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『あなたに回復の時が来ます!

2014年8月24日 (日)
新城教会主任牧師 滝元順
使徒の働き 3章19節〜20節

『そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。』

  ハレルヤ!アンコールしたくなるような素晴らしい賛美でしたね。ヘブンリーキングダムのみなさんに、もう一度大きな拍手を!
 彼らは先週、小坂井のフロイデンホールから招かれ、コンサートを行いました。私も出席させていただいたのですが、フロア・コンサートといって、ちょっと狭い場所でしたが、一般の方々が百名以上集まり、今、演奏された「御言葉ブギ」とか、みんな意味を分かっているのかなという感じでしたが、共に歌っていました。本当に素晴らしいコンサートでした。一枚が写真があります。

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 彼らの働きを通して、いろいろな地域に福音が伝えられていることを、心から感謝します。

 また、先週はみなさんに祈っていただき、ついに「環・関西リバイバルミッション」が始まりました。

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この戦いは大きな戦いだと思っているのですが、尼崎から始まりました。私は二十年以上、リバイバルミッションの集会に毎回、もれなく参加しています。講師として奉仕をさせていただいていますが、非常にリラックスした、霊的に自由のある集会でした。
 現在、リバイバルミッションの実行委員は、私を含めてだいぶ高齢化が進んでおります。父は八十五歳、有賀先生は八十一歳、平岡先生は七十手前。私は六十三歳です。平均年齢は七十歳以上です。普通なら絶対にリタイアしている年齢ですが、そんなじいさん方のメッセージを、聞きに来てくれたわけです。昨夜は私の父がメッセージを語りました。
 去年の日本人男性の平均寿命は、七十九・九四歳だそうです。彼がメッセージを語るのは普通、ありえないのです。平均寿命から言えば、すでに彼は雲の上の人です。ですから、私は父を「天の声としてお聞きください」と紹介させていただきましたが、なかなか良いメッセージでした。「八十五歳にしては、がんばるなぁ」と感心しました。みなさんの祈りの支えを感じる素晴らしい集会でした。

 今週は会場を移し、堺市でミッションが開かれます。是非とも祈っていただきたいと思います。昨晩、私を含めスタッフたちは、全員十二時過ぎに新城に戻ってまいりました。少し元気がないかもしれませんが、それでもがんばっております。祈って支えていただきたいと思っております。
 これらの働きすべて、主が再び帰って来られる道を用意する為の、重要な働きであると考えています。今日読んだ箇所に、『主の御前から回復の時が来る』と記されていましたが、回復というのは、根本的には、主イエスが再び地上に戻って来られ、地を統治される事を意味します。
 その為に、特別カギとなるような教会があるのではないかと思います。それぞれの教会は、鍵を持っているのですが、特に、この教会が機能しないと次につながらないというような教会が、日本各地に置かれているのではないかと思います。

 今日は、一人の牧師先生ファミリーが礼拝に来てくださっています。それは、静岡県の三島市の加茂川キリスト教会の三上先生ご一家です。私も毎年のように、先生の教会にお招きいただいております。
 私は、先生の教会にお邪魔し、「先生の教会と、新城教会とは何かつながりがある…」と思うのです。主の大きな計画があるような気がします。
 今から先生に少し挨拶と、何かを語っていただきたいと思っています。では三上先生です。拍手でお迎えください。

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<三上先生>
 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。駄目だと言ったのですが、紹介されてしまいましたのでお話しします。
 三島市という街をご存じでしょうか?街で一番有名なのは三島大社です。この教会では、そういう事を話すとピンと来るのではないかと思います。大社がなければ、成り立たないような街ですが、そういう場所に教会が建てられました。
 話すと長いのですが、順先生に七月に来ていただきました。その時に聞いたメッセージを録音して、いろんな方が聞いてくださいました。私にとって大きな意味を持ったのは、一つは「土地について」、今まで聞いたことのないメッセージを聞くことができました。
 また、もう一つは、「後ろの戸を閉じる」という事でした。みなさんは、もう聞き飽きたと言われるかもしれません。私の教会は、割と熱心にやってきました。教会の人たちも一生懸命やってきました。しかし、ある時、積み木崩しのようにガタガタと崩れる感じでした。メッセージを聞いて、もしかしたら、後ろの扉が開いているのではないか?と思わされました。祝福の兆しが見えて、新しい人たちが来ると、ガタガタと行くのです。それで、土地のメッセージと、後ろの戸を閉じるメッセージは、非常に私たちの教会にとって、意味をもったメッセージとなりました。私も今、繰り返し聞いています。
 一人の大学生が、関西から来ているのですが、順先生のCDを夏休みに持って帰ったわけです。そうしたら、お父さんが是非ともお金を払うからCDを送ってくれと言うわけです。いいですよと言って送りました。その息子さんのお父さん、お母さんはクリスチャンですが、そのようなメッセージは初めて聞いたのではないかと思います。
 加茂川キリスト教会と言います。みなさん、何かの機会がありましたら、おいでください。ありがとうございます。感謝します。
===

 どうもありがとうございました。先生。突然にすみませんでした。今日は一日おられると思いますので、良き交わりをしていただきたいと思います。
 三島大社のすぐ側に教会があります。しかし、先生方は目覚めて、教会をあげて街の為に祈っておられます。
 大社近所は、かつて、リバイバルを経験したような場所でもあります。しかし悪しき力が強いのです。リバイバルは潰され、教会も潰されてしまいました。けれども主は、加茂川教会を選んでおられると信じています。

 今日のメッセージは、メッセージというよりも証しが中心かもしれません。証しは、神の御言葉が現実した証拠ですから、大きな励みになります。奇跡は、個人的なようですけれど、キリストのからだ全体に対する祝福です。その祝福を共有しているのです。誰かに起こった奇跡ではなく、「私に起こった奇跡」なのです。ゆえに、やがて同じ回復の業が起きると受け取って下さい。

 以前にもお話ししたのですが、私たちの教会に、浜松から来られているファミリーがおられます。十年くらい前に奥さんが教会に来られました。彼女がこう言いました。「うちの家系は、五月になると死人が出る」というのです。仏壇にある家系図を見たら、長男が、みんな五月に死んでいるというのです。それで、ぞっとしたというのです。「今年も、結婚したばかりの従兄弟が交通事故で死んでしまった」と言われました。従兄弟は死んでしまい、奥さんは子どもと一緒に行方不明になってしまったそうです。そんな話を聞き、私はその家族の為に祈って差し上げました。
 すると、奥さんから始まって親族が続々教会に来るようになり、十年以上になると思いますが、家族・親族、友人たちを合わせ、二十名近くがクリスチャンになったかもしれません。その家庭に大きな回復が起きました。
 従兄弟の奥さんは、子どもを連れて消えたと聞いていたのですが、私は会った事もありませんし、心の片隅にとどめていただけでした。

 数年前、私は三上先生の教会に招かれました。そして、その話をしました。「家系の中にいろいろ問題があるのは霊的問題だから、祈りを必要としている人は前に出て来てください。」と言いましたら、大勢が集会後、残られました。
 私は新幹線で三島まで行きました。それで新幹線の最終時刻を抑えておきました。でも万が一、終電に乗り遅れたら奥の手で、新幹線で浜松まで行き、在来線で豊橋に夜中の一時過ぎに着く時刻表も、一応考慮しておきました。しかしそれは使いたくありませんでした。大勢の方が祈りを要請されましたので、私は時間を気にしながら、がんばって祈りました。スピードアップして祈ったのですが、いくら頑張っても、何人か残りそうでした。適当じゃいけませんが、まとめて祈って帰ろうと思いました。次の日のスケジュールがありましたから、理由は何でも言えますから、ごめんなさいね、先生。
 しかし、その時、聖霊様が、「祈り続けろ!」と言われました。「おまえが電車一本遅れたって、おまえの人生は変わらないぞ。でも、おまえが祈ったら、その人たちの人生が大きく変わる可能性もあるじゃないか…」という思いが、ふっと心に来ました。それで帰りは、最終の最終となりました。
 やっと祈り終えて、「さぁ、帰ろう」と思って身支度をしたら、教会の後ろの扉が開いて、ちっちゃな子どもを連れた女性が入って来ました。彼女は「私のために祈ってください」と言いました。そして身の上話を始めました。「私はかつて結婚していましたが、夫が交通事故で死にました。」そんな話でした。
 私は、『今日のメッセージの中で、あなたによく似た人の話をしたよ。聞かなかったの?』と聞くと、「子どもが騒いで外に出ていた」と言うのです。『そう…。聞くべきだったね。ところで、結婚していた頃、どこに住んでいたの?』と聞くと、「浜松です」というのです。「よく似た話だな」と思いました。
 なんと、その女性は、新城教会に来られた、亡くなられた従兄弟の行方不明になった奥さん本人でした。びっくりしました!
 あの時、私が祈り続けなかったら、出会わなかったです。今回も先生の教会に行って、その方にお会いしました。
 この方はフィリピン人で、フィリピンからお嫁に来たのですが、しぎらくして、主人が亡くなり、日本中を点々としたらしいです。最後に三島に来たら、ちょうど駅前でクリスチャンたちが賛美をしていたそうです。この女性は賛美歌を知っていて、懐かしいなと思って、「どこの教会の人でたちすか?」と聞いたそうです。すると『三島大社の近くの教会です。』と言われ、教会に通うようになったそうです。
 そこに私は招かれ、そんな事は全く知らないで、彼女の嫁ぎ先の話をしたのです。今では、彼女は回復して元気です。すごいでしょう。
 新城教会で起こった解放劇の中で、数年後、三島で第二弾が起こったのです。三上先生の教会と、私たちの教会が、霊的につながりがあることを感じます。
 神はすべてを知っておられ、私たちが考えもしないような領域に、解放と救いの御業を進めて下さるのです。

 それから三上先生の教会にたびたび招かれるようになりました。ある時、子どもキャンプに招かれました。その時、新城教会の子どもたちの霊的な目が開かれた話をしました。一九九三年に甲子園ミッションがあったのですが、その前後、子どもたちが活躍しました。
 大人と子どもの、どちらを主は用いたいと願っておられるでしょうか。人を用いるのは聖霊様です。聖霊とは聖い霊と書きます。汚い霊のことを悪霊と言います。聖い霊は、私のような薄汚れた大人よりも、将来は罪を犯すかもしれませんが、今のところ聖い、子どもたちのほうが使いやすいと思うのです。
 当時、新城教会の子どもたちに聖霊が注がれ、霊の目が開かれ、甲子園ミッションの時、大活躍しました。そんな話をしました。
 子どもたちに聖霊が注がれた時、神が直接、悪いゲーム、アニメ、漫画を読んでちゃ駄目と、親がいくら言っても聞かなかった子どもたちが、主から直接言葉を聞いて捨てた時期がありました。
 この中にも聖霊が注がれなければならない子どもたちがいるかもしれません。「そんなゲームをやっていちゃ駄目だぞ!」と。中にはオカルト的要素がいっぱいあるゲームやアニメもあります。親がいくら言っても駄目なのが、聖霊様が子どもたちに直接語り、一九九二年頃、子どもたちは自分でそれらを処分しました。それで主に用いられました。その話を三島でして、子どもたちのために祈りました。
 すると、三上先生の教会の子どもたちにも聖霊が注がれました。その事が、当時、リバイバル新聞に紹介されました。私が帰った後の事ですが、子どもたちは主から直接、「そんなアニメ見てちゃ駄目だ」「漫画見てちゃ駄目だ」「ゲームやってちゃ駄目だ」と語られ、自主的に悪いゲームとか、漫画を持って来て、「これを捨ててください」と言いました。それらを集めたら、ドラム缶一本分になったというのです。すごいじゃないですか。
 新城教会で起こった同じ事が、三島の三上先生の教会で起こったのです。これは神の大きな計画があるからです。

 今読んだ御言葉の中に、「主の御前から回復の時が来る」と語られているのですが、その条件が、「あなた方の罪をぬぐいさっていただくために悔い改めて神に立ち返りなさい」という、「悔い改め」が重要である事がわかります。
 主に用いられるため、回復の時、すなわちイエス様が地上に再び帰って来られる為の条件が、「悔い改め」です。
 昨晩、私の父、明牧師が、悔い改めのメッセージを語りました。八十五歳でありながら、「悔い改めなければならない!」と叫んでいました。「おぉ、すごいな…」と思いました。この頃、悔い改めのメッセージって、なかなか聞けなくなりました。「あなたは愛されていますよ。受け入れられていますよ」というメッセージは結構聞きますが、悔い改めるというメッセージが少なくなりました。
 しかし、回復のためには、罪を悔い改めることが重要だということです。あまり重要に見えない罪もあるかもしれません。ちっちゃく見えるかもしれません。子どもたちにとって、ゲームだとか、アニメだとか、こんなのいいじゃないかと思っているものが、実は、聖霊様に聞くなら、「それはよくないですよ。あなたがそれを捨てない限り、回復は訪れません」ということも多くあると思います。聖なる霊は聖い所しか働くことができないからです。

 近くに豊川がありますが、私が小さい頃、あの川には鮎がいっぱいいました。夏になれば、信弘先生なんかとつるんで、鮎取りばかり行っていました。私は鮎取り名人で、夜、水中で使える懐中電灯を持って、川に潜るのです。すると鮎が寝ているので寝込みを襲うと、どんどん取れるのです。水中で鮎をモリで刺したら、鮎を水泳パンツの中に入れるのです。パンツの中は鮎だらけ。パンツは鮎のにおいになっちゃうのですが。
 ある時、信弘先生と豊川に行きました。先生が、「うわーーっ!」と叫びながら水から上がって来ました。「なに??」と聞いたら、「人間の手が浮いている」というのです。切断された片手が水中にあるというもんだから、私はすぐに潜って見に行きました。本当に片手が岩の間から出ていました。「うわーーっ!」と思いましたが、よく見ると、ゴム手袋でした。ちょっと話はずれましたが。
 なんであんなに鮎がいたのかというと、当時、豊川の水は綺麗でした。だから、鮎が住めました。この頃、豊川の水は汚いじゃないですか。それで鮎はいなくなりました。

 同じです。教会に聖霊様が強く働く為には、やはり水が綺麗でないと働くことができないのです。ですから、家に帰ったら、聖霊様に聞いてください。「この家の中で不必要な物があったら、教えてください」と。「これを捨てろ」と語られたら、捨てなければなりません。
 イエス様が帰って来られた時、街の中から不必要な物は全て消え去るはずです。

 この間、豊川のクリスチャン男性たちと一緒に、山に上り、祈祷会を持ちました。たびたび、豊川の街のために祈っているのですが、山に上って、イエス様が帰って来られる時、この街から一掃されるものをあげて祈りました。多くのものが一掃されると思いました。偶像は絶対になくなるでしょう。罪を犯す場所だってなくなるはずです。様々な領域が変わるはずです。主が帰って来られる時には、イエス様が王となり、不必要なものは全て消え去るのです。
 その原理は同じです。イエス様が私たちの王となってくださるためには、内側に不必要なものがあったら、働くことができないのです。
 今日、子どもたちがいますけれども、この頃のゲームやアニメ、私はよく知りませんが、変なのが多いじゃないですか。注意しなければいけないと思います。
 回復のためには、悔い改めが必要である事を知りましょう。

 今、主が、私たちの教会に回復の季節を与えておられるのを、強く感じます。
 先週は、祈っていただき、尼崎でリバイバルミッションが開かれたのですが、あの場所は、甲子園ミッションの時に深い思い出があります。
 この話も以前、話したことがあるのですが、アルカイックホールは新しくなりましたが、かつての古いホールもあります。そこで甲子園ミッションの決起大会がありました。日本の著名な牧師たちが集まり、大々的な決起大会がありました。
 しかしその頃、甲子園ミッションに反対する人たちが出て、実際に集会の中に入って来て、声を荒げたりして乱す事件も起こっていました。恐ろしい男が出没し、みんな警戒していました。その男が来ると、暴れてたいへんでした。だんだん妨害がエスカレートして来ました。
 アルカイックホールに集会のために行ったら、電柱にポスターが貼ってあるのです。よく見ると「全日本甲子園リバイバルミッションの会場はこちら⇒」と、女性のヌード写真をバックに「ミッションの集会はこちら⇒」と、電柱に看板がいくつもくくりつけてあるのです。「なんだこれは?」とビックリしました。今なら、確実に警察沙汰です。本当に挑戦的でした。
 そうしたら、その重要な決起集会に男が来たのです。体の大きい男で、私の目の前に座りました。私はその晩、賛美リードでした。賛美をしていたら、エクソシストという映画を見たことがありますか?目の玉が突然ひっくり返って、真っ白になるでしょう。同じことが起こりました。その男の両目が、突然、くるっとひっくり返って真っ白になり白目で睨まれました。もう賛美どころじゃなくなりました。本当に平安を失い、「主よ、どうしたらいいでしょうか」という感じでした。
 その晩のメッセンジャーは韓国の申賢均先生でした。集会が終わると、男は申先生のメッセージにいちゃもんをつけ、「ちょっと来い!」と脅しました。著名な先生方が多く来ていましたが、一つの部屋に全員押し込められ、監禁されました。
 ちょうどその時期、紙袋の中に出刃包丁を忍ばせ、人を刺す事件が多発していました。その男は、紙袋の中に出刃包丁を持っているそぶりをしていました。みんな、「紙袋の中身は出刃包丁だ」と感じたので、抵抗できなかったのです。田中先生は男から、「おい、おまえ、俺が怖いか!」と言われ、ほっぺたをパチパチやられました。哀れなものでした。日本の伝道者たちが一人の男に脅かされ、全員コントロールされました。身動きが取れませんでした。
 私は端っこで、「主よ、どうしたらいいでしょうか。助けてください!」と祈りました。

 すると突然、稲妻のように、私のところに御言葉がひらめきました。それが、イザヤ三十五章三節〜四節でした。聖書の御言葉って不思議です。前後関係を気にしながら読むことも重要ですが、時には、聖書は神の言葉だから、直接来る時もあるのです。そればかりを期待しちゃいけませんが、その時には稲妻のように来ました。

『弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。」』

 この言葉が、光のように私に来ました。今まで私は意気消沈し、もう駄目だ!と思っていたのですが、御言葉をもらった瞬間、「パパパッパーーン!」と、ポパイのように生き返ってしまいました。御言葉ってすごいです。直接、主からいただく時は確信が伴うのです。あっという間に元気になってしまいました。今まで男から「怖いだろ!てめ〜!」と脅かされていたのが、「怖くないぞ!」となりました。
 主が「やつの持っている紙袋を覗け!」と言われた気がしたので、男が他の先生を脅かしている空きに、紙袋を覗きました。覗いたら、なんと、出刃包丁ではなく、聖書が入っていました。それで、「なんだ、こいつ〜」と、私は完全に怖くなくなりました。このまま、この男を返してはいけないと思いました。
 やがて男は勝ち誇って、外に出て行きました。しかしサムソンのように私に聖霊が注がれ、その大きない男に、「ちょっと待て〜!」と叫んで、ぶつかって行きました。
 その時、田中先生が私の後ろから叫んだ言葉は、今でも忘れることができません。「順、やめろ〜!!」と叫びました。その言葉がこだまのように「順、やめろ、やめろ、やめろ〜」と聞こえる中、私は男に飛びかかりました。それまで、大きな男だと思っていたのですが、体の空気が抜けるように、男はひらひらと地に倒れてしまいました。私はゴリアテの上にまたがったダビデのように、彼を取り押さえました。
 その間に警察に通報され、警察官たちが、「事件だ!事件だ!」と駆けつけてきました。私が男をのしていましたから、私が犯人のように勘違いされましたが、犯人は捕まりました。それから妨害は、ぴたっと止まりました。あれは、霊的戦いだったと思います。
 しかしあの時、御言葉によって励まさ、私は男にとびかかって良かったと思います。田中先生の叫びを聞かなくて良かったと思います。「順、やめろ!」と、田中先生が叫んだのは、袋に包丁が入っていると思ったから止めたと思います。でも、私は中身を見たから怖くありませんでした。

 昨日も、そのことを思い出し、「この辺だったな…」と、祈って来ました。そこでミッションが開かれるのは、他でもない、大きな回復の業だと思います。かつて、最も恐怖を覚えた場所で、最も大きな平安を感じる集会となりました。
 主が、「今まで失ったものを回復してあげますよ。あなた方はこれから、神の民として、地を治めるのです」と、語っておられる気がしてならないのです。

 この頃、不思議なことがいくつかあります。今年の春、私たちの教会のルーツとなった穐近宣教師夫妻について話しました。穐近宣教師の奥さんが、私の母と一緒に東京の土地をタダで手に入れたと話しました。その事は父母から断片的には聞いていましたが、はっきりとは知りませんでした。
 それは今年の二月、大雪が降った日、娘が東京に行けなかったきっかけから、始まりました。その土地が勝ち取られた事により、父が救われ、新城教会も出来ました。その事を、ここで何度も話しました。
 今回の「環・関西リバイバルミッション」の決起大会で、京都のある教会にお邪魔しました。すると、穐近宣教師にとても近かった男性と出会いました。なぜそこにいるのかを聞いてみると、彼はその後教会を離れ、日本中を点々としたそうです。
 ある日、京都に来て、京都の四条通りという繁華街を歩いていたら、ビルの中に教会があるのが見え、懐かしく思って立ち止まったそうです。「教会か。懐かしいな…」と見ていると、突然、一人のおばあちゃんがビルから出て来て、「なに見ているんですか?教会に興味あるのですか?さあ、中にお入りください」と、教会に引っ張り込まれたそうです。自分の意思ではなく、引っ張り込まれたというのです。それをきっかけに、彼は信仰を回復したというのです。

 彼はその頃、どんな仕事をしていたかというと、仏像を修理する仕事をしていたそうです。ある日、京都の大きな寺に行き、「この仏像を修理したら儲かりそうだな…」と、仏像を眺めていたら、突然、誰かに後から叩かれたというのです。後を振り向くと、誰もいなかったそうです。すると、背後から「偶像礼拝は罪だ!」という声が聞こえたというのです。本当に血の気が引いたというのです。
 彼は信仰を失っていましたが「偶像礼拝は罪だ!悔い改めろ!」と、誰かに言われたそうです。彼はすぐに家に戻り、涙ながらに罪を悔い改め、その後、その教会と出会い、信仰が回復したのです。不思議なことが起こったのです。

 私はその教会から帰ってから、穐近先生の書いた自叙伝「土方の親父」をもう一度、読み返してみました。そうしたらさらに不思議なことが分かりました。
 穐近先生は太平洋戦争の最中、アイダホ州キャスケードという村で、竹内さんという日系人が経営する農場で働いていました。すると、その農場に、日系二世の青年が働いていたそうです。それはウイリアム・貫田という人でした。貫田さんは熱心なクリスチャンで、二人は農場で友達になりました。それで二人は一緒に、日本の為に祈るようになったのです。
 戦後、穐近先生夫妻は日本に宣教に遣わされましたが、ウイリアム・貫田さんも、後を追うように、日本に宣教に来たのです。その後、穐近先生は東京で教会を始めました。けれども、貫田さんはどこで教会を始めたのかというと、京都でした。
 実は今回出会った穐近先生にとても近い人物が引き込まれた教会は、なんと、「貫田さんが始めた教会」だったのです。神様って、粋で不思議なことをされますね。

