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『あなたは見張り人です!

2014年11月23日 (日)
新城教会主任牧師 滝元順
イザヤ書62章6節〜12節

『エルサレムよ。わたしはあなたの城壁の上に見張り人を置いた。昼の間も、夜の間も、彼らは決して黙っていてはならない。主に覚えられている者たちよ。黙りこんではならない。主がエルサレムを堅く立て、この地でエルサレムを栄誉とされるまで、黙っていてはならない。主は右の手と、力強い腕によって誓われた。「わたしは再びあなたの穀物を、あなたの敵に食物として与えない。あなたの労して作った新しいぶどう酒を、外国人に決して飲ませない。取り入れをした者がそれを食べて、主をほめたたえ、ぶどうを取り集めた者が、わたしの聖所の庭で、それを飲む。」通れ、通れ、城門を。この民の道を整え、盛り上げ、土を盛り上げ、大路を造れ。石を取り除いて国々の民の上に旗を揚げよ。
見よ。主は、地の果てまで聞こえるように仰せられた。「シオンの娘に言え。『見よ。あなたの救いが来る。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある』と。彼らは、聖なる民、主に贖われた者と呼ばれ、あなたは、尋ね求められる者、見捨てられない町と呼ばれる。」』


 ハレルヤ!一ヶ月ぶりになると思いますが、新城教会で奉仕できますことを、感謝しています。今もヘブンリーキングダムの本当に素晴らしい賛美を聴きました。「まさに彼です!」という力強い賛美でした。まさに主がここにおられることを感じる、すばらしい賛美でした。今日のコーラスは、たいへんバランスが良かったですね。
 クリスマスが近いこの季節になりますと、世界中で力強く主が誉め称えられます。十二月を目の前にし、心して二〇一四年の最後を、勝ち取っていきたいと願っています。

 今日は、「あなたは見張り人です!」というタイトルで語らせていただきます。実は以前一度、ここから話したことがあります。みなさんは記憶がいいですから、覚えておられると思うのですが、二〇〇八年二月十四日に話しました。一般的に言いますと、「五年経つと、会衆はメッセージを忘れるから、同じメッセージをしていい」という、牧師業界の話があるのですが、そういうわけで話すのではありません。今回私は、一ヶ月間くらいこの教会を離れ、様々な場所で奉仕をさせていただいた中、主から与えられた御言葉です。それをみなさんに分かち合いたいと思います。
 三週間前、私は北海道で奉仕させていただき、帰ってすぐにナガランドに行きました。ナガランドから帰国して、すぐに神学校があり、先週は、岡崎にある教会で奉仕をしました。それは新城教会出身の、武藤先生の教会です。恵まれた教会でした。
 今日は、久しぶりにみなさんの前で奉仕させていただき、本当に感謝しています。
 イザヤ書六十二章六節に、

『エルサレムよ。わたしはあなたの城壁の上に見張り人を置いた。昼の間も、夜の間も、彼らは決して黙っていてはならない。主に覚えられている者たちよ。黙りこんではならない。』

とあります。
 イザヤ書のこの箇所は、バビロンに捕囚されたユダの人たちが、もう一度エルサレムに戻り、街と主の宮を建て直すという預言ですが、聖書の預言は、短期の預言と、長期の預言があります。
 この箇所の長期の預言は、「やがてイエス様が帰られ、この地を建て直してくださる」ということです。主が帰って来られる時、エルサレムが首都となり、主が世界を治められるという、千年王国の預言です。預言は千年王国を意識して読むと、よく理解できます。イザヤ書六十二章は、まさに主が帰って来られ、全世界の王となる日を目標に書かれていることがわかります。
 私たちは、その日を目指して歩んでいかなければならないことを、近頃お話しさせていただいています。そのために、私たちは何をしたら良いのでしょう。その答えをここから受け取ることができます。

 イスラエルに行かれた方は、印象に残っていると思いますが、エルサレムは、ぐるりと城壁で囲まれています。ここに一枚の写真があります。

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 かつては、この城壁の上に見張り人を配置し、敵の侵入を見張っていたのです。見張り人は、二十四時間体制でした。私たちも主が帰って来られるその日を目標に、二十四時間体制で、見張る者でなくてはならないのです。
 その具体的な働きは何かというと、祈りです。人類から祈りというパートを取り去ることはできません。私もいろんな国にお邪魔させていただく機会がありますが、どの国に行っても、国民が祈っている姿と出会います。対象は別にしても、どこでも真剣に祈っている姿と出会うわけです。祈りは、人類から決して取り去ることができない領域です。いうことは、祈りは人の活動に大きな意味があるということです。私たちが、天地宇宙を造られた神に祈るということは、人生で最も重要な仕事です。重要な仕事はたくさんあると思いますが、祈りほど、重要な仕事はないのです。

