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『賛美をささげ、この国の覆いを取り除く』

2012.5.20(SUN)
新城教会副牧師 滝元開
第二コリント人への手紙 四章一節〜四節

『こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。』


 一言お祈りいたします。
「ハレルヤ。天の父なる神様。あなたの御名をあがめて心から感謝します。今日は、あなたがアルゼンチンの地よりすばらしい先生をお送りくださり、そして今、私たちのこの国に対する言葉を語ってくださったことを信じ、心から感謝します。この終わりの時代に、この日本がイエス様、あなたの名のゆえに、世界中に知られる国へと変えられることを信じて心から感謝します。長年祈ってきたリバイバルが私たちの目の前に今あることを信じて感謝します。
 今もう一度、私たち一人一人あなたの御前におります。あなたご自身が私たちに力を与え、そのために立ち上がって行くことができるように助けてください。今日の恵みを心から感謝し、尊きイエス様の御前によってお祈りいたします。アーメン。」

 アルゼンチンというと、リバイバルの国というイメージがありますね。二十年近く前はアナコンディア先生が来られて、大きな聖会が開かれたことを思い出します。すごい迫力で行われました。そんな時代がありましたけど、そのようなリバイバルの御業が日本にも現れると信じていきましょう。

 今日、与えられている御言葉をお読みしたいと思います。第二コリント人への手紙 四章一節〜四節、

『こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。』

 今日は特に私たちに与えられている、この賛美をささげてこの国の覆いを取り除こう!というテーマで御言葉を学んでいきたいと思いますが、この一節に『こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく』と書かれています。
 リバイバルという戦いの中で、私たちは時として勇気を失ってしまう時があるのかもしれません。けれども、そのような中でも御言葉は「勇気を失わずに戦いなさい」と今日も私たちに語ってくださっています。リバイバルという大きな目標に向かって、ある意味、教会が一つとされて、立ち上がって、このリバイバルの戦いの中に、私たち全員が入れられて、そして、今までここまで来ていますけれども、このような中で「希望」を持ち続けて、リバイバルは必ず起こるんだという「信仰」を持ち続けていくことがすごく大切だと思います。

 みなさまのお祈りに支えられて、最近はザワメキの働きで多くの教会を巡らせていただいていますが、現在の日本の教会の現状をみると、すごく恵まれた教会と、もう一つは、ずっと変わっていない状況がそのままある教会と、両面あるような気がします。
 一九九三年の甲子園ミッションの時に日本中で決起大会が開かれ、四十七都道府県すべてで行われて、そしてあの甲子園ミッションに向かってその当時はある意味日本中の教会が一つとなって「リバイバルに進む!」というような気運がありました。本大会は甲子園球場でありましたが、北海道に行っても、九州に行っても、どこであっても、また、どんな小さな教会で、どんなに小さな集会でも、同じうねりのようなものがあって、「リバイバルがこれから日本に起こる!」という大きな期待感があったと思います。
 あれからまもなく二十年が経とうとしていますけれども、でもその時投げ込まれた「火」は確かに今でも残っているということを感じます。ただその残っている火はあるのですが、あの時の勢いはあるかといったら、どこかに行ってしまった部分がすごく大きいと思います。
 先日行った小さな教会は二十年ぶりくらいに行きました。すごく小さな田舎の教会で、二十年ぶりに行きましたけれども、今なお変わらずに、真実に「リバイバルを求めて行く!」という姿を見ることができ、リバイバルを求め続けることは大切で重要なことだと思いました。
 しかし、その町は多くの偶像に囲まれており、町全体が何か強い圧制に覆われているような町で、その中に教会があるので、ある意味、その教会そのものも戦い、苦しみの中にうめいているのではないかなと感じました。でも、神様は真実なお方で、二十年前に点けられた「火」は今なおそこにあり、そこにお働きになられるお方でした。
その教会での賛美集会は二十年ぶりで、すごく暗い雰囲気の中で始まってしまったので、この集会はどうなるのかなと思っていました。でも、賛美をしていくうちにどんどんどんどん変化が訪れて、信徒の方は四、五名だったんですけれども、そこに留学生の方々が五名くらい来てくださって、特に、その留学生の方たちがすごく陽気に踊って歌うのです。その町の雰囲気とか、教会の雰囲気とかは関係なく歌うのです。
 その教会の会堂の壁には御言葉が貼ってあるのですが、その横には、海外から来られた留学生の方たち残していかれた、いろんな国のいろんな伝統的な物が貼られるので、「これは偶像じゃない?」というような物までがぺたぺた貼ってありました。そんな中なので、日本人は繊細な民族なので、感じやすいので、「暗いな、ここまずいな」などと感じてしまうのですが、彼らは関係ないのです。元気いっぱい歌っていて、言葉は通じないんですが、「今日はトランスレートはないけど心で感じてください」と言うと、「オッケィ!」と彼らが参加してくれたのです。集会の最後には先ほども歌った「ダンシング」になったら、ひょいひょい踊り出しました。すると、その教会の雰囲気ががらりと変わって、大きな神の国がそこに訪れたことを感じました。
 今の日本の教会には、大きな変化が起きているわけでもなく、今なお暗闇の中にあって戦い続けているような現状があるわけですけれども、でもそのような中でも、「このような日本の中でも勇気を失うことなく、希望を持って、必ず主はこの日本にリバイバルを起こしてくださるんだ!」という、その確信をもって、歌いつつ踊りつつ前進していかなければいけないと思っています。

