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『はからずも

2013.9.22 (日)
新城教会牧師 滝元明
ルツ記2章3節

『ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。』


 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。今日はひさしぶりに礼拝でメッセージができることを、心から感謝します。
 私がこの礼拝で話したのは五月二十六日だと思いますけれども、それ以来で心から感謝します。
その後で、八月十一日にはサマーフェスティバルでお話しさせていただきましたけれども、実は、私も忙しくて、あちらこちらを回って、教会にいることが少ないですけれど、今日はみなさんと一緒に礼拝を守ることができて感謝します。

 八月二十三日、二十四日と、和歌山でリバイバルミッションがありまして、みなさんのお祈りですばらしい集会ができたことを感謝します。翌日の二十五日には、私は、ロン・ブラウンさんたちと一緒に神戸栄光教会で、礼拝と午後の時間、二回集会をもちまして、その後はロンさんイヴォンヌさんと共に九州を回りました。九州をずっと巡り、九月八日に新城に帰って来ました。
 正直言って私は少し疲れました。長崎から鹿児島まで車で行き、集会が終わってからそのまま熊本へ行き、熊本から宮崎へ行き、宮崎から日曜日は水俣へ行き、水俣から鹿児島に行って帰って来るということで、ちょっと疲れました。しかし聖書を見たらイザヤ書四十章に『主は疲れることはない。』そしてその次に『疲れた者を癒やす』とありますから、私もその御言葉で癒やされて、今日もこうして元気であることを心から感謝します。

 みなさんに一つお知らせしておきたいのですが、和歌山リバイバルミッションの時に私は二冊、本を出しました。新しい本を出しました。一つは「あなたが幸せになるために」、もう一つは「神に会う備えをしよう」という本を出しました。一冊六百円ですけれども、プレイズ出版で二冊セットで買ってくださったら千円にするということですから、みなさんの中で買ってない方がいらっしゃれば、買って福音のために使ってください。
 私の目的は、やはり伝道者ですから、なんとかして、まだイエス様を信じていない人たちに福音を伝えたい。それが願いですから、用いていただければ感謝です。
 また、もう一冊、今度は「緊急時の救い」というテーマで出しますから、使っていただければ嬉しいです。

 もう一つは今度、ハワイで滝元明ミニストリーがあります。ハワイへ行きたい方は是非とも一緒に行ってください。十一月七日~十二日ですけれども、プログラムが後にありますから、興味のある方はいらっしゃってください。
 今回は日本人教会が招いてくださいました。全日本リバイバルミッションとしてではなく、滝元明ミニストリーで来てくださいということで行くことにしています。一ヶ月前くらいから、泉ちゃんと暁起が現地へ準備に行くことになっていますけれども、そのためにも覚えていい集会になるように、ハワイにいる日本人が救われる目的ですから、そのために祈っていただければ嬉しいです。

 これからメッセージですけれども、今日のメッセージは「はからずも」というテーマです。「はからずも」ということは、どういう意味かというと、自分の計画していたことではないということです。「思いがけなくも」とか、いろいろな表現があります。

 ロンさんと地方を回っていると、感謝なことに時間があります。ホテルで静かにイエス様にお会いする時間があるので、聖書をよく読みます。そしてある日のことルツ記を読み非常に恵まれました。一人ですから、遠慮しないで、涙をぽろぽろ流しながら読んでいきました。
 そういう中で見つけた言葉が「はからずも」です。この言葉を読んだ時、私たちの人生の中に、イエス様を信じて従ったら、「はからずも」、私の計画でなくて神が干渉して導いてくださることを覚え、とても感謝でした。

 みなさんもルツ記を読んだと思いますが、ルツ記というのは、ユダの国のベツレヘムに住んでいたエリメレクとナオミが、ベツレヘムに飢饉が来たということでモアブの地に行きました。二人の息子を連れてモアブの地に行って十年間住みました。
 十年間住んだけれども、実は悲しいことに、ご主人のエリメレクが死んでしまいました。それから、息子のマフロンとキルヨンも死んでしまいました。これはある意味、私たちに対しての警告かもしれません。

