが、「もしも、癒やされたら来年のクリスマスは、新城でクリスマス・コンサートをやりたい!」と言われました。皆の祈りによって、今は、かなり癒やされて、活動を再会されました。だから、今年は、クリスマス・コンサートをお願いしようと思います。忠さんをサポートするのは、新城教会のミュージシャン・オンパレードです。二十四日がお休みで、二十五日は休みじゃないのですが、期待していただきたいと思います。
 神さまは人生の中で、いろんなことを起こされるのですが、そんな中、主の栄光を見ることができます。

 また今年は、甲子園ミッションが終わって、「二十五周年」という、記念の年でもあります。みなさんのお手元に、十一月三日に甲子園球場で集会をやるような雰囲気のチラシが渡っていると思いますが、決して、甲子園でやるわけではありません。これを見たら、「またやるんですか?!」と言われるのですが、昔の写真を使っただけの話です。甲子園球場の前に、かつて、「都ホテル」というホテルがあって、今は他の名前になっていますが、よくそこを会場に集会を行いました。
 今回、同じ場所で、もう一度、気持ちを新たにして、リバイバルを求める集会を開催します。三百名しか入れないのですが、結構、話題になっています。多くの方が来られると思うのですが、新城教会からもバスツアーを作りたいと思います。よろしければ、ご参加いただきたいと思います。そこでもう一度、九〇年代にリバイバルのために日本のキリスト教会が燃えた火を、取り戻したいと願います。甲子園球場内には入れないみたいですが、周りを回って祈り、残された火を燃え立たせたいと願います。是非とも、予定の中に入れていただきたいと思います。

 私はこの秋、めちゃくちゃ忙しくて、予定が詰まってしまって、二回連続で礼拝で奉仕させていただきましたが、これから三回くらい、外部で奉仕させていただきます。私も年代が上がってきましたから、世代交代かなぁと感じています。すでに私より若い先生方が、一生懸命、がんばってくださっているので安心です。
 今週、北海道で三日間奉仕をして、帰って二日後には、スペインとイギリスで奉仕をさせていただきます。是非とも祈っていただきたいと思います。
 TBNというテレビ局で、霊的戦いのメッセージを語らせていたいただき、結構、反響が良いみたいで、今年も頼まれました。また、スペイン人の方々とか、南米系の方々の為の、霊的戦いセミナーもありまして、私と、フェルナンド先生が奉仕することになっています。

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 それを終えて帰ったら、翌日から東北の「リバイバルミッション2018」で奉仕します。また、それを終えるとペルーにも行きます。少し心配もあるのですが、与えられた働きを、喜んで奉仕をさせていただきたいと思います。

 最近、私は詩篇八篇から学ばせていただいているのですが、ここには、「人とは何者なのでしょう」というテーマが、取り上げられています。人の存在目的をしっかり知ることは、すべての基本となると思います。
 毎回、語らせていただいていますが、人には二つの目的があります。まず二節、

『あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。』

とあります。人とは目に見えない敵と戦う戦士として、勇士として、創造されたのです。「この世は、悪魔の支配下にある」と聖書は告げています。しかし人類が立ち上がって見えない敵に立ち向かう時、敵の力は打ち負かされ、世界は神の元に取り戻されるのです。
 そんな中、重要な役割を担っているのが、他でもなく、「子どもたち」です。今日は子どもたち五名が、バプテスマを受けます。子どもたちがバプテスマを受けるのは、本当に大きな力です。子どもたちに聖霊が注がれて、リバイバルのために立ち上がれば世界は変わります。

 今から二十数年前、アルゼンチンで大きなリバイバルが起こりました。その時、子どもたちに聖霊が注がれて、子どもたちが町のためにとりなしをするようになり、子どもたちが病人のために祈ると病人が癒やされ、子どもたちが中心となってリバイバル聖会を導くようなことが起こりました。まさに、子どもたちに聖霊が注がれると、すごいことが起きるのです。
 今から二十六年前、新城教会に聖霊が注がれたときも、同じことが起こりました。子どもたちが聖霊にふれられ、子どもたちの祈りが止まらなくなり、涙と鼻でくしゃくしゃになって、リバイバルのために一時間も、二時間も続けて祈らされたのです。信じられないことが起きました。さらには、子どもたちが町に働く悪しき霊を見抜き、戦い、祈るようになりました。それに大人たちも引っ張られたという事が起こりました。当時の子どもたちは、今や、おじさんおばさんになっています。今の子どもたちが新しく、聖霊の油を受けたらいいなと期待しています。

