HOME > メッセージバックナンバー > 2015年 > 1月 > 1月4日

七十年が満ちるころ〜将来と希望〜

2015年1月4日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
エレミヤ書29章10節〜13節

『まことに、主はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──主の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。』

ハレルヤ!おはようございます。今日は一月四日でしょうか。この教会におきましては、連日、賛美と礼拝が捧げられておりますので、曜日感覚が狂ってしまって、何曜日だか分からなくなっているところもあります。
しかし今年は何か不思議です。二〇一四年最後の日が水曜日でした。水曜主日礼拝があり、夜はカウントダウンワーシップがありました。明けて、一日はこの場所で新年のニューイヤーセレブレーションがもたれ、心から主を賛美して新しい年を始めました。また、続く二日、三日と、リバイバルミッション主催で「二十四時間PPH」が行われました。二十四時間連続で、主を誉め称える歌声がこの場所に響いていました。
それが終わったと思ったら、本日は日曜日で、また主を礼拝するという、すごい日程です。私たちスタッフにとっては試練ですが、考えてみれば、本当に感謝なことです。

一九九二年は、私たちにとって、記念すべき年となりました。なぜなら聖霊が注がれ、霊的戦いが開始され、新しい幕が切って落とされたからです。
しかしその年はどんな年であったかというと、新年に、この教会で、初めで最後だと思いますが、「九十二時間連鎖賛美大会」が行われました。
一九九二年でしたから、「九十二時間賛美する」という、単純な発想でしたが四日弱、この場所で主を賛美しました。その年に聖霊が注がれ、新しいことが始まりました。
私は、ふっと気づきました。「忙しいな…」と思っていましたが、「いや、そうじゃない」と。今年は四日を上回る、五日間も主を賛美し、祈りが続けられています。二〇一五年は、何か、新しい事が起きそうですね!
主に大きく期待しましょう。特別なことを、主が計画されているような気がしてなりません。期待して、二〇一五年を始めて行きたいと願っています。

今日読みましたこの聖書の箇所は、大変素晴らしい箇所です。この教会でもよく引用され、賛美にもなっている箇所です。エレミヤ書二十九章十一節、

『わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──主の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』

このみ言葉は、主が私たちに語ってくださっている言葉として、受け取りたいと思います。二〇一五年の始めにあたり、私に、あなたに、主が持っておられる計画は、『わざわいではなく、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』と言われたら、素晴らしいですね!
この言葉を、お隣の方に宣言していただきたいと思います。「わたしは」というのは神様のことですが、神様の代理人として宣言してください。神の代弁者です。父の所に宮内庁から時々電話があるのですが、天皇からかかって来たことは一度もありません。代理の侍従から電話がかかって来るのです。「もしもし、宮内庁ですが、滝元明先生はおられますか?」と。
昔、私の息子が小さい頃、彼が電話に出てしまいました。「おじいさん?おらんよ。今、伝道に行ったよ。」と答えていました。みなさんが、神の言葉を隣の人に宣言してください。「わたしは滝元のために立てている計画をよく知っているからだ。」と、お隣の方に、心を込めて宣言してあげてください。では、一分間くらいでどうぞ!
素晴らしいですね。今年はこのみ言葉がみなさんの上に、実現しますように!
『それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』です。
しかし、これを受け取るためには、一つの条件があります。十二節、

『あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。』

『わたしに祈るなら』という条件です。神の幸いな計画は、すでにみなさんの上にあるのですが、それを自分のものとして受け取る為には、祈りが必要です。神は全知全能ですから、すべてを知っておられます。しかし、神との人格的コミュニケーションが必要なのです。神にこちらから、お願いしないといけないわけですね。
エレミヤが、三十三章三節で、次のように告げています。

『わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。』

これは神様の持っておられる携帯電話番号ですから、よく覚えておいてくださいね。それは、「エレミヤ三十三局の三番」です。「わたしを呼びなさい!」を英語で見ると、「Call to me!」となっています。「わたしに電話して!」と訳すことができます。私たちから主に、電話をかけなければいけません。どんな時にも祈ることは重要です。
人間だけが祈る動物です。近頃では猫も祈るようです。

