『困難な時代」に勝利する教会になろう!パート2』

2016年7月24日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
ヨハネの黙示録1章4節~13節

『ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。常にいまし、昔いまし、後に来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。神である主、常にいまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」
私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。
その声はこう言った。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに送りなさい。」そこで私は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。それらの燭台の真中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。』


ハレルヤ、おはようございます。
ヘブンリーキングダムのすばらしい賛美を聞かせて頂きました。彼らは九月にコンサートを控えておりまして、昨日は撮影があったみたいです。ある方がフェイスブックに写真をあげていましたので拾ってきました。

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森の中から白い集団が出てきたら、少し怖い感じがしますけれど、どんな仕上がりになるのか楽しみです。すばらしいコンサートになると思います。
先週は「レッツプレイズ」という、中高生の集会がありまして、「EYS」という、イケメン青年たちが来てくれました。中高生たちがきゃーきゃーと大変でした。メンバーの中には芸能界にいた人もいて、私もイケメン集団に入れてもらって写真を撮ってもらいました。

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やめた方がいいとは思ったのです。彼ら、かっこよかったです。中高生たちが二百人近く来ました。ハンバーガー・パーティでは、一人五つぐらい食べていました。福音もバッチリ聞いて、一緒に祈り、霊的戦いの剣を受け取って帰っていきました。

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レッツプレイズという集会は、二十年以上続いています。先週も話しましたが、霊的戦いが始まる以前、中高生集会をやっても五、六名ぐらいしか新しい人がきませんでした。しかし地域をとりなすように主から示されて、悪しき力が打ち破られるように祈れと語られて、祈りの後にレッツプレイズを開催したら、八十名もの新しい子どもたちが来ました。私はびっくりしました。これは絶対に主の働きだと思う反面、偶然だとも思いました。私はすぐに実験するほうです。もう一度やってみました。そうしたら、第二回目は百名程来ました。以来、二十数年、時代が変わってもその祝福が続いています。これは霊的戦いの勝利を示す、主からのしるしだと信じています。日本に必ず、リバイバルを起こしますよという、神様からのサインだと、レッツプレイズの度に思います。

皆様のお祈りに支えられ、ネパール宣教もすでに始まっています。先週は、先発隊の三名が現地に出かけていきました。今は山の上に拠点を作って、いろいろ作業をしていると思います。現場監督の剛さんと二人の青年達が役に立つかどうかは知りませんが、すでに現地に入っています。

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現地の建材屋さんに行って、日本の現場監督が品定めをしています。水の浄化システムを作るためにも、いろいろ資材を購入しています。雨で道路があまりよくないみたいで、日本から持ち込んだ荷物を担いで登らなければなりません。

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手前のお兄さんは、たぶん、ポーターだと思います。ポーターがこの大きい荷物を担いで、山を登ります。五時間ぐらいかかるところを、ほんの二時間ぐらいで登ってしまいます。本当にすごいです。今週から、我々が行くことになります。ぜひとも祈ってください。
 今回、私も、ちょっと戦いがありました。足と手が痛くなり、無理かなと思いました。
 今朝、数人の子どもたちが私のところに来て深刻な顔をして、「順先生大丈夫か?」と聞くんですね。「何が?」と聞くと「手と足は大丈夫?」と言うんです。「どうして?」と聞いたら、「昨日、ホサナクラブで祈ったから」と言いました。「今日は大丈夫だよ」と答えました。すると、「それは、よかった」と言って、去っていきました。彼らの深刻な顔を見て、びっくりしました。祈りは本当に支えになります。みなさんの手元に、祈りのしおりが配られていますので、どこかに貼って祈って下さい。また朝と晩の7時にアラームをセットして祈って下さい。
 先週、私は昼断食祈祷を一週間やりました。昨日は最終日でした。やはり最終日にはサタンが来ます。荒野の誘惑がありました。「石をパンに変えてみろ」というような、誘惑でした。
昨日あるところに行ったら、お昼にすごいごちそうが並んでいました。そうしたら「食べろ」って言うんですね。私は言いました。「私は断食中だから食べない」と言うと、「何日やってきたの?」「もう七日間やったよ」「一回ぐらいご褒美に食べなさい」と言われました。これは誘惑だと思いました。ここで負けたら全て崩れちゃうと思って、頑張って断りました。イエス様の気持ちがちょっぴりわかった気がしました。一食でもささげて、主の前に祈るのは大切です。
 三浦綾子さんが祈りについて、このように語っています。

