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『主のよくしてくださったことを、忘れてはならない

2012.12.30 (SUN)
新城教会牧師 滝元明
詩篇103篇1節〜5節

『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。』



 ハレルヤ!おはようございます。ひさしぶりに新城教会の礼拝でメッセージできますことを、心から感謝します。毎週日曜日にはロンさんと一緒に、各地を回っていて、なかなか新城教会で礼拝を守れませんでしたが、今日はみなさんと一緒に礼拝を守ることができ、特にみなさんが私のために祈ってくださり、健康でここに立つことができ、心から感謝します。

 一年は早いですね。あっという間に二〇一二年が終わろうとしています。何よりも感謝なことは、とにかく信仰が守られ、健康が守られ、共に主を礼拝できることです。

 今からみなさんと一緒に、御言葉を学んでいきたいと思いますが、今読んだ詩篇一〇三篇二節に

『わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』

とありますけれど、今年一年、主が良くしてくださり、すばらしい恵みを与えてくださったことを本当に感謝します。また五節には、

『あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。』

とあります。詩篇二十三篇六節には、

『まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。』

とあります。イエス様に従ったら、一生、祝福されます。

 十二月二十二日には、草加キリスト教会へ奉仕に行きました。草加には行くには乗り換えがたいへんです。難しい所でしたけれど、なんとか行くことができました。二十三日と二十四日の二日間、天野先生の教会で集会を持ちました。

 あの教会はたいへん恵まれた教会で、幾つかの枝教会があって、今週の礼拝の出席者は二千三百四十人とありました。会堂そのものはまだ小さいですけれど、今大きな教会を建てようと土地を探しているそうです。少し写真をお見せしたいと思います。

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 私がここでメッセージをしました。

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 この方が天野先生です。隣が奥様です。こういう教会で奉仕をさせていただきました。

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 この人は二〇〇〇年の東京四十日リバイバルミッションで証しをしてくれました。元女子プロの選手です。チャンピオンになった人です。今、彼女は伝道者になって奉仕をしています。

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 中高生の集会でも奉仕をしました。みなさんに祈っていただいて、恵まれた集会を持つことができ、感謝しています。これからも続けて天野先生の教会のためにも、祈って下されば感謝です。

 今年、私自身感謝したいことは、私も八十三歳という年になりました。病気をすることもなく、イエス様のために働くことが許されたことに感謝したいと思います。私の家内も、来年の二月で九十歳になります。家内もみなさんの祈りに支えられ、ここまで来たことを心から感謝します。

 私がある教会に奉仕に行き、牧師先生と奥さんと一緒に車に乗りました。私は耳が遠いのです。ですから、べちゃべちゃ話しをしていても、何回も「なに?なに?なんて言った?」と聞き直しました。耳が遠くなることは悲しいですね。

 そうしたらその先生が「先生。ちょっと一緒に行きましょう」と、どこへ行くのかと思ったら、私のために補聴器を作ってくれました。なんと、二十万円も出して、私のために補聴器を作ってくださいました。それでだいぶ聞こえるようになりました。ある人は、私が聞こえないと思っているかも知れませんが、聞こえるようになったのです。

 しかし、家内も耳が遠いのです。私よりも遠いので、なんとか家内にも補聴器を買ってあげたいと思い、あり金を叩いて買ってあげることにしました。豊川に行って買いました。ドイツ製の補聴器を両方につけてもらいました。たいへん良い物です。

 それを買いに行きましたら、うちのひ孫で、三歳になる架語ちゃんという、とても頭の良い子が「おばあちゃんの補聴器のお金、架語が出してあげる」と言うのです。そして一緒について来て、お金払う時になったら架語がおもむろに財布を取り出して、「はい。私がはらいます。」と二十円出してくれました。ひ孫から補聴器を買ってもらうなんて、感謝だと思いました。嬉しかったです。

