『あなたも主の弟子の一人です!』

2016年4月17日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
マルコによる福音書3章13節〜15節

『さて、イエスは山に登り、ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとに来た。そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。』

 ハレルヤ!今の「ヘブンリーキングダム」の賛美、最高でしたね。もう一度、大きな拍手をお願いします。「私たちは神の家族!」、すばらしい賛美でした。ヘブンリーキングダムは今年の九月、豊川のフロイデンホールでコンサートを計画しています。そのために準備していますが、是非とも祈ってあげてください。

 先週は、九州、熊本のほうで、大きな地震があって、日本に住んでいることを、今更ながら実感させられています。日本に住む以上、このような地震が起こることは避けられないと思います。中央構造線に沿って地震が起こっているという説もあります。中央構造線って、どこを走っているか知っていますか?新城の真ん中に、豊川が流れていますが、右岸と左岸では、全く地質が違います。日本はいくつかの島がぶつかり、合体して出来た島です。ですから、豊川の向こう側とこちら側に住んでいる人では、島が違うのです。

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これが中央構造線であり、この線に沿って地震が起こっている、なんらかの変化が起こっているのではないかと言われます。また、南海トラフにつながる、巨大地震の能性もあるようです。

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 私たちクリスチャンは、地球の管理人として今こそ祈らなければなりません。災いは忘れた頃にやってくるといいますが、東日本大震災から五年経って、もういいかなと油断した頃に起きた地震です。私たちは、祈り続ける者になっていきたいと願います。

 先週は、パラオの方々が来てくださって、礼拝を持ちました。日本の歴史について、私たちは結構知らないのです。パラオがかつて日本の領土だって、知っていましたか。日本はかつて、様々な、悪しき行動をしたわけです。ですから、多くの霊的負債があります。いくらリバイバルのために働いても、すべて、霊的返済のほうに回ってしまっているという話もなされていました。この地を勝ち取るためにも、霊的負債を返済しなければなりません。
 教会の働きは不思議です。パラオの方々が来られた週、私は、沖縄のほうで奉仕をさせていただきました。

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 今回の奉仕は、二つのアメリカ人教会と、スイス人の牧師が始めた教会で奉仕させていただきました。また、フィリピンの方々が多く参加されていました。フィリピンで日本は何をしたのかご存じですか。海外で日本人が最も多く死んだ場所が、フィリピンです。また、日本はフィリピンの人たちを多く殺しました。
 現在、フィリピンの方々は日本で多く生活していて、明るい方々です。しかし私がその話をしたら、みんな深刻な顔になりました。集会が終わってから、彼らは私の所に来て、「初めて、日本人の牧師から、『日本の罪を赦してください』と言われました。私は赦します。」と言ってくださいました。彼らは日本が何をしたのか、忘れていません。
 先週、主は新城教会の働きを通して、多くの霊的負債を支払うようにされたのかも知れません。

 一つの教会は、嘉手納基地という、米軍基地の方々が多く来られている教会でした。その教会を中心に奉仕をさせていただいたのですが、主が日本を使い、日本だけでなく、世界で用いようとされていると思います。

 まもなくゴールデン・ウィークが来ます。四月に新しい年度が始まって、ちょっと慣れたところで、ゴールデン・ウィークかという感じです。慣れた環境がすっ飛んでしまうようです。でも皆、楽しみにしていると思います。
 ゴールデン・ウィーク、新城教会におきましては、リバイバルミッション主催で二十四時間PPHが行われます。今年の二十四時間PPH、新城教会の皆様方に是非とも、お願いがあります。それは、参加していただきたいのです。
 なぜなら今回、韓国から先生方が来られて、奉仕をしてくださいます。

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 今回来てくださる先生方は、リバイバルミッションや、私の父、滝元明や田中先生の時代から、深い関係があり、最も長く私たちを支え続けてくださっている先生方だからです。今までに二回ほど韓国でリバイバルミッションを開催させていただいたのですが、この先生方がおられなかったら実現しなかったでしょう。陰になり、日向になり、矢面に立って、がんばって下さいました。
 韓国の先生方、使う写真、結構、若い時代の写真を使われますので、案外、若く写っていますが、お歳の方々です。チェ先生も賛美してくださいます。今週の週報に、先生方の奉仕日程が出ていますから、是非、韓国の先生方と一緒に、主を礼拝し、み言葉をいただきたいと願っています。
 