 モアブとは、ロトの子孫です。ロトの娘たちが生んだ子どもですが、あまり祝されていない場所です。ベツレヘムという祝福された場所から、祝福されない所に行ってしまって祝福を失ったのです。
 私たちも、イエス様の中にとどまっていたら祝福されるけれども、そこから離れると祝福を失うことがあるのです。

しかし、一度は祝福を失っても、立ち返ったら祝福を受けるのです。そういうことをこのルツ記は教えています。
 十年くらいモアブに住んで息子たちも亡くなりました。息子たちは嫁さんをモアブでもらったわけですが、長男はルツという人をもらって、弟息子はオルパという娘をもらいました。ほんのわずかの結婚期間だったと思います。十年のうちの何年間一緒だったのかわかりませんが、その後、二人とも死んでしまったのです。

十年経った時に、神がベツレヘムにパンを与えて下さったということを聞いたから「じゃぁ帰ろう!」と、ナオミは二人のお嫁さんと別れてベツレヘムに帰るわけです。
 帰る時に、非常にすばらしいことが書いてあります。ルツ記一章十四節にこういうことが書いてあります。これはお嫁さんと別れる時ですが、別れる時にお嫁さんが、

『彼女たちはまた声をあげて泣き、オルパはしゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついていた。』

 二人の嫁さんがいるわけですが、弟の嫁さんは「自分の神と自分の民の所に帰っていきなさい。」と言ったら、泣きながら「お母さん。さようなら」と帰って行きました。
 この記事を見ると、ナオミさんは嫁さんたちを愛していました。嫁姑の問題がなかったと思います。息子たちは死んだけれど愛していて、「お母さん、別れたくない」と言ったけれど、弟嫁は「私は帰る」と帰って行ったのです。
 しかし、ルツという人は『すがりついていた』と書いてあります。十五節にはこうあります。

『ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい。」』

 こう言った時にルツが言ったことは、十六節、

『あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。』

 このルツという人はとてもすばらしい人です。何かというとナオミから真の天地創造の神について聞いて、それを信じたわけです。ですからそれを信じたから「絶対に私はお母さんから離れたくない!」『あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。』と心を決めたのです。「もし死ぬようなことがあっても私は絶対にあなたから離れません!」

 クリスチャン生活は心を決めなければいけない時があります。実は昨日、私の所にお客さんが来ました。名古屋からご主人と一緒に奥様が来られました。
 二〇一〇年、スティーブケイラー先生の教会に私がメッセージに行きましたが、その時に「みなさん、まだイエス様を心から信じていない人。バプテスマを受けていない人。今日決心しなさい。」と語りました。
すると、その時に彼女は決心したというのです。「バプテスマを受けました。今は本当に幸せになりました」と彼女は言いました。「今日は名古屋に来たので会いに来ました」とたいへん喜んでいました。その時のメッセージも全部覚えていて、「本当にあれから幸せになりました」と言っておられましたが、心を決める事は大切です。

 今日、ここにいる人たちは、ほとんどクリスチャンだと思いますが、『あなたの民は私の民、あなたの神は私の神』とイエス・キリストが救い主であることを心に決めた時に、祝福が始まるわけです。

 そして彼女は一緒にベツレヘムに帰ったわけですけれども、ベツレヘムの人たちは皆、「あっ!ナオミが帰った!」と大騒ぎしたけれども、ナオミは「ナオミと呼ばないでください。ナオミというのは幸いや快いという意味があるけど、私はそうではない。苦しみの女です。行く時には恵まれていたけれど、夫は死に、子どもたちも死んで帰って来ました。」

 それで、一緒に帰って来たモアブの女、ルツと一緒に生活したわけです。貧しい生活をしていたわけですが、ある時落ち穂拾いに行かせました。時々、落ち穂拾いの絵がありますね。麦を刈ったりすると、そこから落ちた穂を拾って食べるのです。「落ち葉拾いに行ってらっしゃい。」
 しかし落ち穂拾いに行くとよくいじめられるのです。だけど、「神様があなたを祝されるように」ということで、彼女は出て行って落ち穂を拾いました。

 彼女はどこに行ったかというと、聖書を見ると、ここに「はからずも」とあります。ここに「はからずも」と使われています。「エリメレクのボアズの畑に行った」と書かれています。
 「はからずも」、計画はしていなかったけど、神様がここに導いてくださったのです。聖書を見るとこう書いてあります。ローマ人への手紙八章二十八節、

