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続 Jesus is coming soon

2015年5月17日(日)
新城教会牧師 滝元開
ヨハネの黙示録 22章12節

『見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。』

 こうしてみなさんと共に主に賛美礼拝をおささげすることができて、本当に心から感謝いたします。イスラエルの賛美に主は住んでおられると御言葉にありますので、今日もこの賛美のただ中にイエス様がご臨在くださって、私たちがささげたこの賛美を、主が受け取ってくださっていることを心から感謝します。
 また、そして、主のご臨在の中で、主ご自身のリバイバルのご計画が、今日も大きく前進する日であることを信じて、心から感謝をしています。

 私がこの場所で御言葉を取り次がせていただくのは、三月一日以来ですので、二ヶ月半くらいですけれども、今日ここに無事に立つことができて、心から感謝します。前回ここで御言葉を取り次がせていただいた時には、ちょうどZawameki12(ザワメキトゥエルブ)のL.A.におけるレコーディングが終わって、「終わりました」という報告と、それと共に「今、歌のレコーディングをしています」という、そんな報告をしました。
 そして、そういった忙しいただ中だったのですが、よせばいいのに山に入り、薪取りをして、そしてこけて、あばら骨を折ったという、そういった経過までお話をしたのですが、あれから無事に回復をしまして、守られていることを心から感謝します。あのメッセージの後に、本当に多くの、特に壮年のご主人方に哀れんでいただきました。「大丈夫か?」と、すごく大きな愛を感じました。普段の、「これができた!良かった!」というメッセージではなく「やられた!」というメッセージの時ほど、「大丈夫か?」と、あんなに大きな愛をみなさんからかけられたことはなかったので、あっ、ないことないですが、それを今まで以上に感じましたので、すごく感謝しました。本当にみなさんに祈っていただいているんだなぁということを感じながら、一つ一つの働きが進められていることを感謝します。
 それで、ザワメキトゥエルブのレコーディングがなされて、その後、歌のレコーディングがなされて、その後、ミックスダウンという働きがありました。レコーディングされた音を調整するのですが、今回はアメリカのベーシストのアレックス・アルという方が、ベースを弾かれただけでなく、アレンジとプロデュースということをしてくださいました。ですから、日本でミックスダウンの仕事をしたものを、アメリカに一端送って、そして彼がそれらすべてを聞いて、「ここは、こうして、こうして」という、細かいノートが送られて来て、それを直して、またそれをアメリカに送って、そしてまた細かいノートが送られて来て、それを直して、そしてまた送ってということを、何度も何度もしていました。ですから、本当にある意味、長い道のりで、壮絶な、今まで経験したことのない、ザワメキのレコーディングでした。
 こんなに苦しいレコーディングは今までにありませんでしたが、でもイエス様は賛美の中で、この終わりの時代に、サタンの力を打ち破るという働きを進めておられるので、やはり大きな戦いがあるなということを、今回、今まで以上にすごく感じたのですが、みなさんの大きな祈りによって支えられて、そして、実は、今週製品があがって届くことになっています。ですから、全国の、キリスト教書店に発売されるのが六月五日になりました。そして新城教会におきましては、先行発売ということで、来週の日曜日に発売させていただきます。本当に心から感謝をします。その、ジャケットの写真だけ、お見せします。

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 こんなに良いジャケットの写真が与えられました。Zawameki 12 Jesus is coming soon! こんなジャケットになりまして、本当に心から感謝しています。「この海はどこですか?」と聞かれましたが、みなさんのすぐ近くの海です。ここは伊良湖岬です。なんと今回はiPhone6で撮ったという、そんな写真ですけれども、神様が与えてくださった一枚の写真だなと思っています。一つ一つ、写真からデザインから、すべて神様のご計画が完全に現されるようにと、すべて主の戦いでしたけれども、ここに完成に至ったことを、本当に感謝をいたします。みなさんに、本当に心からの感謝を致します。イエス様に感謝の拍手の賛美を捧げさせてください。

 こうして一つ一つの戦いが主の御手の中で進められていることを、本当に心から感謝します。この年は、主が、特にこの四月から雲の柱と餃子のノブズが始まって、新事業が始まり、ある意味、今までの生活が一辺してしまったような歩みをされている先生が約一名いらっしゃると思うのですが、先生と兄弟姉妹が本当に戦っておられます。主が新しい領域に、新しいことを今進めてくださっている中に、イエス様は確実に、この地を奪回するための働き、今までサタンに奪われていた神様のご栄光を奪回して、主の栄光がはっきりとこの街に現される時が来ると信じています。

