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「彼らに主の名をほめたたえさせよ!2019 
〜家族の救いを祈ろう!〜」

  • 2019年9月29日(日)

新城教会主任牧師 滝元順
使徒の働き16章34節

『それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。』

 ハレルヤ!おはようございます。今のダンス、本当に若さをもらったというか、元気づけられましたね!彼らは激しく踊っていましたが、なかなか賢いです。途中でちゃんと、休憩を入れていました。感心しました。教会には多様性があります。赤ちゃんからお年寄りまで、一つとなって楽しいですね。

 この教会は来年になると、宣教が始まって七十年になります。最近、いろいろと調べてみたら、すごい資料が出てきました。

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 豊橋新聞って、今はないですよね。一九五六年九月十四日の豊橋新聞の記事です。親父の倉庫に入っていました。「神の国を築く・設楽教会」となっています。当時は「設楽教会」と呼んでいました。一般の新聞が「神の国を築く・設楽教会」と紹介してくれたのです。「血と涙の使徒・滝元先生の悲願が実った!」みたいな記事です。これは預言的だと思います。
 これは宗教法人を取得した時の記事ですが、一般の新聞が「教会とは神の国を築くためにある」と、報道してくれたのは預言的だと思います。

 七十年の歴史の中で、主はさまざまな祝福を与えてくださいました。振り返ると分かります。いくつもあるのですが、今、ダンスをしてくださった方々は、主にインターナショナルの方々でしたが、いろいろな国から来られた方々です。このインターナショナルの働きも、大きなポイントであったと、先日、雅也先生が話していました。不思議な神の導きがあったわけです。

 そしてもう一つは、プレイズ出版の働きです。一九九三年に甲子園ミッションという働きがあったのですが、甲子園ミッションは、全国、いや全世界を巻き込む大きな働きとなりました。ですから大量の印刷物が必要でした。それを印刷屋さんに頼んでいると相当お金もかかるし、印刷って行程が複雑で、期日に間に合わなかったわけです。
 それで自分たちでやろうということになり、ちょうどこの教会に印刷業を営んでいる方がおられて、そこから中古のプロ用の機械を買いました。その方は、こんなものを素人に売っていいのかと心配したそうです。しかし信弘先生と洋平さんを中心にして、印刷を始めたわけです。素人でも「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる。」というやつで、大量に印刷物があると、段々うまくなるのです。そして今や、素人の集団が、プロ集団になってしまいました。

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 そして感謝なことに、明日はプレイズ出版の新しい社屋の落成式が行われます。二十数年の歴史の中で、これは聖霊さまの働きだなと感じます。

 私たちは物事を無理にしたことはありません。五ヶ年計画とか十ヶ年計画とかで計画したことはないのですが、何か知らないけれど、ぽっと出てくるのです。
 主イエスを信じると、聖霊の働きが始まります。すると我々の人生の中に、何か知らないけれど、ぽっと、水底から泡が出てくるように、新しいものが出てきます。

 先週まで私たちはスペインとベルギーで奉仕をさせていただいたのですが、皆さんに祈っていただいて、支えられています。秋は海外での奉仕が集中して、今週も、木曜日からアメリカのほうで奉仕があります。
 一九九二年にこの教会に新しいことが起きました。それは天が開かれて、神が直接語ってくださるようなことが起こりました。
 あるとき、家内が祈っていると、主が直接語って下さったというのです。「あなたの夫、順は、やがて世界中を巡って伝道するようになりますよ!」と語ってくれたというのです。その頃、私にはそんな兆候は全くありませんでした。
 家内は本当に喜んで、当時、まだ生きていた私の母の所に行って、「お母さん!聞いてください!私の夫、順ちゃんはやがて世界中で奉仕をするようになるって、イエスさまが言われました!」と伝えたそうです。
 そうしたら母が、「享子さん、それは信じられん。いくらイエスさまが生きておられたって、順に限って、そんなことは絶対にありえない!」と否定したそうです。よほど私は信用がなかったみたいです。いや〜、不信仰な両親だったなぁと、彼らは信仰があったように見えますが、見る目がなかったのです。
 しかし、母が亡くなる二年くらい前、母は家内のところに来て、「享子さん、ごめんね!あの頃は絶対に信じられなかったけれど、最近、順がいろんな国々に行って奉仕している姿を見て、あの預言は本当だったねぇ!本当にごめんなさい。いくら神さまが生きていても、それだけは信じられなかった・・・。」と、悔い改めたというのです。
 聖霊によって不可能が可能になるのです。私なんか、今でもそんな者では全然ないのですが、聖霊さまが来られると、眠っている賜物が引き出されるのだと思います。