 城壁の上には必ず見張り人がいました。こんな感じでしょうか。

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 これはエルサレムの見張り人ではなく、ナガランドで撮って来た写真です。この人たちは見張っているのか、眺めているのか分かりません。私たちは見張り人としての役割が神から与えられているわけです。その役割が正しく機能するならば、人生は守られるのです。

 エルサレムは、霊的に捉えれば「教会」を意味します。教会には、神ご自身が城壁となって守ってくださるのです。教会は、人生の中で最も重要な保険だと思います。教会に属しているだけで、私たちの人生は守られるからです。
 日曜日の朝の時間、二時間くらい教会に来て、御言葉を聞くのは、人生最大の保険だと思います。神が一人一人に目を留め、守ってくださるのです。

 しかしすべて、神様におんぶにだっこというわけではなく、神と共に働く協力関係にあるのです。私たち人類は管理者だと、お話しさせていただいていますけれど、城壁の上に立ち、敵が来ないか見張らなければいけないのです。
 教会があれば、人類の敵はやっつけられてしまいます。ゆえに、なんとか教会に来ている人たちを不幸にしようと、悪魔も必死なわけです。けれども、見張り人がしっかりしているならば大丈夫です。
 第二列王記に、私の大好きな言葉があります。こんなになれたらいいなと思うのですが、第二列王記六章八節〜十一節。

『アラムの王がイスラエルと戦っているとき、王は家来たちと相談して言った。「これこれの所に陣を敷こう。」そのとき、神の人はイスラエルの王のもとに人をやって言った。「あの場所を通らないように注意しなさい。あそこにはアラムが下って来ますから。」そこで、イスラエルの王は神の人が告げたその場所に人をやった。彼が王に警告すると、王はそこを警戒した。このようなことは一度や二度ではなかった。このことで、アラムの王の心は怒りに燃え、家来たちを呼んで言った。「われわれのうち、だれが、イスラエルの王と通じているのか、あなたがたは私に告げないのか。」すると家来のひとりが言った。「いいえ、王さま。イスラエルにいる預言者エリシャが、あなたが寝室の中で語られることばまでもイスラエルの王に告げているのです。」』

 アラムの王は、常にイスラエルを狙っていました。隙あらば滅ぼしてしまおうと、秘密の作戦を立てていたわけです。秘密の作戦を立てる時は、信用のおける人と立てなければならないわけです。あんまり信用のおけない人たちが周りにいたら、計画が漏れてしまいます。
 王において、一番信用おける人は、自分の奥さんだったみたいです。みなさんはどうですか。自分の奥さんが一番信用のおける人でなければいけません。しかし寝室でひそひそと、誰にも聞かれないはずの秘密の会話が、なんとイスラエルに筒抜けだったのです。
 「今度はあの道から、イスラエルを奇襲しよう」「それがいいね。」という、誰にも知られていないはずの会話と計画が、バレバレで、アラムの軍隊が攻めて行くと、すでに、そこにはイスラエルの軍隊が待ち構えていたのです。それで、アラムの軍勢は滅多打ちにされたのです。それが一度や二度ではなかったというのです。これは絶対に、身内にスパイがいるに違いないということで、「誰だ!」と、王が言ったわけです。
 すると一人の人が言いました。「王様。イスラエルにはエリシャという預言者がいて、あなたが寝室の中で語っているひそひそ話まで、聞いているんですよ。」と。

 エリシャはすごいですね。地獄耳というか、天国耳というか、敵が実行以前の計画を聖霊によって見抜いていたのです。それで軍隊を事前に配備していたのです。

 人生もこれができたら最高です。完全に守られます。
 そのためにはどうしたらいいのか、「見張り人たちが黙り込んではいけない!」のです。イザヤ書六十二章一節〜五節を読むと、こうなっています。

『シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために、黙りこまない。その義が朝日のように光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは。そのとき、国々はあなたの義を見、すべての王があなたの栄光を見る。あなたは、主の口が名づける新しい名で呼ばれよう。』

 ここでは『わたしは黙っていない。』とあるように、神様も黙ってはいないのですが、それと共に、見張り人たちも、「声をあげなさい!」と告げられています。神様が声をあげてくださるために、我々も声をあげなければならない。それは祈りの声です。
 同時に、福音を宣べ伝える声もあげなければなりません。まもなく十二月になりますが、十二月は、一番伝道のしやすい時期です。新城教会では多くのクリスマス集会があります。今日の週報に、クリスマスに行われる集会の予定が紹介されています。大勢の方を教会にお連れして、福音を聞いていただきたいです。そのためにも声をあげなければなりません。同時に、そのために祈らないといけないのです。