 そして、もう一つ、お願いがあります。来週は、ギデオン協会の聖書献金があります。聖書配布によって、多くの人が神のみ言葉を受け取ることが出来ています。新城教会には、ギデオン協会の会員となって、熱心に働いておられる西村兄弟もおられます。来週は是非とも、聖書献金をお持ちになって、教会にお越しになってください。今年は何冊、聖書を手渡そうかと考えながら、一冊でも多くの聖書が贈呈されることを願っています。

 さて、今日の主題は、「あなたも主の弟子の一人です!」、マルコの福音書三章十三節から十五節からです。ここにはイエス様が、十二弟子を選んだ基準が記されています。大変重要な箇所だと思います。
 今日、教会に集まっていますが、私たちはどういう立場かというと、イエス様の弟子です。弟子とは、師匠が願っていることを、そのまま実行する者たちです。
 イエス様は最初、十二人の弟子を選ばれ、そこから福音を拡大されたのです。その後も、七十人の弟子たちがでてきたり、様々なイエス様に仕える弟子たちによって、福音は、私たちの手元に届いたのです。
 ですから、私たちも、イエス様の弟子にならないといけないのです。「私はクリスチャンになったけれど、イエス様の弟子じゃなく、傍観者です。」ではいけないのです。イエス様の弟子になることが、クリスチャンの条件です。ということは、イエス様がどのような視点で、どのような思いで弟子たちを選ばれたかの基準を知ることが重要です。マルコの福音書三章十三節〜十五節、

『さて、イエスは山に登り、ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとに来た。そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。』

 ここに、イエス様が弟子たちを選んだ条件が記されています。まず第一に、『イエスは山に登り、ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられた』とあります。
 私たちは偶然、教会に来ているように思うかもしれませんが、偶然ではないのです。「主ご自身がお望みになって、呼んでくださった」わけです。私もそうです。私なんて、生まれて気がついたら牧師の息子でした。たいへんな所に産まれたな、と思っていましたが、牧師の息子に産まれることまで通して、私を呼んでくれたんだなと、今では感謝しています。様々な出来事があって教会に来られたかもしれませんが、誰が呼んでくれたのか。それは、友達が呼んでくれた、いろいろあって来たように思うかもしれませんが、イエス様のお望みになる者として、主が、呼び寄せられたのです。「私はイエス様に呼ばれたんだ!」と、もっと感動してください。「私はイエス様に呼ばれてここにいるんだ!」と。

 イエスは彼らを、「身近に置きたかった」というのです。遠くにではなく、身近において訓練したかったのです。イエス様から遠く離れてはいけないのです。イエス様の身近にいることが、弟子たちの条件です。
 人間は、皆、自分勝手ですから、放っておくと、イエス様から遠くなってしまう傾向があります。しかし私たちは、イエス様の心を知らないといけません。イエス様は常に、私たちと身近に過ごしたいと願っておられます。

 クリスチャンだといっても、いろんな問題があったり、悲しいことがあったり、解決できない問題もあります。もちろん、そこには、いろんな理由があると思いますが、クリスチャンにとって様々な試練は、そのことを通して、主に近づかせるという目的があるのです。いろんな事があったら祈りますよね。「イエス様、助けてください!」って。様々な問題は、イエス様に近づかせる要素となるのです。
 日本には自然災害等がありますが、そういう中で、イエス様に近づかないといけないと思います。「日本を哀れんでください!」と、日本の教会が、もっともっとイエス様に近づくために、今回の地震も、悲しみを通して勝利に変えてくださったら素晴らしいと思います。

 四月、環境が変わって、身の回りに様々な変化が起こっていると思います。新しい学校に入ったり、会社に入ったり、会社において所属部署が変わったりと、四月は案外、環境の変化で、ストレスが多い月だと思われます。
 でも、どうでしょうか。そういうことがあると、私たちは一生懸命祈るようになります。「神様、助けてください!」って。これ、いいことなんですよ。そのことにより、知らないうちに、イエス様に近づくのです。

