「荷物番に報いられる主」
- 2019年6月30日(日)
新城教会牧師 四元雅也
第一サムエル記30章21節〜25節
『ダビデは、疲れてダビデについて来ることができずにベソル川のほとりにとどまっていた二百人の者のところに来た。彼らは、ダビデと彼に従った者たちを迎えに出て来た。ダビデは、この人たちに近づいて彼らの安否を尋ねた。ダビデと一緒に行った者たちのうち、意地の悪い、よこしまな者たちがみな、口々に言った。「彼らは一緒に行かなかったのだから、われわれが取り戻した分捕り物は、分けてやるわけにはいかない。ただ、それぞれ自分の妻と子どもを連れて行くがよい。」ダビデは言った。「兄弟たちよ。主が私たちに下さった物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。だれが、このことについて、あなたがたの言うことを聞くだろうか。戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。ともに同じく分け合わなければならない。」その日以来、ダビデはこれをイスラエルの掟とし、定めとした。今日もそうである。』
ハレルヤ!イエスさまのみ名を心からほめたたえます。雨が続いております。先週、順先生がおっしゃっていましたが、今年の梅雨は日中に雨が降らずに、夜にどーっと雨が降ることが多いです。ヒマラヤで取られた勝利がこの地の上にそのような形で現されているのではないかと、神さまからのそのような恵みの日々を送ることができて感謝します。
菊池陽子姉妹の歌も素晴らしい歌でした。いつも感心させられるのですが、姉妹がこの場所で歌われる時にはほとんど新曲を歌います。毎回よく出てくるなぁと思うのですが、いつも新しい歌なので「この曲いいな」と思っても、歌詞も旋律も覚えられない、そのうちに忘れてしまうのです。でも、ようやくCDになって、今日は販売されます。これから何回でも聴いて、曲も歌詞も覚えることができるのはいいですね。
今後は五百円になるそうですが、菊池さんは「今日は十円でもいい」とおっしゃっていました。みなさん是非、礼拝後に立ち寄っていただいて、サインしてくださると思いますので、記念に、また応援のためにも買って、十円、五百円と言わずに千円でもサポートしていただけたらとお勧めします。
CD全部自分一人で作ったといいますが、ジャケットからレコーディング、演奏まで、全部一人でやるってすごいです。いろいろ知識も必要でしょうし大変だったと思います。三曲入っているそうですが、自作のCDが出たお祝いを皆さんでしてあげていただけたらなと思います。
話は変わりますが、来週はゴスペルサパーがあります。みなさん期待してください。主イエスの恵み教会、マルセまゆみ先生は、主任牧師であり、芸人であります。今なにかと話題になっている吉本芸人の弟子で、プロでやっていらっしゃいます。ゴスペル芸というものを披露しくださいます。手品だったり、ものまねだったり、お笑いをされます。その他、チームで来られるので、ダンスがあったり、バンド演奏があったり、またゴスペルがあったりと、主イエスの恵み教会はゴスペルパフォーマンス集団なのです。教会中が芸能関係者のようで、ある方は歌を作って安室奈美恵に楽曲を提供したり、紅白歌合戦でバックダンサーをしたとか、そういった方たちも来られるそうです。
僕は拝見したことはないのですが、順先生は何度か招待されて教会に伺ったことがあります。そして先生方のなさるパフォーマンスを見たそうです。「本当に面白かった、子どもにもおすすめだ!大爆笑!」と言っておられました。ぜひ来週に向けて皆さんもお友達を誘って、子どもからお年寄りまで楽しめるゴスペルサパーになればいいなと期待しています。
先ほどお読みしたみことばは、ダビデの人生の中の一幕であります。ダビデの人生、皆さんもご存じかと思うのですが、彼は波瀾万丈の人生を歩んだわけです。戦いに次ぐ戦いだったのですが、その中でも彼は神さまによって選ばれて、神さまによって導かれていました。彼は当初、イスラエルの初代国王、サウル王に仕えていたわけですが、ダビデが神さまに祝福されるのでサウル王の妬みを買います。そして命を狙われるようになって、イスラエルの国をあちこちと逃げ回るわけです。
