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「神の国を建て上げる同労者」

  • 2019年8月25日(日)

新城教会牧師 四元雅也
イザヤ書61章5節

『他国人は、あなたがたの羊の群れを飼うようになり、外国人が、あなたがたの農夫となり、ぶどう作りとなる。』

 ハレルヤ!感謝します。このように今日も皆さんの前でお話しする機会が与えられまして、心から感謝します。
 最近、秋の足音が聞こえ始めたのを感じます。うだるような夜の寝付きの悪い日々が、最近少しずつ解消されてきています。朝夕涼しくなって、夜、窓を開けて寝ていたりすると、夜中に寒くなって布団をかぶったりしています。
 今年は長雨があったり、その後でちょっと晴れたかと思ったら台風がきたりしました。このところも天気も良かったり、不安定だったりという感じですけれども、あと一週間で夏休みも終わって、来週はもう九月です。

 この夏は、東京2daysが行われて、新城教会からも八十名くらい行ったのではないかと思います。素晴らしい集会になりました。先週も見ましたが写真をご覧ください。

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 これが集会の模様です。順先生がしゃべっているところですが、一日目の集会は、会場いっぱいの方たちが集いました。

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 天野先生や大川先生が、奉仕してくださいました。関東地区で影響力の大きい、立派な教会を牧会してらっしゃるお二人の先生方も、今回講師として来てくださいました。

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 そして、次の日はとりなしの祈りがささげられましたが、これは国会議事堂の中で、七十名くらいの人が行ったと聞きましたが、とりなしの祈りがささげられたり、

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 これは皇居の周りを一周歩いてとりなしました。歩いている中で大雨に出遭ったみたいですが、晴れるとすぐに服も乾いたと聞きました。皆さん、勝利の笑顔で写真を撮っておられますね。すばらしい集会が持たれたということであります。
 こういった東京で、リバイバルを求めてみんなで集まって祈り、またとりなしをすることは、やっぱり大事なことだと思わされます。

 ダニエル書四章三十七節(新改訳2017)には、こんなみことばがあります。

『今、私ネブカドネツァルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだらせることのできる方である。』

 ネブカドネツァルは、ご存じの方も多いかと思いますが、バビロニア帝国の王様でした。バビロニアによって、イスラエル、正確に言うとユダ王国になりますが、紀元前五八六年頃にエルサレムが陥落して、国としての体が失われてしまったわけです。そして多くの人々がバビロニアに捕囚として連れて行かれました。
 王様というと、現代でも世界の国々に王様がいるのですが、現代の王様と、ネブカドネツァル王の立場とは全然違うのです。現代だったら国として王様を立てていても、しかし国を治めるものは法律です。法治国家。立憲君主制と言われますが、王様であっても法律に従わなければならない、そういう国がほとんどですよね。
 でもこの当時、バビロニア帝国では「絶対君主制」でした。王様は絶対で、いうなれば、「王」=「神」と言ってもいい立場です。王様が「白」と言えば、何でも「白」になってしまう。王様が「駄目」と言ったら、「駄目」になってしまう。誰でもその国にいる人であれば、抗うことはできなかったわけですが、その王をして、ダニエル書四章三十七節では、素晴らしいことを告白しています。

『私ネブカドネツァルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだらせることのできる方である。』

 異教の国であり絶対的な王であったネブカドネツァルが、天の王をあがめほめたたえる告白をしたということは、本当に大きなことであると思います。
 このような告白をするに至らしめたのが、ダニエルを始めとしたユダの民であったわけです。ダニエルと、シャデラク、メシャク、アベデネゴという三人の者たちが、捕囚として連れて行かれ、奴隷の身であったわけですが、王に仕えながら真の神を信じ続けた。
 そして王様の権威の元にありながら、彼らは神の教えに従っていたのです。王の権威に従わない時もありました。シャデラク、メシャク、アベデネゴは、王様が作った像を拝まなかったことで、火の燃える炉に投げ込まれたわけですが、神さまご自身の手によって助け出され、王様が真の神さまを知る、「真の神さまはすごいお方だ!このお方に並ぶ方はない!」と思い知らされた出来事でありました。
 ダニエル自身も、王の夢を二度にわたって解き明かし、それらを通して王様をへりくだらせることができたわけですね。

