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『確かに、今は恵みの時、今は救いの日です』

2015年12月13日(日)
新城教会牧師 四元雅也
イザヤ書49章8節

『主はこう仰せられる。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。わたしはあなたを見守り、あなたを民の契約とし、国を興し、荒れ果てたゆずりの地を継がせよう。』

 ハレルヤ!主をほめたたえます。今日こうしてみなさんの前に出て、礼拝のご用にあたらせていただけますことを、心から感謝します。
 今、聖歌隊のみなさんの素晴らしい賛美を聴かせていただくことができました。一年に一回聖歌隊の方々は、クリスマスに向けて一曲、大曲にチャレンジするのが常になっていまして、今回もそのために八月くらいから練習をしてこられていると思います。ですから、四ヶ月間かけて仕上げてこられたのですけれども、本当にすごいですよね。毎年違う曲にチャレンジされますので、今年はどんなのが出て来るかなと思いますが、例年にも増して三部構成というのでしょうか。調子の違う曲が三つつながってきました。
 聖歌隊のこういうクラッシックの歌で聞いていると、ソプラノ、アルト、テナー、ベースと、高音から低音まで四つのパートに分かれて(もしかしたらもっとあるのかもしれませんが、)、それぞれがぴたっと合ったと思ったら、また分かれたり、違う所からそれぞれ歌ったりということで、それが一つになると、ああいう素晴しい曲になるので、本当にキリストのからだがそれぞれの器官に分かれているように、歌の中でも、それぞれがそれぞれの役割を担って、一曲のすばらしい曲ができあがるということですね。すごいことだなぁと思います。
 私の家内も去年から聖歌隊に入りまして、本番が近づいて来ますと、家の中でも携帯に録音してある自分のパート練習の音を聞きながら練習をしておりました。家内一人だけでソプラノで歌っていると、なんじゃこりゃあって、へんてこなところで歌い始めるし、全然、全体像がつかめなかったのですが、今、全体像を聴きまして、素晴らしい曲だというのは感じました(それでもつかめていないですが)。これだけ一生懸命やっていたので一回だけで終わってしまうなんてもったいないなと思うのですが、聖歌隊の方が毎年チャレンジしておられることに感謝です。

 今、教会では、というか、全世界クリスマスシーズンでありまして、この教会でもクリスマスのいろんな催しがされております。もうすでに十二月五日から始まっていまして、もう三回集会が終わったのですが、五日の日には親子クリスマスがあり、百二十人くらい集まりました。一昨年くらいから始まったヒーローショーが今年もありました。

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 最初のうちは、ヒーローが出て来ると、中には怖がって泣く小さな子どもがいたりしたのですが、今年はどうもヒーローも市民権を得たようで、子どもたちも喜んで、集会の後も写真をヒーローと写真を撮ったりしておりましたが、素晴らしい集会の中で、イエス様を信じる祈りを、子どもたちも、また親御さんも一緒にすることができて良かったと思います。

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 それから先週は、金曜日に、新城教会員の大石冨子さんのお宅で、ゴスペルコンサートが開かれました。教会ニュースにも証しを載せていただいたので皆さんも祈っていただいたと思います。この集会も今年で三回目になるのですが、例年同様に多くの方が集まってくださいました。求道者が六十名、また、スタッフなど入れますと、もっと集まったと聞いております。ティム・ケプラーさんと、ロン・ブラウンさん、それから平岡修治先生が奉仕してくださって、大変すばらしい集会になりました。

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 そして昨日行われましたのが、子どもクリスマスです。去年から、屋台というか出店というか、そういうものをたくさん用意して、子どもたちに遊んでもらって時間を過ごして、その後で福音を聞かせるという形で集会が持たれています。これはヨーヨー釣りをしているところです。

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 そして、今回、瀧川充彦兄弟がメッセージをされました。イエス様の十字架の福音をダイレクトに子どもたちに教えて、そしてイエス様を受け入れる祈りまで導いてくれて、良い集会の時を持つことができました。全体で三百三十人、子どもと親御さんが二百九十名くらい来ておられまして、大変すばらしい集会になりました。みなさんに背後で祈っていただいて、このような集会を持つことができています。

 そして今週は、土曜日にレツプレクリスマス。そして日曜日には東京礼拝のクリスマス、そして土曜日、日曜日と、インターナショナルのクリスマスも、浜松と新城で行われることになっていますので、また是非続けて、今週行われますクリスマスの集会のためにもお祈りいただければと思います。


 みなさんに祈っていただきまして、私も、先月末に行われましたインパール・ナガランドのリバイバルミッションに参加させていただくことができました。先週、すでに、順先生からいろいろ報告もありましたし、午後の集会でも報告させていただいたので、ご存じかと思いますが、海外ミッションが二〇〇七年から行われるようになりました。その中で、私は今回初めて、本大会に参加させていただく恵みにあずかりました。
 でも最初は「はぁ、ナガランドかぁ…」と、行くのに二日かかる!ガタガタの山道を何時間もかけて移動したりするとか、食べ物が辛い!とか、いろいろ前評判を聞いていたので、どちらかというとあまり気乗りがしませんでした。
僕は内弁慶なところがありまして、そうやって外に出て行くと、何をしたらいいかと、うろたえてしまうことも多いので、テンションが下がっていたところもありました。もちろん行かせていただくことは光栄なことですが。
 当日、成田空港から立つので、空港まで開先生ご夫妻とか、その他姉妹方と私の五人で車で移動して行きました。そうしたら一人の方が、「私は最近、ヨナの気持ちがちょっとわかるようになった」というのです。「昔は、ヨナって神様から直接語りかけられて、あんなふうに拒否できるところが、私はどうしても理解できなかったんだけど、最近なんとなく気持ちが分かるようになった。今回も私はヨナ子だ。」というふうに言っておられたのです。そんな交わりをしながら、「僕も」「私も」っていう話になりまして、「実は僕もなんだ」と、その中に、ヨナ男君、ヨナ子さんが、五人中、三人いたのです。それで励まし合いながら「がんばろう!」とか言いながら、現地に出向いて行きました。

 でも、行ってみて、実感したことは、本当に感謝で恵みでいっぱいの旅行で、「こんなに祝福されるものなのか!」と思わされました。
正味四日間なのに、十日間も留守にする、家族と離ればなれになる!とか、いろいろとつぶやいていたのですが、寂しいということもなく、毎日「楽しくてしょうがない!」と、家内に電話をしておりまして、本当に感謝な時を過ごさせていただきました。

 先週も報告したのですが、日本から、また全世界から、合計三十数名の方が遣わされて行ったのですが、特に日本の各地から集められた方たちがふるっておりまして、沖縄から北海道までまんべんなく、二十数名の方々が集められました。「どうして、このミッションに来ようと思ったんですか?」と聞いてみますと、本当にそれぞれのストーリーがあって、神様によって集められて、そしてチームになった!というような感じがする、そういった集団でした。
 ある方は、「私の叔父がインパールの帰還兵だった。」という人もいましたし、「私が住んでいる場所には、インパール作戦で隊長だった人の記念碑がある。私がその町、日本を代表して現地に出向かないと、という気持ちになって来ました!」という方もあり、本当に全日本から、それぞれの思いを持って駆けつけてくださいました。
 その他、タイからも六人。昨年ミッションが行われたナロン先生のグループが来てくださいましたし、先週礼拝の中でも話されていました、足が治ったという斉藤さん。その方を含め、皆さん主の勇士なのです。「祈るために来ました!」と来ておられるのを見て、自分自身がヨナ男君だったのを、申し訳なかったと思いました。
 そしてまた、新城教会の皆さんにも背後で祈っていただいて、この期間を過ごすことができたんだ!ということも実感しました。

 今回ミッションの開催の意義を考えますと、重要な意義があることを順牧師からもお話しされていました。
戦後七十年を控えて、戦時中、日本が迷惑をかけた国々に出向いて行って、福音をもって仕える。また、和解の働きをすることが、環太平洋リバイバル構想として打ち出されたのが、二〇一一年でした。先だって二〇〇七年から、ハワイ、韓国と、すでにミッションが行われていましたが、その後、台湾、タイ、そして今回のインパール・ナガランドに至ったということです。
 滝元明先生が救われて、そして郷里伝道に遣わされたのが一九五〇年、六五年前に郷里伝道が始められたわけですよね。その後、一九七〇年、四五年前に、日本リバイバルクルセードが発足し、日本のリバイバルのために!ということで、働きが日本に広げられていきます。一九九二年に新城教会に聖霊が注がれて、同時に、全日本リバイバル甲子園ミッションという働きが行われました。それがまた全日本リバイバルミッションに引き継がれて、一九九八年の武道館、二〇〇〇年のスーパーミッションにつながっていくわけですよね。そして地方開催。
 二〇〇三年からは、新城教会で、とりなしの祈りが世界に向けられることが起こされます。インドネシアのバリに始まり、全世界いろんな所で、順先生を中心にとりなしチームが派遣されていって、祈りが捧げられるようになっていった中で、二〇〇七年からは海外ミッション。
新城教会の歴史を振り返り見ると、最初は滝元先生の郷里伝道から始まって、日本のリバイバルになって、全日本リバイバルミッションへとつながって、そして世界に広がって、というように、新城教会の歩んで来た道のりを振り返ると、主にある福音宣教とリバイバルの拡大を、私たちは見ることができます。
 そして今年、戦後七十年、日本軍が侵攻して行った中、西の果て、最前線に位置するインパールとナガランドの地で、リバイバルミッションが開かれたのです。これは何十年という長いスパンの中で、神様が一歩一歩私たちを導いてくださって開かれた働きです。そう考えると、やはりこれは決して人間の手の業でできることではないことを覚えます。そのことを成し遂げさせてくださった主に心から栄光をお返しする者であります。
 今回、私も前線での戦いに加えていただくことができたのは大きな恵みだったな、こんなに恵まれるんだったら、自腹切ってでも家族を一人くらい連れて行くんだった、と今は思っています。もし、またそのような機会が与えられたら、そうしたいなと思います。

 ところで、インパールとナガランドのリバイバルミッションの中で、全体として流れていたのは、「和解」というテーマでした。
今回現地に出向いたのは日本人だけではなく、日本軍が攻めて行った時に日本軍の構成員として、一緒に入って行ったとされる、韓国籍の方も今回、ミッションに参加されていましたし、日本が対戦していたアメリカの人も参加していましたし、またタイ人の方も参加され、混成チームでした。
インパール・ナガランド共に、和解の集会がもたれたのですが、本当に感動的な集会でした。

 今年の七月二十二日から二十七日まで、ナガランドから九名の方が、この教会に来会されて、集会を持つことができました。彼らが七月二十六日の礼拝で奉仕をされました。その時、新城教会では、ちょうど滝元明先生が地上での最後の日曜日を新城で過ごしておられました。浜松の病院に入院をされていたのですが、すでにかなり体調の悪い状況の中で、新城に帰って来るだけでも相当な覚悟が必要なような状況で、それでも、ある意味命をかけて先生は帰って来ました。
 礼拝が終わった後に、その先生方が、明先生と自宅で面会しました。その時、明先生がおっしゃられたことは、「私たちを許してください。」と、ベッドに横たわった状態で、彼らに謝罪をされたそうです。病床で、自分の命もいつ終わってしまうかもしれない、という状況の中で、明先生が、そのような謝罪の言葉を口にされたことを、ナガランドのみなさんは大変重く受け止められて、ある意味で心揺るがされたというのです。そして、彼らがナガランドに帰る時にも、そのことを口にされていたのです。
 それが今回、リバイバルミッションを行うにあたって、彼らが和解の集会に真剣に取り組んで準備をされていたことにつながったわけですね。「ぜひ聖書を持って来てください」ということで、聖書を持って行って、現地語の聖書と日本語の聖書をその場所で交換するという、一つの象徴的な行為をすることができました。
 今日はその時の、和解の集会の模様を動画に撮ってあります。九分くらいにまとめてあるので、みなさんにご覧頂いて、どんな雰囲気でなされたのかということを見ていただきたいと思います。



 これはナガランドでの和解の集会の模様です。

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 これはナガランドの、当時日本軍が陣地を取っていた場所です。

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一つの山なのですが、頂上に登ったところに記念碑が建てられています。写真の左側の方は、その山がある村の村長さんです。この方もクリスチャンで、「我々がこの山を守っている。我々がこの記念碑を建てた」とおっしゃっていました。
 インパールの方も、ナガランドの方も、このように日本軍が攻めて来たことを記念して場所を残しているのです。ここで大勢の日本軍が死んだんだことを彼らは覚えているわけですね。
 一方で私たち、ほとんどここにおられる人が、二年前までナガランドという名前も知らなかったのです。戦争の歴史に興味のある方だったら聞いたことがあるかもしれない。でも、よっぽど訪れるということはないでしょう。でも、現地の方は、ちゃんと覚えておられて、ちゃんと記念にしておられるのです。
 そういう中で、私たちが彼らの思いを、クリスチャンとして受け取って、そして謝罪をして、互いに和解をして、一緒に祈ることは、大変大きな意義があることじゃないかなぁ、と思わされました。

 そして、「クリスチャンではない人は遺骨収集に来たり、また土地に慰霊碑(偶像)を建てているんだけれども、クリスチャンはなかなか来ないんだ」とナガランドのクリスチャンが言ったと聞いていますが、ついに、この節目に遣わされたのは素晴らしいことです。

 ナガランドの歴史を見ますと、十六世紀くらいまでは、文字を持たない、歴史という認識もあまりない、また国という認識もない、ある意味で日本の縄文時代のような営みをしていました。
 十六世紀になって、当時大国であった、隣国のビルマが入って来て支配を受け、その後、植民地時代に今度はイギリスが入って来て、イギリスの支配を受けるようになる。
 そして二十世紀に入ると、二回の世界大戦。特に二回目の大戦には、日本が入って来て、彼らの土地で戦いをするわけです。そういう歴史の中で、徐々に、彼らの中に「国」という概念が生まれて、日本が攻めて行ったことを通して、それがはっきりと植え付けられたというのです。
 だから大戦が終わった時に、彼らは「自由になりたい!独立をしたい!」と、独立宣言もしたのですが、でもそれが国際的に認められることはなく、葬り去られたのです。それから今に至るまで、彼らは独立運動を展開しています。インドは独立ができた。隣のバングラディシュ、ブータンも、ミャンマーも独立できた。周りの国々は次々と独立を果たしたけど、ナガランドとインパールは、未だに独立できていないのです。
 そればかりか、治安維持という名目で、インド軍が入ってきて、土地を踏み荒らし、独立をめぐる激しい戦闘状態になって、戦力の差は歴然としておりますので、ナガランドは辛酸をなめさせられたのです。一般人さえ虐殺されたり、暴行を受けたり、女性たちは性的な暴行を受けたり、土地や財産を奪われたりと、多くの苦しみを受けてきました。
 そのきっかけを作ったのは、日本が入って行って、彼らの中に「国」という意識が芽生えたことに発端を見ることができるのです。彼らが今まで苦しんできた、その苦しみのきっかけにわれわれはなっているのです。
戦後彼らが、七十年近くにわたって受けている苦しみを、我々は二年前まで全く考えることなく過ごしていた。無知のゆえに何も思わなかった。
私たちが今回遣わされて行った土地とは、そういう土地であります。

 私がナガランドに行く前に、そういうことを調べながら、またこのミッションに、神様がどのような御業を現してくださるんだろうか、と期待しながら祈っていた時に与えられたみ言葉が、先ほど冒頭で読んでいただきました、イザヤ書四十九章八節のみ言葉です。

『主はこう仰せられる。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。わたしはあなたを見守り、あなたを民の契約とし、国を興し、荒れ果てたゆずりの地を継がせよう。』

 ここに『恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』とありますが、今回のミッションが、神様が定められた時に起こされ、それがナガランドの悲願である『国を興す』また、『彼らのゆずりの地を受け継がせていく』ということにつながるように、このみ言葉から読み取ることができます。、そんなリバイバルミッションになったら素晴らしいなぁ。と思いながら、現地に遣わされていきました。

 歴史が始まって以来、強国の支配の中に虐げられて来たナガランドです。大戦以降、独立を求めて、戦って、苦しみ続けてきた彼らの願いが聞かれる約束のみ言葉を受け取り、現地に出向いて行かさせていただきました。

 このみ言葉は、新約聖書の中でも引用されていますが、第二コリント六章一節〜二節です。

『私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。』

 このみ言葉は、前後の文脈を見ていくと、今回のリバイバルミッションの「和解」というテーマを見ることができます。このみ言葉の前、五章十八節〜二十節のみ言葉を読んでみたいと思います。

『これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。』

 ここでは、イエス・キリストについて、神と人との和解をする、仲介する使節、そういう役割を持っていると言っています。そして、私たちが神様との和解を、この世に対して伝えていくという使命があることも読むことができます。
 この六章一節のみ言葉に『私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。』私たちがキリストによって神と和解することができた恵み、これを無駄にしないで(人々に伝えなさい)。キリストが神と人との和解の使節となられたように、私たちも、イエス・キリストと共に、キリストの使節となって、神の和解のために働くことを、神様が私たちに願っておられると、この所で教えています。

 エペソ人への手紙二章十節〜十九節を見ますと、こういうみ言葉があります。

『私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。』

 この十節を見ると、私たちが、イエス様を受け入れた時に、古い自分が死に神様によって新しいものとして新たに造られた。そして、神様は私たちにとって良い行いを、あらかじめ用意してくださっているのです。
 人間は、「救いを得たい」「幸せを得たい」と、いろいろと努力を重ねていきます。しかし、ここで言う良い行いは、私たちが神様の前に出るための「手段」ではありません。いわゆる仏教の「功徳を積む」とかいうことではないです。私たちがする良い行いを「通して」神様の前に出る、救われることができるようになるということではなくて、もうすでに神様が私たちをキリストにあって新しい者として造り替えてくださった。これは、一方的な、神様から私たちに与えられる恵みによって成し遂げられるのです。
 そして私たちが新しい者と変えられた時に、私たちが行うべき「良い行い」は、もうすでに神様によって、新しい創造の中に含まれていて、私たちはそれを行っていくことができるということを教えています。

 そして、「良い行い」が何かというと、ここでも読み進んでいくと、「二つのものを一つにする。また平和を実現する。隔ての壁を打ち壊す。」という「和解」について、両者が一つとなって、今まで他国人であった、今までお互いに交わることのなかった、そういった者が、お互いに一つになっていくということが述べられています。
 ということは、神様が私たちに与えてくださっている良い行いというのは、言うなれば「和解の務め」であることを、私たちはこの場所からも見ることができます。
 今まで私たちを神様から引き離して、また互いに敵対させていた。それはこの十五節に書いてある『敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。』と書かれていますが、神様は人に律法を与えて、正しい行いをするようにと教えてくださったわけですが、私たちが律法の提示した「正しい行い」を実行することができなかった。すると「律法」は、ある意味で検察官のように、私たちを罪あるものとして神様の前で訴え、互いの間に「敵意」を生み出してしまった。神様との敵意、人との「敵意」が、戒めの律法を通して、私たちにもたらされてしまった。しかし、神様の恵みによって、新しい人に造り替えられた時に、私たちは新しい創造の中で、和解という「良い行い」を行っていくことができるということなのです。
 イエス様は「敵意」を十字架の上で葬り去り、私たちにそのような道を開いてくださった。今は私たちがキリストの和解の「使節」として選ばれている。遠くにいる者、近くにいる者が、キリストによって、両者ともに神の恵みの御霊によって、父の元に近づくことができて一つの家族となることができると、私たちに教えてくださっています。それが、神様が備えてくださった「良い行い」だということなのです。
 今回ナガランドで、実感として、そのことを深く認識しました。

 話は変わるのですが、アメリカにおいては、一六四〇年から一八六五年まで、アフリカ人とその子孫が合法的に奴隷とされていました。十七世紀から十九世紀にかけては、千二百万人のアフリカ系の人が、アメリカ大陸に渡ったということです。合衆国だけじゃなくて、いろんな所に奴隷として送られていったのです。一八六〇年のアメリカ合衆国の国勢調査を見ると、奴隷人口は四百万人に達していたということです。彼らの多くは、大きなプラントで強制労働させられていたのです。

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これは綿の農場です。その多くは、人として見られず、家畜のような扱いを受けていたということなのです。

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これもプラントですね。こんな広大な所で働かされた。

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 この写真は、「Great sale of Slaves」「奴隷大セール」という名前がついたチラシです。下の方に、3Bucks, 1Wenchと書いてあるのは、奴隷のカタログですね。「二十〜二十六歳の強い男性」とか、「四十二歳の料理上手の婦人」とか。

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 これは奴隷船の内部の様子です。黒いもじゃもじゃしたのが、全部寝かされている奴隷です。寝返りもうてないようなぎゅうぎゅうの状態で、何層にも渡って貨物のように「積み込まれ」輸送されました。いかに大勢奴隷を運ぶか、とやっていたのです。

 アメリカの忘れられない闇の歴史です。
この奴隷からの解放が、三回に渡って行われたと言われています。一八六二年、リンカーンによる奴隷解放。その後、一九六四年に、マルティン・ルーサー・キング牧師らによる公民権運動といわれるもので、この後、法的には人種による差別は「なくなった」と言われています。
 三回目は、去年から新たな動きとして始まったのが、いわゆる「マイケル・ブラウン射殺事件」で、去年の八月に起きました。

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マイケル・ブラウンという黒人の若者が、無抵抗だったにもかかわらず、警官により射殺されてしまった。そして、大陪審でこの警官に対して罪が「問われない」ことが決定された。そこから黒人に対する差別への反対運動が全米で巻き起こっています。今、人種差別問題が、アメリカでクローズアップされています。

 実は、滝元明ミニストリーでも、今回マキーダさんが来られる予定になっていたのですが、マキーダさんの息子さんが、警官によって暴行を受けるという事件がありました。彼は重傷を負い、それで今回、マキーダさんが来られなくなってしまいました。
僕は明ミニストリーから「祈ってください」と、とりなし要請のメールを受けて、衝撃を受けました。去年、そんな事件があり、今年も何回か同様な問題がメディアで取りだたされている最近ですので、「こんな身近な所に問題が出るのか!」と思いながらお祈りしました。アフリカ系アメリカ人に対する人種問題は、今もアメリカにおいて根深く継続されている現実があります。

 そのことについて一つの動画があります。アフリカ系の女性実業家ですが、この人種問題についてテレビ番組でスピーチしているものです。

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 この方は、メロディー・ホブソンという方なのですが、この方、大変有名な方で、資産運用会社のアリエル・インベストメンツの社長。それだけではなくて、スターバックス・コーヒー、エスティーローダー、ドリームワークス・アニメーション、これらの役員もしている。それだけじゃなく、今話題沸騰のスター・ウォーズで有名な、ジョージ・ルーカス監督の奥さんです。
アメリカでは有名な方です。この方が黒人でありますが人種問題について訴えています。五分くらいの動画になると思いますが、ご覧いただきたいと思います。



 彼女は「Color Brave:カラー・ブレイブ(色に対して勇敢であれ!)」といいました。それは「Color Blindness:カラー・ブラインドネス」の反対の言葉として彼女が作った言葉です。「カラー・ブラインドネス」とは医学用語で、もともと「色覚異常」という意味なのですが、人権的な意味で、肌の色を気にしない、すなわち人種問題について「中立である」という意味合いがあるみたいです。アメリカ人がよく使う言葉なのですが、彼女はその言葉に「違和感を感じる」といいます。それは、「気にしない」のではなくて「無感覚」、特にマジョリティーである白人が人種問題を「無視して」しまっているということ、そこにある問題に気付かない「振り」をすることです。
 アメリカ人社会の中では、ある意味でタブーになっている、人種についての話題を提起して、たとえ不快感を持つかもしれない。勇気がいるかもしれないけど、前向きに話そうよ!と、問題を解決するためにやっていきましょう、というようなお話だったのです。

 さて「今は恵みの時、今は救いの日です!」というみ言葉ですが、恵みの時、救いの日を定められたのは神様です。新城教会の宣教六十五周年、そして戦後七十周年を迎えるこの時に、ナガランドのミッションが行われました。私たちは以前、この地に対して無知でした。でも、そこに向かって行く機会を神様が与えてくださって、そして、今回のような「和解の務め」が成し遂げられた。
 さらに、神と人との和解の務めが、クリスチャンである私たち一人一人には委ねられているわけです。この使命を果たして欲しいというのが、神様の願いであり、果たしていきたい!というのが、私たちの願いであるべきです。
 このリバイバルミッションを期に、世界で回復が起こされていくことを、私たちは期待し、祈り、願っていますが、同じように、私たちの個人的な働きの中でも、この業を行うために、「カラー・ブレイブ」しっかりと目を向けていくということが大切であると思います。

 ナガランドは九十パーセントがクリスチャンだと言われております。行って驚いたのは、ナガランドには偶像がなかったです。町を歩いていても、道を行っても、ナガランドの町の中で偶像を見ることはありませんでした。あっ!一箇所だけありました。それは第二次世界大戦の展示をしている博物館に行った時のことです。博物館の中で一つのコーナーがあって、そこには日本の人々によって持ち込まれた位牌がありました。日本人が持ち込んでいる偶像は見ました。でもそれ以外は見ませんでした。一つも。
 またナガランドの町は、他のインドの町と比べると、クリーンでした。空気も綺麗だし、なんかゴミも散らかっていないし、そして車の動きもマナーがいいなと、そんな感じを受けて、クリスチャン九十パーセントというのも伊達ではないなと思いまいた。でも、一転してこの日本を見ると、九十九パーセントが滅びに向かっていると、ずっと言われ続けています。偶像は町に満ち、社会や家庭は乱れています。
 しかし、ともすると私たちは「カラー・ブラインド」になっている。九十九パーセントが滅び行く魂、この日本の現実というのに対して、関心を払えなくなってしまっている。そういう所があるかもしれません。「カラー・ブレイブ」失われている魂に情熱を持ち、まじめに考え、愛を持って行動することを始めていきたいと思います。

 クリスマス集会が十二月には続いていますが、私たち一人一人に、それぞれ和解の務めが神様からゆだねられている。そして神様が、この恵みの時に私たちに答えてくださる。救いの日に、私たちを助けてくださる。そして、和解の務めをゆだねてくださっているということを覚えて、この日々の働きをさせていただく者となっていきたいと、そんなふうに願わされております。

 今回、私がナガランドで受けた恵みを証しさせていただき、またその中に、神様がこの教会、私たちに対して今まで導いてくださったその導き、そして、私たち個々の人生の中に、ともすると盲目となり、無関心となって、見つめなければいけないものを見つめないでいる、そういった領域についても神様にあって目を開かせていただくことができるように、そんな話をさせていただきましたが、今、一人一人が神様の前に出て祈りましょう。
 これから神様が、この世界と日本に、さらにリバイバルの働きを大きく前進させてくださるように。そのために、私たちがしっかりと目を開かせていただき、しっかりと和解の務めを担っていくことができるように、祈りの時をもって、神様の前に出ていきたいと思います。それではご一緒に、お祈りの時を持ちましょう。

 一言、お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ。天のお父様、今日、み言葉で学んだように、この教会をあなたが今日まで支え、導き、この年、ナガランドまで、インパールまで遣わしてくださり、大きな和解の務めを果たさせてくださったことを感謝します。主よ、私たちがすべての栄光をあなたにお返しし、さらにこの世にあり、あなたが再びこの地に王となって帰って来られるその日まで、私たちが目をしっかりと開き、盲目的ではなく、無関心ではなく、あなたご自身が成そうとしておられる働きにしっかりと勇気を持って臨んでいく者となることができるように、今日ここにおられるお一人お一人を祝福してください。天からの油注ぎによって満たしてください。
イエス様、この日本にも、あなたのすばらしい和解が成し遂げられていくことができますように導いてください。
イエス様の御名により感謝してお祈り致します。アーメン。