『あなたに属するもののために戦え』

2016年5月8日(日)
新城教会牧師 公畑フェルナンド
第一ペテロ5章8節

『身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。』

 ハレルヤ!感謝します。私たちのためにいつもお祈りをありがとうございます。インターナショナル部会のためにもお祈りを感謝します。
 三月に順先生と共にペルーに行くことができたことを感謝します。行った目的は、あちらで順先生と共に霊的戦いセミナーをするためでした。その後、私は妻ととどまりまして、そしてペルーに帰った兄弟姉妹と共に、彼らと集会を持ち一緒に時間を過ごすためにいました。ほぼ毎日、いろんな兄弟姉妹の所に訪問していました。そして、他の教会で奉仕をすることもありました。とても良い時を持つことができました。本当に神様に感謝し、みなさんのお祈りにも感謝したいと思います。

 それでは、今朝のみ言葉にいきたいと思います。
 人が神とともに歩む決心をするとき、その瞬間、その人は暗闇にある標的になります。言い換えれば、敵はその人を攻撃したいのです。その人が信仰を捨て、昔のようになるように攻撃するのです。
 ヨブの生涯を見ると、この事に関してとてもおもしろい事が書いてあります。悪の計画について、また敵がどのようにして私たちを攻撃してくるのかを、とても興味深く教えています。では、ヨブ記に行ってみましょう。

 ここには、神様が悪魔と会話されているのが書かれています。聖書には、サタンが地を行きめぐっていたと書いてあります。神様が「お前はどこにいたのか?」と聞くと、「地をゆき廻って来たのです。」と答えました。神様はサタンにこう聞きました。「わたしのしもべ ヨブを見たか?」と。「彼は非の打ち所がなく、正直で、わたしを愛している男であり、良いクリスチャンで、新城教会に行っているよ!」と。とは、言ってないですかね?

 ヨブ記一章九節〜十一節にはこう書かれています。

『サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」』

 私にはこの最後の部分がとても気になりました。なぜなら、敵の攻撃の目的というのが、私たちが神様をのろう事にあるからです。あなたはこう言うかもしれませんし、また私もそう思います。「私が神様をのろうなんて決してない!」と。しかしペテロのことを思い出してください。ペテロも決してイエス様を否定しないといったにもかかわらず、三度も否定してしまいました。
 このメッセージをよく理解するために、後で家に帰ったら、ヨブ記の一章と二章を読んでください。時間の関係で、今は二章全てをお読みすることができません。しかし今から私が言うことはこの二つの章に書かれています。ここを見る時、悪魔が神の御前を出て行ってからですが、いくつかのことに気づきます。

 最初はヨブ記一章十四節に書かれています。読みませんが、どこの個所か知っていただきたいです。ここには使いがヨブのところに来たと書かれています。大きな問題が起こったといいました。ヨブの牛が耕し、ロバが草を食べていると、シェバ人が来て、「牛やロバを奪い、雇人たちを殺しました。私だけが生き残って、これを告げているのです。」と述べました。これこそ敵が攻撃する一つのやり方なのです。シェバ人とはヨブの隣人でした。ヨブが正確にどの辺りに居住していたかは分かりませんが、彼らは隣人であり、ヨブの住んでいた西側にシェバ人は住んでいました。
 知らないかもしれませんが、ヨブが所有していた牛は、畑での労働に用いられていました。その牛によって、土を耕していたのです。そしてロバは、交通手段として用いられており、どこかへ出かけるとき、人はロバに乗っていきました。聖書に、彼らは牛千頭とロバ五百頭を奪っていったと書いています。
 最初のヨブに対する悪魔の攻撃は、彼の仕事、彼の生産方法に対してでした。なぜなら牛によって、ヨブは家に食物を、家と雇人へ供給していたのです。
 私はすべてのことに霊的意味付けをすることは、好きではありません、しかし多くの場合、問題の裏にはサタンがいると信じます。例えば、私たちの上司を用いる可能性もあります。今、ここで私が言うのは、あなたの上司が悪魔や悪霊だと言っているのではありません。しかし悪魔はその人を用いて、悪魔の目的を達成するため、あなたに圧力をかけたり、あなたを疲れさせたり、ストレス状態にする可能性があると言っているのです。またあなたの同僚や、同級生や、取引先を用いて、あなたが借金を返せないようにさせているかもしれないのです。またあなたの職場の機械やコンピューターが頻繁に壊れることがあるかもしれませんが、そういうことは普通のことではありませんね。敵がこのように人を用いる戦略は、その人に損害を与えるためです。私たちはしばしば、ほかの人に損害を与えるように悪魔に用いられやすいのです。
 ダニエルの生涯を見ると、同じようなことが書いてあります。ダニエルに損害を与えようとしたのは同僚であり、ダニエルの部下たちであったのです。敵はいつも同じ手を使います。私たちの仕事に損害を与えるのです。

 また敵は、ヨブを他の方法で攻撃しました。聖書を見ますと、この使いがまだ牛やロバのことを話している間に、また他の使いが来て言いました。「神の火が天から下り、羊と若い者たちをやきつくしました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。」と書いてあります。
 敵は何をしたでしょう?雷を使ったのです。神は気候と自然現象を私たちの利益のために創造されたと信じますが、しばしば悪魔は私たちに損害を与えるために、それらを用いるのです。ヨブには七千頭の羊がいましたが、七千頭雷に打たれて焼き殺されました。
 二〇〇四年にあったインドネシアの津波によって二十七万人の方が命を奪われ、二〇一一年の東日本大震災では、約二万人の方が命を落としました。そのうち九十二%は溺死であったといわれています。
 聖書には、神を愛する人々には、すべてのことを働かせて益としてくださると書いてあります。しかし全てが神から来るのではありません。自然現象の中には、この地を破壊するものがあります。例えば、二年前、アルゼンチンでは、五十万頭の羊が火山灰により死にました。それによって、羊飼いたちはすべてを失ってしまいました。これが神から出たものだとは言えないのです。私はこれが、敵の力だったと確信しています。

 ヨブ記に戻りますが、ヨブにとっての羊とは、とても大きな意味がありました。ヨブにとって羊は食物であるということをご存知でしたか?ヨブと家族にとって畑の収穫物と、羊は食物でした。それ以上に、羊は乳や、毛、またその皮も袋を作るのに使われました。しかし私が特に注意をひかれたことは、羊が神様への捧げものであった点です。ヨブは自分の羊をもって神を礼拝していたのです。ところが敵はヨブの生活に最低限必要な持ち物に介入し、肉、乳、羊毛を奪ったのです。
 私たちは、自分たちの最低限度の生活必要品に関して祈らなくてはなりません。例えばお金が足りないならば祈らなくてはなりません。スーパーマーケットに出かける前に祈りますか?一生懸命働いているのに、生活するためのお金が足りませんか?仕事を探しているが、自分には扉が閉ざされていると感じていますか?経済状態が停滞すると、私たちは気落ちします。気落ちするとき私たちは聖書を読むことがおっくうになったり、祈れなくなったり、教会に来たくなくなったり、神との接触を避けるようになるのです。もしそのように感じているなら、敵はあなたの羊を殺しているかもしれません。羊を殺されると、神への捧げものがなくなるからです。つまり、賛美と礼拝がなくなるのです。
 羊が焼き殺され、牛とロバも奪われ、さらに聖書には、「この者がまだ話している間に、また他の一人が来て言った。カルデヤ人の泥棒が来てラクダを奪い、使用人たちを殺しました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。」と書いてあります。
 最近、なにか盗まれたことはありますか?神様に責任を押しつけないでください。もし、らくだが奪われたとしたら、らくだは当時の人にとって荷物を運ぶために使われた動物であり、また旅行に行くときに用いられました。なぜなら、らくだは歩くのが比較的速く、十分重さに耐えうる動物だからです。
 一つ気づいたことがあります。敵の攻撃の目的は、すべての所有物をヨブから奪おうとしていることでした。敵はヨブを破産させようとしたのです。それは今も敵がしていることなのです。

 このラクダのことを報告した者が言い終わらないうちに、他の者が来てこういいました。「あなたのご子息や娘さんたちが宴会をしているところに、突然大風が吹いてきて、彼らがいた家が倒壊し、彼らは下敷きになり亡くなりました。」全ての羊や、牛や、ロバや、らくだの災難の中で、さらに自分の子どもたちが死んだのです!
 あなたがどう感じるかわかりませんが、敵は私たちの子どもたちに手を掛けようとし、そして敵は私たちの子どもたちに、肉体的にも、霊的にも、人格的にも死をもたらそうとしているのです。
 私たちは時に、敵が自分を攻撃してもいいけれど、子どもにはして欲しくないと考えます。なぜなら子どものことは一番つらいことで、痛みがあるからです。この時代、子どもに関して多くのことを聞きます。風邪だとか、ウイルス感染だとか、子どもへの関心が薄いとか、多動症とか、脳が未発達であるとか、皮膚病、目の病気、不整脈、流産、悪い検査結果、自分の性別に違和感を持つ、反抗、悪癖、孤独、神様から離れた生活をするなど、さまざまなことを聞きます。
 誰がこのすべての背景にいるのでしょう?誰がこのような世界的傾向である、神へ通じる道から、子どもや若者を排除する働きの背後にいると思いますか?敵です!サタンは家族を憎んでいます。ですからヨブの子どもたちを殺したのです。ヨブには何人子供がいたでしょう?十人です。十人が同じ日に亡くなったのです!
 今、自分がヨブの立場だったら、どうでしょう。千頭の牛を失いました。五百頭のロバを失いました。七千頭の羊を失いました。三千五百頭のラクダを失いました。多くの使用人たちを失いました。しかし、さらに自分の十人の子どもたちまで失ったのです。このような中で生きていけるのでしょうか?神はどこにいるのでしょう?神はなぜこのことを許されたのでしょうか?もしヨブが正しい人であったなら、神への捧げものをし、祈る人であって、神を求めていたのに、神と親しい関係にあったのに。神はどこに行ってしまわれたのか!

 しかし私は、この事柄に対する彼の答えが好きです。この四つの大きな攻撃の後、ヨブが出した印象的な答えがあります。ヨブ記の一章二十節〜二十二節、

『このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。』

 ここでヨブは、「主よ、あなたは主権者です。」と言っています。しかしこれは神が悲惨な事件をヨブに与えたという意味ではありません。そして、それでもヨブは罪を犯さなかったと書いてあります。悪魔の最終目的はヨブ自身に神を呪わせることでした。しかしヨブは神を礼拝したのです。

 そして、この四つの攻撃の後、サタンは神の前にもう一度現れました。そして、神はサタンに、「どこにいたのか。」と聞かれました。悪魔は、「地をゆき巡っていました。」と答えました。ヨブ記二章三節〜五節、

『主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない。彼はなお、自分の誠実を堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして、何の理由もないのに彼を滅ぼそうとしたが。」サタンは主に答えて言った。「皮の代わりには皮をもってします。人は自分のいのちの代わりには、すべての持ち物を与えるものです。しかし、今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません。」』

 「たぶんヨブはそんなにお金に執着がなかったんだ」と、「でも、今度は健康、体を打ってください。」と悪魔は言っています。後のヨブ記を見ると、ヨブは体にウジがわき、かさぶたがあり、彼の皮膚は傷だらけで、化膿しており、大きな腫物ができていました。悪魔があなたの持ち物に手を掛けられなかった、また手を掛けてもあなたが平気であるなら、敵が次にすることは、あなたの健康を攻撃することです。
 あなたの健康診断結果はどうでしたか?不治の病ですか?症状はどのようなものですか?これに関して敵が介入することを知ってましたか?敵は私たちの頭の中に働き、考えの中に働くのです!「ああ、もう死ぬのだ。がんが見つかったから、よくならないのだ。」と考えます。
 また仕事場で、生産量が減少すると、こう考えます。「ああ。おれは一番にくびになるだろう。」人はそのように、本当ではないことを信じ始めるのです。「ああ、もしそれが神様の御心だとしたら、どうしようもない。」と考えるのです。しばしば私たちは、そのような病院の診断結果が神様からのものだと信じてしまうのです。しかし本当は神様から来ていないのです。なぜなら、「イエス様は私たちが健康であるように、とても高い代価を払ってくださった」と聖書は言っているではありませんか。

 聖書にはヨブが自分の身をかいていると、そこに彼の妻が現れ、彼を非難したと書いてあります。ヨブ記二章八節〜九節、

『ヨブは土器のかけらを取って自分の身をかき、また灰の中にすわった。すると彼の妻が彼に言った。「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」』

 奥さんの考えはどうだったでしょう?「ヨブ、あなたは本当に誠実すぎだね。神を呪いなさい、神への信仰を捨てなさい!」これを見るときに、夫婦ケンカを考えさせられます。こういうケンカは神から出るものではありません。私たちは夫婦関係にも攻撃を受け、お父さんとお母さんがケンカし、また子どもたちがケンカをするようになるのです。これは敵の攻撃であり、その背後に敵がいるのです。

 ずっとヨブのことばかりに言及していくつもりではないですが、もう一つ攻撃をヨブが受けたことをお話ししたいと思います。家に帰ったら、聖書を読んでください。彼の友人たちも悪魔に用いられたことが分かります。友人たちは「ああ、ほらきみが罪人だからだよ。どんな隠れた罪をきみが持っているかなんて、誰が気づくのか。」と言ったのです。
 しばしば私たちは、その人に何か悪いことが起こると、その人の罪の為に起きたことだと考えやすいのです。しかし、いつもそうではないのです。そして、私たちは人を裁くという罪を犯してしまいます。

 また、もう一つ、敵の武器があります。悪いことが起きた時に、神の仕業と思わせるのも敵の武器であります。本当は神がしたことではないのにです。
 兄弟姉妹たち、私たちは霊的戦いをしなければなりません!ヨブは霊的戦いを知りませんでした。もし彼が知っていたら、また知らされていたら、「悪魔よここに来い、イエス様の名前によって、お前を打ち砕く!」と言ったでしょう。しかし彼はしませんでした。もし悪魔を打ち砕いていたら、悪魔は彼に被害をもたらすことはできなかったでしょう。

エレミヤ書一章九節〜十節、

『そのとき、主は御手を伸ばして、私の口に触れ、主は私に仰せられた。「今、わたしのことばをあなたの口に授けた。見よ。わたしは、きょう、あなたを諸国の民と王国の上に任命し、あるいは引き抜き、あるいは引き倒し、あるいは滅ぼし、あるいはこわし、あるいは建て、また植えさせる。」』

 聖書には、神様は私たちに権威を授けてくださったと書かれています。何のための権威でしょう?ここには、「引き抜き、引き倒し、滅ぼし、こわす」と書いてありますが、だれに対してですか?暗闇の支配に対してではありませんか!あなたは権威を持っているのです。私は権威を持っているのはわかるが、使っていないという方。ここで神様は言われます。「権威を使いなさい!」と。
 あなたに対抗する敵の攻撃を倒したいなら、神のみ言葉を宣言しなくてはなりません!私たちは神の子どもであり、引き抜き、引き倒し、滅ぼし、こわすことができるのです。何をでしょう?悪魔のウソと計画に対してです!ですから思い出してください。あなたには権威があるのです。他の聖書個所には、ハデスの門は教会に対して打ち勝たないといっていますか?誰が教会でしょうか??私たちこそが神の教会です!

 私たちは霊的戦いをしなければならないと信じます。しかし、多くの人は霊的戦いというのはただ敵に命じることだと信じています。私もそう信じます。命じなければいけません。追い出すことが必要です。なぜなら、聖書がこう言っているからです。
 しかしまた、霊的戦いというのは、ヤコブ書にあるように、『ですから、神に従いなさい。そして悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。(ヤコブ四章七節)』
 まず、あなたは神に従うことが必要です。他の翻訳には神の臨在の前にへりくだりなさいとあります。霊的戦いはこのように始まるのです。神を賛美し礼拝することから始まります。霊的戦いは、私たちの状況の上に神の名前を呼び求めることから始まるのです。
 そして次にしなければならないことがあります。それは神様のみ言葉を宣言することです。御言葉を宣言しなさい!これは霊的戦いの基本です。神を賛美し礼拝すること、その名を呼び求めること、御言葉を宣言することです。これらのことをするなら、悪魔を追い出すことができます。
 新約聖書でこう教えているからです。ある人たちが悪魔を追い出そうとしたときに、「パウロの宣べ伝えているイエスの名前によって、」と祈り始めました。すると悪魔は彼らにとびかかり、裸にして家から追い出しました!なぜでしょう?なぜなら、この人たちには、神との個人的な関係がなかったからです。基本である、神を礼拝し、神の名を呼び求めることが、なかったのです。

 これを質問して終わりにしたいと思います。「あなたの持ち物のためにあなたが戦わないなら、あなたがあなたの家族のために戦わないなら、誰が戦うのですか?」あなただけが戦えるのです。

 それでは、みなさん。立ち上がってください。少し考えてほしいのですが、敵があなたに対してどんな攻撃をしているのか、考えてください。それは、たぶん仕事に対して攻撃をしているかもしれません。十分なお金がないということかもしれません。蓄えがないということかもしれません。捧げられる羊がいないということかもしれません。他の言葉で言うならば、献金がなくて、神様に捧げられないということかもしれません。または借金があるかもしれません。敵はあなたのラクダを傷つけ、あなたの子どもたちを傷つけているかもしれません。またあなた自身に攻撃しているのかもしれません。あなたを病気にし、多くの争いが、あなたのご主人と、あなたの奧さんと、またはあなたの親たちと、またはあなたの子どもたちと、または親せきの中に争いがありませんか。しかし、兄弟姉妹たち、それは神から来るものではありません。ですから、私はみなさんとお祈りしたいと思います。私だけが祈るのではなくて、みなさん、後についてお祈りしていただきたいと思います。

「今イエス様の名前によって祈ります。私の経済、私の仕事、私の配偶者、私の子どもたち、その上に祝福を宣言します。教会に来ていない子どもたちにとっても、あなたは主です。あなたを信じていない私の両親にとっても、あなたは主です。あなたは私の仕事の主です。赤字だとしても、あなたは私の経済の主です。会社の上司のために、私が直面している問題の上に、イエス様の名前を宣言します。あなたは私の神です。私のために戦ってくださいます!
 今、病気の霊よ、イエス様の名前によって去れ。骨の病気、関節の病気、ひざの病気よ、イエス様の名前によって去れ。近眼、乱視、色盲よ、イエス様の名前によって去れ。背中の痛み、胃の痛み、首の痛みよ、イエス様の名前によって去れ。サタンよ、私に触れることはできない。私は神のものだ。主が私のために戦われる。今、私の仕事、経済のため、祝福を宣言します。サタンよ、私の経済に何も権威がないことをイエス様の名前によって宣言する。アーメン。」

 もう一つお祈りしていただきたいことがあります。この教会の牧師先生方、一人一人のため祈ってください。また、教会スタッフのために祈ってください。どれほどあなたのために祈ってくださったでしょう?今はあなたが彼らのために祈る時です。お祈りしましょう。
 
「私たちの教会が前進するように宣言します!さらに前に行くように宣言します!あなたが、この牧師たちを立てられました。教会スタッフを立てられました。彼らにも失敗がありますが、しかし今日、私たちはイエス様の名前によって彼らを祝福します!
 私たちの教会に勝利があることを宣言します。家族に勝利があることを宣言します。また私たちは世に影響を与える存在であることを宣言します。私たちが祈るとき、天が開くことを宣言します。あなたの道を歩み続けることを宣言します。イエス様の名前によって祈ります。アーメン。」