20141214礼拝_6.jpg

しかしこれは冗談です。人間は、大変な目に遭うと、どんな人でも祈ります。

数年前にアメリカに行った時の話ですが、いつも飛行機に乗る時に嫌なのは、座席の真ん中に入ることです。本当に気が重くなります。アメリカまで十時間くらいかかるのに、真ん中の席ったら大変です。その日、自分の席は真ん中でした。座席に行ったら、すでに右側にはタイ人のおばさんが、私の座る席に荷物をどっさり置いて、横に向いて座っていました。「これ私の席。荷物どかして。」と言いました。
しかし左側は開いていました。「やった!」と思っていたら、しばらくすると、今度は光り物をいっぱい身につけた、派手なフィリピン人のおばさんがやってきました。イメルダ婦人じゃないかと思うような人が乗り込んで来て、どんと右側に座りました。しかも、香水が臭いのなんの。
そして結構、二人とも何のためらいもなく肘を出すんです。日本人は案外、「隣の人に肘が当たらないように」と配慮するのですが、他の国の人たちはお互い様と思っているようです。そういう時には、私も肘を出すことにしています。狭くて大変でした。
また、隣のフィリピン人のおばちゃんは、よくしゃべる人でした。いろんな事を話しかけて来るわけです。しょうがないから、話していました。
飛び立ってしばらくすると、飛行機が突然揺れ始めました。がっくん、がっくん、がんがんと。乱気流って怖いですよね。「すごいな・・・」と思っていたら、隣のタイ人のおばちゃん、両手を合わせて、仏教の呪文をとなえて始めました。そうしたら今度はフィリピン人のおばちゃん、ロザリオを出して、「マリヤ様!」と祈り始めました。
そして、私は席の真ん中で「イエス様!」と祈っていました。それぞれ信じるものが違うのですが、やはり、危機に遭遇すると祈るしかないのです。
すると、フィリピン人のおばちゃんが、「あんたも、祈って!」というのです。そして「ところで、あんたの職業は何?」と聞くのです。「俺は、牧師だよ。」と答えたら、「やった!今日は運がいい!牧師の横に座ったから、絶対にこの飛行機は落ちない。」とか言うのです。それで私も声に出して、「イエス様、この揺れが止まりますように!アーメン!」と祈ったら、ピタッと揺れが止まりました。イメルダ風の婦人も「今日はいい日だ!」とはしゃいでいました。
それで私も聞きました。「あなたはどんな仕事をしてるの?」と聞くと、「私はフィリピンで、心臓外科医をやっている。」と言うのです。私は彼女は嘘を言っているだろうと思ったのですが、トイレに行きました。トイレに行ったら、私の前で待っている人が、突然倒れました。私は飛行機の中で、人が倒れるのを何度か見たことがあります。聖霊によって倒れたのかなと思ったら、そうではなく、どうやら病気で倒れたみたいでした。びっくりして、みんなで起こして席に座らせ、あたりは騒然としました。
そうしたら、機内放送があり、「この中にお医者さんはいますか?看護師さんはいますか?急患が出ました。」とアナウンスがありました。だから私は、となりのおばさんに、「あんた医者でしょ。行っておいでよ!」と言ったら、「わかった!」と言って立ち上がりました。私に、「祈っててね!」と言い残して、倒れた人の所に出かけて行きました。彼女は本当に医者でした。
しばらくして戻ってきて、「大丈夫だった。祈ってくれてありがとう!」と言いました。そんな、こんなで、飛行機の中でも祈りができたわけです。
やはり人間は、追い込まれると祈ります。ということは、祈りは人類にとって、重要だということです。
私たちが、将来と希望を手に入れるためには、やはり祈りが必要です。

