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山は動く

2015年2月15日(日)
新城教会牧師 滝元明
マルコの福音書11章22節〜25節

『イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」』

ハレルヤ!おはようございます。今朝はこうして、み言葉を取り次ぐことを許されて感謝します。
 今、新城教会は、今年はたいへん祝福されています。先週はすばらしい婚約式がありました。みんなで喜びました。
 また今年は、感謝なことに、まもなくプレイズ出版の新規事業により、レストラン「雲の柱」、「餃子ノブズ」が始まります。四十人お客さんが入ることが出来ます。それから老人ホームもできます。また、障がいのある方々のための施設もできるということで、今年は、すばらしいことが教会に多くあります。
 先週は、私の孫の家の起工式がありました。今年のうちに家ができます。家ができるということは、すばらしいです。イスラエルの歴史を見ると、祝された時には神殿が建ち、神から離れた時には神殿が壊されました。今年はすばらしいことが起こっています。期待したいと思います。

 今日、二月十五日にメッセージを語らせていただけることは、とても光栄に思います。なぜかというと、二月十三日は、愛知県民の森で聖霊が注がれた記念日で、先週の金曜日には、特別祈祷会がありました。私もひさしぶりに県民の森に入って、一緒に祈って来ました。恵まれました。
 しかし、私にとって二月十三日は、一九四九年二月十三日。この日は、何の日かというと、私が初めて教会に行った日です。感謝なことに、イエス様を信じ救われたゆえに、すばらしいことが起きて、県民の森でもすばらしいことが起きたことも感謝です。
 また今日は二月十五日ですが、家内の誕生日です。他に週報を見ると、ドリアさんも、四元雅也先生も、今日が誕生日となっています。感謝なことに家内も今日で九十二歳になりました。「九十二歳まで生きてきたというのは、生きてきたのじゃないよ。生かされているんだよ。」と言われていましたが、本当に、九十二歳まで生きて来れたことは、本当に神様の恵みだと感謝しています。
 私もこの歳まで、生きることができ、感謝だと思います。

 ある先生に息子さんがいて、息子さんに主任牧師を委ねたそうです。私は七十歳の時に、順牧師に主任牧師をゆだねましたが、その教会で主任牧師になった息子は、主任牧師になった途端、お父さん牧師には絶対に説教をさせないというのです。だから寂しくて、「俺はまだ引退ではない。まだできる。」そこで、「開拓伝道に出ることにした。」と言っていました。
 けれども、ここの主任牧師は良い牧師ですから、私も八十五歳になりますが、今日も主任牧師はここにおりますが、説教させてくれるし、一緒に働くことができるとは、神様の恵みです。本当に祝福されていると思っています。

 私のためにも覚えて祈ってください。今年は沖縄で、七十日間の集会があります。ですから、特に覚えて祈っていただきたいのですが、祈ってもらいたいことは、何かというと、なかなか日曜日は集会をやってもらいたいけれど、月曜日、火曜日とか、ウイークディには集会がやりにくいのです。まだ全部、スケジュールが埋まっていないわけで、何とか埋めてもらいたいです。もう一度、私と平岡先生で来週は沖縄に行きます。牧師たちに集まってもらい、再度協力をお願いし、三日間いろんな教会を回ってスケジュールを埋めようと祈っています。二月二十五日から二十八日まで沖縄に行きます。覚えて祈ってください。
 今年は沖縄に、三月もある教会に招かれて行くことになっているし、四月一日からも行くことになっています。私が一番時間がありますから、だいたい四十何日間、沖縄で集会をすることになると思いますが、覚えて祈ってください。
 ティム・ケプラーさんが二ヶ月間来てくれます。それからジョン・フルッカーさんも来てくれます。ロン・ブラウンさんは六月二十日に来ます。その後、私と一緒に九州を回ります。
 みなさんに覚えて祈ってもらいたいことは、六月二十一日に大きな集会があり、二十三日には沖永良部で集会をやります。