 イエスさまは詩篇を引用されて、マタイ二十一章十六節、

『そしてイエスに言った。「あなたは、子どもたちが何と言っているか、お聞きですか。」イエスは言われた。「聞いています。『あなたは幼子と乳飲み子たちの口に賛美を用意された』とあるのを、あなたがたは読まなかったのですか。」』

 イエスさまは、詩篇の「力を打ち立てられた」という箇所を、「賛美」に置き換えられました。これは七十人訳ギリシャ語聖書から引用されたのではないかと言われます。
 子どもたちの賛美に、霊的戦いの力があるのです。今日の午後は、子どもたちがリードする賛美集会があります。その集会に大人が加わって賛美するとき、目に見えない敵が打ち破られるのです。
 その次に、人間の役割として、「神が造られた被造物を管理する」と述べられています。被造物全体を管理する役割が人間です。その中で、子どもたちの役割は大きくて、子どもたちの賛美が共にあるとき、神が造られた被造物は、人に従属するのです。

 今日は、台風二十四号が近づいています。子どもたちの賛美と共に、台風は、みことばを行うあらしとなり、被害を及ぼす存在ではなく、日本に神のみこころを運ぶ役割として用いられるはずです。今回の台風は、日本列島を縦断すると言いますから、主のみこころを、日本中にもたらす台風になれ!と宣言し、被害がないように、今日は午後から子どもたちと一緒に賛美して、祈りましょう。その後は、アイスクリームパーティーもあるそうです。楽しみにしていただきたいと思います。

 昨日、大変、感動的な証しを聞いたのですが、ここにSくんがいますが、Sくんはウクレレの名手?です。彼は今、養護学校に通っているのですが、「学校になんでも好きな物を持って来ていいよ」と先生に言われて、「何を持って行きたい?」と聞くと、「ウクレレを持って行って、学校で賛美したい」と答えたそうです。

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 これが学校で賛美した時の写真です。みんなの前で、ザワメキを賛美したそうです。Sくんが通っている学校は養護学校で、様々な障がいを持ったお子さんたちが来られています。その中でも、一人、特に誰ともコミュニケーションができない、自閉症の男の子がいて、誰とも話をしなかったそうです。
 しかし彼がウクレレで賛美をし始めたら、なんと、誰とも一度も話をしたことがなかったその男の子が楽器をさわったりして、Sくんと一緒にどんな歌か分からないけれど歌ったというのです。先生たちはびっくりです。今まで一度も、誰ともコミュニケーションしなかったその男の子が、一緒に歌ったのを見て、先生たちは目を丸くして驚いたそうです。
 次に遠足があったそうですが、その子が、Sくんの所に来て、一緒に手をつないで、一緒にお出かけしたというのです。それを見て、その男の子のお母さんは大感激で、涙、涙で、「Sくんが歌っている歌って、よく分からないので、歌詞を教えてください。」と言ったそうです。「これはザワメキという賛美歌ですよ!」と教えたそうです。やはり、賛美には力がありますね!
 Sくんは人の目から見たら、少し障がいがあるように見えるかもしれないけれど、そうではないのです。神さまの目から見たら、重要な管理人であり、勇士です。今の科学や、すべての手法を総動員しても動かすことができない男の子を、彼のウクレレと賛美で、いとも容易く引き出したのです。これからSくんに、日本中の養護学校を回って賛美してもらったら、みんなぞろぞろ、彼に付いて来るのではないでしょうか。
 人は全員、管理人です。すごいですね。今日は、Sくんも午後から歌ってくれるそうです。彼がこれからも、豊かに用いられますように。拍手!
 聖書に書いてあることって、本当ですね。子どもたちが賛美するとき、被造物は言うことを聞かなければならないのです。これから子どもたちが聖霊に満たされて、主の為に働くようになったら、日本は変わります。