今日は午後から、愛知県民の森に行って、祈り会があります。毎年、私たちは、新年の日曜日の午後、県民の森に行って祈ることにしています。今年のスケジュールは一月、三回連続で県民の森で祈祷会があります。是非とも、みなさんお出かけになって、祈っていただきたいと思います。

もう亡くなりましたが、クリスチャン作家で三浦綾子さんという人がいます。誰でも知っていると思いますが、彼女が著作の中で、祈りについて書いています。

『祈りというものは、ふしぎなものだとつくづく思う。朝起きて一分祈る人、五分祈る人、一時間祈る人・・・と。時間は別々だが、祈る時間の多い人ほど、更にその祈りの時間をふやしていく。一日も欠かすことがない。

対に、祈る時間の少ない人は、毎日祈ることを次第にやめ、三日に一度、十日に一度というように間遠くなり、遂には祈ることをやめてしまう。

史上の信仰者たちの生活を見ても、大きな仕事をした人ほど、毎日長い時間をかけて祈っている。こうした人たちは、例外なく多忙な人たちだ。ところが、祈りの少ない人ほど、ふしぎに暇があるのである。
「忙しくて祈れない」という弁解は、どうやら成り立ちそうもないのである。    三浦綾子』

彼女は、なかなか的をついたことを語っています。世界で大きな働きをした人たちに、クリスチャンが多いのですが、間違いなく、祈りに多くの時間を費やしているのです。「なぜ、祈れなかったんですか?」「いや〜、忙しくて。暇がなくて」という人ほど、暇なのに、祈っていないというのです。

祈りは、神が人と関わるための、重要な行為です。それを深く心に留め、今年一年を進めたら大丈夫です。一日一時間祈る人もいれば、五分祈る人もいれば、一分祈る人もいます。しかし、祈りをやめると、五分が一分になり、最後には祈ることをやめてしまう、逆のコースを辿るわけです。そうすると、人生の車輪は、おかしな方向に向かって行きます。神の時を掴むか否かは、大変重要です。
年末の、雅也先生のメッセージで、私は多く教えられました。マリヤという女性は、イエス様の足下に座り、イエス様から聞くことを一番の喜びとしました。それは何のためかといったら、やがて彼女が迎える、「神の時のための準備」であったと語られました。日々の祈りは、今年、迎えようとする神の時の準備なのです。
人生って、本当にちょっとしたことで方向性が大きく変わります。結婚しておられる方も多くおられますが、結婚も、大層なことで決まるわけではなく、ちょっとしたきっかけで結婚に至るのです。ある方に聞きました。「あなたはどうして結婚したのですか?」と。そうしたら、その人は、あるレストランに入り、隣の席にいた人と仲良くなって結婚したそうです。それも、お腹が空いて他のレストランに行ったら、長い列で時間がかかりそうだったから、あまり行きたくない安いレストランに行ったというのです。そうしたら、隣に座っていた男性と仲良くなり、やがて結婚したというのです。本当にちょっとしたきっかけですよね。
「プロポーズ。あの日に戻って、断りたい。」という川柳がありますが、そういう人もいるかどうか知りませんが、一瞬で、人生の方向は全く変わるわけです。
神の時を掴まえるためには、常に祈り深くあることが重要です。

今年、将来と希望を受け取るために、まずは、祈りから一年を始めようじゃありませんか。しかし、今日だけで終わるのではなく、日々、祈りと共に生活するなら、間違いありません。

エレミヤ書は、預言の言葉です。実は旧約聖書を見ますと、大きな事件が、二つある事に気づかされます。一つは出エジプトです。ヘブル民族がエジプトから脱出し、カナンの地に入る出エジプトは、大事件でした。そしてユダ王国の人たちが、バビロニア帝国に捕らえられ、七十年後に解放され、エルサレムに戻って神殿を建てたというのが、もう一つの大事件です。
旧約聖書の多くの預言者は、特に、ユダがバビロンに捕囚され、そこから七十年後に解放されるという軸を持ち、預言活動を展開したことが分かります。
エレミヤは、紀元前六世紀くらいの人だと思われます。イザヤという預言者は、さらに遡り紀元前八世紀くらいの人です。しかし、イザヤ書四十四章二十八節を見ると、

『わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる』と言う。」』

エレミヤの時代から見たら、百数十年前に、すでにこんな預言がありました。やがてクロスという人物が出て、ユダの民を解放すると預言したのです。出エジプトとバビロンからの解放は、神の起こされた事件でした。
それが現実的に預言されているのが、今日の箇所です。み言葉の背景を知りますと、御言葉を適用する場合も、注意深く適用できますし、より深く適用できるのではないかと思います。二十九章十節に、

『バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。』

と具体的に預言しています。ユダが罪を犯したがゆえに、国を失い、当時の大国であったバビロニア帝国の首都、バビロンに捕らえ移されたわけです。しかしそんな中、「七十年敵国で苦労した後、解放してあげます」という、神からの預言であったわけです。

今年も新年PPHが行われました。「聖書の中で七十という数字は、大変重要な数字だ」と、山崎ランサム先生が話しました。しかし、その話の寸前に私は呼び出され、聞くことができなかったです。私は聞けなかったので、詳しくは山崎先生に聞いていただきたいのですが、何しろ、その数字は重要らしいです。神様は、七十年という単位で、ご計画をもっておられるようです。
ここで語られているように、「七十年が満ちたら、解放してあげます。」とあります。

実は、今年は日本にとって、歴史的な年です。それは何かと言えば、太平洋戦争が終わり、七十年が経ったことです。太平洋戦争は、一九四一年から四五年まで行われました。「私は一九四五年以前に生まれました」という方は、どのくらいおられますか?だいぶ少なくなられましたが、それでもおられますよね。
太平洋戦争って、おじいちゃんやおばあちゃんから、話を聞きますから、じいさんばあさんの戦いだと思うのですが、決してそうではありません。それは、じいちゃん、ばあちゃんの青春時代の話です。太平洋戦争の末期には、高校生まで、戦場にかり出されていったのです。特攻隊で体当たりした人は、若者たちでした。そんな時代に生まれていたら、青春も何もあったもんじゃないです。生活を共にしている世代の中に、戦争体験者が多くおられるのです。新城教会でも多くの方が手をあげられました。これは、人ごとじゃないのです。

戦争が終わって、七十年間、日本には、かろうじて平和が続いています。本当に感謝しなければならないです。近代史の中で、七十年間も戦争がないのは、初めての事です。明治からこの方、こんな時代は初めてです。これが続くように、私たちは祈らなければなりません。
戦争とは、様々な理由があって起きるのですが、一口で言えることは、偶然に起きた戦争はないのです。戦争は、仕組まれて起きるのです。歴史的な戦争を調べるなら、戦争を意図的に仕掛ける人たちがいるのです。どういう人たちかというと、武器商人たちです。武器を売る人たちが、戦争を仕掛けるのです。そういう人たちは、敵にも味方にも、武器を売るわけです。そして、戦争をなるべく長引かせるのです。それはたくさんの武器を使って欲しいからです。戦争は儲けるためです。
現在日本において、武器産業がだんだんと盛んになっています。武器に関する法律が緩和され、輸出ができるようになりつつあります。危険なことです。祈っていかなければなりません。

しかし、それと共に、戦争には「人の欲望」が関わっています。人間って、本当に不思議です。ある領土で満足できないのです。もっと広い場所、もっと広い土地、もっと、もっと欲しがるのです。
私は毎年、スペインに行くのですが綺麗な国です。空から見ると、空いている土地がいっぱいあります。一つの町から、一つの町に行くのに、数時間かかったりします。その間、全て空き地です。しかし、あのスペイン人たちが大航海時代には世界に出て行ったのです。さらなる領土を獲得する為に、植民地活動をしたわけです。なんでこの土地で満足できないの?と思います。人の飽くなき欲望が、戦争には関係しています。それは人間の罪です。