『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』

 みなさん、クリスチャン生活は、イエス様を心に決めて従ったら、問題があってもすべてが相働いて益になるというのです。
 しかし一つ、ここには条件があります。「神を愛する人々。」愛せない人は駄目です。神を愛する人々。みなさん愛していますか?イエス様を愛していますか?アーメン。愛する人には、すべてのことが、相働いて益としてくださるというのです。

 このルツさんも『あなたの民は私の民、あなたの神は私の神。』弟嫁は自分の民とその神、偶像の所に帰ったわけです。だけどルツは「私は従って行きます!」と言いました。落ち葉拾いをしなさいと言われ、どこだか分からないけど、一生懸命に落ち穂を拾っていたら、偶然にもそこがエリメレクの一族のボアズの畑だったと書いてあります。

 ボアズという人は金持ちでした。ルツが来た時にボアズは若者に聞きました。「この娘はどこの娘だ?」『モアブから来た娘です。』「そうか。」『朝から来て落ち穂を拾わせて欲しいと言って拾っています。』
 するとボアズがルツを呼び「あなたはここで落ち穂拾いをしなさい。他の畑に行っちゃいけない。私はきつくうちの若者に、あんたをいじめないように言っておいたから。喉が渇いたら瓶から水を飲んで落ち穂を拾いなさい。」

 その時にルツが言った言葉は「なんで外国人の私にこんなに優しい言葉をかけてくださるのですか。」とすごく感動しています。外国人の私によくしてくださった。イスラエル人は選民意識があります。モアブ人はある意味で汚れていると考えていたと思いますが、「こんな私のような外国人をどうして良くしてくださるのですか。」

 すると、ボアズが言ったことは、「あなたがあなたの姑にしたこと、こちらに来てどんなによくしたかということを、私はよく聞いている。だから他の畑に行ってはいけない。ここにいたらいじめられることはない。」
 そこで落ち穂拾いをしたわけですけれども、結論はどうなったかというと、最終的にルツは、結局、ボアズさんの奥さんになったのです。すばらしいことでしょう。
 彼には贖いの権利があったので、結局土地も贖い、モアブの女であったルツも買い取ったということで、この人はボアズの奥さんになったのです。

 ボアズの奥さんになったルツに赤ちゃんができました。誰かというと、オベデという人です。オベデに誰ができたかというと、エッサイができました。エッサイの子どもは誰かというと、ダビデ王様でした。呪われたような国から出て来て、神に従った時、ダビデのおじいちゃん、おばあちゃんという、すばらしい存在になったのです。

 だから本当に心を込めて従ったら、必ず良い事が起きます。
ちょっと考えてみてください。「はからずも。」みなさんにはありますか?

 私は今回考えてみました。「はからずも。」・・・私は十九歳でイエス様を信じて、津具に帰って来て、津具鉱山で働き、八橋マンガンで働きました。
一九五〇年十月から津具鉱山に働きました。その次の年の十一月にやめて八橋マンガンに移りました。八橋マンガンに変わったということは、私の家から八橋マンガンは一キロ歩かなければならないのです。
 ちょうど私と家内は八橋で日曜学校をやっていました。そこに大きな家が空いていたのです。そこで「あっ!この家を借りて伝道したい。」という一つの願いを持ちました。この家を借りたら八橋マンガンがあって、津具鉱山は遠いから、私はこう祈りました。
「イエス様、家を与えてください。もし与えてくださったら八橋マンガンに入ることができるように。そうでなかったら断られるように。」
 それから私は頼みに行きました。その家の持ち主の所に行って、「ごめんください。私は滝元といいます。日曜学校をやっていますが、お宅の家が空いているから貸してくれませんか。お金はいくらでも払います。」そうしたら「いいよ。貸してやる。使ってくれ。あんたいい働きをしとって、子どもたちを教えてくれるから貸してやる。金はいらん。使ってくれ」と、私はただでそこを借りました。それからすぐに八橋マンガンに行って頼んだら、入ることができました。

 私はなぜ八橋に行ったか。そこからまた次の三月まで八橋マンガンで働きました。日曜学校に子どもたちがいっぱい来ました。その時に、私の家から三軒くらい隣の子で八千代さんという女の子がいて、中学生の子だけど、「おじさん、あのね、うちのお姉ちゃんが清崎に嫁に行っとるけど、清崎にも来て日曜学校をやってくれというから、行ってくれませんか?」ということで、それで私は八橋から清崎という所まで、日曜学校に行きました。七原ゆりえさんという方の家に行きました。

 ある日のこと、私はそこで日曜学校をやって、いつも帰る道ではなくて、真っ直ぐに帰る道ではなくて、遠回りをして、駅の方にぐるっと回りました。そうしたら、一人のお腹の大きい奥さんがバケツに水を入れて水を汲んでよちよち歩いているのです。家に帰る所でした。人の家の奥さんですけれども、私は「あっ!この人になんとかしてイエス様の話をしたい!」と強く感じました。
 その次の日曜日に集会をしたら、七原さんという方が「滝元さん、駅の側の一人の奥さんがイエス様の話を聞きたいと言っているよ。」私が「大きなお腹した人じゃない?」というと「その人です」ということでした。

 実はその方が、赤ちゃんを生んで十日目に集会に来ました。私はその日のことを今でも忘れることはできません。
「麗しき朝も♪静かなる夜も♪食べ物着物もくださるイエス様♪」とかやっていたら、その奥さんは、赤ちゃん生んで十日目、こう思ったそうです。「なんてきれいな人だろう。なんて清らかな人だろう。」と思ったそうです。私のことを思ったかどうか知りませんが、そこに漂っている空気が「なんてきれいだろう!」と。
その人が来たから、私は小さなポケット聖書をあげました。「奥さん、これを読んでください。」
 そうしたら、その日にイエス様を信じ、次の日曜日に来て、「先生、御言葉が与えられました」と言うのです。二回目ですよ。どんな御言葉かと聞くと、ヨハネによる福音書十五章十六節、文語体ですが、

『汝、我を選びしにあらず。我、汝を選べり。』

 新改訳ではこう書いてあります。

『あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。』

 この中に『あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び』とあります。『汝、我を選びしにあらず。我、汝を選べり。』これが与えられたというのです。素直な人ですね。
 そして、帰る時に、伝道に出て初めて人から物をもらいました。「滝元さん、これ食べて」と羊羹をくれました。食べたことのないような羊羹をもらい帰りました。
 それで家内にその方のことを話し、次の日、家内と一緒に訪問に行きました。そこの家を訪問した時に、私が日曜学校の名簿の中に「堅城さん」と書いてありましたが、ぱっと見たら「見城」とあって、その時に家内に「今度あなたの家を探す人はこの見城さんです」と教えられたのです。

 それからしばらく経って、「あのね、滝元さん。私、今度、茶臼山に製材所を作って行くからね、そちらにもまた伝道来てください」と言いました。茶臼山?私は長野県の茶臼山だと思ったけど、そうではなく、こちらでした。
 なぜかというと、実は、岡本さんの奥さんと政次さんが駅のすぐ前に養子に入っていました。養子に入ったけど、おじいちゃんとおばあちゃんとあまり仲良くなくて、避難したかどうだか知らないけど、清崎に行ったのです。実はその清崎に行っている時に、岡本さんの奥さんと見城さんが仲良くなりました。「製材所をやりたい。どこで?」『じゃぁ、私が土地を借りてあげよう』と、この近くの石原さんの土地だったのです。それを借りてあげたのです。
 そして感謝なことに、今この教会がこの場所にあるということは、はからずもです。私の計画は何もありませんでした。
今、見城さんたちは、静岡の方に伝道に出ていますけれども、私は考えて、「あの八橋に行った。清崎に行った。見城さんが救われた。ここを貸してもらった。はからずも・・・・」ということは、神の計画の中でこの教会が建っているということです。それは神様の恵みで「はからずも」です。感謝ですね。

 みなさんの人生も考えてみてください。必ずしも、自分で計画しなかったことが「あっ!あの時は神様が導いてくださったんだな!」ということがきっと分かるに違いないと思います。

 実は今度、私はロン・ブラウンさんと一緒に回りました。私もだいたい一年に六十日くらい彼と一緒に集会をします。十五年くらいになります。私は考えてみましたが、ロンさんと出会ったということも、「はからずも」です。

 一九九八年五月に私はアメリカに行きました。なぜ行ったかというと、その九月に東京の武道館を借りて十日間集会をするのでアメリカに決起大会に行きました。その決起大会で、ユニオンチャーチという土屋先生の教会で三日間の集会をしました。その時にロンさんを日本にいたアメリカ人が連れて来てくれたわけです。「日本からすばらしい伝道者が来るから話を聞こう。きっと君に対していいことがあると思うよ」と連れて来たのです。そしてロンさんがその集会に出ました。私が「みなさん、今年の九月、十日間武道館で集会をします!祈ってください。」
 そうしたらロンさんが次の日に来て「先生、夕べ家に帰って祈ったら神様が言われました。『武道館に行ってあなたも演奏しなさい』と」。
私はびっくりしました。私はロンさんが何者だか分かりませんでした。だから「え?プログラムは全部出来ていて、入る余地はないと思うけど、どうしても来たかったら、自分で旅費を出しておいで。食べる物と泊まる処くらいなんとかするから、来たかったら来なさい。その前に検討しなきゃいけないので、プロフィールとCDがあったら出しなさい。」言いました。すると持って来ました。
 そうしたら、うちの長男や平岡先生が見て、びっくりしました。「スティービー・ワンダー。ダイアナロス。すごい!」私はスティービー・ワンダーなんて全然分かりませんでした。
何年か前にアメリカ行った時、初めてスティービー・ワンダーに会いました。超有名な人です。

 九月二十三日にロンさんが来たのですが、カーク・ウェイラムやいろんな人を連れて来て、コンサートには九千六百人が集まりました。すばらしい集会でした。
 なぜロンさんが来たかというと、彼はそれまで日本にいろいろと演奏に来ていて、ある日、武道館の前で祈ったそうです。
「神様、もしできたら、いつか武道館で演奏できますように」と祈ったそうです。
みなさん、はからずも、彼は五月に私と出会ったというのです。まさか私が武道館の話をするとは思わないで来たのです。そして、今、ロンさんは日本中を回って良い働きをしています。

 この間も九州に行きました。九州の博多希望教会という所に行きましたが、二〇一一年、大震災があった後、九月頃、福岡の自衛隊にロンさんは招かれました。教会が「災害の時に自衛隊が一生懸命働いたから、なんとか感謝しよう。ロンさんが来るけれどもどうですか?演奏を一緒に聴きませんか?招いてくださいませんか?」と言うと「来てください」ということで、飯塚の部隊が司令官から部隊長まで全部集めて、ロンさんの演奏を聴きました。そして、あと二時間半くらい、ロンさんから音楽部の人たちがいろいろと教えてもらったのです。
 彼らはすごく感動したのです。なぜ感動したかというと、その部隊は原発で、白い服を着て、放射能の中で働いて、みんな傷ついていた。しかし、ロンさんの演奏で慰められた。それが自衛隊に評判になったそうです。やがて防衛大臣の耳に届き、この前、九州に行った時に感謝状が届いていました。
すばらしいじゃないですか。私たちは自衛隊のためにも祈る必要があります。
 時々、自衛隊というと、よく思わない人がいますが、震災のすぐ後で仙台に行った時に、仙台の学校の校長が「私は自衛隊が嫌いだった。でも津波で学校の屋上に六百人くらいの人が非難した寒い夜だった。そうしたら自衛隊がヘリコプターで真っ暗な中、みんなを助けてくれた。あれから考えが変わりました」と言っていました。

 田中政男先生は、もう亡くなりましたが、何回かイスラエルに行った時、今はゴラン高原からは自衛隊は引き上げましたが、自衛隊の人たちが働いていたので、大きな声で「自衛隊のみなさん、僕たちはクリスチャンです。みなさんの働きに感謝しています。祈っています!がんばってください!」と言ったら、向こうですごく喜んで手を振って、感謝して、ホテルに行ったら、感謝状が届いていました。愛は人を変えるのです。

