「宣教70周年-2020
明日に向かって「将来と希望 パート10」
~人って一体、何者?~

2020年8月9日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
詩編8編

『私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。すべて、羊も牛も、また、野の獣も、空の鳥、海の魚、海路を通うものも。私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。』

 ハレルヤ!皆さん、おはようございます。素晴らしいピアノ演奏を聴かせていただきましたが、主を賛美することは私たちの特権です。
 新型コロナウイルスの影響で、世界は試練の中にありますが、私たちは希望を持って前進したいと思います。
 そもそもウイルスとは、宿主の人間がいなかったら、自分も生きていけない存在です。人間を殺していたら、自分たちも死ななければいけないわけです。ですから、やがて人間と和解する日がくるはずです。私たちは聖書が告げているように、被造物との和解をしっかり心に留めて祈る必要があると思います。
 今日はシリーズでお話しさせていただいております、「明日に向かって、将来と希望」というテーマの中で、「人って一体、何者?」というサブ・テーマでお話しさせていただきます。これは今までの復習的なところもあるのですが、これらをしっかりと心に留めることは、大変重要ではないかと感じています。

 人って不思議な存在だと思いませんか?人は赤ちゃんから始まるのですが、四つん這いから二足歩行が出来るようになって、やがて三足歩行になり、人生を終えていく存在です。
 先週は、私の六十九回目の誕生日でした。ついに六十九歳にもなってしまいました。それで東京の孫たちから誕生プレゼントをもらいました。今日は、それを着ているのですが、六十九年間、あっという間でした。東郷中学校に通っていた頃の自分と、今の自分が全く変わらないのに気づいて、ちょっとがっかりします。人間って、あんまり成長しないものだなと思います。私だけかもしれませんが・・。
 一方、人間は、万物の王者として君臨しているわけで、相当、神さまから期待されて創造されたのではないかと思うわけです。

 今の時代、神を否定できない時代となりました。なぜならば、人間の設計図であるDNA配列が発見され、解読されたからです。設計図とは、知的存在が関わらない限り存在しません。
 この会堂は建てられて四十年経ちます。隣の教育館は二十八年経ちました。最近、雨漏りがひどくて、前回の大雨では大変でした。しかし四十年前の設計図がとってありますから、それを引き出して、どこに原因があるのかを検証中です。設計図は自然に出来上がるものではありません。設計者によって図面はできるわけです。
 ましてや人の設計図が存在することは、創造者が存在する事に他なりません。DNAは、たった四つの物質で成り立っています。四つの塩基が組み合わされて、ひとまとまりの情報となり、遺伝子となって人が組み立てられるわけです。これは決して偶然に生まれたのではなく、天地宇宙を創造された神が存在する証拠です。ある人たちにとって、「神」という言葉は宗教的で、あまり好まないようです。しかし一つ言えることは、宇宙の主管者、知的存在が存在することは明らかです。

 人間は特殊な存在であることは事実ですが、DNAレベルで人間を見ると、人が特殊だとは一概には言えません。
 以前にもお話ししたのですが、遺伝子量が最も多い生物は人間ではないのです。私はこれを知ってびっくりしたのですが、なんと「ミジンコ」だそうです。ミジンコは人間よりもずっと遺伝子量が多いというのです。人間の二万三千個に対して、ミジンコは三万一千個も遺伝子を持っているそうです。
 遺伝子とは、神があるものを創造する時に使った、部品の数ですから、人間よりも多くの部品を使って組み立てられた生物がいるということは、人間は特別な存在ではないことになります。神さまはミジンコ・マニアなのかもしれません。ミジンコを最も大切にしているのかもしれないです。「いやいや、そんなことありませんよ!人間は最強生物です!」とある人は言います。
 ある動物園で「最強生物」というコーナーがありまして、「覗いてください。」とあったので覗きました。覗いてみたら、中に鏡があって自分の顔が写っていました。ある意味、人間が世界最強生物のようですが、一般において世界最強生物は何か知っていますか?子どもたちに聞いたら分かると思うのですが、世界最強生物とは、「蚊」だそうです。蚊ほど強力な生物はいないらしいです。小さな生物ですが、運動能力、飛行能力においてはものすごいものがあります。空中でホバリングはするし、人にすごいスピードでアタックするし、血は吸うは、影に隠れるはと、自由自在です。人が他の生物から殺されたのは、蚊によって殺されたのが最も多いと言われます。

