『前進しなさい!あなたは大いなる御力を見ます』

2016年7月10日(日)
新城教会牧師 上條実
出エジプト記十四章十節~十五節

『パロは近づいていた。それで、イスラエル人が目を上げて見ると、なんと、エジプト人が彼らのあとに迫っているではないか。イスラエル人は非常に恐れて、主に向かって叫んだ。そしてモーセに言った。「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。』事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」主はモーセに仰せられた。「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。』

出エジプト記十四章二十九節~三十一節

『イスラエル人は海の真中のかわいた地を歩き、水は彼らのために、右と左で壁となったのである。こうして、主はその日イスラエルをエジプトの手から救われた。イスラエルは海辺に死んでいるエジプト人を見た。イスラエルは主がエジプトに行なわれたこの大いなる御力を見たので、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。』



ハレルヤ!主イエスキリストのみ名を賛美いたします。今日も共に礼拝を守れますことを感謝しています。

 今まで祈って来ました参議院選挙が今日行われています。私は教会に来る前に、祈りつつ投票してきました。投票がまだ済まれていない方は投票に出かけて下さい。今回の選挙のテーマは、「憲法改正」です。一つの政党が勝ったら、憲法改正に大きく動いてしまいます。どの候補、またどの政党に投票したらいいのかを、よく祈って決めて投票して下さい。クリスチャンの未来に関わる選挙だと思います。

 また先週の日曜日の夜、F姉のお母様が亡くなられました。そして火曜日の午前中に教会にて召天式を行いました。お母様の年齢はは九十五歳でした。ご主人と共にお二人で今年の三月、ご自宅にて洗礼を受けられました。ご家族の上に慰めと祝福がありますように、特別お父様の上に慰めがありますようにお祈り下さい。

 また週報を見ますとK宅の所に三人目の女の子が生まれたとの報告が掲載されています。お聞きするところによると、とても安産であり、なんと分娩室に入って三十分で生まれたそうです。特別母子ともに守られるように、ご家族の為にもお祈り下さい。

 もう一つご案内がありますが、全日本リバイバルミッションでは今年「四十七都道府県巡回リバイバルミッション」という集会を各地で行っています。今回第四弾として、今週火曜日より東北・関東地区で行われます。講師は平岡修治師。ゲストはティムケプラー氏、音響スタッフとして岩井寛兄が出かけて行きます。是非覚えてお祈り下さい。開催教会は

7/12(火) 福島県 キリスト愛の福音教会
7/13(水) 宮城県 グレース宣教会つばめさわ教会
7/14(木) 宮城県 西多賀聖書バプテスト教会
7/15(金) 岩手県 奥羽キリスト教センター
7/16(土) 青森県 青森バプテスト教会
7/17(日) 秋田県 緑の牧場教会大館チャペル
7/18(月) 秋田県 秋田カルバリー祈りの家
7/19(火) 山形県 鶴岡キリスト教会
7/20(水) 新潟県 新潟アッセンブリー教会
7/21(木) 群馬県 ニューライフクライストチャーチ
7/22(金) 栃木県 黒磯福音教会
7/23(土) 茨城県 コミニティーチャーチ
7/24(日) 神奈川県 大和カルバリーチャペル
               ブロッサムチャーチ

 となります。十三日間連続で集会が行われ、毎日の移動も大変です。講師の平岡先生とティムケプラー、また音響の岩井寛兄のためにお祈り下さい。そして多くの方々が集い、救いを頂く方が多く与えられように是非お祈り下さい。また交通事故や車が故障する事もないように祈っていただければ幸いです。

 では先ほど読んでいただきました出エジプト記の十四章から、学んで行きたいと思います。ここは皆さんがよくご存じの預言者モーセによって出エジプトした箇所です。それも紅海が二つに分かれたというとても有名な箇所です。

 しかしこのみことばを学ぶ前に、どうしても皆さんと確認しなくてはいけないと思います。それは新約聖書のヨハネ一章一節~三節に、

『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。』

私たちは聖書のことばは、全く偽りのないものであり、『ことばは神であった。』とあるように、聖書の一言一句神のことばです。マタイ五章十八節には、

『まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。』

とあります。聖書は天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。と言っています。すべてが神のことばです。そして聖書は必ず成就されるとあります。この聖書のことばは生きていて、必ず現実の世界で成就すると言っています。ですから、今日メッセージのテキストとなる出エジプト記も、現実に起きた事であり、今日もあなたに対して必要な言葉であり、主があなたに語り、生きて働いて下さるみことばです。そしてみことばは剣です。この剣をあなたが信仰を持って握る時、暗闇の力は打ち砕かれ、暗闇の支配者たちに、完全敗北を与える事のできる剣となるのです。また有名なたとえ話の種蒔きの例えを読んでみましょう。マタイ十三章二十三節、

『ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」』

 みことばは必ず成就すると先ほどお読みしました。そして種まきのたとえでは、みことばを聞いて悟る人は、実を結び、百倍、六十倍、三十倍の収穫を得る事ができると言っています。みなさんが毎週礼拝を守っています。そこで賛美と共に、聖書のみことばを、牧師が語っています。今日はつたない者がお話しさせて頂いていますが、あなたが神のみことばとして信じて受け入れるなら、みことばを悟るならその人は実を結び、百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶと言うのです。ですから、今日も私が語りますが、私のことばは全部忘れても結構ですから、みことばを信じ受け入れましょう。そうすれば百倍の恵みを下さると書いてあります。
 
 私が今年二〇一六年のみことばとして与えられたのは、以前も語らせて頂きましたが、イザヤ書五十五章八節~十一節です。今年私の心の支えにしているみことばです。

『「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。――主の御告げ。―― 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。』

 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高いとあります。そして雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤しとあります。この頃は暑い日が続き多くの雨が降り、ジメジメした鬱陶しい梅雨の季節ですが、雨が降ったら必ず、この地を潤します。そして芽を出し、花が咲き、実がなり収穫します。そのサイクルと同じように、主のみことばは必ず成就すると書いてあります。私は去年インターネットニュースを見ていて驚いた出来事がありました。南米のチリ、ペルー、ボリビアとアルゼンチンにまたがるアタカマ砂漠という、砂漠があります。

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 このアタカマ砂漠は「死への道」と呼ばれているそうです。それも世界で最も降水量が少ない地域で、乾ききった場所だと言われています。

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 乾ききった砂漠。死への道だというほど旅行者は大変困難な場所だそうです。しかし去年の3月、アタカマ地方には28人が死亡し、数千の家屋が破壊されるような、強烈な雨が降りました。これによってアタカマ砂漠にも大量の雨が降り、洪水まで起きました。砂漠の地表近くでは「冬眠」していた200もの固有種を始めとした種が一斉に、芽吹き、花開したのです。

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 なんと乾ききっていた所に、一面花が咲き乱れて、花園になったのです。

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 私は今年このことが日本に、教会に起こるように期待し、祈っています。早く主が、大きな業を見せていただきたい。乾ききって、死の道の道も、一日で七年分の雨が降ったのと同じように、今も生きている、神の業を見せて頂きたいと願っています。

雨や雪が降り、それが元に戻らず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与えるというみことば。またみことばを悟ったら百倍の祝福を下さるというみことば信じて生活していきたいと願います。私たちが今まで神に祈ってきたこと、今まで奉仕してきたこと、神に仕えてきたことは絶対に無駄ではない。必ず主は答えをくださり、すばらしい奇跡を見せてくださる。死の道のような状態であろうと、神の時が来たならば、天地を造った創造者、また全能なる主が、私たちのプランを飛び越え、神のすばらしい祝福を与えて下さる。花園にして下さるとあります。今日このみ言葉をしっかりと信じ、悟り、百倍、六十倍、三十倍の祝福。収穫を頂きましょう。
 先ほども聖歌の「驚くばかり」を賛美しましたが、有賀喜一先生がよく、「驚くばかり」というのは、びっくり仰天するほどの恵み!という意味だとメッセージで語られています。今日期待しましょう。みことばは必ず成就します。

 では最初に読んで頂きました出エジプト十四章に戻って学んで行きたいと思います。エジプトで奴隷生活を強いられ、苦しんでいたイスラエルの民が、出エジプトしました。この時イスラエルの民は男だけで六十万。と言う事は女性、子どもなどを含めれば二百万とも三百万人とも言われます。

 出エジプトした時の、イスラエルの民の経路が分かる地図があります。

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 その中で先ほど読んでいただいたみことばは、紅海の場所です。イスラエルの民はモーセを先頭に旅を始めました。出エジプト記十四章一節から二節

『 主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に、引き返すように言え。そしてミグドルと海の間にあるピ・ハヒロテに面したバアル・ツェフォンの手前で宿営せよ。あなたがたは、それに向かって海辺に宿営しなければならない。』

主が、ピ・ハヒロテに面したバアル・ツェフォンの手前で宿営せよ。あなたがたは、それに向かって海辺に宿営しなければならないと言われました。ある考古学者はこの二百万とも三百万人とも言われる人々が宿営するところができる浜を、アカバ湾の西側で探してみました。アカバ湾の西岸は山が海まで押し迫り、切り立っていますが、たった一箇所だけ広々とした浜があります。それは、今日ヌウェイバの浜と呼ばれていて、東西に4キロメートル、南北に6キロメートルの広さがあるそうです。

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 エジプトからアラビアに向かう道の途中から南に分かれる道があり、途中から山間部のワジが形成した隘路に入り、その行き着いたところが、この浜でした。

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出エジプト記十四章五節から九節
『民の逃げたことがエジプトの王に告げられると、パロとその家臣たちは民についての考えを変えて言った。「われわれはいったい何ということをしたのだ。イスラエルを去らせてしまい、われわれに仕えさせないとは。」そこでパロは戦車を整え、自分でその軍勢を率い、えり抜きの戦車六百とエジプトの全戦車を、それぞれ補佐官をつけて率いた。主がエジプトの王パロの心をかたくなにされたので、パロはイスラエル人を追跡した。しかしイスラエル人は臆することなく出て行った。それでエジプトは彼らを追跡した。パロの戦車の馬も、騎兵も、軍勢も、ことごとく、バアル・ツェフォンの手前、ピ・ハヒロテで、海辺に宿営している彼らに追いついた。』

 なんとパロはイスラエルの民を去らせた事を後悔し、怒り狂い、自身で軍勢を率い、えり抜きの戦車六百とエジプトの全戦車を出してイスラエルの民を追いかけました。そして海辺に宿営している彼らに追いついたとあります。

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 この写真は山側から紅海を望んだ所です。谷を入って進んで行くと浜があります。先ほどお読みした所では、エジプト兵は谷を埋め尽くし、イスラエルの民は逃げ場がない状態となっていました。前は海、そして後ろはエジプト兵。どこにも逃げ場のない地形。袋小路にはまってしまいました。出エジプト記十二章三三節から三九節

『エジプトは、民をせきたてて、強制的にその国から追い出した。人々が、「われわれもみな死んでしまう。」と言ったからである。それで民は練り粉をまだパン種を入れないままで取り、こね鉢を着物に包み、肩にかついだ。イスラエル人はモーセのことばどおりに行ない、エジプトから銀の飾り、金の飾り、それに着物を求めた。主はエジプトがこの民に好意を持つようにされたので、エジプトは彼らの願いを聞き入れた。こうして、彼らはエジプトからはぎ取った。イスラエル人はラメセスから、スコテに向かって旅立った。幼子を除いて、徒歩の壮年の男子は約六十万人。さらに、多くの入り混じって来た外国人と、羊や牛などの非常に多くの家畜も、彼らとともに上った。彼らはエジプトから携えて来た練り粉を焼いて、パン種の入れてないパン菓子を作った。それには、パン種がはいっていなかった。というのは、彼らは、エジプトを追い出され、ぐずぐずしてはおられず、また食料の準備もできなかったからである。』

イスラエルの手に持っていたものは、エジプトから銀の飾り、金の飾り、それに着物。そして練り粉を焼いて、パン種の入れてないパン菓子のみでした。戦う武器など持っていなかったのです。逆にエジプトは準備万端でした。戦車や様々な武器を持っていました。イスラエルは絶対に勝つ事のできない状況でした。絶対絶命でした。

出エジプト記十四章十節~十一節に、

『パロは近づいていた。それで、イスラエル人が目を上げて見ると、なんと、エジプト人が彼らのあとに迫っているではないか。イスラエル人は非常に恐れて、主に向かって叫んだ。そしてモーセに言った。「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。』

 もし、みなさんが、本当にイスラエルの民と同じように、こういう場所で、この手前側から、戦いの部隊が来たならば、死を覚悟せざるを得ないと思います。あきらめ状態、お手上げ状態です。エジプトにいた時も、様々な神の奇跡を見、体験してきましたが、イスラエルの民は「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。」と叫んだのです。

そして十二節には

『私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。』事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」』

絶体絶命。イスラエルの民が言った事は「エジプトに残ったほうが良かった。」と立ち止まるばかりか過去を振り向き、泣き叫んだのです。しかし先ほど読んでいただいたように、出エジプト十四章十三節から十五節

『それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」主はモーセに仰せられた。「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。』

恐れるな。主があなたの為に戦われる。前進せよと言ったのです。イスラエルの民の胸中は恐れで一杯だったでしょう。もうこうなったら再度エジプトの地で奴隷となっていた方がましだと訴えています。私も信仰生活の中で同じ事を行っているかも知れません。

 イスラエルはまさに、アタカマ砂漠の死の道のように、絶対絶命。最期の時を迎えているような状況でした。出エジプト記十四章十四節~十五節、

『主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」主はモーセに仰せられた。「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。』

と書いてあります。リビングバイブルで十五節を見ると、出エジプト記十四章十五節(リビングバイブル)、

『神様はモーセに命じました。「さあ祈るのはそれくらいにして、人々を前進させなさい。』

と書いてあります。祈るのはそれくらいにして「行動を起こせ」「前進しなさい」と預言者モーセに言いました。そして神はモーセに、十六節

『あなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、イスラエル人が海の真中のかわいた地を進み行くようにせよ。』

と言いました。前に進む事ができない状況にも関わらず、神が直接前進するのではなく、モーセにあなたが「あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けろ」と言っています。人であるモーセに、あなたがしなさい。あなたが行動しなさいと言い、モーセは杖を、自分の力で海に差し出したのです。すると紅海が真二つに分かれたのです。人に前進したら神が奇跡を表すのだと示して下さいました。

 私は、今回紅海がどのくらいの距離があるのかなと調べてみました。先ほどの考古学の学者が調べた所では、なんと約二十七キロから二十八キロくらいの距離があったとの事です。それも海底が渇いていて、その陸地を渡ったとも書いてあります。素晴らしい奇跡を神は起こして下さいました。両側に水の壁ができ、その真ん中を進んだのです。そして出エジプト記十四章十三節

「あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。」

と言う事が現実となり、完全にエジプトから解放され、完璧に自由となったのです。では今日このような事が、私たちの前に起きるでしょうか?病気で苦しんでいる者、家族の救い、問題、人間関係、経済的問題など祈っても動かない問題。苦しんで、もうダメだと諦めてしまっている事柄に神の奇跡が起きないでしょうか?

 皆さんに是非お祈りして頂きたいのですが、若い兄姉の結婚に関してです。良いパートナーを与えて頂きたいと願っていながら動かず、祈り続けている方もいるかも知れません。本当にどうして神様はすぐに答えてくれないのだろうかと思います。

悪魔悪霊は、私たちクリスチャンに対して働き、私たちを失望させてきます。そして後ろを振り返り、クリスチャンでなかったらもっと出会いの場所があったんじゃないの?クリスチャンでなかったら、もっと解決したんじゃないの?もっと楽じゃないのと後ろであるエジプトを見させるのです。不信仰を抱かせ、神の力を見させずに、束縛の場所エジプトを見せるのです。祈って来た事を諦めさせ、聖書が読めなくなり、祈れなくなる。みことばを神のことばとして受け入れる事ができなくなり、苦しみの中で生活をする事が当たり前のように思わせてきます。

 イスラエルの民は最悪な状況。目の前は紅海、後ろはパロの軍隊で絶対絶命の時に、主が語ったことは、「祈りはそれくらいで良いから、前進するように言え。」と語りました。

今日も神はみことばであなたも「前進しなさい。」「前進しなさい。」と語っていると信じます。悪魔悪霊は問題等を見させ、私たちをあきらめさせ、問題を砂漠の砂の下のほうに埋めさせ、無理だ!立ち止まり、あきらめさせて来ます。主は、「前進していきなさい。」と語っています。有名なみことばで、ルカ一章三十七節に、

『神にとって不可能なことは一つもありません。』

というみことばがあります。また、ヤコブ四章七節~八節、

『ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。』

とあります。神に近づきなさいとか、従いなさいとあります。不可能な事は一つもないと言っています。このヤコブの四章をリビングバイブルで見ると、ヤコブ四章七節~八節(リビングバイブル)、

『ですから、神様の前に謙そんになりなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。悪魔はしっぽを巻いて逃げるでしょう。神様に近づきなさい。そうすれば、神様も近づいてくださいます。罪ある人たちよ。罪の生活から足を洗いなさい。純粋で真実な心の持ち主だと認めていただけるように、神様への思いで、心を満たしなさい。』

とあります。へりくだり。へりくだれと語っています。自分は何もできないが、神は何でもできる。自分で何とかしようと思い、握りしめていた部分を離し、神の前にへりくだって、神にのみ頼りましょう。今日、もう一度「神様は全能なる主である!」私のために十字架にかかり、葬られ、三日目によみがえってくださった方。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けて下さった。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つないとあるように、また私を愛して、「あなたは高価で尊い存在だ。」と言って下さっている主に目を向けていきたいと思います。ヤコブ四章七節~八節、

『ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。』

の八節の所で『神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。』とあります。「神に近づきなさい。」です。先ほどは、「前進しなさい。」です。一歩、あなたのできる範囲で近づく、前進する。とにかく今は前進する事です。とどまっていてはいけません。主が「戦ってくださる」とありましたが、私たちはただ、前進するのです。宣言するのです。弱い者ですけれども、私たちは前進、宣言する時大きな勝利を見ることができます。

ヤコブ四章八節で、あなたが近づいたら「神はあなたがたに近づいてくださる。」とあります。あなたができる範囲で良いのです。前進しましょう。あなたが小さな一歩でも神に近づいたら、神さまは近づいて下さいます。神さまが動いて下さる方法は、まずあなたが神に近づく事から始まります。今日、前進しなかったら、今の問題は解決しません。できる事を前進しましょう。主に一歩前進して近づく時に、神はすばらしい勝利を与えてくださいます。

 最後に写真を見て頂きたいと思います。これは紅海の海底写真です。

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 ただの珊瑚礁のように見えるかもしれませんが、不思議な形をしていますよね。あれは下から車輪の軸で、上が車輪なのです。そこに珊瑚礁が付いているのです。もう一枚

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車輪が見えると思います。無理だと思うことでも、神にとっては不可能なことは一つもないのです。確かに歴史上、素晴らしい奇跡を主は見せて頂きました。その跡が今でも見る事ができます。最後にマタイ七章七節~十一節のみ言葉を読んで終わりにしたいと思います。

『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。』

 悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょうとあります。あなたがこうなって欲しいと願っている事は必ず成就します。望んで、求め、前進しましょう。求めましょう。神に求めましょう。

 今から聖餐式を行います。あなたのために命をかけて、救いを完成して下さった神に期待して頂きましょう。愛して下さっている神さまに、求めましょう。まず一歩信仰により神に前進して、近づいてこの聖餐をいただきましょう。お祈りします。


 愛する天のお父様。あなたは今も生きておられる事を信じます。あなたは全能の神です。しかし祈ることを止めてしまい。あきらめきってしまった自分を赦してください。問題などに目を奪われてしまい、諦めていた事をお許しください。今日は前進します。前進する力を与えて下さい。神に近づきます。どうか神さまが近づかせてください。あなたのみことばを信じます。今も生きているみことばを信じます。わたしに百倍の祝福を下さい。みことばを成就させてください。この日本に百倍の祝福、リバイバルの業を起こして下さい。暗闇の力を打ち砕いて下さい。今日から私は、あなたに前進させていただきますから、絶体絶命のような状況であっても、神によって、すばらしい祝福、砂漠が花園になるような、圧倒的な勝利を見せてください。すべてそこに働く暗闇を打ち砕いてください。勝利を信じます。主イエスキリストのみ名によってお祈り致します。アーメン。