「Oh! Jesus is Wonderful!」

2020年5月17日(日)
新城教会牧師 滝元開
詩篇126篇

『主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなされた。」主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。主よ。ネゲブの流れのように、私たちの繁栄を元どおりにしてください。涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。』

 ハレルヤ!感謝します。この礼拝においてみことばを取り次ぐ機会が与えられたことを本当に心から感謝します。皆さまの祈りに支えられてこうして健康であることを心から感謝しています。
 ネット礼拝、そして在宅勤務のネット生活に変わっていろんなことが大きく変えられているような、そんな気がしています。ネット礼拝の祝福についても語られていますが、逆の大きな戦いも大きく感じております。
 普段は人を見ながら、その場の空気を見ながら、引いたり押したり、あっち行ったりこっち行ったりするのですが、ネットでは空気が読めません。しかも結構修正がきかないというか、やるからにはやる!という感じなので、準備も普段よりちょっと時間がかかっています。そして集会もそんなに長くはないのですが、どういうわけか、すごく消耗します。「あんた好きで歌っているだけだろ。」と思われるかもしれないですが、なんか不思議なのです。今までと違うのです。これは主が扉を開いて新しい戦いへと、今私たちを導いておられるのかなと、なんだか肌ですごく感じている今日この頃です。

 実は三月の末に、こういった今の流れになりはじめて、ザワメキの働きも軒並みキャンセルになっていきました。ですから、四月も五月もキャンセルということで、キャンセルだ!と思って、ちょっとだけほっとしたところがなかったわけではありませんでした。やっとゆっくりできるなと少しだけ思ってしまいました。
 それでちょうど火曜日がお休みなものですから、庭で薪割りをしてまったりして鳥の声を聞きながら、すごく楽しく薪をパカーンッ!と割っていました。
 そうしたら一本の電話が入りました。誰からかなと思ったら平岡修治先生でした。平岡先生から私に直々に電話があるなんてことはそうないことなのです。だから、これは何かやらかしちゃったかな?と思いながら電話に出ました。すると、「おい、開。元気か?」とか言って、「ミッションの集会も全部なくなるぞ!」とか言って、先生も「だいたい数えたら四十本くらい消えた。これは大変なことだぞ。」とおっしゃって、「大変ですね。」と言いながら、でもまぁちょっとゆっくりできるから、今までずっとクレイジーと言われるくらいうろうろし続けていたので、やっと家にいられるな、家にいられることってこんなに幸せなんだと感じていた時のその電話でした。
 そして先生が何とおっしゃったかというと、「でもな、賛美だけは止めないように」と言われました。「どういった形でもいいから賛美は続けなさい。」とおっしゃって、それで私の最も得意でない分野なのですが、インターネットで賛美を配信させていただくという、ザワメキワーシップシャウトを毎週させていただくようになりました。先ほど言ったように目の前に人がいないので表情も分からないし、空気も読めないし、調整きかないし、そして見えない領域への戦い、いや〜これは本当に新しい戦いだなと思いました。

 みことばの中にこんなみことばがありますね。イザヤ書四十一章三節、

『彼は彼らを追い、まだ歩いて行ったことのない道を安全に通って行く。』

 これはよくリバイバルの時に語られるみことばで、「リバイバルの働きというのは誰も通ったことのない道を安全に通っていくからわたしについて来なさいよ。」と主は私たちに語ってくださるみことばだなと思うのですが、主がこれからしようとされていることは、私たちの祈りに答えてくださって、大リバイバルの計画を主は進めていかれるのではないかなと思います。
 でもやっぱり誰も想像もしなかったような道へと私たちは今、もうすでに突入しているんだと思います。AC、BCと言われていますが、コロナ前とコロナ後が大きくいろんな意味で変わると思うのですが、それと同時に、ただ経済活動や私たちの生活様式だけではなくて、霊的な領域において、特にリバイバルというものを託された私たちこの教会をはじめ、今日もインターネットで礼拝してくださっているすべての方々、特にリバイバルを目指して、ここまで戦ってきた皆さんお一人お一人にイエスさまは新しい領域に、「さぁこれから行くぞ!」とおっしゃっておられるのではないかと思います。
 今、すごく収束ムードが日本には漂っていて、なんかこのまま何もなくなるような、そんな空気さえ漂っていますが、決してそうではないのではないかと思っています。世界の感染者状況が日々変わるのですが、日本では四十とか五十の一日の感染者数になっていますが、世界を見ると、今日五月十七日の一日の感染者数九万人くらいになっています。