 実は、私の孫二人が、近くに住んでいたのですが、昨年、旧鳳来町に家を建てて引っ越し、四月から学校と、子ども園が変わりました。旧鳳来町大野の小学校と子ども園に、かたると、えりぃが行くようになったのです。向こうに行きますと、のどかなで、こちらとはかなり環境が違うのです。
 えりぃは四歳ですが、今まで、近くの東郷西子ども園という、大野から見ると大都会の子ども園に行っていたのですが、大野子ども園に行ったら、男の子がクラスにたった四人しかいないというのです。あの四歳の男でも、だいぶストレスみたいです。私は少し心配して、電話をかけて、「えりぃ、今日はどうだった?」と聞くと、「じいじ。今日もこども園で泣いちゃったよ。」とか言って、チビなりに戦っているんだなと感じました。「近くに神社がある。ママに祈ってもらった。」なんて言っていました。やはり、霊的戦いを感じているんだなと思いました。
 ちょっとかわいそうだと思って、先日、彼を連れ出して、近くのピアゴに連れて行き、彼の好きなゲームをやらせてあげました。とは言っても、百円玉一個だけ持って、「一回だけだぞ!」と言い聞かせて行きました。そして、二人でいろいろ交わりをしました。今日も泣いただろうなと思って、「えりぃ。今日も泣いたか?」と聞いたら、「今日は泣かなかった!」と言うのです。
 どうして?と聞くと、涙が出そうになった時、「イエス様!力を与えてください!」と祈ったというのです。そうしたら、涙がぴたっと止まったというのです。
 いや〜、それを聞いて恵まれました。彼もやっぱ、試練を通してイエス様に近づいたんだな!とね。「涙が出そうだ。寂しい。イエス様、助けてください!」と祈ったら、ぴたっと涙が止まって元気になったというわけですよ。
 四歳の子どもの試練も良かったなぁと。すべてを主は、益としてくださるのです。そんな子どもの祈りもきいてくださるイエス様は、あなたの祈りを聞いてくださらないはずがありません。困ったことがあったら、「イエス様!力を与えてください!」と祈ってみてください。
 姉ちゃんが、「あんた本当に声に出して祈ったの?」と聞いていました。彼は、「声に出して祈ったよ!」と言うのです。相当、つまっていたんだろうなと思うのですが、声に出して、「イエス様!助けてください!」と叫ぶと、イエス様は助けてくれるということですね。そういう中で、私たちは、イエス様に近づくことができるのです。

 イエス様に近づいた弟子たちを、何の目的に使おうとされたのかというと、『彼らを遣わして福音を宣べさせ、』とあります。福音を宣べさせるために、彼らを身近において、訓練されたわけです。
 教会には、どういう目的があるのか、それは「福音を宣べ伝える」という大前提があります。

 今、日本の教会がちょっと寂しいです。なぜなら、福音を宣べ伝える集会、「伝道集会」が少なくなったからです。残念なことです。私の小さな頃、巡回伝道者が結構多くいて、ぐるぐる全国を回って、福音を伝えていました。私の父や田中政男先生も巡回伝道者で、ウィークデーは様々な教会に行って、伝道集会をしていました。
 それが、この頃、伝道集会がなくなって、牧師たちのメッセージも、耳当たりの良いメッセージが多くなってしまったというのです。罪を指摘し、永遠のいのちと、滅びの選択を迫るような、伝道集会が、本当に少なくなってしまったというのです。これは残念なことです。

 日本の教会が、今一番、燃えるのは、ボランティア活動だと言われます。地震があったりすると、教会は俄然、元気になるのです。「熊本で地震が起きました!ボランティア支援をやりましょう。」と、今、全国の教会は燃えています。
 もちろん、それは悪いことではありません。困った人達を助けなければいけません。しかし現在政府は「ボランティア活動を今のところ、自粛してください。」と言っています。「もう少し、全容が見えたらやって下さい。」と。

 私たちも、もう少し状況を見ながら、何をやったら最善かを考えたいと思います。菅原雅子先生の教会は、震度六強の近くでしたが、守られたと言っていました。道が寸断されていて、大変だと言っていました。何らかの助けをしなければいけないけれど、教会がただのボランティア団体になってはいけません。福音を宣べ伝える為の場所です。いくらボランティア活動をしても、その中で、大胆に福音を伝えることを忘れてはいけないのです。
 なぜならば、イエス様が弟子たちを選ばれた時、ボランティア活動のためではなく、「福音を宣べ伝えさせるため」に、選んだからです。

