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『Happy Christmas!!
~あなたに良い知らせがあります!~』

2015年12月20日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
イザヤ書61章1節~3節

『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。』

 メリークリスマス!クリスマスおめでとうございます。今日は十二月二十日で、クリスマスの週です。そして、今年も残すところ、あと十日となってしまいました。本当に一年、早いですね。みなさんにとって、二〇一五年は、どのような年でしたか。私にとって二〇一五年は、忙しいというか、怒濤のような年でした。ある意味、一つの節目の年ではなかったかと思います。二〇一五年が終わろうとしておりますが、二〇一六年も、主と共に歩んでいきたいと願っています。

 今日は「Happy Christmas!!~あなたに良い知らせがあります!~」という、タイトルでお話しさせていただきます。

一九七〇年代に、ジョン・レノンという、元ビートルズのメンバーが「Happy Christmas!」という曲を作りました。それは「War is over!(戦争が終わりました!)」という内容で、戦争が終わったらハッピーになるというメッセージを込めた歌でした。

 ジョン・レノンとオノ・ヨウコは、よく軽井沢にいました。今から三十年くらい前、私たちは軽井沢で避暑地伝道を父たちとやっていたのですが、旧軽井沢街道の上のほうに一つの教会があって、彼らはよく自転車で教会に来ました。どこかで見たことある顔だなぁと思ったら、ジョン・レノンとその一家が教会に座っていたりしました。金と名声があっても、心には平安がなかったのかなと思います。彼はその後、ニューヨークで凶弾に撃たれて殺されてしまいました。本当の幸せって何なのか考えさせられてしまいます。

 しかし、クリスマスは、なんだか分かりませんが、今聞いた歌のように、心に明かりが灯るのです。ぽっと明るくなる、そんな力を持っています。なぜかと言いますと、聖書が告げているように、良い知らせが届くからです。

イエス・キリストのお生まれは、偶然では決してありません。私たちの生まれは半ば、偶然のようです。「産むはずじゃなかったんだけど…。」なんて言われた人もいるかもしれません。

しかし、イエス様の生まれはそうではありません。旧約聖書には、すでに預言されていたのです。

 紀元前七百年、イザヤという預言者がいましたが、彼は神からの言葉をシャープに受け取って、人に伝えた預言者でした。彼が語った預言の一つが今読んだ、イザヤ書六十一章一節~三節です。九章に行きますと、彼はこんなふうに語っています。イザヤ書九章一節~七節、

『しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。あなたはその国民をふやし、その喜びを増し加えられた。彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜んだ。あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ。戦場ではいたすべてのくつ、血にまみれた着物は、焼かれて、火のえじきとなる。ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。』

 六節の言葉は、まさしくイエス様の事です。当時のイスラエルに、「人が神となる」なんていう考えは、毛頭ありませんでした。しかし、ひとりの男の子が生まれると語り、その後には、『「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。』と告げています。これは神が人となり、地上に来てくださる預言でした。

 イエス様は、突然現れた宗教家とはわけが違うのです。神が地上に送られた神の御子、神ご自身であったのです。私たちはそのような事実に基づいています。ですから、聖書の言葉は信頼できます。この言葉は、今を生きる私たちにも、大きな影響を与えます。

 ここに述べられているように、『戦場ではいたすべてのくつ、血にまみれた着物は、焼かれて、火のえじきとなる。』とあります。「クリスマス」は、ある意味、戦争をテーマとしていると思われます。
 人類の最も悲惨な姿、それが戦争ではないかと思います。

 三週間くらい前にナガランドに行きましたが、ナガランドという、誰も知らないような、インドの東、日本の西の果ても、歴史を見れば、有史以来、ずっと戦いが続いたわけです。どんなにか辛い歴史を持っているだろうと思いました。

 彼らの民族を象徴する彫刻があります。

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 これを見てください。男が左側に土産をぶらさげています。何でしょうか。人の首です。かつては、互いに首を狩り合っていた人たちです。彼らは首狩り族でした。どんな武器を使って首を狩っていたかというと、

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 男が持っているナタ、これで人の首を切っていました。しかし、日本も太平洋戦争の時代には、その地域に入って、首狩り族の人たちの首を狩った(戦争した)のです。けれども、今回、そこで和解がなされました。

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 昔、日本は悪しき剣を持って、この地に入って行ったのですが、その剣を置いて、今度はみ言葉の剣と共に訪問しました。本当に感動しました。このことに関しては、先週、雅也先生が、すばらしいメッセージを語ってくれました。

イザヤ書九章五節にあるように、血に汚された靴や服、大地は血で汚されていました。そんな場所に平和が来る。和解がなされることは、すばらしいことです。

 式典では、剣で戦争のするマネをして、最後に、剣を地面に置き、聖書を交換しました。山の方々って、儀式好きです。

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 剣を置いたら終わりかと思ったら、その剣を日本に持っていけと言うのです。持ってけと言ったって、銃刀法違反で飛行機に乗れないのではないかと心配したのですが、トランクに入れれば大丈夫と言われたので持ってきました。でもご心配なく。これは刃が付いていない、レプリカです。

 戦争が終わるのは、人類にとって、すばらしい知らせです。

話は変わりますが、昨日は、中高生のクリスマス会「レッツプレイズ・クリスマス」がありました。

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 大勢の中高生が集まりました。百数十人でしょうか。私はいろんな現場でメッセージをしていますが、一番大変な現場、それは、いつも語っているように、レッツプレイズです。この六十四歳のおじちゃんが、中高生に話が通じるか否かで、いつも勝負です。そういう時には祈らないといけないですよね。

 私は案外、話のつぼは掴んでいるつもりですが、やはり、何度やっても難しいのが、中高生たちです。興味がなければおしゃべりはするわ、一人がトイレに立つと、三河人は三河の連れなんとかといって、どんどんつられて出て行くわけです。話なんか全く聞いてくれません。だから、私も先週はちょっと憂鬱で、「主よ。何を話したら良いでしょうか。」という感じで「祈るしかない!」と思い、昨日は雁峰山の頂上に行って真剣に祈りました。そうしたら、たいへん良かったです。二十分くらい話してくださいと言われましたが、調子にのって四十分くらい話してしまいました。いつもは脅し戦法で、おばけの話をしたり、悪魔の話をしたり、夜眠れなくなるような話をすることが多いのですが、今回はちょっと戦法を変えました。そのメッセージが通じるかどうかを、孫たちで事前に試してみました。孫たちは一人が四歳。一人は六歳です。彼らが真剣に聞いてくれたら、中高生だって絶対に話を聞くわけでしょう。

でも、あの孫たちを説得できるような話はなかなか難しいです。夕食の時にちょっと試してみたんです。すると、いつもはやんちゃなえりぃも深刻な顔になって、真剣に聞いていました。それで中高生でもやったら、同じように、真剣に話を聞いてくれました。昨日の話をここでやるのもどうかと思いますが、それらも織り交ぜながら、少しお話しさせていただきたいと思います。

 やはり今の若者たちは、歴史を知らないし、世界を知らないです。それで、この教会で行なわれている活動についてお話ししました。特に、毎年、若者たちを連れて、ネパールの山の中に行って奉仕していますよと、話しました。すると、初めて来た中高生たちも感動して、「来年は、みんな行こうか!」と言ったら「行きたい」と言うのです。どうも来年は、百名以上のツアーになりそうです。やんちゃな子たちも、真実を知ると心震えるわけです。「いろいろと不平不満があったけど、いい所に生まれたな~。世界には、大変な国々が多くあるんだ。」と気づいたわけです。そういうことを、いろいろと例をあげながらお話をさせていただいたら、みんな真剣に話を聞いてくれました。これからはこの路線で行こうかなという感じですが、日本の中高生が世界に出て行ってくれるといいと思います。

イエス様がこの地上に生まれてくださった目的が、イザヤ書六十一章一節から書かれていました。イザヤ書六十一章一節~三節、

『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。』



 このように述べられていますが、イエス様が地上に来てくださった目的の一つは、心傷ついた者を癒すためであったのです。

 私たちも人生の中で、時々、心傷つくような時があります。苦しむ時もあります。しかし、イエス様が地上に来てくださった目的は、心の傷を癒すためだと述べられているのは、大きな希望です。「今日、私には傷があります」という方がおられたら、イエス様を心にお迎え下さい。心の傷を癒してくださるのは、私たちを創造してくださった神である、イエス・キリストだけです。

 神は人間に、絶大な自由を与えて下さいました。私たちはなんでも、自由にできるのですが、この自由が裏目に出て、心に傷を負ってしまうことがあるわけです。イエス様が地上に来た目的は、私たちを修理し、心傷ついた者を癒すためです。

その言葉は、最初はイスラエルに語られたものです。日本人にも適用されますが、イスラエル人、ユダヤ人、ヘブル人は、言葉が交錯していて分かりにくいのですが、イスラエル人たちに語られたのは、大きな意味があるのです。

 イスラエルの歴史について、一般ではそんなに詳しくないのかもしれませんが、教会に来ると、イスラエルについて関心を持ちはじめます。歴史を学ぶと、ユダヤ人と呼ばれるような人たちは、世界で一番心傷ついた人たちではないかと思われます。旧約聖書の時代から新約聖書の時代、そして、現代まで、苦しみの中を過ごしています。

十三世紀、一二一五年、ローマ・カトリックが「第四回ラテラノ公会議」を開いたのですが、その時、何を決定したかというと、ユダヤ人たちはすべての職業から締め出され、土地の所有も禁止され、農業も、国際商取引もすべて禁止させられました。

 さらに、彼らには特殊な服装とバッジの着用が義務づけられたのです。ユダヤ人であるということは、その特徴ある服装とバッジによって、すぐに認識できたわけです。

近代にいたるまで、ヨーロッパには多くのユダヤ人たちがいましたが、迫害の対象となりました。

 ご存じのように、ユダヤ人たちは、第二次世界大戦の時に虐殺され、六百万人も殺されたと言われます。これは、第二次世界大戦当時の子どもたちの写真です。

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 昨日、孫に、この写真を見せて、「えりぃ君、星のバッジ付けて欲しい?」と聞いたら、「うん!ほしい!」と言ってました。クリスマスに星のバッジ、いいじゃないですか。でも、この星のバッジ、大きくなってもつけられているのです。

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 やがてユダヤ人たちは、特殊な服を着せられ、収容所に送られ、最終的にはガス室に送られて殺されてしまいました。

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 この話を四歳の孫にしてから、「星付けて欲しい?」と言ったら、「いらない。僕、星いらない。」と言っていました。昨日も、中高生にこの話をしたら、みんな深刻な顔になりました。

 世界で一番深く傷ついた民族、それが、ユダヤ人です。

 しかし、その人たちのただ中に、その民族のただ中に、イエス様がお生まれになったのです。それは、大きな希望です。世界で最も深い傷を負った人たちの中に、救い主がお生まれになり、「心の傷を癒します」と宣言して下さっています。それはお隣の奥さんとの関係が悪くなって傷を受けたとか、親戚付き合いで喧嘩になったとか、誰かからひどい言葉を浴びせられて傷ついたというレベルではありません。

という事は、どんな傷だって、どんな問題だって、解決できない問題はないことを意味します。

 ユダヤ人の歴史を知りながら、イザヤ書六十一章や、先ほど読んだ九章なんかを読みますと、じーんと来ます。本当に神様は、愛の神様だなぁと。世界で最も傷深く、回復不可能な人たちを救うために来られたんだなと分かります。

 『貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、』とありますが、ユダヤ人たちの歴史を重ねたら、日本に生きる私たちにとっても大きな希望です。今、抱えている問題があったとしても、必ず、主は触れてくださる、良い知らせをくださるということです。

先週は韓国に行きました。なぜ行ったかと言うと、ちょっと良い知らせが韓国から届いたからです。この間もちょっと話しましたが、先日、韓国から連絡がありました。韓国では、ある宣教団体が中心となって、年間五名くらい、韓国の宣教に貢献した人たちを表彰するそうです。

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 「韓国基督教宣教大賞」というのがあるそうです。これは今年で二十四回目です。二十四年前からずっと続いているわけですが、「順先生、今年はあなたが選ばれましたから、来てください!」と言われました。「え~!私が!?」とビックリしました。

 でも、嬉しかったです。それは、私個人というのではなく、新城教会、リバイバルミッション、そして、みなさんの祈りと支えによって、日本と韓国の間にあった傷や、歴史的な悲しみを乗り越えた、一つのしるしだからです。私たちの今までの働きを、韓国側から評価してくれたということは嬉しいことです。私が一番よく韓国に行ったので、私の名前になったと思うのですが、これは決して個人のものではなく、教会、ミッション、全体を代表して受け取って来ました。

「奥さんを連れて来てくださいね!ちゃんとネクタイをして来てくださいね!」とか言われて、どんな感じか分からなかったですが、行ってまいりました。

 先に、「あなたの一番いい写真を送ってください。」と言われ、写真をとりました。また、家内も一緒に行くことになってから、家内は、どんな服装をしたらいいのか、どんな髪型にしたらいいのかと、悩んでいました。私は髪型のことは、全く関心なかったのですが、どんな写真を送ったらいいのか迷いました。

そうしたら、また電話がかかってきました。「写真は送らなくてもいいです。事務所にいい写真がありましたから、それを使わせていただきました。」と言いました。どんな写真があったのかと思っていましたが、プログラムの中身を見てびっくりしました。

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 私、どこにいるのか分かりますか。右上です。さすが美容大国、韓国ですね。「見苦しい写真は使わない!」と言っていました。今の俺は見苦しいんだと思いました。他の先生方も、結構、若い頃の写真でした。だからちょっと安心しました。こういう写真だったので、私は挨拶の時に、「今日みなさんは、プログラムに載っている人は来てないとお思いでしょうが、それが私です。」と笑いを取ったのですが、厳かな表彰式で、三百人くらいの人たちが集まって下さいました。なんか緊張しました。

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 家内も私も良い服を着ていきました。

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 私の背広は、岡本政治さんが20年近く前、市内の洋服店で私のために作ってくれた一張羅ですが、私の家内はインターネットで一万円で買った服です。これ、良い知らせです。タテなんかもいただいて、新聞にも載りました。私、有名になっちゃったといっても、かつて私に、髪の毛があったということが、韓国中に知られたということです。

一方的に表彰されたのは、人生で二回目です。漢字テストで百点を取って小さい賞状をもらったとかはありますが、一方的に表彰をされたのは二回目です。一回目は中学生の時。豊川で泳いでいたら、前にも話したことがありますが、目の前に小さな女の子が、ひらひらひらと沈んで来ました。「あぁ!これ、人じゃないかっ!!」その頃、私は本当に泳ぎが得意で、すぐに潜っていって、その子を抱きかかえて出て来ました。発見と救出が早かったので、水面に出したとたんに息をし始めて、泣き出しました。

 その後がかっこよかった。岸までその子を連れて行って、「これから気をつけるんだぜ。達者で暮らしなよ。」と告げて、黙って去って行ったのです。

 そうしたら、私の友達が、それを学校に通報したようです。学校から呼び出しがありました。今まで呼び出されて、良い事は全くなかったのですが、何が見つかったのかなと思って緊張しながら学校に行ったら、人命救助ということで、表彰状をもらったのです。今回はそれ以来でした。

 でも今回、ある意味で、良い知らせでした。日本と韓国の和解のために働かせていただいて、光栄だなぁ、感謝だなぁと思います。韓国教会も感謝してくださった事を、本当にうれしく思いました。「チョンマルカムサハムニダ~(本当にありがとうございます)」、韓国語はこれしか知らないのですが。やはり平和のために働くのは良いことです。争いのためではなく、剣を置く、和解のために働く事は良いなぁとつくづく思いました。

第二コリント人への手紙五章十七節~十九節に、こんな言葉があります。

『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。』

 イエス・キリストを信じると、新しくなるのです。永遠のいのちが与えられるのです。いつも話していますが、永遠のいのちは、死後のいのちの後のいのちです。この地上にもう一度、新しいいのちでよみがえる日が来来ます。これが福音です。それを、新しいいのち、新しい人生というのです。

 私たちが今、イエス・キリストを信じるのは、新しい地が再創造される前に、新しいいのちの保証書をもらうようなものです。立場的には私たちはすでに、新しく創造された者たちです。このクリスチャンの使命は何かというと、和解のことばを告げることです。

 今まで対立していた領域に入り、和解する働きが、クリスチャンに委ねられているのです。最大の対立関係は、自分と神様との関係です。神様から勝手に逃げて行ったわけですから。しかし、神様との関係が良くなったら、今度は外に出て、和解の働きをしなさいというわけです。

ナガランドに行ったり、韓国に行ったりして、和解の務めをさせていただけて、本当に感謝です。

 前回も話しましたが、一九九二年に、聖霊様がこの教会に激しく訪れた時に、預言的な言葉が与えられました。私の家内に聖霊が激しく注がれて、預言的な言葉を私に語りました。それは「聖霊が注がれたのは、意味がある。それは、かつて日本が悪しき剣を持って傷つけた国に、やがて、霊的戦いの剣を持って、癒やしのために、和解のために出て行く日が来る。」と告げられたのです。

 一九九二年、聖霊が注がれ、その後、いろんな問題が教会に起こって、どん底で、これからどうやっていけばいいのか迷っていた時のことです。その時に主が、「霊的戦いと和解の働きをするようになります。」と語られました。私はその時、信じることができませんでした。先のことなんか、全く希望が持てなかったからです。

 しかし、それから二十数年が経って、振り返るとまさに、主はそのように導かれています。ナガランドやインパールに行って、そんな働きができるなんて、夢にも思わなかったです。先週も雅也先生が語っていましたが、最近まで、そんな場所があることすら、知らなかったと語られていました。日本はアジアの諸国に様々な傷を与え、対立の壁を作ったことを、国民にはあまり知らせていません。

 インパールとナガランドに行ったら、本当に喜んでくださいました。日本人が七十一年ぶりに来た!と言って、歓迎してくださいました。七十一年ぶりというのは、一九四四年に日本軍が入ったからです。「長い間、来なかったね。」と言われて、ちょっと心が痛かったです。しかし、戦後七十年というタイミングで行けて良かったな、これこそ神様の働きだなぁと、感動しました。

時には、人生の中で様々な壁ができたり、様々な対立関係が生まれることがあるかもしれませんが、イエス・キリストを信じることは、壁を越えることになります。また壁を壊す働きのために使って下さるのです。

 特に、戦争で生じた民族間、国と国との壁を打ち破るのが、個人的な壁以上の大きなテーマだと思います。

 私は先週、韓国での華々しい席で、少し場違いな感じがしました。なんか私と家内だけが浮いているような感じでした。でもたいへん歓迎して下さいました。

 また、先週の日曜日は、二つの教会で奉仕をさせていただきましたが、一つの教会は、へりくだった教会でした。それはすごく印象的でした。日本はお隣の国とあまり良くない関係です。しかし、クリスチャンは、近い国々のために祈らなくてはいけないのです。

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 これは朝鮮半島。韓国にいきますと、韓半島と言います。半島のすぐ近くに日本があります。すごく近いです。韓国と日本の間に、対馬という島があります。ここは日本の領土です。ここから釜山まではたったの、四十キロです。

 対馬に行きますと、「釜山が見える丘公園」がありまして、私はそこにとりなしの祈りに行ったことがあるのですが、夏には釜山で有名な花火大会があるのですが、対馬の人たちはその公園に行って、釜山の花火大会を見物しているのです。

 時折、釜山のほうから風が吹いてくると、「キムチのにおいがするねぇ」というくらい、それは冗談ですが、本当に近いのです。

 日本人ってほとんどが、朝鮮半島経由で渡ってきた人たちです。本来、ルーツは同じです。しかし一九一〇年から四十五年まで、日本は帝国主義により朝鮮半島を占領支配しました。

 喧嘩は、殴った方は覚えていないけど、殴られた方はよく覚えているものです。植民地にされて、三十数年も牛耳られたのは、韓国、北朝鮮も含めて大きな傷になっているのです。

 しかし、どうでしょうか。近頃日本は、「慰安婦や強制労働はない。」とか言っています。戦争はそもそも、なんでもありの世界です。

 今回もナガランドに行ったら、日本兵が攻めて来た時、「女たちもいたよ。」というのです。「この銃は女の日本兵が使っていた軽めの銃だ。」と、見せてくれました。軽いと言っても結構、重かったです。でもその女性たちはどういう人たちかといったら、慰安婦たちです。最終的には、慰安婦たちまでも、銃を持たされ、戦わされたわけです。

 戦争って悲惨です。絶対にやってはいけないのです。日本が隣の朝鮮半島に入って行ったことが一つの原因となって、戦後、朝鮮動乱が起こって、北と南に分かれてしまったわけです。南のほうはアメリカが取って、北のほうはソ連に支配されました。世界の大国の狭間に半島が置かれたのです。

 戦争は、必ず何らかの利益のために行われるもので、ニュースの報道をそのまま受け取ってはいけません。その後ろにあるものを見なければいけません。北朝鮮について日本人は、本当に悪いね!と考えるわけですが、結局、北朝鮮も、ロシアとか中国の大国の思惑のために、うまく使われているだけです。そして、ある指導者によって、悲惨な状況が生まれていることは確かです。

 全体に対して壁を作ったり、悪い思いを持ったりするのは、良いことではないのです。

 実は私、先週の日曜日は、北朝鮮から脱出してきた人たち、「脱北者」というのですが、その方々の教会に行って、奉仕をさせていただきました。三年前にも、その方々のキャンプで奉仕をさせていただきました。この写真をお見せしたと思います。

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 この子、背の低い子ですが、十八歳です。日本で十八歳ではもっと大きいです。この子は小さい頃からストリートで育ったというのです。

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 市場にたむろしている子どもたちの一人として育ったというのです。「何を食べて生きていたの?」と聞いたら、「市場の人たちが捨てた食べ残しを拾って食べ、生き抜いてきた。」と言うのです。「そういう子たち、大勢いるの?」と聞いたら、「いっぱいいるよ。」と言っていました。これはインターネットからの写真です。

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 食べる物もままならない、これは有名になった写真です。石ころを食べている写真です。
 彼女は、「こんなのは普通だ」と言っていました。「何のために脱出したの?」と聞いたら、一言、「生きるためです。」と答えました。

 昨日もこれらの写真を中高生に見せたら、日本に生まれて良かったという安堵感と、近くにそういう人たちが住んで居ることに関心を持たないのは、いい事じゃないと話しました。そのような方々のために、覚えて祈ってあげなくちゃ!と話しました。

 私は三年前に会ったこの子のことが、気になっていました。なぜならば、この子と友達の洗礼式の手伝いをさせていただいたからです。
 この子たち、どうなっちゃったかなぁと思っていましたが、その教会で三年ぶりに出会いました。

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 今、彼女は二十一歳です。韓国では生まれた時を一歳と言うので、日本の二十歳です。先週撮った写真なんです。
こんなにも背が大きくなって、ふくよかになって、綺麗になって、良かったなぁと感動しました。

 彼女は心も癒されて来て、こう言っていました。「私は今まで学校に行ったことが一度もない。でも来年から高校に入る。」来年からは高校生活が始まるというのです。通信制?と聞いたら、違う、通うというのです。「学生生活なんて初めてだから、ちょっと不安だけど、楽しみ!」と言っていました。

 私たちはそういう方々のために覚えて、祈らなくちゃいけないことを、もう一度確認しました。本当の意味で、心の傷が癒され、希望を持つことができるのは、福音の力以外にありません。

最初に話しましたが、聖書の言葉は、まずはユダヤ人に対して語られました。世界で最も深い傷を受けた民族、それがユダヤ人だと話しましたが、神様が目を留めて「癒してあげますよ」と言われていることは、世界中で傷を負った人たちに対応できるということです。

 私たちイエス・キリストを信じた者たちは、和解の務めがゆだねられて、「和解」という二文字を持って出て行くのです。福音を伝え、人々との和解を取り持つのです。神の和解を取り持ち、国と国との間の和解にも、積極的に関わっていかなければならないのです。

 昨日、私は中高生たちに話しました。今、この国が戦争に向かっている、誰が戦争に出かけて行くのか知っていますか?それは君たちだよ。君たちの世代が、戦争に出て行く世代になるんですよ。だから、君たちが、本気で祈らなくてはいけないよ!イエス様を信じて、平和のために祈らなくちゃいけない!と話し、一緒に祈る時間を持つことができました。

 世界の歴史は、悲しいことの連続のようですが、イエス様が地上に来てくださった目的は、心の傷ついた人たちを癒し、捕らわれ人を解放し、囚人に釈放を告げる為とあります。

捕らわれ人、囚人を解放するとは、何を意味するのか。究極的には、サタンの力からの解放です。サタンのチェーンを破るために、イエス様はこの地上に来てくださったのです。不幸の根源である、悪魔・悪霊どもは、アメリカ軍が出て行ったって、戦うことは出来ません。日本がいくら最新兵器で応戦しても、だめです。しかし、私たちクリスチャンが出て行ったら、悪魔・悪霊どもは打ち破られ、倒れるのです。こんなすごい兵器を持っているクリスチャンが、この働きをしなかったら、神様の前に本当に申し訳ないです。教会はこの剣を使って、地域に、国全体に、世界に出て行く義務があります。主はそれを望んでおられるのです。

 そのために、私たちの心の傷や束縛を解放し、自由にし、整えて下さいます。福音とは、地上に再びイエス様が帰って来られた時に、この地をイエス様と共に、共同相続人として治めるのが本番です。その日を目指して、働くのです。このクリスマス、神が人となられた深い意味を、今日のメッセージを通して、少しでも理解していただきたいと思います。

 そして日本だけでなくて、世界に目を向けて、特に、世界で苦しんでいる人たちのために、私たちが祈り、とりなし、なんらかの実際の働きをする者になりたいと、心から願う次第です。

 このクリスマス、共に、世界の国々のためにも祈りましょう!

 今から聖餐式を行います。イエス様が流してくださった十字架の血潮、そして復活は、私たちをサタンの力から解放して自由にし、和解の務めを与え、和解の剣を与えて、私たちを遣わすためのものです。

 このクリスマスの時、イエス様の誕生だけでなく、イエス様の十字架と復活を心から感謝して、決意を新たにする時にしたいと願っています。一言、祈ります。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝します。今、日本には平和があることを心から感謝します。しかし、世界には、多くの苦しんでいる方々や、悲しんでいる方々がおられます。主よ、どうかそのような中で、私たちが何をしたらいいか、教えてください

 今日は、私たちの心の深い傷を癒し、束縛を解いてくださる、主の誕生についてお話ししました。今から主の勝利を記念する聖餐式を行います。私たちが個人的な領域だけでなく、日本全国、世界に心を寄せ、クリスマスを祝うことができますように。今日のこの時を心から感謝します。イエス様の御名を通して、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。