『パラオ・スペシャル』

2016年4月10日(日)
パラオチーム/滝元望師

 今日はパラオ・スペシャルということで、まずはパラオを見ていただきたいと思います。

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 これは、私が飛行機の上から撮った写真です。

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 これが地図ですが、上のほうにあるのが、日本とパラオの位置です。グアムよりもずっと南で、フィリピンのちょっと東にあたります。パラオは、バベルダオブ島という、でっかい島と、コロール島という小さな島 − ここに中心がありますが、その他の多くの島々によって成り立っています。有名なのは、ペリリュー島、アンガウル島、この二つの島では、玉砕戦と呼ばれるような激しい戦争がなされました。

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 一九二二年から一九四五年まで、日本が委任統治をしていた地域の一つなのですが、その当時において、パラオというのは、一番中心的な場所になっていました。当時の建物、実は今も残っています。南洋諸島と呼ばれていましたが、南洋支庁として使われていた建物は、今は裁判所として使われています。今も当時に建てられた建物が残っているような所です。

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 日本が統治した時代に、パラオのコロール島に、実は日本は、一九四〇年に、総鎮守の神社、南洋神社、これは官幣大社といいますが、非常に社格の高い神社を建てました。そして、パラオの人たちもそこに参拝させられましたし、そこに住んでいた日本人たちも拝んだわけです。戦後これは全部壊されましたが、30年ほど前、右寄りの方々がそこに神社を再建したり、またバベルダオブという所に行きますと、巨大な慰霊碑が今もひっそりと残っています。

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 今日、まずは、こんな話よりも、みなさんに登場していただいて、賛美していただきたいと思います。

 イッピー、レジーナ、ドリス、レズリー、バージニアさんです。

{パラオチーム}
 みなさん、おはようございます。詩篇二十四篇のみ言葉をお読みしたいと思います。

『地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。
まことに主は、海に地の基を据え、また、もろもろの川の上に、それを築き上げられた。
だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。
手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。
その人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。
これこそ、神を求める者の一族、あなたの御顔を慕い求める人々、ヤコブである。セラ
門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の王が入って来られる。
栄光の王とは、だれか。強く、力ある主。戦いに力ある主。
門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の王が入って来られる。
その栄光の王とはだれか。万軍の主。これぞ、栄光の王。セラ』

<<パラオ語での祈り&賛美>>

<望師>
 ここにいるチームとは、昨年、一昨年とパラオにお邪魔して、特にペリリュー島、またアンガウル島という所に、とりなしのため一緒に行きました。ご存じのように、ペリリュー島というのは、日米合わせて一万三千人の血が流された所です。激戦地。そして、ここは非常に悲惨な所で、よく右寄りの方々は誉め称えたりしますが、本土決戦を遅らせるために「降参するな」という命令が下されて、七十三日間、小さな島です。そこに立てこもって、兵士たちは戦いをしました。

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 私たちはペリリュー島に渡って行って、そして、ここに日本政府が建てた慰霊碑があり、そこでとりなし祈りました。また昨年はペリリュー島に天皇ご夫妻が来られるということで、「もう一度とりなしに来てくれ」とパラオの方々に言われて、一緒にとりなしに行きました。ペリリュー島には今、ある団体がペリリュー神社を再建しています。そこでもとりなしの事を分かち合って祈ったり、多くの慰霊団が訪れる慰霊碑がありますが、またここでもとりなしの意味を分かち合って一緒に祈りました。
今から、ペリリュー島出身のイッピーさんに、少し証しをお願いしたいと思います。