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 ここではこの教会にいた今栄先生が伝道しています。何年か前にも行ったことがありますが、私とロンさんとイヴォンヌさんが行きます。みなさん、覚えて祈ってください。いろいろと苦戦しています。小さな島です。
 その上に、徳之島があります。徳之島に行って集会をします。
 そして奄美大島でも集会することに決まりました。ですからみなさん覚えて祈ってください。いろいろと苦戦しているところです。もしみなさんの中で、六月までに少し小遣いがあったら貯めて、百円でも五百円でも島々のために献げてくだされば嬉しいです。沖永良部のために、徳之島のために、奄美大島のために、献金してください。
 その後、鹿児島に行きます。菅原先生の阿蘇に行き、芦北に行き、それから九州の上の方に上がり、七月五日まで、だいたい二週間くらいロンさんと一緒に回ります。健康が支えられるように、お祈りください。
 特に、ロンさんのために祈っていただきたいと思います。
 ロンさんは八月にも私と一緒に信越を回り、十月には東北のほうを回って、十一月には関西を回り、十二月にはクリスマス集会で一緒に回ります。このじいさんも、神様が使ってくださるように、一つ覚えて祈っていただければ幸いです。

 これから聖書のみ言葉を学びますが、聖書のみ言葉を学ぶということは、非常にすばらしいことです。私も家内も、朝起きると、いつもよく話すのですが、必ずすることがあります。必ず二人で賛美をします。ざわめきを五曲くらい賛美して、それからみ言葉を三章以上読みます。今朝も聖書を読みました。ミカ書を読みました。ミカ書四章三節、

『主は多くの国々の民の間をさばき、遠く離れた強い国々に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。』

 このみ言葉を読みました。まもなくイエス様が再臨なさいます。イエス様がエルサレムに、王の王となって来られる。その時には、何が起きるかというと、二度と戦争のことを習わない。戦争がなくなるというのです。
 今、ウクライナ問題とか、テロの問題とか、本当にたくさん、問題がありますが、イエス様が来られたら、二度と戦争のことを習うことはない。剣を鋤に変えるし、槍をかまに打ち直す。こう書いてありますから、すばらしいですね。

 ミカ書なんかを見ると、「あぁ〜、そういう日がいつ来るかな。」と思います。五章二節にこう書いてあります。

『ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。』

 ちょうどイエス様がお生まれになる時、東の国からヘロデ王の所に博士たちが来て、「私たちはイスラエルの王が生まれたということで来ました。どこに生まれましたか?」
 ヘロデは戸惑ったのです。学者たちが、「ここにベツレヘムと書いてあります。ベツレヘムに救い主が来ますよ!」そこで博士たちは、そこに行ったら、イエス様と出会い礼拝したのです。
 ミカが預言したことは、今から二〇一五年前に成就しました。この事が成就したのと同じように、まもなく、イエス様は再臨されます。世界はイエス様が王となって、戦争がなくなる。呪いがなくなる。一番すばらしいことは、人類を堕落させた悪魔が全てしばられて、地獄に投げ込まれて封印され、出て来ることができなくなると書いてあります。
 私たちの将来は希望がありますね。今、少しは苦しみがあっても、やがて、私たちは死も痛みも悲しみも叫びもない、すばらしい世界に入ることが出来ます。イエス様にお会いできる。考えてみるだけでもすばらしいことです。今朝、そんな所を読んで感謝しました。

 今日はみなさんと一緒に読む聖書の箇所は、マルコの福音書十一章二十二節〜二十五節です。前にも何回が出していただいたことがありますが、み言葉は変わることがありません。もう一度、このみ言葉から学んでみたいと思います。マルコの福音書十一章二十二節〜二十五節、

『イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」』

 この教会には多くの方が来ていますが、一番大切なことは何かというと、有名だとか、権力があるとか、富があるとか、頭がいい、それもすばらしいけれど、一番大切なことは、「信仰」です。信じるということです。
 この中に、「神を信じなさい。」とあります。幼子のようになって、神を信じることが一番大切です。

 かつて私が三島市で集会をした時、婦人集会をしました。「神を信じなさい」と話をしたら、ご婦人が私の所に来て、こう言うのです。「先生、最近、教会に来るようになったのですが、神を信じるということは難しいですね。」と言うのです。「どうして?」と聞くと、「第一私は、信じるということが分からないのです。神を信じるということは、どうすることが信じることですか?」と質問しました。
 みなさん、偶像だったら、偶像を見て拝みますね。私たちの神様は見えません。だから神様を信じることが分からない。私はこういう話をしました。「そうですね。信じるということは、信じることです。だから信じなさい。」それしかないですよ。
 信じるということは、聖書を見たら、難しいことではないです。天地を造られたまことの神、全能の神を信じる。簡単じゃないですか。 
 子どもたちは親を信じますね。「お父ちゃん信じます。」親に対して、信仰を持つでしょ。同じです。
 私の知っている牧師の奥さんが、こういう事を言いました。この人は信仰がある人で、経済的な問題に信仰がある人で、こう言いました。その人は校長の娘で、ある時のこと、叔父さんが芝居に連れて行ってくれたそうです。叔父さんと一緒だった時に、「入場料どうしようか。どうしたらいいか。」と言ったら、おじさんが怒ったそうです。「子どものくせに!金のことなんか心配しやがって!心配するな!」と怒られたそうです。
 子どもは、買い物に行っても、お父ちゃんが金を出してくれると信じているでしょ。その方はそれ以来、信じたというのです。経済的な問題についても、生きている神様だから信じればいい。