そして何回か危機一髪のところを神さまによって命が救われて、それでもこのままイスラエルにいたら自分はいずれ捕まって殺されるだろうと、追い詰められたわけです。
そこで、ダビデとその一行の者たちは、当時イスラエルの宿敵、一番の敵国だったペリシテの国に逃げ落ちていきました。ペリシテに下って行って、その国の王様アキシュに見いだされて、彼の家来になります。一番の敵国だったペリシテの国の家来の一人になったというわけです。そして表向きはアキシュに仕えながら、難を逃れました。
アキシュはダビデとその一味にツィケラグという町を与えて、「ここに住め。ここに居ればおまえたちは大丈夫だ。」と、受け入れました。
その後に、今度はペリシテがイスラエルと戦うことになりました。アキシュはダビデも連れて行こうとしたわけですが、その時、アキシュの他の家来たちがダビデを見て、「王様!このダビデというやつは敵国イスラエルの家来だった人物で、私たちが今から戦おうとしている敵の王サウルに仕えていた者です。しかも、『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った!』と言われていた、あの人じゃないですか!こんな人がうちの陣営にいたら背中が恐ろしくてとても戦いになんか出られません。どうかこのダビデとその部下たちを返してください。」と、アキシュに願い出ました。
アキシュは悩んだのですが、ダビデに、「家来たちがそういうから、ここは穏便におまえたちは帰ってくれ。」と伝え、ダビデもイスラエルと戦わずにツィケラグに戻ってきました。
ところが戻ってみたら、アマレクがやって来てツィケラグを襲い、火をかけて町が全部焼け落ちた後でした。ダビデとその一行の妻子、町にいた全ての人たちが一人残らず連れ去られた後だったのです。それが冒頭に読んでいただいたみことばの背景にあるわけです。
ダビデたちはツィケラグに着いたとき、そんな状態だったものですからショックで泣きからかして、ついには泣く声も出なくなってしまったと書かれています。第一サムエル記三十章一節、二節、
『ダビデとその部下が三日目にツィクラグに帰ったとき、アマレク人はすでに、ネゲブとツィクラグを襲っていた。彼らはツィクラグを攻撃して、これを火で焼き払い、そこにいた女たちを、子どもも大人もみな捕らえ、一人も殺さず、自分たちのところへと連れ去っていた。』
突然の試練の中にダビデと一行は突き落とされました。それまでもサウル王に負われて国中を逃げ回って、敵国に逃げ落ちて、そこでもいろいろな試練に遭い、またここに来て大切な妻子も全部奪われてしまった。大変な苦境に立たされたと六節に書かれています。
『ダビデは大変な苦境に立たされた。兵がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩ませ、ダビデを石で打ち殺そうと言い出したからだった。しかし、ダビデは自分の神、主によって奮い立った。』
ダビデにとっては、さまざまな難を共に通り抜け、彼を支えてきた家来たちでさえ、自分の家族が連れ去られたことで動揺し、「こんな親分に付いていても何もいいことがない!ダビデを殺してしまえ!」と言い出したのです。味方がいなくなる困難をダビデは経験したわけです。
この時、ダビデは奮い立って主のみこころを求めたと書かれています。続いて八節〜十節を読んでみると、
『ダビデは主に伺った。「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」すると、お答えになった。「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」ダビデは六百人の部下とともに出て行き、ベソル川まで来た。残ることになった者は、そこにとどまった。ダビデと四百人の者は追撃を続け、疲れきってベソル川を渡れなかった二百人の者が、そこにとどまった。』
ダビデと一行はベソル川で疲れた二百人を残し、四百人で主の導きの中追い続け、ついにアマレクに追いつくことができました。アマレクはダビデの町を襲っただけではなく、それ以外にもいくつかの町を襲って、多くの分捕り物を得て自分たちの町に帰る途中でお祭り騒ぎをしていました。十六節〜十八節、
