『主の恵みの年を告げ知らせよう!パート2』

2016年5月1日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
ルカの福音書4章14節~21節

『イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。イエスは、彼らの会堂で教え、みなの人にあがめられた。それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」イエスは書を巻き、係りの者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」』

 ハレルヤ!おはようございます。五月になりまして、クールビズということで、私も少し軽装で立たせていただきました。司会者のほうがメッセンジャーのようですが、本当に早いものだなという感じす。あっという間に五月です。今はゴールデンウィークのただ中ですが、祝福され、守られるように祈りましよう。

 先週は、新城教会の遠足がありました。楽しみにしていた地引き網漁。今回のPPHのために、マグロを一匹取らないといけないと、意気込んでいたのですが、残念ながら大風で中止になってしまいました。そして、いちご狩りに変更となりました。

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 でも、楽しかったです。しかし、外はすごい風で、今までの新城教会の遠足史上、最悪の遠足でした。けれども、熊本で被災されている方々のことを思えば、この体験も良かったかなと思いました。

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 海岸では、猛烈な風が吹いていて、子どもたちはすっ飛ばされそうでした。しかし、強風の中で賛美して、地震が起こらないように一生懸命祈りました。思い出に残る、遠足となりました。
 PPHのマグロ、どうしようかなと考えているのですが、信弘先生が、どこかで釣って来てくださるそうなので大丈夫です。

 今日は、ネパールTシャツだけでなく、帽子も発売されるそうです。いろんな色の帽子があります。ネパール帽子、是非ともお買い求めください。
 また、Tシャツもあります。これらすべて、ネパール宣教の補助となりますので、よろしくお願いいたします。
 すでに三十名くらいの方々が、ネパール宣教旅行に申し込んでくださっています。おじさん方もチラホラおられて、たいへん楽しみです。今回の旅は、どんな旅になるのかと思うのですが、是非とも祈って支えていただきたいと思います。全世界に出て行って、福音を伝える大事な働きを、田舎から発信できることは感謝です。

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 今週は、四日、五日と、「ゴールデンウィーク二十四時間PPH」があります。是非ともお越しになっていただきたいと思います。週報の中に、ご案内が入っていますので、ご確認下さい。

 今回は、韓国から、先生方がご夫妻で来てくださり、メッセージを語ってくださいます。前にもお話ししましたが、この先生方は、リバイバルミッションと深い関わりがある先生方です。この先生方がおられなければ、父の時代から韓国で働くことはできなかったと思います。リバイバルミッションのために、ずっと支えて下さった先生方です。なかなか新城教会に来られる機会がなかったのですが、五月四日の十六時からは、金斗植先生が、語って下さいます。この方が私たちと、最も深い関係があって、八十過ぎの先生ですが、素晴らしい先生です。今までずっと支えてくださった先生です。
 十六時半から、マグロの解体ショーです。十八時〜十九時まではお食事の時間で、十九時〜二十時の時は、オム先生がメッセージを語ってくださいます。この先生の教会は、五千人くらいの大きな教会です。高先生、パク先生、それぞれ素晴らしい先生方です。韓国のリバイバルを引っ張って来られた先生方です。新城教会の今年の聖会は、ここに集約したいと思います。
 また、チェ先生がコンサートを持ってくださいます。チェ・ヨンドゥ先生は、新城教会に何度も来てくださっていますが、四十七都道府県ミッションでも巡回してくださることになっています。

 今回、新しい企画で、平岡先生の教会の若きピアニストと、石塚和基君のジョイント・コンサートもあります。未来の音楽界を背負っていく若き二人が素晴らしい演奏をして下さいます。楽しみにして、ゴールデンウィーク、主を礼拝し、楽しんでいただきたいと思います。

