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全家族そろって幸せになろう!

2015年6月14日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
使徒の働き 16章31節〜34節

『ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。』

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。聖歌隊の賛美、本当にすばらしかったですね。聖歌隊にはあまり拍手をしないのですが、感謝して拍手したいと思います。聖歌隊の賛美は、主に捧げるもので、拍手とは、性格がちょっと違うかもしれませんが、すばらしい賛美でした。心から感謝します。

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 今週は、沖縄リバイバルミッション本大会が開かれます。是非ともお祈りしていただきたいと思います。来週の日曜日には、この教会からも多くの方が沖縄に行かれるようです。そのために礼拝は少し寂しくなるかもしれません。その分、残っておられる方々は真剣に賛美して、沖縄のために祈っていただきたいと思います。来週の礼拝は、少し気合いを入れて集まっていただき、沖縄をサポートして下さい。日本のリバイバルのために、是非とも祈っていただきたいと思います。

 沖縄は、もう夏です。こちらは梅雨が始まり、今日はちょっと合間で良かったと思うのですが、沖縄は梅雨も終わり、夏になっています。かなり暑いみたいです。今日も私は沖縄ファッションでやって来ました。今日の午後は、沖縄リバイバルミッションのための、とりなし祈り会があります。祈り会に出ていただいた方には、沖縄名物サーターアンダギー、これは沖縄ドーナッツですが、サービスいたします。これを食べて、沖縄のために祈りましょう。

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 平岡先生、がんばっています。なかなかかっこいいですね。「沖縄七十」と題して、七十箇所以上で集会がなされています。今年は戦後七十年で、七十という数字を意識しながら、日本のリバイバルのために働いています。

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 沖縄は、中国文化とつながりが強いです。これは、守礼の門と言います.

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こちらは首里城です。すべて中国様式です。

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 これは北京にある天安門ですけれど、同じ建築様式です。日本は、中国の影響を大変強く受けた国です。沖縄はかつて、琉球王朝と言う独立国でした。中国と大変強いつながりがあったわけです。ですから、私たちは中国のためにも祈らなければいけないのですが、今日まで、雅也先生が中国に行っています。この教会で救われ、中国に帰られた張さんをご存じですか。彼が昨日結婚しました。結婚式の写真が送られて来ました。

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 中国の結婚式って、すごく盛大みたいです。

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 中国は、キリスト教が禁止なのですが、彼は牧師を呼んで、キリスト教式で結婚式をやったそうです。みんな戸惑っていたようです。雅也先生も代表で祝福を祈ったと言っていました。国際的な働きができて、心から感謝しています。
 いつか中国でも、リバイバルミッションができたらいいなぁと思います。公ではなかなか難しい状況です。しかし中国では、国民の一割くらい、一億人以上がクリスチャンだと言われます。人は少しくらい迫害がないと、真剣に主に仕えないのかもしれません。沖縄は、日本の中で最もつらい歴史を刻んだ場所です。そこから回復が起こってもらいたいと、心から願っています。

 七月はネパール宣教に行くのですが、ネパールは地震後の処理がうまく進まず、なかなか大変みたいです。私たちが行って、何ができるのか、今祈り求めています。是非とも、ともに祈っていただき、今日もネパールTシャツを販売していますから、来週は、全員ネパールTシャツで礼拝に集ってくれるくらいになると嬉しいなと思います。
 ネパールに備えて、私も体を鍛えなきゃいかんと思いまして、少し頑張っています。若者たちは毎週土曜日に、重い荷物を背負って鳳来寺山とか本宮山に登って鍛えています。差がどんどん開いていく感じです。ちょっと焦りを感じます。この頃毎朝、この近くをウォーキングをして、私なりの訓練をやっております。
 近くに茶臼山という、山とは言えないのですが、丘みたいな場所を上ったり下ったりして、訓練をしています。あの辺は、山が深い所なのですが、最近行ってみてびっくりしました。

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 新東名の工事が進んで、高速道路ができているのです。今年度中に完成するということですから、嬉しいです。

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 これはパーキングエリア。新城教会の真正面です。
 小さい頃に見た光景とは、全く変わっています。来年度から、ちょっと遠方からでも案外スムーズに教会に来られるのではないかと期待してます。なぜなら、このような新しい道路ができたからです。

