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『宝を天にたくわえよう!

2013.10.20 (日)
新城教会主任牧師 滝元順
マタイの福音書6章20節~24節

『自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。』

 ハレルヤ!みなさんと共に礼拝を守れますことを、感謝します。先週は大きな台風が日本に来ました。この地域は守られましたので、太平洋側に逸れて被害は出なかったのかと思ったら、大島で大きな被害が出ました。日本が日々、自然災害から守られるように、熱心に祈る必要があります。続けて祈っていきたいと思います。

 先週は「普通は賛美がなされない場所で、賛美してください」というおすすめをしましたが、どうでしょうか。主から示された場所に行って、賛美されたでしょうか。きっと賛美してくださったと思います。
 なぜなら、今日の礼拝賛美は大変恵まれたからです。やっぱり先週、多少忘れた人もいるかとは思いますが、ほとんどの人たちが、いろいろな場所で賛美してくださったと感じました。先週だけではなく、今週も続けて賛美してくださいね。大きな声、小さな声は関係なく、賛美すると、先週お話しましたように、天が開けるのです。
 孫がすぐ近くの「こども園」に通っていますが、同じ園に通うクリスチャンの子どもたちが集まって賛美したみたいです。その模様を動画で撮って来たみたいなので、見ていただきたいと思います。子どもたちは真剣に賛美していました。



恵まれますね。一人だけ他の方向を向いて歌っていましたが、あれにも意味があるのです。彼はこども園に行っているのではなく、小学校に通っているのです。ですから、小学校の方を向いて歌っているとのことです。決してあさっての方向を向いて歌っていたわけではありません。
 普段は賛美の響かない場所で賛美を捧げるとき、主が栄光を現してくださるのです。聖書の原則は、難しそうだけど、本当は簡単です。

 今週は、インドネシアから十八名の方々が来られます。この方々はメッセージというよりも賛美チームです。五万人くらい集まっている教会の賛美チームが来て賛美してくれます。
 実は今から二十年以上前のことなのですが、私は初めてインドネシアのリバイバルに触れました。
 先週はエンパワードという集会で、奥山実先生と一緒に奉仕をしました。すごく良かったです。
 奥山先生が、「私は日本にリバイバルが起こると信じている」と話されました。なぜなら、先生は昔、インドネシアで宣教師をされていました。インドネシアはご存知のようにイスラム王国で、世界で一番イスラム教徒が多い国です。イランやイラクではないのです。インドネシアなのです。教会はイスラムに迫害されています。
 しかし、そこでクリスチャンたちが賛美し始め、霊的戦いをし始めた時、突然、天が開かれ、リバイバルが起きたのです。奥山先生はそのただ中にいたというのです。イスラム教徒たちが、根こそぎ主を信じるような、もちろん救いは個人の決断によるのですが、あたかも集団改心ではないかと思われるくらい、人々は主を信じて、地域が変わっていく様子を見たそうです。絶対に不可能という場所に、リバイバルが起こったのです。「私はそれを体験した者として、日本にも必ず、リバイバルが起こると信じている」と語られました。

 今週は安海先生がインドネシアチームを連れてきて下さいます。先生も奥山先生と一緒に、当時、インドネシアにおられた先生です。そしてリバイバルを体験したのです。先生は今でも東京で、インドネシア教会を牧会されていて、私も一昨年、その教会で奉仕させていただきました。インドネシアと日本を行ったり来たりして、現在のインドネシアの状況も見ておられます。
 先週、先生から電話があって、「インドネシアでは迫害もあるけれど、リバイバルが続いています。そのただ中で成長した賛美チームが新城教会に行きます。」と言われました。是非みなさん、時間を作って、リバイバルの賛美に触れて下さい。安海先生に「リバイバルの状況を話してください」と頼んでおきました。日本にも大きなリバイバルが起きるように、私たちは祈り続けていくことが必要です。私は心から期待しています。

