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世代を超えて、神のプロジェクトに参加しよう!

2015年8月9日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
ヨシュア記1章1節〜5節

『さて、主のしもべモーセが死んで後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。あなたがたの領土は、この荒野とあのレバノンから、大河ユーフラテス、ヘテ人の全土および日の入るほうの大海に至るまでである。あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。』

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。「ジュン・ブラウンです」と言いたくなるくらい、ロンさんに似てきました。みなさんのお祈りに支えられ、無事に戻ることができましたことを感謝します。
 メッセージが始まる前に、心からのお礼と感謝を申し上げたいと思います。私の父、明を愛してくださり、祈ってくださり、支えてくださり、大変な局面を支えてくださったことを本当に、感謝しています。また、先週の凱旋式にも参加してくださり、お花料をいただいたり、愛を注いでいただき、彼は世界で一番幸せな男ではなかったかと思います。私たちは一つの家族として、共に痛み、苦しみを分け合い、喜びをも共有できる特権を、主に感謝したいと思います。

 今回、新城教会から私を含めて二十五名、ハワイから冬木先生が加わり、二十六名のチームで、ネパール宣教旅行に出かけました。七月三十日から八月八日まで、実に、九日間という長丁場でした。出かける前、父の容体は、結構、安定していました。ある方から連絡をいただき、「明先生、結構安定しているね。あれなら大丈夫ですね。」と言われ、安心して出かけて行きました。でも、万が一の場合に備えて、いろいろと事前に話し合いをしてから出かけて行きました。
 名古屋からバンコクに着いて、バンコクで乗り継いでカトマンズに向かうゲートに着いたら、LINEが入りました。見ると、父の血圧が下がり、あまり持たないかもしれないという知らせでした。どうしようかなと思いました。「ここからなら、日本に戻ることができるよ」と言われました。しかしそのとき、父の言葉を思い出しました。「約束は、絶対に破るな!」という言葉でした。「奉仕を約束したら、必ず、時間までに、遅れずに行け!」と、いつも言っていました。それで、バンコクから日本に帰国するような無責任なことはできないと思い、カトマンズに向かいました。
 カトマンズに着いたら、きっと「亡くなった」という知らせが入っているだろうなと思いました。どきどきしながら、Wi-Fiのスイッチを入れました。カトマンズ空港はWi-Fiが通じるのですが、郊外に出たり、山中に入ると、全く携帯電話も通じないような場所が多いのです。スイッチを入れたら、まだ父に命がありました。それで早速、父の病室にいる人に電話をしました。
 今は本当に便利です。FacetimeというのがiPhoneにはありまして、テレビ電話が手軽につながるわけです。早速、カトマンズから父の病室につながりました。その時は、少し話が出来ました。それで父と話をしました。「今、ネパールに着いたよ!」と言いました。彼はすでに宣教旅行について知っていました。それで、「もしも、親父さんに万が一のことがあった場合、どうしたらいいかな?」と聞きました。そうしたら彼は、「そのまま宣教を続けなさい」と言いました。そして、彼は、私たちに向かって、お別れの手を振りました。自分でも、もう終わりだろうという気持ちがあったのでしょう。「ネパールでがんばって、働いてくれ」という感じでした。父は右手を振りました。これが地上においての別れだなと思いました。ですから私は、「天国に行ったら、ネパールの働きの様子も見えるはずだから、祈って支えてね。」と言いました。彼は頷いていました。

 私はそれを一つの区切りとしました。その後、カトマンズから七時間くらい悪路を走り、夜中にチトワンという山の町に着きました。翌日はそこで集会をし、その翌日は、7時間の登山が待っていました。本当に大きな仕事が待っていました。私は、ネパールに来たからには、多少の困難があっても、絶対にがんばるぞ!と覚悟を決めてきました。私たちクリスチャンは、死んだ者の神ではなく、生きておられる神に仕えている者たちですから、そのような覚悟を決めていきました。
 7時間前の父の様子から、チトワンに着いた頃には、きっと、「父が亡くなりました。」という知らせが届いていると信じていました。七時間の悪路の長旅で、体は疲れ切って、心には複雑な思いが交錯していました。今の季節、ネパールは雨季で、途中も大雨で、道がひどく荒れていて、大変な旅でした。

