『敵の門を勝ち取れ!』

2016年3月20日(日)
新城教会 主任牧師 滝元順
創世記22章15節〜17節

『それから主の使いは、再び天からアブラハムを呼んで、仰せられた。「これは主の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。」』

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。今日は、共に主を礼拝できて、心から感謝しています。
 昨日は結婚式がありました。上條聖都君と美紀さんの結婚式でした。午前中は大雨が降っていて、どうなるかなぁと心配しましたが、昼頃になったら見事に晴れて、素晴らしい結婚式を持つことが出来ました。今日は、お二人、来ていますか?彼らは夫婦となりました。拍手してあげてください。昨日の結婚式の写真って、ありますか?

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 結婚式はいいですね。お葬式よりずっといいです。これから、新城教会にたくさんの結婚式が与えられるよう、祈りたいと思います。クリスチャンホームが多く出来るのは、すばらしいことです。

 来週は復活祭です。イエス様が十字架にかかって死なれ、三日目によみがえられたお祝いです。今週は、イエス様が十字架にかかられた受難週ですが、主が私たちの罪の身代わりとなって下さったことを覚えながら、来週はイエス様の復活を心からお祝いしたいと思います。礼拝に先立ち、召天者記念会もあります。かつて新城教会で一緒に礼拝を守っていた兄弟姉妹、すでに天に帰られた方々も多くおられます。彼らを記念して、主を礼拝する集まりです。来週は特別な復活祭礼拝となります。

 この春は、いろいろなプログラムがございますので、是非とも予定に入れておいてください。
 明日からは、「四十七都道府県巡回リバイバルミッション」が始まります。LINEに登録しておられる方は、明日から情報が届くかと思います。四十七都道府県を巡って、福音を伝える働きです。全県を覚え、お祈りしていただきたいと思います。
 ちなみに明日からは、長野県でミッションが開かれることになっています。平岡先生とジョンさんが一緒に奉仕します。

 私は、先週、ペルーに行っていたのですが、みなさんの祈りに支えられ、無事に帰ることが出来ました。
 ペルーと日本の時差は、十四時間です。ほとんど、正反対なのです。今、日本は昼ですが、向こうは夜中です。ペルーで時差が調整された頃、再び日本に帰って来ましたので、まだ少し眠たいですが、元気です。みなさんのお祈りを、心から感謝します。

 私はペルーに今まで十回くらい行ったことがあります。今回は三年ぶりでした。ペルーに行く前日に、孫のかたるが、「じいじ。これ、お手紙。」と言って、ご丁寧に、封筒にまで入れた手紙をくれました。何が書いてあるのかなと、楽しみにして読んだら、「じいじへ。明日からの旅は、大変な旅になるね。」と書いてありました。嫌なことが書いてあるなと思って、私は、かたるの所に行って、「かたちゃん、悪いけど、この手紙、書き直してくれる?明日からの旅は楽しい旅になるよ、って書いてくれる?」と言ったら、彼女は「いいよ。」と言って、一応、書き直してくれました。
 今回、私は娘婿の陽介と一緒にペルーに行ったのですが、彼も手紙をもらっていました。内容は、「パパへ。明日からの旅は、大変な旅になるね。」と同じ事が書いてありました。その手紙の通り、今回ほど大変な旅はありませんでした。

 幼子は、時々、預言的なことを知らずして語る事がありますから、馬鹿に出来ないところがあります。そんな手紙をもらいましたから、県民の森祈祷会で、真剣に祈ってもらいました。しかし最終的には、たいへん祝福された、楽しい旅となりました。今日の午後から、いろいろ細かい発表の時を持たせていただきます。

 今日、みなさんと学びたい箇所は、創世記二十二章十五節から十七節です。アブラハムという、元祖ユダヤ人というか、信仰の原点のような人物に、主が語られた言葉です。創世記二十二章十五節〜十七節、

『それから主の使いは、再び天からアブラハムを呼んで、仰せられた。「これは主の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。』

 アブラハムとは、信仰の原点であり、クリスチャンの代表みたいな存在です。彼の祝福が、今の私たちにつながっているわけです。ここで語られているように、『そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。』とあります。
 「あなたの子孫」とは、誰のことでしょうか。最終的には、イエス・キリストを信じる者たち、クリスチャンであり、教会を指しています。
 しかしこの箇所は、新約聖書に至ると、イエス・キリストにつながり、十字架に、つながっています。