 今日までこうして祈りに支えられて感謝です。

 今年、私に与えられた一つの御言葉は、今年の初めに話したと思いますが、ルカの福音書十六章十節〜十一節です。

『小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。』

 これは私に今年与えられたもので、「小さい事に忠実」という御言葉です。私自身にできること、私の賜物は伝道ですから、伝道のために一年間歩くことができ、とても感謝です。

 今日は、「すべてのことを忘れないように」ということですから、この教会がどのようにして、ここまで来たのかを少し見たいと思います。

 私が救われたのは、一九四九年二月二十日です。私は愛知県の山の中から東京に行って、三年目にイエス様と出会いました。その年の五月三十日に、私はバプテスマを受けました。

 そして、どうしてもこの福音を宣べ伝えなければと、一九五〇年三月十五日に郷里に帰りました。救われて一年で開拓伝道に出たので、少し早いと思います。イエス様を信じて一年目に、自分の郷里に「とにかく救いに導きたい」ということで、三月十五日に津具に帰りました。

 そしてその年の六月十七日、私は家内と結婚しました。感謝なことに、今年で結婚して六十二年になりました。子どもたちは八人も与えられ、ここまで来れたことはすばらしいことです。

 そしてその次に、一九五〇年十月に私は津具鉱山に就職し働きました。それは金鉱山です。一年一ヶ月くらい働いたと思います。そして次に一九五一年に八橋マンガンという、マンガン鉱山に移って次の年の一九五三年三月まで働きました。それは良い勉強になりました。

 私は神学校を出ていませんが、私の神学校は鉱山だったと思っています。教師はイエス様で、生徒は私一人でした。そこで聖霊様がいろんな事を教えてくださり、特に教えられたのは「へりくだる」ということでした。鉱山で、へりくだりの勉強をすることができたと思います。

 結婚する時、私はすごく親から反対されました。私の母親が「キリストを止めなかったら、何も協力しない。おとっつぁんが怒っているから」と、結婚式にも来てくれなかったのです。しかし、結婚して、私が八橋にいる時、ある晩、兄貴が来ました。「明。おまえの結婚式に何もしてやれなかったから、山をあげる」と言いました。私は「いらん」と言いました。「おまえはいつも、いらんいらんと言うもんだから、苦しくてたまらん。もらってくれ」と言うのです。「おまえの長男が大学生になる頃には、百万円くらいになると思う」といいました。「じゃあ。貰ってあげる」ということで山を貰いました。

 実は、後にその山を売り一九五三年三月に新城に出て来ました。どこに来たのかというと、新城中学校のすぐ前の元ダンスホールを買いました。その当時の教会がこれです。

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 初めの教会に来た人たちです。これ、誰かみなさん分かりますか?私が抱っこしているのが実です。それから私の隣にいるのが仁子、真ん中に座っているいたずら小僧が望で、岡本さんがだっこしているのが信弘先生。その隣にいるのが正広さん。それから長男は私のすぐ後ろにいます。髪の毛を上手にカットしてあります。私が切ったんです。こういう人たちが初代教会というか、この場所で救われました。

 ある時のこと、スウェーデンの宣教師が来られて説教をされました。説教が終わると「アーメン。」と言いますよね。そして「今日はこれで終わります」と言うと、「先生。献金はどうしますか?」と聞かれました。「この教会には献金がありません」と言うと、「なんでないのですか?」と聞かれました。

 私は新城に来た時に、ある方が「新城の人はけちだから献金させると来なくなりますよ。」と言われて「あ、そうか。」ということで献金を取らないようにしていました。

 私はシメオンソン先生に「あのね、この街の人はけちですから、献金を取ると来なくなりますから、しないようにしています」と言うと、「そういう教えが聖書のどこにありますか」と言うのです。「ま、ま、ま、聖書はとにかく…」と言いましたが、聖書には勝てません。

 シメオンソン先生が言われました。「先生は高慢ですよ。献金を取るって、誰が取るんですか?先生が取るんですか?献金は神様にする物じゃないんですか?聖書の中に十分の一を献げたら、天の窓を開いて祝福するとありますよ。先生の傲慢でこの教会は恵まれない」と言われました。すごく怒られました。それから私は悔い改めました。それから「献金しましょう!」と言って、みんなで「教会堂を建てよう」となりました。五年くらい掛け金をしました。もらった山を売って買った元ダンスホールは十四万七千五百円でした。

 なぜここに土地を買ったかというと、最初の教会は四軒長屋だったので、お隣からいつも苦情が来ました。「やかましい。滝元さん、なんですか。あんたたちの歌は。あれは歌っとるんじゃない。どなっているだけだ。」とすごく文句を言われたので、どれだけ賛美をしてもいい所に土地を与えてください、と祈っていた時、ここが与えられました。一人の人が「教会さんで土地を買ってくれんか?」ということで、「いくらですか?」と聞くと、「一坪八百円」と言いました。一坪八百円ではあまりにも安いので、少し値上げをしてあげて一坪千円で二百九十四坪の土地を買いました。

 私の家を売ってこの土地を買いました。そしてこの場所で伝道を始めました。感謝なことに、一九六〇年にこの場所に初めての会堂を作りました。

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 写真の右側の十字架がついている建物が、初めて出来た教会です。百人くらい入る会堂です。どれだけ歌っても、祈っても、やかましいと言われないように地下室を作りました。献堂式はたいへん恵まれました。みんな泣きながら会堂に入りました。私はその日には泣くことが分かっていたので、前の日に全部の涙を絞り出してしまおうと思って、前日に会堂でわんわん泣いて、それから献堂式をしました。みんな泣きながら入りました。

 その七年後、一九六七年に増築しました。今度は三百人くらい入る会堂を増築しました。

 そして、一九八二年には感謝なことに、現在使っている会堂ができました。建築委員会の兄弟たちが、いろいろと設計してくださり、この会堂が出来ました。当時はこの街で一番良い建物でした。

 そして一九九二年には、教育館ができました。それで、みなさんと一緒に食事もできるわけです。

 一九七〇年から、「日本リバイバルクルセード」を始めました。それからリバイバルの為の働きをして、一九九三年には全日本リバイバル甲子園ミッションが開催され、甲子園ミッションの後に全日本リバイバルミッションが発足しました。

 考えてみると、この教会は、プレイズ出版とか、リバイバル聖書神学校だとか、霊的戦い、SIRという働き、ざわめきとか、滝元明ミニストリーとか、本当に多くの働きをくださいました。全て、主に栄光を帰せなければなりません。

 以前、東京のある教会に行ったら、ある宣教師が言いました。「先生。教会堂を建てるのは簡単ですよ。なぜかというと、金さえあれば会堂はできます。しかし一番難しいのは牧師です。良い牧師を招くのが一番大切で、難しい」と言いました。

 しかし、感謝なことに、この教会には良い牧師たちが与えられました。主任牧師をはじめ、立派な先生方がいます。今も司会をした信弘先生は、今ではすばらしいメッセージをされます。しかし最初にメッセージした時、母親の岡本姉妹が「ノブは何を話しとるだ。何を話しているのか、さっぱりわからん」と言っていましたが、今では一流の説教者です。これは主がすばらしい恵みを与えてくださった結果です。心から感謝しています。

 私個人においても、今年は孫たちが二人も結婚したり、とても感謝です。それから「滝元明ミニストリー」で、今年は五十八箇所に行きました。ロン・ブラウンさんとボーカルの人と一緒に全国を回って、いろんな集会が出来ました。

 七月は石川県、富山県、長野県に行きました。九日間で七百十人集まりました。八月は沖縄で八百六人集まりました。九月は九州で十一日間、千三百七十人が集まり、十月は東北、静岡、東京で、千五百八十人集まり、十一月には大阪、和歌山で千三百人。十二月には豊根から始まって東京まで、全部で七千三百六十六人が集まりました。その約六割がクリスチャンではない人たちです。その人たちに福音を伝えることができました。それはとても感謝なことです。

 九月は、感謝なことに「台湾リバイバルミッション」がありました。台湾のために、多くの方が祈ってくださり、献げてくださり、すばらしい集会ができました。私は行くことができませんでした。なぜかというと、以前から滝元明ミニストリーが予定されていたからです。

 台湾リバイバルミッションを開催するためには、経済的必要が多くありました。しかし一人の方がたくさんの献金してくれて助かりました。その方はお母さんが亡くなって、「母が亡くなったから、残してくれた遺産からお献げします」と言って多額の献金をして下さいました。

 私は考えました。きっと五十代か六十代の方だろうと思いました。しかし九州に行ったら、その方が集会に来て下さいました。見たら若い娘さんでした。

 ロンさんといろいろと回ったわけですけれども、十月には沖縄に行きました。私とロンさんともう一人の歌手で行く経費や旅費の為に、一カ所十五万円をお願いしています。それで経費はいっぱいいっぱいです。沖縄に行きたいと思って電話をしました。

 幾つかの教会は「はい、待っています。」と歓迎して下さいました。でも、案外大きな教会でも「一教会、十五万円です」と言ったら「十五万円ですか。ちょっと役員会に計らせてもらいます」という教会が多かったのです。

 そこで私は考えました。「採算の取れない所に行くのは止めた。」と思ったけれど、それでも祈ってみようと、お祈りしてみました。「主よ、沖縄に行くべきじゃないですか。御言葉を与えてください」と祈ったら、ルカの福音書八章一節〜三節の御言葉が与えられました。

『その後、イエスは、神の国を説き、その福音を宣べ伝えながら、町や村を次から次に旅をしておられた。十二弟子もお供をした。また、悪霊や病気を直していただいた女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリヤ、自分の財産をもって彼らに仕えているヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか大ぜいの女たちもいっしょであった。』

 この御言葉が与えられたのです。どこが与えられたのかと言ったら三節、『自分の財産をもって彼らに仕えているヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか大ぜいの女たちもいっしょであった。』

 「自分の財産」・・・イエス様は私に「おまえの持っている財産を使え」と言われました。私は「わかりました」と答えました。

 私、金持ちみたいに見えるでしょうか。私はその時、正直に話すと銀行に六十五万円ありました。その五十万円を引き出して使いました。向こうで救われる人を見る時、「あぁ、来て良かったな。感謝だな」と思いました。イエス様はすばらしい方です。

 沖縄で奇跡を見ました。どんな奇跡を見たのかというと、台風が二つ来ました。前にも話したかもしれませんが、沖縄の米軍基地から電話がありました。「この度の台風は沖縄はじまって以来の、大きな台風です。祈ってください。」

 みなさん、風速がどのくらいかというと、五十メートルから七十メートルと言うのです。風速六十メートルになると電柱が全て折れてしまうのです。七十メートルになると自動車が吹っ飛んでしまうというのです。そんな台風が来ると言うのです。

 私は真剣に祈りました。その時に祈ったことは、天と地を造られた主に「イエス様。空に壁を作ってください。台風がその壁にぶつかって、こっちに来ないように。弱くなるようにしてください」と祈りました。

 その晩、ちょうど日曜日の夜、すごい台風が沖縄に来ました。五十メートル以上の風が吹くとほとんどの木は折れますから「折れるかなぁ」と私は一晩中、風が吹いているのを見ていました。しかし木は折れませんでした。ほとんど折れませんでした。

 なぜでしょうか?五十メートル以上の風が吹かなかったのです。気象庁が「なぜ風が吹かなかったかわからない。」とコメントしたのです。「沖縄の空に、雲の壁ができて、七十メートルの風が吹くはずだったのが五十メートル以下になった」というのです。

 みなさん、誰が祈りを聞かれたのでしょうか。イエス様ではないでしょうか。みなさん確信しましょう。

 今、東京に四年以内に大地震が来るとか、静岡県は一番地震の起こる確率が高いと言われています。静岡は六十何パーセントとか言われています。今度来たら津波もすごいのが来るとか、随分脅かされています。しかし、それは脅かしじゃなくて本当かもしれません。

 この会堂を建てたのは一九八〇年です。会堂の設計図を出した時点で「地震が来た時に危ないから、もっと基礎を深くしてください」ということで、さらに掘って基礎をしっかりしました。この教会はどんな地震が来ても耐えられるように作りました。それは一九八〇年です。

 あれから東海地震は来ていないでしょ。祈りが聞かれているのです。しかしみなさん、東海地震がこれからも来ないように、祈りましょう。『もし私たちがへりくださって祈ったら主が地をいやす』とありますから、地が癒やされるように祈りましょう。

 十月は主に東北を回ったのですが、十月三十日は岡本信弘先生と和歌山に行きました。なぜ行ったのかというと、来年は和歌山でリバイバルミッションを開催したいからです。なぜやりたいのか?

 私たちは祈りました。「今度、日本のどこでやったらいいですか?」と。和歌山は去年も今年も、災害が多かったです。水害もありました。地震も津波も来る所です。しかも、平岡修次先生が毎月、和歌山から新城に来られています。

 「そうだ。和歌山でミッションを開催しよう」という気持ちを持ち、和歌山の先生方に話をしに行きました。来年は和歌山で、リバイバルミッションが開かれると思います。みなさん、ぜひ、覚えて祈ってください。日にちはもうすぐ確定されると思います。

 その道すがら、私は岡本信弘先生とゆっくりと話をしました。先生は私が耳が遠いことを分かっているので、大きな声で話してくださったので、楽しい一時でした。その時、私はこんな話をしました。

 「この間関東の方に行ったら、その教会の牧師が預言ばっかり強調するから嫌になって、教会を出てしまった人がいたよ。そうしたら、もう一つの教会の先生も預言の話ばかりするということで、嫌になって教会を出てね。あんまり、預言、預言って言うのはよくないな。預言も悪くないけど、あんまり重要視しちゃ駄目だよ」と話しました。

 そうしたら信弘先生が「先生、そりゃそうだけどね、僕が韓国に行った時、一人の預言の賜物を持っている人が祈ってくれた。何を祈ったかというと、あなたの仕事は人と人の間に立って、とりなしをする仕事が与えられている、と預言してもらった。それで私はそれ以来、ずっとそれを守って来た。だから先生、預言も悪いもんじゃないよ」と。「そりゃそうだけど…」ということで話は終わりました。

 実はその晩、帰って来て、今までにそんなことはありませんでしたが、夜中の十二時過ぎに足がすごく痛くなりました。痛風かと思いましたが、すごく痛くなって起きました。

 主の前に出て「どうしてこんなに足が痛いのでしょうか?」と祈ると、「おまえは預言について、軽はずみなこと言ったじゃないか。悔い改めなさい」と言われたのです。イエス様に怒られたのです。預言のことについて、こういう御言葉があります。 テサロニケ第一の手紙 五章十六節〜二十一節、

『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。御霊を消してはなりません。預言をないがしろにしてはいけません。しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。』

 ここに『預言をないがしろにしてはいけません。』とあります。その時に思い出しました。新城教会に聖霊が下った時、うちの長男の嫁さんが来て、家内にこう話しました。「お父さん。お母さん。イエス様が、うちの主人の順ちゃんが、これから用いられるようになって、いろんな所から招きが来て、世界中を回るようになると言われたよ!」と言うのです。

 私たちはそれを聞いて、「はっはっはっ。そんなこと、あるはずがない」と家内と一緒に笑ったのです。

 みなさん、今、私たちと享子さんと、どちらが正しいですか。笑った方ですが、笑ってない方が正しいですか。今、順牧師は本当に忙しいでしょ。あれは預言の霊が望んで、主が語られ、その通りに成就しているのです。

 また、この教育館を建てる前に綾子・ビラップスさんに「明日、飛行機の中で大切な人に出会う。」言われました。乗ってみたら、半ズボンとアロハシャツを着ていた青年がいて、聖書を二時間も読んでいた。「あの人かな。あの人じゃないかな・・・」と思って話しかけた。そうしたらそれが順牧師だった。それから友達になり、ジョー先生とも友達になって、今年はヤエがビアスと結婚したり、リベカもヤキマに行ったりして、あの預言も正しかったでしょう。

 実は、私はあんまり話さないのですが、東京から愛知県に伝道に入って、まだ結婚していない時、戦いの激しい苦しみの中で、椎茸の乾燥小屋で私は真剣に祈っていました。あんまりにも激しい戦いなので、異言で「主よー!」と祈った時、預言の霊がくだりました。

 そこで何と語られたかというと、第一に主が「おまえに家を与える」とおっしゃいました。その後、簀の子で、八橋で、ダンスホールで、そして、ここに来て、今日まで家には困っていません。これは預言の実現だと思います。

 もう一つは「おまえに癒やしの賜物を与える」と言われたのです。私にですよ?しかし、実はあちらこちらに行って、癒やされる人がたくさんおられます。首の神経が絶対に直らない人が北海道の聖会に来て癒やされたとか、大きい癌ができていて足を切断すると言われていた栃木県の女性が癒やされたりとか、足の立たなかった人が立ったり、やっぱり癒やしの賜物をもらったのだとと思います。

 しかし私は預言を少し軽く考えていたから今祈っているのです。「いつまで私は生きるのか分かりませんが、本当に癒やしの賜物をくださるのなら、認知症の人が全て癒やされる賜物が欲しい!」と願っています。また、癌が癒やされるように、中風が癒やされるように、奇跡を望んだ方がいいじゃないですか。

 もう一つ、私の人生は長くないと思います。しょうがないですね。歳ですから。歳を押さえることはできません。八十三歳ですから。来年は八十四歳になるし、家内は九十歳にもなります。そろそろ私も上に行く準備をしなければいけませんから、いつ召されるか分かりませんので、話しておかなければいけません。

 公には説教したことはありませんが、個人的には話したことがあります。こう語られたのです。「おまえに日本を与える」と。

 こう主がおっしゃったのです。「おまえに日本を与えるぞ。」みなさん、四軒しかない、簀の子の椎茸の乾燥場で、家もない、職もない時に「おまえに日本を与えるぞ」と語られたのです。私はびっくりしました。「これは大変だ!!」と思いました。

 この事を自分の兄貴に翌朝、話しました。まだクリスチャンでもない兄貴に「おい。イエス様が夕べ、俺に、日本を与えると言った。」家もない時にです。「日本を与えると言われた」と言ったら兄貴が、「そうか・・・。それもいいけど、おまえ、どうせ伝道するなら、こんな所でやらんで東京にでも行け」と言われました。

 しかし、私は考えました。こんな大きな事を語るのは、悪魔に違いないと思ったのです。聖霊様じゃなくて、悪魔が語ったかもしれないと思ったのです。しかし、祈りながら聖書を開いたら、次の箇所が与えられました。

イザヤ書六十三章九節〜十節、

『彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。しかし、彼らは逆らい、主の聖なる御霊を痛ませたので、主は彼らの敵となり、みずから彼らと戦われた。』

 十節に、『彼らは逆らい、主の聖なる御霊を痛ませたので、主は彼らの敵となり、みずから彼らと戦われた。』私が聖霊様を悲しませたから、主が敵になり、おまえと戦うというのです。私は震え上がりました。「主よ。赦してください!」と。

 私は今でも覚えています。田んぼの中で仕事をしている時、「主よ。悪魔が語ったなんて思ったことを、赦してください。ごめんなさい。」と。その時、イザヤ書六十六章二節の御言葉で、

『ー主の御告げーわたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。』

 と語って下さいました。この御言葉を与えられました。私の罪は赦されました。それから六十二年間が過ぎました。

 みなさん考えてみてください。一九七〇年に日本リバイバルクルセードを始めました。それから甲子園でミッションをやりました。一九九八年に武道館でミッションを十日間やったでしょう。不思議じゃないですか。

 誰がやって下さったのかといったら、それはイエス様しかないのです。そして、今日まで、私は日本中を回って伝道するようになり、北海道だけで何回行ったかというと、百十八回行きました。

 夕べ私は、天皇と美智子皇后との出会いの番組をテレビで見ていました。それを見ながら、つくづく思いました。私は三十数年、天皇・皇后夫妻とおつきあいがあるということは、普通ではありません。誰がそのようにされたのでしょうか?それは主です。

 この教会、田舎に誰が作ったのかといったら、役員が優秀だという事もあるけれど、主しかいないです。私が信じているのは、私の代でできなくても、次の世代でも、必ず日本は主のものになると信じます。そように信仰を持たなければいけません。「おまえに日本を与える」と語られた神を信じます。

 豊根村のクリスマスコンサートも主に感謝しました。随分費用がかかりましたが、経済報告をしますと、七十七万三千九百円かかりました。豊根のために献げました。

 私は金持ちでしょう。ないようであるみたいです。ロンさんたちとずっと回って、最後にどうしても彼らに、支払わなければいけない金が多くあったのです。

 そうしたら、東京の集会に行ったら、あまりよく知らないご婦人が来て「滝元先生、お待ちしていました。」と言われました。そうしたら、その方がポケットから封筒を出して「これを差し上げます。」と言われました。見たらぶ厚いのです。いくら入っていたかというと、五十万円入っていました。それですべての費用を支払うことができました。不思議です。

 主は生きておられます。必要を知っておられます。ですから今日、私には、借金がありません。主に信頼して今日まで来ました。甲子園ミッションをやった時、六億円くらいかかりました。武道館でやった時は十日間で一億以上かかりました。

 しかしすべてを与えてくださったのは、主です。天と地を造られた神を心から信じ、イエス様に従ってください。

 しかし、私の真似をしなさいとは、言いません。あなたに示されたことをやってください。真似をして破産したら困りますから。真似をしないようにして下さい。しかし、示された人は、喜んで献げてください。そうしたら祝福されます。

 『あなたに与えられた恵みを、一つも忘れてはいけない』とあります。私たちは心の底から主に「ハレルヤー!」と叫びたいと思います。「ハレルヤー!ハレルヤ!ハレルヤ!」

 イエス様に感謝しましょう。まだたくさん話したいことがありますけれども、これで、聖餐にあずかりましょう。一言お祈りします。

 愛する天のお父様。主イエスの御名によって百パーセント、あなたに栄光をお返しします。今年あなたご自身が御言葉で導いてくださり感謝します。主よ、あなたが簀の子で日本を与えるとおっしゃいましたけれど、今日まで導いてくださったことを感謝します。必ず成就するように、次の世代を祝し、主任牧師を祝し、教会員を祝し、信仰を与え、霊的戦いを祝し、SIRの働きも祝し、プレイズ出版も祝し、リバイバル神学校も祝し、また、リバイバル・ミッションも祝し、栄光を現してください。

 主よ、これから、生きておられるあなたの前に聖餐にあずかります。イエス様の御血、御肉により、私たちを強め、勝利の生活ができるようにお願いします。栄光をお帰して、イエス様の御名によって、聖餐に預かります。アーメン。