 バビロニア帝国の次に、今度はペルシャ帝国という王国が興るのですが、バビロニア帝国最後の王だったベルシャツァルが、神さまの前に悪を行って高ぶっていたがゆえに、ペルシャによって滅ぼされたのです。今度はペルシャの王に捕囚の民ユダの人々が仕えることになったのですが、その後もエズラが出てきて、ネヘミヤ、またエステルが出てきて、ペルシャの国の王様も、ユダの神はすごい!ということを覚えさせられたわけです。
 そして、ペルシャの財源から費用が出されて、エルサレムの再建、あるいは神殿の再建築が実現する、ユダの国がもう一度国として復活するということが実現されたわけです。そのために、神を信じて、神のみこころに従っていた、これらの人々が用いられたわけですが、当時、バビロニアとかペルシャという国は、ユダから見れば、異教の国で、異邦の国でありました。天地を造られたまことの神を信じない民が暮らす国々であったのですけれども、その国に連れて行かれて、その国の下で奴隷のような日々を過ごしていた彼らが、神さまを信じて、その国の祝福、繁栄を願い祈ったことを通して、その国自体が変わるような出来事になったということです。
 同じように、私たちは現代にあって、クリスチャンとしてリバイバルを求めて祈り続けているわけですが、今回のような集会が、首都東京、政府機関を始めとする、国を支える様々な中枢機関・権力が集中している場所で開かれ、私たちが祈りをささげ、神さまのみ顔を仰いで、また全国から同志たちが集められて、ああいった集会を持つことができるというのは、意義のあることではないかと思います。
 来年にはもっと大きな働きが全国的に、また東京においてもなされるのではないかと、先週開先生もおっしゃっていましたが、そのためにも覚えて祈っていきたいと思います。

 あと夏休みが一週間ということで、何をしようか?親御さんたちも子どもたちにせがまれたりして、どうしようか?と思われている人たちもいらっしゃるかもしれません。この夏、どのように過ごされたか分かりませんが、お互いに祈り合いながら過ごしていけたらなぁと思います。

 今日は、「神の国を建て上げる同労者」というタイトルでお話をさせていただきたいと思います。最近、この礼拝の中で、順先生を通してお話をされていたみことばとつながるようなお話をしたいと思います。八月十一日には、順先生が、「彼らに主の名をほめたたえさせよ!2019 〜最も大切なことは何でしょう〜」というタイトルでお話をされました。
 その中で引用されていたみことばが、マタイの福音書二十二章三十六節〜四十節(新改訳2017)、

『「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが、重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」』

 当時は、「律法」とは旧約聖書のモーセ五書のことを指したわけですが、その中にはたくさんの戒め、出エジプト記にある「十戒」が最も有名ですが、レビ記の中にもたくさんの戒めが出てきます。その戒めの中で、一番重要なのは何ですか?と、律法の専門家がイエスさまに尋ねたのですが、その時にイエスさまが答えられたのは、その数々ある律法を二つにくくって、まずは「神を愛すること」、これが一番大事!そして、「隣人をあなた自身のように愛する。」これも第一の戒めと同じくらい大事です!律法全体がこの二つの戒めにかかっている。これが最も大事だ!と言われたわけです。

