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『世界よ!十字架を仰ぎ見よ!

2015年11月22日(日)
ペルー宣教師 下田祥之師
民数記21章4節~9節

『彼らはホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中でがまんができなくなり、民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」そこで主は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。民はモーセのところに来て言った。「私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください。」モーセは民のために祈った。すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。』

ハレルヤ!お隣の方に、「あなたは主の勇士です!」と宣言してあげてください。先生方を紹介する前に、今週は、ナガランド、インパールでミッションがありますので、そのために、とりなして祈っていただきたいと思います。ナガランドの位置はインドの東の端のほうになります。
そこは、インドに属するのですが、人種的には日本人と同じような顔をした人たちです。ここに今から七十一年前、日本軍が攻め込み、大きな被害を与えました。日本に対して複雑な感情を持っている地域です。
インパール作戦について聞いたことがあるかもしれませんが、十万人ぐらいの兵隊が投入されたと言われますが、ほとんどが生きて帰ることができなかったという、本当に悲しい歴史を日本も体験しました。今回ここにリバイバルミッションの主の勇士たちが行って、集会を持つことにしています。これは背後の祈りなくして、決してできません。是非とも祈っていただきたいと願っています。
今日の午後からは、このための決起祈祷会をおこないます。地の果てのような所のために祈る時に、主が大きなことをしてくださいますので、是非とも祈祷会に参加し、今週は祈り続けていただきたいと思います。LINEで登録してくださいますと、現地の模様をお送りします。次週は、そのダイジェスト映像をお届けできたらと思っています。是非とも、今週は祈っていただきたいと思います。

実は、世界宣教は、イエス様が帰られる道を用意するためには、どうしても必要なことなのです。宣教は、国内だけでやっていても、主が帰られる道は用意されないのです。日本は世界を、世界は日本を、という視点で相互に他の国々を意識して福音を伝える時、神の国は近づいて来るのです。
今日はこのようなタイミングで、下田先生とミゲル先生をお迎えできて本当に感謝します。先生方は、ペルーで宣教されているのですが、今回は、日本に来てくださいました。ミゲル先生は明日から中国に行かれるそうです。ペルーには多くのクリスチャンがいますが、世界を見据えて宣教しています。今からミゲル先生に少しお話をしていただいて、下田先生にも話をしていただきたいと思います。
ペルーで最も日本人になじみのある人物は、フジモリ元大統領です。日本の大使館が占拠された時に、彼が勇敢に日本人を助けてくれたということで、大変有名になりましたが、今日語ってくださいますミゲル先生は、そのフジモリ大統領の側近です。今度、そのフジモリさんの娘のケイコさんが、大統領に立候補しているのですが、毎週、その方と祈りをしている、国を動かすような方ですので、是非とも、ミゲル先生のためにお祈りしていただきたいと思います。
また下田先生は、このリバイバル聖書神学校をたぶん、優秀な成績で卒業したと思います。山崎先生に聞いてみないと分かりませんが、その後、ペルーに遣わされて九年間、それもペルーの最も貧しい所に遣わされて伝道しています。私もたびたび、先生の働きを助けるためにペルーに行っているのですが、あといくつ寝たら日本に帰れるのかな?という期待感がありますが、先生はそこで骨を埋めるつもりでがんばっています。こんな宣教師って、日本人にはなかなかいませんが、やはり先生は昔、相撲取りで、ガッツがあるのです。今でも様々な働きをされています。
今から下田先生とミゲル先生をお迎えして、世界宣教のビジョンを受け取りましょう。そして、私たちも日本だけでなくて、世界を見据えて福音を伝える教会になりたいです。その時、イエス様が帰られる道が用意され、その日が近くなるということです。では、お二人を大きな拍手で、講壇にお招きしたいと思います。

<ミゲル師>
みなさん、おはようございます。今朝、みなさんと主を礼拝できることを本当に嬉しく思います。私たちの外見も言葉も違いますが、同じ心で主を賛美できることを心から嬉しく思います。
三週間、日本にいるのですが、その間にいろんな事を体験し、日本のすばらしい文化を学ばせていただいて、最後に、新城教会に来ることができて、みなさんとご一緒することができて、本当に嬉しく思います。
昨日は、滝元明先生の記念室に足を運ばせていただいて、そこには本当に主の臨在があることを感じました。
今日は私を受け入れてくださり、本当にありがとうございます。将来、神様が導いてくださって、みなさまと、私たちペルーと共に伝道の働きができることを祈っています。順先生ありがとうございます。そして、新城の兄弟姉妹の皆様、本当にありがとうございます。

<下田師>
改めて、おはようございます。先ほど順先生から優秀な成績だったかどうか分かりませんということでしたが、優秀な成績ではなかったと思います。同級生に播義也という優秀な先生がおりまして、「播君、貸してくれ。」と言って、レポートを丸写ししたという、そういう記憶もあります。当時は、山崎先生もいらっしゃらずチェックも甘かったので、そういうこともできたのですが、今はどんどん神学校のレベルが上がっていると聞いていますので、今だったら卒業できなかったのかもしれません。
僕は救われてすぐに、「牧師っていいなぁ」と思いました。「イエス様のことを伝えられて食っていける牧師ってなんてすばらしいんだ!」と思いまして、当時、僕は、アメリカでクリスチャンになりましたので、教会の中村牧師に、「僕も牧師になりたい。」と言ったら、「君を見る限り、アカデミックな、勉強ばかりする所ではなくて、もっと実践的な所が向いている。新城教会に、滝元明という先生がいらっしゃるから、新城にあるリバイバル聖書神学校はどうかね?」と言われまして、「今、電話するから。」と言われ、アメリカから明先生に電話をしてくださいました。そうしたら、「下田君。ほら。」と言われました。ほらと言われましても、いきなり困るじゃないですか。電話に出ましたら明先生で、「君が新しくイエス様を信じて、イエス様に仕えていきたいのか。」と言われまして、まだ当時、救われたばかりですから、「そうなんですよね~。」と、「日本に帰って牧師になろうと思ってるんですけど~。」と言ったら、「そうか。新城に来て学ぶことはとても君にとってすばらしいことだと思う。日本に帰って来て、日本で一年、教会生活を送った後、新城に来なさい。」と言われまして、教会生活を青森のほうで送らせていただいてから神学校に来ることになりました。
僕は相撲をしていましたので、誰にも負けたくないと思うのです。聖書の世界はそうではないのですが、神学校でも一番前の席に座り、「後ろのやつに授業を見せん!」と、背中でみんなの邪魔をしていました。当時は今よりも二十五キロくらい太っていました。今は、吹けば飛ぶようになってしまって、心細いのですが、神学校も終わらせていただき、今はペルーという国で活動させていただいております。

先ほどのミゲル牧師は、順先生の紹介もあったように、ケイコさんに伝道している牧師です。週に一度、聖書の学びをしていて、ケイコさんとミゲル先生とフジモリ元大統領、彼は今、刑務所にいます。なぜかというと、日本大使館占拠事件の時の十四人のテロリストが、日本大使館を占拠したのですが、その時に、フジモリ大統領の命で、「テロリストはみんなやっつけてしまえ!」ということで、軍隊が突入し射殺したのですが、その中には白旗を上げていた兵士がいたというのです。
フジモリ大統領は、すばらしい政治をした方で、「ペルーでたった一人、まともな大統領だった。」と、ミゲル牧師が言うのですが、日本との関係を強化して、日本人のようにまじめに働こう!と言って、日本からたくさん、いろんなものを輸入して、ペルーの経済がどんどん成長していったわけです。そしてテロ問題も、そのようにして幾つも大きな問題を解決して、フジモリ政権後は、地雷がリマの中で爆発することはなくなりました。これを「フジショック」と言います。あまりにもそのフジモリ政権がすばらしかったことの例えで、「フジショック」と言うのですが、それで反フジモリ派、敵もやはりたくさん生まれたのです。このままではフジモリに牛耳られてしまうということで、彼を刑務所に入れてしまったほうがいいということで、白旗をあげていた人間までも、フジモリ大統領が殺したということで、裁判にかけられて、今刑務所にいます。
そこにミゲル牧師は訪問に行っていたのですが、ひょんなことから僕を紹介することになりまして、「私に日本人の友達がいる。貧困地域で働いている人間だ。以前、相撲をしていた!」と話してくれました。そうしたら、フジモリさんが興味を持ってくださって、刑務所のほうに行くことになりました。「来てください。」と言われたので、「来てくれと言うなら行ってやる。」ということで、行かせていただきました。
行きましたら、元大統領なので、お城のような所にいると思っていたら、そうではなく、小さな部屋と台所とトイレという、簡素な所でした。中庭がありまして、ネギや人参を植えたり、雑草を取ったりしています。彼は農学博士なのです。刑務所ではすることがないじゃないですか。だから、そのような家庭菜園を一人でされているのです。
「ここに座ってください」と言われた所に座っていましたら、初老の方が近づいて来ました。その方がフジモリ前大統領だったのですが、僕を見て、頭のてっぺんから足の先まで見られました。髪の毛が何本あるのか数えていらっしゃったと思うのですが、「ようこそ、いらっしゃいました。」ということで、話すことになりました。「君は日本人なのに、なんでクリスチャンなんだ?」「仏教とは何ですか?」と聞かれるので、仏教のことを説明させていただき、「神道とはなんですか?」とも聞かれました。僕は神主の孫です。それで、神道についても説明させていただきました。私は、「キリスト教とはなんですか?」という質問を引っ張り出すために、寝ないでいっぱい考えて行ったのですが、向こうからそういうふうに言われたので、全く一晩の苦労が水の泡になりました。そこで、キリスト教について、私たちは罪人、罪があるからみんな地獄に行くんです。けれども、それをイエス様が取ってくださったから、それを信じるならば救われるというお話をさせていただきました。目をつぶってうんうんと聞いておられたので、これはこのまま行けるなということで、証しもさせていただいて、非常に良い時間を神様から与えていただきました。神学校で一番出来が悪かった僕を神様は使って、元大統領に福音を届けさせてくださいました。聖書の中に、「愚かな者を用いて賢い者を悟らしめる。」とあります。なので、本当に主のみ言葉は真実だなということを改めてそこでかみしめました。
そうしたらフジモリ大統領が、「実は四十キロも魚をもらった。これを料理しないと腐らせてしまうから、下田さん、料理してくれませんか?」と言うのです。すると、ミゲル牧師が余計なことを言うわけです。「下田は料理が上手だ。」とかね。なんて余計なことをっ!と思ったのですが、「作っていただけませんか?」と言われたら、「はい」という素直な心です。これはリバイバル神学校で学ばせていただきました。それで、「分かりました。」ということで、走って車に戻りました。そして、携帯を引っ張り出して、クックパッド先生から三つくらいレシピをいただきまして、丸暗記して急いで台所に戻って、作り始めるわけです。作りながら、これで腹を壊したら僕も刑務所行きかと思いながら、なんとか一皿に二品くらい盛りつけて持って行きました。彼の弁護士と、ミゲル牧師と、僕と、四人で食事をしました。そしてその皿を見て、「おぉ!なんだ君はこんなに食事を作れるのか!なんでレストランをしないんだ!」と言われたので、「なんでと言われましても、レストランの場所を与えてくれて、書類も整えてくれたらやりますよ。ははは!」と冗談を言いながら、四時間ほど話す時間が与えられました。
きっとフジモリ元大統領も楽しかったと思います。僕は日本人ですから、会釈をすることとか、日本人はそういう文化がありますので、それが懐かしかったようで、「君に一つ宿題を出したい。」と言われました。「僕は今、自伝を書いている。その自伝に父親のことを書きたいので、一九一〇年当時の事を調べてほしいと言われました。フジモリ元大統領というのは日本人なのです。生まれも、血も日本人なのです。では、なぜ大統領になれたのかというと、それは、大統領への階段を上っていく中で、「おまえは日本人じゃないか!ペルーで生まれてないだろ!」というふうに言われるのですが、「私は船の中で生まれた」と言ったのです。船の中ですから、白でもない、黒でもないということで、ペルー国籍をもらい、彼は大統領になりました。日本人でたった一人です。他の国の大統領になった人は。そういうフジモリ元大統領なのですが、「一九一〇年当時の、父の生活を調べて欲しい。人々は、車で移動していたのか。バスで移動していたのか。それとも馬か、徒歩か。どんな生活をしていたのか、調べて欲しい」と言われまして、いろいろ調べまして、それを今度こちらからペルーに戻った時に、訪問して、渡したいと思っています。
本当にみなさんのお祈りをありがとうございます。リバイバル聖書神学校を卒業させていただいてから、こうして九年間、ペルーで活動できています。また、少しだけ、現地の活動の話をしたいと思います。

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これは教会の写真です。電気や水がない所で活動しているのですが、たくさん集まっていると思われるかもしれませんが、物をあげると人はばーっと集まるので、そこを撮っただけですので、大したことはないのです。教会を二つ開拓しました。一つ目は、ワチッパという、そこも貧しい地域なのですが、そこにレデル牧師、以前こちらに来させていただいたのですが、レデル牧師と一つ目の教会を開拓しまして、四年そこで活動させていただきました。だんだんと教会が成長して、五十人くらいになったので、神様は僕をもっと貧しい所、十段階のここは一番貧しい十番目の所です。そこで五年間、開拓をさせていただいています。

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これは現地の子どもたちです。こういう子どもたちに、イエス様の愛を伝えています。みんな寄生虫を持っています。水もないですから、川の水しか飲みませんので、虫下し集会なんかをしょっちゅうします。誰が一番長いのが出るかな?競争だ!なんて言ってやっています。

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これは何の写真でしょうか。どう考えても、書道とかではないですよね。相撲の写真です。これは、今年の八月です。私は九年間、ペルー人のためにという、そういう召しでしたから、ペルー人のために仕えて来たのですが、去年の暮れに、一つ神様からの語りかけがありまして、日系人、日本人にも伝道しなさいと言われました。「わかりました。では、しるしをください。」と祈りましたら、フジモリ元大統領のことが与えられ、その後に、今年の八月、南米相撲連盟という所から連絡が来ました。フェイスブックか何かで私のことを知ったようで、「下田さん。相撲の経験があるんですね?せっかくペルーにいるんだから、ペルーで相撲協会を作ってくれませんか?」と言われました。
今、世界八十七ヶ国で相撲をしています。百を越えるとオリンピックに入る夢ができるということで、その八十八番目をペルーで作ってくれと言われるのです。伝道というのは、何が幸いするのか分からないのです。僕は日系人に関わっていきたいと思っていたのですが、九年間、極貧地域で働いていましたので、全然接点がないのです。どうやってペルーにいる、リマにいる日本人たちと関わっていこうかと思っていたら、そういう相撲の話が来ました。「南米大会をパラグアイでするから来てください」と言われまして、ちょうどブラジルでの奉仕もありましたので、「ブラジルに行く前に寄らせていただきます。」ということで、パラグアイに行かせていただきました。
すると、ここは三千人くらい入るのですが、この街は日本人がたくさん移民した所なのです。なので、会場がいっぱいなのです。大会は二日行われました。ここに着き、まず自己紹介をさせていただきました。東京農大という所で相撲部のキャプテンをさせていただいて、相撲にも段があるのですが、四段を持っています。そして、僕の二つ上のキャプテンが時津風親方だったのですが、僕はキャプテンをさせていただいていた時に大きなけがをして駄目になったという話をしましたら、「君は、私たちよりもずっと相撲が分かるじゃないか!審判長をやってくれ。」と言われまして、偉い席に審判長の札をもって座らされました。

一日目は南米選手権が行われました。ブラジルが優勝しました。そして、個人戦はベネズエラの選手。低くなっているほうがベネズエラですが、彼は元オリンピックのレスリングの代表なのですが、今、相撲をしているのです。

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そして、団体はブラジル、個人は、このベネズエラの選手が優勝しました。昨年の二〇一四年の女子の優勝者は百九十センチ、百六十キロの、マリアという方が優勝しました。でも彼女は今年来ませんでした。なぜかというと、ベネズエラは、どんな国際大会でも優勝すると家がもらえるのです。マリヤは家をもらったら、家目当てに結婚を申し込む人が殺到して、結婚して、家もあって、相撲をやらなくて良くなったので、今年は来ませんでした。女子の部はブラジルが圧倒的でした。

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二日目は、親善大会というのが開かれました。親善大会は、各国から何チーム出してもいいのです。ブラジルから三チーム出ました。開催国のパラグアイから二チームが出まして、チリから一チーム。日本から招待チームで、岩手県の国体チームが出ました。この街はピラポというのですが、そこに岩手県から多く移住しているのです。それで岩手県の国体チームが来まして、次に相撲連盟の人が「下田君。ペルーからも出してくれ」と言うのです。出してくれと言っても、僕しかいなし、僕も相撲をしていないから無理だと言いました。すると、ブラジルから、二人貸してやるというのです。それもBチームから二人。アルゼンチンからも一人貸してくれるというのです。

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真ん中の選手、体から見たらやる気がないのが分かります。だけども、アルゼンチンの相撲発展のために貢献した人なのですが、僕はいやだといいました。でも「いやいや、ペルーの旗があったほうが、盛り上がるから!」ということで、混成チームで大会に出ることになったわけです。
そして、出るからには負けたくないのが勝負の世界です。僕は審判長席にいるので、全部の取り組みを見ているわけです。だから、いろいろ悪知恵を授けて、大会に臨みました。最初は、アルゼンチンのAチームとの対戦だったです。僕らは、ペルー人が一人もいないペルーチームですよ。インチキペルーチーム。すると、真ん中のピエロが燃えたわけです。かつてキャプテンだった私を追いやった!ということで、彼は立派に勝利しました。そして、その後も勝ちまして、三対〇で勝ってしまいました。
そして、次は、ベネズエラです。さっきのチャンピオン、牛のような男です。彼には勝てないということが分かっていたので、ピエロに犠牲になってもらいました。そして、あと二つを取ります。二対一でベネズエラに勝ちました。
次は開催国のパラグアイです。二チーム出まして、Aチームは結構強かったです。みんな日系人でした。でもこれにも一致団結して二対一で勝ちました。
そしてブラジルです。優勝候補。日本の岩手チームかブラジルのAチームが優勝候補だったのです。そうすると、ブラジルには、この両端の二人が燃えるわけです。「俺をBチームに追いやりやがって!」と、この二人が燃えて、ブラジルにも二対一で勝ってしまいました。準決勝に勝ちました。
あれよあれよという間に決勝まで行きまして、決勝は岩手県の国体チームとでした。すると、この真ん中のピエロがやらかしまして、飛んで相手をひっくり返して、中堅戦は色の黒い彼が負けてしまうのですが、一対一です。そして、ブラジルの彼が勝ちまして、なんとペルー人が一人もいないインチキペルーチームが南米大会に優勝してしまったのです。
なんで、こんな事が起こるのでしょうか?ありえないですよ。これ、映画にできないですかね?ちょっと太った牧師を探して、役者にして、できないですかね?
そんなことで、親善大会に優勝してしまったのです。その後にブラジルに行って伝道しなきゃいけないのに、トロフィーなどをたくさんもらいました。邪魔だなと思いましたが、これが必要なのです。なぜなら、僕は日本から戻りましたら、それを持って、ペルーのスポーツ紙に話をするつもりです。「南米大会を優勝したペルーナショナルチームの代表監督です。」嘘じゃないですよね。ペルー人がいたとかいないとかは関係ありません。優勝したペルーチームの監督ですから、嘘ではないわけです。
二〇一七年の終わりに、ペルーでコンバットゲームという、オリンピック入りを目指している準スポーツ大会が開かれます。それにペルーでチームを作って出ようと思っています。今、練習に二人来ています。格闘技をしていた百キロくらいの兄弟を教えています。日系社会に近づいていくのにも、非常に良いツールだと思います。
ペルーに日本文化会館というのがあるのですが、そこで柔道や空手なんかも教えているのですが、そこに入れていただいて、相撲を教える時間を作って、日系社会と関わっていきたいと思っています。どうぞ、今、新しく、日系人伝道、日本人伝道という扉が開かれていますので、祈って下さい。もちろん、現地人伝道は続けます。これは僕の召命ですから。と同時に、南米中にいる日系人、日本人にも福音を伝える使命が与えられています。

先ほどのピラポという相撲大会があった町には、三人のクリスチャンがいます。七十歳代のご夫婦と、七十歳代の姉妹と、三人で礼拝しています。小学校の教室を借りて、日曜日に教室がないですから、そこで二十本くらいのテープを、何度も何度もローテーションで聞いて、信仰を守っている方々と出会いました。
僕は励ますつもりで行ったのですが、行ったら僕のほうが励まされました。すごいなと。ですから、みなさん、日曜日に牧師先生の話を聞ける、メッセージを聞けるというのは、大きな祝福です。なんか当たり前のように感じますが、普通のことではないのです。神様のみ言葉を取り次ぐ働き人がいて、そこから神様の祝福が流れていくというのはすばらしいことです。是非、神様のみ言葉に、これは特別なことなんだと思って、祝福を求めてほしいと思います。
南米には、そういう日本人が移住した村々がたくさんありますので、そこで宣教師の必要もあります。また、彼らは移民した一世の人たちが多かったりします。多くは五十五年前に移民していますが、スペイン語が話せないのです。日本語しか話せないのです。日本人ですから。そういう所にも必要がありますので、ぜひ思いが与えられる方は、その村々のために祈ってほしいと思いますし、ぜひ短期宣教などで、村々を回って伝道されることも計画されてもいいかなと思います。是非祈っていただきたいと思います。

こうして、九年間、いろんなことを経験させていただいて、成長させていただいています。本当に感謝ですが、今日はまた、ナガランドミッションの前の大切な日曜日を、順先生から時間をいただいて、お話をさせていただいているわけですが、なぜ、ナガランドの前にペルーなのかということも考えると思うのですが、ナガランドは、みなさんご存じのように、日本軍が七十一年前に大変な罪を犯してしまった場所であり、ペルーも、バベルの塔以後、バベルの塔からインドを通って、中国、日本を通って、ベーリング海峡を渡って、カナダ、アメリカ、メキシコ、そして中米、南米まで行った日本を通った異民族が、ペルーのカラルという場所にたどり着いて、ピラミッドを作って、偶像礼拝を始めたわけです。それが南米の一番初めの歴史です。
ですから、日本人と南米の人たちは一緒なのです。そして、この日本人が犯した罪を悔い改めるために、私たちが行けない所に、ミッションのスタッフ、先生方が行ってくださいますから、本当にこれは祈っていかなければならないのです。そのように世界中、あちらこちらで、神様の働きがされているのです。悪魔、悪霊の働きというのは散らすのです。壊してしまうのです。バベルの塔がそうでした。ですけれども、神様の働きは、それをまた一つにするのです。ですから、私たち日本人があちらこちらに行って、神様の働きをする、み言葉を伝えるというのは、とても大切なことなのです。

今日は、聖書から少しお話をさせていただきたいのですが、民数記二十一章、先ほど読ませていただきました所から、お話をさせていただきたいと思います。

このようにして、僕はペルーで活動しているのですが、今回、実は帰って来る前に、少しショッキングな事件がありました。僕の所によしや君という、かつて引きこもりだった若者が来ています。引きこもりだった彼が、ペルーに来て、癒されました。僕の所には引きこもる場所がありません。彼は、物置に寝ていたのです。そして、毎朝、「おい、よしや君、行くぞ!」と言って、引っ張り出して、彼と二人でセメントを塗って大工仕事をして、今の教会を建て上げました。そうしていく内に、彼は引きこもりが癒されたのです。
それを聞いて、もう一人の若者がやって来ました。自閉症があったのですが、そのことは知らないで引き受けました。家族から見放されて、捨てられた若者だったのです。ずっと東京で一人暮らしをしていて、食事はカップラーメンだけでした。十年近く引きこもった青年が僕の所に来ました。一年半、彼を預かるのですが、彼は結局、自分の人生を、自分の手で終わらせるという選択をしたのです。十月のことでした。順先生や、新城教会のスタッフの皆様にも祈っていただいて、いろんなことがあったのですが、僕らは本当にショックを受けました。この証しと共に、このみ言葉を読ませていただきたいと思います。五節、

『民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」』

ここに民がつぶやいたことが書かれているわけです。なんで出エジプトした民がつぶやいたかと言いますと、この少し前なのですが、彼らと一緒に旅をしてきたアロンの死がありました。民数記二十章二十八節、

『モーセはアロンにその衣服を脱がせ、それをその子エルアザルに着せた。そしてアロンはその山の頂で死んだ。モーセとエルアザルが山から降りて来たとき、』

とあります。モーセは、上手にしゃべれない、言葉が足りない人間だと自分で言いました。そうすると、神様は、「おまえの兄弟、アロンがいるじゃないか。」そして、アロンと二人で、イスラエルの民を導いて、出エジプトしていくわけです。その民の家族は、男だけで六十万。家族が居ますし、子どもたちを合わせると、二百万の民だったと言われるのです。その二百万の民を率いたのが、モーセと、その兄弟アロンです。そのアロンが、ホル山という山で、神様に取られることになるわけです。「おまえは神様に従わなかったから、ここまでだ」と言ってですね。
そして、アロンが亡くなったショックが、イスラエルの民にはあったわけです。今まで、長い間、四十年、彼らは砂漠をさまようのですが、一緒に歩んで来たアロン。そして、モーセよりもアロンのほうが少し話しやすかったようですね。モーセに言うと、厳しいから駄目だ!と言うのですが、アロンのほうは、ちょっと民のことを聞いたりしてしまって、金の牛を作ったりして、間違いも犯すのですが、アロンのほうがちょっと話しやすかったような所もあると思うのです。そのアロンが、一緒に長く旅をしてきたアロンが、神様に取られた。神様に裁かれたというわけです。そして、「おまえたちは、約束の地に入ることができない。」と言われ、アロンが取られた。なんでだ。私たちと一緒に歩んできたあの兄弟アロンがなぜ取られるんだと。そして民は、その絶えられない寂しさと、その苦しさからつぶやき始めるのです。「なんで私たちはこんな所にいるんだ。エジプトにいた時には、水もあったし、パンもあった。」と言い出すのです。

僕は今回のこの事で、そのことが少し分かりました。たかふみ君という、その青年が亡くなった時に、僕ら家族は、つぶやかないつもりだったのが、つぶやいてしまうのです。「神様、なんでですか!あなたが送ってくださったから、一年半、私たちは彼の面倒を見て来たじゃないですか!」と。そして、だんだん良くなって来たのに、なんで、こんなことがあるのですか!と、私も、妻も、よしや君も、みんなつぶやいてしまいました。
その時、この箇所から励ましをいただきました。 六節、

『そこで主は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。』

とあります。つぶやいた民に向かって神様は、蛇を送られたのです。蛇というのはエデンの園でいう蛇です。悪魔です。ですから、罪を犯した民に、罪を犯したから死になさいということなのです。つぶやいてしまったということは、信仰がなくなってしまったということです。長い旅の中で、「あぁ、アロンが取られてしまった。なんで、神様は、そんなことをするんですか!もうこんなもの食べたくない!」と言って、心が折れてしまったのです。だったら、そのように言うのなら、そこで眠りなさいと。そこで死ぬことも、かまれた人たちにとってはいいことなのです。
僕は、たかふみ君のことを思いました。たかふみ君が、自分で自分の人生を終わらせたのですが、彼はイエス様を信じていたのです。信仰告白をしました。彼の遺物の中に、遺書はありませんでした。しかし、一つの紙切れが出て来ました。「僕はイエス様を愛します。」そういう紙が出て来ました。彼は、自閉症もありましたし、いろんな問題もあったので、イエス様の所に行きますという思いで、亡くなったんだろうと、僕は思いました。
彼の人生というのは、本当に小さな頃から大変な人生だったわけです。周りにいじめられ、理解してもらえず、親にも捨てられて、そういう人生を歩むのですが、最後はイエス様の所に行きますと。だから、神様がたかふみ君を一番良い時に取ってくれたんだなと、僕はここを読んだ時に思いました。

アロンもそうです。アロンも長い旅の中、きっと苦しい旅だったでしょう。民は言うことを聞かないし、いろんな事を言われるし、神様と民の間に挟まれて、アロンも大変だったと思うのです。だから神様は、アロンに安息を与えようとして、「おまえはここまででいいよ。」アロンもそのように取られるのです。だから、たかふみ君が取られたことに対して、僕はつぶやくことができないんだな、たかふみ君を、もっともいい時に、神様は取ってくださったんだなと思いました。

明先生もそうですね。僕はペルーにいて、明先生のニュースを聞きました。あぁ、明先生は、一番良い時に、神様の御元に引き上げられたんだな。そのように思ったわけです。
そして七節、

『民はモーセのところに来て言った。「私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください。」モーセは民のために祈った。すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」』

と、神様はおっしゃるわけです。神様というのは、あわれみ深い方なのです。そのつぶやいた私たち家族に、今こそあなたは、この蛇を作って、旗竿の上につけなさい。モーセはこれを言われた時に、民は二百万という話をさせていただきましたが、二百万の民の前に旗竿の上に蛇をつけたわけです。蛇は何でできていましたか?青銅です。青銅というのは、神の裁きを現しているわけです。蛇をつけて上げなさいと言われた時に、モーセが、のみやいろんな物を持って来て、蛇を綺麗に作って旗ざおを上に掲げる、そんな時間はなかったわけです。やりなさいと言われたら、さっとやらないと、どんどん噛まれて死んでいくわけです。そういう状況で、モーセは蛇を作るわけです。きっと溶けた青銅を持って、地面に垂らして、そんな蛇のように見えない、ただの一直線だったかもしれません。それに水をかけて、固まらせて、蛇を作ったと思われます。それしか理解する方法がないのですが、それを木につけて、上に掲げたわけです。民の数はどれだけいましたか?二百万ですよ。二百万ということは、どれくらいの距離に渡って、その民が駐留していたのでしょうか。きっと、何百メートルどころではない。何キロ四方にも渡って、民がいたわけです。その民に上げられた蛇を見せるというのは、大変な作業です。ここにある十字架のように大きなものだとしても、二百万人からしてみたら、見ることができないわけです。だから、蛇を上げなさいと言われた時に、ああでもない、こうでもない、どうやって見せるんだ?そんなことは言いませんでした。モーセは、「はい」と言って、木を立て、蛇をつけたわけです。そして、どんどん噛まれて死んでいく中で、「おーい!この蛇を見ろ!これを見るならば、おまえは救われる!」と言ったわけです。そしてそれを見た人たちは救われて、「本当だ!噛まれても死なない!」そして、たくさんの人たちがその言葉を聞いて、救われたわけです。

そして、信じた人たちはどうなるかと言いますと、二十一章二十四節~二十五節、

『イスラエルは剣の刃で彼を打ち、その地をアルノンからヤボクまで、アモン人の国境まで占領した。アモン人の国境は堅固だったからである。イスラエルはこれらの町々をすべて取った。』

とあります。なんと、この十字架を見て救われた人たちは、それから戦いに次ぐ戦いの人生を送っていくわけです。そして、勝利を得て、約束の地に向かっていくわけです。これは何を表しているかといいますと、これを読んだ時に私はペルーで僕の励ましのために、このみ言葉を神様は語ってくださったのです。
「おまえはつぶやくな。今こそ十字架を見上げるんだ。」と。蛇というのは罪なのです。罪のために私たちは死ななければならない。それが青銅、民の裁き、民の裁きのゆえに私たちは死ななければならないけれども、その上げられた蛇を見るならば、あなたたちは生きるというのは、まさしくイエス様の十字架です。ヨハネの福音書三章十四節~十五節、

『モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。』

私もモーセの蛇のように上げられるんだと。ですからこの上げられた蛇は、まさしくイエス様なわけです。それを掲げたモーセ。

これをペルーで読んだ時に、これはまさしくリバイバルミッションのことなんだなと、僕は思いました。リバイバルミッションはイエス様の十字架を掲げました。天下にイエス・キリスト以外に救いはないと、日本中、あちこちで集会をされました。そしてそれを支えてくださったのが、新城のみなさん方です。本当によく祈って支えてくださって、日本中に集会が開かれていきました。本当にすばらしい働きだったと思います。それを神様は、たったこの一教会。一つの新城教会に預けてくださって、みなさんを信頼してくださって、日本中に福音の種が蒔かれていったわけです。日本中に十字架が掲げられていったわけです。
ですけれども、この福音というのは、日本だけに広げたらそれでいいというわけではないのです。私たちは世界に福音を伝えなければならないのです。すべての造られた者に福音が宣べ伝えられて、世の終わりが来ると、イエス様がおっしゃられたわけです。ですから、今回のナガランドのミッションもそうです。かつて犯した日本の罪を、日本人が、日本人の代表となって行って、向こうで赦しを請うて、和解の時が与えられる。誰がそれをしたいと思っておられるかというと、神様ご自身がそれをしたいと願っているわけです。ここに書いてある通りです。

『「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」』

このナガランドという町は、リバイバルの町だと聞いています。人口は、いくらいるでしょう。二百万というふうに聞いているのですが、これはイスラエルの数と一緒じゃないですか。二百万の民が、リバイバルの町といったって、二代目、三代目になると、やはりどこでもそうなのです。信仰がしっかり継承しなくて、形式だけ、習慣で教会に行っている人もたくさんいると思います。そこに行って、リバイバルミッションが行って、十字架を掲げるわけです。すると、そこにいる人たちはどうでしょうか。はっきりとまた十字架を見るわけです。イエス様の救いを確信するわけです。きっと、たくさんの若い人たちがイエス様に献身していくでしょう。人生を捧げていくでしょう。上げられた蛇を見たことによって。そして蛇を見た人たちは、やがて戦いに明け暮れて、多くの領地を勝ち得ていくのです。
このナガランドでのミッションも同じ二百万人です。きっと神様は、大きなことをされると思います。もちろん日本との和解も与えられるでしょう。たくさんのナガランドに与えられたリバイバルの祝福が、この事を通して日本にやって来ると信じます。神様がその事をしようとされておられるのです。

それは、ペルーでも同じです。ペルーに私を遣わしました。なんでですか。私がこのリバイバル神学校で学んだということがあります。なぜここに来たのか。それは神様の計画があって。新城教会に聖霊様が触れられた時に、ペルーの方たちが、多く、この新城教会にやってきたわけです。ですから、神様の救いの計画の中に、日本とペルーが一緒に働いていくという、大きな計画があったわけです。その大きな、計り知れない、人間には考えられないような計画の中で、僕はペルーに遣わされて行ったわけです。そして、この貧しい日本人宣教師の僕が、こういうミゲル先生という国のリーダーたちに伝道するような人と知り合い、悪魔の働きは散らすのですが、神の働きというのは一つにまとめていくわけです。

そして、世界中に、このイエス様の十字架の福音が証しされていかなければならないのです。私もこれからナガランドのために祈りたいと思います。ミゲル牧師も明日、中国に行き、その後、ペルーに戻るのですが、これからもずっと、新城のことを覚えて、またインドのことを覚えて祈っていきたいというふうに、今二人で話をしています。神様の終わりの時は、神様の裁きの時、私たちにとって救いの時です。携挙の時は一歩一歩近づいています。本当に世の中は狂っていて信じられないような事件もたくさんありますね。今もまた、フランスのテロがありました。日本国内でも、いろんな狂ったような事件を聞くわけです。そのような時代にあって、私たちは一歩一歩、終末に向かって、突き進んでいるのです。これは止めることができないのです。
私たちにできるたった一つのこと。それは、イエス様の十字架を高く掲げることです。これ以外に私たちにできる奉仕はないのです。ですから、本当にこのナガランドでの働きを、僕も何もできないのですが、祈らせていただいています。きっとすばらしい御業が起こされるでしょう。たくさんの救われる方が起こされて、心が癒される方々が起こされて、日本のために傷を負っていた人たちが、傷が癒されて、今度は日本の救いのために祈ってくださるようになるでしょう。神様の計画というのは、本当にすばらしいと思います。そして、私たちはこの世の終わりの時まで、福音を宣べ伝えていくわけです。

いつもこの言葉を申し上げるのですが、第一テサロニケ四章十六節、

『主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。』

ペテロが上ります。パウロも上ります。明先生が上っていくわけですよ。そして、私たちも一緒に上っていくわけです。そして、いつまでも主と共にいることになりますと、聖書に書いてあります。すばらしいことじゃないですか。イエス様が僕たちを迎え入れてくれるのです。よくやった、我が子よ。よくリバイバルミッションを続けてくれたな。よく日本で集会を続けてくれたな、ありがとう。あなたの献金があったから集会をすることができたんだ。あなたの祈りがあったから、そのことをすることができたんだ。よくナガランドで集会をしてくれたな。よくあの人々に癒やしを与えてくれたな。和解を与えてくれたな。ありがとう!と言って、私たちが天国に帰った時、私たちを抱きしめてくれるのです。こんな恵みはありません。この世でどんなものをもらったとしても、イエス様のハグに比べたら、そんなの屁でもないですよ。そうして、神様が私たちを天で待っていてくださるわけです。

今回、また新城に来させていただいて、昨日もざわめきの集会に参加させていただいて、今日も礼拝の中で、私はたくさんの励ましを受けました。みなさんの祈りの中で、私はまたこの後、ペルーに遣わされていきます。また覚えて祈ってほしいと思います。
三つ申し上げたいと思います。これまでの通り、ペルー人の伝道のことですね。そして、日系人、日本人の伝道のこと。そして、僕らの家族のことです。このことをきっかけに、引っ越しをしたり、この後、バタバタすると思うのですが、すべて神様の導きの中で、適切に対処していくことができるように祈っていただきたいと思います。
本当にみなさんのお祈りを心から感謝します。インドで行われるすばらしい、もうすばらしいのは決まっていますから、イエス様はそこに働かれて、良い、本当に奇跡的な集会になると思います。このことについて、今週も祈ってまいりましょう。またペルーでも、私たちもそのようにして、活動を続けて行きます。いつまで続けるか分かりません。私たち人間というのは、死ぬまで生きますから、死ぬまで生きるのは分かっているのですが、僕もその時まで、神様に仕えてまいりたいと思います。これからも共に奉仕してまいりましょう。神様に仕えてまいりましょう。主の再臨はそこまで近づいています。一言、お祈りさせていただきます。

ハレルヤ。愛する天のお父様、今日も私たちにこのように新しいいのちを与えてくださって、ありがとうございます。神様が与えてくださったこの命を私たちは精一杯生きます。そして、神様、長く祈ってまいりましたインパール・ナガランドミッションが、インドで開かれますけれども、そこに多くの民が、二百万の民がいることを聞いています。たくさんの民族がそこにいることを聞いています。そしてまた、歴史的に日本にダメージをもたらされた、傷を負わされた町だということも、聞いています。神様、イエス様、あなたがその地を癒そうとしておられることを覚えます。神様、どうぞあなたの民をそこに集めてください。そして、日本に傷を負った方々が、この日本から遣わされるミッションチームによって、心に癒やしが与えられ、励ましが与えられ、負われた傷が癒されて、本当に神様をあがめる、苦い根が取り除かれた、そのような新しいナガランドとして、その町がこれからも福音宣教のために用いられていきますように。
神様、あなたがその町を特別に祝福してくださって、天の窓を開いてくださって、リバイバルが与えられた場所だということを聞いていますが、神様、このナガランドでの集会において、たくさんの癒やしが起こされ、そして心癒された方々が、またこの日本のために祈ってくださるように、変えられていく、神様、あなたのご計画をありがとうございます。
けれども、その前に、私たちは、かつて日本が犯した罪を悔い改めなければなりません。神様どうぞ、私たちの罪を、私の罪を、自分さえよければいいと他の人々をあわれむことができない私自身の罪を赦してください。
神様、そしてあなたがこのミッションのすべての日程を守ってくださることを覚えます。一週間のうちの半分が移動に使われるということも聞きました。大変な行程になりますけれども、どうぞ神様、あなたが、万軍の主の軍勢を送ってくださって、そのミッションチームの移動を守ってくださいますように。体調も整えてくださいますように。メッセンジャーの健康、そして語る言葉、神様、その地域の人々にもっとも必要な言葉が与えられて、神様の十字架が、イエス様、あなたの十字架が高く高く掲げられますように。神様、どうぞこの集会を導いてください。
そしてまた、ナガランドの上に開かれた天が、この日本の上にも開きますように。一億二千五百万人の人々が、イエス様、あなたを知らずに苦しんでいます。私たちは、この日本でも十字架を、あなたを掲げ続けていかなければなりません。神様、どうぞ、私たちを用いてください。情熱を与えてください。知恵を与えてください。愛を与えてください。忍耐を与えてください。あなたがご覧になられているその視線で、私たちもこの世界を見ていくことができるように。人々を愛していくことができるように、神様、どうぞ導いてください。
また、この日本にあなたによって戻されましたが、深い深い偶像礼拝の罪を覚えます。イエス様、あなたはもうすでに、この一つ一つを断ち切っておられることを覚えます。神様どうぞ、この日本の民が、この偶像礼拝から解放されて、主の御名によって救われ、そして主の御名によって、イエス様、あなたに仕えていく民族となりますように。イエス様の御名によって、この日本を祝福します。神様、感謝します。今日、ここに来て、私たちはあなたを礼拝していますけれども、あなたが今週生きる力を与えてくださって、今週、また一人でも多くの人に、日本に残る私たちが、あなたの福音を宣べ伝えていくことができますように。一人でも多く救われる今週となりますように。神様、どうぞ、導いてください。すばらしいあなたが、今日も私と共に、明日も私と共にいてくださいますから、ありがとうございます。すばらしいイエス様、あなたのお名前を、心から賛美して、愛するイエス様のお名前によって、お祈りいたします。アーメン。