「祈りというものは不思議なものだとつくづく思う。朝起きて一分祈る人、五分祈る人一時間祈る人と、時間は別々だが、時間を多く祈る人ほど、その祈りの時間を増やしていく。一日も欠かすことがない。反対に祈る時間の少ない人は、毎日祈ることを次第に辞め、三日に一度、十日に一度、というように遠くなって、ついには祈ることを辞めてしまう。歴史上の信仰者達を見ても、大きな仕事をした人ほど毎日長い時間かけて祈っている。こうした人たちは例外なく、多忙な人たちだ。ところが、祈りの少ない人ほど、不思議に暇があるのである。忙しくて祈れないと言う弁解は、どうやら成り立ちそうにないのである。」

どうですか、忙しくて祈れないと言いますが、案外暇があるんですね。「祈る時間がない」というあなたは暇人です。しかし偉業を成し遂げる人は忙しい人たちです。ドキッとしますね。この一週間は特に祈って下さい。私たちが無事に帰れるかどうか、みなさんの祈りにかかっています。

先週も話しましたけれど、以前ケニアに行って警察に捕まったことがあります。もうちょっとで、刑務所に入れられるところだったです。その時、誰と一緒にケニアに行ったかというと剛君と一緒でした。私が主犯、彼が共犯者でした。彼が被写体でしたから。それ以来、彼と一緒に海外に行くことはなかったのですが、今回、一緒なので、不安だよなと話しました。宣教は多少リスクがあっても、続けなければなりません。

今日も、「困難な時代に勝利する教会になろう」というテーマでお話しをさせて頂きます。
日本も世界も、楽しいことよりも、困難の方が多いと思います。先週ニュースを見ていたら、最近は新聞をやめてネットニュースを見ていますが、こんな記事がありました。

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『三歳児お腹がすいて盗んだ。両親は借金背負い不在。』

三歳児です。うちの孫にも4才のがいますけども、お腹がすいて盗む子どもたちが増えています。本当に悲しいです。困難な時代が来ています。ネパールだけの話しではありません。日本にもこういう時代が来ています。
教会は詳しく聖書のみことばを学んできました。多くの聖書知識を持っています。しかしこれからは、真理を知っている者達が、真理を知っているだけではなく、偽りに満ちた現代社会に真理を向けていかなければいけない時代です。社会を変える事が出来るとしたら、唯一、真理を知っている者たちの祈りにかかっています。今まで教会に時間を与えて、神のみことば、真理を知らせたのは、この時代に対応するためだと信じます。私たちは真理にしっかりと立って、偽りに満ちた現実を直視して、祈りによって、勝ち取る者にならなければなりません。教会には、その使命が与えられています。

先週も黙示録の中から、学ばせて頂きました。黙示録はどういう書かというと「手紙」です。手紙をもらったことがありますか?この頃手紙が減りました。すべてEメールになってしまいました。あまり味気がないです。手紙には、必ず差し出し人と、受取人がいます。聖書も差し出し人と受取人がいます。黙示録は差出人は誰かと言ったら、十字架に勝利した、みがえりのイエス様です。
そして受取人、宛先が誰かというと、教会です。先週もお話ししましたけれども、七つの教会に対して宛てられた手紙です。ペンテコステから教会が広がっていましたから、教会は七つだけではありませんでした。イエスを主と礼拝する教会は、当時、結構増えていたと思われます。しかし七つの教会に宛てられたというのは、七とは神様の数字で完全数です。七つの教会とは、意味合い的には、「教会はすべて神のもの」ということを意味します。今日、私たちがこうして集っている教会も、すべて神様のものです。という事は、七つの教会に宛てられたメッセージは、イエス・キリストを礼拝する、世界中の教会に対する手紙ということです。よみがえりのイエス様から、新城教会にお手紙が届いたということです。そのような視点で、黙示録に接していかなければなりません。一章の四節から十三節を見ていくと、「この手紙はヨハネからアジアにある七つの教会、今いまし、昔いまし後に来られる方から、その御座におられる七つの御霊から」とあります。
よみがえりのイエス様が、ヨハネに託して七つの教会に送られたのです。一章の五節に、「また忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから恵みと平安があなたがたにあるように。キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放って下さった」とあります。ここに「イエス・キリストから恵みと平安があなた方にあるように」と書かれています。

新城教会にイエス様が送って下さった手紙、最初にどのように記されているかというと「新城教会に恵みと平安があるように」となっているはずです。

案外、私たちは黙示録は怖い預言書のように考えますが、「恵みの書」だということです。恵みと平安があなた方にあるように、これが教会に対して、神の持っておられるご意志です。今日、教会に集う私たちに恵みと平安があるようにと、主は、語って下さっていることを覚えたいです。
六節を見ると、「また私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司として下さった方」と記されています。私たちを王国として下さり、祭司という立場を与えて下さっていると言うのです。信じられないぐらいすばらしい祝福を、私たちに与えて下っています。
七節には「見よ。彼が雲に乗ってこられる。すべての目はことに彼らを突き刺した者たちが彼を見る。地上の諸族はみな彼のゆえに嘆く、しかりアーメン」と。