『アマレク人たちはその地いっぱいに散って食べたり飲んだりし、お祭り騒ぎをしていた。彼らがペリシテ人の地やユダの地から奪った分捕り物が、とても多かったからである。ダビデは、その夕暮れから次の夕方まで彼らを討った。らくだに乗って逃げた四百人の若者たちのほかは、一人も逃れることができなかった。ダビデは、アマレクが奪い取ったものをすべて取り戻した。ダビデは、二人の妻も救い出した。』
このようにダビデは大変な苦境の中から主に頼って追撃をして、そして一転、大勝利を治めたわけですね。十九節〜二十節も読んでみます。
『子どもも大人も、息子たちも娘たちも、分捕られた物も、彼らが奪われたものは、何一つ失われなかった。ダビデは、これらすべてを取り返した。ダビデはまた、すべての羊と牛を奪った。兵たちは家畜の先に立って導き、「これはダビデの戦勝品だ」と言った。』
彼らは自分たちの妻、子、財産を取り戻しただけでなく、アマレク人が他の町々を襲って略奪した牛や羊たちも奪い取ることができたのです。本当に大勝利でした。
ダビデのそれまでの人生で最大の試練だったと思いますが、主は大勝利を与えてくださいました。
ダビデが勝利を取って川岸で待つ仲間の元に戻った時に、先ほどお読みしたみことばですが、
『ダビデが戻ってきた時に、意地の悪いよこしまな者が、「こいつらは俺たちと一緒に戦いについて来られなかったんだから、自分の家族だけ返してやって分捕ってきた物はこいつらにはやる価値がない!戦わなかったのだから。」』
と言い出したわけです。しかしダビデは、「兄弟たち、そう言うな。みんな一緒だ!」と言いました。
先週の礼拝では、順先生のメッセージの冒頭で、先々週行われた香港ミッションのことに触れて、こんなことをおっしゃっていました。リバイバルミッションで伺う先、特に海外等に伺う先には何かが起きることが多いと。
先々週、香港で大きなデモがあり、暴動にもなりかけました。そして、その最中に香港ミッションが行われていました。
また先週はザワメキが大阪に行きましたが、大阪ではG20がちょうど行われていて、ザワメキも車で行く予定だったそうですが、奉仕に行く先の先生方から、「車で来ないでください。車で来たら大変なことになってしまうので、是非公共機関を使って来てください。」と言われたようで、予定を変更されていました。
どちらも、この時期を狙って行こう!と日時が決まったわけではないのですが、そのような時間の巡り合わせの中にも主のみこころがあって、大きな出来事が起きている最中にミッションが行われ、その場所において祈りがささげられることには大きな意味があるのではないかと思わされます。
国を揺るがす、地域を揺るがすような、大きなイベントが行われている中に、私たちが計画したわけではなく、主によって遣わされ、その地域において賛美し祈る中に神さまが確かにそこに居られ、神の国の業が現されているということを私たちは信仰によって受け止めて、主に感謝したいと思います。
何かが起きるといえば、先週は心配な出来事がありました。皆さんにも共に祈って頂いている瀧元寛太君が、先週は一時血圧が下がって、命にかかわる危険なところを通り、皆で祈りました。感謝なことに祈りが応えられ、一日、二日で、病院側でもいろいろな手当がなされ、また以前のように回復しました。
最近は周りからの投げかけに対する反応も出てきて、意識があるのではないかと思わせるような行動が見て取れるようになってきました。瞳が動いたり、手がリズムを刻んだりなど、反応が現れてきているということです。少しずつ前に進んでいる状態です。またこのような危険が起こらないように、ぜひ皆さんも続けて熱い祈りをしていただきたいと思います。
また話が変りますが、今週から来週にかけて、新城教会では霊的戦いの開戦記念日が近づいています。九二年に始まって、二十七年が経つわけですね。今日も午後からはバスで賛美に行きたいと思います。この雨で山には行けないと思うので、設楽原をとりなしながら賛美し祈っていく、そんな時を持っていきたいと思います。
新城教会はこのように、戦いに次ぐ戦い、ある意味ではダビデとその一味のようで、滝元明とその一味というか、今は滝元順とその一味という感じで、戦いに次ぐ戦いです。主イエスの恵み教会は“ゴスペルパフォーマンス集団”、私たちは“ゴスペルウォリアーズ集団”でしょうか。日々、戦いですね。
今日も順先生は埼玉でメッセージをされています。ザワメキも大阪で集会を持っています。ミッションの働きも続いています。とりなしもありました。今月は霊的戦いのセミナーがミッションで三回開かれていましたね。いろんな戦いが日々行われています。
この戦いの最中、私たちはもちろん、この戦いのために同じ思いで祈り、また時にはその戦いに加わって、その現場に出向いて集会に参加したり、そこで主に賛美し祈るということは、大変大切な事だと思います。
しかし今日お読みした三十章二十一節〜二十五節のみことばの中では、特に、戦場に下って行って敵と剣を合わせて戦った勇士たちではなくて、彼らについて行けず、疲れてゲバル川のほとりで止まっていた荷物番の人たちに目が向けられています。
ダビデが素晴らしかったところは、意地の悪い人たちの言うことを聞かずに、「いやいや!そうじゃない!戦いに下って行った者も、疲れて荷物番をしていた者も、分け前は同じだ!」と、それをイスラエルの定めとしたと書かれています。
戦いに出ていけなかった二百人の者たち。もしかしたらこの二百人の中には、ダビデが苦境に立たされたその時に、「こんな親分殺してしまえ!」と口にした者も混ざっていたかもしれませんよね。「俺はついていけない!川に留まる。戦いに行ってくれ。」と。そういう気持ちで戦場に行かない人もいたかもしれないです。その時点でアマレクに追いつけるかどうかも分かりませんし、勝利できるかどうかも分かりませんから。
精鋭たちがダビデと一緒に付いて行き、だからこそ追いつけたのだと思いますが、残った二百人の者たちはどんな人たちだったかなぁと思います。もちろんダビデとその部隊が勝利して帰ってくるようにという願いは持っていたでしょう。でももしかしたら、半信半疑だったかもしれないですよね。
そういった者たちの所に、ダビデたちは、予想以上の大勝利を持って戻ってきました。そしてダビデは、その分け前を一緒にした、と書かれています。これはダビデが正しい判断をして、正しい行いをしたと思います。
その後、第一サムエル記三十章二十六節〜三十一節を見ますと、こんなことも書いてあります。
『ダビデはツィクラグに帰って来て、友人であるユダの長老たちに戦勝品の一部を送って言った。「これはあなたがたへの贈り物で、主の敵からの戦勝品の一部です。」その送り先は、ベテルの人々、ラモテ・ネゲブの人々、ヤティルの人々、アロエルの人々、シフモテの人々、エシュテモアの人々、ラカルの人々、エラフメエル人の町々の人々、ケニ人の町々の人々、ホルマの人々、ボル・アシャンの人々、アタクの人々、ヘブロンの人々、すなわち、ダビデとその部下がさまよい歩いたすべての場所の人々であった。』
ダビデは多くの戦勝品を取って帰って来た時に、それを自分たちだけの物とはせずに、ダビデがサウルの手を逃れてさまよっていた時に、彼をかくまって食事を与えたり、彼を逃がしてくれた町々の長老にも贈り物を贈ったと書いてあります。
そして、同じ頃、アキシュとペリシテの軍隊はイスラエルと戦って、その場でサウル王様は討ち取られたのです。ダビデはイスラエルに帰り、この町々の民がダビデを王として迎えることになるわけです。
だからこれらの出来事はダビデにとって大変な試練だったのですが、その中で神さまの勝利がダビデの上に現されて、またダビデの行動が神の前で正しいと認められ、それを見た人々にも良しと認められて、王として迎えられるきっかけとなったのです。最悪の事態が、彼が王様に押し上げられる結果となったわけです。
私たちは長年、リバイバルの戦い、戦いに次ぐ戦いの中にあります。ミッションに行かなくても、戦いの現場に行かなくても、同じ戦いの中にあります。荷物番しているような者かもしれませんが、祈りの中で、同じ戦いの期間を過ごしているわけですね。時には疲れることもあるかもしれません。自分のことで精一杯の時もあるかもしれません。
ダビデは神さまの前に正しかったです。ましてや神さまはダビデよりももっともっと正しいお方ですよね。私たちが荷物番であったとしても、神さまは大切に、そして決して分け前からはじかれるようなことはされないということです。その事をこのみことばの中から私たちは覚えることができます。