002.jpg

 こんな表がありますが、九万人近く、決して収束の方向には行っていないのです。しかも今広がっているのが、第三世界の貧しい地域だったりするので、これからどうなるかな、日本はこのまま、ひょっとしてもうすぐすべて解禁になって元の生活に戻れるぞと思って方が多いようですが、決してそうじゃないような領域にもうすでに私たちは足を踏み込んでいるのかなと思います。
 でもそんな中でイエスさまはまだ誰も通ったことのない道を安全に通っていくと書かれていますので、必ず安全に導かれると信じて、そして主ご自身に従っていきたいと思っております。

 少しだけご報告させていただきたいと思うのですが、前回、私がこの礼拝でメッセージをさせていただいたのは、三月二十二日だったのですが、その時の一つの報告が、「インドツアーなくなりました。」という報告でした。インド、行かなくて良かったなとつくづく思っていますが、でもその時はまだ五月末のハワイツアーは、まだその時点では生きていました。でもどうなるか分からないけれども、主のみこころがなるように、ハワイの冬木先生とも何度もお話をしながらハワイも本当に大変な状況だと言うのです。先生もよく一人でビーチに行ってお祈りしたり、いろんな所でお祈りしてくださって、そしてまた新城教会の礼拝は、「開、いつも見てるよ。」と、そうおっしゃるのです。だから今日も見ておられるのかもしれないですが。見ていたら、「冬木先生!」個人的ですが挨拶しておきますが、本当にいつも支えてくださっています。「なんとか来られるんだったら来てよ。こっちはなんとでもするから。」と、そう言ってくださっていたのですが、結局、飛行機も飛ばない状況になってしまいまして、実は来週の金曜日からハワイツアーの予定だったのですが、見事にキャンセルになりました。「このビジョンは変わらないので、また必ずまたお伺いします。」とお伝えしてありますので、また祈って主の時に行くことができればと思っています。

 そしてもう一つ。ご報告というか、感謝ですが、もう何度も語られて報告されていることですが、ザワメキ十三のCDができあがったことを本当に心から感謝しています。

001.jpg

 皆さんの祈りの結集で、このCDがこのタイミングで与えられたなと本当に思っています。「Oh! Jesus is Wonderful!」今日、礼拝では初めて歌わせていただきましたが、この暗闇のまっただ中で何を歌うか。それは、主が私たちに求めておられるのは、「Oh! Jesus is Wonderful!」という、「これを叫びなさい!」とイエスさまはおっしゃっておられるのではないかと思います。
 リリースに至るまでにはいろんな事がありました。三月二十二日がメッセージで、「明日から東京に行って最後の作業をします。」と、そんなお話をしました。二十三日、東京での最後の働きが終わって帰って来たら、愛知県の知事が何と言ったかといったら、移動自粛要請というのを出して、「東京には行かないでください。」と言われました。ぎりぎりセーフでした。
 そしてその後も、何度もいろんなことがありました。四月の中旬にはリリースされるかなと思っていたら、やっとリリースされたのが五月一日でしたが、すべてを支配しておられるイエスさまがここまで導いてくださったことを心から感謝します。まさしく「Oh! Jesus is Wonderful!」イエスさまってすばらしいな!と本当に思っています。

 この歌が与えられたのは、昨年の十月のことなのです。昨年の十一月にロサンゼルスでレコーディングをしましたが、その一ヶ月ちょっと前でした。その時点では、もうすでにどこでどのようなレコーディングをするか、どのミュージシャンに協力していただくかということも固められて、そしていろんな準備をしていました。当然のように選曲もして、さぁこれでどうしようかというふうに思っている時でした。
 ちょうど私はその日は、娘がカンボジアから帰って来る日で、早朝の便だったので、朝早く娘を迎えに行きました。高速道路を使ってセントレアまで迎えに行きました。そして迎えに行っている途中に突然この歌が降って来ました。「Oh! Jesus is Wonderful!」「あぁ!主イエスはすばらしい!」まずは、その後半部分から聞こえてきました。
 その時にすごく不思議だったのですが、「あぁ!主イエスはすばらしい!」「Oh! Jesus is Wonderful!」その言葉だけだったのですが涙が出るのです。イエスさまってすばらしい!本当にイエスさまのすばらしさというのは、理屈ではないと思います。言葉ではないというか、「なになにだからイエスさまはすばらしい」ではなくて、イエスさまはイエスさまだからすばらしい。イエスさまってすごいな!って、そんな感動と共にいただいた賛美でした。
 その賛美が今日のみことばのタイトルになっていますが、詩篇百二十六篇からのみことばからの賛美で、「夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされた。本当に涙に暮れたようなそのような中で、イエスさまご自身が大いなることをなされた。いや〜イエスさまってすばらしい!」というふうに書かれていますので、私たち、このイエスさまのすばらしさをこれから味わうと同時に、そのすばらしさをお伝えするものでありたいと思います。 