 さて、今日のメッセージはとっても難しいメッセージです。きっと半分くらいの人しか理解できないかも知れません。なぜなら、自分でもよく理解していないからです。「そんなこと語るなよ~」という感じです。
 毎月私は、霊的戦い専門課程で教えています。そんなのを始めてしまったもんだから、自分で自分の首を絞めているようなものです。一年コースとして始めたのですが、一年で全員やめるかなと思ったら全員、もう一年学びに来られました。だから、二年コースになってしまったのです。ということは、昨年と同じ事が語れないので辛いです。新しいテーマを考えなければいけません。そうなるとどうでしょうか。「神様、何を語ったらいいですか??」と、必死な思いで祈ります。

 先週、祈りつつ学んでいる中、「不得意な領域だけど、これは真剣に捉えなければいけない領域だな」という事柄に、気づかされたのです。それでまず、新城教会のみなさんにお分かちして、共に考えていただきたいと思っています。

 私の一番不得意な領域は何かと言いますと…、みなさんにも得手・不得手があるかと思いますが何ですか?私の不得意分野は「経済」です。滝元家は全体的に経済は不得意です。なぜなら昔から貧乏ですから。その点、岡本家は違います。初めはマルイチなんて、「なんて」とは言ってはいけませんが、茶臼山駅前の、小さな屋台みたいな店でした。それがクリスチャンになってから祝福され、あんなに大きくなりました。だから、経済には詳しいです。
 経済は私には、全く関係のない領域だと思っていました。今でもそう思っているのですが、日頃のニュースを見ると、ほとんどが経済に関するニュースです。
 先週、一番大きく取り上げられていたのが、「アメリカのデフォルトが回避されるか否か」というニュースでした。「デフォルトって、一体何?」と、はっきり言って分かりませんよね。経済界には庶民には分からない用語がたくさんあって「よく耳にするけれど、訳が分からん…」という感じです。
 みなさんの中で「私は専門家だ」と言う方はどのくらいおられるでしょうか。新城教会には、経済の専門家はおられないようです。しかし経済がなかったら、私たちは生きることができません。毎月、給料をもらえなければ、生きることはできないのです。

 みなさんも自分の貯金通帳に関して、関心があると思います。自分の貯金通帳に関心がない人は、相当裕福な人か、アホな人か、どちらかです。普通は関心があります。私が通帳について特に関心があるのは、毎月八日です。なぜなら、クレジットカードの引き落としの日だからです。落ちるか落ちないか、毎月緊張します。「お母さん、お金入れたかい。」「たぶん残高あると思うけど・・・、どうかな?」なんて話し合います。
 しかしその後、コンビニでカードを使うと、「お客様、このカード、何か問題があるようです…」なんて言われ、恥ずかしい思いをします。私たちは経済のただ中で生きなければならないわけです。

 イエス様がこの地上に存在されていた時代も、すでに同じような状況がありました。皆の関心事といったら、やはり経済に一番関心がありました。そんなただ中でイエス様が語られた言葉が、今日読んだ言葉です。

『自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。』

 ここで、『あなたの宝は、天にたくわえなさい。』とイエス様は語られました。
 クリスチャンになると、何が起こるのでしょうか。クリスチャンになると、一つ銀行口座が増えるのです。どこの銀行に増えるのかというと、天国銀行に口座ができるのです。
 私たちは地上の口座に関しては、たいへん関心があるのですが、「宝を天にたくわえなさい。すなわち、天の銀行口座に関心をもち、貯金しなさい」と主は言われたのです。

 みなさんの関心の中心はどこにあるのでしょうか?クリスチャンは、地上に生きていても、関心は天でなければならないのです。天の口座にどのくらいの貯金が貯まったのか、ということです。
 神様は、私たちにただ働きをさせる方ではありません。働きに応じて、ちゃんと宝を天に積んでくださるお方です。
 困っている人に水一杯でも差し上げるだけで、ちゃんと天の口座に報酬を振り込んでくださるお方なのです。

 地上の生活には限りがあり、やがて地上から出て行かなければならないのですが、永遠の世界に入った時、どのように生活するのでしょうか。それは、地上で行った神様に対する奉仕や、隣人に対する愛の行いにより、天に宝が積まれ、それが永遠の世界に反映されるわけです。
 私たちの関心事を、地上よりも、天に移すべきです。天に宝を積んでいくのです。

 教会とは、どういう場所かといいますと、霊的資産活用アドバイザーといってもいいかも知れません。クリスチャンになったら、一人一人にタラントが与えられます。神からの能力が与えられます。それを使って、どう増やすかという、霊的資産運用のアドバイザー的な存在が教会であり、教会の役割だと思います。私も責任ある仕事だなと思います。
 「新城教会で霊的資産活用のアドバイスをもらったけれど、天に行ったら何もなかった…」なんて言われたら、私は天国から飛び降りなければなりません。なんとか、みなさんに与えられた霊的資産が増やされ、天に宝が積まれるように努力しなければいけないと思っています。私たちのために祈ってくださればと思います。

 先週は、いろんな場所に行って賛美がなされました。あれは天に宝が積まれたと私は信じています。私も語った責任上、自分でもちゃんと賛美しなければいけないと思い、「どこに行って賛美したらいいですか?」と祈ったら、思い浮かんだのが、新城の文化の中心、「ピアゴ」でした。雨が降っていましたが、屋上で「イエスの名前は勝利!」を歌いました。台風だったので、あまり人はいませんでした。賛美していたら「店内でも賛美しなさい」と言われた気がしたので、食品売り場にも行って小さい声で「イエス様の名前は勝利!あっ、この刺身はいくらかな・・・」という感じで、賛美してきました。大きな喜びがこころに沸き上がって来ました。
 私の奥さんに、「どこで賛美するように導かれたの?」と聞くと、「銀行で賛美しなさいと示された」というのです。
 私たちは、銀行がなかったら生活できません。家内は教会の取引銀行に行って賛美してきたというのです。
 いろんな場所で賛美をしたと思いますが、天に宝を積んだのです。

 この所でイエス様が、『だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。』と語られました。

 「仕える」という言葉は、他に訳しなおせば「支配される」という意味もあります。「あなたは二人の主人に支配されることはできません」と。
 さらには、「奴隷になる」という意味もあります。「あなたは二人の主人の奴隷になることはできない」となります。
 天地宇宙、私たちを造ってくださった神様の奴隷になって生きるのか、富の奴隷となって生きるのか、二つのはざまで揺れ動きながら人は生きているのです。私たちは良い方を、選択しなければなりません。

 私たちの心は地上にあることが多く、天になかなか心が向かないのです。天に銀行口座があるなんて、初めて聞いたという人もおられるかもしれません。私たちの考えているような口座とは違うと思うので、誤解しないでいただきたいのですが、「天に宝を積め」と言われるからには、宝の保管場所があるはずですから、天の銀行口座と言ってもいいのではないでしょうか。
 多くの人の関心は、自分の富を増やすことです。それは、富に支配されていることになります。

 今、世界のキリスト教会の中に問題があります。その一つは何かというと、教会には背景となる神学、理論があって成り立ちます。いろいろな神学があるのですが、今、世界で流行っているのが、「繁栄の神学」と呼ばれる、信仰によって富を得よう、儲けようという、神に目を向けるよりも富に目を向けさせるような神学です。神さえも利用して儲けようという考えです。「教会に来たらもうかりまっせ」という考えが中心となっている神学が流行っています。それはある意味で魅力があります。
 例えば「教会に来たら、あなたの資産が倍になります」と言って、本当に倍になったら、皆、教会に来るでしょう。
 しかし聖書は、祝福についても語っていますが、苦難の道、いばらの道についても教えています。主に仕える道は、時には、苦しみも伴うわけです。私たちが富だけに目を向けてしまうと、失敗します。どんなに祝福されても、私たちの関心は、常に天になければなりません。二人の主人に、同時に仕えることはできないのです。

 実は「富」と訳されている箇所には、*印がついていて、「マモン」とあります。「神にも仕え、マモンにも仕えることはできない」と訳すことができるのです。
 「マモン」の直訳は、古代のカナン地方、フェニキア人、ペリシテ人の間で信仰されていた「豊穣の神」です。分かりやすくいえば、日本の「えびす」とか、「いなり」とか、そのようなたぐいです。
 イエス様の時代、人々は何に仕えていたのかといったら、真の神に仕える人もいたけれど、多くの人たちが、「マモン神」というカナンの原住民たちが祭っていた偶像を拝んでいました。「マモンさんを祭ったら儲かる」という、文化の中で生活していたわけです。
 その時イエス様が語られたのが、主人とは存在、天地宇宙を造られた存在か、マモンという霊的存在のどちらかを選択しなさいと語られたのです。富というのは普通は無機質なものです。しかしマモンとは存在であり、人類にとって、真の神に対比されるくらい大きな存在なのです。マモンと呼ばれる悪霊が働いているから気をつけてください、と教えているのです。
 私たちが日々、身を置いている場所は、経済活動のただ中です。しかし富を支配しているのは、この世の神、マモンです。その事をよく理解しながら、信仰生活を送る必要があります。

 マタイの六章は、ルカの十六章と対比させて読むと、理解できます。逆にいえば、ルカ十六章は理解が難しい箇所であり、様々な解釈があります。しかしマタイの六章と合わせて読むと、その意味が分かるとある注解書に書かれていました。ルカ十六章十三節、

『しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。』

 九節では、『わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。』とあります。
 「不正の富で、友をつくりなさい」とは、どういう意味かと思います。これはいろいろな理解があるとは思いますが、私たちが身を置いている経済の領域は、マモン神が支配する領域です。マモンという、神に対抗する最も強い暗闇の力が働いている領域だから気をつけてください、と警告しています。私たちは「不正の富」のただ中にいるけれど、そこでも、神の栄光が現され、不正の富さえ勝ち取られ、神の国の為に用いられ、神の国が広がっていくという意味であると思います。

 毎週、主の働きのために献げてくださっていますけれど、それらは、この世の不正の富と呼ばれるものかも知れません。しかしそのことによって、主の働きは進んでいます。
 この会堂が建てられたのは、三十三年前の話ですが、当時のクリスチャンたちが信仰を持って、銀行から、当時八千万円くらいだったでしょうか、借り入れをしました。当時、借り入れ利息が八パーセントでした。それでもがんばって払いきりました。銀行がお金を貸してくれなかったら、会堂は建たなかったのです。よくぞやったなと思います。
 隣の教育館も、神学校も、マモンが支配している経済の世界から、不正の富を勝ち取った結果、建ちました。皆が真剣に会社で働いて、献げて、こんなに素晴らしい施設が完成しました。それで今、礼拝を守ることができるのです。
 この地上にではなく、天の口座に目を向けている人たちがいたから、今があるわけです。私たちは、天に宝を積むことを、常に心がけていく必要があります。
 同時に、神に対抗する強力な力、マモンという悪しき力が存在することを意識することは重要です。

 今週はみなさんにおすすめしたいのですが、みなさんの職場、経済活動のただ中で主を賛美し、祈っていただきたいと思います。みなさんが糧を得ている場所で、主を賛美をし、祈り、そこを支配するマモンが打ち砕かれますように、祈ります!

 実は、私たちは、理解しているようで、理解していない事柄がたくさんあります。毎日、お金を使っていますが、お金って、何のために、誰がどうやって作ったのかと問われても、正しく答えることができる人は、ほとんどいないと、先週読んだ本にありました。
 みなさんはどうでしょうか。お金はなくてはならないものですけれど、どうしてできたのか知っていますでしょうか。

 経済の領域に悪魔が働いていることは誰でも分かるのです。
 以前、クリスチャンの弁護士の方に霊的戦いについて話したら、彼がこんな事を言いました。「私は弁護士をやっていて、不思議だと思うことがある。それは、犯罪を犯す人のほぼ百パーセント、背後に経済的問題が絡んでいる」というのです。経済問題が絡まなくて犯罪を犯す人はほとんどいないというのです。
 「なぜ、経済問題が絡むのか不思議に思う」と言われました。日々、報道される様々な事件の背後に、必ず、経済的問題があるのです。
 これはやはり、聖書が語っているように、お金に強力な悪魔の巣があるといっても過言ではないのです。

 共産主義を表したカール・マルクスが、共産党宣言の中でこんなことを語っています。
 「歴史の流れを決める最大の要因は、お金である」…歴史が大きく変わる最大の要因はお金だというのです。
 それから、アメリカの二代目大統領、ジョン・アダムスという人物がいるのですが、こんな事を語っています。
 「アメリカで起きているすべての混乱は、憲法や、同盟の不備、名誉が欲しいとか、美徳からではない。それは硬貨、クレジット、通貨の性質について、人々が無知だからである」。
 …お金について無知だから、多くの問題が起きているというのです。
 また、ヘンリー・フォードという自動車王がこんな言葉を残しています。
 「国民が銀行制度や貨幣制度を理解していないことは良いことだ。もしそれらを国民が理解したら、明日夜が明ける前に、革命が起こるだろう」。

 みなさん、どうでしょうか。銀行で働いている方もおられます。金融関係で働いている方もおられると思いますが、貨幣制度や金融制度を完全に知っている人はほとんどいないというのです。
 しかし自動車王は気付いたのです。知ったら革命が起きると言ったのです。

 イエス様が二人の主人に仕えることはできないと言われたのですが、これはまさに、現代社会に対する預言的な警告でした。イエス様の時代もそうだったのですが、今の時代はどうでしょうか。すべての営みはどこに集約されるのかというと、経済活動に集約されます。教育も、政治も、医療も、何もかもです。より良い経済活動のためです。
 しかし、経済システムは、ほとんどの人に理解されていないというのです。それについてはっきり知ったら、人々はびっくりして革命を起こすほどだというのです。

 「お金は危ないですよ。気をつけましょう。天に目を向け、神のために働きましょう」と、ここまでは言えるのですが、じゃぁ、どうして悪しき力が経済の世界を支配するようになったのかについては語りません。さらに一歩踏み込んでは話さないのです。
 しかし私は、霊的戦い専門課程というのがあり、どうしても一歩踏み込まないと仕事にならないのです。その性格上、どうしてか調べてみました。
 そうしたら、びっくりしました。こういうことは全員知らなくてはいけない、本当にイエス様が言われた通りだと思いました。
 箴言二十二章七節、

『富む者は貧しい者を支配する。借りる者は貸す者のしもべとなる。』

という言葉があります。『富む者は貧しい者を支配する。借りる者は貸す者のしもべとなる。』というのです。
 私たちも、この建物を建てるにあたって、近くの銀行からお金を借りました。そうしたら、土地も、建物も銀行に担保として取られるは、返済期日も何もかも、完全に銀行に支配されました。

 今、国が莫大な借金をしています。国民一人頭にしたら五百万円くらいの借金があると言われます。先週、アメリカのデフォルトが回避されたというのですが、デフォルトとは国の借金の枠組みです。国の借金を払えるのか、払えないのか、払えなかったらアメリカの信用もガタ落ちになるはずです。なんで国があんなに多く借金をするのでしょうか。考えたことがありますか?あまり考えないですよね。ただ、たくさんのお金を使うからでしょう、と思うのですが、そこにもからくりがあります。
 第一テモテでパウロがこんな事を語りました。第一テモテ六章六節~十節、

『しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。』

 パウロもお金について気をつけろと警告しています。お金に関心があっても、扱いには気をつけろというのです。金銭を愛することが「あらゆる悪の根だ」というのです。お金を追い求めると、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通すのです。なぜでしょうか。それは、背後にマモン神が働いているからです。

 では、なぜ経済界が、悪霊どもに奪われたのでしょうか。その理由を知らなければならないわけです。
 お金って知っているようで知らないと言いましたが、お金のシステムはどうしてできたのかというと、初めは物々交換だったそうです。
 例えば、私が魚をいっぱい取ったとします。それで、魚をおいしく食べるには塩がいります。そこで「あの人、塩をたくさん持っているから、私の魚を少しあげて塩を分けてもらおう」と、物々交換が成り立つわけです。塩を持っている人は、「魚食いたいな…」。魚を持っている人は「塩欲しいな…」と。お互いの思惑が一致して物々交換が行われたわけです。

 でも、塩を持っている人が、「俺は魚は食いたくない!肉が食いたい!」と言ったら、塩を得る為に、肉をどこかに行って調達しなければならないわけです。それでは自分の仕事はできないのです。
 今日、それぞれの仕事を持てるのは、貨幣制度が発達したからです。お金のシステムがあるから、好きなことができるわけです。絵を描いていても食えるのです。絵を食べては生きられないのですが、それを売ってお金に交換できるから、好きな食べ物を買って食べられるのです。お金の世界が、なかったら我々は生きることはできないのです。

 しかし、その根源に、巧妙な悪魔の策略があるのです。銀行に働いておられる方もいますから、これは銀行を批判するとかいうのではなくて、全体のシステムについてですから、誤解しないでいただきたいのですが、イギリスのイングランド銀行の総裁を務めたジョシュア・スランプという人物がこんな言葉を残しました。

 イングランド銀行とは、世界の中央銀行の始まりと言われる、銀行業務の元祖です。その総裁を、一九二八年から四一年まで務めたスランプが、こんな事を語っています。

 「現代の銀行制度は、貨幣を無から作り出す。その手口は、おそらく、これまで発明された詐欺の技術の中で、最も驚くべきものである。銀行は不正によって作られ、罪のうちに生まれた。銀行家は地球を所有する」。

 世界で多くの詐欺の方法が考え出されたけれど、銀行システム、お金のシステムほど、巧妙に作られた詐欺システムはないというのです。私たちは詐欺に引っかかっているのです。うそ!?という感じですが。
 世界中の人って、もしかしたら、一握りの人に支配されているのかもしれないのです。「あんた、都市伝説のようなこと言わないで」と言われるかもしれません。

 お金って、物々交換から始まったのですが、どうして今のような紙幣になったのでしょうか。ここに一万円札があります。一万円札って見たことあるでしょうか。昔、私の家は貧乏であまり見ることができませんでした。
 「諭吉さん~」という感じですが、一万円には「日本銀行」と書いてあります。でも、これが詐欺によって作り出されたって、信じることはできないと思います。

 実は、この辺から、私もあまりよく理解していないのですが、よく聞いてくださいね。中世においての流通貨幣は金貨でした。
 1971年まで、金本位制といって、一万円を持って行ったら、一万円分の金貨をくれたのです。しかし始まりは、紙幣じゃなくて、金貨から始まったそうです。
 でも、金貨をいっぱい持っていると盗まれるから危なかったのです。しかし金貨を製造する金細工人という職業の人たちがいました。その人たちは、仕事上、金庫みたいのを持っていたのです。それで、金貨をたくさん持っている人たち、お金持ちたちは、金細工人に「お宅で預かってくれますか?」と頼んだら、「いいですよ。」と言って、預かった証拠として「預かり証」を手渡したそうです。少し手数料を取って、預り証を渡したそうです。

 もしもテレビが買いたいと思ったら、預かり証を金細工人の所に持って行って、「あなたに預けてある、私の金貨を返して下さい」と言って、預り証を戻して、金貨十枚なら、十枚を受け取って電気屋さんに行って、「テレビください」と金貨を支払うわけです。
 でもどうでしょうか。しかし金貨を受け取った電気屋さんが「十枚も金貨が来てしまった。持っていたら危ないな、どうしよう。そうだ、金細工人の金庫に預けよう」と言って、金貨を預けるわけです。
 そうすると、金細工人は先ほどは持ち出された金貨が、他から戻って来るわけです。ならば、預かり証が無記名なら、電気屋さんに行って、「これを、あげますので、金細工人のところに持って行って、金貨を受け取ってください」と、金貨の預かり証だけを渡した方が、ずっと楽だし、安全じゃないですか。金を引き出して来て相手に手渡すより、預かり証を渡したら、安全であり、金貨を渡したのと同じです。
 それで金貨の預かり証だけが、社会に流通しました。

 そうすると、金細工人の所に預けられた金貨は、全く動かないわけです。社会で流通しているのは、金細工人が発行した、預かり証だけです。
 その時、金細工人たちは考えたのです。ここにいっぱい金貨があるのだから、人のものでも、「貸し出して、利息をとればいいじゃないか…」と、金貨を貸し出したわけです。金貨を預けた人たちは、金細工人たちが、自分が預けたものを他の人に貸したとは夢にも思いませんでした。