 その中で、特にこのみことばはマタイだけじゃなくて、マルコにも出てくるし、ルカにも出てくるのですが、ルカの福音書を見ると、質問をした律法学者が、今度は「じゃぁ」と、また聞き返すわけです。「私の隣人とはいったい誰ですか?」と質問した時に、イエスさまがお話しされたのが、あの有名な「良きサマリヤ人」の例えですよね。
 隣人とは誰のことですか?という問いに対して、イエスさまが、「良きサマリヤ人」の例えを答えられたことによって、聖書のいう「隣人」という意味がどういうものかということをイエスさまが示されたわけですよね。ルカの福音書十章三十節〜三十七節(新改訳2017)、

『イエスは答えられた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下って行ったが、強盗に襲われた。強盗たちはその人の着ている物をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。たまたま祭司が一人、その道を下って来たが、彼を見ると反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、旅をしていた一人のサマリヤ人は、その人のところに来ると、見てかわいそうに思った。そして近寄って、傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行って介抱した。次の日、彼はデナリ二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみ深い行いをした人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って、同じようにしなさい。」』

 「この三人の中で誰がこの強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか?」敵国であった、互いに良い関係ではない、互いのことを憎く思っていた、相手が悪い目に遭ったら、「ざまあみろ!やった!」と見下しそうになる、しかし、このサマリヤ人はそうではなかった。かわいそうだと思って介抱してやった。「その人が隣人です。あなたも行って同じようにしなさい。」と、イエスさまは私たちに言われたのです。
 そこからいろいろなお話を順先生がされたわけですが、今日はまた違ったお話をしたいと思います。

 この新城教会において、歴史的な転換点になったことが幾つかあります。一九九二年、主が立ちあがられて、聖霊さまが激しく私たちの中にお下りになって、そして新しい油そそぎが注がれるようになった。これは大きな転換点でありますよね。
 それから霊的戦いもちょうど同じ頃に始まって、本当にどちらも現在まで続いている、本当に大きな神さまの業ですね。教会が本当にひっくり返るような大きな出来事でありました。
 またザワメキの賛美が与えられたり、あるいは甲子園ミッションが行われたということも本当に大きかったですし、またロン・ブラウンさんに出会ったのも、この教会の音楽的な点において大きな出来事だったのではないかと思いますし、またプレイズ出版ができたのも大きな出来事だったと思います、このように幾つかあげることができるのではないかと思います。

 その中で、今日はもう一つ、新城教会の大きな転換点になったのではないかと思うのですが、案外意識から抜け落ちがちな事かもしれないなぁと思うことをお話ししたいと思うのですが、それは、インターナショナルの働きです。
 以前少しお話ししたことがあるのですが、霊的戦いが始まる二年ほど前、一九九〇年に始まりました。九〇年に、入国管理法が改正されて、南米から多くの人たちが労働力として、この日本に渡ってくることになった、そういった時期でした。ちなみに、今年も新たに入国管理法が改正されました。今後はもっと多く、外国から労働者が日本に来るだろうと思われるのです。

 教会に外国人が大勢来始めたときに、このみことばが教会に与えられました。イザヤ書六十一章五節(新改訳旧版)、

『他国人は、あなたがたの羊の群れを飼うようになり、外国人が、あなたがたの農夫となり、ぶどう作りとなる。』

 当時は、外国人の方々が教会の中でリバイバルのために働く同労者となるみことばだと、漠然と思いました。

 現在は、インターナショナルの働きも成長して、当初から一緒に信仰生活を守っている公畑フェルナンド先生が牧師になられて、ひかるさんが奧さんになられて、また、田中イレーネスタッフや、外国人の中でもリーダー的な方たちが大勢、インターナショナルの働きを支えています。
 インターナショナルのミニストリーは、今は外国人の皆さんの手によって建て上げられて運営されている働きですから、普段私たちが、外国人の方たちがしていることを意識するということは、あまりなくなっているのではないかと思います。
 今日も「アイスクリームパーティー」という伝道集会がありますが、この集会も外国人の兄姉たちが企画運営して開催されます。最近はインターナショナルの集会の中に、しばしば日本人の方が来られるようになっています。そして去年、日本人の方がバプテスマを受けられました。つい最近も、日本人の方で何人か継続して来られ、イエスさまを受け入れた方もいらっしゃいます。今日も、そういった日本人の方も集会に来られると思います。ぜひ祈っていただきたいと思います。
 でもその集会のために、私たちが何かお手伝いをさせていただくとか、そういう意味で意識するのは、あまりなくなっているかもしれません。