 現在、四十七都道府県の巡回ミッションが開かれていますが、これはすべて、純粋な伝道集会です。私も中国地方を回らせていただきましたが、中国地方には教会が本当に少ないです。一つの教会の平均出席人数は、十数名です。本当に寂しい教会が多いです。
 私はジョン・フルッカーさんと一緒に奉仕をさせていただきました。本当に恵まれました。結構、お年寄りが多くて、若い人たちが少ない教会もありました。日本には、このままだと存続できないなぁ〜というような教会も、多くあるわけですね。お年寄りの多い教会で、「ジョン・フルッカーさん」と紹介したら、「ジョン・フルカワさんですね?」と言ってました。「はいはい、それでいいですよ。」と彼は言いました。私は、フルカワさんと一緒に奉仕をさせていただきました。伝道メッセージは心燃えるのです。教会が福音を伝えることは大事だなぁ、と感じさせられました。

 福音とは、永遠のいのちをもたらすものです。人は、いつまで永遠のいのちを受け取るチャンスがあるのかというと、それは、「地上から出ていく寸前まで」永遠のいのちをもらうチャンスがあるのです。ということは、教会は人が息を引き取る直前まで、福音を宣べ伝えなければならないのです。
 例えば、あと五分しか命がないという人に、どうやって福音を伝えたらいいでしょうか。「ちょっと待ってくださいよ。今から創世記から黙示録まで聖書を早口で読みますから、よく聞いてくださいね。」って読んでも、途中で死んでしまいます。でも、五分しか命がない人でも救われなければ、本物の救いではありません。勉強しなければ救われないなら、本物の救いじゃないです。あと一秒しか時間がない!と言っても、救われなければ、本当の救いじゃないです。
 聖書は、「主の御名を呼び求める者は誰でも救われる。」とあります。エジプトから脱出したイスラエルの民が、ある時、つぶやいて、蛇にかまれて、毒が回って死にそうになりました。その時、神はモーセに何と言われたのかといったら、「青銅で蛇を作って、竿の先につけて民にかざせ!」と言われたのです。「それを見る者は救われる。」と言われました。
 大勢の人が蛇に噛まれ、「もう駄目だ・・・」と死にそうな時、青銅の蛇を見たら、「あっ!治った!」というわけです。見ただけで、救われたのは、イエス様の十字架を表しています。

 私たちも、死ぬ一秒前でも救われるチャンスがあります。教会は、語り続けなければならないのです。
 時々、あと少しで地上から出て行かなければならない方の所に行きます。私は案外、それが得意です。私が、病室に入って行くと、寺の坊さんが来たんじゃないかと間違われそうですが、「牧師ですよ。」と言います。坊さんが病室に入ったら、「あぁ…、ちょっと坊さん、まだ早いよ!まだ来ないで。」と言われるかもしれません。私は入って行って、永遠のいのちについて語ることができるのです。

 あと一秒しかなくても、救い出すことができるなら、教会はどこに建てられているのか。それは、前にもお話ししましたが、マタイの福音書十六章十八節〜十九節で語られています。

『ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。』

 ハデスって何か。辞書で調べてみると、悪魔・悪霊どもの住処、または、地獄です。滅びの場所です。
 教会って、どこに建てられているのかと言えば、「ハデスの門前に建てられている」のです。あと一秒したら、ハデスに落ちていく、地獄に落ちていく人が救われるなら、救いの門は、ハデスの門に限りなく近く、鼻と鼻をこすり合わせるくらいの近さでなかったら、一秒後に滅びていく人を救い出すことは出来ません。教会は、ハデスの門前に建てられていることを知りなさい!というのです。

