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『さあ仕事に取りかかろう!

2014年10月19日 (日)
新城教会副牧師 滝元開
ハガイ書2章3節〜9節

『あなたがたのうち、以前の栄光に輝くこの宮を見たことのある、生き残った者はだれか。あなたがたは、今、これをどう見ているのか。あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか。しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。――主の御告げ。――エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。――主の御告げ。――仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。――万軍の主の御告げ。――あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。まことに、万軍の主はこう仰せられる。しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。万軍の主は仰せられる。銀はわたしのもの。金もわたしのもの。――万軍の主の御告げ。――この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の主は仰せられる。わたしはまた、この所に平和を与える。――万軍の主の御告げ。――」』

 みなさんと共に心から主を賛美し、礼拝できますことを心から感謝します。
 今日のメッセージのタイトルは、「さあ仕事に取りかかろう!」というタイトルをつけさせていただきました。神様がこの教会に対して新しい次の一ページを、もうすでにめくってくださっていると思います。天野先生を通して、Fire!火が投ぜられて、私たちはこの地の管理人として、その主の夢をかなえるために、それぞれの地域に遣わされている、そのことを知って、今度は私たちが仕事に取りかかる、そのような時間が来ているのではないかと、そのようなことを示されています。
 今朝は、この地域の公民館の掃除という仕事がありまして、そこに行きました。そしたら、地域の人たちが、粗大ゴミの日でもあったので、それを一生懸命している姿を見ながら、そしてまたこの町を歩いていたのですが、そうすると、やはりあちこちに偶像があるのです。この地を治める悪しき偶像があるのを目にしまた。私たちは、今、この地を管理しなければいけないということを学んでいますが、この地域の人々は、もうすでにこの地を管理しているのです。ある意味、悪しき霊の支配の中で、これを悪しき管理をし続けているのです。偶像礼拝をして、そしてこの地域の祭りをしてという、特に、今の時期は秋祭りをし、地域が悪しき管理をされきっているなと感じました。
 ですから、私たちが今、この時、主からの使命をいただいて、「神様の夢をかなえるため」に、この地を管理する、本当の意味での管理人としての働きをしなければいけないということを、強く教えられた次第であります。

 今日の御言葉ですけれども、ハガイ書二章三節を、まずお読みします。

『あなたがたのうち、以前の栄光に輝くこの宮を見たことのある、生き残った者はだれか。あなたがたは、今、これをどう見ているのか。あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか。』

と書かれています。『以前の栄光に輝くこの宮を見たことのある、生き残った者』とあります。
 今年は、環・関西リバイバルミッションが八月に三箇所で行われました。甲子園ミッションから、二十一年という年月が流れて、あの時の主の御業が、もう一度、関西に訪れるように、そこから始まったその火が、もう一度訪れるように!と、そんな願いをもって、「やっぱ祈りやねん!」と、みなさんで叫びました。結果、今回のこの三箇所の集会を、神様は霊的な領域で勝利をくださったと信じています。すべて神様がなしてくださった御業であると心から思っています。
 でも、現実的に見ると、甲子園ミッションの時に、甲子園球場に、三日間で十二万数千人の人たちが集まって、大きな神様の栄光が現されたわけで、その時の栄光と見ると、ある意味、以前の栄光に輝く宮を見たことのある、生き残った者たちの目から見たら、現実的には、まるで無いに等しいという、そのような現状なのかもしれません。しかし神様のご計画の中での、この二十一年の歩みを経て、主は本当に新しい事をしてくださったと信じています。

 そして四節には、後半ですが、『――主の御告げ。――仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。』と書かれています。主は確かに、私たちと共にいてくださって、私たちの歩みを導き続けてくださっています。そのことを確信しつつ、私たちは主の業に励む時が来ているのです。キリストのからだですので、各機関がそれぞれの場所で、それぞれの働きを、主にあって本当に成し遂げていく。それぞれの場所に遣わされて出かけて行くことそのものが、大きな戦いと、神の国の拡大につながりますので、ですから、その意識を持って、仕事に取りかかる時が来ているのではないかなということを本当に思います。神様が必ずこの地に大いなる業をなしてくださると信じていきたいと思います。

 天野先生を通して語られた「わたしの夢をかなえてほしい。」先週も順先生が言われていましたが、本当に感動しました。私自身もすごく感動しました。イエス様ご自身が「わたしの夢をかなえておくれ」と言ってくださっているというのは、本当に大きな感動と共に、なんだか申し訳ない気持ちでした。イエス様がそんなに熱い思いを持って、この教会に対して、また私たち一人一人に対して、「この夢をかなえておくれ。」と、神様が、それぞれにそれぞれの賜物と、召命との中で、主が、主の働きを託してくださっているということは、イエス様の夢の実現のために、私たちに直接託されていることですので、どんなに大きな使命が神様から与えられていることかと、これは本当に命がけで、残された人生、戦わなければいけないなと、すごく思います。