 今回もスペインに行きまして、年間に一度ですが「TBN」というテレビ局で、二時間の伝道番組をやりました。もう何年も続いています。TBNのプログラムは、ヨーロッパ全土、中東、北アフリカまで届きます。それをライブで二時間やるのです。今回は、この四人でやりました。

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 この四人、全員、新城教会のメンバーです。一番左はホルヘ先生といって、今スペインで牧師をやっています。新城教会のメンバーです。そして、フェルナンド先生、私、そして家内です。今回、家内も証しをしました。
 テレビってやっぱりすごいです。影響力があって、私と家内がマドリードの普通の道を歩いていたら、一人のおばちゃんが、「アーイ!パストーラ!!」とか言って、家内を抱きしめて、「テレビ見たよ!」と言われました。かなりの影響力だなぁと思うのですが、番組がこれからも続くように祈って下さい。イスラム圏の人たちも、ユダヤ教の人たちも、ヒンズーの人たちも見ています。世界中の人たちが見ていて、レスポンスをくれます。

 どうしてこのようなことが起こったのかに関しては、何度もお話をしたので、ほとんどの方がご存じだと思いますが、時々、私たちは振り返って、神の恵みを忘れないようにしなければいけないと思います。
 一九五〇年から、両親がこの地域で伝道を始めたのですが、しばらくして、若者たちが集まるようになりました。現在教会が建っている場所は、昔は丸太が置いてあるような貯木場でした。
 製材所の若者たちがクリスチャンになり、休憩時間になるとここに来て祈るようになりました。四、五人の若者たちが日本が変えられるように、真剣に祈り始めました。そうしたらその若者たちの上に神の霊が注がれました。それが一九六〇年のことでした。
 その時、主が何と彼らに語られたのかというと、使徒の働き一章八節、

『しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」』

 このみことばと共に、若者たちに語りかけを始められました。どうでしょうか。福音宣教は、普通、田舎に向かうものではないと思われがちです。都会に行かないと、人は集まってくれないからです。ある意味、新城教会は立地条件が悪いです。今日、来られた方々も、都会から田舎に逆流してくださった方も多いわけです。

 しかしその時に主が語られたのは、「地の果てに行け。」でした。イエスさまが弟子たちにこのことばを語られた時、彼らの世界観では、「地球は平らだ」と考えていました。地の果てに行ったら、地獄に落ちてしまうのではないかと考えたはずです。しかし地の果て、都会から田舎に向かって行ったのです。
 新城からも、若者たちは愛知県の北方、田舎に入って行きました。そんな中、東栄町という場所に入って行った若者がいました。

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 東栄町は、ここから一時間くらい田舎に入った場所で、限界集落です。そこに入って伝道しなさい!と主から語られた青年がいました。その人は中村一夫さんという方でした。実家は教会のすぐそばです。
 その方は、青年期に肺病を患い、仕事ができなくなって家に戻っていました。ある日、近くの床屋に散髪に行ったそうです。菅谷さんの所です。菅谷のおばあちゃん、まだ生きておられますが、九十歳を過ぎてあまり動けなくなっておられますが、まだお元気です。
 すると当時クリスチャンでない床屋さんがこう言ったそうです。「あんた暗い顔をしているのん。どうした?」『僕は肺病になって、今療養中で元気がない。』と答えました。そうしたら、「茶臼山の教会に行ってみろ!あそこに来ている青年たちは、みんな明るい顔をしているよ。あんたも行ったら明るくなれる!」と話したというのです。それで彼は教会に来て、クリスチャンになりました。
 やがて彼は聖霊によって遣わされ、東栄町という誰もいないような所で伝道を始めました。でも、当時から東栄町は田舎で、因習の深い場所で、教会には誰も来ませんでした。