 いろんなクリスマスの集会がありますが、私も期待しています。今年のクリスマスはどんなふうになるのかなと…。教会では怒濤のようなスケジュールが始まります。
 今年は二年ぶりに、ロン・ブラウンさんを迎えてのクリスマスコンサートがあります。今回のメンバーはすごいメンバーです。期待したいと思います。

 先週は、本当に嬉しいことがありました。それは週報にも載っていましたが、Mさんのご主人が洗礼を受けられたからです。M家では、奥さん、娘さんたちの家族、おばあちゃんもクリスチャンです。しかし奥さんがいつも言っていました。「世界中の人が救われても、うちの主人は無理だろう。」そんなような事をよく言われていました。「そんなことないですよ。」と私は言っていましたが、時々、ご主人とお話をさせていただくと、なかなか難しいかなと思ったのですが、不思議な方法で救ってくださいました。
 クリスマスに多くの方が救われ、永遠のいのちを得ることができるように、祈っていただきたいと思います。そのために、「声をあげよ!」と、多くの人たちに声をかけ、福音を伝えましょう。

 イザヤ書六十二章の十節に、こんな言葉があります。

『通れ、通れ、城門を。この民の道を整え、盛り上げ、土を盛り上げ、大路を造れ。石を取り除いて国々の民の上に旗を揚げよ。』

 これは、バビロンから帰って来る民のために、通り道を作れと告げているのですが、この預言は最終的には、「イエス様が帰って来られる道を用意しなさい」ということを意味します。
 教会の存在意義、クリスチャンの存在意義は何かと言えば、主の夢を叶える為に存在します。それは何かというと、主が再びこの地に帰って来られ、世界の王となられる事です。その時、地球は、神の国に変えられるのです。その日のために、私たちは見張り人として城壁に立ち、主が帰られる道を用意するのです。でこぼこの道があったら、平らにし、石ころがあったら取り除き、へこんでいる所があったら、土を盛り、まっすぐな道を作らなければならないのです。

 私は若い頃、土木技術者をやっていました。道路の設計とか、測量とか、工事の監督もやったことがあります。道ができていく様子は感動します。自分が設計した道路ができるのは、結構感動です。私が設計してできた道が、新城市内にもあるのですが、今でも時々通ってみます。
 しかし、イエス様が帰られる道を作る工事ほど、楽しいものはないのです。今、目の前に広がっている土地はでこぼこかもしれませんが、それを平らにし、主が帰られる道を用意する働き、それが教会の使命であり、クリスチャンの使命です。

 今回、みなさんの祈りに支えられ、リバイバルミッションの命を受け、私はインドのナガランド州に行かせていただきました。詳しくは、午後から報告をさせていただきたいと思いますが、ナガランドがどこにあるかといいますと、インドです。それも東のほうの飛び地のような場所です。普通、インドと聞きますと、先がとがった大陸をイメージしますが、ナガランドは、右上です。

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 ナガランドはインドですが、人種的には、日本人と同じモンゴロイドと呼ばれる人たちです。
 ナガランド人の顔は日本人とあまり変わりません。日本からかなり遠いです。ナガランドに行くまでに、空港を六つ経由しました。まだ着かない…。まだ着かない…、という感じでした。ミッションは一番安いチケットで行って来てですから、そうなると六つも空港を経由しなければならなかったのです。しかし私は初めてナガランドに行かせていただきました。

 誰と一緒に行ったかといいますと、前にもお話しましたが、カメイ先生という方と行きました。

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 この方は、ナガランドから日本に来られている宣教師です。私はこの方と、二十年くらい前から、友達だったのです。主の山に備えありというか、本当に神様は、私たちが働きをする前に、準備を整えてくださいます。カメイ先生の出身はナガランド州の州都コヒマです。そこで来年十一月、リバイバルミッションを開きたいと願っています。カメイ先生は町では有名人でした。
 インドはヒンズー教の国ですが、このナガランド州だけは、プロテスタントの信徒が九十パーセント以上です。私は今回、感動しました。なぜなら、町の九十パーセント以上がクリスチャンだからです。偶像がないのです。日曜日、道を歩いている人たち全員が聖書を持っているのです。三十年くらい前、韓国でもそういう時期がありました。ナガランドでは、日曜日に道を歩いている人たち、子どもからお年寄りまで、みんな教会に向かっているのです。
 コヒマは、山肌にくっついたような街です。