 ということは、どうでしょうか。敵の門前に教会が建っているということは、すべての教会は、相当、危険な場所に建っているということです。

 私は先週、沖縄で、ある教会の開所式でメッセージをさせていただきました。その時に、「教会とは何か」について、お話しさせていただきました。
 「教会」とは、誰がこの言葉を作ったのか知りませんが、「教会」は、「会衆を教える」という意味を漢字的には持っています。教会なんて、日本にはなかったわけですから、誰かが、単語を作ったわけです。「キリスト教が入って来て、日曜日に集まっているぞ。この会衆に名前を付け、日本語の単語にしなきゃ。」と言って、語学の専門家が覗いたと思います。そうしたら、牧師が講壇でしゃべっていて、信徒が座って話を聞いているのを見て、「なんだ。教室と変わらないな。学校と変わらないな。なら、会衆を教える、教会はどうだろうか。」というわけで、「教会」という単語ができたと思われます。
 だから案外、日本には、教室型の教会が多いのです。日曜日に教会に行って牧師から話を聞いて、「今日の話は良かったな。」とか、「面白くなかったな。眠かった。」とか、いろんな評価をしながら帰って行く。また、一週間経つと戻ってくるような、教会の玄関を出たら、教会とはあんまり関係ないような、教室型の教会って、案外多いです。

 かつて、田中政男先生、あの人ほど日本中の教会を回った人はいないんじゃないかと思います。田中先生が日本中を回って、「日本の教会には二つのタイプがある」と話していました。
 「どんなタイプ?」って聞いたら、「すずめの学校タイプの教会と、めだかの学校タイプだ。」と言っていました。
 どんな教会かなと思ったら、すずめの学校とは、「♪すずめの学校の先生は〜、ムチを振り振り、ちーぱっぱ♪」って、牧師が権威的で結構厳しい教会があるというのです。「ああしろ、こうしろ!献金しろ!○○しろ!集会に来い!」とか、案外、権威主義的な教会が日本にはあるというのです。
 でも、めだかの学校タイプは、「♪誰が生徒か先生か〜♪」という感じで、あれ?どこに牧師はいるの?ってね。誰が牧師だか、信徒なのか分からんタイプで、埋もれちゃっている教会の、「二つのタイプがあるぞ、順。」と、私に教えてくれました。
 でも、めだかの学校タイプも、すずめの学校タイプも、教室には変わりありません。これではいかんのです。教会は、決して、教室ではありません。

 今日は、ヘブンリーキングダムのすばらしい賛美を聴きました。「神の家族」という、教会の位置付けの賛美を聞きました。それは聖書が教えているところです。家族とは、多少問題があっても、問題に対処する連帯感があります。家族とは社会の最小単位で、結束が強いものです。やはり教会も、教室型から一歩進んで、家族にならなければいけません。
 教会は大きなファミリーです。私も大家族の中に育ちましたが、今、新城教会には大勢の方が来てくださっています。毎週、実数として集ってくださっている方々の数は、週報に出ていますが、五百名前後の方々が集っています。インターネットで出てくださっていたり、水曜日の礼拝に出てくださったり、外国人の方々がおられたり、大勢の方がおられます。みんな家族です。だからお互いに、私たちは支え合うことができるのです。

 しかし、教会は「家族」にとどまっていてもいけないのです。教会とは何か。今、読んだように、敵の門前に建てられていると言っているのです。敵の門前に建てられているのが教会です。
 私は先週、沖縄に行き、アメリカ人の先生が牧会している教会、二つで奉仕をさせていただいたのですが、そこに来ている方々は、ほとんど基地で働いている方々です。沖縄に行きますと、多くの基地があります。

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 これは嘉手納基地ですが、アメリカ軍の基地になっています。基地問題って、結構、複雑な問題です。基地があるのは、マイナスな面もあるし、プラスの面もあるわけです。
 基地が沖縄にあるとは、敵に対する抑止力です。敵国なんか作ってはいけないのですが、アジア最大の空軍基地があって戦闘機が、ひっきりなしに離着陸しているわけです。

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 そうすると、どうでしょうか。敵の策略に対して、抑止力となって、敵の動きを抑える事が出来ます。基地は、どこに作られるのかと言ったら、敵から遠く離れた位置に作ったって、効果ないです。「戦争が始まった!」と言っても、戦場に行くだけで時間がかかりますから。やはり危険性はあっても、敵の面前に基地を造るのです。