 私たち一人一人はイエスさまと共に歩んで、イエスさまに礼拝して、イエスさまのすばらしさを体感していくとき、言葉以上にイエスさまのすばらしさって溢れていくのではないかと思います。ですからそれぞれお一人お一人の存在そのものがイエスさまのすばらしさを溢れさせる、そんな存在である時に、イエスさまのすばらしさがもっとこの地に満ち溢れ、イエスさまのみわざが起こされていくのではないかと、そんなふうに思っております。

 詩篇百二十六篇一節からもう一度、お読みしたいと思います。一節〜二節、

『主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。』

 そう書かれています。私たちは夢を見ている者のようで、口は笑いで満たされて、そして口はまた喜びの叫びで「ハレルヤ!イエスさま、あなたはすばらしい!」という、その叫びで満たされるというのがこのみことばなのです。

 そして続いて書かれているみことばが、

『そのとき、国々の間で、人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなされた。」主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。』

 イエスさまご自身が大いなることをしてくださるお方で、それゆえに喜ぶわけですが、でもすでに主は私たち一人一人に尊い救いを与えてくださって、すばらしい祝福を与えてくださっているので、そのイエスさまのすばらしさの中に歩んでいきたいなと思っています。

 最近多くの人たちとなかなかお会いできないそのような状況の中にありますが、この六節を見ると、

『種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。』

と書かれています。いつかはまた喜び叫びながら帰って来る時が来るのです。今日の礼拝、この会堂では少人数でなされていますが、それぞれ今ご家庭で礼拝をしていて、「さぁいつ帰れるんだ。いつ帰れるんだ。」もう帰れるかなと思ったら五月三十一日までということで、その後のことも教会のほうでいろいろと計画していますが、その時は神さまの祝福をみんなで束のようにかかえてここに来ることができればなと思います。

 毎週、家庭集会もオンライン上でさせていただいていますが、家庭集会をしていても、子どもたちを見ると特に子どもたちが大きく成長しているなと本当に思います。いつも抱っこされている赤ちゃんが、いつの間にか座っているのです。今までは座ることもできずに、首も座っていなかったような子がソファに座って家庭集会を出ているその姿を見て、イエスさまやっぱりすごいなと、成長ってすごいなと思いました。マルコの福音書四章二十六節〜二十九節、

『また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」』

と書かれています。
 神の国、リバイバル、どのような形で来るか分からないけど、そうこうしているうちに実がなっているのです。ですからこの自粛時間の中にも神さまのすばらしいご計画が現されているのではないかと思います。

 またこの百二十六篇のほうに戻ってきたいと思いますが、四節、

『主よ。ネゲブの流れのように、私たちの捕らわれ人を帰らせてください。』

と書かれています。主ご自身がなしてくださる「Oh! Jesus is Wonderful!」という、そのすばらしい主のわざというのが、ネゲブの流れのように来るというのです。
 これはもうお聞きになったことがあるかと思いますが、ネゲブの流れというのは、イスラエルのネゲブ地方である砂漠地帯に起こる現象のことなのです。砂漠で水のないような場所でも、エルサレムや標高の高い山の上のほうで、雨が激しく降ると、その雨が突然、海抜の低い死海の砂漠地帯に向かって流れてくのです。ネゲブ地域に向かって流れるのです。それは鉄砲水なのです。がーっと流れて、突然の大濁流が死海めがけて押し寄せていくわけですが、リバイバルというのはそのようなものだとよく語られています。