太平洋戦争に至るまでの経緯は、欧米列強のアジア進出に対抗する戦いでもありました。しかし戦争を始める動機は、決して良いものではありませんでした。日本なりの大義名分があったのです。
初詣には何千万人も神社に行きます。一番多く初詣客を集めるのが、明治神宮です。明治神宮には、毎年、三百万人以上が初詣に行くのです。信じられないです。明治天皇って、どんなハンサムな人だったのか、だれも顔を見たことがないのです。それなのに、三百万人以上が拝みに行くのです。そこには策略があるわけです。天皇家の神々を世界に広げよう!ということで日本は諸国に出て行ったのです。戦争時代に教育を受けた方々は、そのことをよくご存じだと思います。

日本は、「大東亜共栄圏」という区域を設定しました。今の人たちは、日本と言いますと、北海道から沖縄までの領土を考えますが、戦争中の日本は、この青い線で囲まれた部分が日本でした。日本人は、ここまで領土を広げたのです。

20141214礼拝_8.jpg

何をしたかと言えば、国々に神社を造り、日本の神々を伝えました。そしてもう一つの植民地政策の柱が、世界に日本文化を植え付ける事にありました。日本の文化が最高だ!それは、日本人のおごり高ぶりです。
そして、日本文化を伝える方法が、実は、日本語教育だったのです。日本語を教え、日本語をしゃべらせたら、言葉の中に日本文化は入っていると考えました。日本語をしゃべるようになれば、自然と日本文化に染まると考えました。大東亜共栄圏を日本語で染めてしまえ!という政策だったわけです。お隣の朝鮮半島では、その政策が徹底されましたから、今でも、韓国にお邪魔すれば、年を取った方々は日本語が出来るわけです。台湾もそうです。その時、アジアを日本語に変えてくれたら、今頃、私の活動も楽だと思いますが、大東亜共栄圏に多くの日本語教師たちを送りました。

実は、私の母は、その為にインドネシアに派遣されました。教育要員として母は戦争に参加しました。私は、日本語を教えるなんて、別に罪ではないと思っていました。でも、この御言葉を読んで、ちょっとびっくりしました。
創世記十一章一節〜九節を見ると、世界は元々一つのことばを話していたのですが、バベルの塔を建て、バラバラにされてしまいました。その時の様子が記されています。創世記十一章一節〜九節、

『さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。』

初めは、みんな同じことばでコミュニケーションしていたのです。もしも全地が、一つのことばでコミュニケーション出来るなら、文化は生じないのです。皆、同じライフスタイルですから。文化とは、互いに違ったことをやるから、違いから文化と認識するわけです。
みんな同じことばをしゃべったら、どの地域の人とも結婚できますから、人種問題は生じません。神は肌の色を違って造ったわけではないのです。アダムとエバだけを造ったわけですから、肌の色も一つでした。しかし言語が変わったから、暑い地域に行った人、寒い地域に行った人、そうでもない所行った人たちがいました。肌の色はメラニンの量のみで変わるだけのことです。肌の色が同じなら、人種問題は起きなかったのです。
しかし、町の真ん中に塔を建て、悪霊とコミュニケーションして自分の名をあげる、自己実現の為の施設を作ったことが原因となりました。それも、「一つのことば」を使って始めた時、神はその行為をたいへん危惧されました。

『「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」』

と、ことばは混乱し、変えられて世界中に人々は散らされてしまったのです。ことばが変えられ、散らされた原因が何であったかと言えば、『一つの民として、一つのことばで、このようなこと、』すなわち、悪霊を呼ぶ行為、シャーマニズムは、たいへん危険だというのです。

先ほども、大東亜共栄圏について話しました。神道は神社本庁のホームページを見ますと、「神社は元々シャーマニズムから始まりました」とあります。シャーマニズムとは、悪霊を呼ぶ行為です。そこから始まったのです。
この辺の神社も、山の上の大岩が神体だったりするわけです。近くの石座神社は高い所にある岩が神体です。かつて、そこでシャーマニズムが行われた事から始まっています。
神社はシャーマニズムの装置です。その施設を、世界中に造ろうという運動が日本の帝国主義の理念でした。それと共に行われたのが日本語教育であり、「一つのことば、すなわち日本語で神社を参拝させよう!」としたのです。
どうでしょうか。まさしく、それはバベルの塔の世界観です。日本はそれを行ったのです。
先にも話したように、日本が世界に出て行く背景には、様々な世界情勢があったことも確かです。しかし、日本の海外進出の理念は、聖書が最も禁じている霊を呼ぶ行為を大東亜共栄圏に広め、日本語で民をコミュニケーションさせ、日本語で神社を参拝させようとしたことにありました。日本語によって統一し、一つの民、一つの国をアジアに作ろうとしたのです。
それは聖書に照らし合わせるなら、神の怒りにふれる行為です。太平洋戦争によって、三百数十万人が死に、原爆が落とされ、日本は本当に辛い時期を通過しました。
もしも日本が戦争に勝っていたらどうでしょう。今頃、世界は大変なことになっていたと思われます。今、私たちは自由に礼拝していますが、できるわけがありません。神が「日本の行動は、ここまで!」とストップさせ、バラバラにされたのではないでしょうか。そのような歴史を日本は持っているわけです。

七十という数字、私が調べたところによると、ユダヤ人たちは七十をどのように、理解しているかというと、「バラバラ」という意味だそうです。バベルの塔で出来た国々は七十だと、ユダヤ教では言うそうです。
日本は悪魔に感動されたのでしょう、悪いスイッチを押してしまいました。それで国は破壊され、辛い目にあったわけです。
しかし、今年は太平洋戦争が終わって、七十年が経った記念の年です。七十年が経過したのです。エレミヤ書二十九章十節にあるように、

『まことに、主はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。』

聖書の原則の中に、七十年が満ちる頃に、神が民を顧みる、バラバラになった民に目を留めてくださるという原則があるようです。今年はある意味、霊的に勝負の年かもしれません。私たちは、日本の回復とリバイバルを真剣に祈らなくてはいけないと思います。
七十年とは、結構長い期間です。「私は七十歳です」という方は、おられませんか?七十年は結構長い時間ですよね。七十年も経ったら、普通は、気力もなくなります。バビロンに捕らえられた人たちも、希望を失っていたことでしょう。
しかし、預言を信じて、祈っていた人たちもいたのです。そんな中で、神は動かれたのです。

ユダが解放される時、霊的世界において変化が、起こったのを見ることができます。ゼカリヤ書を見ますと、バビロンに捕囚されていた人たちが解放された背景に、見えない世界の動きが記録されています。それをゼカリヤが記しています。ゼカリヤ書一章十二節〜十三節、

『主の使いは答えて言った。「万軍の主よ。いつまで、あなたはエルサレムとユダの町々に、あわれみを施されないのですか。あなたがのろって、七十年になります。」すると主は、私と話していた御使いに、良いことば、慰めのことばで答えられた。』

ゼカリヤという預言者は、地上で祈っていたのです。すると、見えない世界で万軍の天の御使いが言葉を発したのです。神に向かい、「万軍の主よ。いつまで、あなたはエルサレムとユダの町々に、あわれみを施されないのですか。」と訴えの言葉を発したのです。
その時、回復のスイッチがオンとなり、今まで閉ざされていた事柄が動き始めたのです。ここで、私たちと、天の軍勢と神様の三つどもえの関係を見ることが出来ます。その関係で現実は支配されるのです。
また悪魔も真剣に、それをとどめる働きをしていたことが、ゼカリヤ書から知ることが出来ます。
今年、主の使いが天において、この言葉を発するように、私たちはゼカリヤのように地上で真剣に祈らなければいけないのです。「万軍の主よ、いつまであなたは日本と新城にあわれみを施されないのですか。あなたがのろって、七十年になります」と、この言葉を語ってほしいです。
そうしたら神様が、「あっ!そうだったな!七十年も経ったか!じゃぁ、日本を何とかしなくちゃね!」と、慰めの言葉を語り始め、日本に解放が起こったら、すばらしいです。
祈りは、天の軍勢を動員します。そして、神の手を動かすのです。祈りは、ただの言葉ではないのです。見えない世界を動かす武器です。祈りと共に、霊的戦いが起きるのです。また、祈りの領域は、ただの嘆願ではなく、戦いの領域があることを理解するのが重要です。

