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『リバイバルの条件を満たそう

2013.5.19 (日)
新城教会主任牧師 滝元順
使徒の働き 2章1節〜8節

『五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。』


 ハレルヤ!おはようございます。今日もみなさんと共に礼拝できますことを、心から感謝します。だいぶ暑くなりました。まるで夏のようですけれど、季節は夏に向かっています。心も熱く燃やしながら、主に仕えていきたいと願っています。

 先週私は、神奈川県の伊勢原の教会で奉仕をさせていただきました。大変すばらしい集会でした。それが終わってすぐに、次の朝から滋賀県に行き、集会を導かせていただきました。それは、在日大韓キリスト教会と言いまして、日本におられる韓国の方々の集りでした。二日間奉仕をさせていただきました。
 その聖会は今年で四十二回目になるそうですが、日本人講師は初めてだと言われました。今まではずっと韓国人講師だったそうですが、初めて日本人講師を招いたそうです。だいぶ論議があったみたいです。「日本人じゃ難しい」とか、いろいろあったみたいですが、一人の先生が「順先生は韓国人よりも韓国のことをよく知っているよ」と言ってくださったそうで、講師として講壇に立つことを許されました。
 みなさんに祈っていただきまして、大変すばらしい集会でした。祈りを常に感じながら、奉仕させていただき、心から感謝しております。

 今日は「教会の誕生日、ペンテコステの日」と呼ばれる日です。三月の暮れに「復活祭」がありました。イエス様が死からよみがえられた記念日をみなさんと共に祝いましたけれど、それから五十日目に当たる日が、ペンテコステの日です。
 「ペンテコステ」とは「五十番目の日」という意味だそうですが、これはユダヤ教における「過ぎ越しの祭」から五十日が経った日で、春の収穫祭です。その時に天から聖霊が注がれ、教会は誕生したのです。

 もしも聖霊が注がれず、エルサレムに教会が誕生しなかったなら、今日の教会は存在しないわけです。私たちが今日、こうして主を礼拝できることは、本当にすばらしいことです。
 私はいつもメッセージの前に、前列に座りますが、そこに子どもたちがおりまして、「順先生、今日はおもしろい写真はあるの?」と聞かれます。だから私は子どもたちに約束を果たさないといけません。ペンテコステの日とは、全く関係のない写真を持って来ました。

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 これはどうでしょうか?

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 どこかでこっそり聞いている人がいますから、気を付けましょうね。また写真の撮り方によってはまずいですね。

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 「この地震による津波の心配はありません」と言われても、心配しちゃいますね。もう一枚、怖い写真があります。

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 作為的なのかどうか分かりませんが怖いですね。

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 ここからは在日大韓教会での集会の模様です。真剣に主を求め、主を礼拝する姿に感動しました。

 私は在日大韓教会の集会で、神様から大きな恵みを受けました。その事に関しては、後からお話をさせていただきます。今朝は「リバイバルの条件を満たそう」という主題でお話しします。
 今日は聖霊が降臨した記念日ですが、聖霊降臨に先だってイエス様は弟子たちに一つのことを語られました。それが使徒の働き一章三節〜八節の言葉です。

『イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」』

 イエス様がよみがえった時に弟子たちは、「主よ、今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか?」と質問しています。彼らが自分たちの国を愛し、同時に憂いていたことが分かります。
 私たちも日本に住んで、これから日本がどういう方向に行くのか、毎日の報道を聞きながら心配になる今日この頃です。私たちも「この国の未来を守り、正しくしてください!」と主に祈る者でなければなりません。
 この教会は日本のリバイバル、多くの人たちが救われて永遠のいのちを受けるようにと、長く祈っています。リバイバルの祈りを与えられて、すでに二十年以上の歳月が経ちました。時々、祈りながらも待ちくたびれてしまう時もあります。

 現代人の一番不得意な分野は「待つ」ことです。私も待つことが嫌いです。我慢があまりきかないところがあるのです。現代人の我慢の限界は三分だそうです。ラーメンも三分以内に設定しないと売れないそうです。五分待ってくださいなんていうと、皆、買わないというのです。どうりで、ウルトラマンも三分しかエネルギーが持たないはずです。
 しかしクリスチャンになりますと、忍耐という教科があることに気づかされます。日々の生活の中で、「忍耐して待つ」という者に変えられるわけです。
 みなさんも忍耐の中で、長く祈り続けておられる課題も多くあるかもしれません。しかし主は、忍耐の中で、必ず答えを与えてくださるのです。