 イエス様が帰られる日が間近だ!間近だ!と言われていますが、私は今週、うちの娘に一つの質問をしてみました。「イエス様が、あと十年で帰って来たら、どうする?」と、そう言いました。「あと十年で帰って来るって決まったら、どうする?」と、そう聞きました。そうしたら、私の予想としては、彼女は、「まずは結婚したい!」と言うかと思ったのですが、そうではありませんでした。「そりゃ、主のために励むのみである。」みたいな、なんか模範解答をしておりましたが、たった十年しかなかったら、でも、本当に何年か分からないじゃないですか。ひょっとして三百年後かも分かりませんし、千年後かもしれないのですが、でも、この今の時代と、この聖書を見ると、やっぱりイエス様はいつ帰って来られてもおかしくない、そういう時代になっています。世界がそういった状況に来ていると思うのですが、もしもたった十年としたら、本当に一分一秒を無駄にせずに主の夢の実現のために働かなければいけないなと思いました。十年といわずに、三十年としても、私は三十年後、八十四歳だな。でも、三十年、結構あっという間なので、「これはもう生きている間中、なにせ真剣にがんばんなきゃな!」と、すごくそんなことを感じている今日この頃であります。

 天野先生を通して言われたのは、「わたしの夢をかなえてほしい。そのために、もっとあなたがたの霊性が活性化するようにわたしは願う。」と言われておられました。だからもっと、霊的な新しい油注ぎをいただいて、その働きを全うするために油注ぎを求め続けましょう!という、そういった御言葉でしたが、そのことを信じて、主を求め続けていきたいと思います。

 先週は、四国のほうをザワメキで巡ることができて、とても祝福されました。四国四県を六ヶ所回ったのですが、本当に祝福されました。はじめての教会もたくさんあったのですが、まるで、何度も行っているホームの教会というか、大歓迎してくれました。そして、ザワメキをあまりご存じでないのにも関わらず、一生懸命歌ってくださって、さきほども歌った「やっぱ祈りやねん」になったら、みんなで「そやねん!」と、力一杯やってくださいました。本当にリバイバルを求めることって、すごいなと思いました。

 愛媛の松山という所に最初に行ったのですが、その教会には牧師先生がいないのです。東京の牧師先生が二ヶ月に一回来られていて、それ以外はビデオで礼拝されているという方々にも関わらず、本当に熱く主を求めておられました。そんな中、私たちが時々ザワメキで行く他の教会の一人の姉妹が、そこの町の学校に入ることになって、教会を探したそうなのです。その町中の教会のいろいろな所に行って、礼拝に出て、どこに行こうかなと思ったそうです。彼女が教会を選ぶなかで一つの条件があったそうなのですが、それは何かといったら、その教会でザワメキを歌っているかどうかだったんですって。いや〜、嬉しいですね。そんなことを言ってくれる子がいるとは。でも、あいにく、ザワメキを歌っている教会、どこにもなかったんですって。でも、神様がここに行きなさいという教会だなと思っていったそうです。
 そうしたら、行ってしばらくしたら、なんと、ザワメキが来る!となり、そこの教会では、「滝元かい先生が来る」と言ってくださっていたそうです。前回礼拝でメッセージしたときに「『滝元ひらき』と呼ばれた」と言いましたが、今回は「『かい』先生が来る」と、みんなで言ってたら、「あの〜、ひらくって言うんですよ。」『えっ!ひらくっていうのか!「ひらく」より「かい」のほうがかっこいいじゃないか!』と、人の名前をもてあそんで、あちこちでもてあそばれ続けております。「もう何でもいいです」とか言っておりますが、本当に神様がそのような姉妹を送ってくださって、そこで賛美している姿の中にも、神様は素晴らしいなと思いました。

 四国をぐるっと回って、一つ一つの集会の中で、神様があの地を愛しておられることを感じました。六日間、四国での日中の移動は、高速を使わずに、山道を通りました。そうすると、多くの遍路の人たちに会うのです。変な帽子をかぶって、白装束で歩いているのです。多くの人たちが日本中から来て、あの四国八十八箇所の霊場をめぐって、祈願して、偶像礼拝をして、汚しに汚すという働きをしているのです。これが現状なんだと思いました。
 でも、そのような中で、四国の先生方が一生懸命叫んでいるのです。「本当にリバイバルを起こしてください!」と、それぞれの教会が叫んでおられて、またそれぞれの教会の先生方が結構、高齢化されているんですね。一つの教会の先生は、もう八十四だったでしょうか。そのあたりの先生なのですが、以前もここでお話しさせていただいたことがある、いつも「私はまもなく死にます。」とおっしゃっていた先生、今回はおっしゃらないのです。「私はこの先、五ヶ年計画を立てました。」と、確か八十四歳なのですが、だから九十近くまでの計画を立てて、「この地をなんとかして福音化したい!」と励んでおられるのです。イエス様は、その熱い思いに対して働かれないはずがないなと思いました。
 リバイバル、リバイバル。私たちは心から求めていますが、でもその八十歳くらいのご高齢の人たちというのは、ある意味、すごいなんというか熱いものがあるじゃないですか。滝元明牧師をはじめとして、明牧師もここで「私は死ぬ気がしない。」というメッセージをしていたので、この人どういう人かなとみんな思っていると思うのですが、本当に死ぬ気がせずに走り回っているじゃないですか。そして本当にミッションの先生方も、日本中におられる先生方、八十前後の先生方が、命をかけて戦っておられる姿の中に、「イエス様が日本にリバイバルを起こされるとしたら、この先生方の世代にしなくて、いつするのだろう」と、少しだけ思うのです。続く先生方も素晴らしい先生方がたくさん、ずっといると思うのですが、でも、なんというか、リバイバル!どこを切ってもリバイバル!という先生方が日本中にぽんぽんぽんぽんっといらっしゃる姿を見ると、「神様は必ずこの時代に、しかも遠くない未来にリバイバルを起こそうとしておられるな」ということを、すごく強く感じます。

 そんなこんなで、四国をめぐったのですが、帰って来てすぐに、私の所に、四国から集会のDVDが届きました。あるお医者さんがDVDを撮ってくださって、私たちに「その集会のDVDですよ」と送ってくださったのですが、そこに手紙が添えられていました。帰って来てすぐなのです。そこになんと書かれていたかというと、ザワメキに対して、「主がザワメキに持っておられる夢がかなえられますように。」そう書かれていたのです。「神様ご自身が、ザワメキと通して、賛美を通してしようとしておられる計画がなされますように。夢がなされますように。」
 この人、天野先生のメッセージを聞いたわけでもなく、先週の順先生のメッセージを聞かれたわけでもなく、いや〜、イエス様は本当にこの時に、私たち一人一人に与えられた神様からの夢を形にするために、命をかけて働く時が来ているなということを本当にすごく強く思わされています。イエス様ご自信が、「頼むから日本のリバイバルのために戦ってくれ!」と、今、この日この時に、すべての方に語っている時じゃないかなと思います。

 イエス様が最初にペテロにお会いした時に、イエス様は、ペテロにもお願いすることから始まります。ルカの五章に書かれていますが、少しお読みしたいと思います。ルカによる福音書五章一節〜五節、

『群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟にのり、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。』

 イエス様がペテロに対して、その時ペテロは伝道者ではなく、漁師だったわけですが、『陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。』とあります。イエス様ご自身が彼に頼まれたのです。
 そしてその後、『あなたは今まで魚を捕る漁師だったけど、人を捕る漁師になるのです。』と言われ、主と共に彼を遣わして行きました。イエス様ご自身が、一人一人を選ばれるのです。同じ五章の最後の所を見ると、ルカによる福音書 五章三十六節〜三十八節、

『イエスはまた一つのたとえを彼らに話された。「だれも、新しい着物から布切れを引き裂いて、古い着物に継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、その新しい着物を裂くことになるし、また新しいのを引き裂いた継ぎ切れも、古い物には合わないのです。また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒は流れ出て、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。』

 神様が今本当に私たちに「仕事に取りかかりなさい!新しい一ページをあけて、主の業をなしなさい!」と言われる時に、ある意味、新しい主の業がなされようとすると思うのです。二十一年前に主の油注ぎがあって、その時にいただいた皮袋というのがあると思うのですが、今回、主がさらに新しいものをくださる時には、新しい皮袋を用意して、新しい着物を用意して、主の前に働かなければいけないんじゃないかなと思います。
 私たち一人一人が主のために働き出す時に、主はその時に共に働いてくださる。今回、「さぁ、仕事に取りかかろう!」という今回のタイトルですが、四節に、

『――主の御告げ。――仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。――万軍の主の御告げ。――』

と書かれています。なによりも大きな神様からのしるしは、主が、私たちと共にいてくださるという、それが何よりも大きなことなので、そのことを信じきって、この教会だけじゃなくて、家庭に帰っても、地域に出ても、学校に行っても、職場に行っても、そこに主が共にいてくださる。私と共に主がおられるということを信じて、そしてそこから主の業をなすという、そこから主の道が開かれるための働きを、仕事にとりかからなかったらいけないんじゃないかと思います。主が共におられるというのは、本当に何気ない中に感じられることじゃないかなと思うのです。

 今回、四国に行き、四国をぐるっと回ったのですが、四国でとてもおいしいうどん屋さんに入りました。四国には七百件のうどん屋があるそうで、だから、おいしい所もあれば、ソーソーな所もあれば、おいしくない所もあるそうです。ただ、激戦地なので、新しく作ってもおいしくなかったらすぐに潰れるらしいのですが、おいしいうどん屋さんに行くには、地元の方がおすすめする所はだいたい間違いがありません。それで今回は、一人の牧師先生が連れて行ってくださいました。「ここは絶対においしい!」という所に連れて行ってくださいました。
 そこは、門構えからして古いのです。店内の壁が真っ黒くなっちゃったような歴史を感じるお店でした。中に入ると一人のおじさんが、うどんの生地延ばし、そして、打っているのです。これは間違いない!と思って、今どき手で打ってそこで茹でてくれるというのはないので、これはやった!と思って、私はうどんが大好きなので、嬉しい!と思って入りました。
 ですが、そのおじさんがすごい怖い顔をしていたのです。白髪のおじさんなのですが、すごい怖い顔をして打っているのです。店に入ってすぐの所に、彼の聖域があって、そこから客を睨むように見ているのです。しばらく打って、すると、しばらく客の様子をじっと見ているのです。そして、そのうちまた生地を取り出して、おもむろに始めるのです。私は店内に入った途端に、そのおじちゃんと話そうと思ったのですが、あまりにものこわもてに話す機会を逃しました。
 でも、食べたら、あまりにもおいしかったので、磁石に吸い付けられるように、そのおじちゃんの所に行きました。「美味しかった!おじちゃん!」と言って、そして私は一言目に何を聞いたかというと「一日何人分くらい打つの?」と聞きました。そうしたら、何と言ったかというと、「それが分かっていたら苦労しないよ。」と、そこからきてしまったのです。「やばい!まずいこと聞いちゃったな。」と思って、そうしたら一緒にいた家内や石塚兄弟がそこに来て、「本当においしかった!最高!」という話を彼らも話し始めてくれたのです。するとそのこわもてのおっちゃんが、生地を伸ばしながら、だんだん柔らかい顔になりました。
 そして本当に嬉しそうな顔をしてしゃべり出しました。先ほどまで客を睨んでいたあの顔、どこに行っちゃったのか。もうにこにこして「あのな、こんな仕事は誰にでもできることだ」と言うのです。「じゃぁ、おじちゃん、何年やってるの?」と聞くと、「もう三十年、ずっとこれをやっている。」というのです。三十年間、毎日やっているんですって。そして、「あのな、こんなものは分量さえ分かれば誰でもできる仕事だ。」というのです。「おじさん、それは職人の言うこと。」と言ったら、「おぉ、俺は職人だ。」というのです。「あのな、こうやっていると、生地が俺に語りかける。今日は湿度が高いから水を少なくしろ。暑いから塩を増やせとか、生地が語りかけるんだ。」と言って、「それは凡人じゃないですよ。やっぱり職人ですね。」と話をしました。
 でも、おじちゃんと話す中で、主が共におられることを感じるのです。私たちはそこで、外から行ったものが、イエス様信じてください!というのではなくて、それを次の地域の牧師先生に託したほうがいいなと思って、その話を連れて行ってくださった先生に言ったら、「そんなこと、普通、ありえないですよ。」と言うのです。「それでは先生、次はあの方にイエス様の話をしてください。」と言って帰って来ましたが、イエス様が共にいてくださることというのは、共にいてくださったらおいしいうどんが食べれるという話ではなくて、共におられることというのは、何気ない中にあるのではないかと思います。
 私たちは何気ないスーパーでの買い物や、キッチンで料理される主婦のみなさんも、また、部活でやっている、そういった中に、イエス様を感じるということを、皆が感じていくようなことが、共におられるというしるしだと思うのです。ですから、共にいてくださるイエス様と共に、私たちが働き始める時に、主が大いなる業をなしてくださると信じています。

 その四国で、一つの教会が、鳴門の教会が私たちを今回招いてくださって、すごく小さな教会なのです。しかも、鳴門の田舎の、山の上というか、丘の上の目立たない、奥まったところに建てられた教会なのです。そこの小さな教会が招いてくださって、でもうちだけではどうにもならないからということで、今回、奉仕させていただく教会が広がって、六日間のツアーとなったのですが、そこの牧師先生が「礼拝はすごく小さいんです。」と言われて、でも、礼拝に十五人来られているのです。女性の先生なのですが、十五名の方が来られるというのは、その田舎ですばらしい恵みだなと思いました。癒やしが起こされて、いろんな事が起こっているんですよと、その先生もすごく一生懸命、熱心な先生だったのですが、それで、「今日はノンクリスチャンが来るのでお願いします。」と言われたので、何人ぐらい来るのか聞くと、「七人来ます。」とおっしゃっていました。そうしたら、七人どころではなく、結局、会堂にいっぱい、三十人くらいぎっしり来ました。すばらしい恵みの時でした。
 その教会で最近、スナックの経営者が救われた!というのです。そこの教会の敷地の工事をしに来て、救われて、その人は何とスナックを経営する人で、今なおスナックを経営している一人のおっちゃんが、イエス様を信じて救われたというのです。「その人はクリスチャンになったんだけど、礼拝に必ず遅れて来て、賛美が終わってから来るからイライラするのよ。」と、先生はおっしゃっているのです。「だから、今日は来て欲しいんだけど、来るかしら。来るかしら。」と言っていたら、十時半からの礼拝で、なんとそこの教会員の人たちはすごいのです。普通考えられないと思うのですが、十時半からの礼拝に、九時半から来るのです。そのおっちゃん以外ですね。みなさんは九時半から来て、何もなく待っているのです。ですから、一生懸命いろんなお交わりをしてお話をしましたが、すばらしいですね。そして、交わりの中でもすでに主が共にいてくださることを感じました。
 そして、十時半になりました。おっちゃんは来ませんでした。何時に来たかといったら、十時四十分に来ました。奥さんなのか、恋人なのか分からないフィリピンの方と一緒に来られましたが、フィリピンの方が来られたので、あっ!この人だ!と思ったら、そのあとにおっちゃんが入って来て、でもやっぱり洗礼を受けられたので、すごくいい顔をしていました。
 すると、その人が、二人の友達を連れて来ました。そうしたら、その二人の後ろの人が、タバコを手に持って、会堂に入って来ました。「いやいや、来た来た来た。まぁいいや。」と思いながら、でもよく見たら、火の点くタバコではなくて、よくわからないのですが、禁煙パイポだかなんだか分かりませんが、でも、それがないと落ち着かないらしくて、ずっとこうしているのです。集会中もこうしながらこうして、途中出て行って、タバコ吸いに行ったかなと思ったら、また帰って来て、こうしておられるのですが、でも賛美がすごく祝福されて、本当に恵まれました。
 そうしたら、そのタバコのおっちゃんが、「はーい!」と賛美の途中で手を上げました。そうしたら、そこの牧師先生はすごくびっくりして、「あのね、これはコンサートだから、今日は礼拝だし、コンサートだから、そういうこと言っちゃだめよ。」と言っているのですが、「はーい!ひとつ言いたいことがある。」と言い出して、何を言うかなと思ったら、「ふるさとを歌っておくれ。」と、そう言ったのです。いや〜、礼拝でふるさとを歌うのはどんなものかなと思ったのですが、ただ実は、私たちは仮設住宅をめぐる中で、おじいちゃんおばあちゃんと心通じ合うためにふるさとを歌うのです。岡野貞一という作曲者はクリスチャンなので、これなら許されるという歌だったので、それでは歌いましょうということで歌ったら、彼は本当に喜んで、一番、二番、もう一回一番だけ歌って終わりましたが、神様は本当に新しい皮袋を用意して、新たな戦いに進めとおっしゃっておられるなと感じさせられるひと時でした。日本中の教会に新しい働きというのは確実に広がっているなと思いました。
 帰りに、そのスナックの店長が「よかった!」と言って、CDを買ってくださいました。がばっと買って、「スナックで売る」と言って買ってくださいましたが、神様はこれから何をなしてくださるのか分かりませんが、確実にリバイバルの働きが大きく拡大していることを信じて、本当に心から感謝しています。

 話は変わりますが、ザアカイという人がいますが、私は昔、本当に小さかったのです。今も小さいんですが、中学生の頃、本当に小さくて、本当に、百三十センチくらいありましたが、なにせ小さかったのです。だから、ザアカイの話を父がよくして、そのザアカイの話には歌がついていまして、昔の人は知っていると思うのですが、

♪ザアカイの歌
ザアカイはチビ助だ!
とっても背が低い
だから大急ぎで気に登って待っていると
やがてイエス様が木の下に立って言いました
『ザアカイよ下りて来なさい!』
「はい、わかりました。」
「今日おまえのうちに泊まらせてもらおう!」

という、そういった歌なのです。だから、その歌の時に必ず振り付けがあって、私は何役かといったら、絶対にザアカイ役なのです。「チビ開、おまえはザアカイ。木の上に上れ。」だから、だいたい背のでかい誰かの上に登って、待っていると、イエス様役が来て、『開!下りて来い!』「開じゃない!ザアカイだ!」と言うのですが、『下りて来なさい!』「はい!」そうするとイエス様が、「今日おまえの家に泊まらせてもらうことになっている!」と言うのですが、イエス様はザアカイにもお願いをしました。
 だから、これからイエス様がリバイバルのためにお願いされる方って、どこにいるか分からないのですが、「えっ?この人にお願いする?」だから、その姿を見た律法学者たちは、イエス様が罪人の所に行ったと言って、つぶやいていることが書かれていますが、私たちはこれからの時代の中で、主がどこに遣わされるか分からないし、誰を選ばれるか分からないので、本当に主の働きというのは、どこに行くか分からないと思います。
 だから、それぞれ、「今、私はこれでいい。」と守るのではなくて、主ご自身が「あなた行きなさい!」と言ったら、行くしかないかなと思います。

 ヨナという預言者がいましたが、ヨナの歌でも私は必ずヨナ役でした。

♪ヨナの歌
『ヨナ、ニネベいらっしゃい』
「い〜え、行きたくない」
大きな魚、ヨナを飲んだ・・・

だから、飲まれるのはチビだから、絶対私がヨナ役なのです。ヨナは一生懸命逃げ回って、主のために働きたくないというのですが、でも結局、ヨナは主のために働いたという、そういった昔の歌がありますが、イエス様は誰を選ばれるか分からないので、私たち一人一人すでに主にあって選ばれている一人一人なので、ヨナであろうと、ザアカイであろうと、ペテロであろうと、主の働きのために仕事に取りかかる、そのような時が来ていると本当に信じています。

 みなさんにお祈りいただいて、この夏はネパールの宣教旅行が行われて、多くの中高生をはじめとする若者たちのすばらしい報告会もあって、大きな恵みの時でした。この日本がリバイバルされるために、その日本の悪しきもののルーツ、神社仏閣の神々、祭神というのは、ほとんどがヒンドゥー神なので、その源流の大元のネパールで、サタンの力が砕かれるように賛美してこようと。「Nepal Dancing & Praise!」というテーマで行きました。本当に祝福されました。神様の大きな恵みで、そこで開かれた扉というのは、果てしないものではないかなと思います。
 実は私は、ネパールに行って見えたもの。私自身、ネパールに行く前に見ていたのは、このネパールから流れて来る悪しき霊的な流れ。この中国、朝鮮半島を通って、日本に来たものというのが、本当に悪しきものだから、それが砕かれるようにと思って、そこに行ったのですが、実際、あそこに立って歌って賛美して、すごく感じたのは、ネパールに行って見えたのは、世界でした。
 主がもっておられるリバイバルの計画というのは、日本のみならず、世界に対して、大きな計画を持っていて、その世界に対するリバイバルの夢をかなえるために私たちは、ここに今いるんだなということを、すごく強く感じています。
 「さあ仕事に取りかかろう!」何のために仕事に取りかかるのかといったら、この全世界のリバイバルのためです。主の夢は、誰ひとりとして滅びることを願わないというのが、イエス様ご自身の夢です。ですから、その主ご自身の夢の実現のために、私たちは遣わされていかなかったらいけないとすごく思います。

 特にザワメキの働きの中で、賛美という領域のために祈って、また賛美を通して勝ち取ろう!という働きをさせていただいているのですが、そのネパールから流れて来るヒンドゥー教の悪しき音楽の土台を勝ち取る必要があると思っています。サタンはそもそも神様を賛美する存在であったのにも関わらず、神様に最も近い存在、美の極みと言われた、その存在が、「私がその賛美を受け取りたい」と、そういった高ぶった罪のゆえに、サタンと悪霊ども、その手下どもの三分の一が、この地に投げ落とされたのです。その時、投げ落とされた時に、『琴の音と共に落ちた』と書かれているので、音楽そのものが奪われたのです。そして、神様の栄光そのものが傷つけられ、そして、その栄光の三分の一が奪われてしまったという現状があるのです。しかし、私たち主により贖われたものが賛美する時、奪われたその三分の一を満たすことができるのです。そのために、神様の夢を果たさなかったらいけない時が来ていると思っています。
 ネパールからこの日本に流れて来ている霊的な悪しき土台を見ると、日本の音楽の土台というのは、やはり宮廷音楽である雅楽にあると思います。雅楽にはリズムがありません。以前もここで話しましたが、雅楽は、気配で始めて、気配で盛り上がって、気配で静まっていくという、すごく不思議な音楽なのです。だから外国人が、その音楽を聴いて驚くというのです。ピェー、ヒュー、ポンッ!とかやると、「一定のリズムがきざまれていないのに、どうして彼らはポンッ!合わせることができるんだ。」と言うのです。すごく不思議なスピリチュアルな国民だと言われるのですが、サタンにリズムそのものが奪われています。さらに、和音というものがないのです。ハーモニーがないのです。だからサタンが奪っていった音楽を奪回する。賛美を奪回するのではないのです。賛美は神様ご自身に捧げるもので、賛美は主のものなので、私たちがサタンの手から「音楽」を奪回しなければいけない。奪われたその音楽を。だからそのために、リズムと、メロディーと、ハーモニーを奪回して賛美する時に、神様への栄光が捧げられるので、そのために私たちは歌おう!ということを、最近すごく教えられています。
 ですから、話は戻りますが今回のネパールツアーは、日本の音楽の土台にリズムがないし、ハーモニーもないし、本来あるべき、音楽の豊かな主の祝福を奪われているので、奪い返そうと、私たちは行ったのですが、その地に立って感じたのは、「ここから流れている世界に対する悪しき流れというのがあるんだな。」と、すごく強く感じました。

 ヒンドゥー音楽というのがあるのですが、それは、北インド音楽と呼ばれるもので、北インド音楽というのは、ヒンドゥーの音楽と、イスラムから来たイスラム音楽が融合してできあがったものなのです。ネパールからインドにガンジス川が流れていくように、そこから世界に流れて行く悪しき音楽の流れがあることを感じています。現代音楽のルーツのような存在で、代表的なバンドにビートルズがありますが、ビートルズのメンバー晩年は全員行って一生懸命曲を書いたという歴史があるのですが、それが今なお、世界に流れ続けているのです。
 だから、日本側に流れて来たものは、サタンにより奪われたものなのですが、サタンは今度は逆手を取っつけて、世界を治めているという働きがあるのです。
 インドの中の思想の中で、ヒンドゥーの思想というのは、輪廻というのがあるのですが、インド音楽のリズムに対する概念は輪廻なのです。ゼロから始まってゼロに戻り、そして、また始まるというものです。ループするリズムという音楽があるのですが、クラブミュージックというのはその代表的なものなのですが、そんな話を娘にしたら、「最近のアメリカのヒット曲のほとんどがそういった音楽だよ。」と、そう言いました。本当かな?と思って、私は調べました。
 二〇一四年の上半期のアメリカのトップテン、そのうちの何曲がヒンドゥー音楽に影響されたものかなと思って、実は昨日真夜中に調べて、一曲ずつ聴きました。十曲中、聴けたのが七曲だったのですが、七曲中、なんと四曲がヒンドゥー音楽の影響を色濃く受けていると思われるものでした。リズムもメロディーも、しっかりと、その影響を色濃く受けたものが、世界の音楽の発信地であるアメリカのベストテンの中に入っているのです。ひどい状況だなと思いました。
 私たち、本当にこの終わりの時代に、賛美を通して主の栄光を奪回する働きのために、私たちにあるいろんな罪を切っていかなかったらいけないと思います。日本国民であったらば、君が代を歌うことによって結ばれたサタンとの契約を断ち切らなければなりません。日の丸はアマテラスを現しています。その国旗を仰ぎながら「あなたさまこそが永遠にほめたたえられますように」という、君が代を歌うということを通して、かけられる悪しき霊的な縄目というのがあって、本当にそれが真綿のようにがんじがらめになって、日本総国民がサタンにひざをかがめるという現状があるわけですけれども、それと同じように、この世の中に流れているサタンの持っていた音楽を通して人々の心を、それを無批判に聴いている中で受ける霊的な影響って、どんなに大きなことかって、すごく感じます。

 ですから、仕事に取りかかる前に、私たちは取りかからなければいけないのですが、私たちは神様によって本当に聖らかな者とされ主の働きを戦っていかなければならないなと思います。
 今回、ザワメキニュースの中に、いつも海外からのミュージシャンのメッセージが書かれるコーナに、今回は国内のミュージシャンがメッセージを書いてくれました。それは誰かといったら、上條頌君が書いてくれました。それで、彼に「日本にリバイバルが起こるために何が必要だと思いますか?」と、聞いてみたのです。なんと来たかといったら、「聖さだと思います。」というのです。すごいですね。本当にこの日本を勝ち取るために最終的に必要なのは聖さだと、彼がそう言っていました。
 ですから、音楽の中で本当に聖らかな主ご自身の臨在の中にある賛美と、そこにある勝利が、この地に現されるために、私たちの日々聴く音楽、無批判に聴いている音楽で、今売れているから、トップテンに入っているから聴こう!今これ流行っているからやろう、踊ろう!それを無批判に聴いていると、いつの間にか、君が代を聴いて日本人ががんじがらめになったのと同じように、サタンにがんじがらめになってしまうものがあるのではないかと本当に強く感じます。