 私たちも、子どもが親を信頼するように、単純に信じることです。信じない人は祝されない。信じたら祝されます。ここの中に、すばらしいことが書いてありますね。

『まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。』

 『だれでも、』と。『動いて、海に入れ』と命令することができる人は誰かというと、牧師、献身者ではない。『だれでも』と書いてあります。牧師だって、不信仰な人はたくさんおります。今日来ているみなさんが、この事を信じて、山に向かって命じるのです。
 みなさんの人生に山があると思います。どうしてリバイバルが起きないかとか、救われないだろうか、大きな問題だとか、病気がどうして治らないのだろうかと。しかし、信仰を持つことです。

 このまえここに来られた天野先生が言われました。足なえの人が癒された説教をした時に、物乞いをしていた足なえの人に、「金銀は私にはない。私にあるものをあげよう。ナザレのイエスの御名によって立ち上がれ!」と命じると、立ち上がった。踊り回った。見ると、「四十年の間、立ち上がったことのない人だった。」と書いてある。先生は、これで信仰を持ったというのです。四十年も一度も歩いたことのない人が、ナザレのイエスの御名によって立ち上がった。
 神にとって不可能なことはない、みなさん、どうですか。神を信じますか。信じますか?アーメン。疑い深い人にならないで、信じる人になりましょう。そうしたら、すばらしい祝福を受けることができます。

 少し話が変わりますが、私の家に来たことがある人もいるかもしれませんが、私の家は遠くないです。良い家に住んでいます。私の家に、小さな庭があります。順牧師が二階におりますが、建てたのは二〇〇五年に建てました。二〇〇五年四月に建ててもらったのですが、前に一軒の家があります。いろいろ見えるから、私は木を植えました。樫の木を植えました。大きくなりました。それから花の咲く木を植えたり、いちじくの木を植えたり、あけびの木をフェンスに巻き付けたり、いろんな木を植えました。ぶどうの木もあります。それから、きんかんの木もあったりするのです。
 朝、食事をする時に、私は楽しみです。見ていると、木はいいですね。風に揺れる姿を見て、楽しんでいるのですが、そこによく小鳥が遊びに来ます。どんな小鳥が来るか。大した小鳥は来ないのですが、鵯が来るのです。それから、すずめも来ます。セキレイも来ます。
 冬の時間になると、食べ物がなくなります。夏の間はあまり来なくても、冬の間に来ます。なぜなら、私が餌をあげているからです。パンが残ったら準備してあげたりとか、必ず朝は来ます。今朝も来ました。そして、私を呼ぶのです。チッチッチッチッチと。「じじい、飯をくれ!」とね。鳴いているので、お菓子をあげたり、いろいろとあげると、喜んで食べます。
 しかし、ちょっとおもしろくないことがあります。鵯って大きいでしょ。案外ね。鳩も来る時がありますが、時々は、猫が来たりすることもあります。鵯のやつが来て、木の所で待っているのです。あげた途端にすぐに来て、ぱっと食べるのです。喜んで食べるので、良かったなと思いますが、セキレイが来るのです。この鵯に悪いやつがおって、自分だけ食べようと思っているのです。セキレイを追い払うのです。がめついなと私は思います。私は時々、鵯に、「おい、鵯。おまえな、この食べ物、だれがあげたと思う。俺があげたんだぞ。おまえだけじゃないよ。仲良く食べろ!」と怒ってやります。だけど、正直言って、あいつは日本語が分からないらしい。
 今朝も、二羽の鵯がおって、セキレイが二羽来たら、鵯が追い払って、昼間でも「俺のもんだぞ」とやっています。