 今日の御言葉のタイトルは、「続 Jesus is coming soon」ということで、前回も「Jesus is coming soon」でしたので、それに続いてということで、「続 Jesus is coming soon」という、そういうタイトルをつけさせていただきました。
 前回、三月一日の時にご紹介した御言葉は、黙示録二十二章七節の御言葉でした。

『見よ。わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを堅く守る者は、幸いである。』

という、この御言葉から、学びの時を持たせていただきましたが、今日は同じヨハネの黙示録の二十二章十二節の御言葉です。

『見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。』

 この御言葉が、今日の御言葉です。「わたしはすぐに来る。」イエス様はまもなく帰って来られる。本当にこのようなテーマが主の御手の中で、与えられて進められていることを、心から感謝をします。
 このザワメキトゥエルブの計画が与えられたのは、昨年の秋のことだったのですが、その時に、この御言葉も、この賛美も与えられていませんでした。ですから、どのようなテーマでこれから進めようかというのは、全く白紙でした。でも神様には完全なるご計画がありますので、それがキャッチできるようにという、そんな思いでいました。でも、その働きと共に、イエス様ご自身の来られる道が備えられる働きをさせていただきたい。それと共に、今までサタンに奪われていた栄光を奪回する、そして奪われていたリズムだとか、メロディーだとか、ハーモニーだとか、そういった神様を誉め称えられるべきものが、サタンの手に奪われているので、それを奪回した中での賛美を捧げたいと、そんな気持ちが与えられた中で、その準備を進めている中で、ある時、この「Jesus is coming soon」という歌が与えられました。
 それはどういった時に与えられたかというと、私の部屋の居間でテレビをつけて、私は普通に何気なくテレビを見ている時に、「Jesus is coming soon」と与えられました。ただそのテレビの内容は、この歌とは全く関係ないものでした。さあ、イエス様がまもなく来られるとか、大変なニュースとか、そういうのではなくて、全く関係なく、イエス様がくださいました。いや、これは、本当にイエス様だなと思います。今までこのザワメキの賛美が与えられたのも、主が降らしてくださるのをキャッチするという働きが、今から二十数年前から始まりました。それは神様がくださるものをキャッチということなので、私たちの思いだとか願いだとか、「こっちの方向!」とか、そういうのではなくて、主がくださるものを受け取ることがリバイバルだと思うのです。だから、いつどこで何が起こるか分からないですけれども、ただ、くださったその日、その時、それはとても明確なのです。
 例えば、「主は激しい流れのように」という歌は、以前古い事務所が中庭にあったのですが、その事務所の階段をコンコンコンと上った五段目くらいに、ふっと来ました。だからすごく明確なのです。「どこどこのいついつに主がくださった。」「あの曲は、どこどこの扉を開けた瞬間。」とか、本当に不思議な形で、自分たちの力ではなくて、主が成してくださるというのが、リバイバルという戦いかなと、そんなことを思っています。

 そんな中で与えられたのが、このJesus is coming soon。「わたしはすぐに来る。」今回このJesus is coming soonというので、英語の聖書を見たら、coming soonだけではないのです。quicklyとか、speedyとか書いてあるのです。「本当にもう行くよ!」「急いで行くよ!」と、イエス様は、そういうふうに語っておられるような、そんな気がしたのですが、そのような時代の中に、私たちは生かされています。そのイエス様がくださるその報いを、それぞれに応じた報いを携えて来られるというので、その報いを私たちが受け取るために、今与えられたこの時代の中でなすべきことを成し続けて行きたいと、本当に心から願っています。

 そのようなレコーディングの合間に、いろんな奉仕がありましたが、本当にその一つ一つの奉仕も主が守ってくださり、そして主が導いてくださっているな、イエス様のご計画だなということを、本当に行く先々で、本当に強く感じました。しかも、それがこの教会のみならず、日本中で、また今回はハワイにも途中で行きましたが、ハワイに対しても、世界に対しても、主はリバイバルという計画を、「Jesus is coming soon」という中で、進めておられるなということをすごく強く感じました。