 使徒の働き二章二節に、とても有名なみことばがあります。

『すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。』

 「すると突然、」リバイバル、主の働きというのは、すると突然なのです。ですから私たちはそのことを信じて希望を持って、この今の苦しみの時、に主が新しい領域の新しい戦いに導いてくださっているんだったら、そこでやっぱり新しい力をいただかなければいけないと思います。「すると突然、」の主の祝福をいただかなかったらいけないと思います。
 奥山実先生という先生がいらっしゃいますが、先生はかつてインドネシアでリバイバルを体験されたお方です。そしてあの先生が言っていた言葉、私は忘れられないのですが、私と家内と、父がまだ生きている時ですね、父と一緒に栃木に奉仕に行ったことがあります。
 それで私たちは賛美して、父はメッセンジャーでした。そこに奥山先生が来てくださっていて、賛美を聞いてくださっていました。父と奥山先生の二人がまるで小学生のようににこにこして一番前で聞いてくださるのです。そして家内が証ししました。「こうです。こうです。」と証しすると、二人とも、「ほぉ。ほぉ。」と本当ににこにこして聞いてくださるのです。
 それで集会と集会の間でした。私はいろいろと準備をしつつ、リバイバルの働きの話しになって、そうしたら奥山先生が一言こう言いました。「あのね。リバイバルはね、『すると突然』なんだよ。」と言うのです。私は準備していたのですが、向き直って、「先生、本当に『すると突然』ですか?じわじわ来るんじゃないんですか?」と聞くと、「いや、違う。『すると突然』だ。」と、そうおっしゃいました。その時の写真があったのでお見せします。

007.jpg

 これは父と奥山実先生のツーショットです。もう実現しないツーショットですが、この二人がいろいろと話している中で言われた言葉が「すると突然」のリバイバルについて語られました。

 「ステイホーム」というのは、聖霊さまを待ち望んだエルサレムの二階座敷のようなものだと、ある先生がそんな話をしていました。「だから今こそ聖霊の力を待ち望もう。」と。私たち本当に主ご自身の訪れ、鉄砲水のような主のわざが来るということを信じて、期待して、そしてイエスさまを求めていきたいと思います。

 ザワメキ十三の中に、今日も歌いました「歌え賛美は山を越える」という歌がありますが、本当に賛美の中で神さまは新しいことをしてくださると私たちは信じていますが、これから新しい主のみわざが始まっていくのではないかなとすごく思います。
 今から三年ほど前に、カンボジアに行ってザワメキの賛美をしたことがあります。その時の写真をちょっと探したのですが、今在宅なので、私のiPadに写真がなくて、こんな写真しかなかったのですが。

004.jpg

 バスが壊れていて修理中の写真です。カンボジアの一つの孤児院の子どもたちと一緒に海に向かって行きました。

005.jpg

これは何しに行ったかといったら、彼らの霊的成長のためのキャンプと共に、そして二十五名ほどいたと思うのですが、その内の半数以上がバプテスマを受けました。

006.jpg

本当に祝福されて、彼らと一緒に賛美をし、礼拝をし、彼らはザワメキを一生懸命、カンボジアの言葉、クメール語で歌ってくれるのです。「息よ四方から」とかもクメール語で、本当に熱いのです。
 そしてまだクメール語になっていない「勝利の宣言」とかを歌うと、意味分かっているのかどうなのか分からないのですが、燃えるのです。「天と地を!」とすごく燃えて歌ってくれて、そして彼らと楽しい時を持ったのですが、海に行ってバプテスマでした。本当に恵まれました。いや〜、なんか賛美が山を越えて海を越えて主の祝福が覆っているなと。
 ちょうどこの時、もちろんCD化はされていなかったのですが、このバスの中でこの歌を歌おう!と言って、日本語だったのですが歌ったら、彼らすぐに覚えて、「歌え賛美は♪」と、彼らが歌ってくれました。それでずっと歌って、「山を越える♪…海を越える♪」本当に山を越えて、海を越えて、なんか神さまの祝福がそこに溢れているなと、すごく強く感じた、そんな時でした。

 カンボジアは、国の土台そのものが過去の時代に痛めつけられて、国そのものが大ダメージを受けているような、そんな国ですけれども、なんか彼らがバプテスマを受けて、本当に嬉しそうに目をきらきらさせている姿を見た時に、いや〜この国に希望あるな!と、すごく思いました。
 ですから私たちも、聖霊さまご自身の新しい風が、うわー!っと吹き始めた時に、新しいことが起こされていきますので、そのことを信じて主の働きに励んでいきたいと心から願います。