 駅の待合室はなぜあるのかというと、待っていれば、必ず電車が来るからです。東京駅に行きますと「銀の鈴広場」がありまして、大勢の人たちが待っています。なぜ待っているのかというと、出迎えを待っています。
 私たちも、人生の中で待たなければならない時があるのです。しかし待合室には、必ず目的があるのです。国を再興していただきたいと、日々祈る者ですが、主は必ず、答えてくださるはずです。しかし神様の答えは、私たちが想像している答えとは、違う場合もよくあります。

 弟子たちは「イスラエルを再興してください」とイエス様に頼んだのですが、彼らは、イスラエルの政治的復興だとか、目に見える領域の復興を願っていました。しかし与えられた答えは、見える復興ではなく、霊的復興でした。
 本当の復興とは、見える領域ではなく、見えない領域の復興です。それこそ真の復興であるのです。私たちは様々な領域に関して待たなければならない時がありますが、それは重要な準備の期間です。ですから私たちが今、「待っている」のは重要な時であるわけです。イザヤ書四十章二十八節〜三十一節にこんな言葉があります。

『あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。』

 私たちは、疲れてしまうことがあります。しかし主を待ち望むことは疲れるものではないのです。『新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる』と約束されています。『走ってもたゆまず、歩いても疲れない。』この御言葉が歌になっていますが、ご存知でしょうか?

♪主を待ち望む者は新しく力を力を得る
鷲のように翼をかって
高く高く舞い上がる 
走ってもたゆまず歩いても疲れない

 主に大きな拍手をいたしましょう。今待っている事があるなら、必ず、鷲のように高く高く上る日が来ます。
 私たちの究極的な待ち望みは、近頃、よく語っていますけれど、主が再びこの地に戻って来てくださる日です。その日、死者は復活し、私たちは栄光のからだに変えられ、主と共にこの地を治める日が来るのです。究極的な勝利の日を目指して、「あなたがたは待ち望みなさい」と主は語っておられます。

 なかなか答えがこないと、「神様は私のことを忘れてしまったのではないか・・・」と思う時もありますが、決してそうではないのです。後から振り返ると「待っていた期間が一番良かったな・・・」と気づくのです。
 この教会に新しい扉が開かれたのが、一九九二年二月一三日でした。私たちが愛知県民の森で祈っていた時、ペンテコステの日のように激しい風が吹いて来るような音がして、聖霊が注がれました。あの日のことを、私は忘れることができません。当時、いろんな問題があって、主の前に出ていました。

 実は私は牧師の息子に生まれて嫌いなことが幾つかありました。第一に聖書を読むことが嫌いでした。そして祈ることが嫌いでした。そしてもう一つ極めつけ、伝道することが嫌いでした。そんな者が牧師になったって、何もできるわけがありません。特に、祈りが嫌いでした。
 みなさん、祈りは好きですか?嫌いですか?「祈りなんかしなくたって、神様はすべて知っておられるはずだ」と言う人がいますが、私も昔、そう言ってました。けれども、祈りは本当に重要です。祈らない人は、大きな損をしています。
 私は祈りなんか、好きではありませんでした。しかし家内が体調を崩し、起きることができなくなってしまいました。また私の周りに、同時にいっぱい問題が起こりました。これからどうなってしまうのだろう、と思っていた時に「あなたは祈りなさい!」と主がメッセージを下さいました。

 時々私たちの周りに、いろいろな事が起こって祈らなければならない環境ができるのですが、それは「祈りなさい。祈ったら解決をあげますよ」という、サインです。
 私は全く祈らない者でしたが、「これは祈るしかない、他に解決の手立てはない」と思いました。その頃、「韓国では徹夜祈祷会をやっている。夜を徹して祈っている」と聞いていました。私は、夜は寝るものだと堅く信じる者でした。夜に祈るなんて絶対に考えられないと思っていました。しかし追い詰められるとそうでもないのです。
 ある晩のこと、私は愛知県民の森に行って、夜中に祈ろうと決心しました。それも広場ではなく、山頂にまで登って祈る決断をしました。
 私は一人でリュックサックの中に熱いお茶を入れ、おにぎりを自分でにぎって入れ、聖書も入れたけれど、どうせ暗くて読めないなと思って重いから出して、山の上に登って行きました。
 そこで真剣に叫んで祈りました。夜中の十二時頃、愛知県民の森の山頂で祈りました。普通だったら怖くて行けないけれど、追い込まれるとなんでもするのです。

 祈っているうちに、私の周りに起こっているいろいろな問題が、もしかしたら霊的な問題かもしれないと感じ、生まれて初めて「私の周りで働いている悪霊どもよ!私から手を離せ!出て行け!」と大きな声で叫んでみました。
 何か問題を持っている人は、私と同じように、試しに今夜、愛知県民の森の山頂に立って叫んでみてください。
 しかし私はその夜、恐怖体験をしました。「悪霊よ出て行け!」と叫んだとたん、目の前に天狗が出て来たからです。本当にびっくりして、転がるように山から降りて来ました。
 それをみんなに話したら、「夜中に一人でそんな所に行ったら、そういう気持ちになるよ」と言われました。しかし私は、心で見たのか、目で見たのか分かりませんが、何しろ目の前に天狗が現れたのです。
 その体験を通して、私の周りで起こっている問題が霊的問題かもしれないと気づかされたのです。それで「負けちゃいかん」と思って、次の週も山頂に祈りに出かけて行きました。でも一人で行くのは怖いから、教会のスタッフたちを誘って、登って行きました。そうしたら、その日は天狗が現れるどころか、たいへん恵まれました。「夜、山に来て祈ると恵まれるね!」ということで、なんと「毎週月曜日の夜は、愛知県民の森で祈祷会をする」ということが決まり、それから三十年近く、ずっと祈りが継続されています。

 そんな流れの中、一九九二年二月一三日に突然天が開かれ、聖霊が訪れてくださいました。そして私も変えられ、教会も変えられました。その当時からおられる方々は知っていると思います。やはり、長い待ち望みの祈りがなかったら、今はないのです。
 そこから主は「霊的戦いの祈り」を教えて下さいました。これも長い間、兄弟・姉妹が共に祈って下さった結果であり、主が開いてくださった賜物です。
 時に信仰の生活の中で、待たなければならないことがあるかもしれません。しかし、失望しないで疲れないで、期待して祈り続ける時、必ず、主は訪れて下さいます。
 後に振り返ってみれば「あぁ、待っていた頃が一番良かったな・・・」と気づくのです。今でも私たちは、月曜日に県民の森に祈りに行くのですが、振り返ってみれば、「聖霊が注がれた日も良かったけれど、それ以前、みんなで集まって真剣にリバイバルを求めていた頃が懐かしいなぁ・・・」と感じるわけです。「あの時は何も起こっていなかったように見えたけれど、新しい力を得ていたんだ。大切な準備の期間だった」と気づきました。
 今、日本のリバイバルのために、私たちは真剣に祈っていますけれど、必ず主は、日本に訪れてくださると信じます。

 弟子たちはよみがえりのイエス様と四十日間、共に生活しました。イエス様は死を打ち破ったわけですから、「よみがえりのイエス様がついていれば怖いものはない!」と思っていたようです。しかし四十日目に、イエス様は目の前で天に帰ってしまわれました。
 しかしイエス様は弟子たちに「エルサレムにとどまって、祈り続けなさい」と命じられたのです。それで彼らはマルコの二階座敷に引き込んで、祈っていたのです。すると十日目に、聖霊が注がれたのです。そこから教会は始まったわけです。その事が使徒の働き二章一節から記されています。先ほども読んでいただきましたが、もう一度、一節から八節まで読んでみたいと思います。