 私たちは、被造物の管理人であると毎回、お話しさせていただいています。神さまは数えることのできないほど、多くの被造物を創造されたわけですが、それらを管理する管理人として、人を任命されたのです。
 例えばあなたが十階建て、二十階建てのマンションオーナーで、それを一人で管理するのは難しいかもしれません。そのときは、管理人に頼むでしょう。そして管理人にマンションを細かく管理してもらうわけです。
 ある意味で同じだと思います。神さまは宇宙の果てまで、数え切れない被造物を造られました。しかし、それを管理する役割の生物が人類です。
 ですから人類って、普通なら知らなくてもいいようなことに、強い興味を持ち、追求して行きます。
 つい最近、日本の人工衛星が宇宙を四年くらい飛んで行って、小惑星に着陸しました。あの小惑星は、たったの数百メートルのものらしいです。そこにわざわざ宇宙船を着陸させて、小惑星の石ころを拾って、また日本に戻ってくるというのです。
 みなさんどうですか?宇宙を四年間も旅をして、数百メートルの小惑星の石ころ、欲しいですか?私はそんなもの、要りません。なんの興味もありません。また、私にとって、それはなんのメリットもありません。
 しかし日本は、その計画のために、何百億円もかけているわけです。そんな大金があれば、我々に分けてくれよ!という感じですが、でも、人間って駄目なのです。宇宙の果ての小惑星の石ころにまで、興味を持つのです。どうしてかというと、やはり神が造られた被造物全体を知らないと、管理できないからです。

 自動車が壊れたら、修理工場に持って行きます。エンジンが壊れたら、工場ではエンジンを分解して、悪いところを直し、再度、組み立てるわけです。組み立て終わり、「あれ!ねじが一つ残ったぞ!どうしよう!まあいいか!」なんて言って、ねじを捨てられたら、エンジンはめちゃくちゃになります。自動車の修理工場は、エンジンを構成する小さなねじの一つまで、全て知り尽くしてはじめて、車の管理ができるのです。
 同じだと思います。人間が宇宙の端から、地のどん底まで、マクロの世界からミクロの世界まで、全般に渡って興味を持ち、探求して、神が立てられた法則を見破ろうとしているのはどうしてか?それは人間が管理人である証拠です。管理の為には、情報が必要なわけです。
 人類は、神から任命を受けた管理人です。その事実をしっかりと理解する必要があります。
 宇宙で起こる、地球上で起こる、すべての事象は、すべて神の作品です。それらに関して、私たちには管理責任があるのです。

 先々週、私たちはパプアニューギニアに行かせていただきました。そこで和解の働きをさせていただき帰って来ました。今日で二週間経ちました。それは何かというと、私が蚊に刺されてから、二週間ということです。「いえーい!やったぜ!」という感じです。私は蚊に刺されましたが、マラリアになりませんでした。予防注射もなかったし、薬も少ししか飲みませんでしたが、病気になりませんでした。雅也先生は、帰国後、熱が三十九度まで上がったので、検査したけれど陰性だったそうです。病院は陽性であってほしいような感じでした。ちょっとでも熱があったら来てください!と言われたそうです。しかし私は大丈夫でした。少し下痢をしましたが、朝三回だけで止まりました。その後、すぐに食べることができました。
 とは言っても、今日までは、ちょっと気が抜けないところがあったのですが、良かった!ついにマラリアを征服したかなという感じです。
 私は今回、ラバウルでマラリアさんに感謝して来ました。なぜなら、私はマラリア原虫とマラリア蚊がいなかったら、この地上に存在していないからです。
 戦後、私の母がインドネシアでマラリアにかかり、入院先の病室で隣のベッドの方がクリスチャンで、その方からクリスチャンになり、日本に帰って親父と教会で出会い、結婚して、私が生まれたからです。ということは、私はマラリアがあったから生まれたのです。現地の教会でこの話をしたら、みんな爆笑していました。いや〜、すべてを神さまは支配されています。

 ラバウルから帰国後、すぐに霊的戦い専門課程がありました。ラバウルではそれも準備しなければいけなかったので、現地の働きと並行してやっていたのですが、だいたい準備できて、ラバウルから帰る途中、ニューギニア航空でポートモレスビーから、チュークという小さな島に一度着陸して、そこから成田まで来ました。
 みなさん、チュークという島はどこか知っていますか?先週はチューク島が話題になりました。そこで大きな問題が起きたからです。

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 私たちが乗ったのと同じ、ニューギニア航空の飛行機がオーバーランして、海の中にダイビングしたのです。私たちは一週間早かったから良かったのですが、一週間遅れたら、あの中に乗っていたかもしれません。
 チュークという島は小さな島です。飛行機はぐらぐらしながら、その島に着陸したので、その時も大丈夫かなという感じでした。私はその島で守りを祈りました。航空機事故でも、死者は出なかったみたいで良かったと思います。
 チュークに飛行機が降りる時、主が専門課程に、もう一つのテーマを加えるように、ふっと、心に語られたように感じたので加えました。
 それが何かというと、「地震」でした。