 前の防衛大臣からロンさんは感謝状をもらったのです。すばらしいでしょう。
 先週の日曜日、私と息子の開と、孫の頌と寛太と風喜で、大阪のインタナショナル教会へ行きました。なぜ行ったかというと、そこでは秋の聖会として「信仰継承」ということで、信仰が一代で終わってはいけないということで、そのことを話してくださいということで、開と典子さん、風喜、頌、寛太、そして、私が一緒に行って、私が三回メッセージで、開も集会をしました。恵まれました。
 向こうのおじいさん牧師が、「こんなにいい集会は今まで見たことない!あんなに信徒が喜んだことはない!」と感謝して下さいました。「なんだか知らんけど、ざわめき聴くと涙が出て仕方がない」と。みなさん、ここでざわめきを歌っても涙流す人は少ないかもしれませんが、聖霊が臨んでくださったのです。

 その集会で、彼らに証しをさせました。頌と寛太と風喜に証しをさせました。私は感謝しました。ロンさんと「はからずも」一緒になったことで、今、彼らは一流のミュージシャンです。

 今朝も風喜から電話がありました。「おじいちゃん元気?」『おぉ。おまえは元気か?昨日はどうだった?』と話しました。昨日彼は仙台で、私は音楽のことはあまり分かりませんが、May.Jという人を知っていますでしょうか。そのバックで演奏しました。少し前は、頌と風喜とKazさんと一緒に、味の素スタジアムで五万五千人集まった所で演奏したそうです。あれは、ロンさんに出会ったおかげです。もし出会わなかったら彼らはあんなことはないと思います。
 堅志もロンさんのおかげで向こうの学校に行って、勉強したから、今はAIさんという人と一緒に全国を回っています。AIという人はかなり有名だそうですが、私も十一月には名古屋に来るということなので一度見に行こうと思っています。だいたい二時間くらい立ったままで、私には合わない所ですが一回、見に行こうと思っています。彼らはそうなりました。

 頌がみんなの前で証ししました。「僕は音楽には興味はなかったけど、中学生の時に非行防止のために教会でLEVIというバンドをやらせられて、ギターをやり始めた」と。また高校になっても、卒業してからもやらされた。それで「アメリカに行って勉強したい」と考えるようになり、ムサシで仕事をして、そのために三百万円を貯めたそうです。

 ある時の事、彼があるギタリストにすごい感動し「うわぁー!あんな人に弟子入りできたらいいな」と思って、ロンさんに話をしたそうです。「ロンさん。僕ね、アメリカに行って勉強したいんだけど、誰か有名な人の弟子入りしたいんだけど。世話してくれる?」と言ったら、ロンさんが「だめだめ。無理無理」あざ笑うように「そんな無理な話はない」と言ったそうです。

 するとその次の日、ドッグ・パウエルという最も有名なギタリストからロンさんの所にメールが入ったそうです。「僕は一人弟子を取りたいけど、誰かいないかね?」
みなさん、「はからずも」じゃないですか。彼はアメリカに行って、ドッグ・パウエルの元で、二年近くやったので、彼は今上手ですよ。ワールドカップの時にはエグザイルの曲がテーマソングでしたが、バックで頌が弾いていました。コマーシャルにも出ています。「頌が」というよりも、これは「はからずも」なのです。

 私は息子たち、孫たちの証しを聞いて恵まれました。寛太はもう四人も子どもがいますから、何を証しするかなと思って見ていましたら、寛太は「家族の証しをしてください」ということで、家族の証しをしました。
 あそこに、更良、蒔季、祈心、善と四人の子どもがいます。更良という子は、今、小学校二年生です。しかし、彼女は横浜のシャローム保育園という所に行っていました。そこはクリスチャンが十パーセント、クリスチャンじゃない子が九十パーセント。
 そうしたらある時のこと、こんな評判が出たそうです。みんな子どもたちが家に帰って来て、お母さんに「お母さん!イエス様を信じないと地獄に行っちゃうから信じて!」
子どもたちが帰って来てお母さんにお願いする。帰って来て「イエス様を信じれば天国に行ける♪イエス様を信じないと地獄に行っちゃうよ!」という歌を覚えて来て、家で歌って、「お母さん!信じなかったら地獄に行くから信じて!」と言ったそうです。
 そうしたら九十パーセントのノンクリスチャンの人たちが問題視したそうです。「そんなことを幼稚園は教えているのか?」と先生に言ったそうです。先生は「私たちはそんなことを教えた覚えはありません。」
誰が教えたか。犯人は誰か。分かったのです。更良だったのです。更良が一生懸命伝道したというのです。「更良!おまえ、イエス様を信じないと地獄に行くなんて教えたか?」と聞くと、『教えたよ。信じないと地獄行っちゃうでしょ』と答えたそうです。
 今は二年生になりましたが、友だちの家に遊びに行って、遅く帰って来た。何をしていたのか聞くと「私ね、伝道してたのよ。イエス様を信じないと地獄に行っちゃうと一生懸命伝道したら悔い改めて信じたよ。」みなさん、子どもたちも一生懸命伝道するのです。

 みなさん、神様が共にいてくださる人生は幸せになるのです。しかし、神様がいなかったら駄目です。だからイエス様をしっかり信じることです。クリスチャンホーム二世の方に特に話しますが、真剣に信じてください。

 金曜日のシオンタイムで勉強しました。ヒゼキヤという王様はすごい王様でした。偶像を除いて、本当に主を愛して、アッシリアが戦争をした時には彼は「どうにもなりません。助けてください。」その時に何をしたかと言ったら、神様が出て来て、「一晩に一人の天使が十八万五千人を殺した」とあります。大勝利です。

 しかしみなさん、聖書を見ていくと、あの彼が、若くて病気になった。彼の病気はどんな病気とは書いてないけど、腫物ができたそうです。そうしたら預言者イザヤが来てこう言いました。神様がヒゼキヤ王様に言ったことは、「あなたの家を整理せよ。あなたは必ず死ぬ。」
 彼は泣きました。「神様、私が今まで良いことをしたことを覚えてください!真実に生きたことを覚えてください!」おいおい泣いた。そうしたら、神様は泣き声を聞いて「そうか。祈りは聞いた。もうあと十五年寿命を延ばしてあげよう。」彼は十五年延びたそうです。
 私もその聖書箇所を見て、十五年かぁ。そうかぁ。僕は今、二日ほど前に八十四歳になりましたから、十五年といったら九十九歳までかなと思いますが、十五年、彼は寿命が延びました。

 しかし、長く生きることばかりが良いことではない。その次に生まれた子は誰ですか?マナセです。マナセはでたらめな奴で、さんざん悪いことをしました。偶像を拝んで、バアルを拝んで、エルサレムの神殿の中にバアルの神殿まで作り、アシュラ像を作り、子どもたちを生け贄として火で焼いたり、ものすごい悪いことをしました。でたらめな生活でした。二世です。すばらしいお父さんの子どもが偶像に行ってしまい、祝福を失いました。
 そして最後にはとうとうバビロンに移されました。ヨシヤという王様が出てすばらしかったけど、「わたしは怒りをやめない。バビロンに移す」と、七十年間バビロンに移されました。しかしこれも神様の愛です。彼らはそこでへりくだってまた国に帰るわけです。

 クリスチャンホームの子どもたちは神を恐れなければならない。大人も、親も、イエス様を信じて、従ったら、「はからずも」神は良い事をしてくださる。もし背いたら、はからずも悪いことが起きる。ですからみなさん、私たちは神を恐れ、すばらしい人生を送っていきたいと思います。イエス様の前にへりくだったら、私たちも「はからずも」すばらしい事を神が計画してくださることを信じながら生きていきたいと思います。ということで今日は終わりにします。

 みなさん、一回一緒に言ってみましょうか。「はからずも」です。は・か・ら・ず・も!みなさんの家庭が祝福されますように。一言お祈りします。

 愛する天のお父様。今日は、はからずも、ルツさんが祝されたことを学びました。主よ、どんなに祝福を失っても、へりくだって、もう一回、国に帰り、『あなたの民は私の民。あなたの神は私の神。』信仰を持った時に祝されたように、私たちも、どんな事があってもイエス様から離れることがないように、子どもたちも皆イエス様を愛し、孫たちも愛し、心を込めてイエス様に従うことができるように祝してください。
 これから聖餐にあずかります。イエス様の血潮と、イエス様の打たれた傷によっていやしてください。一人びとりを強めて、この教会を健康にし、すばらしい栄光を見せてくださるようにお願いいたします。尊いイエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。