 二十年くらい伝道しましたが、さしたる成果もなく、ある日、私の父の所に彼が来ました。「滝元先生、私は二十年くらいこの村で伝道しているけれど、あまり人は救われないし、もう撤退しようと思います。このくらいやれば、責任は果たしたと思います。」と言うのです。
 彼が話しに来た時に、私は父の横にいました。そこで私は口を挟んで、「中村さん、本当にそうだよ。人生、損するよ!やめたほうがいい!」と言いました。私はやめることに大賛成でした。でも彼は、私の言葉を聞いて、ちょっとむかついたみたいで、こう言いました。「俺、もう一度、祈ってみる。」と言って、山の上に上って祈ったそうです。

 「神さま、私はここで、長い間、伝道をしていますが、誰も教会に来ません。もう責任を果たしたと思いますから、止めさせていただきます。」と祈ったら、ふっと神が語りかけて下さったそうです。『やめてもいいよ。でもあんたがここから撤退したら、この村に伝道に来る人は、二度といないだろうね・・・。』という思いが来たそうです。
 「そうだな、、誰もここには来ないだろうなぁ・・・」と思ったそうです。それで彼は東栄町に踏みとどまることにしました。

 しばらくすると、内藤さんという男性が教会に来られました。彼は選挙運動でノイローゼになって、農協に働いていたのですが働けなくなり休んでいました。しかし、教会に来て、主イエスを信じて癒やされ、元気になりました。それで職場復帰しました。
 すると「この田舎には何の産業もなく、村に住んでいる人たちはどんどん街に出て行くから、村に企業を誘致できたら・・・」と考えて、チキンの加工工場を誘致したそうです。それが東栄チキンです。高校生の方、弁当に時々入っているかもしれません。ローカルな話ですが。

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 そうしたら、今から十数年前のことですが、二人のペルー人が働きに来ました。当時、その人たちはビザ無し、不法滞在者でした。この田舎に隠れるようにして仕事をしていました。
 彼らはペルーで、教会に行ったことがあったそうです。なんとも寂しいので、「教会にでも行けたらいいなぁ・・・」と考えたそうです。そして教会を探したそうです。こんな場所に、教会なんてあるはずがないと思ったら、なんとあったのです。東栄町に教会があったのです!それで彼らはこの教会に行きました。

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 その教会は、中村さんが粘って、続けていた教会でした。「ここで礼拝を守りたいです。」と言ったら、「うちはスペイン語はできないから、良い教会を教えてあげますよ!新城に行きなさい!」と言って、新城教会に来るようになりました。
 新城教会で彼らは信仰が回復して、やがて突然、いなくなりました。どうしてかと思ったら、不法滞在で、国に帰されてしまっていました。

 でも、それから数年後、彼はスペイン人になって、新城にやってきました。何が起こったんだ?と聞いたら、彼は日本で一人子どもがいましたが、帰ってから二人子どもが生まれました。一番下の子はアロン君といいます。彼は先天性の重い障害を持っています。ぜひ彼のために祈っていただきたいと思うのですが、彼は今、結構命も危ない状態です。今年初めは、もう助からないと言われていました。しかし祈りによって奇跡的に助かって、今、自宅に戻っています。
 ペルーでは彼を治療できないということになって、スペインに移住する事になりました。ペルーはスペインの侵略によってできた国で、スペインは中南米に対して寛容です。五年間、中南米人がスペインに住んだら国籍もくれます。そして子どもの医療費は無料です。それで彼らはスペインに移住することができました。
 それから彼は神学校に行って、牧師になって、TBNのテレビ伝道者になったのです。
 しかし彼は、新城で受けた恵みを忘れることができなくて、TBNの社長に、「新城教会の霊的戦いを経験して、私は変えられた!だから、滝元順とその一行をスペインに招いてください!」と交渉して、十年ちかく前から、私たちはこのテレビ局に行って、番組を持つことができるようになりました。
 私が有名だからとか、そういうことは全然関係ありません。どう考えても、東栄町とスペインのテレビスタジオとは、全く接点はありません。どう知恵を絞っても、考えられません。毎年行く度に、「神さまの働きは不思議だなぁ」と感動します。