 地震について聖書を調べ、とりなして祈れと語られました。だから私はチュークをよく覚えています。チュークの島々が見える上空で、地震のことを聖書を開いてチェックしたからです。
 それとは関係ないとは思いますが、先週、インドネシアでマグニチュード七・五の大地震があり、津波があって、大勢の方が犠牲となりました。
 今、地震が本当に多いです。日本人は地震の恐怖に、日々、おびえています。明日は我が身かもしれません。私はチュークに飛行機が着陸する時に、「地震について調べてみろ」と主から語られたような気がして、いろいろと調べてみました。
 地震は、ただ単なる自然現象のように思えるのですが、同時に、神から人類に対する「語りかけ」という部分もあります。そのことを知らないといけないと思います。
 しかし大地震がもしも起こったら、その日から、その瞬間から、人生は全く変わります。それは本当に、切実な問題です。
 私たちはもっと真剣に、地震というテーマに関して、守りを祈らないといけません。私たちは自分の身のまわりの幸せについては祈りますが、国全体、地域全体に起こる問題に関しては、あまり祈らないからです。でも、真剣に祈らないと、せっかく築いたものも、一瞬にして崩れてしまうでしょう。
 今日はそのことをお分かちして、一緒に祈ったほうがいいと思っています。昔から、「地震、雷、火事、おやじ」と言われ、地震は恐ろしいものの筆頭に上げられています。日本人にとって、地震は切実な問題です。

 「世の終わりに、どんなことが起こるのですか?」と弟子たちがイエスさまに質問したとき、イエスさまの答えがマタイ二十四章三節〜八節です。

『イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。』

 「方々にききんと地震が起こる」とイエスさまは語られています。今や、世界の三分の二くらいの人たちが飢えていると言われます。腹一杯食べることができるのは、当然、と考えてはいけません。世界は飢えているわけです。
 そしてもう一つは地震です。近年になって、地震が増えています。その現象を目前にして、「時を悟る」ことが大切です。
 今、世界に大きな問題がいくつも起こっていますが、その根本的解決は、イエスさまが再びこの地に帰って、世界の王となり、治めてくださるしか手はありません。
 今日もマラナタと賛美をしましたが、「一刻も早くイエスさま帰って来てください。私たちの王となってください!」と祈らなければいけないのです。

 二〇一一年三月十一日に起こった東北の大地震は目を疑いました。でも、どうでしょうか。少し時間が経つと、特に、中部地方は地震が少ないですから、油断してしまいます。今から、地震のことを語らせていただく前に、東北の大震災のダイジェスト、三分バージョンを見てみましょう。ちょっと恐ろしい映像ですが、現実に起こったことです。心を強くして、見ていただきたいと思います。
 私たちの地域に起こったら、同じようになります。これは私たちの国に起こった災害です。東北をよく理解して、日本の未来のために祈る必要があると思います。
 実は今回の専門課程、私は地震を取り上げたのですが、私と一緒に鈴木陽介がやっているのですが、彼も地震を取り上げました。何も打ち合わせがあったわけでもないのに、ちょっとびっくりしました。「おまえも地震か!俺もだ。」という感じで、なんか、自信を持ったというか、神さまのみこころを感じました。



 まとめて見ると、本当に怖いですね。同じ日本列島に住んでいる方々の所に起こった出来事です。

 戦後、マグニチュード七クラスの地震って、どのくらい起こったのかを調べてみました。

 戦後、一九四八年六月に、「福井地震」が起きました。ここで三千七百名くらいの方々が亡くなりました。しかしその後、「三十五年間」は、日本にマグニチュード七クラスの地震は起きませんでした。
 しかし一九八三年、「日本海中部地震」が起きました。けれどもそれから十年間は起こっていません。

 マグニチュード七クラスの地震が、頻繁に起こるようになったのがいつからかというと、「一九九三年」の七月に起こった、「北海道南西沖地震」を皮切りに起こり始めました。その後、一九九五年には、兵庫県で阪神大震災、それからは今年まで、連続して起こり続けています。ということは、一九九三年から、日本は新たな大地震の季節に入ったといっても、過言ではありません。
 では一九九三年に何がありましたか?「甲子園ミッション」です。