 今から八年前になりますが、二〇一一年三月十一日にこの日本では大変なことがありました。大震災と大津波です。私たちザワメキはちょうどその時にロサンゼルスでザワメキ十一のレコーディングで本当に涙と共にザワメキのCDを制作させていただきました。世界一流のミュージシャンたちが、「こういった時だからこそ、音楽に力があるからレコーディングしよう!」と言ってくださってできあがったCDでした。
 そのCDのレコーディングを終えて、二〇一一年三月十四日頃だったと思いますが、日本に帰って来ました。そして帰って来て、成田空港に到着する寸前に、一つのみことばが私に響いてきました。それがネヘミヤ記八章十節(新改訳2017)、

『さらに、彼は彼らに言った。「行って、ごちそうを食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった人には食べ物を贈りなさい。今日は、私たちの主にとって聖なる日である。悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」』

 日本が大変な状況の中で、主から聞こえてきたみことばが、「悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」と言うのです。
 私たち、今の現状も、世界に蔓延しているこの新型コロナウイルスの状況を見ると、悲観的にならざるを得ないような、そんな状況で、出口が見えないし、これからどうなるか分からないし、もう駄目だ!もうどうしよう!というような世界の動きになってもおかしくないのですが、でもイエスさまは今も同じように、「悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だ。今こそ主を賛美しなさい。」とおっしゃっておられる時なのかなと、そのように本当にすごく強く感じます。
 ですから私たち、このような時こそ、主への賛美を溢れさせていただいて、主の勝利を手にしていきたいと心から思います。

 同じネヘミヤ記のみことばを、もう一度お読みさせていただきたいと思いますが、二章十七節〜十八節(新改訳2017)、

『私は彼らに言った。「私たちが直面している困難は見てのとおりだ。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままだ。さあ、エルサレムの城壁を築き直し、もうこれ以上、屈辱を受けないようにしよう。」そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また王が言ったことばを彼らに告げた。すると彼らは「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この良い仕事に着手した。』

 エルサレムが陥落した後、火で焼き崩されて、しかし、やがて神殿の再建から城壁の再建というふうに進んでいくわけですが、直面している状況は困難で見ての通りの大変な状況だけれども、「さぁもう一度再建に取りかかろう!」と、この時にネヘミヤたちはそう言いました。
 ある意味、リバイバルというのは、建て直すための働きであるわけですが、私たちの人生そのものが崩れちゃったから建て直すという以上、それではなくて、よりも、神さまご自身の栄光を傷つけた悪霊の存在、サタンの存在があるので、そこから主の栄光を奪回して建て直す。そして神の国の訪れをこの地にもたらすというのがリバイバルの働きですので、そのために主にあって励んでいきたいと心から思います。

 最近よく順先生が語ってくださっているみことばの第一ペテロ五章八節〜十節のみことばがありますが、

『身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。』

 本当に今の戦いがこの『しばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。』と書かれていますが、特に先週もこのみことばが開かれた中で、すごく心に響いたみことばがこの九節のみことばでした。

『堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。』

 私たちは悪魔に立ち向かわなければいけないことが語られていますが、「堅く信仰に立て!」と言うのです。堅く信仰に立つか立たないか。なんとなく戦う、なんとなく戦わない、誰かが戦っていて戦うのを誰かに任すのではなくて主ご自身がこの終わりの時代の終わりの時の戦いのためには私たち一人一人、やっぱり今回のことでそれぞれのご家庭が主の宮になり始めていると思います。そしてそこでの戦いがこの地にリバイバルをもたらすものなので、本当に戦い続けていきたいと思います。第一コリント十六章十三節、

『目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。』

と書かれています。新改訳2017版ですと、

『目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。雄々しく、強くありなさい。』

とありますが、目を覚まして、今の時をどのような時かということを主にあって悟らせていただいて、堅く信仰に立って戦い続けていく時に主の大きな勝利が現されていくと信じています。

 今日も「西へ東へ」という歌を歌いましたが、「西へ東へ北へ南へ♪」と歌いますが、普通「東西南北」と言うじゃないですか。だから「東へ西へ南へ北へ」と歌ってもおかしくないのかなと思わないでもないと思った人がいるのかもしれないのですが、創世記二十八章には「西へ東へ北へ南へ」とちゃんと書かれているんですね。ちょっとそのみことばをお読みしたいと思います。創世記二十八章十四、十五節、

『あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。』

 アブラハムに対して語られたことばですが、西へ東へ北へ南へと進みなさいと主が言いました。その時、アブラハムはそのことばに従いました。アブラハムってすごいなと思うのですが、ヘブル書十一章八節、

『信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。』

 どこに行くのかを知らないで、でもイエスさまが行けと言ったので行ったと。どこに行って何をするのかは、まだその時には示されていなかったのですが、でもやっぱり神さまご自身が行けというところで行って、その働きをするということがすごく大切な時に今来ていますので、その戦いを戦い抜く者であり続けていきたいと心から願っております。

 今日は歌った賛美の中からのみことばを少しずつ拾っておりますが、もう一つ、エゼキエル書二十一章九節、十五節、十六節、

『人の子よ。預言して言え。主はこう仰せられると言え。剣、一振りの剣が研がれ、みがかれている。』
『彼らの心が震えおののくように、彼らのすべての門に、つまずきをふやせ。ああ、わたしは剣の先をいなずまのようにして、虐殺のためにみがきをかける。あなたの顔の向くところ、右に向け、左に向けて切りまくれ。』

 これが「一振りの剣」のみことばです。すごく激しいみことばなんですが、レコーディングの時に日本語で私たちは歌うので、ミュージシャンたちはそれをどんな意味で歌われているのかということは分からないのです。だからあえて全ての曲を英語に訳して翻訳したものを皆さんにもお配りして、「今からの歌はこんな歌ですよ。」と、そんなふうにお伝えして歌いました。
 そしてその時に、この「一振りの剣」、「この曲は家内が歌います。」『おぉ、分かった。』と言ってくれて、そもそもこの賛美が与えられたのは、二〇一七年の「風に助けられて」のレコーディング中に家内が与えられました。真夜中、安い宿に泊まっていて、そうしたら家内が真夜中にいなくなりました。どこに行ったかなと思ったら、バスルームにいました。そして何をしていたかというと、携帯を持ち出して、「一振りの剣 磨かれ♪」と録音していました。その時に与えられた賛美です。

008.jpg

 この曲のレコーディングメンバー、この人たちに英語の文章を読んでもらったら、彼らがすごく喜びました。「一振りの剣!敵の力打ち破る!おぉ〜すごい!」と言うのです。「Praise the Lord!そういうことなら今からレコーディングするぞ!」と、レコーディングブースの中に入って行って、あのすさまじいレコーディングがなされました。本当に今回のレコーディング、彼らが主からのみことばを受け取って、そして一緒に戦ってくださってできた働きだなと思うのですが、まさしくダビデの三勇士みたいな存在だなと彼らを見るといつも思います。戦って戦って戦い抜いて、「敵の力を打ち砕くぞ!」と言って打ち砕ききってくれるメンバーだなとすごく思っています。

 第二サムエル記二十三章十節に、ダビデの三勇士のことが書かれています。

『彼は立ち上がり、自分の手が疲れて、手が剣について離れなくなるまでペリシテ人を打ち殺した。主はその日、大勝利をもたらされ、兵士たちが彼のところに引き返して来たのは、ただ、はぎ取るためであった。』

 これは三勇士のうちのたった一人ですよ。一人がそのペリシテ人の陣営に入って行って、そしてその剣で戦って勝利したというみことばです。しかも疲れて『手が剣について離れなくなるほどに』、もう戦って戦って戦って、手が剣から離れないほどまでも戦って勝利したという、イエスさまは今「諦めずに戦いなさい!」とおっしゃっておられるのかなと思います。

 今ザワメキワーシップシャウト、ライブ配信させていただくようになって、いろんな牧師先生とお話しさせていただく機会がありました。そしてある一人の牧師先生とお話をしたら、その女性の牧師婦人でしたが、すごく喜んでいるのです。「この時は、明先生が叫んでいると思うのよね!」とおっしゃるのです。「何と叫んでいるんですか?」と聞くと、「『今だ!今だ!』と叫んでいる。私そう思う!」とおっしゃるのです。「何がですか?」と聞くと、「リバイバルは今だ!この機会だから戦え!」と言っていると、その先生はおっしゃっていましたが、本当に戦い抜くことの大切さというのを主は今語ってくださっているように、すごく強く感じております。

 今日賛美した賛美の中でもう一つの賛美がありましたが、第一テサロニケ五章十六節〜十八節、

『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。』

 私たちは本当に主の勝利を勝ち取るために、「Oh! Jesus is Wonderful!」すばらしいイエスさまを喜んで、そのすばらしさをほめたたえていく時に、そのすばらしいイエスさまがもっともっと溢れてくださると、そのことを信じて、いつも喜び、絶えず祈り、すべての事について感謝する、そんな者でありたいと思います。
 これが私たちに神さまが望んでおられることなので、その歩みをしたいと思います。ただそのみことば、だいたいいつも十六〜十八で終わるのですが、今日は十九節以降の所も見ていきたいと思います。十九節には、

『御霊を消してはなりません。』

とあります。聖霊さまを消してはいけません。私たちの内にいつも聖霊さまがいてくださらなかったらいけないのですが、先週は母の日で、祖母ロイスとユニケに宿った信仰ということが書かれていましたが、それに続くみことばが第二テモテ一章六節、

『それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。』

 私たちの信仰、それぞれ、いろんな所から受け継がれてきていますが、でもそれぞれに与えられている私たちの賜物というのがあるので、この時にこのステイホームでもう疲れた〜大変だ〜と、なんかステイホームのコロナ鬱というのが今あるらしくて、元気な牧師先生もいるのですが、「なんとか鬱にならずに頑張っています。」という先生が結構多いのです。O先生は「そんなのおるか?」と笑っておられますが、本当にいらっしゃるのです。やっぱり日本の牧師先生、まじめなので、O先生がまじめじゃないと言っているわけではなくてですね、本当にまじめに、私も結構自分ってまじめだなと思いました。
 今、在宅勤務じゃないですか。在宅だから在宅するのです。それで朝、食事終わったら、「それじゃ行ってきます。」と二階に行くのです。二階に行ってずっと、いろんな仕事をして、時間ぎりぎりまでやって、普通、教会で仕事をしていたら、郵便屋さんが来た、あっちだこっちだとうろうろするので動くのですが、動かないのです。お尻が痛くなるのです。トイレって言ったてすぐそこですからね。だからもうなんか歩く歩数が一日二百歩くらいじゃないかなと思うような、そんな中であるのですが、やっぱり牧師先生方、それぞれ、本当に苦しんで頑張っておられるのですが、やっぱりこのような時に主が、「按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせなさい!」と、おっしゃっておられるのかなと、そんなふうに強く思いますので、私たち、もう一度、主からの新しい油注ぎをいただかなければいけないと思います。

 また第一テサロニケに戻りますが、二十節にこんなみことばがあります。

『預言をないがしろにしてはいけません。』

 このみことばに続きます。ここをスルーされる教会もあるみたいですが、神さまが語ってくださる預言のことばがあります。それで特別、預言の賜物を持った人が「あなたはこうですよ。」と語ってくださる時もあるのですが、そうではなくて、何よりも神さまからの約束のみことばを、主が「あなたに与えた!」というみことばというのを、やっぱりしっかり握りしめることってすごく大切かなと思います。

 私、この人生の中でイエスさまがくださったみことばが幾つかあるのですが、二十代の時にこのみことばをいただきました。申命記三十三章十二節、

『ベニヤミンについて言った。「主に愛されている者。彼は安らかに、主のそばに住まい、主はいつまでも彼をかばう。彼が主の肩の間に住むかのように。」』

 このみことばが与えられました。これやっぱり私にとっての一生支えになっているみことばの一つで、これはどういった形で与えられたかというと、二十代の頃に早天祈祷会があって、この会堂で祈っていました。会堂二階にコントロールルームというのがあるのですが、その当時、そこには電話機がありました。
 朝早くでした。電話が鳴りました。だから私はたまたま電話に出ました。そして電話に出たら、電話の向こうは誰だったかというと、アメリカの綾子さんという、順先生と飛行機の中で劇的な出会いをされたあの先生、あの綾子先生からの電話でした。
 綾子先生だったので、「あぁ!綾子先生!おはようございます!」向こうは「こんちには」だったのですが、順先生に代わるのかなと思ったら、「もしもし、誰ですか。」と言うので、「私、滝元開と言います。」と言うと、「あ、開さん。ちょうど良かったわ。あなたにことばがあって電話したの。」と言うのです。すごいでしょう。たまたまそこにいた時に電話があって、取ったら向こうは向こうで海の向こうから開にことばがあるから電話したと言って、それで電話で取ったのです。「あのね、あなたにことばがあるの。」何かと言ったら、今のみことば、申命記三十三章十二節、