 人間も同じようなところがありますね。「俺のもんだ」と、神様から与えられたのに、「自分だけ。」こういう人がおりますが、それでは良くないのです。
 ちょっと個人的なことになりますが、私に、うれしいことがありました。沖縄とナガランドのために献げましょう!とこの前、順牧師が巻頭言に書いていましたね。どうぞ祈ってくださいと書きました。それを読んで、心動かされた人たちが、リバイバルミッションに献金してくださいました。多額の献金をしてくださった。
 その献金の中にすごく嬉しいことがありました。何があったかというと、うちの孫が多額の献金をしたのです。今はだいぶ大きくなって立派になっていますが、小さい時に、私はよく小遣いをあげました。「小遣いあげる。」と、百円とか、二百円とか、三百円とか、あげました。すると近くの店に飛んでいくわけです。それでアイスクリームを買って来て、美味しそうに食べている。「おい、おじいちゃんにも少しくれ。」と言うと、「いやっ!」というやつがおったのです。今はそんな子じゃないですが、「ちょうだいよ。おじいちゃんに、ちょっとだけでいいから食べさせて。」
 私が小遣いをあげたんですよ。だから少し食べさせよと言っても食べさせない。
 ちょうど同じじゃないでしょうか。神様が祝福してくださったのに、「いや!」と言っている。「俺のもんだ。」こういう人がいます。
 しかし、私の孫が多額の献金をしました。いくらとは言いませんが、私から見たら、多く献金をしました。
 みなさん、神のものと、自分のものの分別が付かないと祝福されないです。ただで与えられたものを神様に捧げた。将来彼もきっとすばらしい祝福にあずかると思っています。感謝しました。すばらしい!と思いました。

 それから、もう一つ、すばらしいことがありました。七十歳以上の方、いらっしゃいますか?その方は、シオンタイムに入ることができますから、いらっしゃってください。シオンタイム、恵まれます。一月に一回は遠足があります。山口長老が連れて行ってくれます。
 今週の金曜日は、遠足を止めにしました。私が提案しました。その代わりに何をするかというと、私が五平餅を作って食べさせます。五平餅会をやろう!ということで、五平餅を食べたい方は、シオンタイムではなくてもいらっしゃい。食べさせてあげますからね。
 今、私はごまだれを作っています。それから、ピーナッツを潰して、ピーナッツは不思議ですね。潰していくと、最後には油が出て来るのです。どろどろになります。それで味噌と一緒に砂糖を入れて煮て、タレを作って、くるみや煮干しで、もう二種類作っています。美味しい!その辺に売っている五平餅とは、問題にならないほど美味しいです。だからみなさん、食べにいらっしゃってくださいね。
 お米も考えました。この間、マルイチで安く買って来ましたから、私が提供しますから、食べに来てくださいね。私はそのシオンタイムで祝福されました。
 今日もここにいらっしゃいますが、言ってもいいかな。その方がこう言うのです。「沖縄のために何もできませんが、七十日間、昼食だけ、断食して祈ることにしました。」と言うのです。びっくりしました。今日、ここにいらっしゃいます。この方は、八十歳になります。八十歳の方が、沖縄のために七十日、お昼を断食し祈るそうです。私は感動しましたね。

 私も今朝、断食していますが、一食でも断食して祈ったら、すばらしい祝福になります。聖書を見ると、こんな事が書いてあります。マタイの福音書十七章十九節〜二十一節、

『そのとき、弟子たちはそっとイエスのもとに来て、言った。「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。」イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。〔ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。〕」』

 沖縄のためにみなさん、一食でも、一日でもいい。二日でもいいけど、成功するように断食て祈ります!やってみてください。
 私は正直言って、断食が嫌いです。本当の所。断食嫌いで、なぜ嫌いかというと、あんまり良くない思い出があるからです。断食を一日、二日くらいしていると苦しい。断食している時に考えることは目の前にとんかつが出たり、ごちそうばかり目の前に出て、「断食が終わったら何を食べようかな・・・」と、そんなことばっかり考えて、「こんな事考えるくらいだったら、腹一杯食べて祈ったらいい。」と考えました。
 甲子園ミッションの時、断食をしました。三日間、断食祈祷を募集して、全国、何千人の方々が参加しますと申し出てくださいました。私は今でも忘れることができません。山口県で集会をする時に、三日間断食するということで、開にこう言いました。「開、おまえ断食するか。」「決まってるじゃん。みんなやるって言うんだから。」私はその時に考えました。「決まっとるじゃん。」甲子園ミッションの主催者である私が断食しないわけにはいかない。そこで私も悔い改めました。「イエス様、断食に弱いけど、私もやることにします。」三日間断食しました。だけど、心を決めたのです。不思議にみなさん、その時にね、全然苦しくない。甲子園が祝されるように!リバイバルが起きますように!と、真剣にお祈りをしました。苦しいことはありませんでした。私はそれで確信を持ちました。断食で一番苦しいことは何かというと、心を決めるかどうかが、これが一番苦しい。
 それで私も、あの甲子園の前には勇気づけられて、集会の前に十日間県民の森に入って断食して祈りました。終わってから、また、感謝のために十日間断食しました。やはり、断食するということは、ある意味において、山を動かす。マタイの福音書の中には、こう書いてあります。「山に向かって海に入れ!」という言葉が書いてあります。

『この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。〔ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。〕」』

 みなさんに、たくさん断食をしなさいとは言いませんが、示された時はみなさんも断食して、沖縄のためにも祈ってください。祝されたら分かると思います。
 難しい問題がある時、医者に行くことは悪い事じゃない、薬をたくさん飲むことも悪いことじゃないけれど、祈ることです。山に向かって、「病気よ出て行け!海に入れ!」みなさん、聖書には「だれでも」と書いてあるでしょ。
 そして、すごいことが書いてあるでしょ。信じたら、「あなたがたにできないことはない」とあります。「神を信じなさい」ということは、「神様はできる!」と。みなさん信じましょう。なかなか親戚も救われない。子どもも救われない。断食をしてみて下さい。「サタンよ、退け!解き放て!」みなさん、お祈りすることです。そうしたら神様が祈りを応えてくださるということです。ひとつ、信仰を持ちましょう。
 信仰の父と言われるのは、アブラハムですね。創世記十五章一節、

『これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」』

 私が結婚して、鉱山に働いていた頃に、家内が、「み言葉が与えられた」と言うのです。何が与えられたのかと聞いたら、このみ言葉が与えられたというのです。『あなたの受ける報いは非常に大きい。』
 仕事も決まっていないような時にね、『あなたの受ける報いは非常に大きい。』というみ言葉が与えられたと、喜んでいるのです。それから、六十五年経ちました。与えられた報いは大きいと思います。
 開が、この間、水曜礼拝の時に言いました。彼が高校生の時に、真剣に神を求めたことがあると言います。彼が、「これじゃいかん!真剣に求めよう!」と祈った時、み言葉をくださった。『あなたの受ける報いは非常に大きい。』私は初めて聞きました。今、賛美の賜物は大きいと思います。この間も、レコーディングを有名な人たちと一緒にやったそうですが、報いは大きいのです。
 み言葉は、信じることです。アブラハムに語られたことは、私にも言われる。信じるかどうか。創世記十五章二節〜七節、

『そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私には子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」さらに、アブラムは、「ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう」と申し上げた。すると、主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。また彼に仰せられた。「わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。」』

 アブラハムは、名前をもらう前にはアブラムですが、「あなたの子孫は祝される、あなたの受ける報いは大きいから」と言われたら、「子どもがないです。」と言いました。「奴隷が跡取りになるのでしょうか。相続人になるのでしょうか。」『いや、そうではない。あなたから生まれ出る者が相続人になる。』その時に、アブラムは本当かなと思った時、神様がおっしゃいました。『外に出なさい。空の星を数えてごらんなさい。あなたの子孫もこのようになる。』と言われました。

 この間、県民の森に行きました。県民の森の夜はすっごく綺麗。この間の金曜日の夜は、午前中、雪が降っていました。しかし、あの晩は大勢祈りに来ました。高校生の子たちも来ました。高校生は聖霊様に触れられ、聖霊に酔っ払っていました。私は心配した。帰る時にふらふらしながら、川にでも落ちるのではないかと心配しましたが、すばらしく祝されました。あの時、私は星を見ました。アブラハムが見た星を私も見たのです。
 アブラハムも、「あっ、これが北斗七星か。オリオン星座か。」と見たと思います。名前を知っていたかは知りませんが、何千、何万という星です。豊根村なんかに行くと、星はさらに綺麗です。街に来ると星が見えないじゃないですか。汚いくらいです。
 私も、この間の祈祷会に行って恵まれました。なぜ恵まれたかというと、祈りながら私は、「うわー!すげぇな!」と思いました。真っ暗で分かりませんから、星を見ながら、主よ、すばらしい!
 アブラハムは、星を見た時に、何を思ったでしょうか。はじめに神は天と地を創造した。この星を造られた方、地球を造られた方、人間を造られた方にとって、不可能なことはない。
 アブラハムは主を信じたということは、「私の信じている神様は、約束を成し遂げることができるんだ!」と信じたのです。