『五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。』

これが聖霊が注がれた時の様子です。さて、聖書の理解の仕方は、第一に、「いつ・どこで・誰に・何が起こったのか」を客観的に見る事が大切です。
 私たちは毎週、礼拝で御言葉を自分たちの生活に適用しているのですが、それは重要ですが、適応する前に、「いつ・どこで・誰に・何が起こったのか」を客観的に読み取ることが大切です。その上で、御言葉を自分のものとして適応することが重要だと思います。
 使徒の働き一章・二章・三章・四章と順に読むと、教会が誕生して、福音が爆発的に世界に拡がっていく様子が描かれています。それを客観的に分析していく時、私たちの国にどのように適応したらいいのかが見えて来ます。
 二階座敷で祈っていた人たちとは、どういう人たちであったかというと、ガリラヤ人たちでした。
 どこで事が起こったのかといいますと、「エルサレム」で起こりました。また機会がありましたら、イスラエルに行きますと、聖書がよく分かるようになります。聖書の世界は、読んでもなかなかピンと来ないところがあるわけです。例えば「ガリラヤ人」と言っても、ガリラヤが何処にあるのか知らないと分かりません。そこはイエス様の伝道の本拠地でした。実際に行きますと「こんな所でイエス様は福音を宣べ伝えていたのか・・・」と分かります。

 また「エルサレム」に行きますと、「ここでかつて、いろんな事件が起こったのか・・・」と分かります。そんな中で聖書の理解が深まって行きます。ガリラヤ人とはどういう人たちかといいますと、エルサレムは日本でいうと東京みたいな所です。しかしガリラヤは、新城みたいな田舎です。
 当時、エルサレムに住むユダヤ人たちは、ガリラヤ人を差別していました。「あんな所は何も良い物はないよ。異邦人の地ガリラヤ」と呼ばれ、歴史的な背景もあって、重要視されていない所でした。しかしそんなガリラヤの人たちが祈り始めた時、聖霊が注がれたのです。
 これを、現代の日本に適用するとどうでしょうか。やはり地方の教会が祈らなければならないのではないでしょうか。日本の中でも、新城は田舎です。日本のガリラヤ地方のような町から、日本のリバイバルの祈りが始まったのも、何らかの大きな意味があるのではないかと思っています。

 ガリラヤの人たちが祈っていると、聖霊が注がれ「天から激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡り、炎のような分かれた舌が現れてひとりひとりの上にとどまった」と記されています。

 一九九二年に聖霊が来られた時も、音がしました。私たちは甲子園ミッションを前にして、当時、疲れ切っていました。多くの問題があり、祈るしか解決がないということで、七日間、徹夜祈祷会をやろうと始めました。その最後の日に、主が訪れてくださいました。仕事が終わってから山の中に入って、みんなでリバイバルを求めて祈っていました。三・四日は良かったですが、だんだん疲れて来て、初めは三十人くらいで祈っていましたが、段々と人が減っていきました。最後の日は、たったの八人しか来ませんでした。みんな風邪を引いただの、忙しいだの、見え透いた理由をつけて祈祷会に来なくなりました。
 最後の日、私も疲れ果てていて、祈祷会のリーダーでしたから、リーダーはすばらしい特権がありまして、私の心次第で、祈祷会を長くも短くもできるので、その夜は、三十分で終わって帰ろうと思っていました。最後の日、私たちは祈る気力もなく、声も出ませんでした。
 しかし三十分くらい経った頃、私たちが祈っている小屋の外から、ゴーッという音がして、突然、聖霊様が私たちの所に訪れられました。すると、みんなその場に倒されてしまいました。

 さて、百二十人の上に聖霊が注がれた時、何が起こったのでしょうか。百二十人に聖霊が下ったと考えるのですが、よく読んでみると、もちろん百二十人が中心でしたが、街全体に響きが起こっていたことが分かります。
 「何事だ、何事だ!」と人々が集まって来たと記録されています。使徒の働き二章五節に、

『さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。』

 なんと街全体に響きが起こったのです。百二十人に聖霊が注がれたと思ったら、街全体に響きが起こっていて、多くの人たちが集まって来たのです。どんな人たちが集まって来たのかというと、『それぞれ自分の国の言葉で弟子たちが話すのを聞いて驚きあきれてしまった』と記されていますから、外国の人たちが集まって来たようです。
 当時、エルサレムには外国人も多く住んでいたみたいです。物音に反応して集まって来たのは、外国の人たちでした。彼らがそこで聞いたメッセージは、ガリラヤ弁ではなく、彼らが住んでいた国の言語でメッセージを聞いたのです。そのメッセージによって、イエス・キリストを救い主として信じたのです。

