HOME > メッセージバックナンバー > 2014年バックナンバー > 7月 > 7月20日

『神の国の表れを求めて

2014年7月20日 (日)
新城教会副牧師 滝元開 
マタイの福音書5章3節

『心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』

 皆さんと共にイエスさまを礼拝できる、この大きな恵みを心から感謝します。こうして賛美礼拝をさせていただくのは、二月のチェンマイミッションの前でしたが、またこうして皆さんとこのような時間を持たせていただき、本当に感謝しています。
 また、皆さんのお祈りに支えられまして、日々、いろんな所で奉仕をさせていただいておりますけれども、ただただ皆さんの背後の熱い祈りのゆえに守られて支えられていることを本当に心から感謝します。

 ベトナム・カンボジアツアーも、皆さんのお祈りの中で、本当に祝福されました。深い神様の導きがあり、「イエスさまは生きておられるな」ということを、目の当たりにする、そんな時でした。背後の祈りはこんなにすばらしく旅を導き、支えてくださるのだと思うことができました。様々な場所に出向きますが、その場所に神の国が現されているのは、祈りのゆえに押し出されて、それゆえ、そこに神の国が大きく広がっているなということを強く感じています。イエスさまが帰られるのが間近なこの時に、私たちは本当にすごく大切な時代に生かされていると思います。いつイエスさまが帰って来られてもおかしくないようなこの時代の中で、日々、めまぐるしく世界が進んでいく中で、私たちはキリスト者として、クリスチャンとして、立つべきところに立って進まなきゃいけない時が来ているなということをすごく思います。

 ベトナム・カンボジアツアー、本当に祝福されました。お祈りありがとうございました。イエスさまの大きな恵みで、それぞれの国の中で賛美をささげることを主が導いてくださいました。最初に訪れたベトナムは、社会主義国で、特にキリスト教に対する弾圧が、この二年程前からとても強くなったということを出かける前にたくさん聞きました。「ベトナム大変ですよ」「危ないですよ」と、あちらからこちらから、そんな声を聞きました。それで、そのためにも多くの方々に祈っていただきました。無事に帰って来られることができるようにと、向こうで拘束されないようにと、そんな祈りをお願いしていましたが、でも無事に帰ることができて感謝でした。
 そして、カンボジアも本当に祝福されて、イエス様がそこに働いてくださる姿を見ることができて感謝でした。カンボジアでは孤児院で奉仕をさせていただいて、カンボジアは中一日の三日間の、本当に短い滞在だったのですが、その中にも本当に神様の祝福がありました。
 カンボジアには私の娘の暁起が、そこの孤児院において三ヶ月間ボランティアで働いていたものですから、彼女は三ヶ月前から、そこの子どもたちに日本語のザワメキの賛美を教えて、そこで「ザワメキ・ワーシップシャウトカンボジア大会をやろう!」と、そういった気持ちで行きました。カンボジア最後の集会は、孤児院の夜の集会の予定だったのですが、その夜の集会を始める前に、ご飯を食べる時間がありませんでした。そして、娘に「集会前に時間がない」と言ったら、「じゃぁ、私が最近よく買ってるサンドイッチを買って来るから!それ食べたらいいよ!すごく美味しい!」と言うのです。『いいよ、どこにあるの?』と聞くと、「屋台だ」と言うのです。『あ、そう。そいじゃ買って来て!』と言って、買いに行きました。それは日本円にすると六十五円くらいで食べられるので、安くあがるからということで、それをよく食べていたらしくて、私はサンドイッチを頼み、家内は炒飯を頼みました。そして集会が終わって、ホテルに帰って食べました。サンドイッチには何だか不思議な練り物が入っていて、美味しいんだかなんだか、まぁ詰めこんで、美味しいって言って終わりました。
 そうしたら夜になって、目が覚めてしまいました。「あれ、これは来たな」と思うと、お腹がポコポコし始めました。これまずいなと思ったら、はーっと、出始めました。やいやいやいという感じで始まってしまいした。結果、ベトナム・カンボジアで食べた物はすべてカンボジアに置いて来ましたね。
 でも、普通、病気になると、やられた!というのがあるじゃないですか。でも、私たちは神の中に生き動き存在しているという、その信仰にいると、なんというか、悪いものを食べればやっぱりお腹は崩すわけで、悪いものを出せばいいなと思って、いっぱい水を飲んで、とことん出して帰って来ました。
 娘曰く「ネパールのための免疫ができたね」と言っていましたが、来週から出かけるネパールツアーの免疫がついたということで、心には感謝が溢れています。でもおかげで二・五キロ痩せました。一週間くらい経ちましたが、やっと先週の水曜日くらいに噴火が治まって、鎮火状態になって大丈夫かなと思ったら、すっかり大丈夫になって、いよいよ来週のネパールに備えられるということで、本当にこれらすべて、神様はすべてのことを益にしてくださるお方なので、本当にすべて感謝しています。イエスさますばらしいな!何をしてもすばらしいな!と、今回の旅一つ一つ、本当にイエスさまのすばらしさを感じました。
 お腹崩した中でも、すごく周りが心配してくださるんですね。「大丈夫?」と言われるんですが、『うん、大丈夫。痛いだけ。』と言うのです。「大丈夫?」『うん、痛いだけ。』ただそれだけなのです。痛いだけで、何もかもその他はできるので、帰って来て、次の日に東京でザワメキやって、「大丈夫?」『うん、痛いだけ。』と、出し続けていましたけれども、そしてまた一日経って、その次は大阪に行って、それから群馬に行って、群馬の帰りにやっと治まったという感じでしたけれども、本当に神様の守りの中で一歩一歩進ませていただいていることを心から感謝します。