話は変わるのですが、先週、すばらしいメールをいただきました。去年の七月、新城教会の若者たちがネパールに宣教旅行に行きました。ネパールで真剣に賛美し、踊り、祈りました。天で何かが起こったのです。破れが起こったのです。彼らが訪問した山上で、その後、毎週礼拝が始まったというのです。霊的ブレイク・スルーが起こったと、写真を送ってくれました。

20141214礼拝_1.jpg

パク宣教師は毎週、子どもたちを集めて礼拝しています。

20141214礼拝_3.jpg 20141214礼拝_4.jpg 20141214礼拝_5.jpg

行った人たちは懐かしいでしょ。毎週、いっぱいの子どもたちが集まり、あの山の上で礼拝が始まったのです。ヒンズーの世界が霊的に破られたわけです。新城教会の若者たちが行って、賛美して祈ったら、見えない世界で、悪霊どもが打ち破られ、天使たちが神に語ったのでしょう。「主よ。あのネパールの山の上の貧しい子どもたちに、恵みを施されないんですか?」と。それで、スイッチがオンになったのです。本当にすばらしいですね。行って良かったね。拍手しましょう。

さぁ、今年は彼らをどこに送ろうか。主に祈らないといけないですね。やはり御心の場所に、行けと言われる場所に送らなければいけないです。
私は、毎月、「霊的戦い専門課程」をやっています。もう三年目です。毎月二日間あります。一人で二日間やります。結構大変です。やると言ったはいいのですが、毎月新しいテーマは、大変です。祈りしかない感じです。すぐに一ヶ月が過ぎます。「ありゃ!もう来てしまった!おぉ、主よ!」という連続です。
この頃、専門課程で学んでいることは、イスラエルとユダヤ人についてです。イスラエルとかユダヤ人について、この間も少し話しました。七十年目の解放も、これはイスラエルでの話です。
イエス様が帰って来られるのも、イスラエルと大きな関わりがあります。世界中の人たちが、現在、イスラエルの為に祈っています。でも、なかなか動かないのです。私は、霊的戦いと共に祈らないといけないと思います。霊的戦いの視点で、イスラエルのとりなしがないと、戦後七十年も日本に正しく適用されないんじゃないかと思いました。またイエス様が帰られる道を用意するためにも、イスラエルの為に祈る必要があります。何か月か専門課程で学んでいる中で、私はイスラエルにとりなしに行きたいと思いました。
それも、パレスチナ自治区に行きたいと思いました。ISがいたり、ちょっと危ない場所です。そこに行ってとりなし、祈りたいと思いました。私の仕事は、ちょっぴり危険な場所に入り、祈るのが使命かなと思います。またそこで、経験したことを若者に伝える使命もあるかもしれません。この頃、世界にはイスラム国や、テロなど様々な問題があります。とりなして祈ったほうがいいと思って、私は、専門課程に来られている牧師先生方に話しました。
そうしたら、「一緒に行きたい!」と言うのです。でもイエス様が行けと言われないのに行けません。お金もかかることですから、私は祈りました。誰にも言わずに祈りました。家内には言いましたが。
もしも誰かが私の所に来て、「順先生、イスラエルにとりなしに行って来てください。」と、何も言わないのに献金してくれたら、イスラエルに行かなければいけないと思って祈りました。例え百円でも、私が何も言わないのに、「順先生、イスラエルにとりなしに行って来てください」と、献金をもらっちゃったら、その時がサインだと思っていました。「イスラエルに行きますから、資金をカンパしてください」なんて言いませんでした。

