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「彼らに主の名をほめたたえさせよ!2019
〜最も大切なこととは何でしょう?〜」

  • 2019年7月28日(日)

新城教会主任牧師 滝元順
マルコの福音書12章28節〜31節

『律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」』

 ハレルヤ!皆さん、おはようございます。共に礼拝が守れますことを感謝します。今の演奏すごかったですね。私もあのくらい弾いてみたいなと思います。

 結構暑くなりましたね。昨日は台風六号がやって来て、この辺を直撃コースでした。しかし昨日、教会では午前中に、ちょっと大きなイベントが二つありました。アイスクリームショップに百人くらい集まる野外イベントと、インターナショナル集会があって、台風が来たら大変だと、皆で祈りました。
 私も早起きして、外に出たら、すごい風雨で、今回は敗北かなと思いました。しかし、「台風よ、よく聞け!みことばを行う嵐よ!主を賛美しろ!我々の働きを止めることはできない。一緒に賛美しましょう。」と呼びかけました。また、「太陽よ!出ろ!」と不信仰ながら、宣言してみました。そうしたら、どうでしょう。
 なんと昨日の午前中、太陽まで顔を出しました。本当にすごかったです。聖書のみことばは真実だと感動しました。

 昨日は、近隣のインターナショナル教会がいくつも集まって、新城教会で集会がありました。そのためにエスティバン先生が来てくださっています。
 先生はオーストラリアから来てくださったのですが、今から先生に少しお話と挨拶をしていただきたいと思います。では、大きな拍手でお迎えします。先生と私はよく似ているでしょう。先生の通訳は中村先生がしてくださいます。よろしくお願いします。

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 ご紹介ありがとうございます。神さまは良い方です。アーメンですか?
 この朝、皆さんと一緒にいることができ、本当に喜びです。二人、三人、イエス・キリストのみ名によって集まる時、そこに神さまがおられる確信があります。

 詩篇百五十篇、「息あるものは主をほめたたえよ!」今ここで私たちは息をしていますよね?そうですか?誰も死にかかっていないですよね?聖書には、「すべての日本人よ、ほめたたえよ!」とは書かれていません。「オーストラリア人だけが、ほめたたえよ!」とも書いてありません。「南アフリカ人だけ」とも書いてありません。すべての息あるものが、主をほめたたえますように。主はそれに値されるお方だからです。アーメンでしょうか?
 今日、皆さんとこの場所にいることができるのは、私にとってとても光栄です。いろんな事は分かりません。何を歌っているのかも分かりません。しかし、神の霊がこの所にあることを感じました。私も息をしています。だから主をほめたたえることができるのです。アーメンでしょうか?

 ですから教会を励ましたいと思います。神のみこころを行ってください。ここは良い教会です。教会は地の塩にならなければならないと聖書に書いてあります。そして世の光にならなければいけないと書いてあります。これ以上に良い所はありません。生きた神が働いておられる所です。ここには望みがあります。安心できる場所でもあります。ですから、神のみこころを行ってください。皆さんは日本にとって本当に大切な方々です。この教会は日本にとって大切な教会なのです。
 マタイによる福音書二十四章十四節にこのように書いてあります。

『この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。』

 神の国を宣べ伝えるために、日本の地で、この教会を用いられますように。日本にリバイバルが起こることを願っています。皆さん、見たくないですか?アーメンですか?ハレルヤですか?
 この教会を用いられます。神の福音を宣べ伝えてください。この地のために。皆さんのためにお祈りしています。私たちの教会も皆さんのために祈ります。神さまが用いられますように。
 この朝、このような時間を与えてくださりありがとうございます。牧師先生に祝福がありますように。このように証しする機会を与えてくださったことを感謝します。

 私の息子があちらにいます。サムエルです。私たちは日本に来てから本当に愛しい時を持っています。皆さん、この国は素晴らしい国です。本当に素晴らしい人たちの集まりです。私は日本人が好きです。神の祝福がありますように。良い日でありますように。アーメン。

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 どうもありがとうございました!先生に大きな拍手をしてください。
 先生は素晴らしいハートを持った方です。今朝も一緒に食事をさせていただきました。インターナショナルの集会でメッセージを語ってくださいます。興味のある方は四時から出ていただきたいと思います。

 私も結構忙しくて、なかなか新城教会で奉仕することができなくて、今日、先生に奉仕をしていただければいいのですが、今週は北海道に行き、そのまま韓国に行って、帰って来て東京に行って、沖縄に行って、また韓国に戻るみたいなスケジュールです。祈っていただきたいと思います。
 「あんた、使ってもらえる時が花だに。」とある人に言われるのですが、花がしぼまないように頑張りたいと思います。

 今日、皆さんと一緒にお読みした聖書の箇所は、何をするのにも基本となり、重要な教えです。この土台が崩れてしまうと、聖書のすべて、信仰生活のすべてが崩れてしまいます。先ほども読んでいただきましたが、それは二つにまとめることができます。一つは、

『心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

 私たちの主を、心から愛することが、第一に最も重要なことです。そして二番目は、

『「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」この二つより大事な命令は、ほかにありません。』

とイエスさまは言われました。
 人生の中で、最も大切なことは何ですか?と問われたら、三位一体なる神、父、み子、そして聖霊さまを心から愛することと、隣人を心から愛することです。

 この言葉はユダヤ人に語られた言葉で、その基本となるのが「十戒」です。皆さん、十戒って聞いたことありますよね。

一、あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
二、あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
三、あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
四、安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
五、あなたの父と母を敬え。
六、殺してはならない。
七、姦淫してはならない。
八、盗んではならない。
九、あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
十、あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

 十の戒めですが、一番から四番と、五番から十番を、イエスさまは「愛」という帯でまとめて下さいました。「神を愛する」ことと、「隣人を愛する」二つにまとめて下さったのです。十戒は、神を愛することと、隣人を愛することに集約されます。
 今、マルコの福音書を読みましたが、このストーリーは、マタイの福音書にも、ルカの福音書にも出てきます。ルカの福音書では、「それを実行したら、いのちを得る」と約束されています。それは永遠のいのちに繋がる重要な条件です。同時に、いのち溢れる人生を送りたければ、この二つの戒めに心を留めるべきです。

 さて、神さまを愛しておられますか?「アーメン」がちょっと小さいですね。「神さまを愛しておられますか?」「アーメン!!」いいですね。
 私は来週から、韓国に行くのですが、韓国はメッセージ中のレスポンスがいいです。アーメン!とか、ハレルヤ!とか言って応答します。しかし恵まれない話をすると、さっぱり言ってくれません。日本は静かですが、ふつふつと心の中で恵まれていることも分かります。

 私たちが神さまを愛することを実行し始めると、人生にいのちが湧いて来ます。
 そしてもう一つ、隣人を愛することです。今日集まっておられるお一人お一人、永遠のいのちがありますから、永遠のお付き合いです。あなたの右と左の方々は、永遠に共に過ごす仲間です。ちょっとご覧になってください。「この人と永遠か・・。」と言わないで、お隣の方に、「永遠によろしくお願いします!」とご挨拶をしてください。
 私たちは永遠に共に過ごす仲間です。お互いに愛し合っていかなければいけないですよね。

 普段の生活の中でも、隣人を愛することを忘れると問題が起こります。国際問題も、「隣人を愛する」ことさえ知っていれば、起きないはずです。聖書の教えを世界中の人たちが理解したら、世界は平和になります。神を愛して、隣人を愛することを実行さえすれば、敵はいなくなります。
 では隣人って誰ですか?と、律法学者がイエスさまに聞いたら、その時に語られたのが、皆さんがよく知っている「良きサマリヤ人の例え」でした。これはルカの福音書十章に出てくるのですが、十章三十節〜三十四節、

『イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。』

 このストーリーの中に、隣人を愛することがどういうことか記されています。
 まず第一に、苦しんでいる方々がおられたら、目をそらしてはいけないということだと思います。

 私は、二週間くらい前、川崎にある韓国系の教会で三日間、聖会を持たせていただいたのですが、たいへん感動しました。
 その教会では毎週月曜日に、近くの公園にいるホームレスの方々のために食事を用意しています。ホームレスの方々は、長く風呂に入っていなかったり、夏は大変だというのです。しかし彼らを教会に入れて、食事を毎週提供しているというのです。
 「どのくらい続けているのですか?」と聞きました。私はせいぜい一年くらいかなと思ったら、「二十年間続けている」というのです。「二十年間ですか?」「はい、そうです。」毎週月曜日に、その方々のために食事を一〇〇人分用意するそうです。先に食事をあげると帰ってしまうので、先に集会をするそうです。日本人でもなかなかできない仕事を、韓国の方々が、日本において二十年間、毎週、続けておられるというのです。二十年間って、半端じゃないと思います。
 ある日本人牧師から忠告されたそうです。「それをやり続けると普通の日本人は教会に来なくなりますよ。」と言われたそうですが、「でも、二十年間続けてきました。これからもやります!」と言われ、たいへん感動しました。私も、隣人を愛する気持ちをもっと強く持たないといけないと教えられました。

 歴史的背景や、当時の状況をよく知らないと、イエスさまが語られた真意を捉えることが出来ません。
 「エルサレムからエリコに下る途中」と記されていますが、イスラエルは元々、十二部族によって構成された一つの国でした。しかし、紀元前十世紀くらいに二つに分かれた歴史があります。「北イスラエル」と、「南ユダ」という国に分断してしまったわけです。

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 南ユダの人たちが、今日のユダヤ人たちです。北イスラエルの人たちは消えてしまったと言われていますが、実際は消えていません。
 民族紛争とか、国家間の対立は、一度始まるとなかなか終わりません。イスラエルが分かれたのは、紀元前十世紀くらいのことですから、三千年も前のことです。しかし今でもイスラエルに行きますと、こんな壁があります。壁の向こう側はかつての北イスラエルの領域です。今は「パレスチナ自治区」と呼ばれています。そこには主にアラブ系の人たちが住んでいると言われるのですが、実は、その人たちをリサーチすると、北イスラエルの十部族の人たちと強いつながりがあります。

 実は十一月、私はサマリヤ地方に皆さんをお連れしたいと願い、ツアーを計画しています。日本のツアー会社では、こちらへは行けません。しかし私は、この領域に入るツテを持っているので、入れます。たいへん興味深い場所です。アラブ系の方々が力強く生活しています。

 そこには旧約聖書の舞台がそのまま残っています。「ゲリジム山」という山が旧約聖書に出てくるのですが、この近所はある意味、イスラエルの原点です。サマリヤにイエスさまが行かれた時、そこにいた女性とイエスさまが会話しました。

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 するとその女性が、「あなた方、ユダヤ人はエルサレムを礼拝場所としていますが、私たちはこのゲリジム山で礼拝をしています。どちらが本物の礼拝場所ですか?」と問いかけています。
 北イスラエルも南ユダも、天地宇宙を造られた同じ神を礼拝していたのですが、礼拝場所だけが違っていたわけです。北イスラエルの人たちは、ゲリジム山を聖地として、ここに神殿を建て礼拝していました。南ユダの人たちは、エルサレムで、シオンの丘で礼拝をしていたわけです。それで「どっちが本物の礼拝ですか?」と尋ねたわけです。
 その時イエスさまは、どちらが本物というのではなく、霊とまことによって礼拝する、場所にとらわれない礼拝について語られました。しかし、ゲリジム山と、エルサレムの礼拝場所の違いは今でも続いています。三千年です。
 ゲリジム山に行きますと、サマリヤ教徒たちが今でも礼拝しています。この人たちは動物の生け贄をささげています。
 私はサマリヤ教徒の家にちょっと寄せていただいて、いろいろお話しさせていただいたのですが、旧約時代そのままです。