 みなさん、信じますか?同じ星を見ているじゃないですか。アブラハムも同じ人間です。信じましょう。そうしたら祝されます。日本は難しい。難しいかもしれないけど、神にとって不可能なことはない。
 私の病気治らないと思わないで、「治ります!」と信じましょう。私は駄目だと信じないで、駄目じゃなくて、できます!信じましょう。「アブラハムは神を信ず。」同じように信じていきたいと思いますね。
 ローマ人への手紙四章に、このように書いてあります。これはアブラハムのことですが、ローマ人への手紙四章十八節~二十一節、

『彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。』

 二十一節を声を出して読みましょう。

『神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。』

 みなさん、信じるということは、すばらしいことですね。
 つい最近、私の尊敬している「甲子園をやりましょう!」と言った下條真紀子先生から記念誌が送られて来ました。宣教五十年という記念誌を送って来たので読んで、「すごいな」と思いました。
 下條先生をご存じでしょう。あの先生は、一九六四年何月だか知りませんが、名古屋の一麦教会。当時の牧師先生は松原という先生ですが、こう言われたそうです。「真紀子さん。来年は、兵庫県の西宮に行ってもらうよ。」と言われたそうです。当時は、絶対服従みたいなところがあって一九六五年一月十五日に、「行きなさい」ということで、西宮に遣わされました。
 私は開拓伝道に出た時、津具鉱山に働きました。しかしあの教団は、「信仰によってやりなさい!働いちゃいかん!」と言われ、サポートもなかったのです。しかしそれを、信仰によって「はい」と信じたのです。六畳の部屋を借りて、毎日、食べたのはキャベツばかり食べていたそうです。下條先生が毎日のようにキャベツばかり食べていたので、お隣のおばさんが泣いたと言っています。
 しかし信仰を持って、一生懸命伝道をしたそうです。トラクト配布をした時、一生懸命トラクト配布をしていたら、一足の靴があって、靴の先が破れて、ぱかぱかなって恥ずかしい。雨の時には水が入る。
 そこで、先生はお祈りしたのです。何を祈ったかというと、「神様、今日まで履く靴を与えてくれて、ありがとうございます。だけれども、口が開いてしまって、雨水が入ったりしますから、申し訳ないけど、一足、靴を与えてくださいませんか。」とお祈りしたそうです。
 するとその次の日、昼間、婦人集会に何人か集まって、みんなを送りだしてみたら、階段に包みが置いてあったそうです。薄い字で、「下條真紀子先生へ」と書いてあった。開けてみたら靴が入っていたそうです。お祈りした次の日です。見たら、すごく良いエナメルの靴入っていた。先生は、右の足が少し大きい。けれども履いてみたらぴったりだった。小さいほうも、ぴったり!シンデレラ姫みたいに、ちょうど靴がぴたっと入った。嬉しくて嬉しくて、泣いてお祈りした。「神様、ありがとうございます。こんな私に、靴をくださってありがとうございます。」泣いて喜んだら、イエス様がおっしゃったそうです。
 「真紀子。一足の靴でそんなに喜ぶのか。これから何でも祈りなさい。答えてあげるよ。」と言われたそうです。

 それから五十年経ちました。今、二百人以上の礼拝です。甲子園の時に、あの方がいなかったら集会はできなかったと思います。甲子園の集会を主は知ってらっしゃいました。この女性だったら、いつか甲子園球場でやることができる。信用したと思います。県民の森で、「夢があります!いつの日にか、甲子園で集会がやりたいです。」一九八八年。「日本人の手で宣教集会をやりたいです!」と言われました。私がそれを受け取って、お金がないのにやったのです。
 よく話しますが、平岡先生が話します。事務所を構えて、順牧師と大きな甲子園を見て、「お金がありますか。」「今、百万円くらいあるかね。」しかし、ある時手紙が来ました。「先生、うちの教会で一千万円出します。」それからしばらく経ってから、電話がありました。「先生、一千万円止めました。もっと出します。」あの教会はたくさん出してくださった。その教会のおかげで、甲子園ミッションはできたのです。ということは、あの女性が神様を信じたからです。
 下條先生が信じることができたら、私たちも信じることができるじゃないですか。
 信じるということは、すばらしいことですから、不可能なことを可能にすることができる神様を信じましょう。