ちょっと話が変わるのですが、この教会でも度々話題に上げられて、礼拝のメッセージの中でも語られているのですが、先々週、私は刑務所に一人の方の面会に行きました。それは田邉雅樹さんという方です。皆さん是非、その名前を覚えてお祈りしてください。
田邉雅樹さんは、愛知県豊川市で二〇〇二年に起きた、当時一歳十ヶ月の男の子が連れ去られて、そして海で水死体として見つかった。殺人事件と言われていますが、この事件の犯人として逮捕されて、そして裁判で実刑判決が出て、今服役されている方です。
ずっと大分の刑務所に服役されていたのですが、この一年ほど、福井の刑務所に移送されてきていて、会いやすくなったので会ってきました。二月に順先生も会いに行かれて、メッセージでも触れたかと思います。
この事件の経緯をちょっと写真でお見せしたいと思います。
これは福井刑務所の写真です。四メートルくらいある塀で囲われている、そういった場所です。
これは別の刑務所の内部が公開された時の写真ですが、彼に聞いたら三人部屋だとおっしゃっていたので、同じような感じだと思います。こうやってみると、本棚があったりテレビも今は刑務所の牢屋の中にあるようです。でも窓は大きな鉄格子がはめられています。
これがこの事件の年表です。二〇〇二年七月に事件が起きて、翌二〇〇三年の四月に田邉さんが逮捕され、二〇〇六年に名古屋地裁で無罪が一旦出ます。彼は釈放されて、社会生活されるわけですが、二〇〇七年に名古屋高裁で逆転有罪、懲役十七年が言い渡され、二〇〇八年に最高裁が上告を棄却して、刑が確定して、刑務所暮らしが始まりました。
それから八年後、二〇一六年になりますが、名古屋高裁に弁護団が再審請求を申し立てました。「この裁判は不当だ!もう一回裁判をやり直してください!」と、そういった請求です。「彼は無罪です!」と主張したわけです。
しかし今年の一月二十五日に名古屋高裁が棄却して、三日後に弁護団が判決を不服として異議申立てして、今もう一度、名古屋高裁の刑事第二部という所で審議されているのです。
この事件では、捜査段階で彼が「私がやりました。」と自白したわけですが、公判では一貫して無罪を主張しています。
そして犯行を裏付ける直接的な物証とか、目撃証言等は一つもない。自白の真偽そのもの、自白が自発的なものなのか、真実を述べているのか、それとも誘導されて話した偽りなのか、ということが争点であるのです。
第一審名古屋地裁は二〇〇六年に、この自白の内容は不自然と認定し無罪にした。しかし控訴審では、一転して、自白は信用性がある、信頼できるということで、新しい証拠は一切ないのですが、一方では無罪、もう一方では有罪。全く違う判決が同じ争点の中で言い渡されるということが起きたわけです。
そして、最高裁も、その高裁の判決を支持して、上告を棄却して刑が確定しました。
田邉さんは一審から二審まで、一時自由になった期間に新城教会に来られました。そしてイエスさまを信じて一緒にお祈りをしたり、教会で交わりをしました。
そして逆転有罪が出てからも、現在に至るまで、私たちと手紙のやり取りとか、面会に行ったり、本を送ったり、あるいは毎週の礼拝メッセージを読み物にしたものが送られ続けております。
弁護団が第一回目、二〇一六年の七月に再審請求を名古屋高裁に提出したその時には、私も名古屋高裁まで出向いて、なんか物々しい雰囲気でしたが、支援者たちが旗を持って立っていたり、テレビ局が大勢取材していましたが、その中を弁護団が玄関から入っていく背後でお祈りしておりました。
本当に残念なことに再審請求が棄却されました。それからも祈り続けています。
今はインターネットが普及しておりますので、田邉雅樹と検索すると、顔写真が何枚も出てきます。ある意味、有名人です。皆さんにも祈っていただきたいのでそこから取ってきた写真をお見せしようと思います。
田邉さんは気の弱そうな方ですが、この件に関しては強いです。諦めていません。二〇〇三年に逮捕されていますので、逮捕から現在まで、十六年戦いが続いています。彼の人生が十六年間、この戦いに費やされているということであります。
私たちは二〇〇六年に彼と出会って、この日本で刑事裁判の実体がどのようなものであるのか、えん罪が実際どれくらいあるものなのかについて考えさせられるようになりました。日本の刑事事件に関する国家権力の在り方について学ぶきっかけになりました。
その中には、皆さんの多くが知らない、信じがたいくらいに理不尽で、おおよそ公平とは言いがたい現実があります。今日は詳しくはお話ししませんがそれは事実なのです。
私たちも田邉さんは無罪であることを信じて支援しているわけですが、田邉さんのようにえん罪の濡れ衣を着せられて、人生の年月を奪われた人が日本には大勢いると思います。彼との出会いがきっかけで、私たちもその戦いの中に入ったのです。
今年の三月のことです。「松橋事件」という事件で再審が決定し無罪が確定しました。無罪が確定しましたが、犯人とされた人は服役期間も終えてしまっています。九十歳も超えて認知症もあり、言葉も交わすことのできないような状態になっていらっしゃいます。でも「無罪が確定しました!」と聞くと、目に涙を浮かべて喜んでおられたと報道されていました。この事件については逮捕から無罪が確定するまでに、実に三十四年もかかりました。
日本の刑事裁判というものは、一回有罪が出たら覆すことは用意ではありません。
「大崎事件」と呼ばれる事件も再審請求が提出されて戦っています。この裁判は二〇一七年に第一審で無罪、再審開始の判決が出て、検察が控訴して、第二審でも再審開始の判断が出たのですが、つい先週、なんと最高裁で逆転棄却されました。この事件はなんと四十年間戦っています。果てしないと思われるような戦いです。これがえん罪なら何とむごいことかと思います。
私たちはクリスチャンとして、日本の司法を司る裁判所、検察、また警察など、治安維持の機関や法曹界の人たちが誤った判断をしないように、人々の人生がそういった形で奪われることがないように国のため祈らなければならないと思います。
田邉さんの事件に関して書かれた本が今年の三月に出ました。
「実は殺っていないんです。」という本です。「この本のことを皆さんに紹介してください。」と田邉さんからお願いされましたので紹介します。みみずく書房という所から出ています。豊橋の豊川堂本店で扱っています。また著者は東愛知新聞社の記者の方ですので、そちらに問い合わせても買えると思います。一冊千六百二十円で、この事件の初めから今までの戦いについて、細かく書いてあります。皆さんお買い求めいただけたらと思います。私も買いました。
最近、教会では天の法廷ということが言われています。天の法廷で悪魔の訴えを退けることが大切である。教会には、天上の教会と地上の教会がある。天上の教会は勝利の教会であり、地上の教会は戦闘の教会である。そして相互に連動し合っている。
私たち自身が教会だと教えられていますが、私たちが、この天の法廷において、私たちを罪に定めようとする悪魔の訴えを退けていく、その天の法廷で勝利するための祈りをささげていくということです。
地上では戦いがあるのですが、それよりも先に天の法廷で裁判で勝訴する必要がある。そのようにして初めて、天の勝利が私たちが戦っている戦いの中に現されていくということが語られました。
天の教会の勝利が地上にもたらされるように、悪魔の支配に対して、神の国の勝利が拡大していくと、そのことをしっかりと意識して、この福音の戦いを戦っていく必要があります。
そのためにはまず私たち自身の聖めを求めて、祈る必要があります。 天の勝利がこの地に侵入してくるように。教会というものは、その侵入をもたらす門であるということですね。
人間というのは霊、肉、魂、三つからなっていて、それで一つになって人間だということです。人間を三つの領域で縛る罪の束縛がある。この三領域に対して、私たちが悔い改めと断ち切りの祈りをしていく。
その具体的な内容が、偶像礼拝と憎しみと不品行であります。ここに悪魔が入り込んできます。神に対する反逆であり、悪魔に対して契約になる。
罪の解放というのは、神に対して悔い改めと和解を祈るということと、悪魔に対しては、霊的契約の破棄と決別です。罪から離れて契約を断ち切っていくことが必要である。このようなことが成されていく時に、私たちの体を通して、天の勝利が現されていくようになる。
悪魔たちはこの罪を罪状とし、そして合法的に人生に干渉をしてくる。悪事を働くためです。そしてそれは借金取りのような、ヤクザのような、しつこい、そしてひどい方法で私たちを襲って力を奪って、良いものを盗んでいくのです。
ここから解放してくださるのがイエス・キリストの十字架です。イエス・キリストの十字架によって、私たちはこの罪から解放されて、そして全宇宙で最高の法的権威を持って悪魔に対してその裁判で打ち勝つことが許されるようになります。
私たちはこのことをあらゆる被造物に対して宣言していきましょう!と、最近礼拝の中で繰り返し、語られています。
先ほどの田邉さんの話に戻りますと、二〇〇六年に彼に出会ってから祈り始めたことをお話ししました。
その後、日本における刑事事件の裁判を見ますと、少しずつ日本が変わってきているのを見ることができます。
この十年間、日本の刑事事件に対する国家としての取り組みが変わって来ています。ニュースなどでも紹介されていますので、皆さんご存じだと思います。例えば、警察の捜査段階での事情聴取、あるいは検察の取り調べが可視化される取り組みがなされています。
また裁判員制度が二〇〇九年から日本で始まって、特に凶悪犯罪において、裁判官だけでない一般の人たちが裁判に関わるといった道が開かれるようになりました。
昨年は司法取引とか、テロ等の犯罪準備取締法も法制化されている。これらも議論のあるところですが、でも刑事事件に関する法律が次々と打ち出されています。
日本弁護士連合会という団体があります。この団体がえん罪事件といわれる人たちを支援しています。この団体の資料によると、一九九四年から二〇一〇年までの十六年間で、殺人など凶悪犯罪の裁判で有罪が確定した事件で、後に再審請求が認められたケースはありませんでした。
しかし、二〇一〇年から現在までの九年間では、無罪判決が五件確定しています。足利事件・布川事件・東電OL殺人事件・東住吉事件・松橋事件です。そして現在、日本では田邉さんの関わっている事件を含めて、十件に再審請求が出され裁判が継続中です。二〇一〇年以降少しずつ変化があると言えます。
戦いの中心に田邉さんがいるわけです。相手は国家機関です。国家権力という傘の下にある組織です。その前で、一個人である彼はある意味、無力です。でも汚名返上という未来を信じて戦い続けています。ある意味、彼のいる場所は最前線です。さしずめ私たちは荷物番というところです。
しかし、そのような祈りが国家を動かしていくのです。私たちはそのことを信じて祈り続けていくことが大事だと思います。
先ほどのダビデの話もそうですが、問題に直面すると、私たちはイエスさまを求めて、みこころを探し始めます。問題がとても大きいものだと、私たちは霊的な戦いを意識し戦い始めます。罪から離れ、必死に祈るようになります。
その結果、神さまの業が現されます。問題を振り返って神さまに感謝して、こう言います。「神さまのおかげで問題に打ち勝つことができました」「神さまが共におられなかったら問題に押しつぶされていたかも知れない」「問題を通して神さまをもっと深く知ることができました」と。ですから、イエスさまによって悲しみが喜びに代わるわけです。イエスさまを心にお迎えするということは、本当に素晴らしいことです。
パウロも獄中書巻と呼ばれるピリピ人への手紙の中で、こんなふうに言っています。ピリピ人への手紙四章四節、
『主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。』
牢屋の中でこういったことを書くのは、本当に難しいことではないかと思います。日本において刑務所で服役している方たちは、大変不自由な生活をしなければなりません。刑務官からは名前で呼ばれずに番号で呼ばれますし、寝る時間、起きる時間、食事の時間、お風呂の時間、作業にあたる時間、全部分刻みで管理されます。風呂も三日に一回くらいしか入れませんし、夜も電気の点いた明るい所で寝なくてはなりません。食べたい物も食べることができません。クーラーのない部屋で、夏は暑さに、冬は寒さに耐えながら生活しなければならない。考えただけでも辛いことだと思うのですが、パウロが当時いた牢屋はもっとひどい所でした。本当に人間扱いされないような、いつ自分の命が取られるか分からないような、そういった場所であります。堅くて、冷たくて、不衛生な場所であります。そういった場所にありながらパウロは「喜びなさい。」と私たちに伝えたわけです。
なぜパウロはそう言ったかについて、ピリピ人への手紙一章十三節から十四節に書いてあります。