 昨年の三月十一日以来、日本に大きな試練が訪れて、そのような中からも立ち上がって、これからは大きな祝福が注がれると、今も先生が語ってくださいましたけれども、確かに今も大変な状況の中にこの日本があると思います。
 この三月に、被災地にある五カ所の仮設住宅を巡ってコンサートをさせていただきました。その中にも本当に神様がいらっしゃるということを感じました。
今回のコンサートは、以前ここ新城に居た佐々木歩君が仙台のベースの責任を持っていて、そして、この教会の岡本泉ちゃんと、他のスタッフの方々が、そういった場所でのコンサートを準備してくださって、その機会が与えられました。
 初日はすごく小さな仮設住宅で、その中にある一つの集会所でコンサートをしてくださいと言われました。しかし、行く前日に歩君から「もしもし、開先生、明日のコンサートなんですけど、」と電話がありました。それは、仮設住宅の責任者の方から電話があったとのことでした。それはちょうど三月二十日の彼岸の日でした。それで、こうおっしゃったと言うのです。「仮設に来てコンサートしてくれるのは構わないけど、日が悪い。彼岸の時に来てもらってもきっと誰も来ない」と言うのです。「みんな墓に墓参りに行っちゃうので、来る日が悪いよ。もしかしたら誰も来ないけれども、それでも来るのか?」と言われて、「はい!もちろん行きます!」と歩君は答えたそうです。
 それでその後に私の所に電話があって、「開先生!誰も来ないかもしれないですけど、いいですか?いいですよね?」と言うのです。日頃から、「誰もいない所でも、そこで歌うことに意味がある」とか言っているので、「いいですよね?」と言われて、「あ、あぁ、いいよ」と言って、それで行くことになって行きました。
 その集会所は八畳くらいの部屋でしたが、「誰も来なくてもスタッフの子たちが聞いてくれたらいいし、また、その場所で歌うことに意味がある」と思ってセッティングをしました。そして、時間になったらそこの方たちが来てくださいました。

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 このような形で、いっぱいの方々が来てくださいました。みなさん被災されて、家を失って、悲しみの中にある方々でした。

 そして、同じ日にもう一カ所行きました。もう一つも名取市の場所でした。

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 この会場に行ったら、一人のおじさんが、集会所に張られた写真を見ながら私たちに説明してくださいました。
 次の二枚の写真をお見せしたいと思います。この写真は以前、何度もここで見たことのある写真だと思いますが、この写真と、