 今日のメッセージのタイトルは、「神の国の現れを求めて」というタイトルですが、最初にお読みいただきました御言葉が主題の御言葉です。マタイの福音書五章三節、

『心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』

と書かれています。
 私たちは、天の御国、神の国の現れのために、今生きています。この国、この地に、神の国が現されるために生きているわけですけれども、このマタイの五章は、山上の垂訓のメッセージで、八つの祝福の御言葉というのが、「◯◯の者は幸いです」とイエスさまが語られた御言葉が書かれているのですが、三節から始まって十節まであります。三節が『心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』そして、十節、その八番目です。

『義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』

 天の御国がその人のものになるための二つのことが、ここに書かれています。『心の貧しい者は幸いです。』イエスさまが、今回の旅を通して、その事を教えてくださった気がしました。
 また、『義のために迫害されている者は幸いです。』と書かれていますので、その側面もこれからあるのかなということも少し感じたりしています。

 少し話は変わりますが、先月の六月に、大阪の救霊会館という所で、奉仕をさせていただきました。そこは、大阪の西成区という所にある教会で、西成区というのは特に日雇いの労働者の方だったり、ホームレスの方がたくさんいる町なのです。だから、車を運転して行って、西成区に入った途端に空気が変わるのです。「あっ、西成区だ。なんか臭うな」みたいな空気になるのです。
 そこに本当に長い年月、ずっとホームレス伝道をし続けていらっしゃる先生がいらっしゃって、しかもその教会では三百六十五日、毎日伝道集会をされているのです。そこの教会の写真があるので、ちょっとお見せしたいと思います。

スライド1.JPG

 通りに面した教会なんですけれども、すごく大きな教会で、現代とは思えないような、四十年、五十年、タイムスリップしたような感じなのです。

スライド2.JPG

 こうした看板がたくさんあるんですが、ちょっとアップした写真をお見せしたいと思います。

スライド2.JPG

 「やぶれかぶれの人生」「歓迎・滝元ひらき氏」「賛美と祈り・大声で共に歌おう!」と、こういった看板が書かれていて、「滝元ひらきで〜す!」と言って、行って来ました。すると次の看板には、

スライド3.JPG

 「滝元ひらき氏・賛美と祈りの集会」「やっぱ祈りやねん イエス・キリスト好きやねん」って書かれているんです。「やっぱ好きやねん!」やっぱりそれか!と言うことで、ホームレスの人たちと、「やっぱ祈りやねん」『そやねん!』と歌ったんですが、「今日は違うバージョンでいきましょう」ということで、「やっぱ好きやねんバージョン」で歌いました。「やっぱ好きやねん」『イエス様!』と、みんなで歌ったのですが、とても良かったです。
 この、下に書かれている言葉が、「日頃のうさばらしに、ストレス解消に、悪習慣からの解放に、共に歌おう!」という、すごいですね。「滝元ひらき氏来館!」開きっぱなしの集会でしたが、本当にイエスさまが天の窓を開いてくださいました。そこにこられた方は、ある意味、失うものが何もない方々ばかりなのですが、彼らはある意味、霊的には完全解放区というか、本当に開きっぱなしの方たちなのです。だから、良いものも悪いものも来るなって感じだったんですが、でも彼らと共に賛美している時に、本当に祝福されました。
 賛美の中に主が来られるという話をし、賛美をして土台が勝ち取られるという話をしました。「私たちは日本の土台が変わるように一生懸命歌ってますけど、みなさんの人生の土台に神様が来てくれたらその土台が変わるので、みなさんは、歌ったらみなさんの人生の土台がひっくり返るので、そのことを信じて歌ってください!」と、そう言いました。もう一枚写真があります。

スライド4.JPG

 そうしたら、二百人の以上の人たちが来ていたんですが、幾人か、うつむいた人がいますが、普段は全員うつむいているそうです。「普段は全員うつむいていますけれども、一応聞いていないわけじゃないので進めてください」と言われました。全員うつむいた中での集会なのです。でもこれが本当に不思議に、歌っていくうちに、だんだんだんだん顔があがっていきました。そして、一緒に歌いましょうと言うと、一生懸命彼らが歌うのです。「やっぱ好きやねん!」『イエス様!』と歌いだしたのです。そして、本当に彼らの姿が変わっていくのを見ました。
 そもそも、どうして彼らが毎晩毎晩ここに来るかというと、この集会の後に食料の配給があるので、それを求めて来られたんです。ただみなさん、お金がないので、今回、環・関西リバイバルミッションの決起大会ですので、「献金どうしますか?」と聞いたら、「献金はやってください。彼らはお金ないけど、献金してください」と言いました。
 そして、賛美の中で、彼らの目が変わっていく姿と、うつむいた顔が上に上がっていく姿を見たのですが、そんな彼らが献金の時間になったら、「よし!俺献げる!」という顔をして、一生懸命捧げているのです。あとから見たら百円玉とかいっぱいあるんですね。私はたまたま集会が終わって配給の場所に行ったら、そこで彼が手にしていたのは、食パン三枚でした。食パン三枚だから、百円では元が取れないんじゃないかなと思うのですが、彼らは本当にその食パン三枚を求めて来たにも関わらず、神様の前に百円を捧げる。これはすごく変化だと思いました。 
 イエスさまご自身が『心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです』と言われましたが、私たちは色々なものが充ち満ちてしまっている時代の中にありますが、イエスさまは、心貧しい只中に訪れようとされているなということをすごく感じています。
 今回、環・関西リバイバルミッションということで、そのための働きが進んでいますが、ある意味、西成区というのは、そういった人たちを受け入れる懐の深い部分があると思います。でもその一番深い所にイエスさまが来てくださることがこの日本の土台を覆すリバイバルにつながるものではないかと、すごく強く感じて来ました。今週の水曜日には順先生が行きますので、是非覚えてお祈りください。本当にその地から、神様ご自身の御業が成されるようにお祈りいただきたいと思います。

 そんな、ある意味、異国感を感じながら、そこで過ごしましたが、七月三日から、ベトナム・カンボジアに行きました。ベトナムの写真をお見せしたいと思います。

スライド6.JPG

 これは、ベトナムの普通の街並みですが、ずっとフランスの統治下にあったので、街並みは、バイクさえ走っていなければ、すごく綺麗なのです。ただバイクさえなければいいなと思うのですが、