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 またエルサレムに行きますと、ユダヤ教徒たちが嘆きの壁の前で礼拝しています。ユダヤ教徒とサマリヤ教徒は現代でも服装は違い、別々に礼拝を続けているのです。
 このように民族が分かれると、様々な問題が起きることも確かです。イエスさまの時代も隣合う民族同士の対立がありました。それは「ユダヤ人対サマリヤ人」という構図でした。イエスさまは、ユダヤ人でした。しかし倒れていたのはサマリヤ人です。
 彼らは服装も違いますから、すぐに分かったはずです。

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 エルサレムからエリコに下る道は、ちょうど北と南のボーダーにあたります。エルサレムは、ユダ王国に属し、エリコは北イスラエルに属する町です。この境で起こった事件が良きサマリヤ人の話しです。これは対立している国家間、民族間に起こった事柄に関する教えです。それはお互いの敵対感情を越えて、民族意識を越えて愛し合う大切さを教えています。

 日本にいますと感じないのですが、海外に行くとなんとなく、違和感を感じます。しかし現在、日本に海外の方々がどのくらい住んでいるかというと、人口の二パーセントです。二百万人以上の外国の方々が住んでいます。これからますます、増えると思われます。日本は高齢化社会ですから、日本人だけでは回らなくなっています。海外の方々に助けてもらわないと、国が回っていかないわけです。
 日本人の中にある他の国々の人たちに対する壁を崩して、愛し合い、隣人として受け入れ合っていくことは、重要です。
 先ほどもエスティバン先生がメッセージを語ってくださいましたが、ここには、さまざまな国から集まっておられます。一緒に礼拝することは、たいへん重要です。
 そのような中で、国を越え、言葉を越えて助け合う時、神のみこころが現されていくのです。

 先週、ある海外の方からメールをもらいました。そして十年くらい前のことを思い出しました。
 十年くらい前のことですが、教会の中庭にいたら、一人の黒人女性が自転車に乗って入って来て、「この教会のパスターいる?」と言うのです。「私です。」と言うと、「パスター!この教会って危険じゃない?」と言うのです。「危ないか、危険くないかは、自分で見て確かめてよ!」と言ったら、「わかった!」と言って消えました。いや〜、なかなかはっきり言うなと思いました。すると、その人は教会に来られるようになりました。
 Kさんというジャマイカから来られた女性でした。海外に行きますと、言葉って直接的です。言いたいことは、はっきり言う。そうしないと通じません。日本人は遠回しにカーブとか、スライダーを投げるものだから、全く通じないわけです。そういう時には、私も少しはっきり言うことにしています。彼女は教会がたいへん気に入って、喜んで来られるようになりました。