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 この写真は仙台空港のすぐ近くの写真です。

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 この写真を見ながら説明してくださいました。「私たちが住んでいたのはこの場所だ」と言われて、そしてコンサートが始められました。普段は、女性の方しか来られないということだったんですけれども、その時は男性の方も来てくださって、コンサートをすることができました。現状を目の当たりにしながら、そして被災された方々がその時のことを克明に話してくださるのです。
 「どのようにして助かったんですか?」と聞くと、「サイレンが鳴ったから、仙台空港まで私たちはとりあえず歩いて行った。まさかこんな事になるとは思わなかったんだけど、歩いて行ったらこんな事になってしまって、津波は真っ黒で、上から下までぐるぐるぐるぐる回りながらいろんな物が入り混じっているので、あの中に入ったら助かるわけがないんだよ」と、そうおっしゃって、みなさん多くの悲しみを抱えてそこにおられました。「これから先どうなるのだろう」とおっしゃっておられました。

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 これがその会場の方たちです。「勇気を出して」を一緒に歌ったんですが、みなさん本当に一生懸命歌ってくださいました。感動的でした。

 次は、響工業団地での仮設住宅でのコンサートです。

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 この時、ちょうど東京の大学生ボランティアの子たちも来ていて、彼らもコンサートに出席してくれました。写真の中で笑っているおばちゃんたちは、その当時のことをいろんな形で話してくださるんですが、話し出すとやっぱり涙が出ちゃうので、「もうここまでにして」と言われるんですが、それまではずっと笑顔でお話ししてくださるのです。
 一人の方はおっしゃっていました。「私は家族中が助かり、すべてが守られたけど、ふとした瞬間にどうしていいかわからない悲しみに襲われちゃうんです」とおっしゃっていました。「『イエス様』と言ってください」と言うと、「はい、わかりました」とおっしゃっていました。

 そしてもう一カ所行きました。これは石巻の仮設住宅でした。とても小さな集会でしたが、こういったおばあちゃんたちが来てくださいました。ここに来られた人たちは女川に住んでいた人たちで、女川で被災して、こちらに来られたということでした。

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 この方は女川に住んでいて、八十二歳のおばあちゃんです。足が悪くて、地震が来て津波が来たから一生懸命逃げたと言っていました。この人が住んでいた所は、「津波が四十メートル来た」と言っていました。「だから本当に恐くて、一生懸命山に走って行って、助かったんですよ」と言っておられました。そして、夜に一件の家に避難して入ったら、その晩は生きている人も死んでいる人も一緒だったと言っておられました。「でも、私はこうして生きている」と喜んでおられて、すごく前向きに生きようとされていました。
 この五カ所の仮設住宅で、何人もの方とお話をして、何人かの方が同じことをおっしゃっていました。「地震があって、神も仏もあるもんかと思った。でも今になっていろんな事を感じて、今すごく感じるのは、神様いるなと感じる」と言われました。「その神様がイエス様なんですよ」というお話をさせていただきました。そして、本当にすごく喜んでくださって、イエス様の名によって一緒にお祈りして帰ることができました。
 先ほどの八十二歳おばあちゃんは「私たちは漁師だったから、海がなくなって寂しい」とおっしゃいました。そして、「あんた、わかめ食べるかい?」と言われたので、「もちろん、わかめ好きですよ」と言うと、わかめをどっさり送ってくださいました。そしてお電話したら、すごく喜んでおられて、「今日はひさしぶりに山菜採りに行くことができたんだよ」と言って喜んでおられました。「わかめおいしい!本当においしい!」と言うと、「わぁ、それは良かった!ひさしぶりに海に出た」と言うのです。「今までと違って海が深くなっちゃって本当に大変だったんだよ」と、あのおばあちゃんが愛を示してくださいました。
 今もなお、悲しみと苦しみの中にあるんですけれども、でも、そんな中で、イエス様は確かに働いておられるなということを感じました。勇気をなくしてこれからどうなってしまうのかわからないような中にも、神様は働いておられて、神も仏もあるものかと思った人が「あぁ、神様はいるんだ」ということを感じてくださっている方たちとお会いして、「この今こそ、イエス様ご自身のすばらしさを宣べ伝えて行く時が来ている」と思っています。

 パウロがエルサレムの議会で大騒動になって、「この先どうなっちゃうかな」といった状況の中で、主が彼の傍らに立った時の言葉が書かれています。使徒の働き 二十三章十一節、

