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『主の夢を叶えるために パート11
~世界の国々のために祈ろう~』

2015年12月6日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
マタイの福音書24章14節

『この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。』

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。今も、「ジョイフル・ジョイフル」というすばらしい演奏がありましたが、ジョイフルと聞いてレストランを思い出した人は、心乏しい人かもしれません。「それは、あんたじゃないの」と言われそうですが、この季節、イエス様がお生まれになったことで、世界中が喜びに湧いています。イエス様のお生まれが、人類の救いにつながったわけです。
この十二月、私たちは、主のお生まれを心からお祝いし、福音を全世界に伝える意識を持ちたいと願っています。

 昨日は、親子クリスマス会が行われまして、百二十人ほど来てくださったそうです。すばらしいですね。これからもクリスマス集会がどんどん続いていきます。是非とも、祈り、多くの方をお誘いしていただきたいと思います。
 今週も、様々なイベントがあります。今週は金曜日に滝元明ミニストリーがあります。天国から帰って来るのか、なんだこれは!と思われるかもしれませんが、平岡先生が父の代わりに奉仕されて、大石さんのお宅で、毎年恒例になっています、ロンさんを迎えてのコンサートがあります。是非とも祈っていただきたいと思います。

 先週は召天式もありました。橋本百合さんと伊藤夕子さんのお父さん、橋本邦彦さんが亡くなられ、先週の金曜日、召天式をさせていただきました。お父さんはご病気になられ、病床でイエス様を信じ、天に帰って行かれました。
 司式させていただいたのですが、お父さんがイエス様を信じる告白をして、病床で洗礼を受ける場面のビデオが流されました。感動的でした。「イエス様を信じます!イエス様を私の神様として受け入れます!」という、深い祈りの中で洗礼式が行われた模様を、誰かがビデオを撮っていたんですね。それを流して下さいました。それで、召天式に参列された全員の方に、主の御名を呼び求める者は救われます!とありますから、イエス様の名前を告白してほしいと思って、最後に「イエス様を私の救い主として受け入れます。」という祈りを導かせていただきました。みんな声に出して祈っておられました。

 イエス・キリストを信じたら、永遠のいのちが与えられます。それを福音と言うのですが、『この御国の福音は全世界に宣べ伝えられ、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。』と述べられていますが、人類の歴史には限りがあります。やがて終わるのです。しかし、神様は公平な方ですから、すべての人に一度は福音を聴かせたいと願っておられます。教会は、すべての国の人たちに福音を届ける使命があるわけです。

 みなさんにお祈りしていただき、インパールとナガランドのミッションも、長い戦いでありましたが、やり終えることができました。本当に感謝しています。LINEの世界宣教報告に登録してくださった方々には、私がマメにレポートを送りましたから、ご覧になられたと思います。信先生が、「順先生はマメだなぁ」と、先週のメッセージで話しておりましたが、私はそれを地球の裏側で聞いておりました。私、結構マメでしょう。こう見えてもマメなのです。でも、マメというよりも、ラインに写真を送っておくと、神学校でそのままiPadのLINEで見せることができるのです。ということで、やっているところもあるのですが、いずれにしても、すばらしいミッションでした。
 インパールやナガランドなんて、私の人生の中に全くない文字でしたけれども、主が、あのような場所に導いていただけて感謝だなぁと思います。
 今、読んだみ言葉にもありましたが、「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて」とありますが、その一躍を担わせていただけていることを考えるだけでも、感動でいっぱいです。それは、私一人だけではなく、チームで働けていることは、本当にうれしいことです。真剣に祈って支えてくださっている方々、現地に行ってくださる方々、様々な役割があるのですが、一人一人が領分を果たして、世界宣教は実現するわけです。

 実は、今週、私は韓国に行かせていただくのですが、韓国で毎年数人、「韓国キリスト教宣教大賞」というのが授与されるのですが、どういう風の吹き回しか、私が選ばれてしまったのです。「今年は順先生を推薦したいのですが、いいですか?でも、通るかどうか分かりません。」ということでした。「どっちでもいいですよ。」と答えたのですが、先日「受賞が決まりましたから来てください!」と連絡があり、今週は授賞式に行くことにしています。神様がこういう機会を与えてくださり、心から感謝しています。なぜなら、これは、一人のことではないからです。今まで、韓国リバイバルミッションを通して、皆で韓国のためにとりなし祈ったり、働いた結果だからです。それを韓国の教会から評価していただいたのは、本当に嬉しいことです。私がみなさんの代表として、受け取って来たいと思います。
 過去にもこの賞、父がもらったことがあります。父の代から、韓国とのお交わりが始まって、「日本から宣教に来てくれて、本当に感謝!」という気持ちで授与して下さるのです。心から感謝しています。この先生方は、有名な先生方ばかりなのですが、主が日本のミニストリーを加えてくださったことは、本当に光栄です。

 これからも、世界をターゲットにしながら、地元にも福音を伝えていきたいです。
 来年の二月、本当に楽しみです。新城に新東名のインターチェンジができるのですから。誰が予測したでしょうか。新城インターチェンジができるのです。これは主が、新城教会にプレゼントとして作られたのかもしれません。遠くからでも新城教会にスムーズに来られるようになります。豊田からは三十分くらいで来ることができます。浜松からは二十分くらいで来られます。東京からだって二時間半で来ることができます。これからは東京から大阪まで、新城教会に来ることができるような道を、主が作って下さったような感じです。地元だけではなくて、日本をターゲットにして、福音を伝えることができると思って楽しみにしています。国を動かして、主がなされたのではないかと思います。
 神様は、個人にもマメに配慮してくださるのですが、全世界という視点で働いておられます。ですから、クリスチャン、教会も、全世界というフォーカスをしっかりと定めて、地域に、家庭に、個人に、福音を伝える時、神の業が現れるわけです。

 マタイの福音書二十八章十八節から読むと、

『イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」』

と言われました。ここには、『あらゆる国の人々を弟子としなさい。』と語られています。先ほどのマタイ二十四章の言葉を重ねますと、世の終わりとは、全世界に対する福音宣教とともにあるのです。
 私たちクリスチャンは、主が帰ってくださるその日をゴールにして働いているわけです。そのための最も大きな条件が、全世界に福音を伝えるという事です。全世界に出て行って福音を伝え、ある人たちは出て行くことができなくても、他の国々のために祈ることは大変重要な働きです。それは神様の御心です。

 マルコの福音書十六章十五節~二十節に、

『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。〕』

と書かれていますが、ここでイエス様は弟子たちに、「全世界に出て行って福音を伝えなさい!」と語られています。私たちが全世界にターゲットをあて、福音を伝える時に、みことばが確かなものとして、しるしが伴い、現れるのです。どこにゴールを定めるかで、みことばが実現するか否かが関わることを知ることができます。
 イエス様の弟子たちは田舎ものばかりでした。ほとんどの人たちがガリラヤ地方という、新城のような田舎の人たちでした。そういう人たちに、「全世界に出て行って福音を伝えろ」なんて言っても、世界なんか知らないわけですから、世界という概念すらなかったと思います。
 しかし、イエス様は、そのように弟子たちに語られたのです。しかしその後、聖霊がくだって、聖霊によって、弟子たちは世界に押し出されたのです。

 一九九二年二月十三日、新城教会に、激しく聖霊様が訪れてくださいました。あの時の雰囲気を思い出していただければ分かりますが、あの時、ナガランドとかインパールにまで行って世界宣教を行うなど、誰が考えた事でしょう。

しかし、あれから二十数年が経ち、やはり聖霊の働きですね。知らない内に、主は道を備えられました。インパール、ナガランドなど、普通では絶対に行かないような場所に、私たちを送ってくださいました。
使徒の働き一章八節に、

『聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。』

とありますが、新城教会にも激しく聖霊が注がれた結果として、今年は青年達がネパールに宣教に行ったり、リバイバルミッションにおいては、インパール・ナガランドで宣教がなされたり、韓国に行ったり、アメリカに行ったり、様々な海外の働きが広がったのです。これは偶然のことでは決してないのです。聖霊が注がれた結果として、起こっていることです。この現実を感謝と共に受け取っていかなければなりません。また、この延長線上に主が帰って来られる日があるわけです。「すべての国民に証しされ、それから終わりの日が来ます」と。
私たちが生きている間に、その日が来るといいなぁと、私は心から願っています。

 みなさんのお祈りに支えられ、今回、インパール・ナガランドでの奉仕を終えさせていただきました。心から感謝をしています。午後から報告会がありますので、是非とも出席してくださいね。本当にすばらしかったです。私は今回で三度目でした。ナガランド・インパールがどこにあるか地図をお見せします。

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 インパール、ナガランド、それはある意味、地の果てです。その地に行くのに二日間かかります。私は今回で三回目ですから、「いや~、またあそこまで行くのか~」と、ちょっと心が重たかったです。はじめて行く方々は、ウキウキしていましたが、二日間もかけて行くんですよ。今回私の行く道順は、はじめ台湾に行って、タイに行って、カルカッタに行って、そこからインパールに入るという二日スペシャルコースでした。
 しかし、ツアーの方々は、私のような過酷な旅ではありませんでした。成田からニューデリーに直接行き、一泊して、インパールまで行く安らかな旅でした。リバイバルミッションが私に最も安いチケットを買ってくれたので、過酷コースでした。
 しかし、後から振り返って感謝しました。あれ?台湾にしても、タイにしても、今までリバイバルミッションを行った国じゃないか!と。神様の計画の中で、こういうコースになったんだなぁと、感謝しました。

最初の二日間は、インパールでリバイバルミッションが行われました。
太平洋戦争史に詳しい方がおられたら分かると思うのですが、日本の軍隊は、インパール、ナガランドにまで兵を送りました。こんな所まで日本兵たちが来たのか!と、ちょっとショックを受けます。ミャンマーのほうから、三百キロ、四百キロと鉄砲を担いで、歩いて攻め込んで来たというのです。それを計画した人物が、牟田口という中将でした。これは日本の戦争史の中で、最悪の作戦であったと言われます。
 十万人近い兵が投入されたのですが、七万人くらいが死にました。その多くが餓死や病死であったと言われます。無傷で帰って来た人はほとんどいないのです。その山中に立つ時、複雑な思いがします。こんな所まで将来のある若者たちが送られて、命を落としたのか。そして、山の人たちにも多くの被害を与えました。今も彼らの思いの中心に、日本があるのです。山の人たちは何千年も全く変わらない生活をしてきた人たちです。そんな中、日本の軍隊が突然入って来て、ドンパチ始まったわけですから、彼らの記憶は、七十年経っても戦争の記憶が中心です。それがあたかも昨日起こったかのように、本当にリアルに残っています。彼らは太平洋戦争とは呼ばず、「日本戦争」と呼ぶのです。

 しかし今回、主の計画の中、彼らに謝罪をし、和解の働きをさせていただきました。今までハワイ、韓国、台湾、タイで、和解の働き、謝罪の働きをさせていただきましたが、いや~、今回ほど心にじーんと来た場所はありませんでした。本当に申し訳ないですが、今まで、そういう集会をやっても、なんとなく両者、冷めたところがありました。しかし、今回は冷めたところがないというか、本当に日本が謝罪に来るのを待っていたんだなぁと感じました。
 和解の集会はインパールにおきましても、ナガランドにおきましても、毎日、新聞のトップ記事でした。びっくり仰天というか、それほどインパクトがあったのです。

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 インドでは本来、宗教活動は出来ません。しかし今回は教会内部の働きだから大丈夫だと、警察所長から許可もらったのですが、毎日、トップ記事でした。集会にも大勢の人たちが来て、日本との和解を喜んでくださいました。
 集会の中で何度も読まれた聖書箇所が、第二歴代誌七章十四節でした。

『わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。』

 このみ言葉は、聖書の中でも重要な言葉の一つだと思います。「わたしの名を呼び求めているわたしの民」、すなわち、クリスチャン、教会ですね。クリスチャンと教会が、自らへりくだって祈りを捧げて、「わたしの顔」、主のみ顔を慕い求め、悔い改めると、罪が赦されるばかりではなく、「彼らの地をいやす」と言われるのです。「地」という言葉は「国」とも訳すことができる言葉です。
 国のいやし、地のいやしは、どこに権限があるのかというと、クリスチャン、教会にあるのです。過去に血が流された場所で、「おお主よ、罪を赦してください!先祖の罪は私の罪です!」とその地の人たちと一緒に祈ると、その土地が癒され、国が癒されていくのです。

 ナガランドとは、「ナガ族の土地」という意味です。土地を特に大切にしている人たちです。しかし、日本人が入って土地を汚しました。土地が汚されたことに、彼らは心傷んでいました。
しかし今回、インパール作戦から七十一年ぶりに、日本人が入って行ったのです。ある意味で、「遅すぎたな・・・」と思いました。もっと早く来るべきだったと。しかしそこにも、主の計画がありました。今年は、太平洋戦争が終わって、七十年目です。七十年とは、聖書から言うなら解放の年であり、回復の年です。長い間、放っておかれたような地でありましたが、太平洋戦争が終わって七十年目に、主は私たちを送ってくださり、和解がなされたというのは、大きな神の計画であると感動しました。

 参加できたことを、本当に感謝しました。日本から三十名、タイから六名来てくださいました。韓国からも来てくださり、海外から四十名近くが一丸となって奉仕をさせていただきました。自分の名誉のためではなく、神の国のために奉仕をしてくれました。背後で祈ってくださっている事を、ひしひし感じました。

 私は今回、行くにあたって、一つのことを祈りました。インパール作戦を調べてみると、そこにあるテーマは、玉砕です。ほとんどの人たちが砕け散ってしまったという、本当に悲惨な歴史です。
でも今回、四十名くらいが行って、誰一人として、病気になったり、怪我したり、問題なく帰ることができたら、霊的な世界では勝利だ!と思っていました。日本に着くまでは、誰一人吐いたり下痢せずに、無事に帰って来ることを真剣に祈っていました。
 実は八月にネパールに二十六名、若者の強いのばっかり連れて行ったのですが、二十六名中、健康で帰って来たのは、三名だけでした。三名の内の一人が、なんと私だったのです。
これが全体の写真ですが、全員、健康で帰ってきました。

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 信じがたかったです。全員無傷で日本まで来たのです。でも、空港から帰る途中に吐いた人はいました。日本に着くまでと私は祈っていましたから、帰って来てからちょっと体調を崩した人たちはいましたが、向こうでは皆、本当に元気でした。すばらしい。信じがたいことです!いや~、今回は主が偉大なことをして下さったと、心から感謝しています。これは、みなさんの祈りがあったからだと信じます。

 最後の日に、ナガランドの方々が、「ちょっと一緒にとりなしの祈りに行ってくれますか?」と言われました。そして、「少し山に登ってくれますか?」と言われました。私は「山に登るんですか?遠いですか?」と聞きました。すると、「ちょっとそこまでです。」と言われました。
海外に行って、「ちょっとそこまで」という言葉を聞いたら、警戒したほうがいいのです。
私はブラジルに行き、「ちょっとそこまで出かけましょう。」と言われました。ちょっとそこまでといったら、教会からピアゴの近所、五分くらいを想像します。しかし、ブラジルでは「ちょっとそこまで」は、百キロ先でした。
またペルーで、「順先生、ちょっと待ってね」と言われました。「ちょっと待ってね」は危ないです。日本ならば五分です。南米に行ったら、ちょっと待っては一時間です。なにがちょっとだ!という感じです。

だから私も「山に登って祈ってください」と言われた時に、「ちょっとそこまで」が心配でした。彼らは、山登りの専門家。足腰は超強い。おばちゃんたちもつっかけで、険しい道をバンバン上がって行くのです。山登りなんか考えてなかったのです。八月のネパールで今年の山は終わりだと思っていたのですが、最後の日、ネパール状態になってしまいました。こんな所を一時間くらい登って、私の家内なんて靴が破れて大変でした。一時間くらい汗だくになって登って行きました。

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 山頂に着くと、記念碑が建っていました。高い所です。そこには日本の国旗が翻っていて、日本兵が使っていた三十八式銃って知ってますか?それがぶっ刺してあって、ヘルメットがかぶせてありました。

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ここは日本軍がかつて、陣地としていた場所なのです。あたりには洞穴がいっぱいあるのです。それは七十一年前に日本兵が掘った塹壕というやつですね。そこに隠れて、イギリスと戦ったのです。銃を見たら、単発式なのです。これでは機関銃と戦っても負けるはずです。
 これは日本兵の末裔の写真です。

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 銃を渡されると、すぐにこういう雰囲気になってしまうこと自体が良いことではないと思うのですが、日本兵が使っていた本物の銃です。向こうの人たちはそれを大切に保存しています。ここでは、日本兵が大勢死んだというのです。私たちは地域の人たちと一緒にお祈りしました。地域の方々は民族衣装を着て、登って来てくれました。盛大な式典になりました。

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 ちょっと話は変わるのですが、斉藤さんというおばちゃんが一緒に登りました。七十過ぎの方です。今回のツアー参加者です。

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 実は、この方と一緒に登って、私はたいへん感動しました。十数年前の話ですが、東京でスーパーミッションがありました。ある教会の一人の婦人が、足に腫瘍ができて、膝から下を切り落とす事が決まっていたのです。切り落とさないとガンが全身に回るから、切りますということで、次の月曜日に手術が決まっていました。
 しかし、堀田先生という若い牧師が、次の週、足を切り落とす予定の婦人に「今、東京でスーパーミッションという集会がやっていますよ!」と誘いました。

ある方は覚えているかもしれませんが、その日は代々木公園に集まって、東京一円にトラクト配布するというプログラムでした。夏の暑い日でした。「そこで、みんなに祈ってもらいましょう!」と、翌週は足を切り落とす予定の婦人を連れて来たのです。
 そして、みんなで木陰で彼女のいやしを祈ったのです。「足が癒されますように!」と祈ったのです。
次の月曜日に、足を切り落としに病院に行きました。そうしたら医者が、「あれ?どうしちゃった!?」と先の写真と比べて、どうしちゃったもこうしちゃったも、治っちゃったのです。それで、切り落とさなくて済んだのです。

その方が、今回、頂上まで登って祈ってくれたのです。斉藤さんです。私は感動でした。彼女が癒されたのは、この日のためだったかもしれないと思いました。
 実は堀田先生の教会に、ナロン先生が来て救われ、やがて、タイでミッションが開かれたのです。
ナロン先生は日本でクリスチャンになって、タイに宣教師として送られました。ナロン先生を通して、ナガランドも開かれたのです。全部つながっています。
 今回、ナロン先生が救われた教会から、斉藤さんが遣わされ、癒された足で登って頂上を踏みしめて祈ったのは、まさに、地の癒やしと深いつながりがあるんじゃないかと感動しました。一つとして無駄なことはありません。私は斉藤さんの右足を写真に撮らせていただいたのですが、神様は一人一人に、重要な使命を与えておられます。皆、一丸となって、主のために働く時に、神の国は訪れるのです。

 実は今回、ナガランドに行って、どういう言葉をお伝えしたらいいのか、なかなか決まりませんでした。しかし、コヒマの集会の最後に、一つのみ言葉を与えてくださいました。それがダニエル書二章四十五節でした。

『あなたがご覧になったとおり、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのは、大いなる神が、これから後に起こることを王に知らされたのです。その夢は正夢で、その解き明かしも確かです。』

 前回私がこの場所に立った時、この箇所からメッセージを語らせていただいたのですが、ネブカデネザルという王様が見た夢でした。それをダニエルが解き明かしたのです。それはまさに、終わりの時代に起こる預言でした。
 それがどのような時代かについては、前回のメッセージで語らせていただきましたので、思い出していただきたいと思うのですが、一つの石が人手によらずに転がって来て、巨大な像の足首に当たったのです。それによって、巨大な像がぶっ倒れて、粉みじんになって、籾殻のように吹き飛んでしまったというのです。するとその小石がみるみる大きくなって、地球規模になって、地を覆ったという夢でした。そのアニメを見せたのですが、そのような解き明かしをダニエルがしたわけです。
この一つの石が、どこから人手によらずに切り出されたのかというと、「山から切り出された」というのです。山から出て来たのです。
 私はナガランドとインパールに行きまして、そこは山の中なのです。特にナガランドの位置は、異教の神々に囲まれたただ中に、クリスチャンが住んでいる地域です。ナガランドは、人口二百万人ですが、インドに属します。彼らは自治政府を持っているのです。インドから独立したいという願望も持っています。アーリア系の人たちとはうまくいかないのです。人口の九十パーセント以上がクリスチャンです。しかし、南のほうにバングラディシュ。これはイスラム教。インドはヒンズー。ミャンマーとブータンは仏教。そして中国は共産主義。ほとんど世界の異教に取り囲まれたただ中に、クリスチャンだけが住んでいる地域があるのです。

 先週の日曜日は、ナガランドの教会で奉仕をさせていただきました。朝歩いている人たちって、みんな教会に向かっているのです。みんな聖書を持って、いそいそと、一張羅を着て教会に向かっていく姿、本当に感動的でした。一九七〇年代、韓国にもそういう時代がありました。今、ちょっと変わっていますが。
 ナガランドでは、日曜日の朝、みんな教会に行くのです。私は、新城に来てくださったフェサオ先生の教会で奉仕させていただきましたが、千七百名くらいが集っておられました。
 しかし、この地域はなかなか緊張感があります。政治的にも周りは敵だらけです。インドもなんとかヒンズーにしてしまいたいと狙っています。ナガランドは暗闇のただ中に一点、神様がレーザー光線で穴を開けたような場所です。
そして、ダニエル書の二章の言葉が心に響いて来ました。こここそ、もしかしたら、人手によらずに切り出された小石じゃないだろうかと。
 ナガランドでは、過去に三回、聖霊が注がれてリバイバルが起こっているのです。人の手に寄らずにリバイバルが起こったそうです。普通は、有名な説教者とか、有名な人たちが関わってリバイバルにつながることが歴史にはあるのですが、彼らは度重なる試練の中、ジャングルの中に逃げ込んで、真剣に祈っているただ中で、一九五九年三月十九日の深夜、聖霊が注がれてリバイバルが野火のようにナガランド全体に広がったというのです。それが三波に及んで、今や二百万の内、九十パーセント以上がクリスチャンになったというわけです。
 ナガランドは、人の手によらずに切り出された小石のようです!と語らせていただきました。四回目のリバイバルが起こったら、世界中に広がり、イエス様のお帰りのために用いられるのではないでしょうか、とお話をさせていただいたのですが、私たちがその場所に遣わされたことも、本当に大きな意味があったと、深く思わされました。

 最後の日の集会は、ナガランド自治政府の首相が来てくれました。メッセージの前に首相が祝辞というか、メッセージを語ってくれたのですが、「政治家だから適当なことを言って票を集めたいのかな」と始めは思っていたのですが、そうではありませんでした。「ナガランドは主のための土地だ!」と、熱いメッセージを語ってくれました。
 自治政府の役人さんたちも、大臣と呼ばれるような人たちも、ほとんどその集会に参加していました。私は最後にみんなを前に招いて、「ナガランドの将来のために祈りましょう!」と呼びかけたら、自治政府の役人たちも全員前に出て来て、真剣に叫んで祈っていたそうです。だから今回、主催してくださった先生方が、「政府の役人たちもみんな前に出て祈っていた!本当に良かった!」と、喜んでくださいました。
 人の目には全くとまらないような、小石のような場所かもしれませんが、主がそこに目を留めて、そこから何かを始めようとされている実感が、ひしひしと伝わるような集会でした。

 そして今回、日本が主体となってチームで奉仕をさせていただいたのは、本当に光栄なことでした。タイ、韓国、また、アメリカからティム・ケプラーさんが来て、通訳はドリアさんでした。彼女はイギリスで生まれたというのです。日本人とイギリス人は、当時は敵同士でした。しかし今では、敵同士がタッグを組んで働きました。おもしろいですね。主が混成チームを作って、働きを全うさせてくださいました。すばらしいことだと思います。

 ナガランドと日本には、共通点が多くあります。この間も話しましたが、特にこれは共通点だなと思ったのは、日本人のソウルフードは何でしょう。これがなかったら生きていけないと言う食べ物は、たぶん、納豆だと思います。今朝も食べて来たという人がいるでしょう。しかし、糸を引く納豆なんて、食べるのは日本人しかいません。これを外国人に食べさせたら吐き出します。韓国には納豆はないことはないけど、日本みたいな納豆はありません。だから私は、韓国に行く時、納豆をおみやげに持って行きます。好きな人もいるので。糸引き納豆って、日本のものかと思っていたら、実はナガランドでも食べるのです。
 どうやって食べる?と聞いたら、卵を混ぜて食べるというのです。これがナガランドの納豆です。

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 本当におもしろいですよね。ナガランド人が昔、日本に来て、日本人になったのかなと思うくらいです。

 彼らは戦いの勇士です。近年まで、首狩り族でした。しかし、クリスチャンになったわけです。日本人も、戦いの勇士だと思います。こんな小さな国に住んでいる者たちですが、あんな所まで攻めて行ったわけですから。日本人って、勇士なんだなと。しかし、サタンの手によって、悪く用いられたわけです。しかし、その戦いの賜物が神様に委ねられたら、今度は霊的戦いのために用いられると思うのです。そしてイエス様のお帰りを迎えることができるのです。
 今回みなさんに祈っていただいて、このような働きを全うすることができたことを、重ねて心から感謝したいと思います。私たちは御国の福音を全世界に宣べ伝えなければなりなせん。

 最後に、私たちは「福音」といいますが、福音とは何かということです。罪が赦されて、永遠のいのちを持つこと、これが福音だと考えているのですが、もちろん間違いではありません。
しかしこの頃、福音の再発見ということが叫ばれています。聖書研究が深くなされ、今までキリスト教会が福音と単純に信じていたものに欠けがあるんじゃないかと言われるようになりました。福音とは、本来、もっと深いものだということが分かって来ました。
 スコット・マクナイトという人が、「福音の再発見」という本を出版して、結構話題になったのですが、今月の「舟の右側」という雑誌、みなさん買っていただくといいと思うのですが、リバイバル神学校でも教えて下さっている中澤先生が、「福音とは何か?福音の再発見」という題で書いています。

 福音を全世界に伝えるという、この福音とは何か?神は世界、全宇宙を創造するにあたり、人間を神と共に世界を治める王なる祭司として造ろう!と計画されました。実際、最初の人間アダムは、そのような使命を果たすため、神の形に造られました。ところがアダムは、与えられた自由意志をはき違え、自分だけで生きようとして、神の戒めを破ってしまいました。人間は神と共にこの世界を支配するという、王なる祭司としての使命を放棄してしまったのです。それでも神は、そのような人間を見捨てず、アブラハムを神の民として選び、全人類を祝福することにしました。その子孫は、イエスを通し、人間に王なる祭司としての使命を回復させようとしたのです。
 二千年の時が経過しました。時が満ち、ついにイエスが世界に来られました。イエスは十字架と復活による贖いの業を成し遂げ、人間に王なる祭司としての使命を回復しました。人間はイエスを主と受け入れることによって、神の御霊を受け、神の子になります。神の子とされたクリスチャンは、キリストとの共同相続人となり、すべての被造物をキリストと共に治めます。それは今の世界において、すでに始まっています。
 しかし、やがて、キリストが再臨される時、神はこの世界を新しい天と新しい地に再創造されます。その世界こそ、クリスチャンにとっての本舞台です。その本舞台において、クリスチャンは、王なる祭司としての使命を永遠に果たし続けます。
 以上が、私の理解する聖書の福音です。福音とは、これ以上のものでも、これ以下のものでもありません。

と綴っていますが、福音とは自分の罪が赦されて永遠のいのち、天国に行けるという、単純なものではないのです。創造から新創造という神の計画の中で、人間を回復し、被造物の管理者として、やがて来る新しい天と新しい地において、王なる祭司としてイエス様と共にこの地を治めるというゴールに向かう、このすべてが福音だというのです。

 御国の福音を全世界に宣べ伝えて行くとは、人が死んで地獄に行かないで天国に行けるという単純な発想ではいけないということです。もちろんそれは含むのですが、私たち人類が、被造物を管理する者として、やがて来る新天新地を待ち望む者として、この全幅の福音を世界に宣べ伝えて行く使命を負っているということです。これから私たちは、その使命を果たし続けていきたいと願っています。
 最後にみなさんとご一緒に聖餐式を持ちたいと思いますが、この全幅の福音、私たちが被造物の管理者として、やがて来たるべき世を治める者としての使命を回復する為に、イエス様はこの地上に来て下さいました。その為に、十字架において命を捨て、よみがえってくださった。そのことを心から感謝して、聖餐式を行いたいと思います。
一言祈ります。


 ハレルヤ。天の父なる神様、御名をあがめて、心から感謝します。この御国の福音は全世界に宣べ伝えられ、それから終わりの日が来ます!とありますが、私たちはこの全幅の福音を、世界に宣べ伝えるために選ばれていることを心から感謝します。
 ここに集っている一人一人、この教会が、全世界に福音を伝える器として用いられますように。そのためにイエス様はこのクリスマスに来てくださいました。また、死んでよみがえってくださいました。この奥の深い福音を世界に伝えるために用いられますように。今日のこの時を心から感謝いたします。イエス様の御名によって、聖餐式を祝福し、み言葉と聖霊によって、今からいただきます。アーメン。