<イッピー兄>
 主をほめたたえます。日本に来ることができることは、大変な特権です。日本に来たのは、私の計画ではなくて、神様のご計画です。私の父がペリリュー島の出身です。
 私たちが子どもの時に、祖父母はいつも戦争の話をしてくれました。戦争の時に、日本人がパラオ、そしてペリリュー島に来たこと。日本人は厳しくて、パラオの人たちにとてもひどい仕打ちをしました。私の祖母がよく言ってくれたのですが、「日本人が来て、日本の神々に祈っていた。」それは、日本が支配していた時でした。
 私はよく祖母に聞きました。「戦争の時に、私たちパラオの人たちは、日本人によくしてあげたのに、どうして彼らはひどいことをしたのですか?」でも、私の祖母はクリスチャンでした。そして、彼女はいつも祈っていましたし、そして、私たちは互いに愛し合わなければいけないということを教えてくれました。そして、彼女は私に、「自分を愛するように敵を愛さなければならないんだよ。」と教えてくれました。
 私は神様に感謝します。望先生がパラオに来てくださった時に、私の目を開いてくれました。心も開いてくれました。この日本人が建てた神社のことについて目を開かせてくれました。
 以前は、このペリリューでは、日本の神官たちが来て、私たちも神社に行き、神社に供え物をしました。けれども、望先生が来られた時には、神様が送ってくださったと思いますが、私たちの目を開いてくれました。これが悪いことだということが分かったのです。ですから、私たちはとりなしの祈りに行きました。望先生は、パラオのすべての神社の跡を巡られたと思いますが、望先生が来られた日から、私たちの兄弟姉妹の何人かは目と心が開かれて、祈るようになりました。呪いが砕かれるように。これは霊的戦いです。これは、地上における肉の戦いではなくて、霊の世界における戦いなのです。
 望先生がパラオに来られた時に、「サクラ」という言葉が、自殺を意味する言葉だと言われました。というのは、ペリリュー島で戦った日本軍の司令官が、最終的に玉砕することを本国に伝える電文の暗号が、「サクラ、サクラ」という言葉だったのです。そして、私たちは祈り、その言葉にある呪いを取り除きました。日本に来て桜を見て、その美しさに感動しました。
 これは神様の計画だったと思います。といいますのは、昨年の四月九日に、日本の天皇がパラオに来たからです。天皇がパラオに来られた時に、ペリリューにあった慰霊碑に参拝したのですが、その一年後に私たちが日本に来ることが許されました。私たちは日本に来て祈るために遣わされたと思います。霊的な世界における呪いを砕くために。パラオで、私たちは呪いの変わりに祝福を受けました。
 昨日は伊勢神宮にも行きましたけれども、このように日本に来ることができたことを感謝します。

 主が語ってくださったことを、お分かちしたいと思います。ヨハネの福音書十五章十二節〜十三節、

『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。』

 ルカの福音書六章三十五節、

『ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。』

 私たちが日本に来た時に、もう一度心に留めたいのは、第二コリント五章二十節、

『こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。』

 私たちはキリストの使節です。イエス・キリストをあなたの人生の主とするならば、みなさんは、イエス様の代理人として、世に遣わされている存在なのです。国々が外交使節を他の国に送る時には、その国の代表として、その人たちを送るわけです。みなさんは、ここに神の国を代表して送られているのです。その事を考えてください。私たちがどこに行っても、私たちは王の王なる方、主の主なる方の代表として、そこにいるのです。
 私は信じています。私たちは、聖書の預言が語っていた時代に生きています。私たちは光の軍隊が増え広がっているのを見ています。
私たちは、自分たちを聖める、そのような時に来ています。私たちは自分を捧げるべきです。神様のために出て行くべき時です。私たちのすべての人生を捧げ、もし私たちがそうするならば、神様は私たちに油そそぎを与え、力を与え、栄光を与え、良い物を与えてくださいます。それは、私たちが、神様のために輝くためです。

 ピリピ人への手紙二章十五節、

『それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、』

 みなさん自身のことを今日、考えはじめてください。他の人のことではありません。あなたが神様の使節なのです。全能の神様の使節です。神の国の利益ということを考えてください。それをいつも第一に考えてください。頭でも心でも。神様に、自分自身を捧げてください。そして言ってください。「神様、あなたの代表者となることを、どうやったらできるのか教えてください。」あなたが何をするにしても、あなた方は、キリストの使節なのです。そのように、今日、生き始めてください。
 「愛しなさい。」愛すること、これはイエス様が与えられた第一の戒めです。イエス様は言われました。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これ以上の愛はありません。友のために命を捨てるよりも、大きな愛はない。」
 愛+赦し=一致
 私たちとあなた方は一つになります。次にレジーナ姉妹が証しをしてくれます。