『主に愛されている者。彼は安らかに、主のそばに住まい、主はいつまでも彼をかばう。彼が主の肩の間に住むかのように。』

 「このみことば、開さん、あなたに主が語ってますよ。そいじゃぁね。ばいばい。」と言って、ガシャッと切ってくださったのです。いや〜、預言のことばっていろんな形で主は語ってくださいますが、イエスさまがくださった預言のことば、すばらしいですね。それぞれに与えられている主からのことばの確信というのを投げ捨ててはいけないと思います。与えられた賜物を燃え立たすと共に、主がくださったこの預言のことば、主からのことばをやっぱり投げ捨てることなく歩んでいかなかったらいけないと思います。

 ただこの第一テサロニケ五章二十一節〜二十二節、

『しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。悪はどんな悪でも避けなさい。』

と書かれていますので、主にあっての見極めをしていかなかったらいけないのです。最後になってきましたが、とても有名なみことばで、第二歴代誌二十章にユダの王ヨシャパテとアモン人、モアブ人、セイル山の人々が戦ったみことばが書かれています。そこのみことばを少しだけお読みしたいと思いますが、第二歴代誌二十章二十節、

『こうして、彼らは翌朝早く、テコアの荒野へ出陣した。出陣のとき、ヨシャパテは立ち上がって言った。「ユダおよびエルサレムの住民よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたの神、主を信じ、忠誠を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい。」』

と書かれています。
 ここは「預言者を信じ、」と書かれているのですが、一人の預言者が「この戦いは主の戦いで主ご自身が戦ってくださるからあなたは戦いなさい!」と言いました。その預言者のことばを信じて、そして戦いに出て賛美して勝利したというみことばがこのみことばなのですが、私たち、本当にこのみことば通りに、やっぱり主ご自身がくださる約束というものを、しっかり、それぞれに与えてくださっていることばというものが、既に与えてくださっているので、主の約束のみことばをしっかりと握りしめて戦い続けていきたいと心から願っています。

 今日は詩篇百二十六篇のみことばから、そしていろんなみことばを紐解かせていただきましたけれども、主がくださるものは、「Oh! Jesus is Wonderful!」本当に私たちが信じられないほどの大きな祝福を用意してくださっているということをもう一度信じて、そして私たちの口が笑いで満たされて、喜びで満たされる日がもう来ていることを信じて、今苦しみの中にある方もいらっしゃるかもしれないですけど、その中でイエスさまを賛美して、主に忠誠を尽くして前進し続けていくことができればと心から願っています。それでは一言お祈りします。

 ハレルヤ。愛する天のお父さま。あなたのすばらしいみ名をあがめて心から感謝します。主が今日もこうして私たちをこの場所に、それぞれのご家庭に集めてくださって、あなたに礼拝をおささげする、このような恵みの時を主が与えてくださったことを本当に心から感謝します。主は昔も今も変わることなく、私たちを愛してくださって、言葉にならないほどの愛を持って私たちを包んでくださっていることを感謝します。
 「Oh! Jesus is Wonderful!」「あぁ、主イエスはすばらしい!」と、そのすばらしいイエスさまをもう一度心からほめたたえて賛美します。私たちはこんなにも愛されて、生かされていることを覚えて、こうしてもう一度私たちは新たなる思いを持ってすべてあなたにおささげしますから、主よ、この時にもう一度新しい油注ぎを与えてください。消えている火をもう一度、燃え上がらせてくださいますように。もう一度新しい油で満たしてくださいますように。主の約束をもう一度握りしめて立ちあがることができるように助けてください。
 あなたは必ず涙と共に種を蒔いた時に喜び叫びながら刈り取る祝福を与えてくださることを感謝します。種入れを抱え、泣きながら出ていく者が束をかかえて喜び叫びながら帰って来ることを今信じて心から感謝します。
 そして私たちに与えられたこの恵みを通して、国々の間で人々が、「主は彼らのために大いなることをなされた!」と、そのような叫びが全世界に起こることを信じて心から感謝します。
 今日のこの時を心から感謝し、今すべての栄光を主にお返しして、尊きイエス・キリストのみ名によってこの祈りを父なる神さまのみ前におささげいたします。アーメン!