『あなたの始めは小さくても、
その終わりは、はなはだ大きくなる!』

2016年6月12日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
ヨブ記8章5節~7節

『もし、あなたが、熱心に神に求め、全能者にあわれみを請うなら、もし、あなたが純粋で正しいなら、まことに神は今すぐあなたのために起き上がり、あなたの義の住まいを回復される。あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる。』

 ハレルヤ!おはようございます。In the Daylight。新手なバンドが出て来ました。いつもミュージックスクールで教えてくださっている先生方の生き写しのような演奏でしたが、素晴らしいですね。こうして若い世代が育っていることは、私たちおじさんにとっては大きな励ましです。主が帰って来られるその日まで、教会を用いてくださるといいなぁと、心から願っています。



 先週は、ちょっと残念なことがありました。それは何かというと、みなさんに祈っていただいたのですが、ペルーの大統領選挙です。

picture001-PageLift.jpg

 今回の大統領選挙ほど、エキサイティングな選挙はありませんでした。五十・一二パーセント対、四十九・八八でした。〇・二四パーセントの差です。どっちに入れたのか分からないような票が、かなりあるらしいのです。どちらかが「負けました。」と言わない限り、決着が付かなかったのです。しかし、ケイコ陣営が負けを受け入れたということで、ペルー大統領にクチンスキーという、七十七歳のおじいさんが決定しました。祈ってきただけに、ちょっと残念な結果でした。

 なぜなら私は、3月にケイコのお父さん、元ペルー大統領のフジモリさんと出会って祈りしましたから、ちょっと祈りが足らなかったのかなと反省するのですが、考えてみると、この中にも主の御手があると思います。

 ペルーの有権者数は千七百万人だと言われます。結果は本当に僅差なのです。ということは、ペルーに大統領が二人誕生したのと同じです。だから、クチンスキー氏は、ケイコとよく話し合って、政権を作っていきたいと語りました。

 もしもケイコが大統領になって、捕らわれの身のお父さんを釈放したら、思いっきりブーイングだと思います。私は、今回、当選した大統領がフジモリさんを釈放することを期待して祈っています。それが、一番うまくいく方法ではないかと思います。

 時々、期待した結果とは、違った結果を神様はくださるかもしれないけれど、そんな中にも、永遠に向かう計画があると思います。ですから、是非とも、ペルーの為にも続けて祈っていただきたいと思います。主はきっと、不思議なことをなされます。

 世界に出て行って福音を伝えるように、主は新城教会に、足場をくださっています。


 七月には三回目になるのですが、ネパール宣教があります。今回はおじさん達が行って、向こうに何かを残そうということで、水の浄化装置を設置する事になりました。まずは、新城で実験をしています。

 やはり、こういう時に出て来るのはミスター剛君です。彼がお金がかからない方法で、ネパールの山の上でも、うまく機能する装置を試作して下さいました。

0001.jpg

 先週は泥水でした。こんな水が本当に浄化されるかいな~と、半信半疑でしたが、昨日はこんなに澄んでいました。

0002.jpg

 先ほど、剛君と話したら、今朝、飲んでみたと言うのです。すでに周りの人たちにも「飲ませた」と言うのです。「順先生、飲んでみる?」と言われましたが、「礼拝の前だからさ。」と言って断わりましたが、自然の摂理って不思議だなぁと思います。この浄水装置は、川の流れと同じ原理です。川は下流に行けば行くほど、本来は清らかになるのです。

 水って、下流に流れていけば汚くなるように考えるのですが、本来はバクテリアの作用で、水は下流に行けば行くほど、綺麗になるのです。途中で汚水が流入するので、下流に行くと汚くなる様に感じるのですが、本来は逆です。

自然の法則の中にも、神の摂理があるのです。



 話は変わりますが、先週の礼拝、恵まれましたねぇ。本当に。「勝利、感謝、主に栄光」というざわめきの曲、今日も歌いましたが、あのYouTubeを見て、もう涙が止まりませんでした。