 金貨を借りに来た人も、「金貨を持っていると危ないので、貸し出し証にしてもらえませんか?」ということで、現物ではなく、貸し出し証が渡されるようになったわけです。

 そもそも人から預かった金貨を、第三者に貸すなんて横領です。でも金貨を誰も引き出しに来ないから、秘密で貸していたのです。預けた人は、「私の金貨は金細工人の金庫に、しっかりと保管されている」と信じていました。
 そんなことが続くうちに、預かり証や貸し出し証が紙幣となったというのです。
 ということは、紙幣の発行された根源に「偽り」があるのです。人のものを、第三者に貸すなんてことは、やっちゃいけないことです。

 しかし時には「金を引き出したい」と、金貨の引き替えが集中する事もありました。そうすると金細工人には金貨がないのです。そこで、金細工人たちは秘密のネットワークを作ったのです。「ありません」とは言えませんから、他の金細工人が持っている金貨を融通して、あたかも常に保管してあるかのように装ったというのです。融通したのは絶対に、秘密にしていたのです。そこから貨幣経済が始まったというのです。

 私たちは一万円札には、一万円分の価値があると信じています。しかし、今の時代、金本位制度は完全に壊れていますから、それを担保する裏づけがないのです。紙幣はなんの裏づけもない、ただの紙っぺらです。一万円札は価値があると思っているかもしれませんが、その裏づけになる金すら、全くないのです。
 さらに現代では、お金は商品となっています。毎日、為替市場で売り買いされているわけです。それはすごい額です。日本の一年の貿易額相当が、為替市場だと、たったの五日でクリアされるというのです。最も、売り買いされている商品、それが、何の裏付けもないのです。お金は、偽りを土台として作られたのです。

 実は、このシステムを作ったのが、一部のユダヤ人たちです。ユダヤ人たちには、悲しい歴史があります。特に、ヨーロッパではたいへん迫害されました。「ユダヤ人はキリスト殺しだ」と言われ、教会も迫害しました。

 カトリック教会は当時、「利息を取るな」という教えをしていました。お金とは、元々、交換の道具だから、お金自体は価値を生み出さないし、生み出させる行為は罪だいう立場でした。昔はそのような考えでした。
 しかしユダヤ人たちは、旧約聖書の中から、罪だとは考えていませんでした。申命記二十三章十九節~二十節、

『金銭の利息であれ、食物の利息であれ、すべて利息をつけて貸すことのできるものの利息を、あなたの同胞から取ってはならない。外国人から利息を取ってもよいが、あなたの同胞からは利息を取ってはならない。それは、あなたが、入って行って、所有しようとしている地で、あなたの神、主が、あなたの手のわざのすべてを祝福されるためである。』

 長い間ヨーロッパを支配していたカトリック教会は「利息を取っちゃいけない」と人々に教えていました。利息を取って金を貸す仕事は最も卑しく、罪深い仕事だと教えていました。
 しかしユダヤ人は、同胞からは利息を取ってはいけないけれど、外国人からは取っていいと考えていました。教会はユダヤ人をさげすみ、迫害し、まともな職業もなかったのです。けれどもどの時代にも、お金を借りたい人はいるものです。社会の隙間で、ユダヤ人たちは民衆から嫌われていた職業、金を貸し出して利息を取る仕事を始めました。それが今の銀行業務の始まりとなりました。
 その中で、今語ったような、預かり証だけが一人歩きする社会が、徐々に出来上がっていきました。

 やがて宗教改革によって、カトリック教会の力は失われ、一般民衆の権利が回復していきました。そして金融制度が社会に必要となって来ました。けれども、金融関係のノウハウを持っていたのは、一般民衆ではなく、ユダヤ人だけでした。それが基となり、現代の経済活動となったのです。

 このように「偽りの父」は、紙幣経済が生まれる原点に偽りを置いたのです。経済界の原点に偽りがあるなら、サタンは強く働くことが出来るはずです。無から有を生じさせる活動を中心に据えている経済界は、ある意味、悪魔の思うつぼです。
 私たちは、不正の富のただ中に身を置いていますが、このような偽りベースの中でも、主の御名の勝利を宣言するものでなければいけないのです。
 今週も私たちは、新たにお金を生み出すために仕事をするかもしれません。しかし背後に偽りが隠されていることを理解し、富に支配されず、神の支配の中で働きましょう。

 紙幣は日本だったら日本銀行が発行し、アメリカはドルですが、FRBが発行しています。この頃、テレビにバーナンキという人物がよく出てきて、彼は一体、何者なのか訳が分からないかもしれません。
 しかしこの人の一言で、世界経済が変わるのです。アメリカがくしゃみをすると、世界が風邪を引くと言われます。アメリカが風邪を引いたら、世界は肺炎にかかるとも言われます。それも、この人物の一言で変わるのです。なぜなら、FRBという「米連邦準備制度理事会」が、ある面、世界経済を支配しているからです。
 このことはまた別の機会にお話ししたいと思いますが、実は、その背後に、巧妙に仕掛けられた罠があるのです。

 世の中で一番いい職業って何かといいますと、実は銀行さんです。銀行で働いている人もおられますが、どこまで理解されているのか分かりませんが、銀行は無から有を生じさせる神のような存在です。
 私が十万円持っていて、誰かに百万円を貸すことはできません。しかし、銀行はには出来るのです。あなたが百万円を銀行に預けたら、一千万円を貸すことも可能です。なんと、無から有を作り出すことができるのです。それを信用創造と呼ぶそうですが、多くの人はその矛盾に気づいていないのです。
 実際、お金をサプライしているのは、FRBだとか、日本銀行ではなく、普通の銀行です。国が銀行に、その働きを委託しているのです。そして国も、銀行からお金を借りるのです。そうすると誰が国で一番偉いのかが分かります。
 このシステムがなかったら、世界は回らないのですが、その背後に人を支配するマモンが働いているのを、気付かなければいけません。これはしっかりと、とりなして祈っていかなければならない領域であると、気づかされました。

 「借りる者は貸す者に支配される」すなわち、日本政府もアメリカ政府も、世界中、最終的には銀行に支配されているのです。その銀行とは、中央銀行です。しかし、中央銀行は誰の所有かというと、あるファミリーを中心とする、会社組織が株を持っています。

 経済の世界に、誰一人知らない秘密の力が働いています。そして悪魔は国を、世界を支配しようとしているのです。
 イエス様の言葉は、実に、現代社会に対する預言でした。「あなたの関心事の中心は地上にあってはいけません。天に心を向けなさい。だれも、ふたりの主人に仕えることはできない。神にも仕え、また富にも仕えることは出来ない」と。

 イエス様の時代もそうでしたが、今の時代はさらに強く、マモンが働いています。しかし経済活動のただ中でも、主を信じる者たちには、悪しき力に打ち勝つ権威が与えられているのです。今年、与えられた御言葉、ルカ十章十九節の御言葉をみなさんでご一緒に宣言したいと思います。

『確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。』

 あなたがたに害を加えることはできないと。不正の富のただ中にあっても、私たちはそれらを勝ち取る者でありたいです。主の栄光のために、世界の福音化のために、心から主を愛し、仕えていきたいと願っています。
 今から聖餐式を行い、献金しますが、不正の富の世界から勝ち取ってきたものを、主に用いていただく為に献げます。これは天に宝を蓄える作業の一つであると思います。

 無から有を生じさせるは、真の神以外にありません。地上の銀行ではなく、決して虫のつかない、錆のつかない、天の銀行に貯金をしたいと願っています。最後に一言お祈りして、終わりにします。


 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝します。私たちは経済活動のただ中にありますけれど、私たちに知恵を与え、霊的な目を開いてください。宝を天に蓄えることができますように。兄弟姉妹の中で、経済的に苦しむ人が誰一人、いないようにお願いいたします。もしも今、マモンの力に噛み付かれている人がいるなら、今日は完全にその力が打ち破られますように。経済の領域のただ中で、害を受けることがないように。今日、私たちは神に従い、マモンに立ち向かいます。また、完璧な守りの中で生きることができますように、導きを与えてください。
 今週も経済活動の中に、主の勝利がありますように。すべての罠から守ってください。
 聖餐式の時、それらに対して完全勝利を宣言する時となりますように。イエス様の御名によって、父なる神に祈ります。アーメン。