 この箇所の前後を見ますと、アブラハムに何が起こったのかが記されています。創世記二十二章一節〜二節、

『これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」』

 アブラハムは年老いてから、実に、百歳になった時、ひとり子、イサクをもうけることができました。一人っ子で、アブラハムはイサクを溺愛していたと思われます。
 しかし、神様はひどいことを言われたのです。「イサクを殺してわたしに捧げろ。」と言われたのです。こんなこと言われたら、冗談じゃない!という感じですよね。
 しかしアブラハムは、この声を聞いた後、すぐに立ち上がって、イサクを連れて、モリヤの山に登り、彼を縛り、神へのいけにえとして捧げようとしたのです。
 その時、神は言われました。創世記二十二章十二節、

『御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。』

 イサクをささげる直前に、とどめられたのです。この箇所を読むと、複雑な思いになります。神が与えた一人息子イサクを、後に殺す命令をくだすなんて、信じられない!と思います。
 実は、この箇所には様々な理解があり、ユダヤ教においては、神は、子ども殺して捧げろなんて決して言う方ではない、他の聖書箇所とは矛盾すると言います。ゆえに、アブラハムは、神の声を聞いたのではなく、悪魔の声を聞いたという理解だそうです。
 しかし、もしも仮にアブラハムが悪魔の声を聞いたとしても、神の主権の中で悪魔さえも用いられ、すべてが益とされるということです。けれども同時に、この箇所は、当時のカナンの風習が関わっているといわれます。
 誰でも、生まれ育った地域の文化や習慣から、逃れることは出来ません。私たちも日本に生まれて、日本の文化や習慣は、いくらクリスチャンになっても、変えられないものもあります。いろいろな影響を受けているわけです。
 今日も、教会の周りでは、村祭りが行われていて、それらの影響も受けるし、日本の様々な文化習慣の中で、良いものもあれば、悪いものもあるわけです。

 アブラハムは神から、「あなたのひとり子、イサクを捧げなさい!」と言われたら、顔色一つ変えずにすぐに立ち上がり、イサクを連れて、三日の道のりを進んで行ったのです。顔色一つ変えなかったとは記されてないですが、前後を見れば、そんな感じです。すぐに従っています。すごいな〜、すごい信仰だな〜、と思うのです。
 アブラハムは、紀元前二千年くらいの人物ですが、当時のカナンの地には、悪しき習慣がありました。それは、「モレク神」という偶像の神が拝まれていて、モレク神は、何を要求するかというと、子どものいのちを要求したのです。
 もしもモレクから、「おまえの子どもを捧げろ!」という声がかかったのなら、即、顔色一つ変えず、喜びながらモレクに我が子を捧げる、悪しき習慣があったのです。

 アブラハムがイサクを捧げた場所はどこかと言いますと、エルサレムのヒンノムの谷と呼ばれ、ゲヘナとも呼ばれた、モレク礼拝の拠点である谷の上にある、岩上でした。そこで神は、イサクを生け贄として捧げろと言われたのです。

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 ここにモレクの生け贄の絵がありますが、当時、多くの人たちが、モレク信仰に走っていたわけです。アブラハムの時代、異教の神々の悪しき習慣が、この地域にはびこっていたわけですね。
 そのような中で、アブラハムは神の声を聞いたのです。アブラハムが、神の声にすぐに従ったのは、彼も、異教の文化習慣の影響を受けていたからだと思われます。
 しかし、神がイサクを捧げさせなかったのは、アブラハムを「悪しき習慣の世界観から解放」させる為でもあったのです。神自ら雄羊を備えて、イサクを捧げさせなかったのは、「モレクに子どもを捧げる必要はない。生け贄は、神自らが備える」ということを教えたわけです。
 この出来ごとは、やがて、十字架につながっていくわけです。イエス様が私たちの罪の生け贄となってくださったことによって、私たちはモレクのような、悪霊どもが要求する生け贄は必要ないのです。イエス様が初めで最後の生け贄となってくださったゆえに、今や、私たちは自由に、神のみ前に出ることが出来るのです。
 アブラハムが体験したことは、悪しき文化と習慣からの解放でもあったわけです。
 神は、私たちを、この地の様々な悪い習慣から解放し、自由にしてくださるお方です。

 ここから、イエス様の十字架の預言をも見ることができます。
 ヘブル書二章十四節〜十五節を見ると、こうなっています。

『そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。』

 イサクの生け贄事件は、やがてイエス様が十字架にかかって死んでよみがえり、死の力を滅ぼしてくださるという、十字架の勝利につながっているわけです。
 今週は受難週であり、来週は復活祭です。イエス様が初めで最後の生け贄になってくださったゆえに、私たちは死の力から解放され、自由になり、今や自由に神の前に出ることが出来るのです。本当に感謝なことですね。

 先週も、山崎先生がすばらしいメッセージを語ってくださったようです。詩篇八十八篇から語ってくださったようですが、エルサレムに行きますと、こんな場所があります。

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 この石階段は、イエス様が十字架にかかる前に、弟子たちと一緒に上られた、ローマ時代の階段だと言われます。この階段はどこに続いているのかというと、イエス様が裁判を受けた、カヤパの官邸につながるのです。カヤパの官邸には、こういう穴があります。これは牢獄です。

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 この穴には、ビザンチン時代に刻まれた十字架が三本あります。この場所はイエス様が十字架にかかられる前夜、この牢獄に閉じ込められていたのではないかと言われています。
 そこに行きますと、聖書が開かれていて、それが、詩篇八十八篇です。この穴の中では、詩編の八十八編が朗読されます。イエス様が私たちの罪の身代わりとなって、暗闇の中に入ってくださり、絶望の叫びを祈ってくださったという、詩編の預言にもつながるわけです。イエス様の十字架によって、復活によって、私たちは自由にされるのです。

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 復活によって、何が起きたかというと、ハデスの門が打ち破られ、敵の門が勝ち取られたのです。
 アブラハムに対して、「あなたの子孫は、敵の門を勝ち取ります!」と告げられたのは、マタイの福音書十六章十八節〜十九節、

『ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」』

とありますが、「敵の門を勝ち取る」とは、「ハデスの門を勝ち取る」事であり、そのかぎが、教会に与えられたのです。
 古代の町は、城壁に囲まれていて、所々に、門がありました。戦争の時は、門が攻防の中心となりました。門が奪われたら、街が攻め取られたのと同じでした。ですから、戦争の時には、門の周辺に精鋭部代を配備して、敵と対峙したのです。
 悪魔も同じです。周囲に城壁を張り巡らせ、人々を閉じ込めます。門に最も強い軍隊を配備して、「絶対に日本を攻め取ることはできない!」と、豪語しているかもしれません。しかし教会は、敵の門を勝ち取る存在であるのです。
 教会に与えられている使命は、敵の門を勝ち取り、ハデスに落ち込んでいく人たちを救い出す働きです。救い出すためには、まずは門を固めている、敵の力を打ち破らないと、ハデスの門に落ち込んでいる人たちを救出できないのです。霊的戦いと宣教は、常に、表裏一体であることを、ここで教えています。

 今回、ペルーに行かせていただき、一週間という短い期間ではありましたが、本当に様々なことがありました。先週の日曜日は、リマで、新城教会のリマ集会をさせていただきました。
 新城教会では、二十年以上に渡り、インターナショナルの方々、特に南米から来られた方々への宣教がなされているのですが、ペルー人の方々だけでも、百名以上が新城教会で救われて、ペルーにお帰りになっています。
 ですから、私たちは時々、ペルーに行って帰国者集会を持たせていただいています。新城教会でかつて共に礼拝をして、今はペルーに帰国された兄弟姉妹を集めて、礼拝をするのです。礼拝に先立って、食事会があるのですが、これ、見てください。こんなに長いテーブルです。

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 でも、ここにおられる方々は、帰国者のごく一部です。リマ近辺の方々しか、集まることはできませんから。本当に祝福された集会で、大勢の方々が集まって、主を礼拝しました。

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 たまに行くと、「いや〜、毎週でも来てあげたいなぁ」と思います。新城教会でクリスチャンになって、ペルーでしっかりと根付いている方々ばかりです。本当に感動し、嬉しく思います。

 先週、リマでの集会でも、お話しさせていただいたのですが、 伝道者の書十一章一節〜六節、

『あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから。雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。木が南風や北風で倒されると、その木は倒れた場所にそのままにある。風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものかを知らない。そのように、あなたはいっさいを行われる神のみわざを知らない。朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。』

 『あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。』
 なにか分かるような、分からない言葉ですよね。もしも水の上にパンを投げたらどうでしょうか。ふやけて、溶けて、後の日に見いだすなんて絶対に不可能です。
 しかし考えようによっては、パンが溶けて、沈んで、魚が食べて、投げられたパンを養分として、魚が大きくなり、やがてその魚が食卓に上る、ということもありうるわけです。そういう理解でもいいのかな、と思うのですが。

 しかし伝道者の書とは、誰が書いたのかというと、ソロモンというイスラエルの王が晩年に書いたものです。
 ソロモンという王様の時代、イスラエルは最高に繁栄しました。ソロモンの前にも後にも、このような王はありません。この王国の時代、イスラエルは繁栄を極めたのです。
 特にソロモン王は、国際貿易事業を行い、多くの国々と貿易をして、お父さんのダビデの時代よりも、金庫を何倍にも大きくし、財産を増やしました。「総合商社・ソロモン商事」と呼んでも良いほど、彼は海外貿易で儲けた人だったのです。
 様々な領域に対してソロモンは才能があったのですが、『あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。』とは、いろいろな理解があるらしいですが、これは海外貿易のことと、国際投資のことを語っているのではないかと言われます。
 海外と貿易するのは、当時はうまくいくかもしれないし、うまくいかないかもしれない、大きなリスクがありました。
 一つの国に投資して、それが駄目だったら、全て損しますから、投資する先を、七つか八つに分けて、分散投資せよという勧めだというのです。その投資は、うまくいくかもしれないし、いかないかもしれません。
 しかし貿易船を出すのも、風を警戒していると出帆できません。朝か晩か、どれがうまく行くか分からないが、チャンスがあったらやってみたらどう?と、王が自分の経験に基づき、国際貿易を意識して語った言葉だとも言われるのです。そう考えると分かります。

 ある意味、これは教会の海外宣教ともつながる概念ではないかと思います。海外にまで行って福音を伝える、「全世界に出て行って、すべての造られた者に福音を伝えなさい!」と主は言われますが、どのように展開するのか、全く未知数です。
 しかし、私たちは風を警戒していたり、空模様ばかり見るのではなくて、とにかく、信仰を持って前進しなさいと。その時、神様は共に働いてくださいますよ!という、励ましの言葉としても、受け取ることができるのではないかと思いました。

 今回、ペルーに行きまして、水の上に投げたパンを増やしてくださったとに感動しました。リマで一声かけるだけで、かつて新城教会で礼拝を守った方々が、これだけ集まるわけですから。本当に嬉しいですね。

 この中に、カルロスという青年がいます。今は少し、おじちゃんになっているのですが、彼のことを忘れることはできません。
 今から二十数年前、この地域にまだまだ、外国人労働者が少ない頃でした。彼は十八歳で、豊川のある会社に就職しました。でも、ひとりぼっちで、あまりにも寂しく、精神的な病気になりました。前も後ろも分からない、言葉も分からない。その上、精神的な病になり、悪徳派遣会社は、彼をアパートの外に放り出したのです。当時は、ケアするボランティアの人たちもいなかったので、彼は路頭に迷ったのです。
 その時、ある人が彼を教会に連れて来たのです。言葉も分からないし、精神的にも混乱しているし、本当に大変でした。病院に連れて行くにも保険がない。何もかもないのです。
 しょうがないから、彼を私の家に泊めました。三日間くらい世話をしました。しかし、大変でした。夜中に、彼はすっ裸になって外に出て行ってしまうし、子どもたちが「カルロスが裸で出て行ったぞ!」とか言って、本当に大変でした。
 私はいろいろと電話をかけて、彼を受け入れてくれるように交渉しましたが、だめでした。浜松に聖隷病院があります。あの病院は一応キリスト教精神ですから、電話をかけて、「こういう人がいるんですが、助けてくれませんか?」と交渉したら、「助けます。」と言ってくれました。でも、診察に行ったら、「今日は入院できないから、連れ帰ってくれ。」と言うのです。カルロスは混乱しているのに、私は彼と二人で行きました。途中、車から飛び降りそうでした。あまりにも車内で暴れ、言う事を聞かないので、私は頭にきて、途中でコーラを買って、病院でもらった薬を、無理矢理口に押し込んで飲ませました。そうしたら、コロッと寝ちゃいました。そのまま連れ帰り、眠らせて翌日、入院させてもらいました。そこで一ヶ月くらい面倒を見てもらい、少し落ち着いたところで、ペルーに送り返しました。
 もう二度と、彼とは会いたくないと思っていましたが、なんと、近頃は、彼が自分の家族を連れて、リマ集会に来るのです。家族は毎回、「パストールジュン。ムッチョ・グラシアス!」とか言って、私にお礼を言ってくれるのです。いや〜、いつまでも残るものは愛だなぁ、がんばって助けてよかったなぁと思います。
 あの時は、私に対するテストだったと思います。水の上にパンを投げるかいなかのテストでした。「おまえ、投げてみろ!」と。うまくいくかどうか分からないけれど、やってみろ!と。あの時に拒否したら、今のペルー宣教はないです。
 今回、様々なことがありましたが、水の上に投げたパンが、後になって見いだされるとは、こういう事ではないかと思わされました。

 今回、みなさんに祈っていただき、この方と出会うことができました。

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 アルベルト・フジモリという、元ペルー大統領です。彼はペルー大統領を十年間やりました。三期やりました。彼は熊本県生まれの日本人です。しかし、ペルーの国籍を取って、ペルーの大統領まで上り詰めたのです。そして、フジモリ・ショックといって、フジモリ前後で国が全く変わりました。
 私は一九九二年、誤って、ペルーに行ったことがあるのです。誤ってというか、知らなくて行ったのです。ちょうどアルゼンチンのリバイバルがその頃すごくて、それを見に行った帰りに、「新城教会にペルーの方々が来られているから、ちょっと立ち寄ろうかな」という、軽い気持ちで立ち寄ったのですが、ペルーはテロ真っ盛りで、銀行は、ほとんどテロリストに襲撃されて、真っ黒に焦げていました。一日の内、何度も爆発音を聞くような大変危険な中でした。
 しかし、一九九〇年から彼が大統領になり、十年の間に、あれほど大勢いたテロリストが一掃されました。
 ご存じのように、日本大使館がテロリストによって襲撃されて、日本人が大勢人質になりました。私の知り合いが二人その中に入っていました。日本人の牧師夫妻でしたが、助けられました。フジモリさんのおかげだったわけです。
 しかし今、政権が変わって、彼はテロリストを大勢殺したということで、刑務所に入っているのです。
 しかし、刑務所と言っても、やはり、元元首ですから、軟禁状態です。
 今回、私たち、入れるか、どうか?と、みなさんに祈っていただきましたが、無事に入ることができました。でも、私はうっかり、パスポートをホテルに忘れたのです。やばい!入れない!と思ったら、ちょうど日本の運転免許証を持っていまして、日本語でしたが、それで許してくれました。警察官とか多くいる中で、フジモリさんはどこにいるのかな?と思ったら、よぼよぼしたおじいちゃんがいたので、使用人のおじいちゃんかな?と思いましたが、それがフジモリさんでした。彼はメガネをかけていなかったので、分かりませんでした。でもいろいろとお話をして、本当に打ち解けて、楽しかったです。彼と面会を希望する人って、次から次です。なぜなら、娘のケイコが、次期大統領候補だからです。

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 是非とも、祈っていただきたいと思いますが、彼女が大統領になったら、お父さんは牢屋から出ることができると思います。ケイコは今、一番人気があります。しかし、この国にはいろいろな不正があり、様々な根回しもあるので、なかなか難しいところもあるそうです。しかし選挙対策のために、多くの支持者たちが、彼に面会を求めているのです。
 フジモリさんは熊本県の出身ですから、「熊本は、馬刺しがうまいですね。」と言ったら、「大好きだ!」と言って、結構盛り上がり、いろんな話をしてくれました。
 私は彼に聞きました。彼は日本に一度亡命して、その後、チリに行き、わざわざ自分の国に帰って捕まったのです。なぜ、そんな行動を取ったのか、不思議に思ったので聞いてみました。「フジモリさん。どうして、わざわざ国に捕まる為に戻ったのですか?」と。
 すると彼が言うのには、「私は人生の中で、リスクを恐れたことはありません。」と言いました。彼は挑戦者なのです。これは政治的な意味合いだと思うのですが、彼なりの敵の門を勝ち取るため、リスクを恐れないで反対派と戦う為に、帰って来たというのです。何度も何度も、命を狙われたと言います。
 「あなたにとっての最大の敵は、具体的には誰ですか?」と聞くと、カトリック教会だと話していました。カトリック教会と利権が絡み、国がどんどん貧しくなったというのです。
 しかし彼は、プロテスタント教会と協力して、カトリックという敵の門を勝ち取るために、政治生命をかけ、命がけでテロリストを一掃した男です。
 最後は、一緒にお祈りしました。健康で長生きし、ここから出してあげてください!と、真剣に祈って来ました。本当に良い交わりができて、良かったです。

 今回ペルーに行く前、ちょっと大変なことがありました。「敵の門を勝ち取る!」という言葉は、アブラハムだけに語られている言葉ではなく、読み進めて行きますと、創世記二十四章五十九節〜六十節、

『そこで彼らは、妹リベカとそのうばを、アブラハムのしもべとその従者たちといっしょに送り出した。彼らはリベカを祝福して言った。「われらの妹よ。あなたは幾千万にもふえるように。そして、あなたの子孫は敵の門を勝ち取るように。」』

 アブラハムの息子イサク、イサクが誰をめとったかと言うと、リベカという嫁さんをもらったのです。リベカが嫁としてイサクの元に嫁ぐ時、兄のラバンが、自分の妹に、『「われらの妹よ。あなたは幾千万にもふえるように。そして、あなたの子孫は敵の門を勝ち取るように。」』と語っているのです。
 アブラハムから、イサクの代にも、この言葉が受け継がれ、現代にも受け継がれているのです。

 私の娘の名前もリベカです。ここから付けたのですが、今回、私はリベカの主人の陽介と、埼玉県から早川先生、シアトル・タコマから、竹内先生、フェルナンド先生も含めて五人でペルーに行きました。下田先生を含めて、六人のサムライで、ペルーで奉仕をしました。

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 後ろにあるのは、パチャカマックといって、大きなピラミッドです。ピラミッドって、エジプトだけではないのです。世界中にあるのです。ここは本当に、血なまぐさい場所です。

 ペルーに行く時に、娘のリベカが私と陽介を豊橋の新幹線駅まで車で送ってくれました。その後彼女は、お腹の子どもの検診のために病院に行きました。元気に行きました。しばらくして、私たちが新幹線で成田空港に行く途中、電話がありました。
 なんとリベカが救急車に乗せられ、豊橋市民病院に救急搬送されたというのです。そして、母子共に、もしかしたら危ないかもしれない!という情報が入ったのです。びっくりです。えっ!さっきまで元気だったじゃん!
 いつも通っている産婦人科に行ったら、血圧が高く、「これはあんまり良い状況じゃないから。」ということで、救急車が呼ばれて、すぐに豊橋市民病院に送られたのです。母子共に命に関わるという情報まで入ったのです。さぁ困ったぞ!と思いました。どうしようかと。
 私は、すぐに陽介に言いました。「すぐに帰れ。」と。「後のことはちゃんとするから、すぐに帰れ。」と言ったのです。そうしたら、リベカから直接電話がかかって来ました。「帰らないで。ペルーに行って!私は元気だから。」と言うのです。私も話したら、結構元気だったので安心しました。しかし数値的には良くなかったそうです。
 戦いを感じました。かたるの、「明日からの旅は大変になるね。」という手紙が、目の前に出てきたような感じでした。瞬間的に、どうしようかと。どっちにしたらいいのかと、真剣に祈りました。行った方がいいのか、行かない方がいいのか。みなさんなら、どうしますか?もちろん、ケースバイケースだと思います。しかし、彼らは夫婦で真剣に祈ったらしいです。
 そうしたら、陽介が「行くことにした」と言うのです。「すばらしい信仰だな。」と褒めたいところですが、なにせ身内ですから複雑なところもありました。信仰だなんて言って、死んじゃったらどうしようかと思いました。でも、夫婦で祈って、「これは霊的な戦いだから、行くことにした!」と言いました。それで決断して、行くことになったのです。私も複雑でした。「どうせ、帰ったところで何もできないからな・・・。」と思って、複雑な気持ちで飛行機に乗りました。
 でもこの頃、飛行機の中でWi−Fiが使えるのです。二十ドルくらい出すと、太平洋上空でも、どんどん情報が入って来るわけです。しかし、結果的に、少し早いですが、孫が生まれちゃったのです。
 今までの孫の中で一番かわいいんじゃないかって思います。母子共に健康で生まれました。ペルーに行って良かったです。予定日までまだ一ヶ月もありましたから、全く予想だにしていませんでした。なんと、五番目の孫が生まれちゃったのです。
 男の子というのは、初めから分かっていたのですが、名前も決まっていました。それは「敵の門を勝ち取れ!」ということで、「勝門/かつと」と決まっていたのです。今回は、敵の門を勝ち取るというテーマの中、主が私たちをペルーに送られたと気づかされました。緊張しましたが、必ず、主は、勝利をしてくださる方だということを、今回、体験させていただきました。すべてを良くしてくださったことを、心から感謝します。

 実は先ほども、アブラハムに、「イサクを捧げろ。」と言われ、最終的には、その行為をとどめられたのは、当時の悪しき習慣との関係があったと話しました。当時、モレク神に、自分の子どもを捧げるような、悪しき習慣がありました。しかし、主はそれをとどめるため、悪しき習慣からの解放が、アブラハムとイサクのストーリーに含まれていると話しました。それが十字架に結びついているともお話しさせていただきました。

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 ペルーに行きますと、多くの、古代に造られたピラミッドがあります。
 この場所は、カラルという場所ですが、川の側に、こんなピラミッド群があります。
 周りに三十基くらいあるのです。このピラミッドは、今のところ分かっている、世界最古のピラミッドです。この場所は、日本の研究チーム関わり、発見されました。
 実は、バベルの塔から人々が散らされたのですが、バベルの塔があったのは、最古の文明があったメソポタミアです。
 ここから世界に散らされたのは、世界の文明と合わせて考えると、よく分かります。次に古い文明は、エジプト文明になるわけです。そして、インダス文明です。東と西に人々が散らされ、大きな川の側で文明を発達させたのです。
 しかし、散らされた人たちは、さらに散らされ、ペルーのカラルにピラミッド群を造りました。この場所の年代は、BC二八〇〇年だと推定されています。エジプトがBC三〇〇〇年くらいといいますから、同じくらいの年代に建造された、古代の宗教都市です。人類は、すごい勢いで移動しているのです。
 聖書の記述って、真実ですね。「世界に散らされた」とありますが、この地域に住んでいる人たちは、元々、インディオという、アメリカインディアンと同系統の人たちです。インディオの人たちって、遺伝子を調べると、東洋人と同じです。
 子どもたちには、おしりに青いハンコが押されています。蒙古斑です。蒙古斑って、バベルの塔から散らされた人たちに、そのしるしとして押されているハンコみたいです。この地域には大勢のインディオたちが住んでいるのですが、今回、最初に行った教会が下田先生が牧会している、現地のインディオたちの教会でした。私の家で起こった事件に関して話すと、彼らも真剣に、リベカと勝門のために祈ってくれました。インディアンに祈られて生まれた日本人の赤ちゃんって、あんまりいないと思います。何か、霊的な大きな意味があるだろうと感じました。

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 ピラミッドは、古代では、こんな感じでした。今でも原型が残っています。最上段には神殿がありました。
 ここでは、毎日のように子どもや青年を殺して、悪魔に生け贄として捧げていたのです。インカ、プレインカの時代、ペルーでは、人を生け贄として悪魔に捧げる悪しき儀式が連続してなされていたのです。
 そんなただ中に、主が私たちを送ってくださり、今回の戦いは、ちょっぴり大きな戦いではありましたが、すばらしい勝利の働きをさせていただきました。皆様と一つとなって、祈ることができ、本当に感謝でした。
 時に、敵の門を勝ち取ろうとする時、悪魔も真剣に引き止めるかもしれません。そんなとき、リスクを恐れてはいけないと思いました。私は、フジモリさんと話して、「リスクを恐れちゃだめだ!」と言われ、なんとなく励まされた感じがしました。「今回、リスクを押して俺たちは来たんだぞ!」と。絶対、主は、助けてくださると確信しました。いろいろな方々が協力してくださり、守られたわけです。少し未熟児だったので、勝門はまだ病院にいますが、どんどん大きくなっています。今週あたり、退院して来ると思います。問題なく、生まれたこと、守られたことを感謝しています。

 今回、いろんな場所で、メッセージを語らせていただいたのですが、この教会はリマの郊外にある教会で、結構危ない地域です。

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 この道路の両脇は、たいへん貧しい地域です。この道路は、案外よく見えるのですが、ここに立っている人物、危なそうに見えますが、この教会の牧師です。

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 でも、ここに立っている男は麻薬の密売人です。
 私たちの目の前で、警察にしょっぴかれて行きました。ここには、麻薬が氾濫しています。本当に危ない地域で、なんと、日系人が作った地域です。未だに日系人が権力を持っています。良い人ではないらしいです。だから、この地域のために、皆でとりなしの祈りをして、集会も本当に祝福されました。

 またワッチョにも行きました。ワッチョに行くには、砂漠の真ん中のまっすぐな道路を、三時間くらい走って行きます。

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 魔法使いがいっぱいいるワッチョに行って、集会をしましたが、竹内先生がメッセージをして、すばらしかったです。本当に感動しました。

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 そして、早川先生。埼玉県の先生ですが、先生はスペイン語がよくできます。パワフルなすばらしいスペイン語のメッセージでした。

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 また陽介スタッフも証しをしましたが、なかなか良かったです。バプテスマも司式させていただきました。五人の方々がバプテスマを受けられました。
 今日、新城教会では、四人の方がバプテスマを受けられますが、ワッチョの教会も、がんばっています。牧師はビクトル先生です。

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 先日も話しましたが、この町は大変な町で、霊能者がいっぱいいて、どうにも圧迫が強くて、伝道ができなかった時期に、イエス様がビクトル先生の夢の中に現れて、「東洋からサムライを送る。」と言われたそうです。その後、下田先生と出会って、私と出会ったのです。
 今回、私は詳しく夢について聞いてみたのです。サムライを送ると言われて、下田先生に出会ったというのですが、サムライって、ちょんまげがあるじゃないですか。「俺には、ちょんまげを結う髪もないもんなぁ・・・」と思ったのです。でも、下田先生も同じです。
 しかし、かつて下田先生は相撲取りだったのです。今はハゲていますが、彼には、ちょんまげがあったのです。その夢は下田先生の事かも知れないと思いました。
 そして下田先生が、私を紹介してくれたそうです。「順先生っていう、霊的戦いをする先生が日本にいるから、ここに連れて来たい!」と言ったら、ビクトル先生はちょっと不安だったそうです。どこの馬の骨か分からん滝元順なんかを招くのは、ちょっと不安だったそうです。
 そうしたら、なんと夢の中に私が出て来たというのです。イエス様に連れられ、私が夢に出て来たそうです。「滝元順を紹介します。この人を安心して受け入れなさい。」と言われたというのです。私を夢の中で見たというのです。いや、不思議なことがあるもんだなと。
 今では、この町で一生懸命ビクトル先生は、がんばって霊的戦いを戦っています。私たちが行くと、一生懸命、もてなしてくださり、また、いろんな事をさせられるのですが、これも水の上にパンを投げた結果として感謝しています。

 今回、こんな、高齢のおじいちゃんにも、洗礼を授けてくれというのです。かなりの高齢の方で、この方を水の中に浸けて大丈夫か?と言ったら、大丈夫だというのです。なぜなら、救急車を呼んであるというのです(ビクトル先生は病院で働いています)。
 もしものことがあったら、救急車に乗せて搬送するからと言って、近くに救急車を待機させていました。冗談じゃないと思いましたが、向こうの人たちの信仰って、すごいなと思いました。
 午後からは、陽介スタッフにも報告してもらいたいと思います。

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 これ、みなさんと一緒に食べたいです。美味しいですよ。

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 これは、モルモットです。クイと言います。結構美味しいです。

 イエス様の十字架は、敵の門を勝ち取るためでした。
 世界に福音を伝える。また、周りの方々に福音を伝えるのは、敵の門を勝ち取る事です。
 ある意味、宣教にはリスクもあるかもしれません。しかし、決してリスクを恐れてはいけません。クリスチャンになる決断も、日本においてはちょっとリスクがあるかもしれません。しかしリスクを恐れてはいけないですよね。
 伝道者の書に書かれているように、風を見ていたり、周りを見るのではなく、常に種を蒔き続ける時、挑戦し続ける時に、必ず勝利がやってくるのです。なぜなら、イエス様はすでに、十字架と復活によって完全勝利を取っておられるからです。最後に一言お祈りをして、メッセージを終わります。

 ハレルヤ。父なる神様。御名をあがめて心から感謝します。
 あなたの十字架の勝利によって、私たちは敵に打ち勝っていることを心から感謝します。すでに敵の門は勝ち取られています。さらに敵の門を勝ち取ることができますように。
 今日は共に礼拝を守ることができて感謝をいたします。今週は、イエス様が十字架にかかり、よみがえってくださった記念の週ですが、あなたの十字架の勝利を、もう一度、心にきざみ、敵の門に挑戦する者として下さい。今日のこの時を心から感謝します。
 今から聖餐式を行いますが、本当に主よ、あなたが命がけで敵の門を勝ち取ってくださって、この記念として、私たちは受け取ります。主よ、私たちも、敵の門に挑戦するものとしてください。今ここに備えられているパンとぶどうのジュース、み言葉と聖霊によって、あなたと一つとなる、ひとときとしてください。イエス・キリストの御名によって、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。