HOME > メッセージバックナンバー > 2015年 > 8月 > 8月16日

A Big God Can Make You Bigger
~あなたを変える偉大な神様~

2015年8月16日(日)
ジョー・ハイト牧師
マラキ書3章8節~12節

『人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。‐‐万軍の主は仰せられる‐‐わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。わたしはあなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。‐‐万軍の主は仰せられる‐‐すべての国民は、あなたがたをしあわせ者と言うようになる。あなたがたが喜びの地となるからだ」と万軍の主は仰せられる。』

滝元順牧師のあいさつ

私の父の凱旋式におきましては、お一人お一人が支えてくださったことを心から感謝致します。8月14日の凱旋式とリバイバル感謝聖会には、全国から900名くらいの方が来てくださり、心から感謝をしています。父が天に帰ったのは、日本のリバイバルの戦いがモーセの時代からヨシュアの時代に入ったと期待をしております。日本全国のみならず、世界からも集まってくださいました。韓国からも多くの方が来てくださり、今日の礼拝にも参加してくださっています。
また、ネパールの宣教師の先生方二人がわざわざネパールから参加して下さいました。私たちが、父の死後もネパールにとどまり、宣教を続けたとのが感動的だったようです。父は伝道者でしたから、私たちが宣教を続けるほうが、父にとってはずっと嬉しかったと思います。
ロサンゼルスからロンさん、ティムさん、ジョさんも駆けつけて下さいました。
ジョー先生にメッセージを語っていただく前に、一曲、演奏して下さいます。

<特別賛美>

今からは、パスター・ジョーがメッセージを取り次いでくださいます。私のベストフレンドです。また、私の親戚のおじちゃんです。ジョー先生と、知り合いになって三十年以上になります。ワシントン州ヤキマからやってきてくださいました。それでは、先生を、大きな拍手でお迎えください!


 おはようございます。みなさん、元気ですか?ここに来ることは、本当にすばらしいです。
 私の誕生日のことで、拍手してくださった時に、立ち上がっておじぎできずにすみませんでした。「すみまさん。」「ごめんなさい。」「食べましょうか。」これが、私が一番よく知っている日本語です。
 息子のピアスは、日本語や日本の習慣について、いろいろ学んでいます。私が一緒に来ると、息子は恥ずかしい思いをすることがあります。息子と私はそれぞれ三週間ずつ日本にいたのですが、二週間ほど、その間、重なっていました。彼はいつも「お父さん、そんなこと、しちゃいけないよ!ここは日本なんだから!」と言っていました。アメリカ人として、いろいろと恥ずかしいことをしているかもしれませんが、許してください。一生懸命がんばっていますので、許してください。でも、順先生や望先生がヤキマに来られる時には、私たちも彼らを許してあげますので。
 先ほどすぐ立ち上がれなかったのは、日本語があまり分からなかったということがあります。もう一つの理由は、歳を取って動作が緩慢になっていることです。ジョンさんが「ジャンプしましょう!」と言った時に、それをすることができませんでした。背中が痛むので、体を揺らしているだけでした。もし飛び上がっていたら、大変なことになっていたかもしれません。

 本当の話、私はジャズ・サックスフォンプレーヤーになりたかったのです。本当です。高校の時に、私はクラリネットに夢中でした。首席奏者でした。有名なジャズ奏者に夢中でした。本当のことを言うと、あまりうまくなかったのですが。
 私は日本語はもちろんなんですけれども、英語の歌でも、歌詞を覚えるというのがとても苦手なのです。教会で牧師をしているわけですが、賛美の歌詞なども、なかなか覚えることができません。
 私は音響のエンジニアになるための学校に行きました。けれども、大学を卒業する前に、時代はアナログからデジタルの時代になってしまって、学んだことがあまり役に立ちませんでした。そこで友達が、「何か役に立つことをやらないといけない。」と言いました。そこで私は牧師になりました。
 でも、牧師としてもあまり成功したとは言えません。私は家では、とてもクレイジーな人間だと思われています。礼儀正しいわけでもありませんし、形式張ったことも苦手です。どうか我慢してください。

 順先生が着ているようなシャツを着てもいいということを予め知っていたら、もっと別の服を着てきたのですが…。そういう服はお腹が出ている人には特にいいですね。私は今、ちょっとお腹を引っ込めるのに大変苦労しています。もしベルトを緩めたら、出産を間近に控えているやえちゃんのようになってしまいます。
 今、たくさんのカメラで映していますが、私たちの教会では、カメラは一台しかなくて、スクリーンに映せるのも限られています。あの一つのカメラですね。私が立ち上がっていると、後頭部が丸見えになってしまうのです。これはたぶん順先生のせいだと思いますが、ちょっとハゲてきています。髪の毛がいくらかでも残るように祈ってください。