 先週の日曜日は、午後からおもしろい企画がありまして、それは「神学カフェ」でした。山崎ランサム先生が導いてくださいました。神学カフェ、どんなふうになるのかな?と思っていましたが、すごく良かったです。
 でも、まず最初にテーブルに分かれて、「日頃、信仰生活の中での、疑問とか、聖書の分からない点があるかもしれませんから、疑問に感じていることを出して話し合いましょう。」という時間がありました。
 日本人って、奥ゆかしいところがありますから、あまり疑問を話さないのかなと思ったら、まぁ出るは出るわ、開けちゃいけない箱だったんじゃないかというくらい、いろんな疑問が出てきて、私たちのテーブルでもすごかったです。「神様がおられるのに、なんで世界は不公平なの?」というのもあって、このままどうなっちゃうのかな、山崎先生、何をやろうとしているのかな?と思いましたが、そういう中から、「聖書とは何か?」と話しして下さいました。私たちは、信仰生活の中で、いろいろと疑問を持ったりしますよね。神様がおられるのに、なぜ、不公平なのかとか、なぜ、祈りはなかなか聞かれないのかなど、様々な疑問があることは確かです。でも、聖書の全体像を知ると疑問も解けてきます。
 全体像についての講義を聴いて、「あぁ!そういうことか!」と、腑に落ちました。
 「聖書とはどんな本か?」それは、『「天地創造」から「新しい天と地の創造」の物語』だというのです。聖書は、『はじめに神が天と地を創造した。』と書いてありますが、それで創造のわざはすべて終わりと思いがちです。しかし、あれは始まりなのです。聖書は、「天地創造」から始まって、「新しい天と新しい地」に至る、壮大な物語だというのです。
 聖書を研究する学問も、現代はかなり進んでいるのです。科学だって進んでいるのと同じように、聖書を研究する学問も進んでいます。昔とは、格段に様々な研究が進み、聖書時代の資料も広く発見され、解読されて、聖書がどのような書物かが、昔よりもよくわかってきたわけです。最新の聖書研究の成果についても神学カフェで知ることが出来ます。
 そんな中、聖書は、全体では、六つの章に区分されると教えられました。これをよく知ると、私たちの信仰の姿勢も変わって来ます。

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 最初の章は、「世界の創造」から始まります。
 二番目は、「人間の堕落」という章です。
 そして、第三章からは、「イスラエルの物語」が始まります。元祖イスラエルのアブラハムから始まるわけです。
 それがしばらく続き、やがて、「イエス・キリストの物語」が始まります。ここから新約聖書に入るわけですね。
 十字架、復活を経て、イエス様が天にお帰りになってからは、今度は、「教会の物語」という章が始まるというのです。
 そして、最終章、「新しい世界の到来」が結論になるというのです。

 そして私たちクリスチャンは、聖書の壮大なストーリーの一部となって、一人一人が役者のように、主から与えられた場面を演じるのが使命であり、役割なのです。そこに聖書の偉大さがあることを教えられました。
 全体のストーリーを見ると、様々な人たちがこのストーリーに関わってくれましたよね。創造の初めに造られたのは、アダムとエバでした。それから様々なことが起こって、蛇に騙され堕落して、人がエデンの園から追い出されて、アブラハムが選ばれ、ヘブル民族が選ばれ、エジプトに奴隷になったり、バビロンに奴隷になったり、様々なことがありました。一断面を見たら、「あの時代に生まれなくて良かった・・・」という時代も、結構多くあります。
 しかし今、私たちはどの時代に生きているのかといったら、「教会の物語」という章に生きています。ある意味、最終章です。
 各場面、各時代において、クリスチャンたちが一生懸命、身を粉にして、命を削って、福音を伝えて、ここまでたどり着いたわけです。そして今、私たちは、聖書の最終章を受け持つ役割として、ここにいるのです。一断面だけを見れば、様々な疑問があったり、いろいろ分からない点もあるかもしれません。けれども「新しい世界の到来」を目指して、がんばらなければいけないのです。
 今は、トラック競技にたとえるならば、第四コーナーを回って、ゴールを目前にしている直線コースかもしれません。こういう時代に生かされているのも、すごいことだなぁと感動しました。

 一番から六番までの流れを、頭の中にきちんと組み込んでおいて、聖書を読むと分かりやすいです。是非とも、神学カフェにもお出かけ下さい。聖書の枠組みをしっかり知っておくことが大切だと思います。
 今まで教会では、このような大きな枠組みが、ほとんど教えられて来なかったと思われます。それで一断面だけを見ますから、いろいろと疑問も湧いたりしたわけです。

 十年以上前でしょうか。この教会で、「一日で聖書を一冊読む」というキャンペーンをやりました。聖書を教会員の数で区切り、それぞれ任された箇所を、「せーの!どん!」で読んだのです。結構いい加減に割り振って、「あなたはここからここまでを読んで」と割り当てました。私もある箇所を指定され、読みました。
 ある人が受け取った箇所はたいへん恵まれた箇所でしたが、ある人は、割り当てられた箇所を読んで、すごく落ち込んだというのです。なぜなら、割り振られた箇所が、神の裁きの箇所で、はっきり言って脅しじゃないかというような、ストーリーに当たったからです。「ここが主が今日、私に語っている言葉なの~?」と愕然として、かなり落ち込んだそうです。
 もちろん、神様も、時々、そのような方法を使って語られるかもしれませんが、聖書全体で語られているストーリーと、メッセージを知らないと大変なことにもなります。私たちは新しい世界の到来に向けて、最後のコーナーを走っているんだ!ということを知ったら、聖書の読み方も変わって来るはずです。また日頃の問題対処に関しても、変わってくるはずです。

 先週も、「主の恵みの年を告げ知らせよう!」という主題でお話をさせていただきましたが、今日は「パート2」として、続きをお話しします。ある意味で、この箇所は、聖書全体から見ても、大変重要だと私は考えています。
 今、お話ししましたように、聖書の指し示しているのは、新しい世界の到来であることを意識すると、今まで見えなかった部分が、見えるようになるのではないかと思います。

 先ほど読んでいただきました箇所は、先週もお話ししましたので、お分かりのように、イエス様がナザレというご自分の故郷に帰られた時、イザヤ書が手渡され、朗読された箇所です。
 イザヤ書は巻物だったわけですが、その後半の一節を抜き出して朗読されたのです。七百年も前の預言者が語った言葉を見つけて、「この言葉が、今、実現した!」と宣言されたわけです。四章二十一節、『イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」』と。
 何が実現したかといいますと、一言で言えば、「主の恵みの年が実現した」ということです。

 イザヤ書六十一章も、憶えておられると思いますが、一節〜三節、

『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現す主の植木と呼ばれよう。』

 これは、イエス様がお生まれになる、七百年も前に語られた言葉です。ここで、「わたし」と記されていますが、誰のことか、それは、イエス様を指さしていたわけです。
 イエス様はご自分に対して語られたこの箇所を見つけだして、「この言葉が、今、実現しました!」と語られたわけです。

 『貧しい者に良い知らせを伝え』と、イザヤは語りましたが、イエス様は、「貧しい人々に福音を伝えるように」と読まれました。
 福音とは何か、それは「良い知らせ」です。この福音は、誰に対してのものかというと、「貧しい人々」に対するものだ言われました。
 みなさんは貧しい人ですか。それとも富んだ人ですか。福音は富んだ人たちにではなく、貧しい人々に語られたのです。イエス様の語られた有名な言葉に、

『心の貧しい人は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。 マタイ五章三節』

 福音は、富裕層ではなく、貧しい人たちに対するものなのです。心が貧しかったり、現実的にも貧しかったり、様々な問題のある人たちに、良い知らせが届くのが福音です。
 今日、心貧しく、様々な問題や貧しさに憶えているならば、感謝してください。天の御国はあなたのものだからです。

 「主の恵みの年の宣言」とは、前回もお話しさせていただきましたが、ヨベルの年という、特別な年のことを意味しています。
 神様は、六日間で天地を創造し、七日目に休まれたと創世記にありますが、この箇所も、新しい天と新しい地の創造を念頭において読むと、ただ六日間働いて、七日目に教会に来る程度の理解ではなく、ここからもゴールが見えて来ます。
 出エジプト記の二十章八節〜十一節、

『安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。──あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も──それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。』

 六日間働いて、七日目に休むと祝福されますよ!くらいにしか理解していなかったと思います。しかし、一週間七日は、さらに、七年というスパンもあるとお話しさせていただきました。六年間働いたら一年間休むという概念も、聖書は告げており、それを「安息の年」と呼びます。七年目を休むとは、仕事をしないというのではなく、耕作地を休ませるということです。
 農業をやっている方ならば分かりますが、連作を続けると作物は採れなくなります。だんだんと土地が痩せて収穫できなくなるのです。しかし六年間、土地を使ったら、七年目は休ませると、たくさん採れるわけです。神様はちゃんと自然のサイクルも造られていたわけです。
 しかしさらにその概念は拡大し、七年を七倍することまで告げられているのです。

 レビ記の二十五章八節から読みますと、こんな言葉があります。これも先週読みましたが、レビ記二十五章八節〜十節、

『あなたは、安息の年を七たび、つまり、七年の七倍を数える。安息の年の七たびは四十九年である。あなたはその第七月の十日に角笛を鳴り響かせなければならない。贖罪の日に、あなたがたの全土に角笛を鳴り響かせなければならない。』

 七年を七倍にする、四十九年です。そしてその翌年の五十年目が「ヨベルの年」と呼ばれる特別な年だったのです。
 ヨベルの年は、いつもの安息の年に付け加え、先祖から受け継いだ土地を手放しても、五十年目になったら手元に戻ってくるという、土地が元の所有者に戻る年でした。
 また、奴隷たちは解放され、借金で苦しんでいる人たちは、借金が全て免除され、借金からの解放の年でした。
 ヨベルとは、角笛を意味するのですが、ヨベルの年の角笛の音が聞こえたら、イスラエルでは歓声が上がったのです。土地が戻って来るぞ!奴隷たちは解放されるぞ!借金地獄からも解放だ!と。それは大解放の年でした。だから、みんな五十年目を、心待ちにしていたのです。

 さて、これは何を意味しているのかというと、聖書が新しい天と新しい地の創造をゴールとしているのを知ると、ヨベルの年とは、イエス様が帰って来られて、世界の王となってくださる日のことを指し示していることが分かります。
 一週間七日制とは、聖書の最終ゴールを知ると、「あれ?聖書って、全てゴールを目指して記されている」というのが分かります。結論をしっかり押さえて聖書を読むと、混乱がないと思います。

 ダニエル書に興味深い記事があります。ダニエル書の二章四十一節〜四十五節、私がよく引用するところですので、ご存じだと思いますが、

『あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土、一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです。その国には鉄の強さがあるでしょうが、あなたがご覧になったように、その鉄はどろどろの粘土と混じり合っているのです。その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。鉄とどろどろの粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは人間の種によって、互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。あなたがご覧になったとおり、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのは、大いなる神が、これから後に起こることを王に知らされたのです。その夢は正夢で、その解き明かしも確かです。」』

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 ダニエルも、紀元前の人物です。これは、バビロニア帝国のネブカデネザル王様が見た夢なのですが、それをダニエルが解き明かしました。
 『あなたがご覧になったとおり、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのは、大いなる神が、これから後に起こることを王に知らされたのです。』と。
 一つの石が切り出され、鉄と粘土が混じった足首をヒットしたら、像が粉々に崩れて、人手によらずに切り出された小石が大きくなって、全世界に満ちたとは最終コールについて語っていることが分かります。そして、人手によらずに切り出された小石とは、「イエス様だ」と分かりますよね。
 やはり、聖書が、最後ゴールを意識して書かれた書物であることが、よく分かります。

 それと共に、聖書は、その時代、その時代に生きる人たちへのメッセージでもありました。先ほどのヨベルの年も、その年になったら、スラエルでは皆、解放されたわけです。聖書は、その時代に生きる人たちへの福音であり、メッセージでもあったのです。

 ヨベルの年とは、新しい天と新しい地を指しているのですが、当時の人々にとっては、「通常の安息年で行われる耕作地を休ませる、ヘブル人の奴隷が解放されるということに加えて、自分の所有地に帰らなければならない。つまり、生活が困窮して売り払ってしまった土地を取り戻し、その土地に帰ることができるというもの。この制度は、イスラエルの民と、そこに住む人々の富の再分配をして、富が少数に集中しないようにするための制度だった。」と注解されています。
 ヨベルの年とは、奴隷は解放され、すべての債務は帳消しとなり、父祖たちの土地の返還によって、「富は再分配された」とあるように、「貧しい者への福音」だったわけです。

 聖書のこのような概念を知りながら現代を見ると、世界って、聖書が示している概念とは、全く違った方向に向かっているのがよく分かります。
 私たちは、聖書が提示している文化、世界観の中に生きなければいけないわけです。そうでない領域は、悪魔の領域となります。そこは悪魔が自由に働くことができる領域になるわけです。
 神の国とは、貧しい者への福音であり、富を集中させるのではなくて、分散し、平等に暮らすのが、神の国です。しかし現代社会は、それとは全くかけ離れていると、先週もお話しさせていただきました。

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 最近の調査によると、二〇一六年は、世界人口のたった一パーセントの人たちが、世界の半分の資産を独り占めにする様になると言われています。
 さて、みなさんは、富裕層でしょうか。それとも、貧困層でしょうか。ここに富裕層の人たちがいるのか分かりませんが、現在、あなたには、どのくらいの資産がありますか?
 最近、マイナンバー制が始って、すべての情報が、瞬間的に分かる時代になってしまい、資産を隠すことができなくなりましたが、それでも隠した人たちがいるみたいです。それがパナマ文書に載っている人たちです。パナマのほうに資産を隠せるらしいです。

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 今、世界の一人当たりの資産って、どのくらいか知っていますか。調査によりますと、富裕層は、一人平均、三億円の資産です。一人ですよ。家族ではありません。一人で三億円持っているなら、あなたは富裕層にあたります。
 けれども、世界人口の八十パーセントは、一人当たりの資産が「約四十五万円」だそうです。中古の軽自動車一台分の資産しか持っていない、というのが現実です。
 私たちは、一パーセントの人たちが、世界の資産の半分を所有している時代に生きているのです。そして、その格差は、どんどん広がっています。

 最近、ピケティという経済学者の本がバカ売れしました。格差は、どんどん広がって行くことを彼は証明したのです。私たちが生きている時代は、なかなか大変な時代なわけです。

 こういう世界を神様はどう見ておられるのか、ということです。「これでいいんだ。一パーセントの人たちが祝福されればいいんだ!」ではないのです。福音とは、貧しい人たちに対する福音です。ヨベルの年とは、「富を再分配するための制度」だったからです。今の時代を神様は、決して喜んでおられないということです。
 格差社会を変えることができるとしたら、誰にカギがあるのか、それは、聖書の世界観に土台を置いているクリスチャンたちに、カギがあるのです。

 みなさんは一日にどのくらい日当をもらっていますか?「そうですね。一万円くらいでしょうか。」と言う人が多いのかもしれません。
 しかし今、一番儲けている人たちって、どのくらい日当をもらっているのか知っていますか。多国籍企業の社長とか、とてつもなく儲けているらしいです。
 特に、儲けているのが、その業界の方がおられたら、あなたのことではなく、社長のことですが、保険業界とか、製薬会社の社長なんかすごいです。私はそれを知ってびっくりしました。

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アメリカの保険会社のCEO、社長の給料ですが、一人だけ日本円に換算してみました。この人、すごいですね。なんと、一年間で給料が三十三億円くらいだそうです。一日に換算するとなんと、一千万円ちかくもらっています。一千万円、毎日、ポケットに入る人がいるんですね。
 そして、今、世界は、こういう人たちに握られているというのです。この状態がどんどん進んで行けば、さらにひどくなるのです。やはり、世界は第四コーナーですね。
 もう、ヨベルの年がやって来なければ、どうにも解決はありません。それは単なるヨベルの年ではなく、最終ゴールの、主が帰られる日が来ない限り、世界はどうにもならない所まで来ている事が分かります。

 聖書を知りながら、現実的に、私たちが生きている時代をしっかり知ると、何を祈ったらいいのか、はっきりと分かります。
 先ほどダニエルが解き明かした、ネブカデネザルの夢ですが、足は鉄と粘土が混ざって出来ていたというのです。これは鉄のように強い国々と、もろさを持った国々が一致していた時代に、人手によらずに切り出された石が飛んできて、巨像を倒し、小石が全土に満ちたというのです。

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 これはいろんな解釈があるとは思いますが、私は、今の時代ではないかと考えています。

 午後からの霊的戦いセミナーですが、経済のことをお話しするつもりです。私が経済のことを話すなんて、絶対にありえないと思っていたのですが、この頃、私は経済のことを話す機会が多いです。どういうセミナーかというと、近頃調印された「TPP」に関して、霊的な視点で考えてみたいのです。多くの人はそんな事には全く興味は無いかもしれませんが、TPPは十二ヶ国で構成されています。

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 それは十二ヶ国が一つの国となる協定です。すでにTPPは調印されたのですが、まだ、各国で批准されてはいません。これを見たら、南米の国々もアジアの国々も、オーストラリアや、ニュージーランドも、環太平洋の国々が一つの国のようになります。それぞれ、国力も違うし、文化も違うし、言語も違うし、宗教も違い、経済力も違うのです。
 これを見たら、まさしく、鉄と粘土が混ざった時代に私たちは生きています。すべては違っていても、一つだけの共通点で協定を結ぼうとしています。それは経済です。経済によって一つになろう!という機運が、世界中に広がっています。その結果、ごくわずかな人たちが大儲けして、一般の人たちはどんどん貧しくなっています。この動きの中に、最も強い敵の力が働いているのです。私たちクリスチャンはその事をよく認識して、とりなし、祈っていかなければいけないのです。