 教会も、同じです。敵の面前に作られています。限りなくハデスの門に近い、ガチンコ勝負の所にあることを、私たちは知らなければいけません。
 でも案外、日本の教会は悲しいことに、教会が敵の門前に建てられている、悪魔・悪霊どもの目の前、地獄の門前に建てられていることに、気づいていないのです。そこが問題だと思います。
 もしも私たちが戦場に連れて行かれて、そこが戦場だと気がつかなかったらどうでしょう。一発でやられます。戦場に行ったのに、ピクニックに来たかのように勘違いしていたら、大変なことになります。
 同じです。教会って、本来は、ハデスの門前で、悪魔・悪霊どもと、魂を引っ張りっこしているのです。悪魔・悪霊どもは人を地獄に連れて行こうとしています。しかし教会はそこから引き出して、天国に連れて行く、宣教の現場は、最も激しい霊的戦いの現場です。

 だから、イエス様は、弟子たちの何を訓練されたかといったら、宣教のためには、マルコ三章十五節。『悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。』というのです。
 悪霊を追い出す権威を持たせるためだったのです。

 今日、ここにおられる方々は、イエス様の弟子たちです。ということは、全員に、悪霊を追い出す権威は、すでに備わっているのです。

 日本には、多くの警察官がおられます。警察官の方々は、誰でも、犯罪があったら、犯人を逮捕する権限が与えられているのです。どこから与えられているかといったら、国から与えられています。法律で決まっているから、警察官という立場さえあれば、犯罪を見つけ、犯人を見つけたら、すぐに逮捕する権限があるのです。
 同じです。私たちクリスチャンも、悪魔・悪霊どもを打ち破る、権威、権限があるのです。
 かつて私たちは、悪魔に捕らえられていましたが、今度は、暗闇から光、サタンの支配下から、神の支配下に移され、我々を捕らえていた悪魔・悪霊どもを捕まえ、捕虜にして、地獄のどん底に落とす権限が与えられているのです。
 だから、イエス様の弟子たちが、「祈りを教えてください!」と頼んだ時、イエス様が教えた祈りは、権威を行使する祈りでした。今日も主の祈りを唱えましたが、「御心がなされますように。御国が来ますように。」と祈りましたが、あの祈りは命令形です。「御心よ、なされよ!神の国よ、来たれ!」
 神の国が来るとは、悪魔・悪霊どもの力が打ち砕かれるという、権威の行使です。「権威を使う、それが祈りですよ!」と、イエス様は、教えられたのです。
 案外、クリスチャンの祈りって、権威を使う祈りよりも、お願い型の祈りが多いのではないでしょうか。
 「神様、助けてください!」「力を与えてください!」という、お願いの祈りも大切です。

 しかし、もう一つ、権威を使う祈りが重要なのです。
 先日、私はペルーに行き、権威とは、すごいものだなぁと実感しました。私はペルーで、フジモリ元大統領に会ったと言ったでしょう。あの方は、三期大統領を務めました。当時ペルーには、多くのテロリストがいたのですが、彼が大統領になって、権威によって、テロリストたちを皆、捕まえて牢屋に入れました。そして、社会が平和になりました。
 しかし、テロリストを送り出し、政権を倒す側がいるわけです。後に、テロリストを使っていたような人が大統領になった時、権威が逆転したわけです。ペルーの大統領が、今は捕まえられ、檻の中にいるわけです。
 私たちは、フジモリ元大統領を、特別刑務所に訪問して、いろいろとお話をさせていただきました。私は、「フジモリさん。何か祈りの課題、ありますか?」と聞いたら、「ここから出られるように祈ってくれ。」と言っていました。
 今、娘が大統領候補として立候補し、彼女は、4月10日の選挙で、トップでした。しかしペルーでは、過半数を取らないと大統領にはなれないのです。三十数パーセントを取ったけれど、六月に決選投票があります。是非とも、みなさん祈っていただきたいです。
 娘が大統領になったら、フジモリさんも、牢屋から出られるのです。今まで捕まっていた側が、今度は権力側になるわけです。権威っていうのは、すごいなぁと思いました。

 私たちも同じです。今までは悪魔に捕まっていて、こづかれ、苦しめられていたのが、今度はイエス・キリストを信じると、権威が逆転して、悪霊を追い出す権威によって、悪霊どもをやっつけることができるのです。

 今回、私はタコマの竹内先生と一緒に、ペルーで奉仕をしたのですが、竹内先生がペルーで語ったメッセージ、すばらしかったです。日本人クリスチャンの祈りは、お願いばっかりしているというのです。でも竹内先生が、こう言いました。「もしもみなさん!蚊が腕に止まったら、どうしますか?『神様!蚊が止まっています。なんとかしてください。』って、祈りますか?それよりも、自分で叩きゃいいんですよ!叩きゃいいんですよ!それで蚊は潰れるんですよ。悪魔・悪霊どもも同じです!叩きゃいいんです!叩きゃ!」と、そのメッセージ、たいへん教えられ、恵まれました。

 「イエス様!悪霊がとまっています!助けてください!」と言っている内に、ちくっとやられる事が多いですが、叩けばいいんです!今週、みなさん、叩いてくださいね。そうしたら、悪霊どもは、働くことができなくなるのです。
 イエス様は、弟子たちに悪霊を追い出す権威を授けたくて、訓練されたのです。

 最も大きな訓練の現場って、どこだったのかなぁと考えますが、やっぱり弟子たちがゲラサという地に連れて行かれ、体験させられた訓練が、最もショッキングな訓練だったと思われます。
 イエス様と弟子たちが小舟に乗って、ゲラサという地まで湖を渡っていく途中、何が起こったかと言ったら、大暴風が起こったでしょう。弟子たちはパニック状態になりました。
 でもその時、イエス様は何をしていたのかというと、眠っていました。マタイの福音書八章二十三節、

『すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。』

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 弟子たちは、パニックだったのですが、イエス様は眠っていたと記されています。しかし私の推測では、実は、イエス様は目はつむっておられましたが、起きていたと思います。弟子たちを、今まで訓練してきた成果を見たかったのだと思うのです。暴風の中で、弟子たちが、どういう振る舞いをするのかを見たかったと思うのです。
 イエス様は寝たふりをしていたのかもしれません。弟子たちは、「イエス様、助けてください!」と、イエス様を起こしたのです。そうしたらイエス様は、起き上がって何をしましたか?大暴風に向かって、「黙れ!静まれ!」と命じました。そうしたら、ピタッ!と、風と波が止まったのです。かなり、弟子たちにとっては、ショッキングな出来事だったと思います。
 しかし、それを見て、弟子たちは学んだと思います。またイエス様も、「権威というのは、こうやって使うもんだ!」と教えられたと思います。

 ゲラサの地に上陸した時、レギオンが現れました。レギオンとは、六千くらいの悪霊どもの軍団です。それを一人でやっつけたのです。その光景も、弟子たちにとっては、すごくショッキングな訓練だったと思います。
 あのような現場を渡り歩く中で、弟子たちは、権威とは、使わなくちゃいけないということを、体得していったと思います。
 私たちも同じです。与えられた権威を、使わないといけないのです。今週、与えられた権限、権威を使ってください。えりぃのように、「イエス様、僕に力をください!」というお願いの祈りもいいですが、そこに働く、悪魔・悪霊どもを叩いて、やっつけないといけないと思います。その権威を使うならば、悪しき力を一掃して、魂を勝ち取ることができるのです。

 実は、マタイ八章二十四節に、『見よ、湖に大暴風が起こって、』と記されていますが、「大暴風」という言葉、どのようなギリシャ語が使われているかというと、マタイだけが特殊な単語を使っています。
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 「地震」という言葉を使っているのです。本来は、地震と訳さなければならない言葉を使っています。セシモスと発音するらしいですが、「地震」という言葉が使われています。素直に訳すと、「見よ、湖に大地震が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエス様は眠っておられた。」となるのです。

 だから、新改訳聖書でも、この所に、*印がついていて、下に「振動」と注釈があります。この単語は他の箇所では、全て、「地震」と訳しています。
 もしかしたら、もしかして、ガリラヤ湖に大地震が起きて、津波が来たのではないでしょうか。その時、イエス様は起き上がって、「黙れ、静まれ!」と命じた時に静まったということは、私たちは地球の管理人として、自然界の法則と共にある地震に関しても、権威・権限を使うことができるんですよ!と。また、背後に悪霊が働いていたら、やっつけることができるんですよ!と、与えられている権限、権威を使いなさい!と、教えられたいるのではないかと思います。

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 熊本の地震がだんだん北上しているというのです。もしも、中央構造線に沿って、地震が上がって来たら、新城に来ます。みなさんの町にも来るかもしれません。クリスチャンが、こういう時にこそ、権威・権限を使わないといけないと思います。
 日本の大地震に対して、「黙れ、静まれ!」と。南海トラフに関しても、東海沖地震に関しても、「黙れ、静まれ!」と権限を使ったら、静まるかもしれないです。
 私たちクリスチャンに与えられている、弟子たちに与えられている、悪霊を追い出す権威・権限、自然界を支配し、コントロールするイエス様が持っていた権限を、私たちにも委託してくださっていることを覚えると共に、教会は敵の門前に建てられていることを、強く意識しなければなりません。

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 先ほど説明するのを忘れましたが、教会って、ギリシャ語では、エクレシアと呼びます。このエクレシアとは、元々はギリシャの議会です。元々、エクレシアという言葉は、ギリシャ社会にあったのです。
 聖霊が注がれてできたグループを、誰かが見たのです。それを見に行って、「あれ、このグループって、ギリシャの議会、エクレシアと、よく似ているね!」ということで、「エクレシア」としたわけです。
 じゃぁ、ギリシャの議会って、どんなものだったのかというと、エクレシアは、次のような任務を持っていたというのです。
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 “この集会は行政官を選び、免職し、市の成治を支配した。宣戦を布告し、講和を行ない、条約や同盟を結び、将軍やその他の軍隊の将校たちを選び、さまざまな遠征に軍隊を割り当て、市から派遣し、すべての軍事的作戦行動に最終的な責任を負っていた。”

 議会、エクレシアを見て、聖霊が注がれて始まったクリスチャンたちのグループを見て、「同じ!」ということで、「エクレシア」という、同じ名前が使われるようになったのです。
 ということは、教会というのは、教室でもないし、家族でもないし、それ以上の、軍事的作戦行動に最終的責任を持った、ハデスの門前に建てられた「霊的軍事基地」だということです。
 今日、一人一人に、武器が渡され、権威が渡されています。これを使っていただきたいです。

 そして、教会とは、いろんな人たちがいて成り立つのです。以前、基地に行った時のことを話したことがありますが、空軍基地でしたが、全員が軍服を着ていました。私は、全員がパイロットだと思いました。一人の男性に話しかけて、「あなたはどんな飛行機に乗っているんですか?」と聞いたら、体格のいい軍服を着た男が、こういうのです。「私は空軍ですが、飛行機には乗っていません。」『何をやっているんですか?』「厨房で、人参を切っている。」と言っていました。彼はコックさんだったのです。
 基地の目的は、敵に立ち向かうという大前提があるけれど、中には様々な機能があるのです。教会も同じです。敵に立ち向かうという機能の中で、一人一人に、神様が賜物を与え、一人一人に権威を与えて、その賜物が一つとなる時に、敵の力が打ち砕かれるのです。 

 今日、私たちは、みんなで宣言しましょう。一人一人に与えられた賜物を結集して、特に、地震に対して、「黙れ、静まれ!」と、「日本を苦しめることはできない!」と、宣言しようじゃありませんか。
 今週、家に帰ったら、家庭を苦しめる、悪魔・悪霊どもに対して、「黙れ、静まれ!」と権限を使ってください。会社に行っても、どこに行っても、「助けてください!僕に力を与えてください!」じゃなくて、今度は、「黙れ、静まれ!」と、この言葉を使っていただきたいと思います。
 イエス様の十字架の勝利によって、この権限が、全員に与えられていることを、心から感謝したいと思います。最後に一言お祈りして、メッセージを終わらせていただきます。

 ハレルヤ。天の父なる神様、感謝します。私たちは敵の面前に建てられた教会として、今日ここに立っています。ありがとうございます。私たちに、権威が与えられています。与えられた権限を行使する者としてください。弟子として働くことができますように。
 今日、ここにおられる全員が、主の弟子であることを宣言します!イエス様、あなたに、もっと、もっと、近づかせてください。この聖餐式を通して、一人一人が、イエス様に近くなって、一つとなって、戦いに勝利させてください。イエス様の御名によって、今からの聖餐式を祝福して祈ります。アーメン。