 この間も話しましたが、日本の教会は一九九一年に一つの宣言をしました。それが「塩原宣言」です。それは、これからの日本宣教は、霊的戦いがどうしても必要だと全体の総意として決断しました。翌年、新城教会で霊的戦いが始まりました。そして一九九三年に甲子園ミッションです。
 この一連の動きを、こじつけと言われたらそれまでですが、私の個人的な一意見として聞いていただきたいと思います。
 一九九一年「塩原宣言」があり、九二年に新城教会に激しい聖霊の訪れと、霊的戦いが始まり、九三年に北海道沖地震があり、甲子園ミッション。九五年に、甲子園球場のある阪神地区で大地震。二〇〇四年に新潟中越で大地震。その後も新潟で起こっています。これも新潟リバイバルミッションの後でした。東北の大震災も、東北リバイバルミッションの翌年でした。
 偶然といえば偶然かもしれませんが、二〇一六年に熊本で、二〇一八年になって関西、北海道で大地震がありました。実に、一九九三年を皮切りに、立て続けに大地震が起こり続けています。
 二〇〇七年、新潟県の中越地方で地震が起こり、その時、原発が初めて被災しました。
 この地震の前に、一人の婦人が夢を見て、教会に電話がありました。「柏崎という場所はありますか?原発が壊れている夢を見て、柏崎って書いてあったんですよ。だから祈ったほうがいいと思って・・・。」と言われました。そんな奇妙な夢を見られたということで、すぐに、私たちは新潟の教会にお願いして、柏崎原子力発電所に行ってもらいました。そこで一緒につないで、守りを祈りました。
 その後、大地震が起こり、原発が被災しました。しかし大事には至らず、守られました。あの時に祈らなかったら、もしかしたら、大事故になっていたかもしれません。
 震度五とか五弱・強とか、そんな地震は数えきれない程起こっています。こうして見ると、なんらかの神からのメッセージがあるように感じます。ただの自然現象としては、無視できないのではないかと思います。

 実はイエスさまと地震には、大きな関わりがあります。イエスさまの最大の霊的戦いは十字架でした。マタイの福音書二十七章五十節〜五十四節、

『そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都に入って多くの人に現れた。百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった」と言った。』

 イエスさまが十字架上で息を引き取られた時、地震が起こったのです。そして至聖所にいたる幕が真っ二つに裂けました。
 ここには、すごいことが記録されています。イエスさまが十字架で死なれたとき、主を信じて死んでいった人たちの墓が開いて、死人たちが生き返って飛び出て来たというのです。
 そしてイエスさまがよみがえられた後に、ぞろぞろとエルサレムに入ってきたというのですから驚きです。この記述が本当ならば、無茶苦茶、すごいことです。
 聖書って信じられないようなことが記されています。それが何と、地震とともに起こったのです。
 イエスさまは三日間葬られて、日曜日の早朝、よみがえられたのですが、その場面がマタイの二十八章一節〜二節に記されています。

『さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。』

 なんと、イエスさまのよみがえりも、地震とともにありました。ということは、地震は、地球の営みの現象という側面もありますが、聖書から見ると、同時に霊的現象とも言うことができます。

 現代の地震学は、ほとんど否定されたのと同じだと言われます。なぜなら、最近起こる地震が、今まで蓄積されたデータに基づく動きではなく、全く予想外の動きで発生しているからです。東北の大地震も、連続して三つの大地震が続けて起きたと言われます。また熊本の地震も、全く違う法則で起きていて、「前震・本震」などという、苦し紛れの新造語を造ったほどです。