 夜中の一時くらいでしょうか。やっとホテルに着きました。Wi-Fiのスイッチを入れても、そこには全く電波がありませんでした。これは困ったなと思いました。こちらに来る前に、父の様子が安定していなかったら、衛星電話を借りようと思っていたのですが、通話料が高いのでやめました。やっぱり衛星電話を借りてくるべきだったと思いました。ホテルにチェックインしました。ホテルといっても、山のホテルです。各部屋は分散していて、歩きながら、途中、壁を見たら、一カ所だけWi-Fiがついていました。そしてその壁に、パスワードがメモってあったのです。早速、そのWi-Fiの電波を拾い、パスワードを入力すると、ネットにつながりました。
 しかも、つながった途端、息子から、Facetimeが着信したのです。それは、父が天に帰る15分前の出来事でした。ネパールと日本の間には、三時間十五分の時差があります。父が天に帰ったのが、日本時間で早朝四時四十分でした。その十五分前くらいにFacetimeが通じたのです。なんと私たちは、ネパールのチトワンという山の中から、父の最期を看取ることが出来たのです。病室にいる人たちと一緒に賛美したり、祈って、父の最期を見届けることができました。その時の写真です。

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 「あんたそんな時に、よく写真を撮る余裕があったね。」と家内に言われましたが、彼らの顔を見てください。「これ以上深刻な顔はない。」という顔をしています。病室では、孫たちが、「おじいちゃん!おじいちゃん!おじいちゃん!がんばって!」と叫んでいました。そうしたら、「ちょっと静かにしてくれんか。」と父に言われたそうですが、孫たちは「みんなで賛美しよう!あっ!脈が上がった!」とか言って、すごかったです。しかしやがて、脈拍と血圧がゼロとなり、ピーッという警報音が病室に、そして、ネパールにまで響きました。本当に安らかな最期でした。
 一つの時代が終わったなという、感じがしました。

 父の最期がもうちょっと延びたら、私たちは山に登っていました。二日間、全く音信不通の場所に行っていました。しかし、その直前です。ホテルの壁に、Wi-Fiパスワードが書いてあったゆえに、父の最期の十五分前につながったのです。それを見ただけで、「主は生きておられる!」と思いました。私が新城にいたら、危ない!と言われても、浜松まで行くのに一時間くらいかかりますから、たぶん最期には会えなかったと思います。
 昨日もある老人医療を専門にしているお医者さんと話をしたら、「私は十年くらい、老人の方々の最期を看取っているけれど、最期に間に合った家族は五人もいないですよ。」と言われました。本当に主が、父の死のタイミングを計っておられたと感謝しました。
 父の死後、すぐに、様々な準備が始まったわけですが、その時に私の頭に三つの漢字が、考えてもいないのに突然、入って来ました。それがどういう漢字であったかというと、「凱・旋・式」という三つの漢字でした。私はすぐに、そのことを平岡先生に伝えました。そうしたら、「僕も大賛成だよ!凱旋式は!」と、言ってくれました。それで、召天式ではなく、凱旋式とさせていただきました。凱旋とは、「勝利の歌と共に故郷に帰る」ことを意味します。本当に多くのみなさんが凱旋式には来てくださったそうです。心から感謝します。八月十四日、もう一度凱旋式が開かれます。感謝に堪えません。主がすべてを支配しておられることを感じました。

 私は父が亡くなったので、その夜は一睡もできなかった!ということは、全くありませんでした。亡くなったのを見届けて、部屋に戻り、爆睡して、自分がどこで寝ているのかすら分からないくらいよく眠りました。
 父が凱旋した翌朝、ネパールでメモリアル集会を開きました。一人の人物が新城に伝道に来たことによって救われた者たち、また、彼がいなかったら生まれなかったクリスチャンホームの子どもたちも、結構、多かったです。