『私がキリストのゆえに投獄されている、ということは、親衛隊の全員と、そのほかのすべての人にも明らかになり、また兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことにより、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るようになりました。』
彼は福音を語ったことで投獄されました。聖書は事実に基づいて書かれていますので、パウロもだいたい紀元六二年頃でしょうか、ローマで囚われの身でしたが、そこでパウロが感じたことは、自分が囚われて不自由になったことで、兄弟たちが奮起して福音を一生懸命語るようになった、自分がするよりももっと福音が届けられている。そのことが私の喜びだと書いてあります。ピリピ人への手紙一章十八節には、こうあります。
『あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます。そうです、これからも喜ぶことでしょう。』
僕だったら絶対こんなことは言えないだろうなと思います。僕が手紙を書いたら、「なんでこんな理不尽な濡れ衣を着せられて、何も悪いことをしていないのに、こんな所にいなくちゃいけないのか。神さまは生きているのか。見捨てられたのか。ピリピの皆さん、弁護士を遣わして、私が出られるように支援をお願いします。」とか書いたかもしれませんが、彼は自分が入ったことで、ますます福音が伝わっているから嬉しい!喜んでいる!と、こういうふうに言うわけです。本当にすごいことだと思います。
ダビデの一味がサウロの前から逃げていた時も、ペリシテの地にあった時も、国王となったその後も、戦いに次ぐ戦いの日々でした。私たちは新城教会の滝元順とその一味、というより、イエスさまのみ国の軍隊として、戦いに次ぐ戦いの毎日の生活です。リバイバルのために、世界にイエスさまの福音を宣言し、神の国がこの世界を覆うための戦いです。この戦いはある意味で、激しくて辛い。疲れ果ててついていけないと感じ、川の岸辺でたたずむ時もあるかもしれませんが、それでもいいのです。
本当に私たちの存在そのものが、この教会にあって、神さまによって選ばれて、この場所で主を礼拝している。互いに励まし合う、そしてリバイバルという希望を持って、祈り続けている。そのことが大事なことであります。
荷物番でいいです。神さまの前に祈って、そしてこの町に、日本に、世界に、神の国が実現するために信じて前進していきたいと思います。
最後にお祈りしたいと思います。
今、皆さんの中には、問題や、苦しみ、悩みの中で、自分のことを祈ることで精一杯、信仰を守っていくので精一杯と思われるような方も、いらっしゃるかもしれません。しかし神さまはあなたをこの場所におかれ、その存在そのものを大切に思ってくださっています。
そして、リバイバルのための大勝利が現される時に、共に喜ぶ者として、分捕りものを分かち合い、神さまに栄光をお返しすることができるようにと、計画してくださっています。
今日はそのことを信じて、神さまに信仰を新たにして、信頼を新たにして、祈り続けていくことができるようにと祈っていきたいと思います。
一言お祈りします。
ハレルヤ、イエスさま。今日はリバイバルのための戦いにあるこの教会に属し、また神の国のために戦うお一人お一人として、ここにおられます兄姉を祝福してください。
今、弱さを覚えていらっしゃる方、病で苦しんでいらっしゃる方、問題のただ中にあるという方もいらっしゃるかもしれません。どうぞそのような方のただ中にあなたの恵みと祝福が注がれますように。
また、この最中にもリバイバルの戦いが続いています。本当に戦いが止むことなくなされています。その戦いの中で与えられる勝利が、私たちの恵みとなり、信仰の糧となっていることも心から感謝いたします。
あなたに栄光をお返しし、またさらにリバイバルのビジョンを新たに、前を向き、前進していくことができるように、お一人お一人を祝福してください。天を開いて、豊かなる油注ぎがお一人お一人の上にありますように。そしてまた、どうぞ主よ、あなたの恵みと祝福の中でこれからも続いていく戦いのために私たちをこの場所に居らせ、また戦いのために整えてくださいますように。イエスさまのみ名によってお祈りいたします。アーメン。