 今から四十年程前、日本において「大規模地震対策特別措置法」が制定されました。そして八都県百五十七市町村が「地震防災対策強化地域」に指定されました。
 それは「東海大地震」が迫っているという理由でできた法律です。その時は、「東海沖地震は予知できる」という前提の元、法律ができたのです。それは世界で初めて、「地震予知を前提とした法律」であったというのです。
 しかし今年の六月、中央防災会議で、この大震法を呼ばれる法律が大幅に見直されたのです。それは、「地震予知はほぼ不可能」という結論に基づく判断だったというのです。
 この大震法に基づいて、日本で最も危ない町の一つと認定されたのが、他でもなく、「新城市」でした。四十年前というと、この会堂を設計していた頃です。この会堂は完成して、今年で三十八年経ちました。三十八年でも結構いいじゃないですか。その二年前は、ちょうど設計段階で、この法律の為に鉄筋量を倍くらいまで増やされて、予算オーバーしたことを覚えています。
 しかし今、この法律が大幅に見直されたのは、地震予知は不可能、人手には負えないと、学者達が認めた為です。人間の手には負えないとは、どういうことかというと、地震には一定の法則がない事を意味します。それはただ単なる自然現象というよりも、霊的現象という側面がある事を意味します。クリスチャンは、霊の目を開いて、今がどういう時であり、神が私たちに、どんなメッセージを送っているのか、聞き分けなければならないのです。
 今を生きる日本のクリスチャンにとつて、最も大切なテーマかもしれません。イザヤ書二十九章六節に、こんなことばがあります。

『万軍の主は、雷と地震と大きな音をもって、つむじ風と暴風と焼き尽くす火の炎をもって、あなたを訪れる。』

 二十九章は「アリエルよ。アリエルよ」という呼びかけから始まります。アリエルとは「エルサレム」のことです。神の街、エルサレムに対して、言い換えるならば、主を信じる者たちの群れに対しての呼びかけです。
 主の訪れは、素直に読むならば、「自然現象」と共に訪れる、ということではないでしょうか。

 今も台風が近づいていますが、「みことばを行うあらしよ!」とあるように、台風はただ単に、自然界を綺麗にする大型洗車機ではなくて、神のみことばを成就するために来るというわけです。そしてもう一つが「地震」です。

 イザヤ書二十九章六節で、神の訪れは「雷とか地震とか、大きな音と共に、つむじ風と暴風と焼き尽くす火の炎と共に訪れられる」と告げていますが、二十九章十三節〜十四節にはこんなことばが記されています。

『そこで主は仰せられた。「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。それゆえ、見よ、わたしはこの民に再び不思議なこと、驚き怪しむべきことをする。この民の知恵ある者の知恵は滅び、悟りある者の悟りは隠される。」』

 私たちが地震を恐れるのは、ここで嘆かれているように、「人の知恵」、人間側から発信された情報を恐れているわけです。大きな地震が来る、今度はどの地域が危ない!と。
 神は、『この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。』と嘆いています。
 現代人も同様で、地震を始め、様々な天変地異を恐れるのは、人間側から発せられる科学的と言われる、時には、何の根拠もない情報は恐れるけれど、神が発せられる情報に関しては、何の関心もないのです。ゆえに、人間が解き明かせないことを起こすぞ!と主は語られています。
 最近、日本に起こっている地震は、今まで蓄積されてきた地震学の情報を超えている、全くそれらに当てはまらない!とは、このみことばに当たるのではないでしょうか。
 こういう時にこそ、私たちは、日本に対する神の訪れの季節!と理解して、真剣に祈らなければいけないのです。
 また、人類が管理人ならば、管理人としての役割を果たす必要があるわけです。先ほどの映像は、日本が滅びるか否かの映像だとありましたが、私たちクリスチャンが日本の未来のために、今こそ、心を一つにして守りを祈らなければいけない時が来ています。主の日は近いことを、心に留めなければいけないのです。

 最初に読んでいただきました、マタイの福音書八章二十三節〜二十六節を見ていきますと、イエスさまがガリラヤ湖上で、大暴風に遭われたとき眠っておられた、とあります。

『イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。』

 前回も話しましたが、この「大暴風」と訳されている言葉は、ギリシャ語では、マタイの福音書だけ、「大地震」という言葉が使われています。もちろん大暴風が起きたと思われます。しかしマタイは、「大地震」という、セイスモス・メガスという言葉を使っています。これを素直に訳したら、「地震」と訳したほうがいいのです。大地震が来て、津波が来たという意味にもとれます。
 日本のクリスチャンのために、マタイはこの言葉を使ってくれたのかなと思うほどです。大暴風、あるいは大地震が起こった時、イエスさまは眠っておられたのです。しかし弟子たちは怖がりました。もう死んでしまう!と。弟子たちは一般の情報で、こういうことが起こったら、人は死ぬものだと理解していました。
 しかしイエスさまは管理人としての、神の国の情報を持っていました。ゆえに、イエスさまは弟子達に、「なぜ怖がるんだ?」と語られているのです。
 私たちが、一般の情報で怖がるのか、それとも自然界に対しての管理人として管理権を行使するかです。イエスさまは管理人としての情報で生きておられたから、怖がらずに起き上がり、風と波に対して、「黙れ!静まれ!」と管理されたのです。ここに、イエスさまと、弟子たちの違いがあります。

 今の日本の状況を考えるときに、まさに、霊的戦いの季節に入ったと私は信じます。
 ガリラヤ湖で起こった大暴風も、次に続く記事がレギオンとの戦いにつながります。この風はかなり怪しい風です。
 人が被造物を神として拝むと、被造物の管理権が悪魔に渡り、彼らが被造物を支配するようになります。日本はすべての被造物が、悪魔の手に渡っています。クリスチャンはまず、悪しき力を被造物から取りのけて、すべての被造物に対して、「主を賛美せよ!」と賛美の回復を宣言しないと、被造物が悪しき力に利用されてしまうのです。
 しかし私たちが神さまからのメッセージに気づき、イエスさまと同じように、管理人として働くなら状況は変わるはずです。

 最後にもう一度、イザヤ書のみことばを読んで終わりにしたいと思います。イザヤを通して、神が神の街、エルサレムに対して語られたことばです。イザヤ書二十九章六節、

『万軍の主は、雷と地震と大きな音をもって、つむじ風と暴風と焼き尽くす火の炎をもって、あなたを訪れる。』

 続いて十三節〜十四節、

『そこで主は仰せられた。「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。それゆえ、見よ、わたしはこの民に再び不思議なこと、驚き怪しむべきことをする。この民の知恵ある者の知恵は滅び、悟りある者の悟りは隠される。」』

 人間の知恵に頼るのではなく、神の命令に従っていきたいです。口先だけで神に従うのではなく、本気で扱え!と語られています。
 日本のクリスチャンに、「頻発する地震を霊的に扱い、管理人として働きなさい!」と主は、語られているのではないでしょうか。
 毎朝起きたら、地面に向かって、「大地よ!主の栄光を現せ!主を賛美せよ!地震など起こすことはできない!」と宣言していただきたいです。

 十月十一月号の新城教会ニュースに、地震のことを書きました。皆が、イエス・キリストを信じて管理人となろう、と書かせていただいたのですが、ヘブル人への手紙二章六節〜八節、

『「人間が何者だというので、これをみこころに留められるのでしょう。人の子が何者だというので、これを顧みられるのでしょう。あなたは、彼を、御使いよりも、しばらくの間、低いものとし、彼に栄光と誉れの冠を与え、万物をその足の下に従わせられました。」万物を彼に従わせたとき、神は、彼に従わないものを何一つ残されなかったのです。』

 神がすべての被造物を、人に任せたことを引用して、すべての人々が進化論から離れて、神を信じ、管理人にならなければならない!と書きました。また読んでいただきたいと思いますが、最後にこのように書かせていただきました。

“今こそ日本が進化論から離れ、すべてを創造された唯一の神、イエス・キリストに従い、人に委ねられた権威を行使する時が来ました。石や木などの人の手で造った神々に頼るのではなく、天地宇宙を創造されたイエス・キリストに従い、神から人にゆだねられた権限を正しく用いるときに、日本の未来は守られるのです。
 そして、日本の存続のために、あなたの口の宣言が必要です。次の言葉を毎日力強く宣言しましょう。

「私は天地を創造されたイエス・キリストに従います!大地よ、地震を起こしてはならない。地表に存在する人、動物、植物、環境に被害を与えてはならない!アーメン!」”

 主が日本に訪れてくださっていることを歓迎し、主のみこころが日本に現されるように、心を一つにして、祈る時が来ています。
 甲子園ミッションから二十五周年という、四半世紀が経ったこの記念の年に、もう一度、主は勇士たちを呼び集めておられるのではないかと強く感じます。
 今週はぜひ、守りのために祈っていただきたいと思います。最後に一言、お祈りして、聖餐式に移らせていただきます。

 ハレルヤ、天の父なる神さま。み名をあがめて心から感謝します。あなたが私たちに語っているメッセージを聞き、それに応答する者とさせて下さい。今から聖餐式を行います。すべての被造物との和解を、十字架上で成し遂げてくださったことを、心から感謝します。今からの聖餐式を祝福してください。イエスさまのみ名によって、祈ります。アーメン。