 二年前にパプアニューギニアに行きました。何が大変だったかと言ったら、蚊の恐怖です。あの地域はマラリア汚染地帯で、飛んでいる蚊は、ほとんどマラリアの病原菌を持っているわけです。マラリアの予防薬を日本で打っていくと、三万円くらいかかります。私は、生身で行きました。
 しかし行ってびっくりしました。蚊が至る所にぶんぶん飛んでいました。現地の人が怖がっているものはやはり怖いです。私は、べとべとに虫除けローションを塗って行動しましたが、ちょっとでも肌が空いた所に蚊たちはピンポイントで攻撃してきます。それで三箇所刺されました。蚊に刺されたときは血の気が引きました。それで現地で一粒五十円のマラリアの予防薬を買って飲んで、事なきを得ました。いや〜、人間は、世界最強ではありません。

 そうなってきますと、そもそも人間がどういう存在なのか、ますます混乱します。私たちは何のために存在し、生きるのか、まじめに考えると分からなくなります。皆さんにも、それぞれの職業があって、それぞれの生き方をされていると思いますが、究極的に人とは、何のために存在し、生きるのでしょうか。この、すべての人に共通する土台を知らないと、人生は、思わぬ方向に行ってしまう危険性があります。

 しかし聖書は、この重大なテーマの答えを示してくれています。世界で最も読まれている書物。それは断トツ聖書です。ということは、聖書は人類が生きるために必要な情報を、最も多く含んでいることになります。
 日本人はあまり関心がないですが、もっと聖書を読むべきです。高校生の時、ギデオン協会の方々が来られて聖書をもらった思い出があります。でもみんな、あまり読まなくて、クリスチャンである私は、もったいないと思いました。聖書の中には、生きる秘訣が記されています。特に、「人は何のために存在し、何のために生きるのか」という重大なテーマについて教えています。それがどこに書かれているのかというと、先ほど読んでいただいた「詩篇八篇」の中にあります。

 イスラエルの歴史上、最も有名な王様は、「ダビデ」です。彼は今でも英雄です。彼は偉大な王ですが、知的にも、感情的にもたいへん豊かな人物でした。
 彼には一つの疑問がありました。詩篇八篇四節で、

『人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。』

 神はミジンコではなくて、人に関心があるのです。その理由が知りたくて、ダビデは神の前に出て祈りました。その時、神は、二つの理由を教えました。第一番目については、二節に書かれています。

『あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。』
 「人とは何者か」それは、「敵と戦う勇士」だというのです。そう言えば、人類の歴史は、戦いの歴史そのものです。どの時代をとっても、どの民族をとっても、戦いから離れた時代も民族もありません。
 八月十五日は「終戦記念日」ですが、実際は「敗戦記念日」です。日本はアメリカと連合軍に対して立ち向かいましたが、結果として、戦争に負けたのです。先週は豊川に大空襲があった記念の週でした。

 新城教会前の広場を「設楽ケ原」と呼ぶのですが、設楽ケ原は歴史上、大変有名な場所です。ご存じだと思いますが、一五七五年、天正三年七月九日、夏の暑い最中だったのですが、武田勝頼の騎馬軍団と織田信長と徳川家康の連合軍が激突し、数時間の戦争で、織田信長が鉄砲を効果的に使って、一万六千人くらいの兵士が命を落としたと言われます。この辺はたいへん血生臭い場所です。
 教会から一キロくらい離れた所に、最前線があります。戦国絵巻の川は、連吾川です。
 今から六十年くらい前、私の両親がこの地に入って来ました。両親は新城生まれではないので、何も知らずに土地を買おうとしました。「土地を売ってください!」と地主さんに頼んだら、「いいですよ!坪五百円です。」と言いました。坪五百円です!皆さん、坪五百円で買える土地、この辺にありますか?子どもの小遣いで一坪くらい買えそうな値段です。
 でも父は、五百円ではかわいそうに思い、一坪千円で買ってやったと、生涯の自慢でした。しかしそんな私の父の心とは違い、地主さんは五百円でも十分満足だったのです。なぜなら、地元の人にとって、当時、この辺はあまり好まれない土地でした。なぜなら過去に、血が流された土地であったからです。
 日本人って、血が流された場所を好まないですよね?中古住宅でも、「結構、新しくて綺麗だけど値段が安いな?」と思って調べてみると、事故物件だったりするわけです。家で血が流れたとか、自殺があったとかで安くなるわけです。なぜかと言うと、日本人は分かっているのです。科学にもならないし、学問にもならないけれど、血が流された場所は、なんらかの悪い力が働いていることを体験的に知っているからです。
 設楽ケ原の最前線付近を、はっきり言って新城市民は好んでないです。なぜなら、時々、何かが出るんですね。みんな怖がっています。だから毎年、夏になりますと、供養祭が行われます。
 ある時私は、設楽ケ原の供養を中心的に行っている坊さんと、仲良くなりまして、いろいろ話しました。私は彼に、「あなたは死んだ武将たちの霊を供養していると思っているかもしれないけれど、それは違います。人類には目に見えない、敵がいます。」と話しました。「供養すればするほど、敵に餌をあげるようなもので、彼らはパワーアップして反撃して来ますよ。」と話しました。「今年の慰霊祭には、そういうことを意識して行ってください。」そして、坊さんに手を置いて祈ってあげました。
 彼は慰霊祭から帰って来て、こう言うのです。「いや〜、あの場所には何かがいる!」本当にいるのです。
 これらを野放しにしておくと人は危害を受けるのです。様々な問題の背後に、人類の敵である悪魔・悪霊どもの勢力がいます。
 しかし神は、そのような勢力を打ち破る為の存在を創造されました。それが人類です。人類は戦いの戦士です。それは人と戦うのではなく、目に見えない暗闇の勢力と戦う戦士です。

 私たちは聖書を、ランダムに読んでしまい、自分の都合の良い箇所だけを引き出してしまう傾向があります。しかし聖書全体を注意深く読みますと、初めから終わりまで、一貫性のあるテーマを発見できます。創世記で、天地創造が起こる前に「水があった」と記されています。水とは聖書全体から、いろいろな意味があるのですが、一つは「暗闇の勢力」という意味があります。その上に神の霊がうごめき、それらが打ち破られていく「戦いのストーリー」が聖書全体を貫く大きなテーマです。
 新約聖書最後の「ヨハネの黙示録」二十一章で、『もはや海がない。』という記述があります。それは「新しい天と新しい地の創造」と共に起こることですが、イエスの再臨と共に、神の軍隊が敵に打ち勝ったことを意味します。人類とは何のために造られたのか、第一に「霊的な敵と戦い、打ち破るため」に造られたのです。

 そして第二に述べられていることが何かと言いますと、詩篇八篇六節に、

『あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。』

と記されています。人類は、神が造られた被造物を管理する「管理人」として造られたと聖書は告げています。実は、これはたいへん重要な人類の目的です。人は何のために造られたのか、それは「神が造られた被造物全体を管理する管理人として造られた」のです。人は「被造物の世話係」ということです。

 大きな会社になればなるほど、様々な管理部門があって、成り立ちます。管理部門が機能することによって、全体がうまく機能するわけです。被造物の世界も同じです。神は無数の被造物を造られました。どうしてこれほどまで多くのものを造られたのか。本当に神の意思は計りきれません。同時に、人は、神が造られた被造物世界に関して、膨大な情報を持っています。人類と直接関係ないような、宇宙の果てに存在する星屑のデータまで人は欲しがります。それは、人類に被造物を管理する役割があるがゆえの関心事です。人は、神が造られた被造物に対して、無関心ではなく、限りなく関心を持っています。今や人類の長い歴史の中で、最も多くの情報を得た時代であると思われます。それがビックデータとして蓄積されて、有効に使われ、時には悪用されたりもします。なぜそのように人は、あらゆる被造物に対して情報を必要とするのでしょうか。それは人が被造物の管理人である証拠です。そのような視点で聖書を読んでいきますと、大変興味深いものがあります。
 では管理するとは、具体的にはどういうことなのでしょうか?神が、これほど多くの被造物を造られた理由と目的は、結構シンプルです。それは一言でまとめるならば、「神はご自分が創造されたすべての被造物を通して、神を賛美させるオーケストラを編成された。」という事です。
 人は音楽を聴いて豊かになろうとします。そのために人は、音楽を作曲したり演奏します。人には、そのような権利があるわけです。今日も素晴らしいピアノ演奏を聴かせていただきましたが、もちろん主を賛美するためですが、同時に人が楽しむためでもあります。
 神はなぜ、宇宙にある無数の星々から、海の生き物、地のどん底にある物質まで、被造物で満ち溢れた世界を造られたのかと言えば、それらを通して、ご自分を賛美させるオーケストラを編成するためでした。

 近年、物理学の世界が大きく進歩して、昔では分からなかった事柄が知られるようになりました。特に「物質」の根源について解明されています。私たちはいろいろな物質を見ていますが、これらを細分化しますと、例えば水の分子でも、細分化すると、物質の根源は振動する弦のようなものだというのです。ここにギターがありますが、弦を振動させることによって、張り具合で音程が変わります。すべての物質は、振動する弦からできていて、はじくと音の高さが変わるのです。そして、物質の根源のすべては、「音楽に置き換えられる」というのです。
 今や、高次元まで存在することが判明しつつあります。ある物理学者は、「創造主をほめたたえるためのオーケストラを編成するため、物質界を造られた」と語っていました。私はこの考え方に賛成です。

 オーケストラを、お聴きになったことがありますか。私はテレビくらいですが、オーケストラは、それぞれの楽器がそれぞれの音を出して、一つのまとまりのある音となって、聴衆は楽しむことができるのです。
 バランスのとれた素晴らしいオーケストラ音楽を聴くためには、「優れた指揮者」が必要です。指揮者なんて、ただ棒をふっているだけだから、俺だってできるわ!みたいに素人は考えるのですが、そうではないのです。オーケストラは、名指揮者によって音色を変えるのです。指揮者は、すべての楽器の特性をよく知っていて、どのように音を出したら、調和のとれた音として、観客を楽しませることができるか?を熟知しています。優れた指揮者が指揮台に立つことによって、観客は満足するのです。

 神が被造物を造られたのも、まさにこの目的です。神さまはご自身を賛美する、オーケストラを編成されたのですが、そのために優れた指揮者を任命されました。それが誰かと言うと、実は、「私たち人類」です。私たちが被造物オーケストラの指揮者になると、神さまはその音楽に満足されるのです。
 私たちは被造物全体を賛美させて、調和の取れた音を主にお届けする指揮者のような存在として創造されたのです。
 元々、万物は主を賛美する楽器として創造されました。しかし最初にお話ししたように、地球は敵の手に陥っています。指揮者であり、管理人である人類を倒せば神への賛美は止められます。それが悪魔と悪霊どもの目的です。彼らは自分たちに賛美を向けさせて、神への賛美が届かないように、日々働いています。

 ゆえにすべての被造物には、うめきがあります。本来は「主を賛美したい!」と願っている被造物たちが、悪魔を賛美する楽器となっているからです。正しい音を出すことができない楽器になっているのです。その状況に関して、聖書は次のように告げています。ローマ人への手紙八章十九節、