 ある時、祈りの時間に彼女が来て、「パスター祈ってほしい。」と言うのです。聞くと、「今、家族にたくさん問題がある。なんとか解決するように祈って!」と言うのです。だから私は、「それは、もしかすると霊的な問題かもしれないよ。」と言うと、彼女は「ノー!そんなはずはない!」と言いました。彼女は大変頭の良い人で、神学校も出ていて、彼女自身の神学もあり、「ノー!霊的な問題は関係ない!人間関係の問題だけだ!」と言うのです。
 「ノー!」と言うものだから、「じゃぁいいよ。あなたが嫌ならばいいよ。」と言ったら、「パスターが祈りたかったら、祈っていいよ。」と言うのです。そんな人に祈りたくないので、「あなたが望んでないのに、祈りたくない。」と言ったら、帰って行きました。
 でも私は彼女のために祈りしました。「この人が問題で苦しんでいるから、助けてあげてください!」と祈りしました。
 そうしたら不思議なことが起こりました。彼女は近くに住んでいたのですが、家の中に悪霊が現れたというのです。それも、「俺はジャマイカから来た!」と言ったそうです。彼女は震え上がりました。私の所に来て、「パスター!祈って!家に悪霊が出た!」と言うのです。「あなた、悪霊はいないって言ったじゃん。」と言ったら、「うちに出たもん!」と言うので、彼女の為に、戦いの視点でとりなし、祈るようになりました。
 そうしたら彼女の霊的な目が開かれて、いろいろな領域を祈らなければいけないことを示され、祈りの勇士となりました。すると、「パスター!お願いがある!ジャマイカに来て祈ってくれる?」と言うのです。ジャマイカの島中を祈ってくれと言うのです。ジャマイカか…と思って、調べたら、「世界で二番目に危険な国」とありました。「一番殺人が多い国」と書かれていたので、行きたくないなぁと思ったけれど、「是非とも来てくれ!」と言われ、二〇一五年の七月に行くことになりました。
 二〇一五年七月は、私にとって本当に大変な月でした。親父が亡くなったのは二〇一五年八月一日でした。七月は父が死にかけていて、今日か明日か、みたいなところがあり、どうしようか迷いました。止めようかと思って、祈っていたら、神さまが、「頑張って行きなさい!」と言われた気がしました。それで、私と瀧川充彦さんと出かけていきました。
 死にかけている親父に、「ジャマイカに行ってくるから、帰って来るまで生きててくれよ。」と言うと、「分かった。祈ってる!」と言って送り出してくれたので、私はジャマイカに行きました。

 日本でも、ふらふらでしたが、向こうに行くと時差が十四時間くらいあり、さらにむちゃくちゃ暑いのです。ジャマイカに着くと、彼女は私たちをいろいろな場所に連れて行きました。

 途中に不思議なおじさんにも出会うし、異文化体験という感じでした。「お腹が空いた」と言うと、「その辺のマンゴーを石で落として食べろ!」とか言われるわけです。しかしLINEで親父の状況が次ぎ次に入って来るし、本当に辛い思い出となりました。
 でも頑張って、島中を祈りました。レンタカーを借りて、島の裏側まで行って、祈ったらもう暗くなってしまいました。
 彼女も疲れて、瀧川充彦さんに「運転代わって。」と言いました。運転を代わって、普通の道路から、ジャングルの道路に入った途端、大きな溝があって、がつんっと車が落ちました。その途端、タイヤがパンッ!とパンクしてしまいました。ジャングルに向かう真っ暗な中です。どうしよう!という感じでした。
 そうしたら暗闇の中から、大男たちが四、五人出て来て囲まれました。うわー!どうなるか!と思ったら、あっという間に、彼らがパンクを直してくれました。本当にその方々、天使たちでした。やっと帰れる!と走り出しました。その道がまたすごい道路で、「町が見えてきたぞ!」となったその時、またバンと音がしました。そうしたらもう一つのタイヤがパンクしました。充彦さんは一時間の内に、二回車をパンクさせた専門家です。全員、本当にへこみました。
 どうなっちゃうかな・・・、主よ、助けてください!みたいになって、やっとの思いで島から脱出して帰って来た思い出があります。

 しかしあの時、島のために祈って、彼女の家とか、親族にも会って祈りしました。それから4年が経ちました。
 先週、ジャマイカからメールが来ました。写真が付いていました。

 なんと彼女、赤ちゃんを産みました。ひとり娘の下に生まれました。家族が回復したのです!幸せな家族となりました。
 私の父、明が苦しんでいる時に行ってとりなした時、主が助けてくれたのです。この子、女の子ですが、彼女はミドルネームに「Akira」と付けたそうです。

 大変な時に、ジャマイカに行ったのは、主のみこころだったなぁと、今は思います。目の先を見れば、親父も大変だし、こんな時は止めようかなぁと思ったけれど、行って良かったと思います。結果はすぐには出ないかもしれませんが、隣人を愛するという働きを実行すると、いのちを得る!とありますが、必ず、結果が付いて来ます。
 先週、メールをもらって、本当に嬉しく思いました。彼女を通して、島全体を祈ることが出来ました。パンクして死にそうでしたが、守られましたし、主をほめたたえます。

 「隣人を愛する」とは、国を越えて言葉を越えて、自国の人たちだけでなく、他国の人たちにも配慮してあげなさい、愛しなさいよ!というメッセージを含んでいます。
 イエスさまが語っている事柄は、旧約聖書に基づいていました。ユダヤ人は、ユダヤ教徒たちで、旧約聖書をよく知っていました。イエスさまが旧約聖書に基づいて語るか否かを、常にチェックしていたわけです。
 「神を愛する」とは、重要な戒めとして申命記に出て来ることですが、「隣人を愛する」は、レビ記十九章に出ています。
 イエスさまは旧約聖書全体をよく知っていて、その中の真理から、十の戒めを愛の帯で二つにまとめあげたのです。
 レビ記の十九章は、「隣人を愛する」に関する内容です。レビ記十九章三十三節、

『もしあなたがたの国に、あなたといっしょに在留異国人がいるなら、彼をしいたげてはならない。』

ということばがあります。聖書は差別や優劣を付けることを禁じています。

 エペソ六章十節から、霊的戦いについて語られているのですが、その前に語られていることは重要です。エペソ六章九節〜十一節。霊的戦いの直前に語られているのは何かというと、

『主人たちよ。あなたがたも、奴隷に対して同じようにふるまいなさい。おどすことはやめなさい。あなたがたは、彼らとあなたがたとの主が天におられ、主は人を差別されることがないことを知っているのですから。終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。』

 悪魔・悪霊どもと戦って勝利する秘訣は、「九節」に鍵があります。
 イエスさまと使徒たちの時代は、奴隷制度が当然かのように社会に息づいていました。「奴隷の身分に生まれたら、一生奴隷として過ごす。主人に仕えていくのが当然だ。」という社会だったわけです。
 そんな中、パウロは奴隷たちを差別してはいけないと告げました。なぜなら、「主は人を差別されることがないことを知っている」と告げています。神さまは、決して人を差別される方ではありません。
 内側にある差別意識を取り去らないと、霊的戦いはできませんよ!と警告しているのです。

 日本人には、海外の方々が入ってきたりすると、なんとなく優劣を付けて、他の国の人たちを評価する傾向があります。全てとは言いませんが、アジアの方々に対する態度と、ヨーロッパ系の方々に対する態度には、違った感情があります。
 ある時は差別的に物事や人々を見たり、ある時は憧れたりするわけです。憧れも差別です。
 神は、誰も差別せず、同じく見られます。「私は駄目だ」なんて思わなくていいです。神さまは、等しく評価してくださっているからです。「あの人は信仰歴が長いから、神さまから愛されている・・・。私なんか…。」と思わなくていいです。神は全ての人々を同じように見ておられるわけです。

 特に、その点において戒めているレビ記十九章の内容は、

『もしあなたがたの国に、あなたといっしょに在留異国人がいるなら、彼をしいたげてはならない。』

 国に住んでいる在留異国人と呼ばれる方々と仲良くしなければいけないと教えています。イエスさまの時代は、特に、ユダヤとサマリヤという、隣り合った二つの民族の中に適用されていたのです。彼らはエルサレムからエリコへ下る道を共に使っていましたし、仲は悪いものの交流はしていたからです。
 ユダヤとサマリヤは、歴史を千年くらい辿れば、イスラエル十二部族にたどり着きます。そこから二部族と十部族が分かれたのです。しかし千年も経っていますから、異質の民族のようにお互い考えていました。しかしルーツを見れば同じです。

 実はこの法則を日本の歴史に適用すると、同じ状況が見えて来ます。以前も、お話ししたのですが、日本人に、「日本はなぜ、できたのですか?」と聞けば、「日本?そりゃぁ自動的に、この土地から生えてきたんだ!」みたいなことを言うのですが、太古の昔からこの島に住んでいた人など、誰一人いないのです。
 日本は最初、海洋民族、「縄文人」と呼ばれる人たちが住んでいました。その歴史は一万年近くあると言われます。その後、四世紀に、韓国のほうから騎馬民族が入ってきて、国を統一した歴史があります。
 特に日本と繋がりが強いのは、隣の朝鮮半島と、中国南部の繋がりです。日本人のDNAの七割、八割は弥生系です。
 私は母方のDNA検査をやってみました。すると、私は縄文人の子孫でした。「あなたの子孫は太古の昔、小舟に乗って日本に来ました。」みたいなことが検査結果に書かれていました。日本人は単一民族ではないのです。

 祈っていただきたいのですが、今年の九月、韓国でリバイバルミッションを開催することにしています。以前、二回行った事がありますが、日本と韓国は現在、関係が良くないです。最近、特にこじれてきています。和解をし、一致をして、お互いに愛し合う立場に立たないと、日本にリバイバルは起きないと思います。日本人だけが集まってリバイバル!リバイバル!と叫んでいても、他国の人たちが入ってくると、途端に感情的にいじられ、憎しみが湧いてきたり、対立が起こるのは良いことではありません。
 以前、二回、韓国でリバイバルミッションを行わせていただいた時、主が日本国内に住んでいる、在留異国人として、朝鮮半島から来られた方々の祝福を祈りなさい、と語られました。韓国に行くと、南北が分断していて、北朝鮮と韓国は対立しています。
 九月は、南北が分断しているボーターで祈ります。分断の背景に、日本の植民地支配が関わっています。それらの罪を悔い改めて、南北が統一するように祈ります。北朝鮮が見える場所に行って、祈りたいと思います。是非とも参加していただきたいと思います。「そんなのリバイバルに関係ない!」ということは絶対にありません。大きな関係があります。
 そこに祈りを向けるときに、いのちを得るのです。この聖書の原則を実行するなら、リバイバルが日本に広がると信じます。

 日本国内には、韓国と北朝鮮が同時存在していると以前、お話しさせていただきました。韓国系の方々は「民団」という組織を作っていますし、北朝鮮系の方々は「朝鮮総連」という組織を作って、互いに対立しています。日本人はそれに無関心てす。
 教会がその領域に祈りを向けないと、リバイバルは進みません。その事を主から教えられ、祈りを向けるようになりました。

 「舟の右側」という雑誌があるのですが、八月号を是非とも読んでいただきたいと思います。私の記事を宣伝しているのではありません。私の連載は先月号で終わりました。今月号の中に、「在留外国人への宣教」というテーマで、「金日成からキリストの元へ。ある在日コリアン女性の救い」という記事があります。衝撃的な内容です。これは日本国内のことです。是非とも買って、読んでいただきたいと思います。他の記事もいいです。
 主人公はキム・サランさんです。是非、これを読んでみてください。
 これは隣人を愛するという、最も大きなテーマであると信じます。また、日本の教会にしかタッチできない領域です。日本におられる在留異国人、とりわけ朝鮮半島から二十世紀初頭から戦中、戦後にかけて日本に来られた方々のために、日本教会が良きサマリヤ人として祝福を祈る時、いのちが沸き上がる事でしょう。そしてそこに神の愛が現されるのです。

 神を愛することと、隣人を愛することは、コインの裏・表です。「神を愛する」と表に記されていたら、裏には「隣人を愛する」と記されているわけです。
 「神さま愛します!」と言いますが、神さまは目に見えませんから、どうやって愛したらいいのか分かりません。しかし隣人を愛する中で、神の愛がどういうものか分かってくるのです。また神さまを愛する中で、隣人を愛する力が与えられます。コインの裏表のような関係です。特に隣り合う二つの民族、ルーツを遡れば同じ民族、けれども現在は対立しているという関係の中に「良きサマリヤ人」が必要とされます。

 隣人を愛する原点は旧約聖書にあります。それは「レビ記十九章」に書かれているのですが、十三節〜十八節を見ると、隣人を愛する事の細則が規定されています。
 「日雇い人の賃金を翌日まで持ち越すな」、「耳と目の見えない人たちへの配慮」、「不正な裁判をしてはならない」、「人を中傷するな」「隣人の命を危険にさらすな」「自分の兄弟を憎むな」「復讐するな」そして、「隣人を愛せよ」となっています。
 レビ記十九章全体が「隣人を愛する」ことを教えているわけですが、続く、十九節に何が書いてあるかというと、

『あなたの家畜を種類の異なった家畜と交わらせてはならない。あなたの畑に二種類の種を蒔いてはならない。また、二種類の糸で織った布地の衣服を身に着けてはならない。』

 二十節は、「女奴隷に対する規程」二十三節、二十四節は、「果樹園を作っても三年は実を食べてはいけない、四年目は果実を主にささげよ、五年目には食べて良い。」とあります。
 隣人を愛する規定は、人だけではなく、「神の被造物は愛する隣人」であると言うことです。

 神は人だけでなく、すべての被造物をも愛しておられます。隣人規定の中に、被造物も含まれるのです。
 やがてイエスさまが帰って来られると、猛獣と赤ちゃんが一緒に過ごすようになり、猛獣も害を加えなくなるのです。被造物と人との間にある対立の壁が砕かれるのです。それが神の国です。
 今月号の「舟の右側」に「神の王国」という記事があります。一人の神学者の方が書いています。そこには、「神の国は動物たちも含めてのものだ」と聖書全体から述べています。また被造物全体への視点が、今日の神学界のテーマだと語られています。
 私たちは人だけ救われればいいと考えますが、そうではなく、神はすべての被造物を愛しておられるのです。
 人類の役割は、すべての被造物を管理する役割です。そしてすべての被造物を賛美させる役割です。私たちがすべての被造物に対して、「主を賛美しろ!」と宣言したら、賛美し始めるのです。

 地上よりも高次元の被造物は、すべて賛美していることを、前に動画でお見せしました。もう一つ、地上・宇宙のすべては音を出している、賛美しているのではないかという動画もお見せしました。また、私たちが被造世界に出て行って、被造世界に、「主を賛美しなさい!」と命じると、彼らはうめきから解かれて賛美するようになるのです。被造物の所に行って、「主を賛美しろ!」と命じる事が隣人としての役割なのです。

 それは先週の出来事ですが、私がウォーキングをしていましたら、田んぼでカエル鳴いていました。だからカエルに、「主を賛美しろ!」と命じたら、一緒に賛美してくれました。
 隣人とはお隣の方だけでなく、他の国々の方、在留異国人、特に、隣り合う民族の方々、国内に住む方々、そして「被造物全体」をも含むものである事を知ったら、神の愛は実現します。イエスさまの十字架は、すべての造られたものとの和解であったとコロサイ書にありますが、今からの聖餐式の時、すべての被造物との和解を宣言し、まだ賛美していない被造物を賛美させることを願ってあずかりたいと願います。一言お祈りします。

 ハレルヤ、天の父なる神さま。み名をあがめて、心から感謝します。今日のこのひとときを心から感謝します。今からの聖餐式を祝福してください。みことばと聖霊によって、このパンとぶどうのジュースを祝福します。今日は「隣人」を意識して、神の愛を実現していただきたいと願っています。今からの時、祝福してください。イエスさまのみ名によって、聖餐式をスタートします。アーメン。