 人生って、目の前のことだけ見ますから、「なんか、おもしろくないなぁ。あんまりうまくいかないから、止めちゃおうかなぁ。」みたいなところがありますが、人生とはバトンタッチ・リレーみたいだと思います。
 聖書は、天地創造から、新しい天と新しい地の創造へと向かう、壮大なストーリーだと言われます。各世代の人たちが、神からの使命を全うして、次世代にバトンタッチするのが人生です。次世代には、前の世代が土台となって、新しい神の業が現われるのではないかと思います。

 今回の働きも、まさにそうでした。私はベルギーなんて、どこにあるのかも知りませんでした。途中で地図を見たら、えっ!こんな所か!という感じでした。ここまで行って宣教させていただきました。これも全て、ホルヘがネットワークを持っていて、行くことができたのです。
 ベルギーは、ベルギーワッフルとポテトの唐揚げが発祥地らしいですが、あんまりうまくなかったけどね。

 観光名所の小便小僧。がっかり名所の一つだそうです。この子がブリュッセルの大火におしっこをかけたら大火が消えたという、嘘のストーリーに基づいているのですが。
 先週は、ブリュッセルの中南米の方々の教会で奉仕をさせていただきました。この頃、家内もいろいろな教会で証しをさせていただいて、評判が良かったです。
 また、奉仕の合間を縫って、現地の先生方と一緒に、ブリュッセルのために、町に出て行って、とりなして祈りました。

 そして午後からは、もう一つの教会に行きました。

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 真ん中の方はイタリア人の牧師です。ベルギーはフランス語なので、日本語、スペイン語、フランス語という感じで、教会の人たちは半分がベルギー人、あとは多国籍です。特にアフリカ系の方も結構多かったです。
 いや、東栄町からこんな所まで、よく来たもんだと思いました。「来年は三日間の聖会に来てください!」と言われていて、導かれたら行こうかなぁと思っていますが、ホルヘ先生の教会で、リーダーのための集会もさせていただきました。そこでも、ホルヘ夫妻がどのようにしてスペインに導かれたのかを、リーダーたちにお話をさせていただきました。

 イエス・キリストを信じるのは、家族の祝福につながります。ある時は、ホルヘの家族のように、アロン君が産まれて、どうしようかと考えたと思います。しかし悲しいことさえ、世界規模の宣教の働きに組み入れられた、一つの計画であったのです。
 イエス・キリストを信じると、人生に、信じられない大きな祝福をもたらします。

 今日は「家族の救いのために祈ろう!」というタイトルを付けましたが、使徒の働き十六章八節からストーリーが始まります。

『それでムシヤを通って、トロアスに下った。ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。』

 パウロは初め小アジア地方で伝道していたのですが、この時点から、ヨーロッパに向きを変えられたのです。トロアスはアジアの西の果てです。

 そこからピリピというギリシャ半島に、聖霊が向きを変えられたのです。聖書の舞台は、歴史と繋がっています。架空のストーリーではなく、歴史のただ中で起こった事柄です。

 今回私たちが行ったのは、スペイン、イベリア半島です。パウロもスペインに行ったと言われます。
 聖書の舞台で今回奉仕をさせていただいたのですが、ピリピという町にパウロが行った時、十六章を見ると、二つの家族が主を信じたという記録があります。
 そこから、どのようにしたら家族の救いを勝ち取ることができるのか、その秘訣を学び取ることができます。家に帰ったら使徒の働き十六章を、地図も参考にしながら読んでいただきますと、リアリティーが深まるのではないかと思います。

 その中で述べられている一つ目の家族の救いは、「ルデヤとその家族の救い」です。使徒の働き十六章十三節〜十五節、

『安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください」と言って頼み、強いてそうさせた。』

 祈り場というのは、ユダヤ教徒たちの祈りの場ではなかったかと言われます。このルデヤという女性は、天地宇宙を造られた神を信じていました。しかし救い主イエスに関しては理解がありませんでした。イエス・キリスト以外に救いはありません。
 いつも祈り場に行って、祈ってはいたけれど、救いはありませんでした。そこにパウロとシラスが福音を伝えた時、ルデヤが主イエスを信じて、家族も救われたのです。こんなふうに記されています。

『ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。』

 家族の救いの秘訣は何か。「主が家族の心を開いてくださるように」と祈るのは重要です。聖霊さまが働いてくださらないと、人の心は閉ざされたままです。
 祈り場には大勢の人が来ていたと思われます。しかし主が、ルデヤの心を開かれたと記録されています。主が心を開かれる時、その家に救いが来ます。それは聖霊の働きです。
 皆さんの家族の中で、まだ救われていない方がおられたら、この秘訣を受け取って祈ってください。「主が心を開かれますように!」と。主が心を開かれると、不思議なことが起こるのです。
 ルデヤの家族が救われたことによって、ピリピという町に教会ができて、やがてパウロの経済的サポーターとなりました。ルデヤの救いは、大きな鍵を持っていました。

 そしてもう一つの家族が十六章にレポートされています。それが監守の家族です。16章を読んでいきますと、いろんなことがあって、パウロとシラスが牢屋に入れられてしまうわけです。そこには牢屋を監視する監守がいたのですが、パウロとシラスが賛美し、祈っている時、地震が起こり、牢獄が壊れて囚人たちが逃げてしまったと思い、監守は自らの剣を抜いて自殺する寸前でした。
 しかしパウロは、「自殺してはいけません!私たちは皆、ここにいます。」と言って自殺を止め、牢屋が壊れても逃げませんでした。
 その時に、監守は使徒の働き十六章二十九節〜三十三節、

『看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。』

 監守が救われたことによって、家族全員が主を信じたという記録です。ここで有名なことばがパウロによって語られています。それは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」このことばは、神がパウロとシラスを通して語らせたことばです。これは神からの約束のことばです。私たちはこのことばを信じることができます。

 監守の家族は危機一髪でした。監守は責任感から、剣を抜いて自殺する寸前だったのです。しかし「自殺してはならない!」というパウロの言葉で止められて、その後、家族全員が幸せになったわけです。
 私たちが主イエスと出会うのは、すべてが順調な時ではないかもしれません。様々な問題で苦しむただ中で、危機一髪!というような時、主が手を伸ばしてくださるというのが多いかと思います。
 皆さんが教会に来られた背景も、様々な悩みや、苦しみの中で、主がみ手を伸ばしてくださった歴史を見ることができます。ちょっとタイミングがずれたら、私は死を選んでいたかもしれない、というような人も、もしかしたらいるかもしれないです。
 まさにこの監守は危機一髪でした。死ぬ寸前に救われたのです。
 ここからも家族の救いの秘訣を読み取ることができます。主が一人ひとりの心を開くために、時には、私たちにとっては辛いような出来事さえも利用して、心を変えてくださるのです。

 しかし、二つの家族の救いの真ん中に、一つの事件が関わっています。それは何かというと、一般の人が考えないような事実がレポートされています。実はパウロとシラスの所に、占いの霊に取りつかれた女奴隷が終始つきまとってきました。そして、使徒の働き十六章十七節〜十八節、

『彼女はパウロと私たちのあとについて来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです」と叫び続けた。幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け」と言った。すると即座に、霊は出て行った。』

 ピリピという町には「悪い霊」がいたのです。原語で見ると、「占いの霊」ではなくて、「プニュウマ・ピュトン」という言葉が使われています。ギリシャ神話に詳しい方は分かると思いますが、「ピュトン」というのはギリシャ神話に出てくる神名の一つです。アポロンとピュトンという神話があって、実際にギリシャ神話に出てくる神名が聖書を見ると、「占いの霊」、すなわち悪しき霊の名としてレポートされています。これは本当に興味深いことです。
 ピュトンの霊が打ち破られ、やがては、アポロンという音楽神、経済神が打ち破られたのです。それらが打ち破られたことによって、二つの家族の心開かれ、死から命に移り、家族は新しい人生に移ったという記録です。ここには目に見えない世界での戦いがあった事がわかります。

 「霊的戦い専門課程」は、明日から新しい学期が始まります。七年が過ぎて、第八期を迎えます。明日からは八年目になります。霊的戦いのことを専門的に学ぶ集まりです。是非とも祈っていただきたいと思います。
 何か新しいテーマをいただかなくてはと思って、祈っていたのですが、テーマを与えてくださり、心から感謝しています。