ブラジル人のおじさんが、ザワメキを聴いて感動したみたいです。「この曲をオーケストラで演奏できないものか!」と、七年越しくらいのプロジェクトで完成したみたいです。

 YouTubeにアップされて、結構多くの人たちが見て、感動しています。今日のメッセージのタイトル「あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる!」の様に、神様の働きは、始めは小さくても大きくなっていくのです。



 一九九二年に、新城教会に聖霊が注がれて、リバイバルが起こったのですが、それと共に、様々な問題が起こって、将来はどうなるのだろうと希望を失った時期がありました。しかし、振り返ってみると、奇跡が見えるというか、主は私たちを守り、祝福して下さったのが分かります。歴史を振り返ると、神の奇跡が見えるのです。

 今から二十数年前、開先生が「天から賛美が降って来た!」なんて、言い始めました。自分の音楽性のなさを、神様のせいにしているのではないかと私は思っていましたが、どうやら、本当に天から賛美が降って来たようです。今や、世界中の人たちが感動して、あんなオーケストラで演奏されるまでなってたわけですから。始めは小さくても、大きくなった証拠じゃないですか。

 ところでみなさん、もう一回、聴きたいですか?いや~、そうくると思いましたので、用意しておきました。先週、見ることができなかった方もおられると思うので、もう一度流します。おじさんが歌っている部分を、オペラ歌手に歌ってもらったら良かったかなと思いましたが、しかし、あのおじさんの歌がいいのです。なんか心を激しく、揺さぶられるというか、感動します。素晴らしいです。







 ハレルヤ!本当にすばらしい賛美ですね。ザワメキって、こんなにすごかったのかなと感動しました。

「勝利、感謝、主に栄光。」やがてイエス様の前で、この歌を高らかに歌いたいです。しかし日々、主に、勝利と感謝と栄光をお返しすることが重要だと思います。



 毎年、「リバイバル感謝報告書」をお渡ししているのですが、昨年、教会に起こった事柄を、感謝と共に振り返っていただきたいと思います。私は毎回、巻頭言を書かせていただいていますが、ちょっと読ませていただきます。

 今回は、「世代を超えて」というタイトルで書かせていただきました。



世代を超えて



 『さて、主のしもべモーセが死んで後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。」 ヨシュア記一章一~三節



 主の御名を心から誉め称えます。二〇一五年度の「リバイバル感謝報告書」を取りまとめ、心からの感謝と共に、常に新城教会を愛し支えて下さっている兄弟姉妹、お一人一人にお渡しできますことを、心から感謝申し上げます。



 始めに、昨年度は、新城教会の創立者であり、私の父でもある滝元明の為に、多くの祈りをいただき、また、お心遣いも頂き、心からの感謝を、主任牧師として、また親族を代表して、紙面をお借りして申し上げます



 私は、父ほど幸せな人生を送った者はいないと信じています。現在、日本人男性の平均寿命は八一歳くらいですが、健康で働ける健康年齢となると、七一歳くらいだと言われます。しかし父は、八六年間(八五年十一ヶ月)を生涯現役で過ごすことが出来ました。本人は病が発見される少し前まで、自覚症状は、ほとんどなかったと申しておりました。二〇一五年四月から六月末まで開催された「沖縄七〇リバイバルミッション」は、約一〇〇回の集会がありましたが、その約半数は、父がメッセンジャーとして奉仕させていただきました。

 しかし七月に体調を崩し、八月一日には天に凱旋していきました。あっという間の出来事でした。私はその瞬間をネパールから立ち会いましたが、一つの幕が下りて、新しい幕が上がったような気がしました。



 聖書は壮大な神の物語です。それは天地創造から、新しい天と新しい地の創造という、神が脚色し、演出されている壮大な物語です。出エジプトの物語は、聖書全体のモデルだと言われます。モーセに委ねられた働きも、次世代のヨシュアに委ねられた働きも、神の物語の一部を担ったのに過ぎなかったのです。



 私たちクリスチャンと教会も同様に、神が始められたプロジェクトの一員となり、その働きをサポートする、神の夢を実現するために存在しています。

 新城教会の働きも、神の物語の一幕を担わせていただいていると確信しています。常に、神の物語のゴールである、新しい天と新しい地を待ち望み、世代を超えて、喜んで主に仕えていきたいと願っています。



 その為に、今後も祈りとご協力をよろしくお願いいたします。

 重ねて、心からの感謝を、お一人一人に申し上げます。』





 このように書かせていただいたのですが、教会は、神の壮大な、天地創造から、新しい天と新しい地の創造という、物語の一部を担わせていただいているのです。なんと光栄なことでしょうか。新城教会の働きも、すべて、新しい天と新しい地の創造に向けての働きであると確信しています。



 ネパールでの働きもありますが、それも神様の壮大な物語の一コマです。新城教会が担当させられている部分は、ちょっとハードな部分かもしれません。でも、そこに主の大きな計画があると思います。



 先週、元青年、今はおじさんと、一緒にお祈りする機会がありました。私は彼の話を聞きながら、なんか神様から語られた様な気がしました。彼はネパールに行くわけでもないのですが、先日、彼は夢の中で、イエス様から語られたというのです。

突然、夢の中にイエス様が現れて、「ネパールの働きのために祈れ!」と言われたそうです。「おまえは行かないかもしれないけれど、行く人と同じように真剣に祈れ。」と言われたそうです。そして、「教会をあげてネパールの働きのために真剣に祈れ。」と言われたそうです。

 すると気がついたら、彼は布団の上で涙を流しながら、叫んで祈っていたというのです。びっくりした!というのです。いや~、神様は不思議なことをされますね。何か今回のネパール宣教、大きな計画があるのでしょうね。

 ですから、ネパールに行く人も、行かない人も、同じように祈れ!教会が一丸となって祈れ!と言われたそうですから、是非とも、熱心に祈っていただきたいと思います。これは、新しい天と新しい地の創造の過程で、重要な役割を果たしているんじゃないかと思います。

そんな中、ヨブ記の八章を思い出したのですが、もう一度読んでみたいと思います。ヨブ記八章五節~七節、



『もし、あなたが、熱心に神に求め、全能者にあわれみを請うなら、もし、あなたが純粋で正しいなら、まことに神は今すぐあなたのために起き上がり、あなたの義の住まいを回復される。あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる。』



 七節の言葉って、すばらしいですよね。私たちに語ってくださっている言葉だとしたら、嬉しいじゃないですか。『あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる。』というのですから。



 しかしながら、ヨブ記を扱う時は、注意も必要です。ヨブ記には三人の友人と若者が登場します。ヨブは信じられないほどの、大きな試練を体験するのですが、その後、彼らと討論が始まるわけです。

 今読んだ箇所も、シュアハ人ビルダデという友達の一人が語ったところです。ここだけを見るとすばらしいのですが、最終的に、神様は、三人の友達たちの意見を否定されているからです。「おまえたちは、ヨブに何を言ったんだ!」と叱責されているのです。

 ということは、間違った言葉が聖書に記されているのか?ということにもなるわけですが、ヨブ記の友人たちの全体的な概念は否定されていても、各パートにおいては、神の霊感を受けた神のみ言葉でもあるわけです。

 聖書全体から、ビルダデが語った言葉をチェックすると、別に悪い事を語っているわけではありません。この箇所をまとめれば、「熱心に神を求めろ!」、これは聖書全体から見たら正しいことです。「全能者にあわれみを請え!」これも正しいことですよね。そして、「純粋であれ。正しくあれ。」これも聖書が告げていることです。ビルダテは間違ってはいないのです。しかし、神はこれらも含めて、否定されているわけです。