 人間が自然にちょっと手を加えるだけで、このように全く新しい環境が生まれるということはどうでしょう。神様が私たちの人生にちょっと手を加えて下されば、人生が変わらないはずはありません。イエス様が私たちの人生に介入してくださるならば、山や谷やジャングルも切り開かれ、重要な場所に変えられるのではないでしょうか。

 今日、読んでいただきました聖書箇所には、全家族の救いというテーマが凝縮されています。今日のタイトルは「全家族そろって幸せになろう!」と、付けさせていただきましたけれど、使徒の働き十六章三十四節に、

『それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。』

と記されています。この言葉、すばらしい言葉です。全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。全家族が幸せになったということですね。「私はすでに家族を失ってしまった」という方も、おられるかもしれませんが、教会は、ビッグな家族です。教会全体が幸せになるように、願っています。やがて主が帰って来られる時、完全な幸せが訪れます。その日を常に抑えておかなければならないのですが、その過程で、その前味を、クリスチャン・ファミリーには見せてくださるはずです。

 使徒の働き十六章のストーリーは、ピリピという街にあった牢獄の看守の家族に起こったことです。パウロとシラスという二人の伝道者が、ピリピの牢獄に捕らえられていました。そこにはするどい目をした看守がいて、囚人達を見張っていたのです。囚人たちがちょっとでも変な動きをしたら、暴力をふるったりしていた事でしょう。
 しかしある夜、大地震が起こって、監獄が壊れて、囚人たちが逃げてしまったと看守は勘違いしました。なかなか責任感が強い看守で、自分の剣を抜いて自殺しようとしました。しかし、パウロが「自殺してはなりません!私たちはここにいます。」と叫び、囚人たちは逃げなかったのです。そんな所から、看守とその家族が、一晩のうちに、全家族主を信じ、救われました。
 本来なら、看守が自殺して、家族はどん底だった事でしょう。しかし、主を信じ救われたことによって、全家族がハッピーになったという、どんでん返しのストーリーです。
 教会に来られる時は、最悪の状況で来られる事が多いです。一つでも駒が狂ったら、不幸のどん底です。その寸前に教会に来るのです。しかし教会で、どんでん返しが起こり、全家族が幸せになることを、教えているのではないかと思います。

 以前にもお話ししたのですが、今から三十年くらい前の事でした。この教会に、一人の母親が泣きながらやってきました。その家族は本当に麗しい家族だったのですが、どういう突然変異なのかは知りませんが、息子がやんちゃで、新城市民で、その息子を知らない人はほとんどいませんでした。顔を知っているというよりも、彼が発する音を毎週土曜日に聞かされていたのです。彼は新城に拠点を置く、暴走族の親分で、毎週轟音を立てながら、この辺を走り回っていました。うるさくてしょうがなかったです。あっ!また来た!というような感じでした。
 なんと暴走族のボスのお母さんが、教会にやって来たのです。お母さんは涙ながらに、「なんとかならないでしょうか。」と言いました。「教会から誰かが来て、息子に話をしてくれませんか。誰が話をしても、息子は聞かないんです。」と言いました。私は、「誰が話しても聞かないならば、俺が話したって聞くわけがない。」と思いました。でも、お母さんの必死な願いを聞きながら、なんとかできたらいいなと思いました。
 それで私は、教会の若者たちや、スタッフたちに、「誰か、あの暴走族のボスの所に行って伝道する人はいないか?」と言ったら、みんな下を向きました。そして、「おまえは牧師だろ。おまえが行ったらいいじゃないか・・・。」というような電波が私の所に飛んで来るような感じでした。私はいつも講壇から、「イエス様を信じたらなんでも出来る!」なんて言っているもんだから、「なんだ、おまえは怖いのか」と言われるのも嫌だと思い、勇気を出して会いに行こうと決心しました。
 でも、暴走族の親分なんかと話す言語がないわけです。何語で話したらいいのか、タメ語で話したらいいのか、三河弁で話したらいいのか、敬語で話したらいいのか、話題はどうしようか、ちょっと悩みました。家の前に行って、深呼吸して、「おぉ、主よ!私の命を守ってください。」と祈って、ピンポーン!と、呼び鈴を押しました。すると、先日、教会に来られたお母さんが出てきて、「本当に来てくださったんですね!」と言いました。
 午前中のことでした。彼は明け方まで暴走していたのでしょうか。二階の自分の部屋で寝ているような感じでした。ちょっと覗いたら、部屋のガラスが割れていて、そこから煙がもくもく出ていました。彼は部屋でタバコを吸っている感じでした。そうしたら、お母さんが息子を大きな声で、「順さんが来たよ!」と叫びました。しかし彼は「じゅんさん」とは聞こえなかったみたいです。「じゅんさ」と聞こえたみたいです。「俺は巡査は嫌いだ!」と大きな怒鳴り声が天から響いて来ました。「あぁ、やだなぁ」と思いました。しかしきっと、彼は出て来ないだろうと思いました。
 すると、「なんか用か?」と、二階から大きな体をした息子が下りて来ました。何を話したらいいのかわかりませんでしたが、思いつくまま、いろいろ話しました。
 しかし彼と分かれる前に、彼が発した一言を今でも忘れることが出来ません。