 今日の午後は、霊的戦いセミナーがあります。是非とも出席していただきたいと思います。午後は私ではなくて、鈴木陽介が「経済と霊的戦い」というテーマで語ります。今回の講義は、聞いたほうがいいですよ。ある意味、目から鱗というか、経済と霊的戦いの講義で感動して涙が出ました。
 一つは、我々が日頃受け取っている情報には、かなり偏りがあると言うことです。情報は権力者の手にあり、自分たちに都合の良い情報を流します。全てではありませんが、そういう頭がないと、現代は生きていけません。それをレポートします。
 韓国でリバイバルミッションがありましたが、日韓関係なども、かなりイメージが悪いですが、そんな中、クリスチャンどのような行動を取らなければいけないか、考えさせられます。大変重要なセミナーだと思いますので、午後は、是非とも出席していただきたいと思います。

 ピリピにおいて、占いの霊が打ち破られたことによって、最終的には、経済の暗闇が破られて、ルデヤが、パウロたちの宣教を経済的にサポートする役割に変えられていくわけです。

 今、世界で一番注目されている神学者は誰かというと、前にもお話ししましたが、「N.Tライト」という人物です。彼が「Simply Jesus」という本を書いているのですが、この間も少し触れたのですが、良かったら読んでいただきたいと思います。彼は歴史にも詳しい人で、実際に牧会もしている人物です。
 我々が一般の教会で聞いてきた情報は、かなり現代風に作り直されたものであることが、彼の本を読むとよく分かります。
 彼がこの中で、「善と悪」について語っています。善と悪って、皆さん、どう理解しますか。善と悪に関して、辞書を引いてみてください。「善」と辞書を引いてみたら、「悪の反対概念。」とありました。それでは、悪を調べなければいけないと、悪を調べてみたら、「善の反対概念。」とあって、なんじゃこれ?みたいなところがあったのですが、単純な善悪の概念について彼は次のように述べています。
 皆さんも一緒に考えていただきたいのですが、単純な善悪の概念は、「自分が善なら相手は悪」という概念だというのです。
 どうでしょうか?「絶対に自分が正しい」と考えたら、相手は悪となります。世界の悪の概念は、まさにこの理解だというのです。そして、ここから引き出される善悪の概念は何かというと、「悪の枢軸」という考えだというのです。
 世界を見れば、自由諸国が善であり、悪の枢軸と呼ばれる、イランだとか、北朝鮮が悪だ!絶対悪だ!だから、それを征伐するんだ!テロリストを全て殺してしまえ!というのが世界の善悪の理解です。だからある意味、単純だというのです。世界はこの善悪概念で動いているというのです。

 しかしライトは、こう語っています。「しかしこのような善悪概念の中に、悪しき存在が関わっているとしたら、話は複雑になる。」
 「私は善ですよ。相手は悪ですよ。」という単純な善悪理解のただ中に、「悪しき存在」、透明人間みたいなのが関わって、それが善に対しても、悪に対しても、影響を及ぼしていたとするならば、話はかなり複雑になるはずです。彼はそのように指摘しています。
 聖書を読めば悪しき存在だけでなく、神からの使いも、影響を与えているのです。まさに私たちが住んでいる世界は、単純な善と悪の世界ではないのです。目に見えない領域が関わって、善だと思っているけれど、悪しき影響を受け、悪だと思っているけれど、善なる影響も受ける、目に見えない世界は混沌とした世界なのです。

 「トムソーヤの冒険」で有名なマーク・トウェインが、「人間とは何か?」という本の中で、「人間は自分の意思では動いていない。人間は外部からの影響で動いている。心は人間から独立している。」という興味深い記述を、いくつか記しています。彼がクリスチャンであったのかどうかは知りませんが、極論を言えば、的を得ていると思われます。自分の考えを持っていると思っているかもしれないけれど、もしかしたら外部からのささやきで生きているのかも知れません。
 人間とは、本当に不思議な動物です。傷ついた人たちを癒やす病院も作れば、拷問所も作るような、残酷な動物です。

 実は今回、フランスに行くことになっていたのですが、ちょっとスケジュールが変わりました。フランスの先生と連絡が行き違いになり、時間がうまく調整できなかったので、二の足を踏んでチケットも高いので止めていました。「向こうからも連絡がないし止めようか・・・」と言うことになり、行き先を変更しました。海外に出たらフレキシブルにならないといけないわけです。予定通りに進まないことも多いです。
 それで近くに第二次世界大戦時の、ナチス・ドイツによるユダヤ人収容所がありました。ヨーロッパではユダヤ人たちが、何百万人も殺されたわけです。そのような苦しみの場所があるから、とりなしの祈りに行ってくれませんか?とベルギーの先生が言うものだから、そこに行くことになりました。「わかりました。フランスに行くのを止めて、そっちに行きます!」と言って向かおうとしたら、フランスの先生から電話があって、「何時にパリに着くんですか?」と聞かれました。