 今、私たち全日本リバイバルミッションは、アジア環太平洋ミッションを計画しています。今年は八月に和歌山でミッションがあります。八月二十三日と二十四日です。是非ともお越しいただきたいと思います。
 また、来年二月は、タイのチェンマイでリバイバルミッションを開くことになっています。実は、祈っていただきたいのですが、岡本信弘先生の娘の泉ちゃんが、今週、チェンマイに遣わされて行きます。遣わされて行くというより、自分で行くのですが、彼女には賜物がありまして、どこの国でも自由に入って行きます。そして語学の賜物があります。
 彼女は日本語ができます。それから三河弁。この頃じゃ東北弁もできますよ。東北に二年間、震災支援に行っていましたから。英語もぺらぺらです。また韓国語もぺらぺらです。ということは、今度はタイ語もぺらぺらになると信じております。あれは神様からの能力だろうなと思います。
 彼女は韓国に行って、半年くらいで韓国語ができるようになりました。すごいと思いました。最初に韓国に行った時、韓国の先生方とのミーティングの時、「あなた日本から遣わされて来たの?ところで韓国語できる?」と聞かれました。彼女は『できません。』と答えました。「できないなら、使い物にならないね」とプレッシャーをかけられていました。そうしたら、なんと、半年くらいでできるようになりました。私なんか何年行っていてもできないのですが、今回、タイのチェンマイでミッションが開かれますので、是非とも祈っていただきたいと思います。大きな神様の計画があると信じます。
 イエス様は『全世界に出て行って福音を伝えよ』と言われました。私たちの目的は何でしょう。「日本の教会は、日本国内を宣教することでしょう」と言われますが、もちろんそうですが、いつも話しているように、私たちの究極的な目的は「主が帰られる日」です。その日が最終勝利です。ということは、主が帰って来られる日を早めるために、働かなければならないのです。そのためには、世界に出て行かなければいけないのです。困難な中で働かないと、主が帰られる道が用意されないのです。
 私たちの働きは、主が帰られる道を真っ直ぐにし、主が来られる日を早める働きです。是非ともタイでの働きを、主が守り、祝福してくださるように、祈っていただきたいと思います。

 私はいつも海外で奉仕をする時に困るのが言葉です。言葉ができないのは本当にもどかしいです。今回も、在日大韓キリスト教会の奉仕をさせていただいたのですが、私は日本語でメッセージをしたのですが、韓国語の人が半分いて、日本語がよくできる人が半分でした。半分の人はレシーバーで聞いていました。同時通訳ですので、勝手に話せるのですが、それを通訳しているのです。だから笑いも時間差があるのです。「韓国語ができたらいいのにな・・・」と思いました。

 聖霊が注がれた時に、なんと、ガリラヤ地方の人たちが、勉強もしていないのに、世界各国の言葉をしゃべったというのです。これは神の霊によってです。この賜物が欲しいと思うのですが、言語を越えて主が働いてくださるように、お祈りしていただきたいと思います。

 しかし、ここに集まってきた人たちは、外国人のように見えるのですが、よく分析してみるとどのような人たちかが分かります。使徒の働き二章五節。

『さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。』

 どういう人たちが主に集まって来たのかというと、『エルサレムには敬虔なユダヤ人が天下のあらゆる国から来て住んでいた』というのです。ユダヤ人ならばイスラエルに住んでいて、当然じゃないかと思われます。ユダヤ人たちが、他の国から来て住んでいたというのです。
 実はイスラエルの歴史を見ると、離散の歴史です。「ディアスポラ」という言葉を聞いたことはありますか?

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 「ディアスポラ」とは、どういう人たちのことかというと、散らされた人たちのことを言います。ディアスポラとは、たんぽぽの種が風に散らされるように、自分の意思とは別に、海外に散らされた人たちの呼び名です。
 イスラエルには悲しい歴史があり、多くの人たちが自分の意思とは別に、海外に散らされて行きました。イスラエルは元々一つの国でしたが、北イスラエルと南ユダに別れ、北イスラエルはアッシリアという大国の奴隷になり、南ユダの人たちはバビロニア帝国に連れて行かれました。それ以後も、世界史の流れの中、離散の歴史でした。自分の意思とは別に、世界中に散らされて行きました。
 今でも「ユダヤ人」と呼ばれる人たちは、世界中に散らされています。世界中にユダヤのコミュニティがあります。「あの国に行きたいな」と自由意思で行ったのではありません。歴史の風に吹かれ、自分の意思と関係のない所に定着した人たちなのです。
 聖霊が注がれた時のエルサレムはどんな状況であったかというと、世界に散らされていたディアスポラと呼ばれていた人たちが、エルサレムに戻って来ている状況があったことが分かります。
 「五旬節」とは、イスラエルの三大祭の一つで、イスラエルの祭は、巡礼が伴っていました。遠くに住んでいても、エルサレムに戻って来るのです。ですからディアスポラとして世界中に散らされていた人たちが、五旬節で戻って来た中に、聖霊が注がれたのです。そして、その人たちを通して、世界中に福音が伝わったのです。

 百二十人の弟子たちも、ある意味、ディアスポラのような人たちでした。ガリラヤ地方は正当なユダヤ人から見れば、別枠だったわけです。そんな人たちの中に聖霊が注がれ、ディアスポラを中心とする三千人が救われたのです。

 リバイバルの条件を満たす為に、今日の教会がどのような視点を持たなければならないのかを、ここから知らされます。日本のリバイバルのために、どのような視点で祈らなければならないのかが教えられます。

 近頃私は、日本社会にあるディアスポラの領域について、少し勉強するようになりました。日本において、どの領域をとりなし祈らなければならないのか、どこに聖霊が注がれるように祈らなければならないのかを学んでいます。国の復興のためには鍵があるのです。そのテーマが「ディアスポラ」ではないかと思うのです。
 私たちが「ディアスポラ」というテーマで日本社会を見ていきますと、日本にはディアスポラなんていないのではと思うかもしれません。しかし、よく社会を見ると、自分の意思とは別に他国に吹き飛ばされ、今では帰還して日本に住んでいる方々もおられます。
 新城教会では日曜日の四時から、インターナショナル集会があります。フェルナンド先生が導いてくれていますけれど、来られている方々の中心は、日系ペルー人と日系ブラジル人たちです。日系のペルーやブラジルの社会は、今から百年くらい前、日本の経済と社会が悪かった為に、海外移住を強いられた人たちの子孫です。
 私もブラジルやペルーの奥地で、一度も日本に帰国したことがない八十、九十のおじいちゃんやおばあちゃんに出会った事があります。感動すると共に、複雑な思いになりました。「なぜ、おばあちゃんはこんな奥地まで入って来たのですか?」と聞くと、『あの頃は日本に食べる物も、仕事もなくて大変だったから、ブラジルに来るしかなかったよ。でも、ブラジルに来たら、もっと大変だった・・・』と言われました。「日本に帰ったことあるの?」と聞くと『ない』と言うのですが、流ちょうな日本語で話されるのです。
 現在、そのような方々の子孫、二世、三世の方々が日本に戻って来ています。私たちの教会にも、日系のブラジル人の方々や、ペルー人の方々がおられます。その為にインターナショナル集会を持っているのは、重要な働きなのです。現代においては、経済的な理由で自ら日本に来られたかもしれないけれど、原点においては散らされて行った人たちの子孫です。
 教会がそのような方々に関心を持ち、その方々の救いの為に働くことはたいへん重要です。
 愛の反対語は何か?憎しみではないというのです。愛の反対語は無関心だと、以前に上條先生が話していました。愛するとは何かというと、関心を持つことです。
 日本人はとかく他の国々の人たちに対して、あまり関心を持ちません。近頃の政治家たちの発言は信じられません。先週の大阪市長の発言は世界の恥です。はっきり言って歴史も知らなければ、常識もない発言が連発されています。これは無関心だからです。これでは日本の復興は難しいのです。
 私たちは日本に住んでいる外国人のために、心を向けなければなりません。その方々の祝福を祈る時、聖霊の働きは拡がっていくのです。