スライド7.JPG

 これが普通なのです。信号がなくて、ここを横断するという、そういった中で始まりましたが、それが夜の姿になると、

スライド8.JPG

 やはり同じように、バイクがたくさん走っている状況です。今回、ベトナムで、一人の先生を通してそこに行くことになったのですが、最初メールでやりとりしていたのですが、なかなかメールがうまく行かないのです。どうしてかなと思っていたら、行く寸前にお電話をすることができて、それも本当に不思議な方法で電話番号が与えられて電話をしたら、「あまり電話では話せないから、現地に来て話しましょう」ということで行きました。私たちが行って、ビンという先生とお会いしました。すごく喜んで私たちを迎え入れてくださって、私たちのような、海の者とも山の者とも分からない、本当に何者かも分からない者をただただ受け入れてくださって、本当に愛して共に集会をしました。
 先生とお会いして、「ベトナムの現状はどうなんですか?」と聞きました。高層ビルがたくさんあって、ある意味、すごく経済的にはどんどんどんどん成長しているという、そういった状況もたくさんあります。だから、表面的にはすごく自由で、そんな自由な状況の中にあるけど、「でも現実は違います」と言っていました。
 私たちはスターバックスで一緒にお交わりをしました。向こうにもスターバックスがあったので、ここでと言って、お交わりをしましたが、最初に「お祈りしましょう」と言って、お祈りし出したので、「こんな所で祈って大丈夫なんですか?」と言ったら、「大丈夫なんだ。公の外に出て祈って、『イエスさま!』と言ったら駄目だけど、ここなら大丈夫だ」と、しっかりお祈りして始まりました。
 先生と話していくうちに、先生が今まで二十二回投獄されたというのです。教会で集会をしていると、警察が入って来て、「捕まるのは私だけだから大丈夫なんだ」と先生はおっしゃっていて、二十二回もう投獄されたそうです。さらに私たちと交わっている間にも突然電話がありました。電話が終わった後に「警察から電話があった」というのです。どういった電話かというと、「今どこで何をしてるんだ?」という、「こうして政府は絶えず私たちを見張ってるんだ」と言っていました。
 寺だとかヒンズー教だとか、そういったものは、どれだけ拡大しても、何も言われない。また、フランスの統治下にあったので、カトリックの教会もたくさんあるし、カトリックの信者もたくさんいるんですが、「プロテスタントの私たちだけが拘束もされるし、いろんな圧政の中にある」と言われていました。いかに真理を掲げることが大切かということを学びました。その先生との交わりは本当にすばらしい祝福でした。

 その先生の教会で、三回の集会をさせていただきました。一つは祈祷会での集会ですけれども、その次に朝の礼拝でした。写真がありますが、これが朝の礼拝での集会です。

スライド9.JPG

 そして、もう一枚。これが夜のインターナショナルの集会です。

スライド10.JPG

 特に若い人たちがすごく多くて、若い世代の中に神様が今働き始めておられるということを見させていただきました。今、本当に世界中に主の訪れがまもなく来ようとしているなと思うのですが、その中で特に若い世代の中に主ご自身の御業が始まろうとしているということをすごく強く感じました。若い皆さんもすごく喜んでくださいました。本当に賛美も喜んでくださって、交わりも祝福されて、彼らの言葉ですけれども、「こんなにイエスさまを愛している日本人に会ったのは初めてだ!」と言っていましたが、イエスさまの愛がここおられる皆さんの祈りによって押し出されていく中で、皆さんの愛と力がアジアの地に流れていくんだなということを強く強く感じました。

 そして、カンボジアの地に移りました。カンボジアの町の写真があります。

スライド11.JPG

 これが、カンボジアの空港を降りて、今から有料道路を通ると言って通った道がここでした。穴がいっぱいあって、ほこりだらけで、びっくりしました。

スライド12.JPG

 これも、高速道路と呼ばれる道なんですが、どこが高速なのかよく分からないのですが、中央分離帯があるにも関わらず、トラックは逆走してくるのです。この人たちは何考えているんだという感じでしたが、何考えているのか考えていたら、何もできないというか、自分の道を進むしかないという、生きるためにはこういったことをするしかないのかなという感じでした。

スライド13.JPG

 これも素朴な普通の写真ですが、これは、私たちの泊まったホテルの前の通りが、こんな感じでした。

スライド14.JPG

 これは、アジアによく見る市場の姿です。そして、今回、私たちが行った孤児院はゲートウェイという孤児院なんですが、娘の暁起も三ヶ月お世話になったのですが、服部宣教師の宣教で救われた日本人の方と、奥さんのアメリカ人の方が始めた孤児院で、本当に命がけでがんばっておられました。

スライド15.JPG

 これが孤児院の子どもたちで、みんなイエスさまを信じて、イエスさまを愛して、一生懸命がんばっています。

スライド16.JPG

 そこで賛美集会をしました。こんな感じで、みんなで一生懸命賛美しました。みんな、日本語を覚えてくれていたので、「日本語でやってください」ということで、ほとんど日本語でしました。少しだけクメール語と英語で歌いましたが。