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 今回、「ブレーンドンク要塞ユダヤ人収容所」という所に行きました。ここはアウシュビッツという大勢の人たちが殺された収容所の中間地点みたいな場所でした。ここにユダヤ人たちが収容されて、アウシュビッツに最終的に運ばれたらしいです。だからここでは殺された数は少ないみたいです。

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 しかし三千五百人くらい収容されて、様々なことで、その一割くらいが殺されたらしいです。
 ただユダヤ人であるというだけで、捕まえられ、このような貨車に積み込まれて収容所に入れられました。女も子どもも大人も老人も、容赦なく詰めこまれたわけです。それがナチス・ドイツの政策であったわけです。

 ユダヤ人は重労働をさせられて、最終的にはガス室に送られたて死んでいったわけです。

 人は生まれる時代とか、国とか、民族なんて選べません。もしも私たちがこの時代にユダヤ人として、ヨーロッパに生まれたら、同じ目に遭っていたはずです。
 十分な食糧も与えられず、やせ細って大勢の人たちが死んでいきました。当時は一日一食くらいで、乏しいパンとスープしかあてがわれませんでした。
 このような悲しい歴史があった場所に行って祈りました。建物自体がうめいている感じでした。

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 錠のかかる部屋があって、ここは牢獄です。

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 この部屋は、拷問部屋です。このフックは拷問する人を吊すのです。

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 拷問部屋の周りの溝は何かというと、血が流れて、溝を伝い、この穴に血が落ちるようになっています。
 ただユダヤ人というだけで、何の悪いこともしていないのに苦しめられ、殺されていく、ただの善と悪では説明がつきません。人間性を超越する何らかの力が関わっていないと、こういうことってありえないと思います。
 現代人は残念ながら、目に見えない世界に関して、あまり関心がないがゆえに、一番大事なポイントを見落としているのではないでしょうか。

 N.Tライトがこんなふうに書いています。「サタンとの戦い」という項目の中で、

“イエスの戦いはサタンとの戦いだった。このテーマについて私たちがどう考えようと、すべての福音書記者にとって、これはまさに革新的に重要なテーマであって、イエスにとっても中心的なことだったと考える理由がたくさんある。無理からぬことだが、現代の聖書学者の多くはこのテーマを軽視しようとしてきた。だが伝承の中で、これほど中心的な位置を占める事柄を脇においてしまっては、満足のいく進展は望むべくもないだろう。”

 人類の歴史は、単純な善悪の問題ではないのです。聖書を見れば、暗闇の勢力が、善と思われる領域にも、悪と思われる領域にも働きかけて、広く人々を苦しめている現実があるのです。このような透明人間の存在に気づかなければ、人類はやがて滅ぼされてしまいます。
 しかしイエス・キリストを信じるということは、我々を造ってくださった神の存在にも目が開かれますが、同時に、人類を苦しめてきた敵の存在にも気づかされるのです。それらに立ち向かい、それらを倒すための勇士として、あなたは用いられるのです。

 悪しき存在だけでなく、神のみ使いたちも悪しき勢力を阻止しようと、真剣に働いているのが人類の歴史、そのものです。
 しかしこのような構図に気づくか気づかないか、特に、クリスチャンが気づくか気づかないかで、世界の歴史は、これからも大きく変わるはずです。
 また歴史は繰り返すと言われますから、この所に行って、このような残酷な歴史が二度と繰り返されないように祈らなくてはいけないと、痛切に思わされました。ユダヤ人たちは、そんな収容所でも、ヤーウェーの神に礼拝をささげていたみたいです。

 このようなユダヤ人の迫害が起こるきっかけとなった最初の場所が、スペインです。スペインでユダヤ人たちが迫害されたのをきっかけとして、全世界に広がっていきました。十三世紀のことでしたが、教皇イノセント三世によって、ユダヤ人は自分がユダヤ人であるというバッジをつけなければいけなくなりました。そして殺される運命になったのです。
 今日はスペインについて、あまりお話しすることはできませんが、スペインという国があったことによって、世界の歴史は大きく変わりました。日本にも大きな影響が来ています。

 最終的にパウロとシラスが、ピリピの町で捕らえられて、真夜中に獄中で賛美したことによって、牢獄が地震により崩れたのですが、「賛美をした」とあるのですが、「賛美」は原語で見ると、「詩篇をうたっていた」ということです。
 「真夜中にうたう詩篇」とは、詩篇百四十九篇の「床の上の賛美」です。そこでの「神への称賛」は、ヘブル語では「最高の賛美」という意味です。さらに、詩篇百四十九篇の最高の賛美とは、詩篇百四十八篇を受け継ぐ賛美でした。それは、「すべての被造物が主をほめたたえる」という賛美を、パウロとシラスが牢獄の中で歌っていたと思われます。その時、牢屋が壊れて、彼らは助け出されたのです。今日は時間がないので、詳しくお話することはできませんが、専門課程の講義でやりたいと思います。
 私たちがすべての被造物と共に、主をほめたたえるのが、人類の悲しい歴史を勝ち取る秘訣であると信じます。
 このことに気づく時に、家族の中に新しいことが起こり始めます。家族の救いのためには、まずは「主が心を開いてくださるように」、「聖霊さまが家族に来てくださるように」と祈ることです。
 そしてもう一つは、町を支配している暗闇の力に立ち向かう中で、牢獄が砕かれ、人々が救われる。善悪という概念は、一般的概念とは全く違った概念を、聖書は教えていることを知っていきたいと思います。

 今から皆さんと一緒に聖餐式を持ちたいと思います。聖餐式には、二千年の歴史があります。これはイエスさまが十字架につく前の晩に弟子たちを呼んで始められたことです。「わたしがもう一度この地上に帰って来るまで、続けてくれ。」というのです。それはどういうことかといったら、ひとかたまりのパンと、ぶどうの実から絞ったジュースを、イエスさまの体と血に見立て、祝福していただくことです。
 それには神秘が関わっていて、イエスさまが帰って来られるその日まで続けろと言われたのですが、聖餐式は、特別な空間であり、特別な時間であるということです。
 先日もそのことをお話ししましたが、聖餐式の中で、よみがえりのイエスさまが私たちの所に来てくださり、心を開いてくださる時であり、神と出会う瞬間であるという事です。
 信じて聖餐式に預かる時に、私たちは心開かれ、神を体験できるのです。
 日本の将来を考えると、また危ない時代が来るのではないかと心配になります。二度と悲しい歴史が繰り返すことがないように、我々は歴史を支配する者として、祈っていきたいと願います。
 最後に一言お祈りして、聖餐式に移らせていただきます。

 ハレルヤ。天の父なる神さま、み名をあがめて、心から感謝します。あなたがこの場所に来てくださっていることを心から感謝します。今日、ここにおられるお一人お一人の家族を祝福してください。まだイエスさまを信じていない方がおられるならば、今日は聖霊さま、心を開いてください。
 目に見えない世界が同時存在していることを、はっきりと認識しできますように。
 管理人として、すべての被造物を賛美させる勇士として、歩んでいきたいと願っています。今から聖餐式を行います。二千年間、主を信じる者たちが守ってきた、この素晴らしい主との出会いの時を、心から感謝いたします。今日ここに備えられたパンを聖霊とみことばによってイエスさまの体としてください。また備えられたぶどうのジュースも、あなたが流してくださった十字架の血潮に変えてください。そしてよみがえりのイエスさまと出会う特殊な時となりますように。
 お一人お一人に、特別な特別な祝福をお与えください。特に家族に祝福がもたらされますように。様々な問題があったら、家族の問題も消え去りますよう、お願いいたします。イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

 今、私の後について皆さんお祈りをしていただきたいと思います。

 イエスさま、今私は、あなたをお迎えします。私の人生を導いてください。今からの聖餐式を、神の霊により、みことばと共に受け取ります。イエスさまと出会う瞬間にしてください。家族を祝福してください。主イエスのみ名によってお祈りします。アーメン。