 では、祈る為の聖書的根拠はどこでしょうか?それが「ヨベルの年」です。ヨベルの年は、今まで一部に蓄積され、偏った富が、全て解除され、再分配され、平等になるシステムだからです。神は初めから、そのようなシステムを人類に備えられたからです。私たちはそれを根拠にして、今、世界に起こっている事柄に対して、とりなし、祈らなくてはいけないのです。

 TPPについて、日本では真剣に論議されていません。しかし、日本もつい最近まで反対していたんじゃないのか?と思います。先日、高鳥さんという国会議員のホームページを見たら、「聖域なき関税撤廃が原則のTPPに断固反対!」と記していました。そして、「勝てば嘘でも何でもありという政治を終わらせましょう!」と、高鳥さんは語っているのですが、その人が、何をやったか知っていますか、この人が、TPPの調印式に出席して、調印したのです。

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 あれ?言っている事、全て嘘じゃん!本当にどうなっているの。今の時代、私たちは多く騙されています。世界は、ごくわずかな人たちに支配されて、生き血まで抜かれてしまうような時代に生きているのです。

 私たちのゴールは、主が帰って来られ、大解放が起こり、すべての土地は神の手に戻され、今まで奴隷のように生活している人たちは解放され、すべての不均衡や不公平が解消する、新しい天と新しい地が始まる日を目指しています。このことを知っている者たちが、今の時代を直視して、祈らなければいけないのです。
 今日は午後から、その事をお話しさせていただきますので、是非、出席していただきたいと思います。

 午後からお話しすることを少しだけ話すと、TPPで将来、一番問題になるであろうと言われるのが、国民健康保険です。日本の医療制度は世界で一番です。病院に行ったら、「どうされましたか?」と聞かれ、すぐに治療してくれます。
 でも、TPPが始まると、それが、じわりじわり変わります。
 やがて「保険はありますか?」と聞かれるようになります。そして、お医者さんと患者さんの間に「民間保険会社」が入るようになります。現在、日本の医療は、社会保障ですが、やがて医療は商品になると言われます。困ったものですね。

 先日、保険関係の方に聞きましたが、国民健康保険も今は三割負担ですが、しばらくしたら、五割負担になるそうです。だから民間保険会社もその事を念頭において、新商品を作っているそうです。これから生きにくい時代が来るのです。

 私たちはそのことをしっかりと知って、先に、とりなし祈るのです。もしかしたら、変わるかもしれないです。変わってほしいと思います。こういうことを知れば知るほど、やっぱり大解放と呼ばれる、ヨベルの年、イエス様が帰って来られる日が、待ち遠しくなります。
 世界を知れば知るほど、聖書が示している最後のゴールを、真剣に祈らなければならないと思います。「その日を早めなさい。」とあります。現実を知らなくては、聖書のゴールは祈れません。
 午後からは、先日、あるテレビ局が放映したバラエティ番組の中から、TPPのことをおもしろく扱っていましたのでお見せします。

 今度、消費税も十パーセントに上がるとか言っているじゃないですか。上がったら、どうですか?増税分は福祉に回るとか政府は言っていますが、あれは嘘です。これ、見てください。

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 愕然としますよね。消費税が上がった分だけ、法人税が下がっているのです。だから、差し引きちゃらです。消費税が十パーセントになったら、また法人税が下がる事でしょう。この背後に、日本からお金を奪いたい、超富裕層の飽くなき欲望があるのです。
 国民は、未来のために消費税が上がるのもやむを得ないと考えていますが、差し引きチャラで、福祉の為の財源はありません。こういう事を知っている人って、少ないかも知れません。
 聖書のみ言葉だけを知っていても、それをどこに適応させるのかを知らないと、何もならないのです。現実の世界をしっかり知り、時を知って、とりなしていく者たち、それが教会であり、クリスチャンなのです。

 イエス様は言われました。ヨベルの年は、実現しました!と。イエス様が帰って来られなくても、ヨベルの年は実現しているのです。私たちには、ヨベルの年を宣言する権限があるのです。
 第二コリント六章に、先週も引用させていただきましたが、一節〜二節、

『私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。』

 ヨベルの日は、すでに実現しているのです。毎日が恵みの時であり、救いの日です。
 聖書は、「すでに」と、「未だ」という概念が同時進行しているのです。「すでに恵みの時、救いの日、ヨベルの年は実現していますよ。」と同時に、未だ実現していない部分が同時進行しているのです。
 すでに実現している者たち、それはクリスチャンです。その者たちが、小さな神の国を様々な領域に宣言しなければならないのです。主の恵みの年を宣言していく時に、世界は変わるはずです。
 今、世界を変えるカギを持っている人たちは、本来、クリスチャンのはずです。でも、そのクリスチャンたちが眠っていると思うのです。そういうことに全く関心がないのです。
 本当は、クリスチャンが世界を直視して、「今、私たちは第四コーナーを曲がっている。一番激しい戦いの時期だから、今こそ、世界のために祈らなくちゃ!」と、現実を知って祈ったら、役割が果たされると思います。新城教会は、そのような教会にならなくてはいけないなと思います。

 私たちは、一パーセントの富裕層なんかにはなれないけれど、一パーセントの富裕層と同じ霊性というか、体質があることは分かります。
 どうでしょうか。やはりお金って、ばらまくより、集めるほうが楽しいです。誰かにあげるよりも、自分が持っていたほうが嬉しいです。この考え方って、一パーセントの富裕層も、四十五万円しか持っていない一般人も同じです。この欲望に、悪魔が上手く働き、人をおかしな道に連れて行くわけです。
 教会に来て、神様に捧げるのは、すごく大事なことだと思います。

 前にも、話したことがありますが、献金は、霊的な戦いです。私もそうですが、「こういう集会ならば、献金はこのくらいかな。」という、献金のスタンダード、基準を持っています。「千円くらいでいいかな。」と言うときに、「千円を二千円にしよう」という決断って結構、葛藤があるじゃないですか。「うーん。二千円はきついぞ。千円。二千円。やっぱ千円。」という戦いがあります。その中に、霊的な力は働いていると思います。
 別に、千円を二千円にしたって、倒産するわけじゃないけれど、散らす時って、いつも戦いを感じます。悪魔は人の欲望をうまく使って、自分の欲望を成し遂げて、神様の夢の実現を阻んでいます。
 世界の現実を見て、その背後に働いている暗闇の力に挑戦するためにも、私たちは集めるためではなく、散らすための努力をしなければなりません。
 先週も、みなさんがギデオン協会のために、たくさん捧げてくださったのは、すばらしいことです。今度は、ネパールのために捧げたり、様々な宣教の働きのために散らしていくのは、神の国を到来させるために重要です。

 でも、教会が大きくなると、お金、お金といって、本当におかしくなっている教会もたくさんあります。私たちは絶対にそうなってはいけないです。不正の富を勝ち取って、神の国を広げていくために働いていかなければなりません。もうすでに、ヨベルの年は実現しています。
 ですから、ヨベルの年を宣言しなければいけないです。「ヨベルの年を宣言します!」と。そしてこの世界に、一刻も早く、主が訪れてくださるように、祈ろうじゃないですか。大リバイバルが起こって、人々が救われ、人々の価値感が聖書の価値感になったら、世界は変わります。
 このままの価値感では、世界は滅びに向かっていきます。しかし、イエス様が帰られる前に、大リバイバルが起こり、人々の価値感が変わるならば、イエス様が帰って来られるのを前にして、世界は変わります。そのために私たちは頑張っていかなくてはいけないのです。
 「主の恵みの年を告げ知らせよう!」このヨベルの年、主が為したいと願っておられること、心に留めたいと思います。

 最後にみなさんと一緒に、お祈りしたいと思います。経済の中に、様々な問題がありますが、その背後に暗闇が働いています。私たちは祈りを持って奉仕することができます。
 主の恵みの年を宣言して、一言祈ります。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝します。あなたがこの地上に来てくださったのは、主の恵みの年を告げ知らせるためであることを、心から感謝します。今の世界、あなたはこのまま、放っておかれる方ではありません。
 主よ、どうか、早くこの地に戻って来てくださり、世界の王となってください。しかし、その前に、世界にリバイバルを起こしてください。皆が主を信じて、御心に沿った生活ができますように。
 今、日本も、様々な巨大な力に巻き込まれようとしていますが、どうか守ってください。
 今ここに、ヨベルの年を、宣言します。一人一人を様々な攻撃から守り、解放し、自由にしてください。すべての栄光を主にお返しして、尊きイエス様の御名によって、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。