HOME > メッセージバックナンバー > 2013年バックナンバー > 3月 > 3月24日

『神が人と出会う場所

2013.3.24 (日)
新城教会 主任牧師 滝元順
コリント人への手紙 8章1節〜3節

『次に、偶像にささげた肉についてですが、私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。』


ハレルヤ!おはようございます。今日もこうして、みなさんの前でメッセージを語らせていただけますことを、心から感謝しています。今日は「神が人と出会う場所」というタイトルで語らせていただきたいと思います。
 来週は全世界のキリスト教会で大きなイベントがあります。それは何かというと、イエス様が十字架に架かられ、復活されたことを記念する「復活祭」です。今日はパーム・サンデーと言って、イエス様がエルサレムに入城された記念の日でもあります。
 イエス様は私たちのために十字架に架かり、死んでくださいました。しかしそれだけでなく、よみがえってくださいました。それは本当に大きな出来事です。死を打ち破った人なんて、誰一人いません。しかし、イエス様は死を打ち破り、永遠のいのちがあることを実証してくださったのです。イエス・キリストは神が人となられたお方です。

 今日読んだ聖書箇所の八章三節には、『しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。』と書かれています。「私は神を知っている」というのではなくて「神から知られている」のです。
 今日、ここに来られたお一人お一人は神様を愛する心で教会に集われたに違いありません。イエス・キリストに興味が無かったなら教会に来ませんから、「私は果たして神を本当に愛しているだろうか…」と心配になる方がおられるかもしれませんが、日曜日の朝、教会に集うこと自体、神を愛する線上にあるわけです。ということは、「神に知られている」のです。神様に知られていない人は誰一人いません。なぜなら、神が引き寄せなかったら、神を知ることはできないからです。教会に来たこと自体、「神から知られている」証拠です。
 世界の歴史の中でただ一度、神が人となって地上に来られ、人生を味わってくださいました。苦楽を共にし、死さえも味わってくださいました。そして、人間が勝つことのできない死を打ち破り、よみがえってくださったのです。それがイエス・キリストです。
 来週の日曜日は、イエス様のよみがえりを記念しての復活祭です。特別な集りですから、是非とも新しい方々もお連れいただきたいと思います。また、私たちとかつて礼拝を共に守っていて、先に天に帰られた方々を記念し、やがて天で会うことができる希望を持つ、「召天者記念会」もあります。関係者の方々はお越しいただきたいと思います。また教会での召天者記念会が、どういうものか知りたい方は、来週の日曜日九時半にお集まり下さい。

 神と人が出会う場所はどこでしょうか?今日私たちは教会に集っていますけれど、教会は神と出会う場所です。私たちを愛してくださっている、神様と出会うことができるのです。
 出会いは不思議です。様々な出会いによって、人生は変わっていきます。「あの時、あの人と出会わなければ今はない」ということが、いっぱいあると思います。
 この頃、祈っていることがあります。それは、「人生の中で、出会わなくてはいけない人と出会うように」と祈っています。しかしもう一つ、「出会わなくていい人とは、出会わないように」とも祈っています。出会わなくていい人と出会い、人生がおかしな方向に行くことが多いのです。しかし、絶対に出会わなければならない人とは、出会わなければならないのです。
 しかし、会わなくてもいい人と出会ったとしても、神様は私たちの人生を元に戻し、それさえも使って良くしてくださるお方です。

 先週はアメリカからジョー先生をはじめ四人の方々が来てくださいました。主がアメリカから、祈るために送ってくださったのは本当に感謝です。私とジョー先生の出会いも不思議な出会いがあったのですが、神様が用意された出会いの延長線は、全く予想しない素晴らしい展開があります。ということは、絶対に出会わなければならないお方は、イエス様です。みなさん、イエス様と出会ったらその延長線は本当にすごい事が起こるのです。

 先週はジョー先生がメッセージをしてくださいましたけれど、他の日はジョー先生一行と共に、いろんな所にとりなしの祈りに行きました。アメリカの方々にしか祈ることができない日本がありますから、祈りに行きました。
 日本の歴史を見ると、アメリカという国が関わったことによってその方向が大きく変わったことがわかります。良い意味においても、悪い意味においても、そのような歴史があるわけです。それらの原点で祈らなくてはいけないと思わされました。特に日本の歴史が大きく方向が変わったのは、鎖国していた日本にペリーというアメリカの総督がやって来たことにより変わりました。ペリーが日本に来たことは、日本における大きな方向転換でした。だからその場所に行って祈った方がいいと思い、そこに行きました。

プレゼンテーション 7_1.jpg

 これは当時のペリーが来た時の様子を表したものらしいですが、上陸記念館があって、みんなでとりなしの祈りをしました。

プレゼンテーション 7_2.jpgプレゼンテーション 7_3.jpg

「今日の祈りがこれからの日本の方向性を大きく変えますように!」と祈りました。

 またこの地域も、十九世紀に日本に最初に来た宣教師の一人ジェームス・バラが来たことによってリバイバルが起きました。それは私の父の生まれた、津具村でリバイバルが起きました。しかしそのリバイバルの火も、いつしか消えてしまったのですが、もう一回火が燃え上がるために、津具で祈ってもらいました。ジェームス・バラ以来、百数十年ぶりのアメリカ人の祈りではないかと思いました。
 日本には天皇制があり、いろいろとややこしい問題を含んでいますから、皇居にも行って祈って来ました。日本が悪い道に行くことがないように祈って来ました。これから日本が正しく変えられていくように祈っています。

 私たちが誰かと出会う時は、やはり場が設定されます。特に偉い人と会う時は緊張します。実は私は、今の天皇と会ったことがあります。会って一緒にお茶を飲んで枝豆を食べました。なぜ出会ったかというと、不思議です。
 軽井沢という場所がありますが、軽井沢は貧乏人ではなく、お金持ちばかりが集まる場所です。今から三十年ほど前の話ですが、私たちは毎年のように軽井沢に行っていました。よほどお金があったのかというとそうではありません。お金持ちを見に行っていました。軽井沢で昼間通りを歩いているのは、我々のような貧乏人です。本当の金持ちは夕方のそよ風の吹く頃、服装も違って出て来るわけです。そういう人たちに、毎年、トラクト配布に行っていたわけです。そして夜、通りで集会をやっていました。
 ある日のことでした。昼間私たちがぶらぶらしていると、みんながどーっと走って行くのです。なぜ走っているのかと思って、私も訳も分からずについて行きました。そうしたら、軽井沢の中心地に有名なテニスコートがあり、そこである男女がテニスをしておりました。それを金網にくっついて多くの人が見ていました。私も見たら、今の天皇夫妻がテニスを優雅にやっておられました。私たちは「あれが皇太子か!」と、当時、今の天皇は皇太子でしたから、私たちはその姿を見物していました。
 すると私の横に、もうすでに天に帰られましたが田中政男先生が、くっついていました。しばらくすると、当時の皇太子妃、今の皇后が田中政男先生の方に近づいて来たというのです。先生というのはちょっぴり、思い込みの強い所がありまして、彼は美智子妃が自分に近づいて来たと思ったそうです。さすが田中先生は牧師です。とっさにポケットの中にあった「平安を持つ秘訣」という、私の父が書いた本を差し出したのです。それは本来は、他の人にあげる本だったそうですが、それを美智子妃に「これお読みください」と直訴して、渡してしまったのです。
 そうしたら、「平安を持つ秘訣」というタイトルを見て「貰ってよろしいですか?」と受け取ったというのです。「どうぞどうぞ」と言って差し上げたのです。田中先生は「美智子妃殿下は、私の所に本を受け取りに来た」と勘違いしていました。どうして近づいてきたのかというと、私たちがくっついていた金網のすぐ後ろに、黒塗りの車が停まっていまして、二人を迎えに来ていたからでした。
 しかし、あの美智子妃は私の父が書いた「平安を持つ秘訣」という、たった二百円の本をに興味を持って、受け取られました。
 一度車に乗り込んでから、田中先生の説明によるとわざわざ車の窓をあけて「本当にありがとうございました」と礼を言ったというのです。先生はいつも手で窓を開けるジェスチャーをされましたが、皇太子の車の窓が手動ではなく、自動だったと思いますが。喜んで受け取ったというのです。
 私たちが泊まっていたのは高級ホテルではなく、汚い雑魚寝の民宿に泊まっていました。そうしたら、その日の夕方、その民宿に電話がかかってきました。どこからかかって来たかというと、なんと皇太子の侍従から電話がかかってきたのです。うちの父がよくその話しをしていますが、「そちらに田中さんはおられますか。滝元さんはおられますか。一度お会いしたいので来てください」という電話でした。すごいですね。
 普通はどうでしょうか。天皇になるような人たちと、凡人とは会うことができません。しかし、あのような身分にある人にも、主は扉を開かれたのではないかと思います。

 イザヤ書五十七章十五節に、神が人と出会う場所について書かれています。

『いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。』

 神様は宇宙を創った方ですから、最も高い所に住んでおられます。宇宙の最も高い所に住んでいるのが神のように思います。すべてを創造された方ですから、一番高い所に住んでおられて当然です。しかしこの神様が人と謁見するために設定された場所はどういう所かというと、『心砕かれて、へりくだった人とともに住む。』というのです。
 時々私たちの人生の中に心砕かれるような、へりくだらされる辛い時期があります。しかしそれは、神が人と出会うために用意された場所であるのです。

 先ほどの話に戻りますが、当時の皇太子夫妻が「会いたい」と言われたので「どちらにおられますか?」と聞いたら、侍従は「プリンスホテルに滞在しておられます」と言われました。それで私は「あそこだな」と分かりました。それで私は、父と田中先生を連れて、私の五万円で買ったおんぼろ車に乗せてプリンスホテルの玄関まで連れて行きました。その時、私はどんな格好で行ったか、当時の写真を調べたらありました。夏の格好はこうでした。

プレゼンテーション 7_4.jpg

 左の人誰だと思いますか?髪の毛多いですね。二人とも。本当に懐かしい。左は先ほどここで司会をしていた岡本信弘先生です。右の人も髪の毛が多いじゃないですか。それが私です。
 なんとTシャツ、短パン、草履、この格好で私は田中先生と父を皇太子夫妻に会わせるために、プリンスホテルに連れて行きました。
 プリンスホテルに着いたら「皇太子夫妻はここにはいませんよ」と言われました。「えっ?そう聞いたんですけど」と言うと「あんたたちね、ここはプリンスホテルグループのホテルですよ。本物のプリンスホテルがあるんだよ」というのです。皇太子はプリンスですから、彼らが泊まる別荘「プリンスホテル」があるのです。そこに行けというのです。しかし時間を見たら時は遅し。すでに三十分以上遅れてしまいました。
 なんと歴史上、天皇夫妻との約束を破った者は私たちしかいないかもしれません。お二人は三十分待っていたそうですが、私たちが来ないから次の予定があって行かれてしまったそうです。
 しかしその翌年でしたか、そのまた次の年でしたでしょうか、もう一回アポが取れて会うことが出来ました。

 神が人が出会う場所は、高級ホテルのロビーではなく、また、身分の高い人たちの社交場でもないのです。心砕かれ、へりくだった「もう駄目だ。行き場がない」という環境が、神が人と出会って下さる場所なのです。
 『人がもし何かを知っていると思ったらその人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。』と先ほど読みましたが、私たちが知らなければならないのは、神をただ知識的に知るだけではなくて、「神との個人的な出会い」を体験しなければならないのです。そのことを第一コリント八章は教えています。

 ちまたでは、春まつりが盛んになされています。人々は祭りのはっぴを着て祭りに参加しています。しかしそこには、本当の神との出会いなんか全くありません。コリント第一八章は偶像に捧げた肉についてという話から始まっているのですが、これはどういう意味でしょう。
 当時の社会は、ギリシャ、ローマの文化の時代でした。偶像の神々を拝むのは一つの文化で、偶像の宮に行ったら生け贄の首ちょん切って、血を流し、肉を下げて食べていました。彼らは長いこと培われて来た、異教の文化の中で、ただ知識的にそのような行為を繰り返していたのです。
 しかしパウロはそんなただ中で「ただ知識だけでは駄目だ。真の神との出会いがなければ、何の意味もありません」と語っているわけです。

 私たちも、聖書を知識的に知ることも大切ですが、それだけではいのちはありません。真の神様との出会いが重要です。
 しかし出会いがどこで起こるのかというと、心くじかれ、砕かれ、へりくだった環境で神は人と出会ってくださるのです。そして、その人は「神に知られる」ようになるのです。

 前にもお話ししましたが、星野富弘という大変有名な詩人がおられます。彼は群馬県に生まれ、中学校の体育の先生でした。ある時、クラブ活動の指導の時、脊髄を損傷したわけです。それで体が麻痺して、全く動かなくなってしまったわけです。それは辛かったと思います。今まで体育の先生で、なんでもできた人だったのに、ある日突然、痺してしまったのです。首から下が全く動かない状況に瞬間的になったわけです。本当に最初は苦しかったと思います。しかしそんな中、彼はイエス・キリストと出会ったわけです。
 そして今や、あのような不自由な中から出てくる詩が、多くの人たちを慰めるようになったのです。彼が作った詩の一つにこんなのがあります。

「いのちが一番大切だと思っていた頃、生きるのが苦しかった
いのちより大切なものがあると知った日、生きるのがうれしかった」

 彼は「いのちが一番大切だ」と思って生きていたらしいですけれど、それ以上に大切なものがあると知った日、生きるのがうれしかったと読んでいます。これは何を意味しているのでしょうか。永遠のいのちを知った日、イエス様と出会った日、彼の人生が変わったのです。

「木は自分で動き回ることができない
神様に与えられたその場所で精一杯枝を張り許された高さまで一生懸命伸びようとしている
そんな木を私は友だちのように思っている」

 彼は全く動くことができませんが、病室の窓から見える木を見て「木は全く動けないじゃないか。俺と一緒だ。でもそこで精一杯枝を張って生きている。俺の友達のようだ」と読んだわけです。そのような苦しみの中で、彼は神様と出会ったわけです。
 もしも彼が苦しみに出会わなかったら、今頃、まだ体育の先生かもしれません。一教員で終わったかと思います。けれども、彼が苦しみにあったゆえに、多くの人たちを慰める役割に変えられたのです。
 では神との出会いの場は、校長室ではなく、心砕かれて苦しみのどん底にあったのです。
 時にはいろいろな問題があって苦しいことがありますが、そこが神がお会いになる場所であり、知識的に神を知るだけではなく、個人的に「神を体験し、主も私のことを知っていてくださる」という、相互の愛の関係が築かれるのです。

 オーストリア生まれのユダヤ人哲学者のマルティン・ブーバーは、クリスチャンではなかったと思いますが、彼は「宗教とは、神について語ることではなく、神に語りかけること」と主張しています。彼によると「聖書の真髄は人間と神との対話にある」とし、「人間はあらゆる出会いにおいて、神から語りかけられている存在であり、常にこの語りかけに対して、自らを開き、自らの全存在を持って応答する用意ができていさえすれば、その事に気づくようになる」と言いました。
 神は私たちに、いつも語りかけてくださっています。神との出会いの場は、同時に、日常の中にもあります。