 実は「ディアスポラ」というテーマで、日本で最も目を向けなければならないコミュニティーがあることに気づかされました。先週私は、在日大韓教会でお話しさせていただきましたが、今、日本に外国人の方々がどのくらい住んでおられるのかというと、二百万人くらいです。
 しかし一番多く住んでいる外国人はどこの国の人たちかというと、お隣の朝鮮半島から来られた韓国系の方々です。私たちの教会にも韓国から来られた方々がおられますし、「私の先祖は韓国から来た」と認識されておられる「在日韓国人」の方々もおられます。
 そのコミュニティーは、現在、六十万人くらいだというのです。しかし日本に帰化した人たちもおられますから、それらを含めたら百万人はくだらないと言われます。大きなコミュニティーです。大阪に行きますと、生野区という場所があるのですが、そこは四人に一人は韓国から来た人たちです。そのくらい日本と韓国の繋がりは深いのです。
 私は在日コリアンの方々のことを、いろいろと勉強しながら、「このコミュニティーに関して日本の教会が関心を持ち、祝福を祈っていかないと日本にリバイバルは訪れないのではないか・・・」と思いました。ディアスポラと呼べるのは、日本においては在日韓国人の方々だと思うのです。

 在日コミュニティーは、日本が一九一〇年に日・韓併合を行ったことによって生じたものです。日韓併合がなかったら、生まれなかったコミュニティーなのです。この頃「従軍慰安婦問題」が話題になっています。また「侵略戦争じゃなかった」と言うような発言が続いております。日本の帝国主義はかつて世界を震撼させたのです。日本は海外で多くの罪を犯しました。

 先日も太平洋戦争に従軍したおじいちゃんと話をしました。「慰安所に行ったことはある?」と聞くと「あるよ」と言っていました。どんな様子だったかと聞くと、「行ったけれど、あまりにもかわいそうな人たちばかりで、俺は何もせずに帰って来た」と言っていました。そして「一番かわいそうだったのは、朝鮮から連れて来られた女の人だった。本当にかわいそうだった。その人にはお金をあげて帰って来た」と言っていました。
 「そういう場所があったんだね?」と聞くと「もちろんあったよ。そんなの普通だった」と言っていました。
 一九一〇年に朝鮮半島を日本としました。それ以前に、朝鮮半島から日本に来ていた人々は、たったの千人くらいだったそうです。でも太平洋戦争が終わった頃、朝鮮半島から移動して来た人たちの数は二百万人程になっていたそうです。
 1945年に日本は戦争に負けました。そこで朝鮮半島と日本の間には、再び、線引きがなされました。その為、国内にいる二百万人の人たちは「朝鮮籍」に変えられ、在日コミュニティが出来たのです。

 午後から、霊的戦いセミナーを行います。これ以上の話はそこで話しますので、是非ともご参加下さい。今日の霊的戦いセミナーのテーマは「日本社会とディアスポラ」です。日本人クリスチャンが関心を持ち、祈っていかなければいけないテーマです。

 私たちはリバイバルを祈っていますけれど、どういう視点で祈っていくのか、どこに祈りを向けていくのかが重要です。その方向性を聖書から学び取ることが出来れば、日本にリバイバルが起こるはずです。
 教会が誕生した時、聖霊が注がれた目的は、イスラエルから吹き飛ばされ、他国でユダヤ人コミュニティーを作っていた人たちにあったのです。彼らにも聖霊が注がれたのです。
 彼らの母国語はヘブル語ではなく、それぞれの国の言葉だったのです。ゆえに自分たちが滞在していた国の言葉を理解できたわけです。
 その人たちに火がついた時、世界にリバイバルが拡がって行ったのです。

 私自身、今年のペンテコステの日のメッセージとして、主から与えられたのが、日本社会の中のディアスポラの方々に関してです。まず日本人がそのコミュニティーについてよく理解をし、政治的ではなく、霊的な理解と関心を持って祈る時、主が日本に大きな勝利を与えてくださると信じます。
 理解がないと、軽はずみな発言につながり、日々のニュースに接しても、神の御心と違った反応をしてしまう危険性があります。聖霊が注がれた原点と、その働きがどの方向へ向かっていったのかを知る時、二千年前に起こった聖霊の注ぎが、現代社会にも適用されるのではないかと思います。使徒の働き二章四十一節から見ると、

『そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。』

 聖霊が注がれた後、三千人が救われたとレポートされています。その中には様々な文化・習慣がありました。しかし彼らは、弟子たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き祈りをしていたのです。
 今日、教会には様々なバックグラウンドから集まっております。初代教会の弟子たちがパンを裂き祈りをしていたように、聖餐式にあずかることは重要です。
 聖霊が注がれた結果として、いろんな国々の人たちが、歴史や文化の背景を越えて、一つにされていたことが分かります。「一同の心に恐れが生じた」とあります。これは神に対する畏敬の念です。その結果、多くの不思議な業と証しの奇跡が行われたのです。この人たちが一同に集まった時、主の業が現れました。信者となった者たちは一緒にいて、一切の物を共有にしていたというのです。これは初代教会の記録です。教会の原点では、様々な文化・習慣の人たち三千人が、一切の物を共有にしていたというのです。
 もしも今日私が、「新城教会に属する方々の財布は一つです。みなさん。財布を置いて行ってください。」なんて言ったらどうするでしょうか。そんなことを言ったら、『教会やめた!』とみんな、いなくなると思います。しかし、初代教会は財布まで一つでした。
 先日韓国から三人の娘たちが来て、ここで賛美をしてくれましたが、あの人たちは姉妹で「財布は一つ、携帯は一つ」と言っていました。それもすごいなと思いました。私は七人兄弟ですが、絶対に財布を一つにはできません。
 しかし初代教会では、いろんな国や文化の背景を超えて、心を一つにし、一切を共有にしていたのです。そんな中で神の偉大な奇跡の業も現れたのです。

 私たちも初代教会と同じ気持ちで、心を一つにする時、主の御業が現されることを学ぶことができます。
 彼らが心を一つにしていたということが一回だけでなく、二回も記されています。四章三十二節から、

『信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。』

 すごいじゃないですか。初代教会では、誰一人貧しい者がいなかったというのです。どのような背景があっても、何か違いがあっても、聖霊によって心を一つにし、一つの目的、主が帰られる道を用意する為に働くとき、主は共に働いてくださり、乏しい者もいなくなるのです。このようなすばらしい神の国のコミュニティが地上に生まれることを教えているわけであります。それが、「教会とは何か」の原点を学ぶ時、浮き彫りにされます。
 聖霊が結果的にどこに注がれたのか。それはディアスポラと呼ばれる人たちに主が触れられたことを覚え、私たちが関心を持って祈らなければいけません。
 日本全体のために祈ると共に、日本に住んでおられる、海外から来られた方々のために祈り、働いていかなければならないことを、ここから教えられます。
 今日は午後から在日コリアンと呼ばれる方々について霊的視点で学びます。日本人はその歴史を知りません。それは良くないと思います。正しい歴史観を持ち、国の霊的復興を祈らなければならないと思っています。

 私たちは様々な背景がありますけれど、共に聖餐式にあずかります。主の奇跡をいただくためにも、大変重要です。今日は偏見を捨てましょう。「俺たちは日本人だ」とか言うのではなくて、神の国に属している者として、国籍が天にある者として、この世と違ったコミュニティー・教会に属していることを確認し、聖餐にあずかっていきたいと思います。一言祈ります。

 ハレルヤ。父なる神様。御名をあがめて心から感謝します。主が聖霊をもって教会を導いてくださっていることを、心から感謝をいたします。今日は教会の誕生日です。このペンテコステの日に、二千年前の初代教会に学ぶことができて心から感謝します。私たちも初代教会と同じ気持ちを与え、心を一つにして主が帰って来られる日を目標に走り続けることができますように。
 私たちは十字架によって贖われた者として、心を一つにし、主の前に出ます。主よ、初代教会の聖餐の時と同じように、あなたの臨在を現してください。初代教会に不思議としるしが伴ったように、現代の社会においても、御業が現されますように。今、御言葉と聖霊によって聖餐式を行います。私たちは、国を越え、言葉を越え、背景を越えて、主が働いてくださることを期待します。
 イエス・キリストの御名によって、祈りを御前におささげいたします。アーメン。