スライド17.JPG

 これが最後の集会の写真です。
 この後に、お腹が崩れるということが起こったのですが、これで集会が終わりのはずだったんですが、次の日に、暁起がたまたま行ってた近くの教会の牧師先生が有賀先生とお知り合いの先生だったんですね。それで、その先生とお交わりをすることとなりました。お交わりの中で、その先生がスラム街で伝道していて、特にこういったスラム街にいる子どもたちのための学校を十数年前に建てたというのです。そして、今、二百五十人くらいの子どもたちがいて、普段、子どもたちはゴミ処理場に行って、一日中ペットボトルとかアルミ缶を集めて、そして生計を立てているという、そういったスラム街の子どもたちとストリートチルドレンの子たちを目の当たりにして、この子たちに勉強をさせよう!ということで学校を建てて、そして始めた学校に行きました。

スライド19.JPG

 真っ昼間からなんですけれども、子どもも大人も外に出て、この時はサッカーかなんかをして楽しんで遊んでいましたが、そんな状況の中にありました。
 そして、その先生が連れて行ってくださった学校が、このような学校でした。

スライド20.JPG

 普段は本当にドロドロの格好で、ゴミをあさる仕事をしている子どもたちが、学校に来てシャワーを浴びて、こうした綺麗な服に着替えて勉強をする。これはちょうど午後の時間だったので、全員の生徒はいませんでしたが、そこでも集会をすることができました。

スライド21.JPG

 こんな感じで、みんなで一緒に賛美をして、「イエスさま!」とクメール語で少し歌ったりしましたが、とてもよかったです。「イエスさまを信じれば天国に行ける!信じないと地獄に行っちゃうよ!」という、そういった歌を一緒に歌いました。
 そして、最後の記念撮影がこんな感じです。

スライド23.JPG

 こんな感じで、みんなで楽しく歌いました。神様がここにも来てくださって恵みの時でした。
この時代、イエスさまご自身が見ておられる場所というのは、どこなのかなという、そんなことを強く感じさせられる時でした。まさしく、『心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。』天の御国、私たちは心からリバイバルというものを求めていますけれども、私たちの視点をどこにおくかということって、すごく大切なことだと思います。ただ人が多くなって、大きなものを求めて、なんか大きな集会をすることがリバイバルであるかのような錯覚に陥りやすいのですが、本当に神様が求めておられる神の国というのが、どこにあるか。やっぱりその最も深い部分にイエスさまが訪れようとされているのではないかということを、すごく感じました。心貧しい所にイエスさまは訪れる。
 また、『義のために迫害されている者は幸いです。』と書かれている。そこにも神の国は来る。やっぱりあのベトナムの激しい戦いの中で、迫害の中でも前進し続けていく中に、主は何か新しいことをされようとしているのかなということを、すごく強く感じました。
 ベトナムでは三、四年前に、ルイス・パラウという世界的伝道者が来て、大きな伝道集会をしたらしいのです。その時は、大きな大会をするためには、政府にお金を払えばできるということで、大きな大会ができたらしいのです。しかし、あまりにも祝福された中で、これはこのままにしておくと大変なことになるということで、政府がその門を閉じたそうです。それからさらに大きな締め付けが始まり、ですから全日本リバイバルミッションもベトナムで開催という話が一度ありましたが、その道が閉ざされるような中にありました。
 でも、神様は、そのような義のために迫害されている中でも、訪れようとされているんだということを、本当に強く感じました。

 今回も賛美を携えて行かせていただく中で、賛美の中にイエスさまがおられて、そこで本当に神様ご自身を心から誉め称えて賛美する時に、主ご自身が訪れることを体験させていただきました。
詩篇八篇二節に、

『あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。』

とあります。イエスさまが宮聖めをされた時にも、子どもたちがダビデの子にホサナ!と賛美をささげました。その時にイエスさまがなんとおっしゃったかと言ったら、その詩篇の八篇二節の御言葉を引用して、「子どもたちの口によって、力を打ち建てられるというのを、あなた方は読まなかったのか」と、律法学者たちに言いましたが、やっぱり子どもたちが歌い出し、そして、新たな若い世代が主を賛美し始める中に、主ご自身の訪れが現され、イエスさまご自身の御国が大きく広がるんじゃないかなと思います。

 ゲートウェイでの賛美と、ベトナムの賛美を、少しだけ動画で紹介させていただきたいと思います。五分間くらいあるのでご覧いただきたいと思いますが、最初はベトナムの集会の模様が一曲だけ、そして続いて、ゲートウェイでの最初に私たちが訪れてみんながウェルカムして歌った一曲と、その後が、カンボジアのザワメキ集会です。



 本当に神様のすばらしい恵みを心から感謝します。子どもたちの唇に神様の賛美と、また踊りを与えてくださって、神様の新しい御業がなされている事を見ることができて、本当に心から感謝しています。

 今回の、環・関西リバイバルミッションのテーマ曲が「主イエスの愛がここに」という、本当にすばらしい御言葉の賛美が与えられましたが、「心打ち砕かれた者をいやして、その傷をつつむ。また、心の貧しい者を支える」という歌詞なのですが、主ご自身の働きをこの日本にも、またこのアジアにも成してくださっていて、この時代の中で主がしようとしておられることというのが、心貧しいという領域に主が進もうとされているんだなということを、すごく強く感じています。

 そもそも、「やっぱ祈りやねん」という歌を私たちは歌っていますが、「やっぱ祈りやねん・関西」という、あの集会が、あのネーミングが決まって、私個人としては、なんじゃこりゃと思いました。私はそもそもマネというのが大嫌いなので、勇士祈祷会になんかいいネーミングないですかね?という話は聞こえていたんですが、決まったネーミングが「やっぱ祈りやねん関西」と来たので、「なにそれ?」と聞いたら、関西出身のキーボードの石塚さんが決めたというのです。なんかのマネっぽくない?と言ったら、「関西では、やっぱ○○やねんって普通に言いますから大丈夫ですよ」と、そう言っていました。
 それで、私は、そうはいってもと思いながら、「やっぱ祈りやねん関西」の第一回目の集会に行く前の日に、家にいました。明日から行くのかと思って、何気なくギターを持った途端でした。何と賛美が降って来ました。そして歌い出したのが、「やっぱ祈りやねん〜♪」と、来ちゃったのです。いや〜、困ったなと思いまして、でも、くださるのは神様で、受け取ったのは関西弁を知らない三河人である私でした。主がくださったので、これは歌うしかないかな、どうしようかなと思って、家内に「こんな歌、与えられちゃったんだけど、どうしようかな?」と言ったら、まぁいいんじゃないの?と言うのです。
 そして、私たちは次の日から関西に行って、環・関西リバイバルミッションの「やっぱ祈りやねん関西」の第一回目の集会の寸前に、コード譜を渡して、「実はこんなのがあるんだけど、ちょっと歌ってみる?」と歌ってみました。
 そして、「一回集会で歌ってみようかな」と思って、歌ったら、すごく祝福されました。また、その時に来てくださったのが、あの解放区の人たちというか、天の開かれた人たちが来たので、熱く歌ってくださいました。
 そして、その後、関西の箕面という所に行って歌ったら、「やっぱ祈りやねん」には合いの手が必要だとういのです。それが『せやねん!』って言わなきゃ駄目だと言われて、現在に至っているわけですが、神様ご自身のなさることというのは、私たちには予想もつかないことばかりなのですが、今回もすごく不思議な神様のスケジュールの中で、人の思いとは別の所で動くということを本当に強く感じました。

 そして、その奉仕終え新城に帰って来て、次の日に、私が事務所にいたら、また石塚さんが登場したんです。何しに来たかといったら、「今、ミッションのミーティングをしてまして、「やっぱ祈りやねん」をレコーディングしたいということになってますけど、いいですか?」と言われて、もちろんレコーディングをさせてくださるのは嬉しいのでが、いいですかと言われても「そうですね、でもこれだけがテーマ曲って、一つの準備集会のテーマ曲ですしね。」と言うと、彼も「ね…。」と、その会話は終わりました。
 そして、彼が去った途端でした「主イエスの愛がここに~♪」と、突然、賛美が降って来ました。本当に不思議だったんですが、しかもサビの部分の「心を癒やす〜♪」という所から賛美が降り出したのです。だから、私はもう急いで書き留めているうちに、さらに「心打ち砕かれた者を〜♪」と前半が来たので、一生懸命書き留めて、あの曲が完成したのはほんの五分間でした。
 本当に神様の「時」ってすごいなと思いました。その後すぐに、私は教会のスタジオに入って、スマホに録音して、それを今度は楽譜に下ろしていただいて、さらに東京のレコーディングスタジオとミュージシャンたちのスケジュールがぴったり合って、CDが出来上がる。イエスさまのなさること、イエスさまの支配ってすごいなと、本当に思っているのですが、今回神様が成そうとしておられる環・関西リバイバルミッションに対しても、私たちは本当に期待して進んでいかなければならないと思っています。
 そのテーマの賛美の御言葉をお読みしたいと思います。詩篇一四七篇三〜六節、

『主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包む。主は星の数を数え、そのすべてに名をつける。われらの主は偉大であり、力に富み、その英知は測りがたい。主は心の貧しい者をささえ、悪者を地面に引き降ろす。』

 神様がこの夏にしようとしておられる、環・関西リバイバルミッションを通して、またこの日本そのものに対して、さらにアジアに対して、世界に対して今持っておられるご計画というのが、こういった御言葉の中にもあるなということを、その後の奉仕の一歩一歩の中でも強く感じさせていただいています。

 ゴールデンウィークの時に、私たちは栃木に行きました。明牧師と一緒に、MTCの総会というのに行きました。MTCというのは、宣教師訓練センターという働きをされている、奥山実先生の働きですが、その集会で奉仕をするために明牧師について行きました。奥山実先生は、インドネシアでリバイバルを経験されて日本に帰って来られて、甲子園ミッション時代から日本のリバイバルのためにすっと一緒に戦ってくださっている先生で、甲子園ミッションの決起大会を一緒に回ったりして、共に心燃やした先生のお一人なのです。
 私は先生と十数年お会いしていなくて、「先生、お元気かな?」と、すごく楽しみに行きました。本当にひさしぶりでした。先生は今もお元気で、もう八十二歳になっておられるんですが、全く変わらずに、「いや〜、開君!元気かな!?」とお会いしました。「先生、お変わりないですね」というと、「いや〜、進歩がないからね」と、先生はおっしゃっていましたが、先生は本当に賢い方で、元気に私たちを迎えてくださり、お会いするだけで心にカッと火がつくような、そんな再会の時を持つことができました。
 それで先生と色々お話をしていく中で、「リバイバル、必ず起きますよね」と言うと、先生は必ずリバイバルの前に「大」を付けるんですね。「絶対、大リバイバルが来るんだ!」と、そうおっしゃってるんですね。
 そうしたら、先生がぽろりと、こう言いました。「リバイバルはあのな、突然来るもんなんだよ」と、そうおっしゃるのです。それで、そうおっしゃったので、私はふとその言葉に引っかかって、あえてもう一回聞き直しました。「先生、本当にリバイバルというのは突然来ますか?」『絶対、突然来る。』というのです。だからいつか、必ず、突然リバイバルが来るというのです。だから、「日本の大リバイバル、日本だけじゃなくて、アジアと全世界の大リバイバルが必ず来るからがんばろうな。よっしゃ!」と言われていました。奥山先生は八十二歳、うちの父も八十四歳、もうすぐ八十五歳ですけれども、父は、死ぬ気がしないと言っていますけれども、あの年代は本当に燃えておられ、やっぱり死ぬ気がしないような勢いでがんばっておられるのです。本当にそのまま、リバイバルのために走り続けて欲しいなと思っています。
 その奥山先生がおっしゃったように、聖霊様の訪れというのは、突然だと思います。使徒の働き二章二節、

『すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。』

と書かれていますので、『すると突然、』イエスさまご自身が来られようとする、そのリバイバルというのは、すると突然来るので、私たちは今、本当に何気なく、この席を温めておりますけれども、すると突然、席が温められないほどに、人で埋め尽くされるような業が起こされるかもしれません。
 しかし、イエスさまが『どこに』来られるか、その事はとても大切な事だなと、今回、本当に思いました。『心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだ』と、イエスさまご自身が来られようとされている場所は、心貧しく、心傷ついた所に訪れようとされているのです。すると、突然の御業が現されるわけですけれども、私たちの視点をそこに向けて進んで行く時に、主は、事を成してくださると信じて、進んでいきたいと思っています。

 そしていよいよ、来週の火曜日からネパールツアーが始まりますので、是非覚えてお祈りいただきたいと思います。この新城から、二十四名の中学生、高校生と、青年の兄弟姉妹が行くことになりましたので、是非、覚えてお祈りください。アジアの中で最貧国の一つだと呼ばれているような中に行って、そこの人たちに福音を伝えるという道が開かれるというのは、新しい世代に対するイエスさまからの大きな挑戦で、これをどう私たちが受け止めるかということだと思うのです。今回は、教会全体でこの働きを始めましたので、イエスさまご自身が、これから新しい扉を開かせようとする「すると突然」に備えて、この二十四名が成すべきことを成してくることができるようにお祈りください。お腹が痛くなっても、痛いだけなので、あまり心配せずに、出すものを出して帰って来ればいいだけなので、そういった意味ではあまり心配しなくていいのではないかと思います。
 でも、このツアーはリバイバルを勝ち取るための、土台に対する霊的な戦いというものを見据えての戦いですので、ある意味すごく大きな戦いだと思います。是非覚えて勝利が現されるようにお祈りいただきたいと思います。
 今回、この話が順牧師を通して「中高生をネパールに連れて行こう!」ということになりまして、「開、行きなさい」ということになりました。でも私はもうベトナム・カンボジアのツアーが決まっていましたので、「いや、私は七月はベトナム・カンボジアがあるから、それは他の方に行っていただいたらいいと思います」と言ったら、「いや、開が行くべきだ!」と言ったので、「わかりました」と、主からの言葉だと受け取って行かせていただくことになりました。
 ただ、ネパールで、しかもトイレもお風呂もないような所に、誰が行くんだろうと思いました。中高生行くよ!と言っても、せいぜい四、五人が行って、全部で七、八人の小回りの利く感じで、さっと行って、さっと帰って来れるかなと思ったら、結構みんな燃えたんですよ。「僕行きたい!」と、泣きながら言っている子がいました。嘘じゃなくて。「僕行きたいんだ!」と、その声を幾人か聞いて、これはひょっとして集まるかなと思ったら、何と二十四人も集まったのです。だから、今回、二十四人の中に入れなかった「僕行きたい!」って言ってた何人のも思いとともに行って来たいと思います。今回、新しい世代が、神様の新しい道、ある意味、心貧しく、私たちの経験したことのないような領域にこれから行こうとしていますが、これは、イエスさまご自身が、この末の日のリバイバルの中で現そうとしておられる一つの大きなご計画の一つであると、信じていますので、是非、本当に大きな勝利が現されるように、そして、また守られて、誰一人けがをぜず帰って来られるようにお祈りください。もしも、お腹も壊さずに二十四人が帰ってたら、きっと「奇跡」と呼べるのではないかと思います。
 でも、神様が、これからリバイバルということを私たちに目指させてくださって、戦う中で、今回、新しい世代の中にしようとしておられる中に、大きなご計画があると思いますので、是非覚えてお祈りください。

 最後にイザヤ書五十二章七節をお読みします。

『良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。』

 これがネパールのツアーのテーマの御言葉です。今回の二十四人が『良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。』のみ言葉通り、美しい主の御言葉を宣べ伝える良き足として、一人一人が遣わされていくことができるように、お祈りください。
 私たちはリバイバル、神の国の訪れを信じて、求め続けたいと願っています。そして、主の視点に立ち、心貧しい所に訪れられる主を求めて、さらに、「すると突然」を信じて、一つになって、主のリバイバルのために励んでいきたいと、心から願っています。一言お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ。愛する天のお父様。あなたのすばらしい御名をあがめて、心から感謝します。あなたがこの日本に大きなご計画を持って、臨もうとしてくださっていることを信じて、心から感謝します。神の国の現れを求めて、私たちは日々歩んでいます。あなたご自身が、持っておられるご計画が百パーセント現されますように。
 『心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人の者だからです。』と、今日、この御言葉をいただきました。私たちは本当に心貧しくへりくだったイエス様あなたに習った歩みをすることができるように。天の御国の訪れを心から願っています。どうぞあなたが今この終わりの時代にしようとしておられることを成し続けていくことができるように助けてください。今日のこの時を心から感謝し、すべての栄光を主にお返しし、尊き主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。