 私は、アブラハムは偉いなと思います。ユダヤ人の先祖です。一月に一度、私は孫のケイとバイブルクラスを持っています。聖書を教えています。この間は、創世記のアブラハムのことを学びました。その時に、「あなたは親族を離れて、私の示す地へ出て行け!」と言われた時、アブラハムは行く所を知らずに出て行ったとあります。
 そして、ロトとアブラハムのしもべたちが喧嘩をしたから、「左でも右でも、あんたが好きなほうを選びなさい。」と言った、ロトは良いほうを選んだ。ソドムのほうを選んだ。山のほうをアブラハムが選んだのです。
 そういう中で、神様は約束を果たされ、イサクが生まれました。ちょうどアブラハムは百歳。サラは九十歳。奇跡です。子どもが生まれたのです。かわいくてかわいくて、たった一人子をかわいがっている時に、神様は仰せられました。
 「あなたの愛している一人子、イサクを、わたしの示す山に行き、燔祭にして捧げなさい。」と言われたのです。
 燔祭ということは、どういうことかというと、殺して焼いて捧げるということです。羊だったら分かります。羊を殺して薪で燃やすのです。「あなたの一人子、イサクを、燔祭にして捧げなさい。」と言われた時に、アブラハムは何の抵抗もなしに、「はい。」ラクダの上に薪を積んだりして、しもべを二人連れて、イサクも、三日間かかって行ったと言います。地図で見ると、百キロくらい離れていたと思いますが、ベエル・シェバからモリヤの山まで。山の側まで行った時、「ここで待っておれ!」その時に、イサクが十何歳になったと思います。薪を背負わせて。
 アブラハムは「この一人子、イサクを捧げなければならない。」親としてどんなに悲しかったか分かりませんが、「父ちゃん。薪もあるし、火もあるけど、燔祭に捧げるものが、どこにあるの?」「神が備えてくださる。」神が備えているのはイサクです。
 山の上に上がって行って、祭壇を作って、モリヤの山で刀を抜いて、一人子イサクに、切りつけようと思った時、「待て!」誰が言ったでしょう。天の使いでした。「待ちなさい!あなたが神を愛していることが分かった。」そこで、神様は、「自分をかけて誓う!必ずあなたは恵まれる!祝される。あなたは世界の父となる。」と言われたのです。あれを読んだ時に感動しましたね。
 イサクも従順だと思います。「イサク、神様がおまえを捧げよと言ったから捧げるよ。」イサクは、「お父ちゃん、神様が言ったとおりにしてよ。」しばられて、刀を振り上げて、殺される寸前、「待て!」

 神様はすべてを知っておられる方です。あの時に、アブラハムが切っちゃった後、天使が来て、「待て!」では遅いでしょ。「遅かったか!」しかし神様は、遅い方ではないのです。みなさん、聖書の中に隠れた所に見ている神様にお祈りしなさいとあります。お祈りする時も、隠れた所にいる神様にお祈りしなさい。みなさん、私たちは日頃、何も見ていないような気がしているけど、神様は全部見ている。良いことも、悪いことも、見ている。みなさん、「待て!」すばらしいと思いますね。

 私も考えてみると、神様が今日まで守ってくださって感謝しています。祈りましょう。信じましょう。心を一つにして祈ったら、天の父は必ず祈りを聞いてくださる。
 信じますか?アーメン!そして、信仰を持っていきましょう。すべてのことを祝されることを信じましょう。今日は、イエス様が死人の中からよみがえって、今日も生きている神様ですから、信仰を持ちましょう。一言お祈りします。

 愛する天のお父様。感謝します。不信仰な私たちを赦してください。信じます。アブラハムが信じた神様は同じ神様です。死人の中からよみがえったイエス様は、天においても地においても、いっさいの権威を持っているイエス様。あなたは渡される夜、パンを裂き、これはあなたがたのために与えるわたしのからだだとおっしゃいました。あなたの御肉にあずかり、この杯はわたしの契約の血だとおっしゃいましたから、その血潮によって聖めて、信仰を持たせてください。今日一人残らず、病める方が癒されるように。奇跡が起きるように。リバイバルが来ますように。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン!