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「彼らに主の名をほめたたえさせよ!2019
〜一つになって共に住む幸せ パート4〜」

  • 2019年11月24日(日)

新城教会主任牧師 滝元順
詩篇133篇1〜3節

『見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。』

 ハレルヤ!おはようございます。今日もこうして皆さんとご一緒にみことばを学ぶことができますことを、心から感謝しています。
 シリーズで、「一つとなって共に住む幸せ」というタイトルで学ばせていただいています。詩篇百三十三篇から学んでいるわけですが、一つとなって共に住むことが、どのくらい大きな力になるのかを学んでいます。
 前回もお話ししましたが、一致する力、「協力」という漢字は十字架の元に、小さな力を三つ合わせると、大きな力になるという文字です。小さな力も寄せ集めれば、大きな力になるわけです。

 詩篇百三十三篇に、「兄弟たちが一つになって共に住む」と、大祭司だけに与えられている、神のみ前に出て、とりなし祈る、神と直接交渉するほどの力になると教えています。アロンだけに与えられていた権限が、末端にまで流れていく!と教えているわけです。このみことばには、様々な意味合いがあることを、違った角度からお話をさせていただいていますが、先週は、異邦人からクリスチャンになった者たちの役割について学びました。イスラエル人ではなく、異邦人からクリスチャンになった者たちに与えられている使命が何であるかについて、学びました。
 それは「和解のために働く」ということでした。一致する為には、その前提に壁があることを意味します。壁を取り払われないと一致することは出来ません。また、壁を取り払う為には、「和解」が必要です。
 誰かとうまくいかなくて、話ができなくなっている場合、関係改善のためには、和解が必要です。その為には、誰かが仲介者となって、取り持ってくれると、和解はうまく行きます。同じように、私たちも和解の使者として、遣わされなければいけないのです。
 聖書の勧める「和解」とは、個人的な敵対関係をも含みますが、それ以上に、イスラエルと異邦人との間にある壁がテーマです。その壁が壊れないと、福音は最終目標に進んで行かないのです。
 また、民族と民族、国と国との間にある壁を取り払わないと、本当の和解に行き着くことができないのです。

 一九九二年に教会に聖霊が注がれました。その後、導かれたのが、国と国の和解の働きでした。そのテーマに関心を持ち、出て行って祈りなさいということでした。
 今年は天皇が代替わりして、日本はお祭りムードを演出していますが、アジアの諸国は緊張しています。つい最近、大嘗祭がありました。国家神道を盛り上げる気運が強くなっています。
 これらに関して、海外、特にアジアの諸国では強い警戒心を持っています。日本が昔と同じようになってしまう!と。海外の教会は、今回の大嘗祭に向けて、日本にとりなしチームを送って、日本の為に真剣にとりなし、祈っています。

 そんな中、日本のために真剣に祈っている、小さな国があります。この国旗、分かりますか?

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 左はどこか分かりますよね。あまり掲げたくない旗ですが、右側とよく似ていますよね?右側の旗はパラオの国旗です。
 パラオの国旗の意味は、日本が太陽で、パラオは月です。「日本のアマテラスの光によって輝く、月のようでありたい」という意味です。
 月の中心が左にちょっとだけずれています。これはなぜかというと、日本の太陽は世界の真ん中にある。しかし月が真ん中にあっては、日本に申し訳ないということで、ちょっとずらしたらしいのです。
 今でもパラオに行きますと、神社があったりします。パラオはどこかというと、こんな所です。

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 昨年、パプアニューギニアに行きましたが、その北、フィリピンの東に位置します。本当に小さな島です。しかし戦争中はその島は日本そのものでした。

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 日本はこの島を植民地支配し、日本にしたのです。ここに行きますと日本語が通じます。日本語って、汎用性が超低い言葉ですよね。ひらがな、カタカナ、漢字も、音読み訓読み、何千と勉強して、その結果使えるのが日本国内だけです。こんな割に合わない言語って、他にないと思います。英語なんか、二十数文字でしょう。それで全てを表現できるのに、日本では、どっさり覚えて、使えるのは国内だけなんて、悲しすぎます。
 しかし、パラオに行きますと日本語が通用します。なぜならば、それほど日本が強く支配したからです。

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 今でも神社があったりしますが、クリスチャンも多いです。この島の教会は、日本の支配を受けて、島がどんな環境になったのか、よく知っています。だから未来の為にも、日本のために祈らなくてはいけない!と考えています。パラオは日本寄りの演出をさせられているのですが、戦時中、島民は奴隷のように支配されて、深く傷ついています。「もう二度と、植民地支配はごめんだ!」と言っているわけです。
 今回、日本の大嘗祭に合わせて、パラオの教会からチームが来て、日本で祈ってくれました。そして、「日本からも是非、パラオにチームを送って、和解の集会をやってください!」ということで、今回日本からチームが行きました。

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 これは今朝、送られてきた写真です。今ちょうど、パラオの大きな教会で和解の集会が始まります。
 これは一致、和解のための、大きな働きです。まさかこんな所にまで導いてくださるとは、夢にも思いませんでした。

 今回、新城教会からも何人か参加してくださっているのですが、雅也先生に教会代表として、参加していただきました。
 先週の事ですが、パラオ出発の二、三日前に、雅也先生から私の所に電話がかかってきました。暗い声で、「順先生、問題が起きました。」と言うのです。パラオに入国するのには、パスポートの残存期間が六ヶ月必要らしいのです。しかし雅也先生、うっかりしていて残存期間が四ヶ月しかなかったというのを、今日気づいたというのです。だから、パラオに行けないことになったというのです。パラオの大使館に問い合わせると、「入国できません。」という回答でした。私は、「大丈夫だよ!きっと何か手があるに違いない。無理矢理パラオに行って、パラオの入管窓口で交渉しろ!」みたいなことを話したのですが、そもそも、パラオまで到達できるかどうか分からないのです。
 しかしその状況を現地の教会に伝えて、「祈ってください!政府に働きかけてください!」とお願いしました。
 そうしたら、なんと、教会に来ている人の中に、パラオ共和国の大統領の関係者がいました。

 大統領は、トミー・レメンゲザウという人ですが、日本から和解の使者として四元雅也という牧師がやってくる。この重要な働きのために、大統領が直々許可を出して下さいと頼んだら、大統領から直接許可が出て、雅也先生は無事に入国できたのです。すごいでしょう。
 これも神さまの働き、手口だと思います。時々、人生には、もう駄目だ〜みたいなことがありますが、すべてが相働いて、益となるとは、こういうことではないかと思います。

 今日読んでいただきました聖書の箇所に、アロンが出ているわけですが、彼は祭司の中でも大祭司といって、神の前に直接出て奉仕する重要な役割を持った存在でした。
 クリスチャンは、現在、どのようなポジションにあるのかについても、先週、お話しさせていただきました。
 新約聖書第一ペテロ二章九節です。この箇所は旧約聖書をベースにしながら、新約において、我々、クリスチャンがどういう立場であるのかについて教えています。旧約聖書では、大祭司は一人しかいなかったのが、今や、イエス・キリストを信じる者たちは、第一ペテロ二章九節、

『しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。』

 我々はどんな立場なのか、それは、「選ばれた種族」です。かつてはイスラエルしか選ばれていなかったのが、同じように選びの民となったわけです。そして「王である祭司」です。アロンと同じ立場もいただいて、「聖なる国民、神の所有とされた民」と約束されています。
 暗闇から光、サタンの支配下から神の支配下に移された者たちは、これほどまでの素晴らしい立場が与えられているわけです。

 モーセとアロンは、兄弟でした。モーセの兄がアロンでした。イスラエルには部族が十二あって、十二で一つの国家となりました。アブラハム、イサク、ヤコブと家系は続き、ヤコブには十二人の息子が生まれました。その中に「レビ」という息子がいたわけですが、そこからレビ族は始まりました。モーセとアロンは、レビ族の出身でした。

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 イスラエル十二部族と言われますが、レビ族は部族から除外されています。その代わりに、ヨセフの子どもたち「マナセとエフライム」が入って十二部族となるわけです。しかしレビ族には、特別な役割が担わされていました。
 レビ族出身のモーセとアロンによって、イスラエルはエジプトから脱出することができました。レビ族は最小部族で、人数も少なかったのですが、主は、最も小さな部族を使って、百万、二百万とも言われるイスラエルの民をエジプトから脱出させたのです。

 レビ族には大きな特徴がありました。それは何かというと、申命記十章九節、

『それゆえ、レビには兄弟たちといっしょの相続地の割り当てはなかった。あなたの神、主が彼について言われたように、主が彼の相続地である‐‐ 』

 イスラエルがエジプトから脱出して、カナンの地に入った時、四百三十年も自分の国を留守にしていましたから、既にカナン人達が住み着いており、激しい戦いとなりました。四百三十年、留守にして家に戻ったら、自分の家は他の人に取られていますよね。土地だって誰かのものになっているのは当然です。室町時代の人とか、江戸時代の人が突然やって来て、「ここは私の土地ですけど。」と言われても、「何言ってるの!あんた!」となるように、イスラエルも四百三十年もエジプトにいましたから、帰ったら、カナン人たちが住んでいたわけです。しかしイスラエルはその地を戦いによって勝ち取りました。そして主は、十二部族に割当地を与えました。
 しかしながら、レビ族に対しては、町とかはあったのですが、割り当て地はありませんでした。「えー!なんでないの?」みたいな話しですが、主はレビ族に、次のように言われました。申命記十章八節〜九節、

『そのとき、主はレビ部族をえり分けて、主の契約の箱を運び、主の前に立って仕え、また御名によって祝福するようにされた。今日までそうなっている。それゆえ、レビには兄弟たちといっしょの相続地の割り当てはなかった。あなたの神、主が彼について言われたように、主が彼の相続地である‐‐』

 レビ族には、割り当て地はなかったのですが、重要な使命が与えられたのです。それは、主の前に立って仕え、また、み名によって祝福する役割が与えられたのです。今日もそうだと告げています。割り当て地はなくても、『主が彼の相続地である』とあります。

 さて、今日、レビ族に対応する役割が誰かというと、私たちクリスチャンです。クリスチャンは十二部族の中で、ある意味、レビ族のような存在です。私たちが相続するのは、「主が私たちの相続地」です。
 我々がやらなければならない働きは、『主の契約の箱を運び、主の前に立って仕え、また御名によって祝福するようにされた。』とあるように、その働きの為に任命されたのです。

 先週もお話しさせていただきましたが、民数記六章にある言葉は、『アロンとその子らに告げて言え。』とあります。
 アロンとその子らとは、「レビ族に告げて言え。」という意味になります。何を告げるように指示されたのかというと、「イスラエル人を祝福しなさい。」と言われました。
 二十四節〜二十六節のことばを、イスラエルに宣言すると、その結果として、『彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。』とあります。

 神が天と地を創造された時、「霊的法則」をも創造されました。イスラエルの
十二部族の中で、レビ部族を除外し、レビ族の人たちが他部族を祝福すると、他部族は祝福され、その結果として「レビ部族も祝福される」という法則です。
 そしてその役割が、今では、主を信じる者達に与えられているのです。クリスチャンには、「主の前に立って仕え、また御名によって祝福する」使命が与えられています。異邦人クリスチャンが、イスラエルに対して祝福の言葉を宣言するならば、その結果として、私たちも祝福されるのです。
 このことばは祝祷の時によく読まれることばでもあります。私の父もこのことばから祝祷をよくしていました。しかし実際は、「主があなたを祝福する」という、「あなた」とは「イスラエル」のことなのです。ユダヤ人だけでなく、イスラエルは十二部族ですから、全体に対しての祝福の宣言です。その結果として、私たちにも祝福がやってくるという法則です。

 先週もこのことばをご一緒に宣言しました。今日も宣言してみたいと思います。救いとは、被造物全体の救いです。しかし「人の救い」と「被造物全体の救い」の間に、「イスラエルの回復」というテーマが横たわっています。
 祝福の扉を開けるためには、レビ族として任命されている我々、主の民が、イスラエルに対して、祝福のことばを宣言する必要があるのです。
 「あなた」を「イスラエル」としましょう。イスラエルとはユダヤ人だけではなく、十二部族全体です。先週もお話ししましたが、壁の内側にいる、今では「パレスチナ自治区」と呼ばれている領域に、北イスラエルの人たちは住んでいます。
 今日は午後からイスラエルに行かれた方々の報告会があります。興味深い体験が一人ひとりにあります。私も断片的に聞いていますが、いろいろな体験をされて帰って来られました。是非とも出席していただきたいと思います。
 私たちが壁の内側の人たちも含めて、このことばを宣言する時、祝福が流れて来ます。現代のレビ族には、祝福の使命があります。
 「あなた」を「イスラエル」に置き換えて宣言してみましょう。民数記六章二十四節〜二十六節、

「主がイスラエルを祝福し、イスラエルを守られますように。主が御顔をイスラエルに照らし、イスラエルを恵まれますように。主が御顔をイスラエルに向け、イスラエルに平安を与えられますように。」

 レビ人たちは、神の宮、神殿に仕える者達でした。ソロモン王は荘厳に神殿を奉献したのですが、その時、なんと毎日二十四時間、レビ人たちが神殿において、賛美をささげていました。
 新城教会も、二十四時間PPHをやりなさいと主から語られて、二十四時間PPHを行うようになりました。しかしこの賛美集会は二十四時間で終わります。しかしイスラエルでは二十四時間、二十四時間、二十四時間という具合に、レビ人たちが主をほめたたえ、賛美していたのです。このように、レビ人たちの役割とは、「祝福の宣言と賛美」でした。
 我々にも、人々を祝福する宣言と、賛美の役割があるということです。

 先日は山崎先生が来てくださって、午後からサンデースクールが行われました。そこで「創世記一章の再発見」から話してくれました。この本を読むとある意味、目から鱗です。今まで我々が考えていた創世記一章の理解とは、違った切り口があるからです。
 聖書神学は、日々進歩しています。なぜなら、イエスさま時代のことが、様々な発見と研究によって分かってきたからです。碑文が解読されたり、当時の文化習慣がはっきりしたりして、聖書が深く研究された事により、聖書が伝えたい真のメッセージに光が当たってきたのです。当時の世界観を理解してみことばを読むと、あぁ!この記述って、本来はこういう意味なのか!と分かるのです。聖書を、現代の視点と世界観で読んでしまうと、全く違った理解となる危険性があります。
 み言葉は、当時の意味をしっかり押さえながら、現代にも適応する必要があります。聖書は一義的には、当時の人々に対して書かれた書物だからです。それを知らないと、真の意味を理解できないわけです。

 特に創世記一章は、無から有を創造されたようにしか理解しませんが、しっかりとした研究に基づいて創世記一章を読むと、思いもよらなかった新しい視点が見えてきます。
 創世記一章の記述に、七日目に神が休まれた「安息日」が出てきます。これは「宇宙神殿の完成」を意味するというのです。
 天と地に神は何を創造されたかったのか、それは「宇宙全体をオーケストラとして、ご自分を賛美させる聖歌隊」でした。それも、被造物全体も合わせた聖歌隊を造りたくて、天地創造をなされたのです。
 七日目に休まれたのは、「神さまも六日も続けて働いたら疲れるんだ・・・」みたいに考えるかもしれないけれど、神は神殿のみで安息される!ということから、神殿の持つ機能について理解されるようになったのです。神殿とは「小宇宙」であるとイスラエルの人々は理解していました。神殿とは、限られた空間ですが、それは宇宙を表していて、限られた空間での賛美は、宇宙とシンクロし、同期している、と考えていたのです。ソロモンが奉献した神殿を細かく分析してみると、そこには、宇宙全体を表す模様や世界観があるというのです。
 ということは、レビ人たちが二十四時間、神殿において賛美していたのは、限られた空間の中だけでなく、「宇宙全体が主をほめたたえる」という、壮大な理解の中で、主を賛美していたのです。

 神殿とは、「天と地が出会う場」です。何回か紹介しているのですが、N.T.ライトが、著書において次のように指摘しています。

“神殿は何よりも天と地が出会う場所であり、そこで重要なことが成される場であると考えられていた。ところが現代のクリスチャンの多くは、神殿は壮大な教会のような建造物に過ぎないと考えている。礼拝の場であることは確かであるが、小宇宙、つまり天と地が非常に小さな空間でまとめられた、世界の縮図であるとは理解していない。”

 今から三千年くらい前にイスラエルに建てられた神殿は、ここに掲げられているような世界観と共に建てられたのです。当時の人々は、その概念をしっかりと理解していたのです。そればかりでなく、神殿は宇宙につながっていると考えていたのです。

 古代イスラエル人たちの世界観と合わせるならば、この限られた空間、教会でなされている礼拝は、宇宙につながり、宇宙を賛美させるようなことが起きているのです。そのことを現代のクリスチャンは、どのくらい理解しているのか・・・、「ほとんど理解していないだろうね。ただの建造物としか考えていないでしょう。」とライトは言っています。
 教会は神が人と出会われる場であるだけでなく、宇宙と連動し、宇宙全体を賛美させる場であると理解したら、教会のスケールは無限大になると思います。

 そんな中、神殿についての歴史を見ますと、神殿をめぐって霊的戦いが起こっていることに気づかされます。悪魔も真剣に神殿の機能を破壊しようして来た歴史を見ることができます。
 簡単に神殿の歴史を辿ると、天地創造は、宇宙神殿の創造でした。しかしその後、サタンの誘惑によって人が堕落したがゆえに、宇宙神殿は機能しなくなってしまいました。
 それで神は何をされたのかというと、イスラエル民族を選んで、荒野で神殿を造らせました。それが「荒野の幕屋」と呼ばれる、移動式の神殿でした。
 やがてイスラエルはカナンに入国し、ダビデが神殿の概念を発展させました。それが「ダビデの幕屋」でした。次のソロモン王の時代となって、固定式の神殿がエルサレムに奉献されました。
 しかし、バビロニア帝国がユダに攻め込んで来て、神殿は破壊されてしまったのです。
 バビロン捕囚の後、ユダの人たちはエルサレムに戻り、すぐに神殿を再建し始めました。なぜ帰還後の困難な中、神殿をあえて再建したのかというと、神殿は神と出会う場であり、宇宙を賛美させる、人の使命を果たす場所である事を理解していたからです。
 第二神殿はイエスさま時代にまで続きます。イスラエルに行くと、今も神殿の跡地を見ることが出来ます。第二神殿をヘロデ大王が増築、補修して、イエスさまの時代にはそれがあったのです。

 するとイエスさまが、「この神殿を壊してみろ!わたしは三日もしたら建て直してやる。」と言いました。人々は「何を言っているんだ。この神殿を建てるのに四十六年もかかったのに、あんたは三日で建て直すつもり?ちょっと頭おかしくないか?」と笑いました。イエスさまは何を言われたのか、それは十字架と復活、そして「イエスさまご自身が歩く神殿」であることを語られたのです。
 イエスさまご自身が神殿そのものであって、イエスさまが行かれるすべての場所が神が人と出会う場となり、イエスさまご自身が宇宙全体を賛美させる役割を持っておられたということです。
 そしてイエスさまの十字架と復活後、その役割が「主を信じる者たちすべてに与えられた」ということです。私たちはレビ人として、神殿で仕える者達です。日曜日に教会に来て、共に主を賛美するという意味もあるのですが、同時に、私たち自身が歩く神殿であり、私たちが賛美する時、なんと宇宙全体にまで、その賛美は響き渡るのです。
 最近のザワメキで「宇宙の果てまで響かせよ」という賛美があります。私は初め、なんて大げさな賛美と思い、意味が分かりませんでした。しかしいろいろ聖書を勉強して行くうちに、その理由を理解し、感動しました。
 今週、主を賛美する時に、私たち自身が神の宮であり、宇宙の果てにまで響かせる、レビ人たちの役割なのだ!と理解したらどうでしょうか。私たちの賛美は、まさに宇宙の端にまで広がる事でしょう。

 ゆえに悪魔は、なんとかして肉体を持つ神殿、歩く神殿であるクリスチャンを、様々な方法で苦しめ、賛美できないようにしているのではないかと感じています。
 私たちは心を一つにして、神殿を壊そうとする敵に立ち向かう必要があります。

 ソロモンは壮大な神の宮を奉献しました。これを建築するために、強大な権力と膨大な資金を費やしました。

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 しかしその後、神が臨在される神殿であるにも関わらず、敵に破壊されてしまいました。バビロニア帝国が侵入し、神殿は破壊され、人々はバビロンに捕囚されてしまったのです。
 その理由を調べていく時、敵は密かに神殿に侵入していた事実を突き止めることができます。

 ダビデ王とソロモン王には、仲の良い他国の王がいました。それはレバノンのツロ、ティルスとも呼ばれますが、ツロの王と結構仲が良かったみたいです。
 しかしツロについて調べてみると、ツロとはこんな街でした。

“ツロは、フィニキア人によって造られた都市国家で、紀元前十一世紀から紀元前九世紀にかけ最盛期を迎えた。それはちょうどソロモン王の在位と重なり、ツロは不正な海洋貿易によって繁栄を極めると同時に、極度に堕落した都市国家でもあった。”

 ツロの人たちについては、古代ギリシャ小説「エフェソス物語」などにも登場するのですが、バアル信仰や人身御供と言う、人を生きた生け贄としてささげる風習を持つ、残忍な海賊として登場しています。ツロについてはローマ時代に至るまで、文学の伝統となっていたというのです。
 実はダビデ王も、ソロモン王も、唯一の神に従っていた人物ですが、一方では悪い王と親交を持っていました。第一列王記五章一節〜二節、

『さて、ツロの王ヒラムは、ソロモンが油をそそがれ、彼の父に代わって王となったことを聞いて、自分の家来たちをソロモンのところへ遣わした。ヒラムはダビデといつも友情を保っていたからである。そこで、ソロモンはヒラムのもとに人をやって言わせた。』

 偶像礼拝と人を生で悪霊にささげるような風習を持つ王と、彼らは一方では手を結んでいました。
 さらにソロモンが神の宮を建てる時、こんな記録があります。そこにはもう一人のヒラムが出て来ます。第一列王記七章十三節〜十五節、

『ソロモン王は人をやって、ツロからヒラムを呼んで来た。彼はナフタリ族のやもめの子であった。彼の父はツロの人で、青銅の細工師であった。それでヒラムは青銅の細工物全般に関する知恵と、英知と、知識とに満ちていた。彼はソロモン王のもとにやって来て、そのいっさいの細工を行った。』

と記されています。神の宮に様々な彫刻をほどこしたのが誰であったのかというと、ツロから派遣された「青銅細工の職人ヒラム」でした。このヒラムはどういう人物であったのかというと、元々は、ツロの偶像を彫刻する彫り師でした。ソロモンはかっこいい神殿を作りたかったのでしょう。そこで技術的には優れていたのかも知れませんが、ツロで偶像を彫刻していた彫り師、ヒラムを神の宮の建築工事の為に招聘したのです。実際、ソロモンが建てた神殿の土台には、悪しき彫刻が施されていました。神殿に敵の力が侵入していたのです。

 私たちも神の宮であることは確かなのですが、私たちの中に様々な罪とか汚れが入れば、ちょうどソロモン王がヒラムを連れて来たのと同じ形となり、土台に時限爆弾が仕掛けられてしまう可能性があります。
 私たちがなぜ、聖い生活をしなければならないのか。それは神の宮で、宇宙全体を賛美させる機能を損なわれないためです。

 少し話は変わるのですが、この「ヒラム伝説」を中心にして成り立っている一つの有名な団体があります。

 「フリーメーソン」って知っていますか?都市伝説みたいに思う人もいるかもしれませんが、実は、フリーメーソンは、「青銅細工人ヒラム」を元祖メーソンとしています。

 先日私は、ジョー先生と共にフリーメーソン・テンプルにとりなしに行きました。中に入ったら、スフィンクスはあるは、エジプトの神々はあるはと、偶像だらけです。

 彼らは自分たちの活動のすべてを記録に残します。記録を残すための巨大な図書館を持っています。
 歴史を学ぶ時、日本のプロテスタント教会は、フリーメーソンと深い繋がりがあった事がわかります。私はここでいろいろと調査しました。図書館の秘書の方に話を聞くと、「おじいちゃんの代からフリーメーソンだ。」と言うのです。すると彼女が私とジョー先生に言うのです。「でも、この団体はやばいよ。定年まで勤めたら団体を辞める」と、中心的に働いている人が言いました。
 フリーメーソンは、神の宮に侵入する悪しき力です。

 「ツロの王」は、エゼキエル書においては、「サタンと同一視されている」ということです。今日は時間がないので、あまり学ぶことはできませんが、エゼキエル書二十八章十二節、

『人の子よ。ツロの王について哀歌を唱えて、彼に言え。神である主はこう仰せられる。あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。』

 これはサタンを描写していると言われます。悪魔はどこを狙っているのかと言ったら、神殿を狙っています。神殿とは、現代においては、もちろん教会ですが、歩く神殿である私たちクリスチャン一人ひとりです。私たちが神の前に純粋な賛美をささげるためにも、神殿に侵入する敵と戦わなければならないことも、教えられるわけです。

 イスラエルはなぜ滅びたのか、その理由は偶像礼拝にあります。そして、神の宮を奉献する時、敵の侵入を許した為です。ソロモンも見栄があったのでしょう。他国から「すばらしいねぇ!ソロモンさん!」と言われたい為に、偶像の彫り師なんかを連れて来て、神の宮を建てさせたのだと思われます。その結果、結局、国は神殿もろとも破壊されてしまったのです。
 私たちも神の宮として、罪に妥協せず、聖く歩んでいくことが重要です。そんな中で重要な働きが、和解と一致です。

 特にイスラエルと異邦人との対立関係で起こっている事柄に対して関心を持ち、とりなし祈ることは、神が異邦人クリスチャンに強く願われている働きです。遠く離れたイスラエルのためになぜ祈らなくてはならないのか?みたいなところがありますが、イスラエルが救われることは、人類の未来の為に大変重要なテーマだからです。
 ローマ人への手紙十一章に、イスラエルの人たちが救いを拒否したことによって、救いが異邦人に及んだ事が記されています。
 ローマ人への手紙十一章十二節、

『もし彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。』

 彼らが福音を拒否したから、我々は恩恵を受けたわけですが、彼らが回復すると、その富はどれほど大きなものであるのか、とローマ人への手紙の記者であるパウロは記しています。
 私たちが異邦人クリスチャンとして、イスラエルと異邦人の和解のために、また、国々の和解のために働く時、神の大いなる祝福がそこにあるのです。

 さらに「和解」とは、被造物全体との和解にも関わると前回、お話しさせていただきました。
 イエスさまの十字架は、「万物との和解」であったのです。そんな中、先週は細胞の和解についてお話しさせていただきました。
 細胞は、本来は一つ一つが協力しあって、私たちを生かしています。けれどもがん細胞は、今まで味方だった細胞が、ある時、敵に回り、人の命を狙う存在に変化してしたわけです。
 しかし私たちが、和解の使者として、細胞さえも和解させるように祈っていく時、内側の敵対していた細胞が、和解し、元の役割に戻るのではないかと期待しています。今では二人に一人が癌になると言われる時代ですから、全員にとって切実な問題です。

 先週この話をさせていただいたら、一人の方がこんな情報を送ってくれました。それは「マクロファージ」という免疫細胞についてです。これは白血球の一種らしいですが、詳しい事は知りませんが、我々の体には、がん細胞は頻繁にできているらしいのです。でもこのマクロファージが、発生したがん細胞を食べたり、細胞の死骸とかを食べて、正義の味方として私たちの命を助けています。これがないと我々は生きていくことができないというのです。
 しかし本来は我々を助けるヒーローが、ある時、遺伝子の中でスイッチが入ると、今まではがん細胞を食い、やっつけていたのが、がん細胞を呼んできて、それらを増殖させる側に回るというのです。今まで味方だったのが、敵になるというのです。
 今まで私たちの中で日々、がん細胞を食っていた存在が、がん細胞を大きくさせるというのです。ちょうどオセロみたいです。オセロってちょっとした配列の違いで、真っ黒にもなるし、真っ白にもなります。それに似た機能が我々の中にあるらしいのです。日々、戦ってくれている免疫細胞が、ちょっとしたことで敵にもなるし、味方にもなるらしいです。敵になったら我々にとって、最もやっかいな存在になるのです。
 でもどうでしょうか。我々がここに和解を宣言することができたら、神が造られた人類は良いものですから、和解が訪れるのではないかと期待します。
 「マクロファージ」とは、人が付けた名前ですが、免疫機能が敵になるのではなく、味方となって、私たちと調和して、一致して、共に住んで、我々を生かすために用いられるよう、祈らなくてはいけないと思います。
 それは神の宮が正しく機能するために、私たちの健康のために、重要ではないかと感じています。

 このような領域も祈っていく時、神の宮はさらに純粋になり、賛美は宇宙の果てにまで響くのではないかと思います。私たちも健康でこころから主をほめたたえ、賛美することが可能になるのではないかと思います。
 今日は、私たちがレビ人であり、レビ人は何をしなければならないのかを学びました。それは「祝福の宣言と賛美」です。今や、この機能はクリスチャン全員が歩く神の宮として、有しています。そのことを覚えて、神の宮の機能を保っていきたいと願っています。
 すべての兄弟姉妹が健康で、純粋に宇宙の果てにまで賛美させる存在となりますよう、祈っていきたいと思います。

 今から聖餐式を行います。この聖餐を通して、真に和解がなされ、神の宮が機能するように祈りましょう。私たちの根底にある、様々な偶像礼拝や罪や汚れも聖められ、我々の内側の細胞さえも和解するように、ご一緒にお祈りの時をもちたいと思います。一言お祈りをさせていただきます。

 ハレルヤ。天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝をいたします。私たちをレビ人として任命してくださっていることを、心から感謝いたします。私たちは神の宮を管理する者として、宇宙の果てにまで賛美させる者として、動く神殿として用いられたいと願っています。
 今日は聖餐において、神の宮が聖められるだけでなく、宇宙の果てにまで賛美を響かせる者として用いてください。そして今日は、内側の細胞も和解して、一致、協力して、主を賛美する存在となりますように。イエスさまのみ名によって聖餐式を始めます。アーメン。