 ネパールに行きましたら、私たちを受け入れてくださったパク宣教師とチームの方々が、到着した途端に、「順先生!明先生はどうですか?」と聞かれ、「こちらでも祈祷会をしてみんなで祈ってるんですよ!」と言ってくれました。
 父が亡くなった事をチトワンで伝えると、たいへん悲しんでおられました。すぐに、「順先生!今から飛行機のチケットを手配しますから、日本に帰ってください!」と言われました。しかし私は言いました。「いや、もう父と話しました。こちらに残って宣教を続けなさいと、父は言いました。彼は一生涯、伝道のために働いた男ですから、そのように遺言を残したのです。ここにとどまって、働き続けます!」と言ったら、パク宣教師は感動して、涙をぼろぼろ流して、私を強く抱きしめてくれました。
 私は別に、それは特殊なことではないと思いました。神様のことを現地の方々に伝えるほうが、ずっと、天に帰った父は喜んでくれるだろうと確信したからです。父が、天から私たちを応援しているような気がしました。天に新しいとりなし手が一人加わった気がして、むしろ、安心感が増えたような気がします。

 メモリアル集会の時に、若者たちに何を語ろうか、どんなメッセージを語ろうかと思い、祈っていて、与えられたみ言葉が、今日、みなさまにお分かちした箇所です。ここに次のように記されています。ヨシュア記一章一節〜五節、

『さて、主のしもべモーセが死んで後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。あなたがたの領土は、この荒野とあのレバノンから、大河ユーフラテス、ヘテ人の全土および日の入るほうの大海に至るまでである。あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。』

 このみ言葉が、私の心に響いて来ました。父を聖書のストーリーに重ねるなら、モーセのような役割だったかもしれません。もちろんモーセとは比較することはできませんが、初代という意味においては、モーセのような役割であったのかもしれません。人々を引き連れて、カナンの地を目指す。彼にとってのカナンの地とは、日本のリバイバルでした。主からリバイバルの種を受け取って、人々をリバイバルに向けて先導する役割だったように思います。私たちもその種で成長させられ、この教会も、今まで支えられて来たと思います。
 今回、ネパールに行った者たちは、ほとんどが少年、少女、青年たちでした。最少年齢は十三歳。最高齢が私で六十四歳でした。歳の差、なんと五十一歳という、おそろしい格差でした。平均年齢は、私を除けば、十代というような、開先生も除いたほうがいいですね、そういう感じでした。本当に若い世代だったのです。彼らは、ある意味、ヨシュアの世代ではないかと思いました。神様は、世代を超えて、神の民を、ご自分のプロジェクトに参加させるお方です。世代を超え、働きを遂行させ、最終的に結論にいたらせるために、私たちを動員しておられます。
 ある意味、新城教会、リバイバルミッションの象徴的存在であった滝元明が天に帰ったのは、モーセの時代が終わり、ヨシュアの時代に入ったサインのように感じました。主からそんな語りかけを受けたような気がしました。
 だから私は、そのことを皆にお伝えして、これから主によって蒔かれたリバイバルの種を、新しい世代が受け取って、次の世代も、また、その次の世代も、神様のプロジェクトの一員として、ゴールに向かって歩んで行こう!と話しました。すると、みんな涙を流しながら、ネパールで、そのことを真剣に祈っていました。その体験は、若者たちにとっても、私にとっても、大変貴重な体験となりました。メモリアル集会の様子です。

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 また一人一人が父との思い出を語って、本当にすばらしい一時を持たせていただきました。

 昨夜、凱旋式の模様のビデオ編集が大体できたので見てくださいというメールが来ました。三時間時差の為に、ちょっと眠れなくて、凱旋式のビデオを見させていただきました。本当に多くの方が来てくださり、父の死を悼んでくださっていて感動しました。
 そんな中で、平岡先生が、ヨシュア記と同じテーマで、モーセについて語っていました。「モーセは主の命令によって死んだ。」と語っておられました。神様は同じテーマの中で、み言葉を与えてくださったことを覚え、心から主をあがめました。

 その後の宣教活動は、本当に祝福されました。今回は九日間という長い期間でした。また、真夏でもあり、肉体的には過酷な旅でした。ご存じのようにネパールは地震の後で、至る所、地震の爪痕が残っていました。

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 今回、登った山には、山岳民族の方々が住んでいます。

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 草むらをかき分けて入っていかなくてはいけない場所もありました。所々、地震とその後の大雨で、山が崩れていて道を塞いでいる箇所も結構ありました。

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 山坂を越えて、トータルすれば、途中で集会もやりましたから、山頂まで七時間くらいかかったでしょうか。

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 この町は、町全体が壊れてしまったカトマンズ郊外の町です。崩れていないように見える建物も、クラックが入っていて使えるような建物はありません。町全体が壊れたのです。

 今日午後から報告会がありますから、是非ともお越し下さい。

 今回、新城教会のチームが一丸となって、ネパール宣教のために働くことができたことは、本当にすごかったなと思いました。

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 若者たちの賛美も、踊りも、良かったです。

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 これはチトワンでの集会です。

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 大勢の方が来てくださいました。私も、四、五箇所でメッセージを語らせていただきました。山の上では、村の一大イベントになりました。

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 今回、新城から「メディカルチーム」を連れて行きました。山の上でメディカル・キャンプをやりました。岩井勝医師が「勝クリニック」を山上に開設しました。すごかったです。

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 山の上の民族は医者と出会うのが初めて!という人ばかりです。しかし、メディカル・チームは本当にうまくやりました。最後には「薬がない!」と言っていました。今までにない働きができました。

 今回、この働きの中で、向こうで一番ウケが良かったのが、ヒーロー・ショーでした。実は、インドやネパールの映画は、ほとんどがヒーローが悪者をやっつける!というストーリーの映画ばかりです。どの映画も同じストーリーです。ヒーローが流行っているのです。それでヒーロー・ショーをやったら、ウケにウケました。また来てくれ!ネパール中でやってくれ、と頼まれました。今から少し、短いビデオクリップをお見せしたいと思います。まずは、メディカルチームのクリニック、私が撮ったビデオなのであまり良くありません。午後からはちゃんとしたのを見せます。チトワンの山の上、ハトの村で撮ったビデオ・レポートです。



 診察が終わったら、一人一人祈ってあげて、薬をあげて帰るという流れでした。薬の飲み方が分かるのか心配でした。でも、本当に良かったです。
 そしてもう一つは、伝道集会です。細かい打ち合わせなしでやったのですが、聖霊様の導きと流れがありました。一口に言って、「ヒーロー!」というテーマがありました。これがヒーロー・ショーの模様です。



 「誰でもイエス様を信じたらヒーローになれる!」と話しました。みんなイエス様を信じたい!と言いました。
 山の人たちは、悪魔を恐れています。人々には悪魔とか悪霊という概念があるのです。森に入る時も、捧げ物をしてから入って行かないと、罰が当たると考えています。なぜ、彼らは山に住んでいるのかというと、山から下りると死ぬと、霊能者から言われているからです。病院のない山の人たちの為に、これからどうしたらいいかなと考えたのですが、解決は、全員、山から下りることです。山を下りたら、ある程度、インフラは整っています。山さえ降りたら、病院にも行けるのです。でも下りないのです。なぜなら、「山を下りたら森の精霊に苦しめられる!」と恐れているからです。
 でも、私は話しました。「イエス様を信じたら、悪魔・悪霊どもを足の下に踏むことができるんだ!自由に山にも入ることもできるぞ!山を下りることもできるぞ!ヒーローになれる!ヒーローとはお金もちじゃない!地位、名誉じゃない!イエス様を信じて、悪魔・悪霊どもを打ち破る人がヒーローだ!」と話しました。みんなイエス様を心に受け入れる祈りをして帰って行きました。
 天に帰った父も、きっと喜んでいただろうなと思いました。これも、皆様方がこちらで一生懸命祈ってくださったことによって、できたことを心から感謝しています。

 午後からは、ネパールに行ったメンバーたちが、いろいろと証しをしてくれます。いろいろな感じ方があると思います。今回、全員がそれぞれの役割を果たしました。それで一つのものができあがった感じです。一人じゃ何もできないですが、みなが一つとなって、神様のプロジェクトに入ると、すごいことができるのです。
 今回、韓国の先生方が母体となって、私たちを受け入れてくださいました。若い宣教師夫妻が、七年間、地震が起こっても帰らず、ずっと仕えているのです。その方々は「韓国リバイバルミッション」で、私の集会に出て、すごく感動したらしいのです。それで、「是非ともネパールに来てください!」と言われ、行くようになったのです。私は今回は三回目ですが、新城教会チームとしては二回目です。地道な働きの積み重ねの中で、このような働きができました。韓国の先生方は、すごいなと思いました。

 今回、最も大きな被害を受け、全滅した町に行きましたが、その町で伝道している、もう一人の韓国人宣教師に出会いました。

 「何年ここで伝道しているんですか?」と聞いたら、「十八年ここにいる。」と言うのです。教会も地震で壊れ、ただビニールシートを屋根にして、集会をやっているのです。十八年間、この劣悪な環境でやっているのか…。すごく貧しい地域でした。そこは環境が悪いので、知らないバイ菌、ウイルスがいっぱいたみたいで、メンバーのほとんどが、発熱、頭痛、腹痛という症状になってしまいました。なんと二十六人中、生き残ったのは、インパール作戦ではないですが、たった三人でした。その中の一人が滝元順!でした。やっぱり私は、若者とは経験が違いますから、対応できたと思います。
 今回、私はめちゃ元気でした。山を登るのも、あまりトレーニングをしませんでしたが、問題なくバンバン登り、途中で集会もやりました。「俺、まだまだ行けちゃうじゃん!」と思いました。山で私は誕生日を迎えました。八月五日で六十四歳を迎えました。韓国で言ったら六十五歳です。「俺、結構強いな」と思いましたが、高ぶらないように悔い改めました。でも感謝しました。
 若者が倒れていく姿を見て、ちょっと嬉しかったりして、「おぉ!勝った!おぉ!吐いた!俺は大丈夫だ、やったぜ!」というような感じもありました。しかし明日は我が身というところも互いにあり、緊張感がありました。
 冬木先生からメールが来ました。「ハワイに帰る飛行機の中で大変だった」というメールでした。みんな、本当に苦労してがんばりました。しかし下痢をしたり、病気になったのは財産です。今まで、体になじみのないばい菌やウイルスのデータベースが、アップデートされ、情報量が増えたからです。これは財産だから、耐えなきゃいけない!と、みんなに話しました。やはり世界宣教は、そういう厳しさもあるわけです。

 ヨシュア記を見ますと、モーセからヨシュアにバトンタッチされたことが記されています。そこには、一つの目的がありました。それはエジプトから人々を引き出し、カナンの地に入れるという、大きな目的がありました。この目的を実現するために、神は最初、モーセを選び、モーセの役割が終わった時、そのバトンをヨシュアに手渡して、新しい世代によってカナンの地を攻略させました。
 その後、こんなふうに記されています。ヨシュア記一章六節〜九節、

『強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行え。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」』

 これはモーセに語り、命じられた事柄を、そっくりと新しい世代に申し送りした場面です。この教会は滝元明という人物によって始められました。しかし、彼が始めたのではないのです。主が彼を使い、一つの目的を持って、働きを始められたのです。一人の人物が死んでしまったら、働きは終わるのじゃない!と言われています。次の世代がバトンタッチして、受け取っていかなければならない。それは個人の意志ではありません。神様の意志を継いで行かなければならないのです。

 新城に帰ってたら、父の遺書がありました。どんなことが書いてあるのかな・・。苦しみの中で書いたみたいでした。
 そこには、「さて、経済のことだが、私には何もない。」とありました。なんだ!という感じでしたが、「私は信仰によって今までやって来た。経済的に残せるものは何もない。」とありました。隠された財宝なんか出て来ると嬉しいな、と期待していましたが、何もないと言い切っていました。
 しかし、「リバイバルの働き、絶対に継続してくれ。」とありました。それが一番、彼が言いたかったことだろうなと思いました。
 死ぬ間際になったら、地位も名誉も金も何もいらん!と言っていました。必要なのは、ただイエス様だけだ!と言っていましたが、本当にそうなんだろうなと思います。私たちは、神様の意志を受け取り、次の世代に送って行かなければならないのです。

 ちょっと話は変わりますが、八月号の「船の右側」という雑誌、是非ともみなさんに、読んでいただきたいと願っています。今、神学の世界がたいへん興味深いです。現在、世界で最も注目を浴びている聖書学者がいます。その人は、「N.T.Wright」という人物です。

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 この人はいろんな本を出しているのですが、この頃、「クリスチャンとは何か?」という本が邦訳されました。その内容について、うちの神学校の講師である中澤啓介先生と、日本のN.T.Wright、山崎ランサム和彦先生が書いています。それがすごく良いのです。
 今日は全てお話できないのですが、N.T.Wrightが、「クリスチャンとは何か」についての定義を書いています。
 ”バプテスマを受けて教会に加わるとは、神の創造から新しい創造に至り、イエスの死と復活が中心であるような神の物語の中に参加し、神のプロジェクトの一部となることなのです。”と定義しています。
 クリスチャンとは何か、それは、神が始められたプロジェクトの一部となることだと言うのです。

 この頃、「神の夢をかなえるために、私たちは存在している!」と話していますが、N.T.Wrightが主張しているのは、私たちが霊的戦いをやって来た、結論そのものだと思うのです。
 彼によれば、聖書は、壮大な神の物語だというのです。確実に一つのゴールがあるというのです。それが、「天地創造から、新天新地の創造だ」というのです。今までの聖書理解では天国は、どこか違った天体にあるかのように考えていたけれど、そうではないというのです。死んだ後、キリストと共に生きる時代を経て、人はやがてこの地上に復活するのです。この教会から天に帰った方々は、現在、イエス様の顔を見ているでしょうが、それはゴールではないというのです。天が地に下りて来て、神はこの地を新しく再創造し、新しい創造の中で人々が生きる。それがゴールだというのです。新天新地が私たちの目前に創造される、それがゴールです。それが神の壮大なプロジェクトだというのです。
 クリスチャンになるとは、自分の夢をかなえるためではなく、神の壮大なプロジェクトの一部となって、世代を超え、神のプロジェクトを背負っていくことです。そのような論点で、「クリスチャンであるとは?」は書かれています。取り寄せてみなさんに読んでいただくといいと思います。
 まさに私たちは、神様の夢をかなえるために救われたのです。そのバトンは次の世代に受け継がれ、主が帰って来られるその日まで、続けなければなりません。それがどういう形でなされていくかというと、「宣教」という形で展開していくと、N.T.Wrightは語っています。

 カナンの地に入国するというプロジェクト、これは、イエス様がこの地上に帰って来られ、この地を治められることを表しています。それは主が再臨される瞬間に、実現します。
 ヨシュア記と、新約聖書で対比しているのが、エペソ人への手紙だというのです。エペソ人への手紙には、「天にある」という言葉がよく出てくるのですが、「天」が、今までの聖書理解は、天国に行くのが目的かのように考えていたけれど、そうではなく、この地に神の領域が降りてきて、新しい創造がなされることを意味します。それこそ、カナンの地に入るストリーが象徴しているゴールだというのです。

 今は主が帰ってこられる直前です。そして今、このような状況が新城教会に訪れているのは、残された私たちが、神のプロジェクトのバトンを確実に受け取り、新天新地の創造という、神の壮大なプロジェクトの一部を担っていく、決断をする時ではないかと思います。

 今回、父が天に帰ったことによって、リバイバルされた連中がいます。それが、私の子どもたちを始めとする、父から見たら孫軍団です。彼らは父の看病に当たって、一晩中、父からお説教を食らって、「いいか。イエス様をしっかりと信じて、やっていけよ!」と励まされたのです。もちろん、彼らはすでにイエス様を信じていますが、さらに心が燃えたようです。息子もちょっと信仰的になったかな!と感謝しています。バトンを受け取った!と言っていました。それは、一人の人物からバトンを受け取るのではなく、「主の壮大なプロジェクトを受け継ぐもの」でなければならないのです。
 今回私は、ネパールにおいてその事を強く示され、感謝して、山を下りてまいりました。

 今から聖餐式を行いますが、聖餐式は、すごく意味深いものです。イエス様の十字架と復活は、天が地に下りて来る壮大なプロジェクトの、中核的な意味を持つ働きでした。やがて新しい創造で生きていくということを、十字架は示しています。聖餐式を通して、私たちは、もう一度心を一つにして、神の持っておられる壮大なプロジェクトを受け継ぐ決断をし、私を使ってください!と、決意を新たにする機会にしたいと願っています。一言お祈りして、聖餐式に移らせていただきたいと思います。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝をいたします。今日、私たちは、あなたが持っておられる壮大なプロジェクトの一端を担わせていただいていることを、心から感謝します。新城教会に新しい時代が来ていると、主が語っておられます。主よ、あなたから受け取ったバトンを、確実に、カナンの地まで、新天新地にまで受け継ぐことが出来ますように。一人一人の人生が、そのために用いられますように。今日のこの時を心から感謝して、イエス様の御名によって、聖餐式を喜んでいただきます。アーメン。