この間、クリスマスの期間に私は少し、ユダヤ人について話しました。そうしたらある方が、私の所に封筒を持って来ました。「順先生、これでイスラエルにとりなしに行って来てください」と、お金を渡してくれました。「うわ〜!本当に来た~!」とびっくりしました。でも、これは行けというサインだと確信しました。それで再来週、行くことになりました。ちょっと危ない地域に行きますので、たぶん心配ないですが、祈ってください。そこに行って、とりなし、祈って来たいと思います。
七十年目にユダの国が回復したのは、エルサレムです。そして回復に微妙に関わっているのが、北イスラエルです。北イスラエルは、サマリヤ地方にあります。そこが現在、パレスチナ自治区になっています。ほとんどがイスラム教徒です。私はいろいろ調査しましたので、帰って来てからお話をします。命あって帰って来れたら、みなさんにレポートさせていただきます。
今年は戦後七十年ということで、ちょっと力を入れて祈らなくてはいけないなと、思っています。是非みなさんも、祈っていただきたいと思います。

今年は、沖縄とインパール、そしてナガランドでミッションが開かれます。これは偶然ではないと思います。戦後七十年だからです。日本が行ったことは単なる植民支配ではないのです。一つの民、一つのことばで、悪霊を呼ぶ行為でした。そのために日本はリバイバルを体験できていないのかも、知れません。
しかし、私たちがゼカリヤのように祈り始める時、天の軍勢が天で主に訴え、回復スイッチがオンになるのではないかと思います。

是非ともみなさん、今年は、エステルの気分になって過ごしていただきたいと思います。エステルは、ペルシャの国、バビロンの次の時代の人でした。ユダヤ人がエルサレムに帰ったとき、帰らないでペルシャの国に残った人たちもいたわけです。そこにユダヤ人絶滅計画が持ち上がったのです。しかしエステルは、命をかけて戦ったのです。それで、残された民たちは、皆、助かったのです。
エステル記を読んでおられるから、分かっていると思いますが、私たちも、戦後七十年の年を生きるために、エステルのようにならなければなりません。今まで命を与えられていたのは、もしかしたらこの年の為かもしれません。七十という数字の年に、真剣に祈り求め、日本のリバイバルと主がお帰りになる道を整えなくてはいけないと思います。

私たちのゴールは主がお帰りになることです。バビロンからの解放も、最終的には、主がお帰りになり、エルサレムの王となる千年王国につながるのです。
今年、日本にリバイバルが起きるように祈りましょう。戦後七十年に、目に見えない世界で何かが起き、主がお帰りになる道が整えられるように、祈りましょう。大変重要な年になるのではないかと思います。
「あなたがこの国に来たのは、もしかしたら、この時のためだったかもしれない」と、エステルはモルデガイから言われました。この年が、ただの年ではなく、主が顧みて下さる年となることを願います。
七十年が満ちる頃、将来と希望の計画が実現するのです。最後に一言お祈りさせていただき、共に聖餐式を受けたいと思います。


ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめ、心から感謝します。二〇一五年、このような年に、私たちを生かしてくださっていることを、心から感謝をいたします。主は、「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たす。」と言われました。日本もかつて罪を犯し、国がバラバラになりましたが、戦後七十年という、特別な年に入っています。七十年が満ちるこの時に、私たちがしなければならないことを教えてください。
 主よ、ゼカリヤのように、天で言葉が発せられる、とりなし手としてください。エレミヤのように、真剣に主の前に祈る者とさせてください。
 今から聖餐式を持ちますが、一人一人がエステルのように、命をかける者としてください。もしかしたら、この時のためだったかもしれないという思いで、主の前に出ることができますように。私にしか蒔くことができない種を蒔ききることができますように。今からの聖餐式を祝福してください。イエス・キリストの御名によって、祈ります。アーメン。