<レジーナ姉>
 おはようございます。この場所に来ることができて、神様に感謝します。私が計画したわけではありませんが、神様の計画によって、ここに来ることができたと思います。一九九三年に、私は何人かの友人と一緒に祈り始めたのですが、その時はどのように祈ったらいいのか分かりませんでした。しかし、神様は霊的戦いの祈りに導いてくださいました。私たちはパラオのために祈らなければならないと思いました。パラオの端から端まで、霊的戦いの祈りをしました。疫病が広がるように、とりなしの祈りが広がっていきました。以前は、そのような祈りをする人はいなかったのですが、今はたくさんのグループがいます。
 二〇一〇年に、私はタイのカンファレンスに招かれました。Call to AllというYWAMのカンファレンスでしたが、そのカンファレンスには、日本からは一人しか代表者が来ていませんでした。彼は音楽を演奏し始めました。それは夜だったのですが、エレキギターを取り出して、演奏し始めた時に、すべての建物が停電になってしまいました。真っ暗になってしまいました。その時に、私たちは日本のために霊的な戦いの祈りをしました。私は主に対して心の中で祈りました。「私は日本に行きたい!まだ福音を聞いたことがない何千万という人たちがいる!」と。
 そして、その集会の中で、日本のために祈るように要請があり、何人もがステージの上に上がって行きました。私ももちろん行きました。そして、そこにはたくさんの方々がいたので、私にマイクを渡した司会者の人が、「三秒で祈ってください。」と言いました。「日本のために祈るのに、三秒で祈れません!」と言いました。でも、その時に、日本のためにみ言葉をくださいました。そのみ言葉は、イザヤ書六十章一節、

『起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。』

 これが、日本のための私の祈りです。日本の事を考えるたびに、私は、「日本よ。起きよ。光を放て。」と祈ります。なぜなら、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。

 私が日本に来るために、今回、準備していた時に、主がみ言葉をくださいました。使徒の働き十七章二十六節〜二十八節、

『神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である』と言ったとおりです。』

 神様がこの地を造られた時に、人間にこの地を治める権利を授けられました。けれども、人類が神様に対して罪を犯したために、悪魔がその権威を横取りして、地を治めるようになってしまいました。イエス様は、それを取り戻すために来てくださいました。イエス様は、百パーセント神様で、百パーセント人間でした。イエス様が悪魔に奪われた権威を人間のために取り戻すためには、人間として死ななければなりませんでした。
 ですから、イエス様が死んでよみがえられた時に、神様は、人間、つまり私たちとあなた方に、この地に関する権利を与えてくださったのです。この地を解放するために、私たちは他の人たちに頼る必要はありません。私たち自身がその解放する権利を持っているのです。イエス様が心の中におられるならば、あなたは悪魔に対して、この地から立ち去るように命じる権威を持っているのです。
 これが、今日、みなさんへのチャレンジです。私たちパラオの人たちが、この地のために来て祈るのを待っていないでください。みなさんはすでにその権威を持っているのですから、その権威を使って、この地を神様のために取り戻してください。私たちがここにいるのは、何か新しいことをみなさんに教えようとしているのではなく、ただ皆さんにチャレンジを与えたいのです。私たちはパラオでその事をしたために、パラオは今、神様の国になっています。

 今回の旅行のために準備している時に、神様は「土地に対する権威」ということだけを語ってくださっただけでなく、他のことも語ってくださいました。それを行動と共に、今から行いたいと思います。その事を通して、この地が解放され、パラオが解放されることを信じます。悔い改めと告白の時です。
 私はアンガウルという島の出身ですが、日本人が来た時に、私たちの土地からいろいろな物を奪って行きました。そして、日本人は、「その土地を後で良い土で埋めるから。」と約束していきました。けれども、結局、約束を破り、ごろごろの石でその土地を覆ったので、使えなくなってしまいました。ですから私の土地の人たちは、いつも日本人のことについて文句を言っていました。「日本人がこんな事をした。」と。
 今、望先生に来ていただいて、私は自分の民を代表して、私たち、パラオの人間が日本人の方々にした事について悔い改めます。神の人としてだけではなく、日本人の代表に話します。

 私の土地に対して、日本人がしたことに対して、私は自分の民を代表してあなたを赦します。あなた方は、約束したことをしませんでしたけれども、でも私はあなたを赦すことを選びます。