 写真がありますので、少しだけご紹介させていただきたいと思います。

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 今回、私たちがハワイに行ったのは、私の友人の冬木先生を通してその道が開かれました。彼とは高校時代からの友達です。そして彼は「僕はハワイに行く!」と言って、宣教地へと行ったのですが、もう二十年以上経ちました。その彼が今回のZawamekiハワイを受け取ってくださって、彼の教会がベースとなっての奉仕でした。
 最初の集会は、これは全てノンクリスチャンの方々です。冬木先生の教会IJCCでは、親子集会というのがなされていて、お母さんと子どもたちとは、この集会の先の時間にお母さんと子どもたちが遊んで、その後、子どもたちは二階にいて、お母さんたちのしばしの休息の中で、お母さんたちのための伝道会が行われました。ケーキとお茶を飲みながらのコンサートでしいた。聖霊さまはすごく働いてくださり、ハワイ在住のお母さんたちは涙して聞いておられました。このようにクリスチャンでない多くの方々が主に触れられているという姿を見ることができて、すごく感謝でした。

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 ラジオ局でも奉仕をさせていただいて、いろんなお話をして、「今回ハワイではどんな所で歌います」という報告と共に、その中で、ライブで歌うことをしました。

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 これは、VIPの集会というので、特に実業家の方々です。ですからお話をすると、元々、すごく高い地位におられたような方がいらっしゃって、そこでの集会だったのですが、すごく熱い集会でした。さらに今回、ザワメキはハワイリバイバルミッション以来、八年ぶりでした。ですから、本当に私たちのような者を、ハワイのおじいちゃん、おばあちゃんはじめ、いろんな方々が「ザワメキが来るから!」ということで、ハワイのいろいろな所から来てくださいました。「ひさしぶりー!」と言って再会を喜びましたが、あの八年前に投げ込まれた火は決して消えていませんでした。本当に燃え続けていて、「やっぱりリバイバルよね!」と、ハワイの地でも、みなさんが叫んでくださいました。

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 そしてその次は、ユースたちの、若い、特に、中学生、高校生、大学生くらいまでの子たちのためのゴスペルナイトという集会が開かれて、そこの中での奉仕でした。この中で、本当に強く感じたのは、ハワイの子どもたちには、ハワイの子どもたちに対する使命と計画があるなということを、すごく強く感じました。八年前に五歳、六歳のまだ小さな子で、ザワメキが行くといつも本当に喜んで寄ってきてくれた子たちが幾人かいて、足にまとわりつくような子がいました。その子はどうしているかなと思ったら、しっかりとがんばっていてくれて、神様の選びがあるなということを、すごく感じました。

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 ここはダイアモンドヘッドの上です。朝早く行って歌いました。朝六時ならば誰もいないだろうと思って行ったら、大間違いでした。日本人の観光客でずらーっと、ぎっしりでした。本当にぎっしりで、これを終わってからみんな下りてパンケーキを食べるという、そういったコースがあるらしく、朝6時は間違いでした。でも、彼らが少し去ったくらいから歌い始めて、最後に歌っている時には日本人でない方々がたくさん来て、歌を聴いてくださって、一緒に躍ってくださったりしました。私の横にいる少年が八年前には小さな少年で、ザワメキ大好きだった少年が、今も変わらず山の上まで上がって来てくれました。すごく感謝でした。

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 そしてここは、パールハーバーです。真珠湾です。特に今年は、戦後七十年ということで、今も沖縄ミッションも行われていますけれども、そのような中で、ここで歌うことがとても大切だと示され、歌う機会が与えられました。地元の方々も来てくださって、本当にとても良い時でした。地元の先生がおっしゃっていたのですが、世界の戦争というのがパールハーバーから始まり、世界中に拡大して行きましたので、この七十年の回復の中で、ここから主の祝福と勝利が現されるようにということを願います!と、おっしゃっておられました。私たちも本当にそのことをすごく強く感じました。だからそのために選ばれたお一人お一人がハワイでいらっしゃって、これから世界のリバイバルのために、主はハワイを用いようとされているんだなということを感じました。本来ならば、すごく重苦しい場所らしいのですが、本当に喜びに溢れて、天が開かれた賛美の時でした。