 神と出会うならば、どんな状況にあっても、人生は上向きになっていくのです。なぜなら、神が私たちの人生に対して責任を持って下さるからです。どんな状況の中にあっても、常に主が共におられ、正しい道に導いてくださるようになります。
 聖書の有名な箇所に詩篇二十三篇があります。これは何度も、みなさんに紹介しました。ある方は暗唱しておられるかもしれません。ダビデという人物は敵に命を狙われ、どうにもならないどん底で、神を個人的に体験したのです。こんな風に読みました。

『主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。』

 みなさんの羊飼いはイエス様です。こんな映像がありました。

プレゼンテーション 7_5.jpgプレゼンテーション 7_6.jpg

 羊が谷川に落ちてしまいました。それを羊飼いの少年たちが、一生懸命協力して引き上げている姿です。そして羊は助かりました。時々、このような濁流に流される時がありますけれども、イエス様があなたの羊飼いならば、身を乗り出して危険を顧みず、引き上げ助けて下さるのです。
 でも、この画像にはもう一枚写真がついていました。次の写真がこれでした。

プレゼンテーション 7_8.jpg

 ジョー先生からもらった、ジョークの写真ですけれど、こんなことを神様は絶対にしません。ただ、助けて下さいます。これをやるのは悪魔です。
 ある時は谷底に落ちるようなことがあったとしても、イエス様を羊飼いするならば、決して間違いはないのです。私たちを義の道に導いてくださり、緑の牧場に伏させてくださるのです。

『たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。』

 水が流れる場所は地形的に、最も低い場所を流れます。山の上を流れている川はありません。一番低い所に沿って、川は流れています。
 水はいのちの水であり、生きるためにどうしても必要です。それは谷底にあります。人生の中でいのちの水を発見するのは、山の上よりも、谷底で発見するのではないでしょうか。
 谷底は、猛獣たちも水を飲みに来ますから、結構危ない所です。みなさんもどうでしょうか?今までの人生の中で「私は谷底に落ちた!」という方、もちろんイエス・キリストに出会ったという、すばらしさもあったけれど、ちょっと間違えば命を落としたかも知れません。そこは危険な状況ではなかったでしょうか。

 今、多くの人たちが谷底に落ちています。そして命を失っている人たちも多くいます。夫婦が谷底に落ちてるし、親子が谷底に落ちているし、様々な領域において谷底に落ちているのです。そのまま流されてしまう人たちも大勢いるのです。それはやはり、そこに猛獣がいるからです。
 しかしイエス様はどういう方であるかというと『あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。』これはどういう意味でしょうか。
 これは訳があまり良くありません。あなたのむちと杖が「慰め」なんか変な感じです。この意味は、神が武器によって敵を打ち破って下さるということです。
 時には谷底に落ちるかもしれない、猛獣がよってくるかもしれない。しかし、主はそれらを打ち破り、あなたを助けますよ、と教えています。『私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。』とあります。なんと敵の面前で食事ができるほどまで、回復してくださるのです。
 いろんな問題があると、食事も喉に通らないような精神状態になってしまう時があります。けれども、そんな大変な中にあっても、谷底から徐々に徐々に、元気を回復し、そこでも食事ができるようになるのです。そして、油注がれるのです。油注がれるとは、権威を表しています。敵の面前で、私たちは権威を回復するのです。そして、私たちを苦しめて来た敵に対して、我々は権威を回復し、敵を見下ろすほどまで回復して下さるのです。

『まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。』

 ダビデは決意を語っています。「いつまでも主の家に住まうのだ!」と。みなさん、私たちも、いつまでも主の家に住まうという、決断をしなければなりません。決意して主に従うならば、決して間違いはありません。

ローマ人への手紙八章二十六節〜二十八節、

『御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』

 時には、どう祈ったらいいのか分からないことがあります。「今まで一生懸命祈ってきた。でも私の問題は動かない。どうこの問題に対して、祈ったらいいのか・・・」という時、そんな時でも聖霊様が、私たちの代わりにとりなしの祈りをしてくださっているのです。
 私たちが弱さを覚えると、祈りの力さえ失ってしまいます。時に「私は祈る力もないです」という方と出会います。でも心配しなくてもいいのです。あなたが祈らなくても、聖霊様があなたの代わりにとりなしの祈りをしてくださっているからです。
 クリスチャン生活のすばらしいのは、ローマの二十八節の御言葉です。ちょっとみなさんで声を出して一緒に読んでみましょう。

『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』

 『神を愛する人々』とあります。今日のテキスト、第一コリント八章三節にも『しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。』とありましたが、「神を愛する人」とは、主を信じる人です。その人には、何が起こるのかというと、『神がすべてのことを働かせて益としてくださる』というのです。
 クリスチャン生活にも、様々なことがあります。しかし後から振り返って言えることは、神が麗しくすべてを益にしてくださったと言えることです。
 信仰生活を、短いスパンで判断してはいけません。もちろん神様は目に見える形で、大きな奇蹟も起こされます。しかし十年、二十年、三十年と振り返ると、すべてが益となったことに気づかされるのです。

 この教会も設立されて、もう六十年以上になります。今回も、ジョー先生一行と一緒に私の生まれた津具に行きました。新城教会が最初に始まった場所に行ってとりなしの祈りをしました。前にもみなさんにその映像を見せました。本当に小さな小屋から始まりました。あの時、こんな会堂が出来て多くのみなさんと一緒に礼拝ができるなんて、全く思いもよらなかったのです。
 しかし六十年経ったら、みなさんを集めてくださり、教会を通して、多くの人々の人生にインパクトを与える働きに導かれました。神はすべてのことを益としてくださるんだと、いろんな苦労をしてきたけど、苦労で終わりではなく、すべてを益として下さったことに気づかされるのです。

 今日初めてこられた方もおられると思いますし、この頃来られるようになった方もおられます。教会に来て十年、という人もいますし、二十年と、いろいろな方がおられます。けれども、この教会ですばらしいのは、様々な年代、「六十年前からクリスチャンです」「五十年前からです」「四十年前からです」と、様々な年代のクリスチャンを見て、神がどう人生を導いてくださったかを見ることが出来るからです。六十年物のクリスチャンを見て「本当に、すべてを益にしてくださった!」と知ることができたら、明日を生きる力となるのではないでしょうか。

 今回ジョー先生たちが来られ、東京にとりなしの祈りに行きました。ジョー先生が、「東京に行ったら一カ所、とりなしの祈りに行きたい所がある」と言われました。「いいですよ。どこでも連れて行きますよ。どこですか?」と聞くと「世田谷」と言うのです。世田谷と言っても広いのです。世田谷区を見てみたら、九十万人近くの人が住んでいるのです。世田谷のどこかと聞くと「知らない」と言うのです。
 なぜ世田谷に行きたいのかと聞きましたら、今、ジョー先生の教会に世田谷出身の、おばあちゃんが来られています。メリーさんという方です。そのおばあちゃんの祝福のために、彼女が生まれた場所に行って、祈りたいというのです。
 なぜ、おばあちゃんがジョー先生の教会に来るようになったかと聞いたら、神様は本当に不思議な方です。いろんな出会いで、人を教会に導かれるわけです。
 太平洋戦争が終わって、その後、多くの日本人女性がアメリカ人の兵士と結婚し、アメリカに行きました。しかしアメリカに行って、ちゃんとした家庭ができた人もいれば、一つの出会いが人生を他の方向に導くことも多くあるのです。
 実はそのおばあちゃんは、私の姪っ子のヤエが今ヤキマに住んでいるのですが、ヤキマは沙漠の真ん中で、およそ日本人がいるような所ではありません。姪っ子のヤエが、ヤキマのスターバックスコーヒー店で働いていたそうです。すると毎日、日本人の顔をしたおばあちゃんが、同じ時間に同じ場所に来て、本を読んで帰って行くというのです。毎日、毎日です。向こうは東洋系の人が多くいますから、「この人、日本人じゃないかな?」と思って、ヤエが「日本人ですか?」と声をかけたら、その方は日本人だったのです。
 なんでヤキマに住んでいるのかと聞くと、そのおばあちゃんは一人でヤキマに五十年以上住んでいるというのです。その方もやはり、戦後アメリカ人と結婚してアメリカに来たのですが、ご主人も亡くなり、その間に日本の親族もみんな亡くなっちゃって、ひとりぼっちになってしまったというのです。アメリカで誰も、彼女をケアしてくれる人がいないというのです。
 ほとんど周りの人とも話をせず、沙漠の真ん中に住んでいるのです。楽しみと言ったら午後に、一人でコーヒーを飲んで帰る、そんな生活でした。
 しかしヤエがそれを見て、声をかけたのです。そして「教会に来ませんか?」と誘ったら、ジョー先生の教会に来るようになったというのです。人から声をかけてもらうなんて、久しぶりだったらしいです。
 ジョー先生も本当に愛が深くて、彼女は身元引受人が誰もいないので、ジョー先生が書類にサインをしてあげたというのです。「うちのファミリーみたいなもんだ」と、言いました。なかなか愛が深いなと思いました。見ず知らずの日本人のばあちゃんのために、身元引受人になるなんてすごいなと思いました。でも私は意地悪に、「ジョー先生、そのばあちゃん財産をたくさん持っているの?」と聞いてみたら「財産も何もない」と言うのです。
 そのおばあちゃんのことを考えると、心が痛いというのです。日本とアメリカの歴史のうねりの中で、今でも苦しんでいる人がいる、だから彼女のために現実的に支えるだけでなく、霊的にも背後で働いた暗闇の力に立ち向かう、とりなしの祈りをしたいというのです。それで「おばあちゃんの出身は世田谷だから、そこに行って祈ってくれ」と言うのです。

 私も「わかりました」と言いましたが、「でも先生、世田谷って広いんだよ。もっとちゃんとした情報はないの」と聞いても、戦後のことで場所は特定できませんでした。私は、東名高速の東京インターが世田谷にあり、その入り口付近にマクドナルドがあるから、帰りにそこに入って食べながら祈ればいい、思っていました。「ここが世田谷だ」と、彼らに言えばそれで信じますから、そうしようと思ったのです。
 でもやっぱりアメリカの先生方がそこまで愛を持ってくれるのに、ちょっと冷たいなと思ったので、もう少し祈らなくてはいけないと思ったのです。とはいっても、情報がないわけです。しかし不思議なものです。「主よ。どこで祈ったらいいですか?」と祈ると、一緒に行った瀧川充彦スタッフが「順先生、世田谷に大きな寺があるよ。そこで祈ったらどう?」と言いました。人を苦しめる背後に、死の霊が働いています。死の霊はどこから来るのか、それは先祖のふりをした悪霊です。それは祖先崇拝からやって来ます。皆、先祖だと思って関わるのですが、先祖のふりをした悪しき力が働きます。そして墓場で祖先崇拝がなされますから、墓場でとりなして祈ったらいいと思ったのです。

 私は「そうか。大きな寺があったら、そこの墓場で祈ったらいい」と思いました。しかし戦後まもなく、アメリカに渡ったメリーさんというおばあちゃんの痕跡を、あの広い世田谷で探すなんて絶対に無理だから、期待もしていませんでした。ある大きな寺に入って行きました。墓場だけでもこんなに広いのです。

プレゼンテーション 7_9.jpg

 墓場に入って、どこでもいいからお祈りしようかなと思った時、ジョー先生が「そのおばあちゃんの日本名の名はOOHARAさん」と言いました。私は墓場に入って行ったら、なぜか一つの墓が目に入りました。すごく気になりました。そこには「小原」とありました。アメリカ人から見たら「おはら」も「おおはら」も同じじゃないかと思って、「ジョー先生、おばあちゃんは、おはら?おおはら?どっち?」と聞くと「それは分からん」と言うのです。
 すると「ちょっと待って!」おばあちゃんが自分の名前を漢字で書いてくれたのを写真で撮ったから探す、といって彼はiPhoneでDropboxから写真を引き出して、探していました。一生懸命探していたのですが見つかりませんでした。
 まぁどっちでもいいやと思って、私は気にしていなかったら「あった!」と言うのです。そして見せてもらったらなんと大原じゃなくて、私の目の前の墓の「小原」とありました。「同じだ。これはいいや。」と思いました。でも、大原も小原も、多くの人がいますから特定はできません。
 でも、なんとなく気になったので、墓碑に名前が書かれていたので写真を撮って、ヤエにチェックしてくれるように送りました。
 みなさん、その墓って、誰の墓だったと思いますか?なんと、ヤキマのスタバに来ていたおばあちゃんのお父さんと、その一族の墓だったのです!
 ちょっとぞっとしました。ぞっとしたって、悪い意味じゃなくてですよ。神様は生きているな、と思いました。普通じゃありえないと思いませんか?現在、世田谷には九十万人くらい住んでいる中で、戦後アメリカに渡ったおばあちゃんの先祖の墓を特定するなんて、絶対できないと思います。

 実際今回、私は、東京タワーの前の寺に、私の母方のじいちゃんの墓があるので、私のじいちゃんの墓を探しに行ったのですが、そんなに広くなかったのですが見つけることができませんでした。橋本という名前で「橋本さんの墓はどこですか?」と聞いたら「あの辺にある」と言われても分からず、「まぁいいや」と適当にとりなして、祈って帰って来ました。
 この広い東京で、戦後アメリカに渡った人の父親とか、一族の墓を見つけるというのは普通じゃ絶対に不可能です。
 なんで見つかったのでしょうか。「俺って、ちょっと霊感強いかな」と思ったのですが、そうではなく、神の導きがなかったら絶対に見つけることはできないのです。

 何が言えるかというと、神が一人一人を知っておられるということです。すべての情報を知っておられ、私たちを導いておられる証拠じゃないでしょうか。
 東京から帰る道で、「これが本当にビンゴだったら、俺は神を信じる」なんて冗談を言っていましたけれど、本当に当たっているとは思いませんでした。

 これは私たちに対する励ましだと思います。「あなたのこと、ちゃんと知ってますよ。すべて知っていますよ。どん底にいたってちゃんと知ってますから、心配しないでください」という事です。神がすべてのことを働かせて益としてくださいますから、この事を語りかけていると信じます。
 今日、私たちは神に知られている者であることを、心から感謝したいと思います。私たち一人一人を知り、この地上に来て命まで捨て、よみがえって今も生きておられる主、イエス・キリストに、人生を任せるならば、決して間違いはありません、というのが聖書のメッセージです。今日も私たちは、堅く信仰を持って前進しようじゃありませんか。

 『人が神を愛するならその人は神に知られているのです。』
 私のすべて知っていてくださり、すべてを益としてくださるという信仰と共に、今から聖餐式を行いたいと思います。一言お祈りします。

 ハレルヤ。天の父なる神様、御名をあがめて心から感謝します。私たちのことを知っていてくださることを、心から感謝をいたします。あなたが私たちを愛して、地上に来て、命まで捨て、よみがえってくださったしるしである、聖餐をいただきます。
 人生のすべてをよくしてくださるという信仰と共に、聖餐式にあずかります。一人一人に出会ってください。この聖餐式を、御言葉と聖霊によって今行います。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。