 ソロモンという王様がいましたが、本当に知恵のあるすばらしい王様だったと思います。しかし、彼が、外国からたくさんの妻をめとって、それと共に外国の神々が連れ込まれて、結果、彼の晩年は神様からの声が聞こえなくなってしまうという結末に至ってしまったのです。
 あのすばらしいソロモンでさえ、結局はいろんなものを受け入れてしまったがゆえの結果は、惨憺たるものであったわけですけれども、私たちはこのこれからの世界のリバイバル、日本のリバイバルを勝ち取るために、私たちに与えられた生活の環境の中で、いいものもあれば、悪いものもあって、どっちがいいか分からないものってたくさんあると思いますが、しかし、イエス様ご自身は「わたしの夢をかなえるために戦っておくれ!」その時にサタンと手を握りながら戦うことって、やっぱりできないんじゃないかなと思います。
 日本が君が代を歌って、国民的な悪しき契約を結んでしまっているのと同じように、世界そのものが、今、ヒンドゥー音楽そのものによって支配されている。そこを勝ち取るためにも、「わたしの夢をかなえておくれ」とイエス様がおっしゃっておられるのではないかと、すごく強く感じています。
 神様が本来くださったリズムもメロディーもハーモニーも、奪回するようにと、主は語っておられると信じています。

 最後に一つのことだけお話しして終わりにしたいと思いますが、この今日の御言葉、実は、九月の最初に与えられました。「さぁ、仕事に取りかかれ!」という御言葉が与えられて、主のために働かなければいけないんだ!と思ったのですが、ザワメキにすごく不思議なことがありました。一人の兄弟が、ザワメキのためにと、多額な献金をしてくださいました。その献金をいただいて、イエス様が「仕事に取りかかれ!」とおっしゃっているなと、すごく強く感じました。
 ザワメキの働きでいろんな所をめぐって賛美すると共に、ザワメキのCDが十二枚、今まで与えらました。ザワメキイレブンは、本当に奇跡のCDでした。二〇一一年三月十一日に、ロサンジェルスで作られたCDなのです。本当にすばらしいCDなのですが、その三月十一日に来てくださったミュージシャンたちが世界最高峰の人たちばかりが、日本のために戦う!助ける!といって、集まってくださってレコーディングが行われました。神様は必ず、賛美の中で世界を勝ち取るための働きを進めるんだよ!と語っておられることを確信して、アメリカに行きました。そしてその時に起こったことが、日本のこの大地震と大津波で、終わりの時代の幕が、最終章が開けてしまったような、そんな感覚を持ちました。ですから、CDが与えられることって、すごく大きなことだなと思っています。
 でも、ザワメキテンからザワメキイレブンまで、だいたい五年間あったので、次のCDをいつにしようかなということは、まだ考えてもいませんでした。この夏、ある一つの教会に行ったら、ザワメキトゥエルブはいつなんですか?と、そういうふうに聞かれたのですが、「いつなんですかね…。」と、そういうふうに終わったのですが、でもこの九月の頭に、この御言葉が与えられて、その時に、一人の兄弟が「ザワメキのために」と捧げてくださって、いや〜、イエス様はこんなにも早急に仕事に取りかかることを求めておられるんだ!と教えられました。私たちの思いでは、もうあと二年、三年、もう少しいいのかなと思っていたら、「やりなさい!」と主がおっしゃっておられることを、主から語られました。実は今、ザワメキトゥエルブにむけての準備を始めています。是非覚えて、みなさんにお祈りしていただけたらと思います。
 この冬にレコーディングをして、また来年の春くらいに発売できればと思って、そのための準備をしていますが、賛美を通して日本の土台を勝ち取るために、また世界の土台を勝ち取るために、サタンが奪っていったその神の栄光を奪回する働きのために、「さぁ、仕事に取りかかりなさい!」と、イエス様がおっしゃっていると信じています。

 是非みなさんも、それぞれに与えられたキリストのからだの中の各機関で、仕事にとりかかるべき時がもう満ちていると私は信じています。そのような中で、神様の、イエス様の、夢の実現のために励み続けていきたいと思います。一言、お祈りします。

 ハレルヤ。愛する天のお父様。あなたのすばらしい御名をあがめて、心から感謝をいたします。今日こうして私たち、あなたの御前に賛美、あなたを礼拝する、このような恵みの時を与えられたことを心から感謝をいたします。
 仕事に取りかかりなさい!と、主が私たちに語ってくださっていることを感謝します。この全日本、全世界を勝ち取るために、わたしの夢をかなえておくれと、あなたが私たち一人一人にそのことを今日も語ってくださっていることを感謝します。私たちをもう一度捧げます。あなたご自身の御業がなされますように。主の御名を賛美し、尊き主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。