<望師>
 今、みなさんを代表して、日本人として、私たちは、彼女たち、またパラオの人たちに告白したいと思います。私たち日本人が、パラオに行き、そして特にアンガウルで約束を破って、その地を荒れ果てさせてしまったことを赦してください。それのみならず、そこに神社を建てて、悪しき霊をそこに招いて、地を呪ってしまったことを、私たちは悔い改めます。今、私たちは皆さんの赦しを受け取って、そしてまた私たち自身も悔い改めて、またパラオを祝福し、赦すことを宣言します。

<レジーナ姉>
 あなたの赦しを願う、その願いを受け入れ、あなたを赦します。あなたの告白を受け入れ、あなたを赦します。この日が解放の日となりますように。そして、日本の祝福を祈ります。主よ、感謝します。神様に栄光をお返しします。

<イッピー兄>
 私はペリリュー島を代表します。罪の赦しを求める日本からの告白を受け入れます。それはペリリューの島の癒やしのためです。その謝罪を受け入れます。ありがとうございます。

 もう一曲歌います。今なされたことについて、私たちが喜んでいる気持ちを歌いたいと思います。「心に喜びがある」という歌を歌います。

I got a Joy in my heart because of you.
I got a Peace in my heart because of you.
I got a Love in my heart because of you.
I got a Jesus in my heart because of you.
I got a smile on my face because of you.
I got a dance on my feet because of you.

{望}
今、思わぬ形で、祈りが導かれましたが、パラオにとりなしに行った時には、彼らが日本を赦す必要性があるということを持っていることは、あまり感じませんでした。でも、彼らが日本に来た時に、このように赦す必要がある。と感じ取ったわけです。
 パラオの人たちの英語というのは、高度な英語を話す方にはなかなか理解できないのでは、と思うのですが、僕のように突撃英語しか話せないので分かるのかもですが。「りんごの木を植えるように約束したけど、それをしなかった」というようなことも言ってましたね?多分ね。私はそういう極地専門の男なので、向こうの方の突撃英語が通じるのです。すばらしい英語というのはなかなか通じなかったりします。(笑)

 聖書の中に、私たちに神様がすごく大きな使命を与えています。ローマ人への手紙一章十四節〜十六節、

『私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。』

 私がいろんな国々に行って感じることは、日本の教会は負債を負っているということです。先ほどのも実際、負債ですね。赦されなければならないものがある。
私たちは全く意識していません。全く知りません。おめでたいです。日本人が赦されるなんて必要はない!と考えます。多くのニュースは書きます。「日本人は愛されている。パラオは親日国家だ。」と言います。でも、僕らが祈って行くと、彼らの心の一番奥底にある、「赦さなければならない。日本を憎んでいたり、日本が約束を破った。」ということが出て来るのです。
 ニュースに騙されてはだめです。テレビによってマインドコントロールされないでくださいね。今は、日本の国民はマインドコントロールされようとしています。ニュースでは、「日本はすばらしい!」ばっかり。みなさん、テレビを見ていると、「日本のこんな所、すばらしい!」ということばっかりやっているでしょう。それをぼーっとして見ていると、間違って思い込んでしまうのです。「日本は世界から愛されているぞ!」と。もちろん愛されてほしいし、愛されるものになりたいけれども、現実に、私たちは負債を負っているのです。
 神様は、その負債を返しなさいとおっしゃってます。このような和解の出来事は本当に美しいです。インパールでも、そのような和解の働きが進められたことを証しされたと思います。でもその和解だけでとどまっていてはいけない。私たちに委ねられているのは、負債を返す。このみ言葉が言うように、返さなければならない負債を負っている。それはイエス様の福音を伝えるために、私たちは出てかなければいけない。

パラオの人たちは百パーセント、日本人を知っています。私たち日本人は、パラオという国を知っている人もいるけれど、知らない人も沢山います。アジアの多くの国々、南の多くの島々に行くと、多くの血が流されて、血が流されただけじゃない。そこに慰霊碑が建てられ、悪霊が招かれ、神社が建てられ、そしてその地は、今も呪いの下にうめいています。私たち日本のクリスチャンがそこに行って、そのために祈り、とりなし、またそこに福音を伝えなければ、その呪いはそのままだということを皆さん、忘れてはなりません。 
 と同時に、日本のリバイバルを考えると、私は思います。負債があるのです。「日本のリバイバル!神様、どうぞ!聖霊のそそぎを!」と祈り続けて、たくさんの祝福が注がれていると私は信じますが、それは全部借金に流れてしまうのです。
私たちが返していないのです。このような、私たちが迷惑をかけた多くの国々に福音を携えて出て行っていない。私は多くの島々や国々に行くと、「おまえが初めて来た日本のクリスチャンだ。」と言われます。初めて、クリスチャンとしてそこに行った時に、彼らは言うのです。「今日、初めて言う。日本人を赦す。」と。赦しの福音がイエス様の十字架の中にあるからです。
 私はリバイバルのためには、最初に負債を返さなければいけないと思います。たくさん聖霊の祝福をいただいて、良い教会を建てて、すばらしい方法を使ったら、リバイバルは起きる。もちろん起きるのです。でも、どんなにそこで祝福が来ても、全部流れていく。負債を返していないから。この日本の教会、私たち、新城教会、これから世界宣教に出て行かなければならない。負債を返すために。ある意味においては、一番最初に返さなければいけない所は、私たちの日本もアジアの中にありますが、アジアの多くの国々に血が流された、呪いの下にうめくような場所に、私たちはイエス様の十字架の勝利を持って、そして癒しと解放の力を信じて出て行かなければならない。
 みなさん、信じてください。戦場となった場所は本当に良い所です。どのくらい良い所かというと、悪霊がうようよいるくらい、良い所です。僕は暗いのが大好きです。ものすごく暗いのが大好きです。それは暗いところにこそ光りが輝くからです。
血が流されて呪われて、その地域の人たちも、「この畑は何も作物が取れない!そこに入って行くのも嫌だ!悪霊が出る!」でも、なぜ悪霊が出ると思いますか?日本人の血が流されて、日本人がそこで慰霊をして、悪霊を招くからです。私たちクリスチャンだけが、その呪いを解き放って、その地を祝福することができる。私たちは暗闇に灯された光として、イエス様によって、遣わされて行きたいと思います。
 是非、パラオに行ってください。すばらしい綺麗な海があって、ダイビングも釣りも最高です。でも、その向こうには、まだ今も、たくさん傷ついた場所があることを覚えます。
 またこの若者たちが、是非、次のジェネレーションが、この新城教会の若者たちが、アジアの多くの国々に遣わされてほしいと思います。私の孫が、またその孫が、そこでイエス様のために働いてほしいと願います。最後にお祈りします。


 愛する天のお父様。今日、こうして私たちが、パラオの方々の証しを聞き、また彼らが、私たち日本を赦すと、それは一部だと思います。私たちは多く赦されなければならないことがたくさんあると思いますが、彼らが赦すという決断をして、私たち日本を赦し、祝福してくださったことを感謝します。
 私たち日本の教会が負っている負債があります。それは、福音を伝えなければならない負債です。イエス様、どうぞ、私たち、日本の教会を、新城教会を、どうぞ主よ、本当に私たちが忘れ去ってしまっている多くの南の島々に、またアジアの多くの国々に、私たちの次のジェネレーション、次のもっと先のジェネレーションまで、この戦後七十年後から、その先こそ、和解の福音を持って、悔い改めを持って、赦しの祝福を信じて出て行くことができるように導いてください。
 今日、イエス様、どうぞ主よ、本当にそれだけではなく、今日ここにいらっしゃる一人一人の家庭の中にも、一人一人の家族の中に、また個人の中に、あなたの赦しが訪れますように。イエス様、あなたの赦しによって、一人一人の中に、最も深い所に癒やしが始まりますように。イエス様の十字架の恵みがそこに現され、呪いの下にあるこの日本をあなたが解き放っていやしてくださいますように。
 聖霊様、今、あなたがお越しください。私たちの心の奥底にお越しください。この教会の最も深い所に届いてください。私たちの国、日本の、最も深い所に届いてください。あなたの十字架の勝利を感謝し、尊いイエス・キリストの御名を通して、この祈りを御前にお捧げ致します。アーメン。