 「俺には連れは多いけれど、友達はいない。」と言ったのです。彼には寂しさがあるんだな・・・と思いました。「俺には連れは多いけど、友達はいない。」
 私は、「ならば、僕が君の友達になろうか・・・。」なりたくなかったけど、一応言っておきました。彼は覚えているかどうか知りませんが。あまりお友達にはなりたくない少年でした。
 一応お役目は果たしたということで、教会に戻って「神様。守ってくださってありがとうございます!」と祈りました。

 でも、その時から、その少年のために、家族のために、教会は真剣にとりなして祈るようになりました。しかしあまり期待は持てませんでした。大体、暴走族のリーダーというのは、次の就職コースは決まっているからです。それは「組」だからです。「なんとか組」です。組がそういうリーダーたちを、連れに来るわけです。彼の所にも、すでにそのような魔の手が伸びている時でした。きっと組に入ってしまうんだろうなぁ、と思っていました。
 しかし、ある日、教会に緊急の祈りが要請されたのです。彼が大事故を起こしたというのです。体が車に挟まれて、骨が折れ、体を強く打って集中治療室入院し、「命が危ないかもしれない!」という緊急の祈りの要請でした。私はすぐに病院に飛んで行きました。病室に入ったら、彼は裸にされ、腹が膨らんで頭の先から足の先まで黄色くなっていました。私は、「これはきっと助からないだろうな・・・。」と思いました。ふっと、「もしかしたら、彼がいなくなったほうが周りは幸せなのかもしれない・・・」という思いも頭をかすめました。しかし腫れ上がったお腹に手を置いて、祈りました。「主よ。どうか命を助けてあげてください」と祈ました。家族はクリスチャンではなかったけれど、一緒にお祈りしました。
 なんと、瀕死の重傷を負っていた彼が助かったのです。一命を取り止めたのです。
 彼は両足を骨折していたので、好きなバイクに乗れなくなってしまったのです。さらに、腸が切れていたのにも関わらず、病院が発見しなかったので、激やせして百二十キロくらいあった体重が四十キロくらいにまでなりました。本当に細くなりました。ある時彼が病院でトイレに行ったら、長いものがおしりから出て来てびっくりしたそうです。それは切れた腸だったというわけです。緊急手術がなされ、彼はやっと回復していきました。
 そんなことがあり、彼は毎週教会に来るようになったのです。普通ではありえない試練もあったのですが、その事を通して、彼はイエス様を信じたのです。

 あれから三十年。現在、何が起こっているのかというと、彼を中心に、親子三代、全員がクリスチャンになりました。すばらしいですね。彼にお嫁さんが来るのかなと心配していたら、最高の嫁さんが来て、すばらしい子どもたちが与えられ、今や、親子三代で教会に来られています。三十年経って振り返ると、「本当に良かったな」と思います。
 時々、私たちはすぐに祈りを聞いてほしい!と願います。しかしクリスチャン生活って、長くなれば長くなるほど、振り返ると奇跡が見えるのです。短期間でやめた!と言わないほうがいいです。長くなればなるほど、「いろんな事があったけれど、全てうまく行ったなぁ」と気づくのです。
 さて、今話した人物が誰かというと、この人です。