 本当にここに来ることができて、光栄に思っています。ここに三週間くらい来ていますが、みなさんにとっては長すぎるかもしれませんが、ここに来て、たくさんの経験をして、すべてを記憶するのが大変なほどです。
 明先生の地上の日の最後の時に、先生とお会いして、言葉を交わすことができたことは、本当にすばらしいことでした。そして、先生の凱旋式に二回とも参加することができました。明先生と、その生涯、そして新城教会は、私の人生を大きく変えてくれました。順先生たちともう三十年以来の付き合いになっています。本当に長年の間柄です。

 私が最初に来た時に、ピアスはまだ生まれていませんでした。今、ピアスとやえちゃんは、滝元&ハイト・プロジェクトに取りかかっています。共に孫を迎えることができることは大きな特権です。アメリカでは三つの名前があります。私の名前は、ジョセフ・ピアス・ハイトと言います。やえとピアスの息子は、オーウェン・ジョセフ・ハイトです。
 オーウェンというのは望先生から来ています。二番目の名前はジョセフです。でも、一番大事な最後の名字はハイトです!これは本当に大きな特権です。
 生まれたという知らせが、いつ来るか分からない、そういう状況にあります。毎朝、私は目が覚めると、何か新しいメッセージが来ていないかチェックします。オーウェンは三人目の孫になります。望先生にとっては、三十五番目くらいの孫になるかもしれませんが。先生はちょっと私より年上ですので。
 みなさんの中には、私の娘のオースティンに会った事がある方がいるかもしれませんが、彼女には二人の息子がいます。たぶん二歳と四歳だと思います。しかし、日本に来る前に、オースティンがまた妊娠していることが分かりました。今回は双子です。どこから来たのか分かりませんが双子です。
 また、多くの方はチェルシーを覚えているかもしれません。彼女はハワイ・リバイバル・ミッションで六ヶ月奉仕しました。ヘブンズ・カフェの開店準備にも多くの助けをしました。彼女は現在、フロリダにある子ども伝道の働きに携わっています。
 私は、子どもたちのことを本当に誇りに思っています。彼らは皆、主に仕え、とてもよくやっています。みなさんとピアスを共有することができることを感謝しています。そして、やえさんを私たちの家族に迎えることができて感謝しています。
 あまり話をしすぎて、説教する時間が少なくなって来ていますが、私たちは親族でもありますので、少しみなさんに近況報告をしています。

 私は望先生と一緒に、多くの日本の町を回りました。いろいろな場所に行って祈りました。太平洋戦争のために祈りました。今年は、多くの悲劇が起こってから七十年目を記念するそういう年ですけれども、かつてはイエス様を知らなかった人々でしたが、今は神の国のために、一緒に協力することができるようになりました。一番大切なことは、私がアメリカ人ということでも、みなさんが日本人ということでもなく、私たちは共に神の国のために生きているということです。
 私たち、アメリカ人、日本人が共に集まって神様を礼拝する時に、そこには力があります。私たちはお互いにいたわり合うことによって、神様の愛を表すことができます。お互いを許し合うことによって、神様の恵みを取り次ぐことができます。神の国が到来することについて、私たちは希望を持って考えることができます。私たちがそういうことをしていく時に、いろいろな問題の中に捕らわれている人たちが、私たちを見て、そこにイエス様がおられることが分かるのです。
 私をこのように迎えてくださり、また、私たちの国がかつてした、いろいろな悪いことについて許してくださっていることを、感謝します。そのことによって、私たちは未来に進むことができます。アーメンでしょうか?


 マラキ書のみ言葉について、少しお話ししたいと思います。アメリカの教会でこの聖書箇所を開くと、すぐに、これからお金の話になるのか!と思います。けれども、今日は、お金の話をするのではありません。
 ここで表面的にはお金のことについて書かれているのですが、実は、イエス・キリストの福音についての非常に深い真理がここで語られていると思います。この真理は、旧約聖書、新約聖書を通して、たくさんの箇所に表れています。
 私たちが人生をイエス様に捧げる時に、この真理を私たちの人生の中に見いだすことができます。

 この聖書箇所には、二つの重要な真理が含まれています。
 一つは、私たちが何を持っているにしても、私たちはいつでも何かイエス様に捧げるものを持っているということです。
 もう一つの真理は、私たちが、たとえイエス様に捧げられるものがほんの少ししかないとしても、主がそれを大きく増やしてくださるということです。ここにおられるみなさんは、神様の似姿に似せて造られた存在です。けれども、その神様のイメージというのは、私たちの罪によって損なわれてしまいました。時には、それは私たち個人が犯した罪であり、また他の世代から、また周りから来る罪でもありますが、いずれにせよ、それは私たちに傷を与えます。
 私が日本に祈りに来るということも同じことが言えます。私の家族の誰も、第二次世界大戦で被害を受けた人はいませんでした。真珠湾攻撃の一ヶ月前に、私の父は、真珠湾に働きに行く予定でした。シアトルで船に乗ろうとしている時に、「私たちはあなたを海軍に入れなければいけないから、真珠湾には行くな。」と、父は言われました。もし私の父がその時に真珠湾に行っていたら、私は今、新城にいないかもしれません。いずれにしても、私は家族の中で、第二次世界大戦で実際的な被害を受けたという人はいません。私は被害という余地がないのです。
 私が受けた唯一の傷は、国家として私たちにお互いに敵対し戦っていたということであり、それはクリスチャンである私にとって傷になっています。けれども、日本やアメリカや、その他のすべての国において、無実の人たちが、第二次世界大戦において多くの苦しみを受けました。世界の今あるシステムの中で、それを直す方法はありません。みなさんの中にも、もしかしたら、家族や親族の中で、そのような被害を受けたという方がおられるかもしれません。

 私たちがそれを直すためにできるたった一つのことは、イエス様の元に来て、助けを求めることです。私たちが聖書に書いてあるように、私たちの人生を生きた供え物としてイエス様に捧げる時に、神様はそれを用いてくださいます。この事は、キリスト教の本当に大切な真理である恵みということに関わっています。私たちは恵みによって、お互いに許し合うことができるのです。
 私たちは打ち砕かれた状態で、イエス様の元に行くことができます。私たちは傷ついたままで、イエス様の元に行くことができます。私たちは不完全なままで、イエス様の元に来ることができます。私たちは大きな罪を犯した人間として、イエス様の元に来ることができます。
 私たちが持っている、ほんのわずかなものでもイエス様に捧げる時に、神様は私たちを本来あるべき姿に戻してくださるのです。

 私がうまいミュージシャンでなかった一つの理由は、私が良い学生でなかった一つの理由は、実は私の脳に、ある種の障害があるからです。英語の単語を見る時に、その単語を認識することができないのです。日本語でも英語でも、文字が紙に書かれているのを見ると、その文字が動いて見えるのです。ですから、大人になった時に、私は文字を読むことができませんでした。十九歳か二十歳になっても、まだ一年生、二年生程度のものしか読めませんでした。同年代の人たちがやっていることは、とても難しく思えました。
 私が十七歳の時に、私がいた高校では大きなリバイバルがあって、私はクリスチャンになりました。三百五十人くらいしか生徒のいない小さな学校でしたが、その中で百人くらいがクリスチャンになりました。でも、聖書を読むことができませんでした。当時は、今あるような分かりやすい翻訳などもありませんでしたので、King James訳という、非常に古い訳しかありませんでした。聖書を読む時には、片方の膝に聖書を置いて、もう片方の膝には辞書を置いて、聖書の言葉を見て、そこで辞書でその絵が載っているかどうかを見ました。それで、どうやってその単語を読むかを学びました。ですから、聖書を一章読むだけでも、ものすごく長い時間がかかりました。
 学校でも成績が良くありませんでしたので、私は変な人として、知られるようになりました。私はみんなと仲良くなろうとしました。私は社交的にいって、傷を受けた人間です。大勢の人々がいる部屋にいることは、苦痛でした。いろんな人がいる部屋に入って行くと、「みんなは、私のことをどう思うだろうか?」と。みんな、私のことを馬鹿だと思うのではないかと思い、みんなの人気者になるために、いろいろな変なことをして見せました。

 私が牧師になった時、私は大きな恐れがありました。自分には何もないと思いました。私は音響のエンジニアになって、音響のエンジニアのブースの中に一日中座っていたかったのです。昔は耳が良かったのです。今はそうでもありませんが。マイクの名前は覚えられましたし、どうやって使うかも分かりました。いろいろな操作をすることもできました。一年くらいがんばれば、レコードを最初に作ることができると思いました。教会でも音響の調整卓の周りにいつもいました。そして、そこにいると、何か自分が重要な人物になったような気がしました。
 けれどもイエス様は言われました。「あなたは自分が重要に思えるような、そういう物を手放さなければならない。」と。「音響の係になることが、あなたが誰であるかのアイデンティティーではない。あなたのアイデンティティーは、わたしになければいけない。」と。そこからイエス様を追い求めていく長い旅が始まりました。イエス様は、私に力強く望んでくださいました。

 新城教会にも何度も来ましたし、最初に日本に来た何回かの一つは、甲子園リバイバルミッションでした。甲子園球場は非常に大きな所で、とても大事な事が幾つも起こりました。私はそれを見て、萎縮してしまいました。私は自分がとても小さな存在に思えたのです。私は、「こんな働きに関わるなんてできない!」と思いました。
 私が新城教会に来た時に、順先生が、「日曜日に説教をしてください。」と言いました。彼が礼拝が始まる一分前にその事を伝えてくだされば良かったのですが。もし一ヶ月前にその事を聞いていたら、一ヶ月ずっと、その事で葛藤し続けたでしょう。私はここにおられる方々は、みんな頭の良い人たちばかりだ。力強い指導者やうまい説教者はいくらでもいる。
 その時に、私はこの聖書の箇所に、私は慰めを見いだしました。あなたが持っているものは少ししかなくても、もしあなたがわたしの所に来れば、あなたの人生は変わる。

 私は、明先生から非常に多くの霊感を受けました。明先生は鉱山の土方をして、働きを始められた。本当は明先生は私よりずっと頭の良い方なので、もしその道を進んでいたら、明先生は世の中で成功したかもしれませんが、神様はさらに成功する道を与えてくださいました。
 私にとって明先生の生涯の中で一番大切なことは何であったかというと、明先生のアイデンティティーというものが、完全にイエス様によって決定されていたということです。金曜日の集会の時に、本当にたくさんの方が来られていました。なぜそんなにたくさんの方が来られたか。それは、明先生が、ご自分の人生を通して、イエス様を人々に表していたからだと思います。その他のことは重要ではありません。
 私と同じように、たぶん大勢の方々は、明先生と一緒にいる時に、自分の重要性が分かったと思います。それは、イエス様がおられることが見えたからです。私たちが持っている最も重要な、最も力強いことは、それはイエス様ご自身です。イエス様が私たちを救い、また神様の元に連れ戻してくださるために来てくださったという福音の物語は、一番私たちにとって重要なことです。私たちは、イエス様のことをほんのちょっと味わうということはできません。私たちは、明先生がそうであったように、イエス様のすべてを知らなければなりません。

ローマ人への手紙一章一節~七節、

『神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、‐‐この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためです。あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です、‐‐このパウロから、ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。』

 山崎ランサム先生は聖書の専門家ですが、この説教のアウトラインを先生に渡した時に、昨日、とても良い議論が出ていました。彼は聖書について新しいことを教えてくれました。十回くらい聞かないと分からなかったですし、あまりよく覚えていないですが、通訳している時に、穴があったら埋めていただきたいと思います。
 これは非常に興味深い聖書箇所です。パウロは、ローマにある教会にあてて書いています。当時、全世界を支配していた支配者は、そのローマという町に住んでいました。ローマ人への手紙が書かれた目的は、教会の一致という問題を解決するためでした。
 当時、ローマの町に住んでいたユダヤ人、あるいはユダヤ人クリスチャンは、町から追放されるという時期がありました。その時に、ローマの町にあった教会には、ユダヤ人でないクリスチャンしかいなくなりました。その後、ユダヤ人、ユダヤ人クリスチャンも、ローマの町に帰って来ることが許されました。これは政治的な判断でしたが。
 このユダヤ人クリスチャンがいなくなっている間に、ユダヤ人でないクリスチャンたちは、独自のアイデンティティーを作っていきました。ですから、ユダヤ人のクリスチャンが帰って来た時に、教会内に二つのグループができてしまったのです。それで、いろんな問題が起こって来ました。ある人たちは、「自分たちはローマのクリスチャンだ。私たちが最高のクリスチャンだ!」と言いました。それに対して、ユダヤ人のクリスチャンたちは、「私たちはユダヤの神様から選ばれた民だ!あんたたちは二番目だ!」と言いました。今日でも、「自分はアメリカ人クリスチャン!」「自分は日本人クリスチャン!」という誇りがあります。同じような問題があるということですね。

 パウロがこの手紙で言っていることは、クリスチャンには一種類しかないということです。「あなたたちは自分のアイデンティティーをキリストだけに置かなければならない。」パウロのローマ人への手紙の一章の所で、パウロはユダヤ人クリスチャンにも、異邦人クリスチャンにも等しく、自分自身がどういう存在であるかを紹介しています。ここでパウロはいろいろなことを言っていますけれども、非常に重要なことが述べられています。

 一つのことは、パウロは自分はイエス様のしもべ、奴隷であると言ったのです。「私には命がありません。私には権利がありません。」当時の奴隷というのは、自分のアイデンティティーというものはありませんでした。当時の奴隷は、「私はこういうことがしたい。ああいうことがしたい。あんな所に行きたい。」と言うことができませんでした。奴隷ができることというのは、主人に言われたことをすることしかできませんでした。
 パウロがここで言っているのは、私はイエス様の奴隷、また、福音のメッセージの奴隷なんだということを言っています。私たちの人生が完璧なものとなるために必要なことは、私たちはイエス様の奴隷であるということを認めるということです。

 当時、ローマにはたくさんの宗教がありましたので、人々は、「イエスというのは何者だ?あんまり大した存在ではないだろう。」と思っていました。「あなたたちは重要でない神の奴隷なんだろう。」と。ところがここで、このパウロがイエス様を表現し、描写している時に使っている言葉というのは、非常に重要な言葉です。パウロは、イエス・キリストの福音、「良い知らせ」という言葉を使っています。あなた方がは自由になり、また平和を持っていると言っています。あなたの人生は完成されます。
 ローマ皇帝の誕生日には、このような同じ表現をローマ人たちは皇帝について言っていました。ローマ人たちは、「今日私たちはローマ皇帝の良い知らせ、福音について語る。」と言いました。「皇帝こそがあなたたちの平和と自由の源だ。」と言いました。そして、皇帝は神としてあがめられていました。
 パウロはここで非常に重要なことを言っています。パウロはローマ人たちが皇帝について語っていたのと同じ言葉を、イエス様について言っているのです。これはこのローマにある教会にあてて書かれた言葉です。パウロが言っていることは、「イエス・キリストの福音というのは、このローマ皇帝の福音よりも遙かに素晴らしいことだ。」
 最初の七節でパウロは、「私はこの世界の中で最も偉大な、最も愛に満ちた、最も素晴らしい方の奴隷なんだ。」と言っています。「そして、そのお方は私にこの福音のメッセージをすべての人に伝えるようにと語られました。」
 ですから、パウロは偉大な人物になりました。パウロは神様が彼の人生に意図された通りの人物になりました。それは何かというと、世界にいるすべての人たちに対して、イエス様の姿を繁栄させるということです。ここで書かれていることは、私たちが本来、どういう人生を生きるべきかということを知りたかったら、私たちは完全にイエス様のしもべにならなければいけないということです。

 もしかしたらみなさんは、これまでの生涯、ずっとイエス様に従って来たかもしれません。みなさん、ご自分のことを小さい存在だと思っているかもしれません。また打ち砕かれていう。そういう方は、イエス様にもう一度、立ち戻ってください。その他のすべてのことは偶像に過ぎません。イエス様だけが、みなさんを完全な存在にすることができます。けれども、みなさんは、そのためには、完全に、この方の奴隷にならなければなりません。イエス様の権威と力と愛と恵みが第一とならなければなりません。
 聖書ははっきりと書いています。神様はみなさんを愛しておられます。そして、みなさんのために、みなさんが繁栄するために、大きな計画を持っておられます。私たちがすべきことは、私たちにある少しだけのものを取って、それをイエス様に捧げることです。そして、そうするならば、私たちは神様が持っておられる大きなご計画の中に組み入れられていくことができます。アーメンでしょうか。これから、お祈りさせていただきます。

 イエス様、私たちを一つに集めてくださり感謝します。ここにはいろいろな国から来ている方々がおられます。これはもしかしたら世の終わりに神様の御座の前に集まる大群衆の一つの姿かもしれません。すべての舌はイエス様を誉め称える。ここにおられる方々、またこの教会のために祈ります。イエス様の奴隷となることの祝福を教えてください。イエス様にあって、誰もそのアイデンティティーを奪われることがない。神の国の平和と繁栄と祝福がこの場所を支配しますように。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン