『時を悟り、時代を見分ける者となろう!』

2016年2月21日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
第一歴代誌十二章三十二節

『イッサカル族から、時を悟り、イスラエルが何をなすべきかを知っている彼らのかしら二百人。彼らの同胞はみな、彼らの命令に従った。』

 ハレルヤ!ゴスペル・クワイヤーの賛美、すばらしいですね。本当に元気が出ます。ブラック・ゴスペルは、アメリカの黒人たちから沸き上がった、信仰をベースとしていますから、背後に実体験があるわけです。「イエスの名によって、敵を打ち負かしました!」と歌っていましたが、彼らはそれを体験して、歌にしたわけです。私たちも、イエスの御名によって、敵を打ち破り、主の勝利を宣言する者たちです。

 新東名が開通したので、先週は、自分で運転して、どのくらい近くなったのかを試してみました。家内と休みの日に、浜松にカインズホームがあるのですが、買い物に行って見たのですが、三十分で行けました。
 浜松いなさから、五分ちょっとで新城インターに到達するのです。帰りに、私は新城インターを通り過ぎてしまい、岡崎東まで行きました。しかたなく、岡崎のデニーズで食事をして、下道で帰って来ました。本当に近くなったなぁと、感謝しています。これからは、地の利を生かして、広い地域に福音を伝えなくてはならないと感じました。

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 今年、リバイバルミッションは、四十七都道府県をめぐってのリバイバルミッションが計画されています。是非とも、お祈りいただきたいと思います。エゼキエル書四十二章を知っておられるでしょうか?そこには「すべてが生きる」というみ言葉があるのですが、水の流れが神殿の敷居から流れ出て、すべてが生きるというみ言葉です。それに因み、日本には四十七都道県がありますが、すべてが生きる一年であってほしいと願っています。
 四十七都道府県の巡回集会と言っても、自分の県のことは関心を持ちますが、他府県になると、あんまり関心を持たないものです。しかし、今年は、日本全国のクリスチャンの方々に、四十七都道府県のすべてを意識して、日本全体が生きるように祈ってほしいと願っています。
 それで、どうしようかと考えて、この頃、いろんなコミュニケーション・ツールがありますが、昨年もネパール宣教の時、LINEに登録していただいて、情報を一斉に配信するようにしたところ、リアルタイムで祈っていただき、本当に良かったです。それで、リバイバルミッションでもラインを始めました。
 今日は、みなさんのお手元に、リバイバルミッションニュースが渡されましたが、そこに、QRコードが印刷されています。なんだか訳のわからないマークです。昔、こういうのが流行りましたよね。

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 知ってますか?隠し絵ですが、この中にイエス様が描かれているのです。どこなんだろう?

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 QRコードはこれによく似ていますが違います。ここに登録していただき、日本全国のために祈っていただきたいと願っています。

 リバイバルミッションでは、月に一度、話し合いの時が持たれるのですが、決められたことを実行に移すのは、結構、早いです。
 今回、四十七都道府県なので、「すべてが生きる」というテーマでやりたいね、ということになり、あっ!ざわめきの中に、「すべてが生きる」という歌があるじゃないか!と。それをテーマ曲にしたらどう?ということになって、「そうだ、それがいい!」という話になり、すぐに開先生に電話したのですが、「古い歌じゃ駄目だ。」と言って、次の週には、新しい曲が届きました。「これどう?ちょっと地味だけど…。」とか言って。
 しかし先週は、その曲を上條頌がプロデュースして、レコーディングしました。あっという間です。そうしたら、派手な曲になりました。川が流れて、最後には空に飛んで行きそうなイメージです。このまま一般のメジャーのコマーシャルソングにでも使えそうな感じになりました。LINEに登録していただきますと、無料で配信されます。まだ、情報はあまり流れていないですが、早めに登録して下さい。
 今から、「すべてが生きる〜Part2〜」、ニューバージョン、先週できたばかりですが、お聞かせします。どこでレコーディングをしたかと言ったら、教会の一室で作りました。どこでもハイ・クオリティーのものができるようになったのですね。では、聞いていただきたいと思います。昔、「川の流れのように」という曲がありましたが、そのイメージは捨てていただいて、映像と共に聴いていただきたいと思います。

♪すべてが生きる 〜Part2〜

すべてが生きる 世界が生きる
主イエスのいのちの 川が流れ込み
すべてが生きる 世界が生きる
主イエスのいのちの 川が流れて

いのちの君 主イエスの愛
十字架の上で 流された血潮
罪を赦し 病を癒す
主イエスの愛に すべてが生きる

 こんな曲ですが、すばらしいでしょう?神様に拍手をしましょう!ギターは頌が弾きましたが、ベースもうまいでしょう。誰が弾いたかというと、森勇士君です。なかなか腕を上げましたね。印象的なベースを弾いていました。新城教会製で、すべて自家生産です。いのちの水が四十七都道府県全体に行き巡るように祈りたいと思います。
 今からみなさんで、立ち上がって、四十七都道府県が生きるように、ご一緒に祈りましょう。自分が一番気になる県もあげながら、しばらくの間、一緒にお祈りの時をもちたいと思います。

 父なる神様、感謝します。今年は四十七都道府県に福音を伝え、日本全体が祝福されるように願っています。どうかこの願いを聞いてください。
 今日は、新しいテーマソングも紹介させていただきました。ここから、新しい流れが全国に広がっていきますように。日本が生きて、主に用いられる国となりますように。末の日のリバイバルを、日本から始めて下さい。今日も、み言葉の中で、主が語ってくださることを信じます。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

 イエス様に拍手をします!お隣の方に「あなたのすべてが生きます!」と宣言して、お座りください。

 今週は、二月最後の週ですね。三月が目の前に迫っています。まもなく新しい年度が始まるわけですが、大勢の中高生が受験戦争でがんばっています。この時期になりますと、戦争が家庭の中に起きます。それは受験戦争です。家族を巻き込んで、大変な戦いなわけですが、新城教会に属している兄弟姉妹も、発表が待たれるところです。たいへんな時代です。
 私のように、歳を取って来ますと、受験戦争も遠い昔の話で、だんだん頭が固くなって、柔軟性を失います。どういう時代を生きているかのか、あまり関心がなくなってしまう傾向があります。それではいけないと、私は感じています。
 今日、読ませていただきました、聖書箇所は、第一歴代誌十二章三十二節、

『イッサカル族から、時を悟り、イスラエルが何をなすべきかを知っている彼らのかしら二百人。彼らの同胞はみな、彼らの命令に従った。』

とあります。イスラエルの歴史で、サウル王の時代から、ダビデ王の治世に移る転換期に起こった出来事の記録です。時代が新しくされる時は、やはり様々な混乱もあるわけです。
 しかし、そんな中、イッサカル族の中から、時を悟り、何をしたらいいのかを知っている者たちによって、時代は新しい方向に向かって行ったのです。二月、三月は、新しい年度を迎えるために、重要な月です。私たちは神の時を掴む必要があります。また、日本の将来を考えても、時を掴んでいかなければならないと思います。すべての面において、私たちは、神から与えられた能力を、柔軟に、生かしていきたいと願っています。

 話は少し変わりますが、今からみなさんに一つの問題を出します。どのくらい記憶力とか、問題解析能力があるのかを試します。いいですか?よく見てくださいね。

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 はい、この足し算をしていただきたいと思います。りんごが三つで三十です。そして、りんご一つとバナナが二つで、十八。そして、ココナッツでしょうか。バナナとココナッツで二つ。ココナッツとりんごとバナナで、さぁいくつでしょう?という問題です。特に若い方々、分かりますか?分かった人?
 十五?他にはいますか?十六?はい。
 全然わかりませんという人もいるかもしれません。なんで、りんご三つで三十じゃ?と。しかし最期に「円」を付けると分かりやすいかもしれないです。昔、うちの息子が小さいとき、円を付けるとやたら計算が早かった時期がありました。昨日も孫に、この問題を出して、りんご三つで三十円。一個いくら?と言ったら、「十円じゃん!」と言っていましたが、円を付けると結構分かるかもしれませんね。

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 ということは、やっぱり、十六ですね。いや十五じゃない?十五は正しいです。なぜなら、ココナッツが二つじゃなくて、半分で一つだからです。分かりますか?なかなか頭柔らかいですね。

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 しかし実は彼の答えも間違っているのです。よく見ると、この映像では分かりにくいですが、バナナをよく見ると、かすかに見えるのですが、ここがひっかけです。上には四本、下は、三本です。だから正解は、十四です。

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 こういうネタばかり集めているのですが、与えられた情報を、深く読み解いていくと、真実がわかります。
 ある人は、全く意味が分からなかったと思います。でも、ある人は、十六と答えました。ある人は、十五と答えました。けれども真実は、十四だったわけです。ちなみに私は、十六だと思いました。少しでも分かっただけも良かったのですが。まさか、十四という情報を含んでいるとは、夢にも思いませんでした。
 「十四だと分かってました!」っていう人、いますか?映像が悪いので真剣に見ないと分からないです。

 これとは別にして、私たちが、どのくらい鋭く時代を見抜くかは、重要です。
 先ほども話しましたように、第一歴代誌十二章は、新しい時代へと転換する、転換期に起こった出来事です。サウル王からダビデ王の支配に国が転換する時期に起こった、内乱です。旧体制のサウルにつく人たちと、新体制のダビデにつく人たちと国の勢力が分かれたのです。
 ダビデは、聖書を読んでいただきますと分かりますが、一介の羊飼いの少年だったわけです。その少年が王として選ばれて、一国を任せられるというわけですから、いくらなんだって、このチビじゃ無理だろう!と。その前に、ゴリアテを倒したりして、手柄を立てたかもしれないけれど、「一国をこいつに任せていいんだろうか?」と、様々な意見と葛藤があったと思われます。
 
 しかし、そんなただ中で、神の霊が働いて、日増しに、ダビデをサポートする人たちが増えていった様子が、第一歴代誌十二章二十二節〜二十三節から、わかります。

『日に日に、人々がダビデを助けるため彼のもとに来て、ついに神の陣営のような大陣営となった。』

とありますね。さすがイスラエルです。神の御心を悟っていったわけです。
 一九九二年に、この教会に、激しく聖霊様が訪れました。その事をよく話しますが、あの日のことを、昨日のことのように思い出します。私は聖霊が激しく注がれた時、次の週から絶対に、大リバイバルが起こる!と、そのくらい、鼻息が荒かったです。
 しかし、その後、起こったことが何であったかといったら、霊的戦いです。そして、七月には、主が、地域を支配している暗闇に立ち向かいなさい!と、預言的に語りかけられ、地域の霊的戦いが始まりました。
 人間って、前情報があれば、将来を予測するのはたやすいですが、前情報が全くない中で、次の行動を取るのは、本当に大変です。
 一九九二年の新城教会も、ある意味、サウルの時代から、ダビデの時代に移っていくような混乱がありました。古い体制の中で、そのまま安定して、信仰生活を送りたい!という気持ちも働くし、「この新しい流れは、もしかしたら神の働きかもしれない!この流れに乗って行こう!」という人たちと二分しました。そこに、いろいろな憶測やうわさが飛び交って、本当にしっちゃかめっちゃかになりました。
 一九九二年のあの時期を、一緒に生き抜いてくださった兄弟姉妹に、私は高い所からですけれども、心からの感謝を申し上げます。あの時、私自身も自信がなかったです。次に何が起こるのか、本当に予測できなかったからです。

 でも、どうでしょうか。二十四年経って振り返ると、「あぁ、あれは確かに主が、新しい流れを始められた瞬間だったな。」と、今なら分かります。
 なぜなら、二十四年間で、豊かに実を結んだからです。主が支えてくださいました。でも、あの時は、分かりませんでした。
 ある意味、信仰の世界って、そういうものかもしれません。神の時を、うまく掴むことができるか否かで、方向性は、全く変わるのです。
 先週も、「一つの道」という話をさせていただきましたが、どういう道を選ぶかで、大きく人生は、変わるものです。
 そういう中で、今、主が日本に新しい季節を計画し、与えようとしておられるのではないかと思います。

 イスラエルにも、旧体制と新体制の摩擦がありましたが、主が国全体に働いて、多くの人が、若者ダビデをサポートするようになったと記録されています。第一歴代誌十二章三十節〜三十四節に出ていますが、

『エフライム族から二万八百人。勇士で、その一族に名のある人々であった。マナセの半部族から、ダビデを王にしようとしてやって来た名の示された者一万八千人。』

 イスラエルは十二部族で構成されていたのですが、多くの者たちが神の陣営についたというのです。
 しかしイッサカル族は、たった二百人しか出さなかったのです。二百人は他の部族と比べたらたいへん少ない人数でしたが、彼らは鍵を持っていたのです。なぜなら、聖書が記しているように、二百人は、「時を悟っていた」のです。彼らは、「イスラエルが何をなすべきかを知っていた」というのです。彼らが、神の陣営に入り、ある意味で、霊的司令塔のようになって、全軍団は、主の目指す方向に進んで行ったと思います。
 日本の教会の現実を見ると、クリスチャンは、本当に数が少ないです。お隣の韓国と比べると、激少です。人口のたった〇・二パーセントくらいしか、プロテスタントのクリスチャンはいないと言われます。これからどうなってしまうのかな、と思います。
 しかし、人数は少なくてもいいのです。ほんの少数でも、大海の中の一滴くらいの人たちに見えても、その人たちが神の時を掴んで、今なすべきことが何かに気づいて行動し始めると、国は、一握りの人たちの祈りによって、方向を変えていくことを、ここから教えられます。

 マタイの福音書十六章一節〜三節に、こんな言葉があります。これは、パリサイ人とサドカイ人が、イエス様の所に来て、「しるしを見せてください!」と頼んだ様子です。普通は、パリサイ人とサドカイ人は、互いに仲が悪かったのです。普通は、一致なんてしない存在でした。
 しかし、この時は、両者、仲良く、イエス様の所に来ました。なぜかというと、彼らの中に共通の葛藤があったからです。イエスという人物が彗星のように現れて、「もしかしたらこの人物が、旧約聖書の中で預言されているメシア、救い主かもしれない!」と思ったからです。共通の疑問を持っていたわけです。
 メシアが現れると、様々な奇跡を行うことが、旧約聖書では預言されていましたから、噂によると、イエスは様々な奇跡を行っている、なにしろ、自分たちの目の前で奇跡を見せてほしい!と思ってやって来たのです。
 その時に、イエス様が語られたことは、マタイの福音書十六章二節、

『しかし、イエスは彼らに答えて言われた。「あなたがたは、夕方には、『夕焼けだから晴れる』と言うし、朝には、『朝焼けでどんよりしているから、きょうは荒れ模様だ』と言う。そんなによく、空模様の見分け方を知っていながら、なぜ時のしるしを見分けることができないのですか。」』

 あなたたちは、空模様をちゃんと見分ける方法を知っているんだから、時のしるし、つまり、霊的空模様をちゃんと見分けなさいと言われたわけです。
 イエス様が、最初、地上に来られた事を「初臨」と呼びます。初臨があるのなら、再臨もあるのです。再びイエス様がこの地上に帰って来られる日が、まもなくです。この記事は、イエス様が最初に来られた時に語られたのですが、今を生きる私たちにも共通することなのです。
 この時、イエス様が何と言われたのかというと、メシアが現れる時代背景、空模様が、旧約聖書に預言されていたわけです。その背景と共に、イエス様は現れたわけです。これは決して偶然ではなく、霊的空模様、社会的空模様が整った中で、イエス様が現れたわけです。「今の時代を見てみろ!旧約聖書の中で預言されている通りの時代じゃないか。今こそ、救い主が現れる時なんだ。」と、イエス様はご自分を紹介されたわけです。
 私たち、クリスチャンは、空模様を見分けなければならないのです。どういう空模様かというと、霊的空模様を見て、どういう時代に属するのかを、しっかりと知ってイッサカル族のように、何をするのかを決めなければならないのです。
 ローマ人への手紙十三章十一節〜十四節、

『あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行いなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。』

 ローマ人への手紙が書かれたのは、今から二千年くらい前の話です。すでにその時に、『今は救いが私たちにもっと近づいているからです。』と語られています。それは、イエス様の再臨が近づいていますよ!ということを語っているわけです。あれから二千年ですから、この言葉を今の時代に重ねるなら、もっともっと救いが近づいている、主が帰って来られる空模様になっている、ということに気づかなければならないのです。「眠りから覚めるべき時刻が来ていますよ!」ということです。

 眠りとは、不思議です。昨晩はぐっすり眠ることができましたか?ぐっすり眠ることができた!という方は、幸せです。しかし、深い眠りは、いい所もありますが、眠っている時って、全く生産性はないのです。眠る時間が多ければ多いほど、それだけ損している所もあります。どんなに頭が良くても、どんなにお金があっても、地位があっても、名誉があっても、権力があっても、眠っている間は、全く力を発揮することができないからです。起きている時だけ、力を費やすことができます。
 霊的にも同じだと思います。現実の眠りは、私たちの健康の為にはなくてはならないのですが、霊的には眠りこけていてはいけないのです。今がどういう時か、ちゃんと見分けて、光の子として歩みなさい!と教えています。
 光の武具を身につけて、イエス・キリストを着なさい!というのです。肉の欲のために心を用いてはいけません!というのです。

 案外、私たちは、目の前のことで、一喜一憂するものです。しかし時代をしっかりと見抜いて、神の時を掴んで、何をすべきかを、主から教えていただくことが重要です。聖書には、様々な情報が提供されています。先週もお話ししましたように、言葉の中で神様は、私たちに現れてくださいます。ですから、聖書をよく読んでいただきたいと思います。

 ちょっと話は変わりますが、一つのスマホのアプリを紹介したいのですが、別に私は、アプリ屋さんの回し者ではないですが、こういうのがあります。

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 「子ども聖書」という無料アプリです。これをダウンロードしますと、創世記から黙示録までが簡単にわかります。新しい天と新しい地がこの地上にできますよ!で終わっています。これはアメリカで作られたアプリで、ジョー先生の娘のチェルシーさんが、ソフトを作るのに関わっています。前から「日本語になるよ!」と聞いていたのですが、この度、日本語になってリリースされました。子どもたちにすごくいいアプリです。この頃子どもたちが、変なゲームばっかりやっています。しかしこの中には、簡単なゲームも入っています。楽しく聖書が学べます。こっちで育っていただきたいですね。すでに、何名かの方は、検索してダウンロードしているかもしれませんが、是非、礼拝が終わったらダウンロードして、楽しんでいただきたいと思います。
 今日、読んでいる言葉も、二千年前の話ですが、今を生きるための情報として主が与えてくださっています。エペソ人への手紙五章十四節〜十九節に、このように書いてあります。

『明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。』

 エペソ人への手紙も、第一歴代誌に起こった事柄に対応するかのような内容を含んでいます。福音書においても、ローマ人への手紙においても、エペソ人への手紙においても、主張は一つです。「時代をちゃんと見分けてください!眠っていないで、起きて、光の子らしく歩んでください!今がどういう時なのか、機会を十分に生かして用いなさい!」と語られています。
 主から鋭い、時代を見分ける霊的な目を与えていただかなければならないです。

 現代は、マスコミから放出される情報やニュース等も、鋭い霊的選球眼と共に、偽りを見抜かなければならない時代だと思います。
 最初に、私は計算問題を出しましたが、あの一つの情報だけでも、どう読み解くかで、答えが違って来るように、やはり時代も、どう読み解くかで、後の答えは変わると思います。
 私たちは、この時代にあって、どういう立ち位置で生きるのか、しっかり決断しなければなりません。この国が、方向性を変えて、主のために用いられ、リバイバルが起こる為に祈る者として、生きる必要があります。そうでないと、この国は暗闇に用いられて、間違った答えに導かれてしまうかもしれないからです。

 今日は午後から、「霊的戦いセミナー」をさせていただきます。明日からは、「霊的戦い専門課程」が二日間あります。毎月、この二日間のために苦労しますが、真剣に祈りますし、様々な視点で社会を見ますから、すごく感謝しています。
 この頃、日本の将来について見ると、このまま行くと、教会が迫害されるような時代になるんじゃないかと危惧しています。

 今日、みなさんにお渡ししました、「リバイバルミッションニュース3月号」では、巻頭言を書かせていただきました。帰ってから読んでいただきたいと思いますが、今回のタイトルは、「迫害に備え、それを阻止するために。」とつけました。
 様々なニュースをのほほんと見ていると、ピンッと来ないかもしれませんが、シビアに見ると、「いや〜、本当に危ない時代だなぁ。」と思います。
 クリスチャンは少数ですから、経済的な力も、地位も、名誉も何もありません。先ほども、「世の誉れよゆけ!」なんて歌いました。自ら放棄しています。
 しかし、私たちがイッサカル族の二百人のように、時をつかんで、今、何をすべきかを知ることができるなら、少数でも、歴史は大きく変わるはずです。一方では、そのように期待しています。
 ゆえに、迫害に備えると共に、それを阻止するために、祈らなければならないと思います。

 この頃、自民党が「憲法改正」を強く打ち出しているのですが、憲法改正って、なんだか、わけがわからんと言われるかもしれません。しかしすでに、自民党は憲法改正の草案を発表しています。それがインターネットに出ていますから、一度、目を通しておいたほうがいいと思います。私たちにもっとも、関係するのは、「信教の自由」です。

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 左側は、現在の日本国憲法です。改正草案が右側です。憲法二十条で、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」とあります。そして、「国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教敵活動をしてはならない。」となっています。
 けれども、自民党の草案では、「ただし、」と続き、「国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教敵活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない。」
となっています。一体これは、何を言いたいのかと言えば、首相や閣僚たちが、靖国神社参拝や、伊勢神宮に参拝することを正当化し、それを社会的儀礼だ、習俗的行為の範囲だ、別に宗教行事ではないと言いたいのです。今や、国家神道が復活する舞台装置が整えられつつあるのです。

 前回も、お話しさせて頂きましたが、内閣を構成する人たちの多くは、「神道議連」という人たちが、九十パーセント以上を占めています。昔の体制に戻していこうという力が強く働いています。
 憲法改正がなされたらどうでしょうか。遠からずして、教会は迫害される時代が来るのです。ある意味で、覚悟しなければなりません。
 先週、千葉県の教会で、カウンセラーをしている時に若者が暴れて、警察の特殊部隊が突入し逮捕したという事件がありました。そういう危険性は、どこの教会にもあります。私たちもカウンセリングというか、いろいろな方と関わっていますから、そういう危険性だって、排除できません。今までにも、危険なことは何度もありました。やはり、それは霊的戦いです。
 でも、私は一番気になったのは、教会に特殊部隊が、閃光弾を投げ込んで突入した姿でした。なにか空恐ろしい感じがしました。あの教会は、戦時中、一番、国と戦い、迫害された教団をルーツとしている教会です。そこに特殊部隊が入って行ったのは、祈らないといけないテーマがあると思わされました。
 新憲法になったら、礼拝をしているところに警察の特殊部隊が突然入って来て、全員逮捕される可能性もあります。
 憲法十二条の草案では、「公益及び公の秩序に反してはならない。」、「そのような団体を作ってはいけない。」という規定が盛り込まれています。
 私たちクリスチャンが「神社を拝みません!靖国神社を拝みません!」と言ったら、「公益及び公の秩序を乱している」と言われるでしょう。教会がそれに該当する団体と指定されたら、解散させられてしまう可能性だってあるわけです。大変な時代になりつつあると思います。私たちは、このような空模様の中に生きているのです。
 今が終わりの時代であり、イエス様が帰られる直前であることを、悪魔もよく知っています。また、その直前には、大きなリバイバルが起きることも預言されていますから、なんとか教会を潰してしまえ!という指令が、悪魔から出されているのではないかと思います。
 しかし、私たちクリスチャンが、時を掴み、国の未来のために、イッサカル族の二百人のようになったら、状況は、必ず変わっていくと私は信じます。教会が、自分のことだけ考え、身のまわりが幸せになる為だけに存在していてはいけないのです。霊的な空模様を見抜いて、そのために祈り、その過程で、身のまわりの幸せも勝ち取っていく存在でなかったらいけないと思います。

 今日、ここには二百人以上の方々がおられます。先週も、週報を見れば、礼拝には三百数十人の方々が出ておられました。インターネットで、リアルタイムに出ておられる方々も多くおられます。全員がその事を意識して、日本の未来のためにとりなし、時代を見抜く者になったら、国の方向性は、大きく変わるのです。
 もしも、憲法改正になって、国家神道になったら、どのような時代が来るのか、それは歴史が証明しているでしょう。太平洋戦争では、三百三十万人が犠牲となったわけですから。若者たちは戦場に送られ、死ななければならなかったのです。必ず、同じコースをたどります。
 今日の午後からは、そういうこともお話しさせていただきますから、是非とも、みなさんの子どもたち、孫たちの未来を変えるために、出席して下さい。

 クリスチャンたちには、感謝なことに、すばらしい権限が神から与えられています。数は少ないかもしれないけれど、神の国を実現していくための権限が、与えられているのです。
 先ほど、エペソ人への手紙を読みましたが、五章をもう一度、読んでみます。「目を覚ましなさい!」と語られていて、十五節には、

『賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。』

 機会を十分に生かして用いろ!とあります。今は、どのような機会、どのような瞬間なのかを、しっかりと見捉えて生きていきなさい!と述べられています。
 今週も様々なニュースが一方的に流されるかもしれませんが、大本営発表は、信じてはいけないです。後ろにどのような偽りがあるのかを、聖霊の目と耳によって見抜きながら、国の未来のために、とりなし祈らなければならない時代が来ています。

 そして、「機会を十分に生かしなさい。」という言葉がありますが、これを直訳すると、「時を買い戻せ!」という意味になるそうです。時を買い戻すことができたら、どんなに幸せでしょうか。みなさんの人生の中で、買い戻したい時があるとしたら、どの瞬間でしょうか。「あぁ、あの時をもう一度、買い戻せたらなぁ!」ってね。
 「プロポーズ あの日に戻って 断りたい」という川柳がありましたが、そんなことを考えている人はここにはいないと思いますが、時を買い戻すことができたら、どんなに幸せか・・・。
 しかし霊的には、時を買い戻す、勝ち取ることができるのです。時の管理者として、私たちクリスチャンを立ててくださっているのです。
 私たちは、地球の管理人です。ですから、様々な、今まで起こってきた悲しい歴史も勝ち取ることができます。

 この数年、全日本リバイバルミッションは、アジアに向けて和解の働きをさせていただいています。それはある意味で、時を買い戻す働きです。昨年もナガランドに行って、日本が過去に行った、様々な罪の影響が未だに残っていることに、深く心を痛めました。アジアの諸国に行けば、今でも多くの傷がうずいています。しかしその場所に行き、共に祈り、一致することは、時を買い戻すことに他ならないです。
 ナガランドでは、楽しい集会だけではなく、緊張感溢れる集会でした。先週も、一緒にツアーに参加して下さった牧師が訪問して下さったのですが、彼がこう語っていました。私は、ナガランドの集会に、気楽に参加した。と言うのです。しかし、行ってみてびっくりしたと言いました。「歴史的な和解という場面に立ち会い、本当に緊張した!」と語っていました。「でも、そこに行けて、本当に良かった!」と言っていました。これはある意味、時を買い戻す働きだと思います。それは、神の国の働きそのものなのです。

 神の国って、どういうものですか?と、イエス様に質問した時、イエス様がこんな答えをなさいました。マタイの福音書十三章四十七節〜五十節、

『また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。』

 神の国の働きは、地引き網のようだと言うのです。網を投げて、何もかも、根こそぎ引っ張ってきて、その中から、良いものと悪いものを選り分ける働きです。これは、終わりの日に起こる事でもあります。
 実に、教会の働きは、社会全体に網を下ろして、良いものも悪いものも、全て引きずって来て、選別する働きです。これは時を買い戻すことに他ならないのです。悪いものを取りのけて、良いものだけを残す働きです。
 まさに、とりなしの祈りは、良いものだけでなくて、悪いものにも目を向けて、それを取りのける、神の国の働きです。
 今週、私たちは良いものだけに目を留めるのではなく、この社会の中にある悪の部分、暗闇の部分にも目を留めて、それを地引き網のように引きずって来て、その中から悪いものを区別していく週にしたいです。

 今週、私たちが、イッサカル族の、時を悟り、何をすべきかを知っていた二百人と同じように、日本の未来、いや、世界の未来、イエス様が帰って来る日を目標にして、歩んでいきたいと願っています。
 聖霊によって、新しい五感が備えられますよう、心から願う者です。一言、お祈りして、聖餐式に移っていきたいと思います。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝します。今、私たちは、微妙な時代に生きていますが、時を悟り、時を買い戻すために、用いられますように。
 主よ、今日ここにおられます、お一人、お一人、すでにイエス様の十字架の血潮によって勝ち取られた勇士たちです。あなたの霊を注いでください。霊的な五感を与えてください。強めてください。私たちはイエス様の十字架の血潮によって、国籍は天にあり、この地を神の国にするために、選ばれた者であることを、宣言します。
 主よ、聖餐式を祝福してください。みことばと聖霊によって、よみがえりのイエス様と一つになる時として下さい。
 私たちに時代を読み解く、新しい目を下さい。聖霊様、ここに来てください。天が地に下りて来ますように。この祈りを、尊きイエス様の御名によって、父なる神様の前にお捧げいたします。アーメン。