『被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。』

 神が創造された、人間以外の被造物は、「切実な思い」、ギリシャ語では「アポカラドキア」という言葉が使われているのですが、「頭をまっすぐに伸ばして観察すること」という意味が直訳です。すべての被造物は頭をまっすぐに伸ばして、どこに自分を神に向けさせ、賛美させてくれる、管理者なる神の子どもたちがいるのか?そんな強い気持ちで、私たちに期待しているのです。しかしなかなかそこに気づくクリスチャンはいないのです。

 イエス・キリストを信じるとは、どこに目的があるのかというと、「うめいている被造物を解放して、主への賛美に変える管理人となる」ということです。
 日本においては、九十九パーセント以上の人々は賛美していないです。なぜ宣教が必要なのか。伝道が必要なのか。それはまず第一に、人が主をほめたたえるようになり、同時に、人が被造物の管理人として被造物のうめきを解いて、主への賛美に変えるためです。

 日本人が被造世界に対して持っている世界観は、聖書が提示している世界観とは大きく異なっています。一般に「自然」と呼ばれる被造物に対する日本人の世界観では、太い木を見れば礼拝します。しかし木に宿っている命はどこからきたのか?それは、「神が与えた命」なのです。大きな川を見れば大きなエネルギーを感じます。命を感じます。それは誰が与えた命なのかと言えば、天地宇宙を造られた神が与えた命なのです。
 しかし悪魔は間違った世界観を人々に与えています。日本人は、「地球は進化してできた」と考えています。しかしすべての物質に、「緒霊が宿っている」という「アニミズム」と呼ばれる世界観で生きています。
 人々は「自然界には何かが宿っている・・。」と感じるのですが、「物体そのものが神」かのように勘違いしているわけです。
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 昨日も近くの神社の所を通りかかりました。するとこんな木がありました。樹齢何百年も経っているような杉の木だと思うのですが、そこにはしめ縄が張られて、「御神木」と出ていました。日本人は、「木そのものが神だ。」と考え、手を合わせて礼拝します。
 本来、木は、神が創造された被造物です。木の中に宿っている命が神ではなく、神が木に与えた命です。もしも木が神かのように拝まれるならば、木に宿っている命はうめき始めます。「やめてくれよ。俺は神じゃない。天地宇宙を造られた神から与えられた命を宿しているだけだよ!」とうめきます。ですから、私たちクリスチャンは、手で作られた神々を拝むことはしません。
 太い木を見かけたら、そこに宿るのは神が与えた命です。うめきを取り去って、「主をほめたたえ、賛美せよ!」と宣言したらどうでしょう。海や空や雲や山を見たら、それらにも「主を賛美しろ!」と命じたらどうですか?雄大な被造物は喜んで主をほめたたえ始めるはずです。

 この夏は、すべての被造物を賛美させるチャンスだと思います。今、コロナの影響で、排気ガスも減って、被造物世界が息づいています。このような時にこそ、「主をほめたたえ賛美しろ!」と宣言するチャンスなのです。それが、人間の最も大きな使命です。
 詩篇の百四十八篇を、家に帰ったら、じっくり読んでいただきたいと思います。ここではすべての被造物に対して、「主を賛美しろ!主をほめたたえろ!」と命令されています。人間も含めて、すべての生き物に対して、「主を賛美せよ!」命じられています。「無機質な物質じゃないの?」と思える山とか岩とか、そういうものに対しても、主を賛美するように命じられています。
 そんな中、五節と十三節はただの命令形ではなく、「彼らに主の名をほめたたえさせよ。」と使役形で記されています。新改訳二〇一七では、残念ながら全てが命令形になっているのですが、実は、ヘブル語で見ますと、ここには特殊な用法が使われています。それは「ピエル体」と呼ばれる動詞が使われています。私たち人類は、すべての被造物を賛美させる存在です。
 一見、こんなものに命があるのだろうか?と思うような物質でも、すべて神が造られた物質ですから、神とのチャンネルがあるはずです。主を賛美する機能が備わっているのです。そのスイッチをオンにされるためには、管理人である人の命令を必要とします。それが神の定められた法則です。
 すべての被造物は、賛美のスイッチがオンにされる事を首を長くして待ち望んでいます。「私を賛美させてくれ!?」と。日本のすべての被造物は、あなたを待ち望んでいます。日本では「被造物自体が神々」になっていますから、特に、被造物のうめきが強い国だと思われます。しかしそんなただ中で、私たちクリスチャンが、すべての被造物を賛美させるようになったら、すべてが息づいてくるはずです。