 なぜかと言うと、ヨブは潔白で正しかったと初めに語られています。しかし何よりも、ヨブは信じられないほどの試練に会ったのです。十人の子どもたちが1日のうちに死んでしまったのです。その後、病気になって、どん底で苦しんでいたのです。

そんな時に友人たちがやってきて、「おまえは熱心さが足りなかったんじゃないのか。本気で、あわれみを請うているのか。純粋さがなかった、正しくなかったんじゃないの・・・」と責めたわけです。

まさしく、傷口に塩を塗り込むような愛のない言葉だったわけです。神様はその様な愛のない態度を叱責されたと思うのです。



けれども、このパートだけならば、真理を告げているのです。しかし、ヨブのような大きな試練にあった人に、このような言葉を語るものではないです。



 『あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる。』とありますが、それはアブラハムにも語られた言葉です。創世記十二章一節~三節、



『主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」』



 私たちは霊的に、アブラハムの子孫ですから、ヨブに語られていることは、主が語ってくださっている言葉として受け取ってもいいと思います。

シュアハ人ビルダデが、ヨブに語ったのですが、創世記二十五章一節、二節を見ると、



『アブラハムは、もうひとりの妻をめとった。その名はケトラといった。彼女は彼に、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデヤン、イシュバク、シュアハを産んだ。』



とあります。

 アブラハムのもうひとりの妻、ケトラの子どもの一人に、「シュアハ」という子どもがいます。ということは、シュアハ人ビルダデって、その子孫だと思われます。遠い自分の祖先のアブラハムの、その後を見ていますから、始めは小さかったけど、でっかくなったじゃないか!ってね。俺の家系を見ればよく分かるぞ!という気持ちも込めているのではないかと思われます。



 しかし、条件が付いていることも確かです。「熱心に神様を求めろ!」と言うのです。また全能者にあわれみを請う態度も必要ですね。

 そして、何よりも、「純粋で正しくある」ということが重要な条件です。



 歴史を振り返ると、様々な事実が見えて来ます。本当に純粋な態度があったんだな!だから祝福されたんだ!と、振り返ると検証できます。

 また、始めは良くても、だんだん尻つぼみになって消えてしまうような働きもあるわけです。どこで純粋さを失ったのか、やはり、立ち止まって検証しなければならないと思います。



 私は何年か前にアルゼンチンに行ったことがあります。アルゼンチンではリバイバルが起こっていました。何年か前って、かなり前ですね。一九九二年のことです。その頃、アルゼンチンでは、国中が聖霊に酔っているような、聖霊の風が吹いている状況でした。私はそれを目撃しました。

 ちょうど新城教会に霊的戦いが始まった頃でした。「主よ!アルゼンチンで起こっているリバイバルが、日本でも起きますように!」と、真剣に祈りました。

私はアルゼンチンの先生方に「アルゼンチンにリバイバルが起こった秘訣って、何なんですか?」と尋ねたら、一つのみ言葉を紹介してくれました。それがエレミヤ書六章十六節~十七節でした。



『主はこう仰せられる。「四つ辻に立って見渡し、昔からの通り道、幸いの道はどこにあるかを尋ね、それを歩んで、あなたがたのいこいを見いだせ。しかし、彼らは『そこを歩まない』と言った。また、わたしは、あなたがたの上に見張り人を立て、『角笛の音に注意せよ』と言わせたのに、彼らは『注意しない』と言った。』



 この言葉を主から語られ、はたと立ち止まらされたというのです。案外、人は、立ち止まるのが不得意です。前のめりで、つんのめってしまうことが結構多いです。アルゼンチンの教会も、長い歴史があって、伝統の中で生きて来たのですが、「ちょっと待って!四つ辻に立って見渡し、昔からの通り道、幸いの道はどこにあるかを尋ねよ!」と語られたと言うのです。

「立ち止まって、この道でいいのか、悪いのか、自分を点検しなさい!」と、主から語られたというのです。それで、今までは当然だと考えていた事柄を見直し、熱心に主を求めたそうです。純粋さを失っていたことが示され、国の罪を悔い改めて、自分の罪も、家族の罪も、教会の罪も悔い改めて、主の前に出た時に、聖霊が注がれ、主が指し示す道を歩むようになって、リバイバルが起こったというのです。

 私たちも時に、主の前に立ち止まって点検することが重要です。

一つの働きが始まる時はいつでも、情熱と共に始まるのです。

 日本のプロテスタント宣教がいつ始まったかというと、ジェームス・バラという宣教師が横浜に来たことにより始まりました。

0004.jpg

 「横浜海岸教会」という教会を作ったのが始まりです。彼が日本に来たのは、一九六一年のことらしいですが、ここで救われた人たちが、真剣に祈り始めたといいます。そうしたら、聖霊が注がれ、救われた人たちによって、リバイバルが広がって行ったのです。リバイバルの原点に聖霊の働きがあるのは、世界中、共通しています。



 「日本でリバイバルが起きました!」とジェームス・バラが本国、アメリカに手紙を書いたというのです。どこにリバイバルが起きたと、初めてレポートされたのか。それは、この寂しい山村にリバイバルが起こったのです。

0006.jpg

 それが、この近くの設楽町です。かつては北設楽郡津具村です。ここは、誰が生まれた場所かというと、私が生まれた場所です。また、私の父親が生まれた所です。

明治時代、この村から二人の青年が横浜に勉強に行って、ジェームス・バラと出会いクリスチャンになったというのです。二人の青年たちは心を燃やし、「このすばらしい福音を、私たちの故郷にも伝えたい!」ということで、伝道を始めて、バラを故郷に呼んだというわけです。こんな山の中までよくぞ来たな!と思います。すると津具にリバイバルが起こって、村の半数がクリスチャンになったそうです。

 知っている方もおられると思いますが、津具村に行きますと、この様な石碑が建っています。

0007.jpg

 「村井与三吉先生の碑」と書かれています。またご自分で行ってみられたらいいと思いますが、村井与三吉さんという人はどういう人物かというと、津具村で三十年くらい牧師をやっていた人物です。日本広しといえども、村人から顕彰碑を建ててもらった牧師は、他にはいないです。横に小さな石碑が建っていますが、これは顕彰碑を建てるためにお金を出した村人が名を連ねています。結構多いですよ。相当なリバイバルが起こったんだろうなと思うわけです。



 三十年くらい、津具村に教会があったのですが、国家神道の台頭によって迫害されたりして、村井先生も亡くなって教会は消滅してしまいました。しかし、津具村に教会があったことによって、日本のキリスト教の歴史に、大きな足跡も残したのです。

0010.jpg

 「村井与三吉先生の碑」という書を書いたのが誰かというと、賀川豊彦という大変有名な人物です。実は当時、賀川豊彦は肺病にかかり、蒲郡で療養していたのですが、村井先生の噂を聞いて村井先生と出会ったら、その情熱に感化されて、彼は津具村に住んで、小説を書いたのです。先生夫妻をモデルにして「一粒の麦」という小説を書きました。その石碑も津具にあります。

0008.jpg

 これが世に出て、有名になり、彼はキリスト教精神の社会運動家となって、ノーベル平和賞にノミネートされたくらいの人物になりました。津具村のリバイバルから、こういうことが起こったのです。すごいじゃないですか。



 しかし、津具村のリバイバルも、やがて火が消えてしまったのです。何事もなかったかのように、消えてしまったのです。

 しかし、村井先生が死んで二年後、この村に一人の男が生まれたのです。オギャー!。

0009.jpg

 この男が生まれたのです。それも反対派の中から生まれたのです。石碑に滝元家の名前はありません。やがて彼は戦後、東京に行って、同じようにクリスチャンになったわけです。そして心を燃やし、故郷に戻って、伝道を始めたのです。これは、最初のパターンと全く同じです。



 今日、こうして大勢の方と一緒に礼拝を守っていますが、新城教会の歴史は六五年です。今年で私も六十五歳で年金がもらえるので、ちょっと嬉しいです。でもこの間、年金の記録がありませんと言われて、ちょっとびっくりしました。



 最初の会堂は津具の八橋という所に建ちました。最初の新城教会はこんな会堂でした。

0011.jpg

 もしも新城教会が今も、この会堂ならば、何人の方が教会に来てくださるでしょうか。ほとんど来ないのではないかと思います。

 しかし、感謝なことに、こんな中から主は助け、導き出して下さいました。

0012.jpg

 この真ん中のかわいい僕が私です。誰にもこういう時期があるのです。みなさんにもありました。どんどん時間は進んで行きます。

やがて、八橋に住むことができなくなって新城市に出て来ました。

 そして、元、ダンスホールを買って、教会を始めました。新城の中学校前に会堂がありました。

0013.jpg

 当時は「設楽教会」という名前でした。この会堂でも、来てくださる方は少ないのではないかと思います。初期のクリスチャンたちです。今も数人は生きていますよね。私も生きていますから。こんな時期があったわけですよね。ここは四軒長屋の一軒でした。賛美すると、隣から「うるさい!」と怒鳴られて、ここから追い出されました。

 それで、茶臼山の駅前に来ました。みんなで真剣に祈って建てた、教会堂がこれです。

0014.jpg

 村の小さき教会という歌がありますが、本当にそんな感じでした。この場所に建てられました。

 ここで初代の方々が真剣に祈るようになりました。そうしたら聖霊様が働いてくださって、この会堂では収まりがつかなくなり、継ぎ足しました。

0015.jpg

 当時の会堂を知っている方、スイッチオン!あんまり多くなくなりましたね。いや~、懐かしいですね。こんな会堂が、まさに、この場所にありました。しかし、この会堂もシロアリに食われて倒れそうになって、一九八〇年のことでしたが、この会堂が出来ました。新城教会の献堂式の写真です。

0016.jpg

 現在の会堂です。すでに三十六年も経っています。でも、うまくできているでしょう。新会堂って今でも呼んでいます。詐欺みたいですが、会堂、教育館、神学校の建物も後にできて、振り返るとどうでしょうか。まさに、「あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる!」と言う、み言葉が成就しているのです。嬉しいですね!

 先が細くなっていったら、やはり立ち止まって、「ちょっと待てよ。どこかで純粋さを失ったかもしれないな。熱心さを失ったかもしれない。」と振り返るのは大切だと思います。個人的にも、教会の働きでも、すべて原則は同じだと思います。

 今まで主が新城教会をここまで祝福してくださったのですが、それでもなお、立ち止まって、本当にこれでいいのかどうか、検証し続けなければならない領域もあるのです。



 実は先ほどお見せしました浄水装置、川から汲んできた水を入れました。

 初めはあんなに汚かったのですが、だんだん綺麗になって、ピカピカの水が出来るわけです。こういう泥水を飲んだら病気になります。実は、ネパールの山の上の人たちの問題は、水の中に悪いものが入っているという概念がない事です。ただ、渇きが癒されればいいという考え方しかないのです。

 日本人はそういうことはないです。濁った水にはいろんなものが入っていると、子どもたちでも知っています。



 うちの孫のネタが多いのですが、二週間くらい前、私の家に来て、「コホンコホン。ハクション!」とやっていました。「どうした?」と聞いたら、彼がこう言うのです。「じいじ。ウイルス食べちゃったよ。」

四歳なのに、よく知っているなぁ!と感心しました。こういう症状が出たら、ウイルスを食べた証拠だと知っているわけです。その様な意識があれば、気をつけますよね。

 彼は、ウイルスを食べたと言いながら、我が家に来てヨーグルトを食べていました。そうしたら、ヨーグルトを床にこぼしました。私が、「もう~!」とか言いながら、雑巾を持って来て拭こうしたら、すでに床はぴかぴかになっていました。あれ?どうしたのかな?と思ったら、なんと彼が床を、ぺろ~ぺろ~と舐めてピカピカにしたのです。ウイルスを食べちゃったことを知っていても、何もならん感じですが。

 ネパールの山岳民族は汚い水を飲みますから、一年後に行っても、子どもたちは同じサイズです。水を綺麗にすることが、一番大切だと思って、今回、水の浄化装置を設置しようと決定したのです。



 日本のキリスト教会を見ると、これから大丈夫かなと思います。戦後、日本のキリスト教会は、かなり成長した時期もありました。でも、だんだん先細りで、教会に行くと、ご老人が多くなって、若者が来なくなって、まもなく着地じゃないか?というような教会もあるわけです。

 そういう状況を見ると、普通はこう言うのです。ビルダデと同じで、「牧師さん、あんた、ちょっと純粋さが足らなかったんじゃないの?熱心さが足りないんじゃないの?あなたの態度が悪かったから、こんなことになったのですよ!」と、因果応報的な事を言う人が多いのです。

 しかし、日本の教会の始まりにも、もしかしたら、ウイルスか何か、混じっていたらどうなるのか、そこを考えないといけないと思います。



 後日セミナーでもやりたいと思いますが、ジェームス・バラという人物は、「バラ塾」を始めたのですが、ジェームス・バラと並んで日本に来た宣教師が、ヘボンです。ヘボン式ローマ字とか聞いた事があると思います。そしてもう一人重要な宣教師に、フルベッキという人物がいます。

0005.jpg

 この写真、知っていますか?この写真は偽物ではなく、本物らしいです。真ん中にいるのがフルベッキです。しかしその下に、明治天皇がいたり、岩倉具視がいたり、西郷隆盛がいたりと、全員、明治維新に関わった幕末の有名人ばかりです。歴史に登場する、すごい人たちがフルベッキの元に集合しているのです。

 この写真が事実だとしたら、最初に日本に来た宣教師、純粋なものを持ってきたように見えるけれど、もしかしたら、なんらかのウイルスも持ち込んだのかも知れません。そのところを、ちゃんとチェックしなければいけないのです。

 人は、時代の波というか、時代の束縛から逃れることは難しいです。やはりいろんなものをしょって、日本にやってきたということです。幕末に日本に来ることができるのは、個人的には無理な話です。



 先ほど紹介した宣教師たち、賀川豊彦も、キリスト教徒だと言うのですが、キリスト教といっても、一つの派の強い影響を受けていた人たちでした。それは「ユニテリアン」という会派です。どういう教会かというと、三位一体は認めない、イエスは神の子だとは認めない会派です。それはキリスト教ではありません。そういう会派の影響下にあった宣教師たちが、最初、日本にやってきたのです。

 当時のユニテリアンの神学校は、現在のハーバード大学でした。ハーバード大学を模して日本に大学を作ったのが福沢諭吉でした。日本の教会って、なぜ、生ぬるくなっちゃうのか、やはり源流に、いろんなものが混じっているからです。



 時代を経て、後世の者たちは何をしなければいけないのか、それは、本当に純粋で正しいのかを検証して、純粋にする役割があります。やっぱり水の浄化システムと同じだと思います。

 時間が経てば経つほど、清らかな水になるように努力することを忘れちると、悪魔が教会を揺り動かし、教会を壊してしまうのです。

 日本教会の原点に、ユニテリアンが関わっていたり、明治維新による国家神道体制も、やはり、海外の影響があるわけです。最初に日本に来たのは宣教師だと思っているけれど、大国の植民地政策と共に入って来た人物たちなのです。そういうところも、きちっと見抜かなければいけないと思います。



 私の両親は日系人宣教師たちによってクリスチャンになりました。本当に感謝なことです。その方々がいなかったら、新城教会もありません。でも、そこにもチェックが必要です。

 そもそも、この宣教師たち、どこで集会を始めたのかと言うと、「連合国軍最高司令官総司令部」、泣く子も黙るGHQ本部で集会を行っていました。こんな所に出入りできるのは、ただの人たちではありません。当時は、皇居に出入りするより難しい、世界で最高の権力と強いセキュリティの場所に、自由に出入りして、集会までしていたのです。やはり、何らかの添付ファイルがあったということです。

しかし、それが精一杯の働きでした。後の時代の人たちが浄化する義務があると思います。

 「純粋で正しかったら、あなたの住まいは回復されます!あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる!」と言われていますが、本来、途中で汚水の流入のない場合、下流にいけばいくほど、川の水は綺麗になるのと同じように、私たちも、働きを純化して、次の世代に渡す使命があるのです。歴史を振り返る時、その重要性を教えられるわけです。

 今まで受け継いだ信仰の遺産を決して無駄にすることなく、さらに純粋にして、次の世代に渡したいのものです。



 次世代も上から下りて来たものにあぐらをかくのではなく、立ち止まる事が必要です。それを忘れてしまうと、始めが小さくても、終わりはさらに小さくなるというか、消えてしまうと思います。

 六十五年間、主が守ってくださいましたが、今一度、私たちは主の前に出て、熱心さを回復し、純粋さを回復し、下流に向かわなければなりません。そして、主が帰って来られる道を用意させていただきたいと願います。先ほど読んだエレミヤ書六章十六節~十七節、



『主はこう仰せられる。「四つ辻に立って見渡し、昔からの通り道、幸いの道はどこにあるかを尋ね、それを歩んで、あなたがたのいこいを見いだせ。しかし、彼らは『そこを歩まない』と言った。また、わたしは、あなたがたの上に見張り人を立て、『角笛の音に注意せよ』と言わせたのに、彼らは『注意しない』と言った。』



四つ辻に立って見渡し、真理の道、幸いな道はどこか、自分自身においても、教会においても、国においても、歴史においても、しっかりと見渡す必要があります。そして六章十七節、「あなた方の上に見張り人を立てた。」と言うのです。そして、「角笛の音に注意せよ。」と主は語られました。



「あなた方の上に見張り人を立てた。」見張り人とは、現代における、「とりなし手」のことです。

そして、「角笛の音に注意せよ」と語られています。角笛は、どういう時に吹き鳴らされたのかというと、戦争の時に吹き鳴らされました。

しかし、国中に角笛が鳴り響いたのは、五十年に一度でした。それは、ヨベルの年の宣言でした。ヨベルとは、角笛のことですが、「ヨベルの年に注意しろ!」というのです。主は今日、世界の教会に「角笛の音に注意しなさい!」と語られているのではないでしょうか。

 今、主が、全世界にヨベルの年を宣言されようとしています。この時代に生きている私たちが、見張り人として、ヨベルの年を意識しながら、主が帰られる日を意識して生きるなら、水はさらに清くなります。

そして、始めは小さくても、必ず、それは、はなはだ大きくなると、主が語ってくださっていると信じます。



 勝利、感謝、主に栄光!と賛美しましたが、心からの感謝と共に、もう一度振り返って聖餐式を行います。ご一緒に祈りましょう。



 ハレルヤ。天の父なる神様、御名をあがめて心から感謝します。六十五年間、守ってくださったことを感謝します。主よ、決して、熱心さを失うことがないように。純粋さや正しさを失うことがないように、主から受け継いだものをさらに純粋にし、角笛の音に注意して歩むことができますように。イエスキリストのお名前で、父なる神様に祈ります。 アーメン。