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新城教会ニュース 2018年4・5月

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ザ・メッセージ

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「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」
(新約聖書マタイの福音書6章24節)

 旧約聖書に、バビロニア帝国の大王、ネブカデネザルが見た不思議な夢を、預言者ダニエルが解き明かした記事があります。それは古代から現代までを貫く、壮大な預言でした。

「王さま。あなたは一つの大きな像をご覧になりました。見よ。その像は巨大で、その輝きは常ならず、それがあなたの前に立っていました。その姿は恐ろしいものでした。その像は、頭は純金、胸と両腕とは銀、腹とももとは青銅、すねは鉄、足は一部が鉄、一部が粘土でした。あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。」(ダニエル2・31-35)

 この夢は、歴史において世界を支配する国々と、やがて訪れる世界の終末と、神の国の訪れを預言していました。その預言通り、世界はバビロニア帝国、メド・ペルシャ帝国、ギリシャ帝国、そしてローマ帝国へと進んでいきました。しかし、ローマ帝国以後の歴史を見ると、一帝国による世界支配は次第に薄れ、国々は分裂し、強い国と弱い国が混在するような世界へと変化し、現代は、その様相がさらに強まっています。世界はあたかも、鉄と粘土が混じり合った巨像の足のようです。現代の世界を見ると、経済的メリットさえあれば、歴史、文化、言語、そして宗教さえも越えて、互いに一つになろうとする、グローバル経済圏が数多く出現しています。この3月に参加11か国で署名が行われたTPP(環太平洋パートナーシップ協定)も、まさにその通りです。日本、シンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイ、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシア、カナダ、メキシコの各国は、TPP発効後は国境を越え、歴史的背景や国力を越えて、経済活動においてはさながら一つの国のようになります。現在、世界は、主権国家の枠を超えて、世界共通の価値と制度を形成しようと努力しています。そして、その中核をなすのが「経済」です。グローバル経済が進展した結果、今や世界人口の下位50パーセントの人々の所有している資産と、超富裕層5人が所有している富が同額であると言われます。一人の人物によって世界の富が独り占めされる日も、そう遠くないのかもしれません。世界の暗闇の中心はどこにあるのでしょうか。私は、実体経済の十倍以上のモンスター・マネーが飛び交う「投機マネー」の領域にあると考えています。日本のGDP(国内総生産)はおよそ500兆円と言われますが、世界で最も取引の多いイギリスの金融市場においては、たった2日間で日本のGDPを超えるほどの取引があると言われます。

 現在、世界が最も注目しているマネー市場は、製品を生産し、売り買いする実体経済の中ではなく、架空の巨大マネーが飛び交う、投機の領域にあると言えます。そこで暗躍する、「ヘッジ・ファンド」と呼ばれる巨大な資金を運用するグループは、今やモラルを失った反社会勢力と化しています。市場を乱高下させ、巨額な資金を動かし、世界を混乱させています。それを背後で操っているのが、超富裕層と、黒いマネーに群がる政治家、官僚、マフィア、国々です。世界で起きるテロや紛争・戦争などの大事件を、「経済」を中心軸で見れば、それまで見えなかった全体像が見えてきます。昨年から連続した北朝鮮のミサイル問題と、その後の転回も、経済を中心軸にして見れば、実態が浮き上がってきます。

 さて、このような世界で、私たちは、どのように生きたら良いのでしょうか。イエス様は、「あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」と語られました。「仕える」とは「奴隷」を意味します。私たちが富の奴隷なら、主人である金の奴隷として、一生、金に仕えなければなりません。しかし、それとは逆に、金をあなたの奴隷とするなら、金があなたに仕えるはずです。「神の奴隷」なのか、もしくは「富の奴隷」なのかは、実に大きな差です。日本人は、金の奴隷的傾向が強い国民であると言われます。「日米家計金融資産構成比率」の2017年度版を見ると、両国民の金融資産活用に対する意識には大きな差があることに気づかされます。日本人は、金融資産の51・5パーセントを貯蓄に充てますが、アメリカ人は13・4パーセントしか充てず、逆に52・4パーセントを投資に回します。

 先日、NHKの経済番組で、チェコの経済学者が興味深いことを話していました。それは、「人はどのようにして、金の奴隷になるのか」についてでした。例えば、人が200万円で車を購入する場合、200万円は車を購入する為の手段であり、目的は車を入手することにあります。金とはあくまで、何かを得るための単なる「手段」でしかありません。しかし人が金の奴隷になるのは、「手段と目的が逆転するときである」とその経済学者は話していました。金をより多く手に入れるなら、将来はより安全であると人は考え、金を得ることが目的となり、労働が手段となるのです。経済学者の言うのには、「人は貯蓄によって金の奴隷となる」と結論づけていました。日本人は筋金入りの投資嫌いであると言われます。なぜ日本人は、投資が危険だと思うのか。それは「自分の未来を守ってくれる金が、少なくなる可能性があるから」という理由です。クリスチャンになると、未来に対する信頼が変わります。未来を安定させ、守るのは、金ではなく、イエス・キリストであることに気づくからです。未来を、いつ価値がなくなるのかわからない金に託すのではなく、神に託すとき、人は金の奴隷から解放され、真の幸せを手に入れることが出来るのです。

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「確信」
 私は牧師家庭に育ちました。父は牧師になる前はミュージシャンをしていましたが、私が幼稚園から小学校低学年の頃に主に示され、牧師として歩み始めました。私が物心ついた頃には、我が家はいわゆるクリスチャンホームであり、「食事前のお祈り」や「日曜日は教会に行く」など、全てをなんの疑いも無く"当たり前"のように受け入れていました。

 そんな私は大人になるまでひとつのことに悩みました。それは「確信」です。主が確かにいるという「確信」を持てずに日々を過ごしていました。確信が持てないクリスチャンとしての歩み。信じたいのに信じきれないという気持ちの葛藤。気がつけば教会からは足が遠のき、ただただ自分の夢のみを追いかける日々となっていました。

 30歳を目前にした29歳の時に、夢だったプロの作曲家としてデビュー。ずっと夢だったミュージシャンになれたのに、心は満たされずポッカリと穴が空いているような虚しさを感じていました。

 2011年3月11日、東日本大震災がおきました。当時私は神奈川県川崎市に住んでいて、その瞬間は大きなモールにいたのですが、あまりの揺れの大きさに心から恐怖したのを覚えています。その年の12月に私は宮城県へ行きました。沿岸の住宅街だった場所へと行きましたが、津波により家は無くなり土台だけが残っていました。この時、言いようの無い悲しみが涙となって私の目から流れ落ちたのを、今でも覚えています。それと同時に主からの語りかけを感じました。「賛美を作りなさい。あなたの賛美を。」そのような経験は今までに無いことでした。そしてその経験は私がずっと求めていた「確信」へと変わりました。私が本当の「確信」を得るためにはこれだけの時間が必要であることを、主は知っていたように思います。

 あの被災地での経験以来、私は全ての出来事が主の計画(主が用意された道)の中にあると思えるようになりました。それは時に、私自身が望まない道であることもあります。ですが、主を信頼し、信じてその道を歩んだ時に大きな恵みと感謝を感じられることを知りました。

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。 ―主の御告げ― それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。  エレミヤ書 29:11

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