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 分かりますか。この写真、当時のにおいが少しあります。今は誰かというと、現在、レストラン、「雲の柱」のシェフです。変われば変わるもんです。今や、朏家がなかったら、雲の柱もヘブンズ・カフェも、アークホームもできません。彼がなんと、救世主だったわけです。普通だったら、彼はいらない存在だったかもしれません。しかし結構、そういう人たちに、家族全員を救い出す鍵が隠されています。だから、ちょっとやんちゃな子や、問題児を拒否してはいけないのです。
 今や雲の柱はすごい人気です。しかし、雲の柱ほど、殿様商売しているレストランはないと思います。メニューはたったの四種類です。「パスタの種類は何がありますか?」「これだけですよ。」というのです。明太子、トマト、なんとかって。私が食べるのは大体トマトです。けれども、それがうまいのです!世界一です。昨日は百人近くのお客さんが来ました。それも十一時半から二時半までしかやっていないのです。なんで夜、やってくれないんですか。彼のスパゲッティを食べるために、みんな並んでます。彼が昔、何をやっていたのか、誰が知っているでしょう。今では、「朏シェフ」と経歴がメニューに書いてありますが、その上の経歴を知りません。
 しかしすごいです。家族全員が救われて、神の栄光が新城市にまき散らされています。福音の力だなぁと感動します。彼のやっていたことは、三十年経っていますから、もう時効だと思いますが、家族が救われると、未来に大きなことが起こります。
 近頃、新城教会の中に「家族の救い」というテーマで、主が奇跡を起こしてくださっています。
 先週私は、二つの家族の救いをみました。それも、良い事から始まったのではなく、結構大変な、どっちに転ぶかというような、死ぬか生きるかというような中で、救われ、家族が救いを見ています。
 「全家族揃って神を信じたことを喜んだ。」と言う中に、食事のもてなしが記されています。朏家は、それに、ぴったりです。すばらしい神の祝福が、全家族に及ぶのです。

 実は使徒の働きの十六章を見ますと、家族の救いというテーマが、二件記録されています。家に帰ってから、よく読んでいただきますと、家族の救いがどのような背景から生まれたか、分かると思います。
 これは、パウロがピリピに行った時に起こった出来事です。パウロは第二次の伝道旅行の時、ピリピに行きました。この町に行った時に、何があったのかが記されています。

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 使徒の働き十六章十一節〜十二節、

『そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。』

 今お見せしたような、地図と、聖書に記されている地名を照らし合わせながら読むと、よく理解できます。トロアスからネアポリスに直行したとあり、ここからピリピという町に出向いて行ったわけです。ピリピは、『マケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった』と、結構、この町のことが詳しく記されています。
 パウロとシラスは、町を福音によって攻略するために、手始めに何をしたのか、それが使徒の働き十六章十三節〜十五節に記されています。

『安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください」と言って頼み、強いてそうさせた。』

 この町に行った時に、パウロたちは祈り場に行きました。ユダヤ教徒たちは、当時、全地に散っていましたから、ユダヤ教徒たちも、川岸でシナゴーグのような形で祈っていたようです。
 しかし、川岸はそれだけでなく、どこの国でも、宗教的環境がうまれやすいのです。今度ネパールに行きますが、川の側に寺院があったり、火葬場があったりします。当時は、ギリシャ神話最盛期でしたから、ギリシャ神話の神々などを祀る神殿も、川の側にあったみたいです。パウロたちは、宗教的に熱心な人たちが集まるただ中に入って、福音を伝えたらしいです。
 そうしたら、そこにルデヤという女性がパウロが語る言葉に耳を傾け、「主が彼女の心を開かれた」と記されています。そしてルデヤと、その家族が救われたと記録されています。

 宣教は、なかなか難しいです。誰も救われていない地域に入って行って、伝道するのは、至難の業だと思います。私の両親は、今から六十年以上前、この地域に入って来て福音を伝えました。この地域には、クリスチャンはほとんどいませんでした。しかし、今があるのは、主が、ある人、ある家族を、特別に選んで下さったからです。主ご自身がある人の心を開き、福音を受け取らせる所から、宣教は始まるのではないかと思われます。

 新城教会の歴史の中でも、最初に救われた人たちがいます。父は当時、ここから一時間くらい山奥に入って行った清崎という場所で、日曜学校をやっていたらしいのです。津具に住んでいて、毎週、山から下りて来て、子どもたちを集めて日曜学校をやっていました。
 ある時、その近くを通った時、お腹の大きな女性を見かけたそうです。そうしたら主が、「あの人に伝道しなさい」と語られたというのです。
 次の週に行ったら、本当にその女性が「イエス様について聞きたい」と、向こうから近づいて来たというのです。それが見城さんという方でした。もう亡くなられましたが、最初にクリスチャンになったのです。
 見城さんには友達がいました。その友達は、どうして清崎にいたかというと、嫁姑の関係がうまくいかず、清崎の親戚に身を寄せていたのです。見城さんが福音を聞いて、この人に伝えたのです。
 「あなたも一緒に、明さんの話を聞いたら。」と勧めたのです。そして、その夫人もイエス様を信じました。それが誰かというと、岡本キヨさんです。そして今や、岡本家全員がクリスチャンになりました。
 キヨさんの親戚がどこだったかと言うと、この場所でした。それで新城教会はできたのです。あの時、父が清崎の駅前を自転車で通りかからなければ、今日、この場所に教会はないのです。岡本家が救われたことが、この地域の宣教のきっかけになったわけです。なぜなら、岡本キヨさんの親戚が、この辺の土地を持っていて紹介され、ここに入って来たからです。いや〜、不思議です。

 家族が救われるのは、主が家族を選んで、心を開くことから始まります。ここにおられる全員、それぞれの地域の代表者として、主が選んでおられるのです。主の選びの中、みなさんはここに来られています。三十年、四十年、六十年、七十年経って振り返ると、「すごい事が起きたな〜」と必ず、気づきます。
 私の父が岡本キヨさんに出会った時、六十年後の事なんて、全然予測できなかったと思います。しかし神様の計画書には、六十年後、大勢の人々が新城教会に集まり、新城だけではなく、沖縄まで、全世界に出て行って福音を伝える教会にしよう!と計画しておられたはずです。
 案外、私たちは近視眼的にしか、物事を見ることが出来ません。ちょっと困難があったらあきらめるのです。それではいけないのです。神は、歴史を支配しておられ、私たちの考えでは計り知れないのです。未来に、神が持っておられる計画は、予測できない大きなものです。

 ピリピにおいてルデヤ一家がクリスチャンになった事により、パウロたちはこの家を拠点として伝道できるようになりました。しかし伝道を始めたら、すぐに妨害が入りました。どういう妨害かというと、十六章十六節から記されています。

『私たちが祈り場に行く途中、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させている者であった。彼女はパウロと私たちのあとについて来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです」と叫び続けた。幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け」と言った。すると即座に、霊は出て行った。』

 占いの霊に支配された女性が付きまとい、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです」と叫んだというのです。女奴隷が叫んだ内容は、本当のことです。悪霊はちゃんと、その人たちの素性を知っていたわけです。しかし、毎日のようにつきまとい、こんな事を叫んだために、パウロは、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け。」と、悪霊に命じました。すると即座に悪霊は出て行ったのです。すごい権威ですね。

 悪霊を追い出すのに、油をまいたって駄目です。霊的な存在が物質で出て行くはずがないのです。そのような行為は、オカルトになります。にんにくとか、十字架で悪霊を退散させる映画がありますが、油まきもそれと同じです。そんな事で悪霊が出て行くはずがありません。逆に入ってきます。悪霊が出て行くのは、唯一、イエス・キリストの御名による、権威です。

 しかしピリピでは、悪霊が出て行ったのにも関わらず、良い事は起こりませんでした。パウロとシラスは捕まえられ、訴えられ、牢屋にぶち込まれたからです。こんな所を見ると、「霊的戦いなんかしないほうがいい。後から問題が起きる。」と言う人も結構多いのです。
 けれども、家族の救いのためには、霊的な力を打ち破る必要があるのです。
 「占いの霊」と述べられている言葉は、新約聖書はギリシャ語で書かれているのですが、ギリシャ語では「プニュウマ・ピュトン」という言葉が使われています。「プニュウマ」とは、「霊」という意味です。「ピュトン」とは何でしょう。そのまま訳したら、「ピュトンの霊」となります。「ピュトン」とは、ギリシャ神話に出てくる神々の一つです。日本にも日本神話がありますが、イエス様の時代は、ローマ帝国の時代です。ローマ神話は、ギリシャ神話を置き換えた神話でした。ゆえに当時の世界は、ギリシャ神話の神々を背景として、成り立っていた世界だったわけです。どこに行ってもギリシャ神話の神々が祀られていていました。ピュトンの霊とは、日本神話に置き換えたら、アマテラスの霊だとか、スサノオの霊と同じ呼び方です。

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 右側に、蛇に矢が刺さっていますが、これがピュトンです。ギリシャ神話に詳しい人は、ピュトンがアポロンに退治されたという神話を知っているかもしれません。日本神話にも、八岐大蛇退治のような、似たような話があります。世界の神話は、だいたいギリシャ神話をモチーフとして、自分たちに都合良く創作されているので、似ています。この蛇がピュトンですが、「ピュトンの霊」と呼ばれていました。当時、ピュトンの霊は、占いに使われていました。
 ということは、占いは、背後に悪霊がいるということです。その悪霊がどこから来たかと言えば、この場合、ギリシャ神話を背景に来ていた事になります。ギリシャ神話という、偽りの神々の神話を背景に、悪霊どもが働いていたということです。
 日本も同様で、日本神話は、ただの神話だと、考えますが、神話の存在を使って占いをするなら、ピュトンの霊と同じ事です。ということは、神話は、悪しき力が働く台座となるのです。
 占いの霊が追い出されたとは、ピュトンが打ち破られたことを現しています。しかし、ピュトンには、アポロンという上位の存在がいます。ピュトンはアポロンにやっつけられた、いわばアポロンの子分です。ということは、もっと強い霊がこの町にはいるわけです。ピュトンを追い出しても、勝利が来なかったのは、当然なことです。神話の神々の組織を使って、悪霊どもが組織的に働いていたのです。占いの霊はやっつけられたかもしれないけれど、上位の悪霊が存在していたのです。ピュトンの霊を追い出したのは、ヤクザの息子をたたいて泣かしたようなものです。息子を泣かしたら、親分が出て来るようなもので、戦いが下位のランクから始まった為に、問題が発生したと考えられます。そのために、パウロとシラスは牢屋に入れられてしまったかもしれないです。
 しかしその中でも、主は、すばらしいことをなされました。

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 パウロとシラスは捕まえられて、牢屋の中につながれました。聖書には「足かせをつけられていた。」とありますが、この絵は手かせもついています。
 普通、明日は殺されるかもしれないという逆境に陥ったら、相当、不信仰になると思います。パウロとシラスも人間ですから、「なんてこった!神様は何を考えているんだ!ピュトンの霊が出て行ったのにも関わらず、なんで捕まらないといけないんだ!明日は殺されるかもしれない!」と、がっかりするところだったかもしれません。
 しかし、この二人のすごさは、逆境のただ中で、賛美し、祈った事です。

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 どうでしょうか。問題が起こったら、賛美して祈ることは、なかなかできないですよね。問題が起こると、心配で夜眠ることができない事があります。床の上に座って、出るのは、「はぁ〜」と、ため息ばかり。頭をよぎるのは悪い事ばかりです。それは普通の反応です。
 しかし、パウロとシラスがすごいのは、このような逆境の中でも、主を賛美したからです。

 看守が救われた背景に、看守は地震が起こる前から、彼らを見ていたからだと思います。「変なやつらだな・・・。最悪な場所に来たはずなのに、なんで歌ったり、祈ったりしているんだ。不思議な連中だな・・・。」と、すでに看守はそのように感じていたはずです。
 その後、地震が起こって、牢屋が壊れた時、「先生方、どうしたらいいんでしょうか」と駆け寄ってきた背景に、看守は牢屋の中に入っていた二人の姿を、以前から見ていたからだと思われます。

 私たちも、家族の救いのためには、どんな環境であろうとも、主を賛美し、祈ることが重要ではないでしょうか。家族に主を力強く証しすることです。今朝、ある方は教会に来る時、多少、抵抗があったかもしれません。「なんで日曜日に教会なんかに行くんだ。午前中くらい寝てたらいいじゃないか。」とか、「どっか遊びに行こう!」という誘惑を押しのけて、教会に来られた方もおられるかと思います。
 しかし家族は見ているのです。何かあった時に、「どうしたらいいですか?」と問いかけて来ると思います。たとえ牢獄のような環境にいたとしても、がっかりするのではなく、主を賛美して祈ることが、私たちの力です。家族の救いも、そこから始まります。

 以前にもお話ししたことがありますが、パウロとシラスが、牢獄の床の上で賛美したのは、彼らが知っていたか知らないかはともかくとして、旧約聖書、詩篇で約束されていたスイッチがオンにされたからです。詩篇一四九篇を見ますと、こんな言葉があります。この言葉、何度も引用したことがありますが、ご一緒に読んでみましょう。詩篇一四九篇一節〜九節、

『ハレルヤ。主に新しい歌を歌え。聖徒の集まりで主への賛美を。イスラエルは、おのれの造り主にあって喜べ。シオンの子らは、おのれの王にあって楽しめ。踊りをもって、御名を賛美せよ。タンバリンと立琴をかなでて、主にほめ歌を歌え。主は、ご自分の民を愛し、救いをもって貧しい者を飾られる。聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。おのれの床の上で、高らかに歌え。彼らの口には、神への称賛、彼らの手には、もろ刃の剣があるように。それは国々に復讐し、国民を懲らすため、また、鎖で彼らの王たちを、鉄のかせで彼らの貴族たちを縛るため。また書きしるされたさばきを彼らの間で行うため。それは、すべての聖徒の誉れである。ハレルヤ。』

 ここに「神への称賛」という言葉が出て来るのですが、この「称賛」、または「賛美」とも訳すことができるのですが、聖書中、たった一回しか使われていない言葉だと言われます。それは「最高の賛美」を意味すると言われます。
 最高の賛美はどこで生まれるのでしょうか。今回の「ざわめきの十二」は最高の賛美です。世界で最高の人たちが演奏してくれています。そんなバンドと共に賛美ができるのは、最高の賛美です。今日の賛美も大変恵まれました。
 しかし、最高の賛美は、どこで生まれるのかというと、「床の上で生まれる」というのです。一四九篇四節に、

『主は、ご自分の民を愛し、救いをもって貧しい者を飾られる。聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。おのれの床の上で、高らかに歌え。』

 「貧しい者を飾られる。」とは何でしょうか。決してハッピーな人ではなく、苦しい環境にある聖徒たちを意味します。ある時には病で、床に伏して、苦しみを受けている主を信じる者たちに、主は目を留めておられるのです。
 主を信じていても、時には苦しむことがあるかもしれません。家庭の中に問題があって、様々な苦しみの中に身を置かなければならない時もあるかもしれない。しかし、主はそのような貧しい者たちを、賛美によって飾ってくださると約束しています。
 床の上で、賛美なんかできる状態じゃない、悲しみに打ちひしがれているような、頭をよぎることは悪いことばかり。しかし、そのような環境の中で、負けては駄目なのです。そんな中、床の上で主を高らかに賛美し始めると、何かが起こるのす。神への称賛、すなわち、最高の賛美が生まれるのです。
 最低最悪の環境で、主を賛美する時、最高の賛美が生まれ、その賛美は、諸刃の剣となるというのです。諸刃の剣とは何でしょうか?両側に刃がついている剣です。両側で切ることができるのです。一方の剣は、神への称賛という刃です。神を誉め称える剣であると思われます。
 しかし、もう一方は何でしょうか。ここに述べられているように、『鎖で彼らの王たちを、鉄のかせで彼らの貴族たちを縛るため』とあります。貴族とか王とは、国のハイランキングな人たちです。ボスたちです。それが賛美の中で縛られるというのです。

 パウロとシラスは、牢獄で鎖にしばられていたのです。しかしそんな最悪な環境の中で主を賛美した時に、逆に、その鎖が外れて、その鎖は町の霊的なボスたちを縛ったに違いないのです。
 さきほど、ピュトンとアポロンについて話しましたが、ボスのアポロンは、音楽神なのです。アポロンのカーステレオとか、アポロンは音楽関係で使われている事からもわかります。悪しき音楽によって、ピリピの町は縛られていたと思われます。
 しかし彼らが賛美したことによって、鎖が外れた!獄舎が壊れた!とは、預言的、象徴的なことであったと思われます。逆に、悪しき力が縛り上げられ、町の覆い、町の霊的鉄格子が崩れた。その結果、囚人達を監視していた看守と家族がクリスチャンになったのは、町全体の霊的戦いの勝利の、象徴的な姿に他ならないのです。
 パウロとシラスは、牢獄から出たらすぐに、看守と家族に、主の言葉を語りました。それは個人伝道です。個人的に福音を語った時に、家族全員がバプテスマを受け、「全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。」という所につながるわけです。

 ここに、家族の救いの秘訣が記されています。まずは、主が、町に働いて、誰かの心を開いてくださると同時に、霊的な戦いと賛美、そして、個人的に福音を語るという条件を学ぶことが出来ます。
 現在、様々な環境に置かれているかもしれませんが、そんなただ中、床の上で賛美してください。かつてこの教会で「床の上賛美大会」を行いました。朝起きた時に響いて来る賛美をメモっておいて、集計して賛美大会をしたのですが、なかなか恵まれました。朝起きた時に頭の中をかすめ響いている賛美、それは一日の勝利のために重要な賛美だと語ったことがあります。最高の賛美を主に捧げていきたいと願っています。

 二組の家族がピリピで救われたことによって、後に、ピリピの町に教会ができています。ピリピ人への手紙は、パウロがローマから、ピリピの教会に宛てた手紙です。パウロがピリピ人への手紙で強調しているのが、「喜び」です。「喜びなさい。喜びなさい。喜びなさい。」と告げています。
 ピリピ人への手紙四章四節、

『いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。』

 ピリピ教会の人たちは、センシティブな人たちで、後にパウロがローマで捕まえられたことを聞いて、一生懸命に助けています。「パウロ先生、大丈夫かな・・・。」と心配性の人たちが、ピリピの教会には多かったのかもしれないです。
 しかし、パウロはピリピで、牢獄から助け出された時に、最高の不安の中、喜んで賛美した時、助けられたことを経験していましたから、その町の教会に、「喜びなさい。喜びなさい。困難があったって、喜びなさい。賛美しなさい。」と伝えたのではないかと思われます。

 今週は、心配は横において、主を心から賛美する一週間にしたいと思います。その時、主が、偉大な勝利を与えてくださると信じます。この御言葉を実践する一週間にしていきたいと願っています。
 最後に一言、お祈りして、聖餐式に移っていきたいと思います。


 ハレルヤ。天の父なる神様、感謝いたします。あなたは新城教会に、すばらしい奇跡をいくつも起こしてくださいました。ハレルヤ、感謝します。六十年くらいが経って振り返る時、主が、聖書の中に記されている通りのことを、起こしてくださっていることを、ありがとうございます。
 これからも主よ、家族全員が救われ、家族揃って幸せになるために、教会を動かしてください。今日、ここにおられるお一人、一人、パウロとシラスのように遣わされた者として、喜んで主を賛美する者とさせてください。
 今週は沖縄リバイバルミッションがあります。私たちの戦い、これからも続いていきますが、あなたが勝利を与えてください。心配ではなく、賛美が沸き上がっていきますように。
 今日はイエス様の十字架の勝利を記念して、聖餐を行います。あなたに心から賛美を捧げて、聖餐式を行います。喜びで満たしてください。イエス・キリストの御名によって、祈りをお捧げいたします。アーメン。