 以前にもお話ししましたが、水でも親切な言葉をかけると綺麗な結晶ができるそうです。悪口を言ったりすると結晶にならないというのです。これは事実らしいです。
 私の知っている沖縄の牧師が、米に対して実験をしてみたというのを前にも話しました。米を三つに分けて、別々の部屋に置いて六ヶ月間。一つの米には悪口を言って、真ん中の米には、ただ人間的な感謝。しかし、三番目の米には、神の被造物であることを意識して、「米よ!主をほめたたえろ!主のみ名によって祝福する!」と宣言したそうです。六ヶ月間、試してみたというのです。すると悪口を浴びせた米は黒くなり、感謝を述べた米は、そのままだったそうです。しかし主のみ名によって祝福した米は、光っていたそうです。
 安い米を買って来て、「主の名によって祝福する!君は安い米なんかじゃない。魚沼産のコシヒカリよりも素晴らしい米だ!主をほめたたえ賛美せよ!」と励ましたら、美味しい米になるかもしれませんね。
 なぜなら、すべての被造物は、命を持っているからです。

 私の家内のために祈ってくださり、心からの感謝を申し上げます。「今の段階では、神の奇跡!」としか説明できません。昨年の十月は、「あなたの奧さんの命、後、三ヶ月から四ヶ月くらいです。」と宣告されました。私は家内の残された三ヶ月・四ヶ月の命を、どのように過ごそうかと真剣に悩み、祈りました。それでも、座して死ぬわけにもいかないので、QOLを優先にしながら抗がん剤、それもあまり効かないと言われる飲み薬を選択しました。S1という薬です。強い痛みもあって、オキシコンチンという麻薬も使いはじめました。
 抗がん剤なので飲むのは辛いです。ある日、家内がこの薬たちに、「いつもありがとうね。」と感謝の言葉をかけるようになりました。おもしろいことをするなぁと思いました。「いつも私を支えてくれて、ありがとう。あなたたちも主をほめたたえ、賛美してね。」みたいなことを話しているのです。「何やっているの?」と聞くと、「水だって親切な言葉をかけたら、綺麗な結晶になるって言ってたじゃない?薬だって同じじゃないかな?」と言いました。私はハッとして、薬という物質も。根源においては神が造られた物質ですから、人間に仕えたいと願っているのではないだろうか?と思いました。それで薬たちを「主のみ名によって」祝福し、励まして、最高の力を発揮するように命じてから服用するようになりました。ほとんど効かないと言われる薬に期待して、主のみ名によって祝福しました。そうしたら、癌が小さくなったどころか、消えてしまったのです。
 先週も腫瘍マーカーを計測するために、緊張して病院に行ったのですが、なんと正常値内でした。CTやPETなどで見る限り、癌は見当たらないというのです。これからどうしましょうです。
 現在、手術に関しても大学病院内でいろいろな意見があり、ちょっと保留っぽいところがあります。私は百パーセント薬の作用で良くなったのではなく、主が関わってくださったと信じています。しかし薬が果たした被造物としての役割、人間の管理者としての役割、そして、神の超自然的役割がコラボして、起こされた奇跡であると信じたいです。それならば完璧な仕事ではないかと思います。これからも、きっと、主が導いて下さると信じ、期待しています。

 時々、私と家内は県民の森に行って祈ります。家内は木に向かって、「主を賛美せよ!」と宣言しています。被造物を我々の味方にすれば、被造物も我々のために、とりなし祈ってくれるはずです。木々に向かって、「私と一緒に主を賛美しようね、病気のためにも祈ってね。」と呼びかけるようになりました。
 そんな中で、主が奇跡を行って下さったと思います。神の役割、人間の役割、み使いの役割、そして被造物の役割がはっきりすると、神の栄光につながると信じます。

 詩篇六十九篇三十四節〜三十六節にこんなことばがあります。

『天と地は、主をほめたたえよ。海とその中に動くすべてのものも。まことに神がシオンを救い、ユダの町々を建てられる。こうして彼らはそこに住み、そこを自分たちの所有とする。主のしもべの子孫はその地を受け継ぎ、御名を愛する者たちはそこに住みつこう。』

 最初の部分では、『天と地は、主をほめたたえよ。海とその中に動くすべてのものも。』と呼びかけています。この部分の動詞も詩篇百四十七篇と同じです。英語の聖書だと、“Let heaven and earth praise him,” となっています。「天と地を賛美させよ。」という使役で訳すことができます。「賛美しましょう!」という意味にもとれますが、人間の役割が込められているのです。この動詞もピエル体で、「激しい動作や反復動作によって、人が被造物の所に行って何度も何度も、主を賛美しろ!主を賛美しろ!」と宣言するイメージです。人にはそのような使命があるわけです。その時に何が起こるのか、

『彼らはそこに住み、そこを自分たちの所有とする。主のしもべの子孫はその地を受け継ぎ、御名を愛する者たちはそこに住みつこう。』

 現在、新型コロナの影響で、人類の存続すら危ぶまれている今日この頃です。これから私たちに未来はあるのだろうか?しかし、未来はあるのです。
 私たちクリスチャンが、神が造られた被造物全体に対して「主を賛美せよ!」と、彼らを賛美させ続けるならば、「ユダの町々は建て直される。すべての町々は建て直される」のです。そして「あなたの子孫はそこに住むことができる」
 しかしその条件として、すべての被造物を賛美させてください!と、告げています。
 被造世界は息づいています。今週は外に出て、すべての被造物に賛美を命じてください。また、皆さん自身が主をほめたたえ、賛美することも重要です。私たちと共に、被造物のすべてが賛美し始める時、町々は回復していきます!

 また被造物を覆っている暗闇の力に挑戦しなければいけません。すべての被造物を覆い、賛美できなくしている暗闇の力があります。私たちが勇士として、暗闇の力に対し、「被造物から手を離せ!」と、命令を下すならば、それらは打ち破られて、被造世界は回復し、賛美するようになるのです。これが聖書が告げる人間の存在の目的です。
 人は何のために存在し、何のために生きるのか、この重要なテーマとリンクしています。

 イエス・キリストを信じて、ただ自分だけが救われて天国に行くのではなく、救われた者たちは、被造世界すべてに対して、責任を果たさなければならないのです。
 最後に一言、お祈りさせていただき、メッセージに替えさせていただきます。


 ハレルヤ、天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝をいたします。
 今日、私たちの存在意義と、何のために生きるのかについてお話しさせていただきました。
 今週、主の勇士として用いてください。暗闇の力を打ち破る勇士として用いてください。
 神が造られた被造物すべてが主をほめたたえますように。私たちを、彼らを賛美させる存在として用いてください。
 命をかけて十字架でいのちを回復してくださったイエスさまに、心から感謝をいたします。それを記念とする聖餐式を感謝します。聖餐式の中にある奥義について教えてくださり感謝いたします。お一人お一人が行われる聖餐式を通して、イエスさまと新しい血の契約が結ばれて、すべての被造物が息づき始めますように。
 今から献げます献金と、また経済も祝福してください。
 今週、誕生日を迎えられる兄弟姉妹の上に、豊かな祝福がありますように。尊いイエスさまのみ名によって、祈りを父なる神のみ前におささげいたします。アーメン!