 でも最初の頃、九〇年にこの働きが始まってから数年間は、外国人の中にそのような奉仕者はいませんでした。ですから、すべての運営が私たちの間で、日本人の兄弟姉妹と一緒になされていました。教会スタッフも、日本人に対する働きと同じように、外国人の方々に対しても深く関わりを持ち、私たちの歩んでいる信仰生活と、外国から来られた兄弟姉妹の信仰生活とは直結していました。

 その働きは、新城教会の歴史的な出来事、「油注ぎ、霊的戦い」と同じように、突如始まりました。そして、労力を必要とする働きでありました。

 今日も皆さん礼拝に出ながら賛美する時に、何気なくスクリーンを見ながらローマ字の歌詞が出ていることをご覧になっています。あまり気にしないで歌われているかもしれませんが、ローマ字が日本語と並記されて表示されるようになったのも、外国人の方々が来るようになったのがきっかけです。そして、お手元にある週報にも、

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 賛美のリストが書いてあるところも、横にローマ字があります。報告欄の横には、インターナショナル欄が挿入されて、英語とポルトガル語で礼拝のプログラムと午後の集会の案内がされています。これも外国人の方たちが来られたことによって始まったことであります。
 それから、来年になると三十年くらいになるのですが、その間、ずっと続いているということです。

 当時は、日本の国として、外国人の方たちを受け入れ始めたばかりです。だから制度が整っていなくて、来られた外国人の方たちも、日本という環境になかなか慣れることができませんでした。出稼ぎのように、お金を儲けようという思いで日本に来られているのですが、いざ来てみたら、なかなか大変だなあと。英語もスペイン語もぜんぜん通じない。なかなか意思疎通が難しい。文化同士の衝突も見られて、やっぱり外国人の方々は日本の中で少数派なので、我慢を強いられることが多く、仕事も残業の日々、それもきつい肉体労働が外国人の方たちにはあてがわれることが多い。その上、当時は携帯電話とかパソコンもほとんどありませんし、インターネットで家族の顔を見て話をすることもできない時代です。国際電話が唯一の連絡方法で、時間を決めてお金をかけて電話して、週に一回、三分、五分の短い間家族としゃべって、それを慰めにまた仕事の日々を繰り返す。
 そういう中、心が段々ささくれて、すさんで、体も疲れる。住まいの環境も当初は劣悪な環境の中で、他人同士が共同生活するような状態でした。
当時、母国のペルーやブラジルでは、カトリックの背景がありますので、ほとんどの人はクリスマスと復活祭くらいに教会に行くけど、それ以外は行かない、日本の仏教徒みたいな感じの人たちです。でも日本に来たときに、その飢え乾きから、教会に来られるようになり、楽しんで、お互いに会話をしたり、交わりをしたりして心いやされ、一週間の力を受ける、ということが起きていったわけです。それが九〇年に突如として始まったわけです。

 彼らは車もありませんし、母国が経済的に厳しい中来られているので、家族へ仕送りして、日本での生活は厳しいものでした。
そういう中で、新城教会では、毎週彼らのために集会を持つようになり、また彼らが教会に来られるように送迎に行ったり、教会で一緒に食事できるようにしたり、場合によって日用品を出し合って彼らに提供したり、そういうことをやるようになりました。