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 そしてこれが冬木先生の教会の礼拝の時です。そして、後で最後にざわめきワーシップシャウトを同じ教会でしましたが、冬木先生の教会は、八年前のリバイバルミッションによって、すごく変わったというのです。「すごく成長しました」とおっしゃっておられました。本当に会堂いっぱいの方々が来られていました。八年前の会堂を少し広くされたにも関わらず、人がいっぱい来られているという状況でした。「あの時、いろんな所でとりなしして祈った祈りの成果です!」とおっしゃっていました。地元のハワイアンの方々が救われて、洗礼を受けられて、という、いろんな形での、魂の実を見ながら、共に戦う時が与えられたことを感謝しますと言っておられました。すばらしい恵みの時をいただくことができて、本当に感謝でした。
 このハワイの奉仕も、神様の、一つの、「世界」というレベルの中での戦いの中で、この働きを主が進めておられるなということを、すごく強く感じさせていただきました。それと共に、この教会で、私たちが祈って、「どこどこミッション」と言ったら、どこどこミッションのために祈り、「どこどこミッション」と言ったら、どこどこミッションに飛んで行き、日々その働きを続けておりますけれども、でも、今まで投げ込んだ火というのは、リバイバルの火というのは消えないものだなと、本当にすごく強く感じました。
 八年前に、一緒にダイアモンドヘッドに上がった一人の年配の女性がおられました。その時はまだ六十代だったのですが、その方は、足もあまり良くなくて、体が丈夫じゃなかったんだけど、あの時、一緒に上って、一緒に賛美して、今回、その方の言葉だったのですが、「あの賛美で私の人生変わった。」と、そうおっしゃっておられるのです。「本当にあのリバイバルミッションで、私の人生は全く変わった。」と言っておられました。もう七十を過ぎておられるのですが、今回もすべての集会に来てくださって、熱く賛美されているのです。本当に主が始めてくださったリバイバルの火は消えるものではないんだなということを、もう一度感じさせていただく時が与えられて、感謝でした。

 さらに先々週行った東北の写真が、ほんのちょこっとあるのですが、それをご覧いただきたいと思います。

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 これは郡山の仮設住宅の写真です。

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 小さな集会所でのコンサートです。この周りにはみなさんが住んでおられる仮設住宅がたくさんあるのですが、震災から丸四年が経ちました。でも今なお、仮設住宅の中で戦っておられる方々がたくさんおられます。一人のおじさんと私はお話をしたのですが、終わってからいろんな話をしました。
 ここにおられる方は、みなさん、福島第一原発から三キロとか四キロという、双葉町の方々が来られている場所です。そこでいろんな話をしたら、その時の事を克明に話してくださいました。その方が、コンサートが終わってから、「いやぁ、良かった。本当に良い歌だった!感動した!」と言ってくださって、それからその方は口を開いて、その時の事を、こと細かに、日を追って、ずっと、お話をされるのです。話す中で、神様が彼の心に触れておられるんだなということをすごく強く感じました。
 地震があって、津波があって、そして一日後でしょうか、水素爆発があったのですが、彼は農業をしていて、自分の家の前のハウスの中でプチトマトの栽培のために、その時も仕事をしていたんですって。そうしたら、自分の頭の上で、ぼーんっと言ったんですって。なんだろう?自分の頭の真上で音がしたというのです。ぼーんっと音がして、それがなんと四キロ先の原発の水素爆発だったというのです。そして、その辺りのみなさん、みんな思っていたのは、「きっと二、三日したら、また帰って来られる。」と、そんな気持ちで、みんな避難指示があったので、みんな避難したというのです。「それから苦しい毎日が始まって、本当に大変だった」と、そうおっしゃっていました。
 特に双葉町は、放射能の線量がすごく高い所なのです。今でも放射能の数値を調べると、どこどこが幾つというのを見ることができます。愛知県は〇・〇三とか、そういう感じです。でも、双葉町は、二十とか三十という、桁外れなのです。にも関わらず、その方は月に一度、何をするかと言ったら、自分の家に帰って、家の前の草刈りをするというのです。大丈夫なんですか?と言ったら、「一時間以上やったら大変だから。」と、もちろん防護服を着ていかれるのですが、その事をずっと続けておられるのです。そして、田んぼしてた、畑してた、牛を飼っていた、そういったことをしていたのですが、でもそれから四年も経っているのにも関わらず、その事を続けておられるのです。「それだけは続けなきゃと思って。」とおっしゃるのです。それで、ご自宅はどうなっているかといったら、イノシシがガラスを突き破って中に入って、家の中はぐしゃぐしゃで、あとはハクビシンが入ったり、雨漏りしたりして、そういった状況だというのです。「そんな状況なんです」と、ずっと語られるのです。でもその方は、「でも、今日は良かった。」と言って、帰って行かれました。
 その同じ会場の中に、一人のおばあちゃんがいらっしゃって、その方はすごく笑顔なのです。賛美している時もずっと笑顔で賛美を聴いてくださって、そしてその賛美の歌詞をずっと書き写していて、「このおばあちゃん、本当に笑顔を絶やさないおばあちゃんだな」と思ったのですが、先ほどお話をしたそのおじさんに「ご家族はどうされたんですか?」と言ったら、「あそこにいるのが、うちの母です」と言ったのが、その笑顔満点のおばあちゃんでした。
 そして、おばあちゃんと少し話をしたら、おばあちゃんがこう言うのです。「私ね、小さい時に、教会に行っていた。」というのです。「その時、宣教師の先生が来てくれていて、教会にちょこちょこ行っていたんだ。」というのです。そして、宣教師がいなくなっちゃった後に、伝道所みたいな所で、そこでは毎週金曜日違う人が来ていたらから、「高校時代にそこに通っていたんだよ」と言われるので、「あぁ、それは良かったね。」と、こういう話をしていました。
 するとその方は、こうおっしゃいました。「やっぱりキリストがいいね。」と、そういうのです。「そうです。イエス様だけが救いですよ。」と、そういう話をしました。その集会が終わって、それぞれがまた、その集会所からそれぞれの仮設の家に帰って行くのですが、なんともその帰る姿がもの寂しく感じるのですが、でも、その親子が帰って行かれる、その姿の中に、逆にイエス様の大きな愛を感じました。イザヤ書四十九章十五節、

『女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。』

 被災地に行くとよく聞く言葉が、「この場所を忘れないでください!」と、みんなそうおっしゃるのです。「忘れられる事がとても辛いんです。」と、みなさんそうおっしゃるのですが、でもイエス様のお一人お一人に対する愛と、またその計画というのがあるんだなということを感じました。今回この二人に出会って、いや~、イエス様は必ずそこに救いの業を始めてくださるんだなと。
 そこには定期的に行っておられる郡山の教会の紹介で行ったのですが、最後にそのおばあちゃんと話をしていたら、その教会の牧師婦人が、そのおばあちゃんに話しかけました。もう何度も何度も来て話をしているのにも関わらず、そのおばあちゃんの「出身地はどこ?」と聞いたら、その双葉町の隣の大熊町という所だったのですが、なんとその牧師婦人の実家の二軒隣の方がそのおばあちゃんだったのです。「えっ!?そうだったの??」ということで、また神様がその救いの道を広げてくださっている姿を見ましたが、神様の大きな御業を見させていただきました。
 また一人のおじさんが、六十過ぎのおじさんが来られていていました。私たちが行ったのが十時前だったのですが、行った時には、もうみなさん座って待っていました。でも、おばあちゃんたちと、その六十過ぎくらいのおじちゃんも待っていてくださって、みんなそのコンサートを聴いてくださったのですが、終わった後に、本当はその六十のおじさんは、「コンサートが始まる十時には帰る」と言っていたみたいなのです。「でも、この人結局帰らなかった」と言っていたらしいのです。「本当はこの人、ここにいるような人じゃないんですよ」と、そうおっしゃったらしくて、その方のお母さんを地震で亡くして、本当に大変であと三日この人を助けるのが遅かったら、この人は死んでいたというのです。そしてその後も、すごく大変で、人前に出て来る人ではなくて、今日も「十時には帰る」と言っていたその人が、その賛美の中で本当にイエス様に触れていただいて、変えられたのです。
 そして、十二時近くになって、その人は帰って行ったんですが、しばらくしてからまた戻って来て、ネバール君というぬいぐるみでしたが、「これあげる。」と、家内にプレゼントして帰って行きました。そうしたら、そのおばあちゃんたち、「あの子が、そんなことする子じゃないのよ」と、そう言って、そのおばあちゃんたちまで喜んでくださっていましたが、神様ご自身の御手は、すべての方々の上に注がれていて、『たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。』という、その御言葉の業が、今も成されている事を見させていただいて、本当に心から感謝しています。

 本題に戻りますが、今日の本題は、「Jesus is coming soon」「イエス様はまもなく来られる。」そしてしかも、その報いを携えて来られるということですけれども、やはり今の時代が、あまりにも、イエス様が来られるのが近い時代だなと、日々日々思うと思うのです。

 この夏は、再び、ネパールに行っての宣教旅行というのが計画されています。あんなに大きな地震があったのに、まだ行くんですか?と、心配してくださっている方もいると思うのですが、実は、あの地震の前に、「私行く!僕行く!」と集まってくださった方が集まって、そいじゃぁ!ということで、一番安いチケットを抑えました。そのチケットを抑えるイコール、もうチケット代は返って来ないということなのです。ですから、今回で、二十四名になりましたが、二十四名で、再び行くことになりました。
 去年のように行って、また歌って踊って賛美して帰って来たらいいかな、それをもう少しだけ過酷にして、山の上で二泊しよう!くらいの気持ちで計画されていたのですが、でも神様の計画は、私たちの思いとは違うものでした。四月二十五日に大震災があって、前回見た場所が見るも無残な現状になってしまいました。その姿を見て、「神様は、何をしようとされているのかな」と、本当に、そんな事をすごく思います。
 よくテレビで、何度も何度も紹介されている場所は、ダルバール広場という場所です。世界遺産がカトマンズには七つあるのですが、そのうちの世界遺産の四つが、崩れ落ちてしまいました。その世界遺産が集中している場所が、それがダルバール広場という所なのですが、実は前回みんなで行って、最後に躍って、賛美した場所がそこでした。私たちの願いは、そこに働くサタンの力が打ち砕かれて、特にこの世界に流れる悪しき霊的な根源の悪しきものが砕かれるようにと、そういう願いで行きましたが、現実の形でああいった地震が起こると、本当にやはり複雑ですね。あの地域の多くの人たちが亡くなってしまいとても心が痛みます。しかし、この現状と、この終わりの時代を思う時、本当の意味でのリバイバルの計画は、神様の中で進められていくのかなということを、逆に強く感じています。
 前回の、一度ちょっとお見せしたことのある踊りの映像をお見せしたいと思います。みんなでSinging Dancingを歌った所ですが、これがダルバール広場という所です。



 みんな笑顔いっぱいでやっていますが、ここがニュースでいっぱい紹介されているのが、この場所です。あの上に見える塔が、ピラミッドのような階段の所で、地元の人たちが座っておられる所の上の塔が崩れました。そしてまた左側のあの塔も崩れていますし、またその手前の白い塔も、今回の地震で崩れてしまいました。賛美の中におられる主が、されようとしていることというのは、どのようなことか、私たちには分からないのですが、主が今回、再び、この新城教会から、ネパールの地へ、若者が遣わされて行くという中に、主の深い計画があると思いますので、是非覚えて、本当にお祈りいただきたいと思います。
 この場所が、がれきの山になって、人々が右往左往して、またそのがれきの中から、亡くなってしまった人たちを一生懸命救出するそんな映像がニュースで流れていたのですが、再びこの場所で私たちが何をできるか分からないですが、またネパールの地で何を主がさせようとしているのか分かりませんが、主の御心が現されるように、是非お祈りください。

 もう一つの映像をご覧いただきたいと思います。



 これが今ご覧いただいた、歌って踊った場所の今の姿です。ここがダルバール広場なのですが、この真ん中の道をみんな通って、この左手、みんないる所は、なんか物が売っていた場所でした。そこをずっと行くと、左手にクマリという神殿があって、そしてそこを右手に曲がった所のステージが、先ほど歌っていた場所なのです。そしてその周り、ピラミッドのようになっていますが、あの上に、大きな建物があったのですが、それが崩れ去ってしまったという、このような現状であります。

 四月二十五日に大きな地震があり、昨日の統計ですと、ネパールだけで八千四百八十五名の方々が亡くなられたそうです。あとインド、中国などの近隣諸国を合わせると死者数が八千六百人越えて、負傷者の合計は、二万一千人ということだそうです。
 その後、また五月十二日に、再び大きな地震が起こってしまったので、今、本当に、混乱していると、そんなメールをいただいています。特に私たちを受け取ってくださっている宣教師が、やっとこれでもう一度新たに進むぞ!という時に、また再びあったので、みんなの心が折れているというのです。「だからなんとかみなさん祈ってください。特に新城教会のみなさん、よろしくお願いします。」ということですので、是非覚えてお祈りしてあげていただきたいと思います。
 また、今回のツアーで行こうとしている、チトワンという所も、やはり、様々な被害が出ているそうです。家の倒壊だったり、亀裂だったり、こんな中で、チトワンのクリスチャンたちが、「私たちは何をしたらいいんですか?どうしたらいいんですか?」と、本当に困惑し、その迷いを隠せない状況だということですので、是非覚えてお祈りいただければと思います。

 マタイの福音書四章十八節~二十節、

『イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」彼らはすぐに網を捨てて従った。』

 ペテロたちがイエス様に選ばれて、そしてイエス様に声をかけられた時のことですけれども、彼らは普段は漁師をしていたのですが、でもイエス様ご自身が来て、「あなたは今までは魚を獲る漁師だったけれども、人を獲る漁師にしよう!」と言って、イエス様に選ばれたことが書かれています。
 イエス様が帰られようとされているこの時代、私たち一人一人は何をしたらいいのか。イエス様が「あなたがこれしなさい。これしなさい。」ということを、これからの時代、もっとはっきりと、鮮やかに現されてくるような時代になるんじゃないかなぁということを、そのようなことを本当に強く感じさせられています。イエス様は、それぞれの業に応じて報いるために、イエス様は来られようとされているので、私たちに、それぞれの業に応じた働きをすべき時が来ています。
 昨年から特に、私たち一人一人の存在の目的、「人とは何者でしょう。」「私って何のために生きているのか?」「何のために働いているのか?」それは、私たちに与えられている、この地を管理するためだという、そういった結論が与えられていますが、ガラテヤ書六章五節~八節、

『人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。みことばを教えられる人は、教える人とすべての良いものを分け合いなさい。思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。』

 私たちが本当に与えられた、何のために生きているのかというのは、この地を管理するために、主は私たちを選んでくださって、また私たち、この教会があるという、そのような中にありますが、肉のために蒔くのではなくて、御霊によって、御霊のために蒔く。そして御霊による良きものを刈り取るという、そのような時代が今来ているのかなと、そのようなことを強く感じます。
 すべての報いを携えて来られるイエス様ご自身をお迎えするために、さらに私たち一人一人、主をお迎えするための備えをさせていただきたいと本当に心から願っています。
 ペテロに向かってイエス様が「わたしはあなたを選んだよ。」と、そして、「今までは魚を獲っていたかもしれないけど、人間を獲る漁師になりなさい。」と、イエス様が選ばれたように、私たち一人一人、それぞれに対しての主からの声があるので、その御声にはっきりと聞いて、その人生を、主のためにお捧げしていきたいなと、本当に心から願っています。一言、お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ。愛するイエス様。あなたの素晴らしい御名をあがめて、心から感謝をします。あなたご自身の帰られる日が間近なこの時に、私たち、もう一度、本当に今、あなたの御前にこうしてあることを覚えて、心から感謝を致します。「見よ。わたしはすぐに来る。」そして、それぞれの報いを携えて来ようとされていることを心から感謝します。私たちは、あなたがいつ帰って来られても良いように、良き備えをすることができるように、私たち一人ひとりを備えてください。あなたの報いを受け取る者として、それにふさわしい歩みをすることができるように助けてくださいますように、お願いいたします。
 あなたの御手の中で、私たちはここまで生かされて来たことを心から感謝をします。どうぞあなたご自身のご栄光のために私たちの人生をお用いください。またこの教会を用いてください。今まで本当に多くのリバイバルに対する戦いが進められて来たことを心から感謝します。そのための捧げ物がなされ、また様々な多くの労力が愛する兄弟姉妹、一人一人を通して成されたことを、心から感謝します。そこで蒔かれた種、そこで放たれた火が、消えることなく今も日本に、そして全世界にあることを覚えて、心から感謝します。
 どうぞ主よ、この終わりの時代、私たちがあなたの成すべき業を成すことができるように助けてください。この教会が、またお一人お一人が、それぞれの家庭が、主よ、あなたご自身の御名の栄光のために歩むことができるように助けてください。今日のこの時を、心から感謝し、もう一度、あなたに心からの賛美と、あなたに栄光をお返しして、この祈りを父なる神様の御前にお捧げいたします。

アーメン。