 アメリカの田舎町で出会った二人の青年によって、東京と京都に教会ができたのです。穐近先生は、戦後の日本の「福音派」と呼ばれるグループの基盤を作りました。一方、貫田先生は、戦後の日本の「聖霊派」と呼ばれる教会の基盤となったのです。戦後の日本教会のルーツがどこから出て来たのかというと、なんと、キャスケードの山の中、竹内家の農場での出会いから出てきたのです。

 今日読んだ御言葉、使徒の働き三章十九節〜二十節、

『そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。』

 回復とは何か、それは『あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。』
 使徒の働きの三章は、イエス様が十字架にかかり、死んで復活したあとの出来事です。イエス様が遣わされるとは、再び主が帰って来られる、再臨を意味しています。本当の回復は、主が再び帰って来られ、地を主権的に治められる中で実現します。その事を弟子たちは知っていたのです。そして悔い改めは、主の再臨につながるのです。
 エレミヤ三十一章十節〜十四節の御言葉が心に響いているのですが、ここを読んで終わりにしたいと思います。

『諸国の民よ。主のことばを聞け。遠くの島々に告げ知らせて言え。「イスラエルを散らした者がこれを集め、牧者が群れを飼うように、これを守る」と。主はヤコブを贖い、ヤコブより強い者の手から、これを買い戻されたからだ。彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い、穀物と新しいぶどう酒とオリーブ油と、羊の子、牛の子とに対する主の恵みに喜び輝く。彼らのたましいは潤った園のようになり、もう再び、しぼむことはない。そのとき、若い女は踊って楽しみ、若い男も年寄りも共に楽しむ。「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。また祭司のたましいを髄で飽かせ、わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる。──主の御告げ──」』

 このみ言葉は、主が帰って来られる時に実現します。ここで、『そのとき、若い女は踊って楽しみ、若い男も年寄りも共に楽しむ。』とあります。一九九二年に、この教会に聖霊が注がれた際、教会全体に聖霊が注がれたことがありました。それを体験をされた方がここには多くいますが、あの時、子どもから年寄りまで、踊り狂いましたよね。すでに天に帰られましたが、懐かしい今泉与助おじいちゃんが、この辺で踊っていたことを今でも覚えています。あの光景はなんだったんだろうと、この頃考えます。それは、主が帰って来られる日を現しているのです。今回、ネパールに行き、闇が一番深い場所で、中高生たちが賛美し、踊って来たのです。
 今日二時からその報告会があります。子どもたちの証しを聞くことができます。これは回復の兆しです。イエス様が帰られる道を用意するために、ヒンズーの悪しき牙城の真ん中で、主をほめたたえる戦いができたことは、すごいです。
 主は、世界中で働いておられます。クリスチャンに回復を与えようとしておられます。回復されたら、この地を管理する者にならなければいけないのです。

 この頃の大雨、管理権との関わりがあるような気がしてなりません。人間にとって、水は絶対に必要です。でも広島に降ったような大量の水はいらないのです。あれは、さながら空爆です。水による爆撃です。九十名くらいの人たちが一瞬にして、亡くなってしまいました。あれは神の御心ではないと思います。悪天候を管理しなければならないと思います。
 自然界に対し、クリスチャンは管理権を行使しなければいけません。イエス様が帰って来られる時には、集中豪雨とか地震、台風も変えられるはずです。今のようではなくなるはずです。
 一人一人が主の勇士となり、管理者となり、主が帰られる道を用意したいと思います。
 最後にみなさんでご一緒にお祈りの時をもっていきたいと思いますが、一言お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ、天の父なる神様。御名をあがめて、心から感謝します。私たちを管理者として遣わしてくださっていることを感謝します。その前に、私たちを回復しようとされていますから感謝します。
 今から聖餐式を行います。この聖餐式を祝福してください。私たちが罪赦され、あがなわれたのは、主が帰られる道を用意し、主が地を治めてくださる準備のためであることを感謝します。今からのこの聖餐式を祝福してください。
 この祈りを心の底からイエスの御名により、父なる神の御前にお捧げします。アーメン。