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 道路事情は本当に悪いです。

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 日本はどこでも舗装してありますが、こんな感じで、道路が細いのです。山肌を登って行くのです。これでも州都です。
 でこぼこ道で、本当に大変です。でも、この道を上がって行った先に、大きな建物があります。それは教会です。あの教会にはだいたい千人くらい来ています。
 やはり、偶像がないから、なんとなく軽やかです。インドは偶像がいっぱいあります。ネパールなんか行ったら偶像だらけで頭が痛くなります。しかしナガランドには偶像がほとんどなく、みんなクリスチャンです。街のいろんな場所から賛美が聞こえるのです。
 私が泊まったホテルの隣が教会でした。部屋に入ったらすぐに賛美が響いて来ました。ちょっと感動しました。若者たちが昼間から賛美していました。でも、夜中まで賛美していました。次の日も、次の日も、最終的には、ちょっとイラつきました。賛美がうるさくて眠れないなんて、そんな街があるのです。

 来年、この場所でミッションが開かれますから、是非とも祈っていただきたいと思います。なんでこの場所でミッションを開くようになったかといったら、今年の二月、タイでリバイバルミッションを開催したのですが、いろいろとお世話してくださったナロン先生の奥様が、ナガランド出身の方だったのです。そしてなんと、私の知り合いのカメイ先生の親戚だったのです。何から何まで、うまいことつながっています。

 実は日本とナガランドは、歴史においても深い関係があるのです。
 来年は二〇一五年ですが、太平洋戦争が終わって、七十年という年月が経った節目の年になります。聖書において七十年とは、重要な意味を持っています。それはバビロン捕囚から七十年が経ち、ユダが、自分の国に帰ることができた解放の年だからです。
 日本は大東亜共栄圏といって、日本の神々を世界に知らせるという大義名分で、軍事力と共に世界に出て行ったのです。インドにも入って行きました。知っているかもしれませんが、インパール作戦を実行したのです。インパールは、ナガランドの南のマニプール州にある町です。今回私は、そこにも行ったのですが、そこでは大きな戦いがありました。またコヒマでも、激しい戦いがありました。七十年も経ったから、戦争の記憶は薄れているかなと思ったら、全然そうではないのです。戦争が、あたかも、昨日終わったかのような感覚なのです。
 なぜなら、この地域の人たちは、山岳民族の人たちです。日本のルーツは、たぶんこの付近にあるのではないかと思います。
 戦争が起こった頃、この地域の人々は山の中で自給自足の生活をしていました。そこに突然、日本軍が飛び込んで来たのです。以来、生活が無茶苦茶になってしまったわけです。
 当時インドは、イギリスに支配されていたのですが、日本軍が入って来て、こう言ったそうです。「おまえら、あのイギリスをやっつけてやるから、俺たちに協力しろ!」と言って、いろいろとこき使われたというのです。でもそれは偽りでして、やがて韓国や台湾と同じように、日本の植民地にしようと思って入って来たわけです。
 山の中で生活していた人たちの所に、突然軍隊が入って来て、生活が乱されたら、普段から刺激がない人たちですから、その体験がいかに大きな記憶となったかと言うことです。彼らの歴史の、最も大きなページとなっているのです。
 だから会う人、会う人、みんな日本と関わった歴史があって、話し出したら止まらないのです。ある人たちは日本軍に協力し、ある人たちはイギリスに協力しました。真ん中に挟まれた人もいます。殺された人もいます。様々な歴史があるわけです。そのような場所に行きますと、私は日本の代表でも何でもないのですが、「申し訳ないことをしました」と、謝って回らなければいけません。
 私と会った一人のおじいちゃんは、突然、歌を歌い始めました。「じろじにーあかぐーいのまるーぞめてー」、どっかで聞いたことある歌だなと思ったら、日の丸の歌でした。ナガランド風になっていましたが、日本語の歌を歌ったりするのです。
 インパール作戦は、日本軍の作戦の中で、最も愚かな作戦と言われています。補給を考えないで、ビルマからインドへ攻め込んで行きました。だから戦地に到達する以前に、多くの兵隊たちが飢え死にして、倒れて行きました。九万人くらいが攻めて行ったそうですが、その内三万人ほどが死んだそうです。補給ルートが、四百キロくらい延びていたそうですが、そこは日本人の死体がいたる所に転がっていたそうです。その道は白骨街道と呼ばれています。また、五万人が傷つき、倒れたと言われます。無傷で帰ることができたのは、ほんの一握りと言われます。
 一人のおばあちゃんと出会ったら、「畑で仕事をしていたら、突然、日本軍が入って来て、弁当を取られた」と言いました。いや〜、七十年間も弁当を取られたことを根に持っているんだとビックリしました。私が取ったわけではないのですが、「おばあちゃん、本当にごめんね」と話しました。日本人はとかく、「昔のこと、過去のことは水に流してしまおう」と言いますが、それじゃいけないのです。やはりお詫びしなければいけません。また現地に出向き謝罪し、一致して、福音のために力を合わせる事は重要です。

 今回、ナガランドの教会が大へん喜んでくださっています。「日本の教会がそんなふうに言ってくれた!反対する人は誰もいません!」と。日本では反対されますが、「ナガランドでは、反対する人は誰もいません。一緒にやりましょう!」と、励ましてくださいました。リバイバルミッションは来年十一月にナガランドでミッションを行います。みなさんも是非、一緒に行ってくださいね。六回くらいの乗り換えも、人生に一回くらいはいい思い出になります。私が行けたくらいですから、みなさんは大丈夫だと思います。

 顔を見れば、みんな日本人の顔つきをしています。モンゴロイドは、バベルの塔から東に移動した集団です。そのような人たちには、共通項があります。日本人の赤ちゃんって、おしりが青いでしょ。大人になっても青い人は、ただのアザかもしれませんが、普通は消えていきます。蒙古斑は、日本人にもあるし、ナガランド人たちにもあるのです。
 日本のお母さんが赤ちゃんを運ぶ時、どうしますか?後ろに背負うでしょ。ヨーロッパに行くと、みんな前に抱っこするのです。この頃は、前で抱っこするのが流行っていますが、日本人は昔から後ろに背負うのです。背負う民族はモンゴロイドの特徴です。アジアの山岳民族も、後ろに赤ちゃんを背負います。アメリカインディアンもそうです。南米のインディオも同じです。それは海を渡って行った人たちです。連続しているのです。
 しかし悪魔は民族を分断して、悲しい歴史を作り出しています。

 太平洋戦争において、国内で最も被害を受けたのが沖縄でした。来年は沖縄で七十回の集会を計画しています。午後からもう少し詳しくお話をさせていただきます。

 イザヤ書の預言は、究極的には、やがて主が帰って来られます、そのために「声をあげなさい!見張り人となりなさい!道を整えなさい!」と述べているわけです。ナガランドに行きますと、「日本とナガランドの関係は、でこぼこだな。石ころが多いな。」と感じます。韓国に行っても、中国に行っても、台湾に行っても、アジアの諸国に行けば、「本当にこのままじゃ、イエス様は帰ることができないだろう。」と感じます。
 しかし国々と和解し、石ころを取り除き、道を平らにするなら、主が帰られる道を用意する事になります。

 私たちが見張り人となり、でこぼこ道を平らにする使命感を持って日々を過ごすなら、人生も充実したものとなり、希望に満ち溢れた歩みができるはずです。そんな中、「とりなしの祈り」は、重要な鍵となるのです。

 ヨハネの福音書四章を見ますと、イエス様がサマリヤに行って、一人の女性と出会ったことが記録されています。それはちょうどお昼頃でした。パレスチナは日中、本当に暑いです。
 私が人生で最も暑い体験をしたのは、夏にイスラエルに行った時の事です。それも砂漠ツアーに行って体験した暑さです。あたかも、熱いドライヤーの風をすぐ近くで受けたようでした。この頃私はドライヤーとは関係なくなりましたが、昔使っていたことを思い出しました。頬の側で、熱風を出すと、「熱い!!」という感じが一日中続くのです。
 イエス様も、サマリヤに行き、十二時頃、相当喉が渇いたみたいでした。そうしたら、そこに一人の女が水を汲みに来ていました。それはサマリヤ人の女でした。ユダヤ人であるイエス様が、その女に「ちょっと水を飲ませてくれ」と、頼んだ記事があります。普通はユダヤ人はサマリヤ人に声をかけなかったけれど、イエス様は声をかけました。それは、相当喉が渇いていたからだと私は思うのですが、イエス様がその女性を救いに導くためでもありました。
 その時女性が、「この方はちょっと違うぞ!」と感じたらしく、イエスさまに質問しています。また家に帰ってから、四章全体を読んでいただきたいのですが、ヨハネの福音書四章十九節〜二十四節に、このように書かれています。

『女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。私たちの先祖は、この山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」』

 サマリヤの人たちには、特定の礼拝場所がありました。それは「ゲルジム山」という山でした。そこには偶像の神々が祀ってあって、彼らはその山で拝んでいました。日本も同じです。だいたい重要な拝み場は、山にあり、偶像の神々が祀ってあります。 サマリヤは、アッシリアに攻め込まれ、その文化が入り、アッシリアの神々が祀ってあったわけです。だからユダヤ人たちはサマリヤ人たちを嫌っていたわけです。
 ユダヤ人たちは真の神を、エルサレムのシオンの丘で礼拝していたわけです。
 この女はどっちが正しい礼拝なのか分からなかったので、どっちが本物なんですか?と、質問したわけです。しかし、イエス様は、どっちが本物だとすぐに答えるのではなく、真の礼拝者について話されました。「霊とまことによって父を礼拝する時が来る。それが、今がその時だ!」と語られたわけです。

 十九世紀に活躍した祈りの人、アンドリュー・マーレーがいるのですが、彼はこの中に、三つの祈りのクラスがあると語りました。
 どんなクラスかというと、一つは間違った対象への祈りのクラスだというのです。サマリヤの人たちは、ゲルジム山の偶像の神々を礼拝していました。これは間違った祈りの教室です。日本人って、みんな祈りの教室に入っているのです。しかし残念ながら、間違った対象に祈りを捧げています。それが問題です。祈り心は重要でも、対象が間違っていたら、どうしようもないのです。これが第一のクラスです。
 二番目のクラスは、知識的な、習慣的な祈りのクラスです。ユダヤ人は、真の神を知っていて、神の宮に祈りに行っていたけれど、これも本物の祈りではありませんでした。朝と晩、定期的、習慣的に宮に行って祈るのがライフスタイルとなっていました。イエス様は、それも真に正しい祈りではないと言われました。これは第二のクラスです。
 誤解してほしくないですが、習慣的な祈りもすばらしいです。悪い習慣があるよりも、良い習慣があったほうがいいです。私には食事の前に必ず祈る習慣があります。これは幼い頃から両親に教えられました。時々祈りを忘れると、口の中で噛むのを止めて、祈ってから飲み込みます。習慣とは恐ろしいものだなと思います。うちの孫たちにも、お父さんやお母さんが祈りを教えています。だから祈ってから食べます。習慣的な祈りもいいですが、主は、この祈りだけを欲しているのではないのです。

 第三のクラス、それは見せかけではない、聖霊による祈りのクラスです。そしてそれが「今がその時だ!」というのです。実はパレスチナは暑いですから、普通はこんな時間に水を汲みには行かなかったわけです。昼間は家に引っ込んでいて、朝の涼しい時か、夕方に、水を汲みに行ったわけです。この女は、あまり皆と顔を合わせたくない素性があったのです。昼の最中に水を汲みに来て、イエス様と出会ったわけです。だから、この会話がなされたのは、推測するのに、多分午後一時くらいになっていたかもしれません。

 私は九月にスペインに行きました。スペイン語系の国々に行きますと、昼ご飯は、二時過ぎです。日本人って、大体十二時頃習慣的に食べるでしょ。でも、スペインなんかに行きますと、ご飯を食べたくても、十二時にはレストランは全て閉まっています。一時半くらいになって、やっと店のシャッターが開くのです。二時くらいになると、ぼつぼつ客が入って来るわけです。
 だから私たちもお腹空きました。昼は三時頃から食べ始めるのですが、またゆっくり食べるのです。これは晩飯か!?という感じです。昼は暑いから、みんなシエスタといって、ゆっくりするわけです。イスラエルでも同じです。
 普通なら、十二時とか一時は、家で寝転んで、クーラーかけて休んでいる時間です。イエス様の時代にはクーラーはなかったと思いますが、涼んでいる時間。なんとイエス様が、「今がその時だ!」と言ったのです。

 聖霊による祈りとは、みんなが休んでいたり、寝静まっている時、祈りをしていない時間に祈る祈りです。これこそ聖霊による祈りであり、見張り人の祈りです。
 「昼も夜も黙っていてはいけない!」とは、習慣的に祈るのではなく、聖霊によって、「今祈りなさい!」と語られています。それは普通、皆が祈っていない時間に祈る人たちのことです。その祈りにより、でこぼこ道が平らになります。石が取りのけられ、敵の侵入からも守られ、主が帰られる道が用意されるのです。

 エリシャのように、敵の動きを事前に察知するためには、この第三の祈りのクラスに加わる事が必要です。習慣的ではなく、聖霊によって、真夜中でも、真っ昼間でも、普通ではありえない時刻に、主が与えてくださる祈りを受け取って祈るのです。それが私たちに与えられた使命であり、一番安全な道なのです。

 エペソ人への手紙六章十八節、

『すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。』

と書かれています。教会は、キリストを頭として、それぞれが各器官です。誰一人として、不必要な人はいないのです。みんな重要な各器官です。一人一人に与えられた使命が着実に果たされていく時、道が整えられるのです。
 今週は、ただ習慣的な祈りに終始するのではなく、見張り人としての祈り、普通ではありえない時刻に、主からの要請を受け取って、とりなす祈り手になりたいと願います。その時、様々な問題は回避され、教会は役割を果たしていくのです。

 私はよく飛行機に乗るのですが、今回は六箇所も空港を渡り大変でした。旅が多いと、時には飛行機のスケジュールが遅れたりして、うまくつながらない時もあります。そのような時は祈らされます。今回私は、無線Wi−Fiを借りて持って行きました。それがあれば、世界中どこでもネットが通じるのです。コヒマは無理かなと思いましたが、時々情報が入るのです。この頃の携帯のネットワークは4Gでしょ。少し前までは3Gでした。でもコヒマは2Gでした。ですから通じんのです。
 しかし時々3Gが混ざるのです。そうすると、ピンポーン!とメールが入って来たりして通信できるのです。一番今回祈らされたのが、帰りの便についてでした。ニューデリーまで行って、そこから日本に帰るのですが、ニューデリーに行くまでに、空港を経なくてはいけないし、そこまでの航空会社と、ニューデリーから日本に帰る航空会社が違っていて、全く連携がないのです。
 特に、ナガランドからニューデリーに行く飛行機は、時間が無茶苦茶で有名だというのです。前回、山崎先生が行った時も、途中で一泊させられたという話を聞いていましたので祈っていました。しかしスケジュールを見たら、これ、ひょっとするとやばいぞと思いました。ちょっとでも初めの飛行機が遅れたりするとまずい感じでした。そうしたら、案の定、最初のスケジュールが狂いました。ディマプールという街から出発する飛行機が、二時間半遅れました。その飛行機はカルカッタまで飛ぶのですが、そこで乗り継ぎが三十分しかないのです。いや〜、困ったなと思いました。絶体絶命っていう感じでした。そこでだめになると、日本に帰るチケットがパーになります。翌日の便を片道で買ったら、チケットは何十万円もします。ただでさえ貧乏なリバイバルミッションが大変なことになります。祈っていると、平岡先生の顔がちらっと見えたり、信先生の顔が出て来たり、「あぁ主よ、どうしよう!」と思いました。私とカメイ先生のチケットを新しく買うようになったら、どうしようか思いました。
 ディマプールの空港で二時間半経っても飛行機は一向に来ないし、案内もないのです。時刻表もないのです。適当に飛行機に乗っていく感じでした。そのくせ、セキュリティーだけは厳しく、おかしな所なのです。いくら待っても飛行機は来ないのです。これじゃ駄目だと思いました。しかしメールが通じて、日本で真剣に祈ってくれました。「追い風で飛行機が早く飛ぶように!」と祈ってくれました。そのとりなしの祈りが良かったのです。不思議にカルカッタで乗り継げて、帰れたのです。祈りがあったから帰って来れたと、心から感謝しました。
 祈りの援護射撃があると、難関を突破できるのです。一人一人が見張り人になると、一つの出来事が離陸するのです。
 そもそも飛行機は怖いですよね。できている材料って、パイロットを含めて、全て、手を離したら落ちる材料ばかりです。あれが飛ぶということ自体、不思議です。しかしそこには、人間の知恵が込められているわけです。一つのねじが外れたってうまく飛べません。全部が正常に機能して、飛行機は飛び立つわけです。

 キリストのからだの中に属する者たちが、それぞれ機能を果たしていくなら、主の計画は実現するのです。主が帰られる道が準備されるのです。
 「わたしはすぐに帰って来る」と言われましたが、すでに二千年も経ってしまっているのは、これいかに。そこには様々な理由があるかもしれないけれど、キリストのからだに属する一人一人が、しっかりと役割を果たすことが重要ではないかと、ナガランドに行って思わされました。

 ナガランドで聖書を読んでいた時、私の心に強く残った箇所が六十二章十節でした。

『通れ、通れ、城門を。この民の道を整え、盛り上げ、土を盛り上げ、大路を造れ。石を取り除いて国々の民の上に旗を揚げよ。』

 特に、『国々の民の上に旗を揚げよ。』という御言葉が、印象深く心に残りました。とりなしの働きとは、どういう働きかといいますと、国々の上に勝利の旗を立てる働きだと思います。
 とりなしの祈りによって、敗北している領域に、勝利の旗を立てることになるのです。今まで、祈りが置かれていなかった領域に、勝利の旗印が立つ時、主が帰って来られる道が用意されるのです。
 日本からエルサレムに通じる道路は、霊的には荒れ果てています。しかし私たちが国々の上に、勝利の旗印を立てるなら、主が帰られる道が用意されるのではないでしょうか。
 今回、ナガランドのジャングルで、とりなしの祈りをしたのですが、その時、この御言葉が心に響いて来ました。

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 一緒にとりなしに行ったメンバーですが、ここはジャングルです。ここに昔、日本軍の基地があったというのです。今回、私を泊めてくれた牧師先生のお父さんが、この場所で五十人の日本兵たちを、二ヶ月間かくまっていたというのです。食事を食べさせ、かくまっていたのです。日本兵たちは何をやっていたかというと、インパール作戦は無謀な作戦という一面もあるのですが、周到に準備された作戦でもあった一面も分かりました。
 五十名の兵隊たちが、一つの民家に潜み、昼間は日本人とナガランド人は変わらないから、民族衣装を着て、山から下りて行って、イギリス軍の中に入って情報収集をしたらしいのです。そして夜は山に戻って、どう攻めるのか作戦を立てていたそうです。
 彼らはポータブル神社を持ち込んで、拝んでやっていたらしいです。「基地の跡地に行って祈ってくれ!」と言われました。ここまで行くのは命がけでした。しかしみんなで「日本が置いた悪しき呪い、契約を解きます!」と祈りました。そして「ここに勝利の旗印を掲げます!」と宣言しました。
 「この働きは、神が私に与えた使命かもしれないな…」と思いました。普通なら絶対に入り込めないような、こんな山奥に入って祈るって、どういう意味があるのかなと思ったけれど、主が国々の上に勝利の旗印を立てなさい!という御言葉が、私の心に迫って来ました。

 あなたしか入り込めない、勝利の旗印を立てることができない領域や場所って、絶対にあると思います。あなたしか戦うことができない場所って、必ず、あります。そこに管理者として遣わされ、霊的な戦い、とりなしの祈り、宣教がなされ、勝利の旗を立てるのです。

 アメリカのバージニア州アーリントン国立墓地に行くと、ある銅像が有名です。また、この写真を見たことありますか?これは、日本とアメリカの最後の戦い、硫黄島での戦いです。それは壮絶な戦いだったのですが、日本軍が全滅して、アメリカ軍が勝利し星条旗が立てられる瞬間です。でもこの写真はやらせです。ポーズまで先に決めて、何回も練習して、写真を撮ったそうです。政治的利用プロパガンダですが、アメリカが撮った写真です。

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 がれきの上に星条旗を立てています。壮絶な戦いがあった事を現しています。がれきの上に勝利の旗印を立てる、それは霊的戦いに通じると思いました。私はちょっと写真を細工させてもらいました。

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 私たちは十字架の勝利の旗印を立てるのです。いろんな場所に、勝利の旗印を立てる働きを忘れてはならないのです。今週、会社に行って、いろんな戦いがあるかもしれません。しかしその戦いの上に、勝利の旗印を立てるのです。この働きが進んでいく時、イエス様の帰られる道が用意されるのではないかと思います。
 クリスマスに向けて、とりなしの領域は満載です。それぞれに主から与えられた場所に、勝利の旗印を立て、主が帰られる道を用意したいと思います。そのためにイエス様は十字架にかかり、私たちに永遠のいのちを与えてくださったのです。
 今から聖餐式を行いますが、今週、見張り人となれますように。いつでも祈りの要請を受け取り、主が命じられた場所に、勝利の旗印を掲げる者とさせていただけるよう、決断を込めて聖餐式を行いたいと思います。一言、お祈りを持って、聖餐式に移らせていただきます。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝いたします。私たちは、主から任命された見張り人であることを心から感謝します。私たちは見張り人として、勝利の旗印を立てたいと願っています。私たちをそのように用いてください。今週、習慣的な祈りではなく、聖霊によって祈ることができますように。そして主が帰られる道を用意させてください。
 この教会に属するすべての兄弟姉妹が、見張り人としての使命を果たし、城壁が守られ、教会が守られますように。今からの聖餐式を祝福してください。今、あなたの裂いてくださったからだと流された血潮を、心から感謝し、聖餐をいただきます。私たちが見張り人であることを宣言し、聖餐式を行います。イエス様の御名を通して、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。