 当時、私はまだ教会スタッフになる前で、会社で働く二十歳そこそこの青年でしたが、当時私が一週間、どんな生活をしていたのかというと、

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 日曜日は朝七時くらいから外国人の方たちを迎えに行きます。礼拝を一緒に持って昼食を共にし、午後も外国人の方々と集会して、夕方から夜遅くにかけて、送迎しました。毎週十台くらい、私もそうですが、他にもいろんな兄弟姉妹に協力していただいて、車を出動させて彼らを送迎しました。豊川、豊橋、また蒲郡に行ったり岡崎に行ったりと、朝に夕に、十台くらいの車が外国人の方々を教会に導くため送迎に走っていたわけです。
 月曜日から金曜日までは、日中会社に行っていたのですが、月曜日の夜は、フォローアップ・ミーティングが七時半から毎週あって、インターナショナルの働きに対してのミーティングが持たれ、その後、夜十時から県民の森に行って祈ります。県民の森は、当時は二次会があって、帰って来るとだいたい朝六時くらいになるのですが、それから一時間くらい寝て、火曜日は、夜に安城市まで家庭集会に行って、夜十一時ころに帰って来て、そして、木曜日から土曜日までは、夜に外国人訪問というのがありました。
 外国人の方たちは、残業が二時間、三時間とありましたので、だいたい家に帰って来るのは夜の八時ころでした。その時間を目指して訪問に出かけて、外国人の兄弟姉妹と交わりを持ちました。「今度の日曜日、教会に来ませんか?」と、新しい人の所に行ったり、継続して来られている方の所に行ったりして、確認をするわけです。
 そのような奉仕を私だけじゃなく、Sさん、Tさん、Nさん、Hさんも、もっと多くの兄弟姉妹が毎晩のように携わっておられました。外国人の皆さんは仕事の後、結構遅くまで起きていることが多かったので、日本人だったら夜八時過ぎに訪問なんかに行くと、「何しに来た!?」と言われそうですが、外国人の方は普通に喜んで下さり、そういう文化もあるかもしれませんが、迎えてくださって交わりする。そして何軒か周りながら夜十時過ぎくらいまで訪問して帰ってくる。
 そして土曜日には訪問から帰って来たら、翌日の送迎の手配を日本人の兄弟姉妹に夜遅くに電話をして、「送迎行けますか?」とお願いして、日曜日を迎える。そんなことを毎週やっていました。ハードな毎日でしたが、若さのパワーでやっていました。
 このような働きが、外国人の方たちをこの教会に迎えて、一緒に信仰を育んでいくために必要とされていた、ということです。こういった中でどんどん教会の中で外国人が増えていきました。

 昨年度は、二十七名の方が受洗などで新城教会の兄弟姉妹として迎えられました。でもインターナショナルが始まった頃、ほんの二年くらいの間に、外国人の人数が〇名から一気に百名くらいになりました。ペルー人、ブラジル人の方がそれだけ増し加えられたということであります。
 毎月、毎週、何人も洗礼を受けていきました。もちろん、日本人の受洗者をも上回っていました。「今週も外国人が受けるのか」と、そんな日々でした。

 外国人の方が増えるにしたがって、少しずつ、お互いの「違い」というのが浮き彫りになっていくわけです。日本人は因習深きど田舎、この「新城市」の住民であります。そうじゃない方々もいらっしゃいますが。いろいろな面で大変なことが出てくるわけです。外国人の方々にとっても同じだったと思います。日本という国の中で、きっと私たち以上に寂しさとか辛さとかを感じることが多かったと思うのですが、教会の中でお互いに慣れてくると、摩擦を感じるような出来事が起こるわけです。
 新城市には、一九九〇年より前は外国人なんていなかったんです。全然出会うこともありませんでした。私の目が開かれていなかっただけかもしれません。「気がつかなかった」ということだと思います。

僕なんか若かった頃、高校くらいまで三河地区以外に行く機会はほとんどありませんでした。今は若い人でもどんどん遠くに行ったりしますが、昔はみんな中学、高校のうちに遠くに行ったりとか、留学したり海外旅行とか、そういうことはほとんどなかったのです。
僕は本当に三河弁は標準語と同じだと思っていました。
 徳川家康が江戸に行って、江戸が開かれたのだから、三河弁が標準語になったんでしょ!くらいに思っていました。
高校を卒業して車を運転するようになって、当時、東京に何人か新城教会から就職されて、Iさんとか、Rさんとか、その他にも何人か東京に行って仕事をされていた時がありまして、東京家庭集会というのが、ときどき開かれていました。横浜で持たれていたのですが、僕も何度か行かせていただきました。ある日、中華街でみんなでご飯を食べましょうということになり、賑やかな街に繰り出して、繁華街の中をざっざっと歩いていました。会話の中で私が大きな声で「○○だら〜」と言ったら、IさんやRさんは、ビクッとされて、「『だら〜』を出すな!ここで!」という視線を僕に送りました。でも僕は全然気がつかないわけです。平気な顔をして、「だら~」「りん」を連発していたことがあります。ずっと後になって、あの時のあの合図は僕の「三河弁なまり」に対するアピールだったんだ、とわかりました。
本当に三河が日本の中心だ!世界の中心だ!くらいに、僕の中では思っていたわけです。そんな世間知らずの者が外国人の方たちと接すると、ぶつかることも当然あるのです。
当時、あまりにも外国人の方々が大勢来て、リバイバル状態でしたが、ぶつかりが生じるようになってきた時、こんなことを言う人がいました。直接聞いたわけではなくて人づてに聞いたのですが、「私たちは日本人の教会なのだから、日本人に伝道するべきだ。外国人にばっかり宣教の力を裂くのは得策でない。日本のリバイバルと言いながら、最近バプテスマを受けるのは外国人ばかりじゃないか。」と。
そんなことを言う人もいるんだと、悲しいような、でもどうしていったらいいのか、ということを考えさせられた時がありました。
 出エジプト記二十三章九節(新改訳2017)、

『あなたは在留異国人をしいたげてはならない。あなたがたは、かつてエジプトの国で在留異国人であったので、在留異国人の心をあなたがた自身がよく知っているからである。』

 これは聖書が教えていることばです。

こういった状況の中で、九二年、外国人の方が来られるようになって二年後に、突然聖霊がお下りになりました。そして霊的戦いが起こって、分裂が起きたわけです。以前は全然考えられなかったのですが、悪魔の陣営に対して、こちらから出て行って、祈りをもって戦う。神さまが開かれた、全く新しい扉であったわけですが、それに対して拒絶反応を見せる方々が大勢現れました。なんとか理解していただこうという働きもなされたのですが、結果として二つに別れて、新城市内にもう一つ別の教会が建てられる、ということがあったわけです。
 教会の礼拝が百人以上減りました。けれども、その時、僕の知る限り、外国人の方々は一人も出て行かなかった。「新城教会の教えを私たちは間違っているとは思わない。だから出て行かないんだ!」と、はっきりと言ってくださいました。
 新城教会の日本人の多くの兄弟姉妹、今まで一緒に礼拝を守ってきた兄弟姉妹が新城教会を去っていくという出来事は、大変悲しい出来事でありました。その一方で、これから新城教会が立ち行かなくなるのではないか?という危惧の中で、外国人の方たちが残ってくださったのは、本当に励ましでした。外国人の方々によって新城教会が救われた感じがいたしました。
 外国人の方々が、この試練の時のために備えられて、一緒に励まし合うことができたことは、今考えても素晴らしいことだったと思わされる次第です。

 その後、社会の情勢も変わり、日本も国際的な社会に変わってきました。そして「福音」に対する理解も変わって、今は「日本のリバイバルを求めるんだから日本人にだけ伝道しましょうよ!」なんていう人はいなくなったわけです。

 ペルーの方たち、南米に住んでいる人たちというのは、我々日本人と近いのです。
 ペルーはここですね。

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 これはカラルという所にあるピラミッドです。去年、ペルーでリバイバルミッションがあった時に撮った写真ですが、こういうピラミッドをペルーではたくさん見かけます。私も一度、二〇一一年に伺いましたので、リマの町なんかは普通に車で走らせていても、街並の中に突然こういうピラミッドが出てきます。あちこちにあります。日本でいったら、ちょうど古墳みたいなものです。

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 これは日本の古墳を当時の状況に復元したものですが、ペルーのワカと似ています。
 ご覧頂きましたカラルのワカが、南米で一番古いピラミッドだと言われます。五千年くらい前と言われています。五千年前というのは、エジプトの世界的に有名なピラミッドよりも古いといいます。南北アメリカ大陸の中でも一番古い。
 そこに人が入った時に、どこから来たかというと、実はアジアからベーリング海峡を抜けて、アメリカ大陸を縦断して北米から南下していったというのです。それがアメリカ大陸の最初の入植者です。
 バベルの塔を築こうとした人たちが、神の怒りによって世界中に散らされたというエピソードが創世記に書いてありますが、これは本当なのです。日本人とペルー人はDNAは非常に似ているとも言われていますし、世界中どこでも、バベルの塔のようなものを人々は築きたがるということであります。だから本当に元々は兄弟みたいな関係です。

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 これは私が二〇一一年にペルーに行った時の様子です。今も毎週日曜日、また土曜日にも浜松で行われていますが、インターナショナルの集会が持たれています。毎週百人くらい集まっています。ときどき自分の国に戻る方も大勢いらっしゃいます。だから今までに三十年近くの間に、外国人の方で、バプテスマを受けた方、どのくらいいらっしゃるかなぁと、僕も数えたことがないので分かりませんが、おそらく何百人という方がバプテスマを受けられて、そして自国に戻られた方たちも大勢いらっしゃると思います。

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 これは来週の土曜日になるのですが、韓国リバイバルミッションが始まります。

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 先々週、順先生が韓国に行かれて、集会をあちこちで持たれました。日韓関係が大変冷え込んでいる中での訪問でありましたが、韓国のクリスチャンとの交わりを通して、日韓の諸問題についても、私たちは向き合ってお祈りして、そしてリバイバルのためにお互いが和解し合おうという、そのような働きがなされています。
 このような働きが開かれてきたことも、やっぱり九〇年に神さまがインターナショナルの働きを開かれて、そして私たちの心も開かれて、知らず知らずのうちに、私たちの中に持っていた固定観念、「これが正しい!日本人として日本に住んでいるんだから、これを変える必要はない!」と、声をだして主張するわけではなく、意識することもなく、しかし堅く持っていたところがあるわけです。でも外国人の方が来てくださったことを通して、それが砕かれ開かれたわけです。

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 これはスペインにおける働きですね。来月になるとまた順先生がフェルナンド先生と一緒に、ベルギーとかヨーロッパに行かれますが、その窓口になってくださっているのが、この左のホルヘ先生です。この先生の救われた証し、ここでも話をされていますが、インターナショナルの働きが開かれた当初、東栄町に住んでいて導かれた方です。

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 これは今年のネパールツアーですね。

 こういった働きが今次々と開かれている。普通に私たちもこれがリバイバルのための大切な主の働きであると、そんな認識を持たせていただいていますが、このきっかけとなったのは、やっぱりあの九〇年の出来事を神さまが開かれた。その時、神さまが、イザヤ書六十一章五節のみことばを与えてくださった。

『他国人は、あなたがたの羊の群れを飼うようになり、外国人が、あなたがたの農夫となり、ぶどう作りとなる。』

 このみことばを今、改めて読み直すと、本当に神さまは大きくて深いことを、この新城教会に知らせてくださったんだな!と思わされます。
 当時は漠然とした感覚しか覚えていなかったわけですが、今私たちの歩みは、インターナショナルの働きが続けられていますし、ネパール、韓国、中国、アメリカ、ヨーロッパと、様々な外国人の皆さんと共にある。世界が広げられて、祝福がもたらされている。本当にこれは感謝なことですね。
 そのことを振り返って自分自身、考えてみると、人間的に始められた働きではないなぁ、主が開いてくださったなぁと、最初はからし種みたいに小さい働きです。そして軽く感じてしまいがちなものかもしれません。

 初めの頃、その領域に対して目を留めさせていただいたことは、今考えると不思議でなりません。目を閉じて素通りすれば、素通りできるような働きだったかもしれません。労力も必要となります。多くの力と知恵の協力なくしてはできない働きでありました。それが、ある日突然開かれたわけでありますが、それに向き合うができたのは、人間の業ではないことを、今思うと実感するわけです。祭司やレビ人みたいに、素通りしようと思えばできてしまった、人間的に見れば小さな出来事だったかもしれません。

 今若者たちが大勢この新城教会に集っております。将来のために、今主がどんなからし種を与えてくださっているのか、それは分からないのですが、新城教会にも、新しい働きが動き出しております。
 今後の世界のリバイバルのためにも、やっぱり次世代を担う若い人たちにも是非主の前に忠実に働いていっていただきたいなぁ、主に従って行っていただきたいなぁ、と思います。
 また私を含めて、老兵に当たる者たちも、神さまの前にさらに新しい油そそぎをいただいて、そして神の国の実現のために尽くして働いていきたい、と思います。

 韓国の働きもありますし、十一月にはパラオの宣教の働きもありますが、こういった働きにも皆さん是非、祈りながら、参加できる人は参加していただきたいと思います。そして参加できない人たちも同じような思いで祈っていただきたいと思います。
 またインターナショナルの働きも続けてこの教会の中でなされておりますが、皆さんも祝福を祈っていただきたいと思います。
 先週は、七名の方がインターナショナルの中でバプテスマを受けられています。今日は伝道集会もありますので、また祈っていただきたいと思います。

 今日は九〇年代に新城教会の中に神さまが現してくださった新しい扉について、もう一度振り返って考えていただく機会を持ちました。その働きが開かれたことを通して、大きく、いろんな海外に向けて働きが継続してなされるようになりました。そのことを感謝しましょう。それが今私たちの信仰に励ましとなり、ビジョンを与え、神さまに仕えるひとつの方向性となっています。本当にそのことを覚えながら、もっともっと神さま、私たちを主の遣わされる領域に遣わしてください!と、神さまは「わたしのために出て行く者は誰か?」と探しておられるとイザヤ書に書かれています。「誰を遣わそう・・。」とおっしゃっているとありますが、主に「私を遣わしてください!」「ここに私がおります!」と、お一人お一人進み出ていただきたいと思います。個人の領域においても、神さまが働きを用意してくださっています。その事を覚えながら、神さまに自分自身をささげて、「神さま、私を用いてください。」と祈りましょう。

 また今、ご自身の抱えてらっしゃる様々な重荷、働き、ある人は辛いと思いながら歯をくいしばってがんばっていらっしゃるかもしれません。そのような中にあっても、主の力をいただき、またそこに神さまのみこころを受け取ることができるように祈ってください。そして神さまのみこころがお一人お一人の人生にさらに大きく現されるように願いつつ、皆さんでご一緒にお祈りの時を持ちましょう。

父なる神様、今日も、新しい扉が私たちの前に開かれ、神の業がこの地に現されるのを見ることができますように。どうぞ主よ、この教会にあなたが祝福の手を置いてくださり、ここに集ったお一人お一人が、神さま、あなたの前に豊かに用いられて、神の国の業を現す者となることができますように祝福してください。イエスさまのみ名によってお祈りいたします。アーメン。