『その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」と言われた。』

 パウロのような大伝道者でも、勇気を失って「この先どうなるのだろうか」と思うような時もあったわけです。私たちも今このような時代の中に生かされていますけれども、イエス様は真実なお方なので、「必ずリバイバルの業をなしてくださる!」、「必ずこの日本にも大いなるご栄光を現してくださるんだ!」と信じて、もう一度「勇気」を持って主の業に励んでいきたいと思っています。
 その被災された方々が「後ろを向いててもどうにもならないから前を向いて進むんだ」と言われていました。八十二歳のおばあちゃんもすごく狭い仮設住宅の中で、お隣の声が聞こえるしすごく大変だと言うのですが、足が悪いのにも関わらず、「これから畑を借りて畑をやるんだ」とすごく前向きなのです。
 私たちは本当に今恵まれた中にあるわけですけれども、そんな中で、ましてや救い主イエス様がいらっしゃって、イエス様が持っておられるご計画というのがありますので、そのことをもう一度見つめ直して、私たちそれぞれの中に勇気を失わせるような問題があるのかもしれませんけれども、イエス様ご自身に目を向けて進んでいきたいと思います。

 そして、そんな中で、今、私たちがしなきゃいけないことはやはり福音宣教だと思っています。イエス様ご自身を、福音を、宣べ伝える働きをもっともっとしていかなきゃいけないんじゃないかなと思います。ローマ書十章十四節〜十五節、

『しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」』

 信じたことのない方を呼び求めることもできないし、知ることもしない人を信じることもできないので、となったら、私たちはイエス様ご自身のすばらしさを宣べ伝えていくべき時に今がきているのではないでしょうか。このすばらしいお方を一人でも多くの方に宣べ伝えていくそんな働きをさせていただきたいと心から思っています。

 最近のザワメキの働きの中で感謝なことがあるんですけれども、昨年の六月にザワメキの新しいCD、ザワメキイレブンがリリースされて、いろんな所でその曲を紹介させていただくんですけれども、それを多くの方々が購入してくださっています。そして、それを聞いてくださる方が増え始めて、そしてその中にすごく神様が働いてくださっていることを見させていただいています。
 今まで、ザワメキが行って集会が終わって、「恵まれました!」と言っても、CDを買ってくださる方があまりいませんでした。でも最近はみなさん買ってくださるのです。
 つい先週の日曜日は、私たち四人のメンバーで行って、向こうは牧師先生ご夫妻と信徒の方四名、計六人で、僕たちと合わせて計十人の集会でした。そこでも、この集会どうなるかなと思いつつ、町の暗闇が砕かれるように一生懸命歌いました。そうしたら、集われた人数に関係なく、すごく恵まれて神様が働いてくださいました。その教会の先生も以前は、「甲子園ミッションの時にはよくPPHに行ってあの時は本当に燃えてました!」という方だったのですが、一生懸命歌ってくださいました。集会後「ザワメキの歌を聞くと元気になる。まるでマジンガーゼットの歌のようだ」と少しわけのわからいことを言ってくださったんですが、その集会が終わると、「じゃぁ、CDを買う。そのザワメキイレブンをください」と言って、何枚買うかなと思ったら、三枚買ってくださいました。そして次の方も、「私は五枚ください」と言うのです。「これをこれからクリスチャンでない方に配るんだ」と言ってくださっていました。神様は不思議に最近ザワメキの中にも働いてくださっていて、私たちの思い以上に神様は福音を宣べ伝えるためにいろんなことをしておられるなと思います。

 山梨県の甲府によくザワメキの集会に来てくださる方がいらっしゃって、東京での集会に毎回わざわざ甲府から来てくださるんです。金曜日の大会、土曜日の大会に、毎回お一人で来てくださるんですが、その方がザワメキを愛してくださってザワメキイレブンができた時には、「なんとか貢献したい」と言ってザワメキイレブンをなんと百枚、箱ごと買ってくださいました。それを岡本先生がディスカウントしてくださって、それをお買い上げくださったわけですが、その方はCDを伝道用に用いているというのです。
 すると、つい先日の東京のザワメキの集会に、同じ甲府から七十三歳のおじいちゃんが来られました。そして、一生懸命歌っているのです。にこにこしておられて、終わって初めての方だなと思ってご挨拶に行ったら、クリスチャンの方ではないと言うのです。「私は初めて来ました」と言われて、「どうして来られたんですか?」と聞くと、実はさっきお話しした方にザワメキイレブンをもらって、「毎日車に乗って聞いているんです。これすごくいい。ザワメキ集会にも行かなきゃ!と思った」ということで、七十三歳のおじいちゃんが、甲府からわざわざ東京まで集会に来てくださったのです。神様は不思議な形で働いてくださっています。

 最近ザワメキイレブンを紹介する時に一つのキャッチフレーズがあります。以前礼拝の時に証させていただいたんですが、このザワメキイレブンを天皇陛下にもお送りさせていただいたというお話をさせていただきました。
 それ以来、よくこう言います。「ザワメキイレブン。天皇陛下も持っているザワメキイレブン」と言うとみなさんどういうわけか買うのです。こんな宣伝が良い事かどうかわかりませんが、私は良い事だと信じています。すると「そういうことなら私も!」とみなさん買ってくださるのです。
 この間、ある集会でまた「天皇陛下も持っているザワメキイレブン」と言って紹介したら、集会終わってすぐに一人の女性の方が帰っちゃったのです。帰っちゃったなと思ったら、何と二千円握りしめてまたも戻って来ました。そして、「天皇陛下も持っているザワメキを」と言って買ってくださいました。
 感謝だなと思ったんですが、すると二週間後にザワメキ事務局に電話がありました。その方もクリスチャンでないお方なんですが、「ザワメキイレブン、毎日聞いている!すごくいい!」と言ってくださるのです。「特にあのマラナタという曲がすごくいい!」と言ってくださり、「マラナタってどういう意味ですか?」と言われたので、「あの歌の通りに、主よ来てください、イエス様来てください」という歌なんですよと言いました。すると、その方がこうおっしゃるのです。「どうしてでしょうか。不思議なんです。マラナタを聞くと指先がびりびりするんですけど、どうしてでしょうか?」と言われて、「私もわかりません」と言っておきました。
 神様はどういった形で神様を知らない方々に働いてくださるのかわからないんですけれども、神様は不思議なことを始めてくださっていて、「時はもう満ちているな。イエス様ご自身のすばらしさを宣べ伝えるそのような時が今来ているんじゃないかな」と思っています。

 今日の御言葉の中に、三節に、『それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら』とあります。勇気を失うことなく、そして、真理を明らかにし、御言葉を宣べ伝える。それでもなおおおいが掛かっていたら、どうしたらいいんだと書かれていますけれども、四節に、『その場合、この世の神が不信者の思いをくらませ』と書いてあるので、やはりサタンがこの地におおいを掛ける働きをしていると思います。
 そのために主はこの終わりの時代に私たちに「賛美」を与えてくださっているので、イエス様のすばらしさを誉めたたえて、イエス様をあがめていく時にイエス様は賛美の中に住まわれる主なので、そこにご臨在くださって神の国を現してくださるのです。イエス様はこの地上に来てくださって、神の国を宣言されましたけど、神の国を宣言するということは、そこに神の国じゃない悪しき国という覆いがあるわけで、その中に神の国が来る時に神様ご自身の支配が訪れるわけですので、そのためにも私たちは主への賛美をもっともっとささげていかなければいけないと信じています。
 もしまだザワメキイレブンを買っておられない方がいらっしゃったら、ぜひみなさんも今日プレイズブックスでお買い求めください。そしてまた「そうだ。伝道に用いよう」という思いが与えられたら、ぜひ買っていただいて主のために用いていただけたら良いのではないかと思います。

 イエス様は福音宣教のために、リバイバルの前進のために、「賛美」という大きな力を私たち一人一人に与えてくださっています。この賛美を持って主を礼拝して、主をあがめていく時に、イエス様はご臨在を現わしてくださいます。ということは、結局、「賛美」の中で、そこに神の国が訪れ、その場にある神の国でない国が打ち破られ、そこにリバイバルの御業が拡大していくのです。ぜひそのことを信じて進んで行きたいと思っています。
 今は誰もが「終わりの時代が今来ているな」と感じていると思うんですが、この終わりの時代におけるリバイバルは日本のみならず、全世界を包むものではないかと思います。私たち、この日本はリバイバルから随分遅れを取ってしまったように思いますけれども、でも主がひと度、事を起こしてくださる時に、この日本のリバイバルと共に、主は同時に全世界のリバイバルの御業を進めていかれるのではないかと思います。
 ですから、そのために私たち一人一人生かされて今ここにあるということにはすごく大きな意味があると思います。将来どうなるのか私たちはわかりません。しかし私たち一人一人に与えられたそれぞれの中でそれぞれがしなければいけないこと、これからのリバイバルの中で、この国とまた全世界のリバイバルのためにすべきことというのがたくさん用意されていると信じています。

 この礼拝ではお証しさせていただいていないので、もう一つお話ししたいんですが、ちょうど一年前に明牧師が団長でイスラエル旅行に行かせていただきました。総勢三十六名のツアーだったんですけれども、すごく祝福されたツアーでした。その前の年にザワメキでイスラエルに行った時にはたった十一名でした。十一名でぎりぎり行くことができたというツアーだったんですけれども、今回は、明牧師がチラシを作ってこう書きました。「私は今年で八十二になります。このイスラエル旅行、私にとって最後になると思います」と、最後の切り札のようなものを持ち出して、「だからあなたも行きませんか?」と言ったら、なんと三十六名も来ちゃったのです。
 しかも、八十二歳が団長ということもあって、「それじゃぁ私も行く」と言って来てくださった方がみなさんお年でした。平均年齢が六十五歳でした。それで、「開、行ってくれ」と言われて、「それじゃぁ!」と言って、私も行かさせていただきました。元気よく賛美しようと思って準備して行きました。
 前の年のザワメキのツアーはすごく楽しくて、どこに行っても歌って踊って走り回りました。エリコの山ではみんなで駆け上がり、アラブ系のツアーガイドがはぁはぁ言うくらいで、「おまえたちのツアーは大変だ」と言いながら来てくださったそんなツアーでした。でもすごく楽しかったのです。
 今度は、三十六名でなおかつ平均年齢が六十五歳なので、「このツアーはどうなっちゃうのかな」と思いました。でも、神様はすごくすばらしい方で、そのツアーには内科医、眼科医、朏先生も行ってくださったので、接骨院の先生、そしてまた牧師までいるということで、本当に「天使に剣」というか、本当にイエス様がすべてにおいて備えてくださって行くことができました。
 でも、行った途端に七十九歳のおじいさんが「実は私には持病がありまして、来るんじゃなかった」とか言っているのです。「そうなら来るんじゃなかったかもね」と言いたい気持ちもあったんですが、「癒やされますように」と言って一生懸命お祈りして、内科医の先生が介抱してくださいまして、すぐに元気になってツアーは続きました。
 「それじゃぁ、賛美しましょう!」と言っても、みなさん賛美してくださるんですが、多くの方が写真をとったりしておられるのです。それで、賛美の中で転調というのがあるのですが、曲の中で調を変えて更に大きく盛り上がっていこうと「それでは転調して息よ四方から〜!!」なんて歌うと、みなさんどうなるかというと、皆さんの調はそのままなのです。ギターだけが上に上がって、私と数名だけが上がるという感じでした。「まいったな、これじゃ転調は駄目だな」と思いながら歌っていきました。
 でも、神様はそんな中でも働いてくださいました。エルサレムのベテスダの池に行きました。ちょうどベテスダの会堂跡で、上は空で四方が囲まれている所だったので、声も響いたので、「それじゃぁ、ここで歌いましょう!」と言って、「グローリー!グローリー!」と歌い出しました。歌っていたら、その声を聞きつけて、どこからともなく真っ黒い方々が「グローリー!グローリー!」と何の許可もなく入って来て、それが一人二人ではなく、三十人近くの方たちがのっそのそと入って来ました。ガーナ人だったんですけど、入って来て、一緒に「グローリー!グローリー!」と歌い出しました。素晴らしい賛美集会になりました。さらに「ダンシング!」と言ったら、「うぉーー!」と、ガーナの人たちはすごいです。全身で歌うというか、あれは賜物です。本当に喜びいっぱいで踊って賛美をしました。
 そうすると、その平均年齢六十五歳の人たちはだいたい眺めつつ歌っていまして、「恵まれてます」というような感じだったんですが、そうしたらガーナの人たちが何をしたかというと、日本人の手を取って「ダンシングダンシング」と一緒に踊り出しました。エルサレムでダンシング大会となりました。
 それがちょうど四月十日くらいの震災からちょうど一ヶ月後くらいで、日本人にとっては「こんな時にのんきに歌っていられない」というそういった時期だったんじゃないかなと思うんですけれども、そんな中でガーナの人たちが手に手を取って一緒に歌って、しかも世界の中心のど真ん中で一緒に歌って一緒に踊りました。「これは今の日本にとって大切なんだ」と神様が言っておられるようでした。
 そして、その中で、「プリーズプレイフォージャパン!」と言ったら、一言言っただけなのに、祈りだしたらみんなが涙を流して、「主よ、日本を救ってください。津波から救ってください」とお祈りするのです。「神様がこの日この時を用意してくださっていたんだな」と思いました。

 私たちは時として本当に勇気を失って、これ以上もう進めないという状態に追い詰めようとするサタンの策略があるわけですけれども、そんな時でも歌い続けて踊り続けていくことの大切さをイエスさまは言っておられると信じております。この地上はどんどんどんどん変化し、今、いつどこで何が起こってもおかしくないような時代で、ここで問題、またここで問題、またここで問題、というような問題があちこちにあるような時代だと思うんですけれども、その中でも、唯一、イエスさまは変わらないお方なので、そのすばらしい神様を誉めたたえていく時に、神様ご自身が神の国を、すべての問題のただ中に、私たちの中に、この地域に、この国に、そして全世界に、この終わりの時代に現してくださるお方だと信じています。第二コリント四章十六節にこう書かれています。

『ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。』

 『外なる人は衰える』と書かれていますけれども、そのような中でも『内なる人は日々新たにされて』、本当に喜びを持って、希望を持って、どのような時代の中でも神様は変わらないすばらしいお方だと、その神様に目を留めていきたいと思います。最後に、ハバクク書 二章十四節、

『まことに、水が海をおおうように、地は、主の栄光を知ることで満たされる。』

と書かれています。必ず、全世界に、『水が海をおおうように、地は、主の栄光を知ることで満たされる』と書かれていますので、そのことを信じて、もう一度イエス様のすばらしさに目を留めて、イエス様を誉めたたえていきたいと心から願う者です。一言お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ。愛する天のお父様。あなたのすばらしい御名をあがめて心から感謝します。あなたは今日も私たちと共にいてくださって、この賛美を受け取ってくださるすばらしいお方であることを心から感謝します。あなたご自身のご計画が、今この全世界に対して現されていることを信じて心から感謝します。どうぞ主よ、この日本にあなたの計画を現してください。私たちのただ中に栄光を現してください。そのために私たちはあなたを賛美し、あなたを礼拝し続けていくことができるように助けてください。
 『水が海をおおうように、地は、主の栄光を知ることで満たされる』と、この約束の御言葉も信じて感謝します。あなたがあのアルゼンチンにしてくださったリバイバルを心から感謝します。その御業がこの日本にも現されることを信じて心から感謝します。今まで日本に大きな経済的な祝福を与えてくださって、多くの日本の製品が世界中をめぐりましたけれども、これからの時代、イエス様、あなたご自身の御名を掲げたあなたの福音の兵士たちが、この日本から、日本中、世界中に出て行く、そのような時が来ることを信じて心から感謝します。あなたの栄光をもう一度誉めたたえ、あなたを賛美します。今日のこの時を心から感謝し、すべての栄光を主にお返しして、尊き主イエス・キリストの御名によってこの祈りを父なる神様の御前にお捧げいたします。アーメン。