イエス様はやがて帰って来られます。かつてイエス様を十字架に付けて突き刺したような者たちが、まさしくイエス様が救い主だったという日が来ると言うのです。世界中の人たちがイエスが主であることを知る日が来ます。
八節にあるように「わたしはアルファであり、オメガである。」これは英語のAとZと同じです。最初と最後を現します。始めであり終わりであるイエス様が、私たちのところに帰って来て下さるのです。
一章の十節にこんな言葉があります。

『私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた』

 黙示録は“主の日”に語られた言葉です。今日は主日礼拝です。何気なく、礼拝を守っていますけれど、この日を主は覚えておられます。主の日、よみがえりのイエス様を礼拝する日です、この日にヨハネは御霊に感じたのです。日曜日に何気なく礼拝に集っていますが、一週間七日制はヨベルの年に繋がるとお話しをさせて頂きましたが、今日この日、主が私たちに語りかけて下さる日なのです。
 教会に集うとき、御霊に感じる特別な日であることを心に留めてお集まり下さい。その時に、主の声を聞くことが出来ると思います。ヨハネは主の日に御霊に感じたのです。一章十一節、

『その声はこう言った。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに送りなさい。」

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 七つの教会に送りなさいと言われました。黙示録が七つの教会に送るようにと言われたのは、先ほども語ったように、現代を生きる教会全てに手紙を届けなさいと言う意味に他なりません。
 私たちはよみがえりのイエス様から届いたこの手紙を、慎重に受け取り学ぶ必要があります。今の時代はどういう時代なのか、以前に学びました。聖書を一つの大きな物語として捉えるとよくわかると、神学カフェで教えてもらいました。聖書全体のストーリーは、

一 世界の想像
二 人間の堕落
三 イスラエルの物語
四 イエス・キリストの物語
五 教会の物語
六 新しい世界の到来

という流れです。六つの流れを頭に入れておいて、聖書を読むとたいへんわかりやすいと思います。聖書は天地創造から始まるのですが、その後、アダムとエバが堕落し、イスラエルが神から選ばれて、そこからイエス様が生まれます。
 その後、教会が生まれます。そして最終的には新しい世界が到来するのです。今、私たちは六つの区分の中で、五番目の「教会の物語」の中を生きています。旧約聖書を読むと、「この時代に生まれなくて良かったな・・」と思うところもあります。しかし聖書を全体から見ると、時代、時代に役割があったということです。今は教会の時代で、最大の役割が、与えられています。

まもなくオリンピックがありますが、オリンピックの花形は陸上競技です。今回は、ロシアが出られないということで、面白くないですが、ドーピング疑惑でオリンピックが揺れていますね。しかしあれも経済という視点で見ないと、わかりません。
実はブラジルを中心に、ロシア・インド、中国、そして南アフリカがブリックス(BRICS)という新しい経済システムを作りました。それに対して反発している人たちがいます。ジカ熱ですが、蚊が媒体で小頭症が産まれると言われます。マスコミは「危ない、危ない」と言っています。でも、今ブラジルは季節が真冬なんですね。蚊なんてほとんどいません。南半球ですから。私たち北半球は暑いので蚊がいますが、南半球は冬で蚊なんてあまりいません。それなのに「蚊がいるぞ。蚊がいるぞ。」なんて脅かしています。

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話を戻すと、トラック競技で一番白熱するのは、やっぱりゴール寸前です。私たちも同じです。教会はゴール寸前、聖書の世界で、最も白熱した時代を走っています。ですから黙示録でも語られているように、目をさまさないといけません。眠りから覚めなければならない時が来ています。

ある親孝行の息子が牧師に言いました。「すみません、教会の椅子を一脚分けてもらえますか?うちの親父は不眠症なんですが、教会に来るとぐっすり眠れるみたいなんです。だから教会の椅子はすばらしいです。一脚、分けてもらって家に置きたいのです。父をそこに座らせて、ぐっすり眠らせて上げたいんです。」 その教会の牧師も親切で「いいですよ。分けてあげますよ。でも、快眠のためにもう一つ、私のメッセージテープを付けましょう。」

実は先週、面白いニュースが出ていました。授業中とか会議中とか、居眠りをするのは日本人だけだそうです。そういえば、私も海外で奉仕しますけれど、寝ている人はほとんどいません。日本の教会では、眠っている人も時々おられますが、今はみなさん起きておられます。ペルーに行って奉仕しても、寝ていませんでした。
なぜかというと、日本には子どもの頃にお母さんが、添い寝をする習慣があるからいけないとありました。添い寝をすると子どもが不眠症になるそうです。それで居眠りするそうです。日本人ののろいみたいですね。
 しかし、信仰的には目を覚ましていないといけません。今の時期がどういう時期か、しっかり知っておかなければなりません。

 七つの教会はイエス様の教会、神のものでした。しかし、イエス様が直接七つの教会に書いたメッセージはよく読んでもらえばわかりますが、結構、厳しいです。ご自分のものにもかかわらず、評価は厳しいです。賞賛もされていますが、いろいろ文句を言われています。かいつまんで見てみたいと思います。

 エペソの教会、エペソは霊的戦いも始まり、リバイバルが起こったすごい教会でした。しかし二章の四節、五節を見ますと

『しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。』

 いや、厳しいですね。

次のスミルナ教会、二章十節

『あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。』

 十日間牢屋に入れられて、苦しみを受けるとか、死に成るまで忠実であれとか、イエス様から面と向かって言われたら、それだけで倒れて死んでしまいそうです。

次の、ペルガモ教会は二章二十節から十四節。

『また、ペルガモにある教会の御使いに書き送れ。『鋭い、両刃の剣を持つ方がこう言われる。「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行なわせた。」

 ペルガモの教会も賞賛はされているけれど、一方では非難されています。イエス様は教会に対して、かなり厳しい視点を持っておられます。
 特にこのペルガモ教会には「あなたの街にはサタンの王座がある」と語られました。こんな街に住みたくないと思います。ペルガモという街は、ローマの統治下において、多神教のヘレニズムの街でした。そこでは何が行われていたかというと、多神教の神々の目の前で、動物の首を切って血を流し、悪霊どもにささげる行為がなされていました。
 そこに「サタンの王座がある」と言われたのです。今回私たちが行くネパールは、ペルガモと同じような場所です。

二〇〇七年に私は初めてネパールに行きましたが、たいへんショックを受けました。

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この写真ですが、ある一つの寺院に行ったら、みんな生きた鶏とか山羊を連れてきていました。カーリーという、ヒンズーの神の前に持っていって、首を切って殺すのです。血を流して悪霊にささげるのです。超気持ちが悪いです。毎日、何百頭というヤギや鶏が、悪霊にささげられています。辺り一面、血の海です。家内が一緒に行きましたが、吐きそうになっていました。私はこういうのも結構大丈夫で、近くでビデオも撮ってきました。今日流すのは止めておきます。ネパールもペルガモも同じで、サタンの王座があると思われます。ある意味でアジアのサタンの王座はネパールだと思われます。歴史的に見ても宗教学的に見ても、ネパールは根源です。そこで宣教活動がなされることは重要です。また、福音は「貧しいものに対する福音」ですから、アジアで最も貧しい国に行って福音を伝える事は重要です。それは教会の使命だと思います。

 教会は一生懸命やっているのですが、神様からはきついこといわれています。次のテアテラ教会、二章二十節を見ると、

『しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行なわせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。』

 ここも非難されています。
 サルデス教会も言われています。三章一節、二節

『また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行ないが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。』

 この教会は、イエス様の目から見たら「死んでいる」と言うのです。きついですね。
 次に、ラオデキヤ教会を見てみたいと思います。三章十四から十六節。

『また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。』

こんなひどい言葉を言われているんですね。
 六つの教会を見てきましたが、すべて小言を言われています。それもちょっぴりの小言というよりも、かなり厳しいこと言われているのです。
 ここから何が言えるのかというと、教会はそれだけ神様が期待しておられるということです。案外、私たちは気軽にクリスチャンをやっていますが、神様は教会に大きく期待されているということです。ですから、述べられている小言も、真摯に受けとめなければいけないのです。末の日を受け持つ教会として、しっかりしなくちゃいけないと思います。

 聖書には一つの流れがあると言いましたけど、聖書全体のストーリーは女と蛇の戦いから始まります。それは、教会と龍の戦いでもあります。そして、黙示録にいくと、「子羊の王国」と「獣の王国」との、はげしい戦いとして描写されています。
 女とはエバですが、やがて複数形となって、キリストの花嫁である教会を指します。教会が龍と戦う最前線なのです。教会をどのように聖書から捉えるかは重要です。それを知ると、教会になぜ厳しいことが言われるのか分かります。なぜなら、教会は最前線なので、厳しいことを言われるのです。

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最前線を「フロントライン」と言いますが、戦争に行って最前線に配備された人たちには、きれい事は通用しません。上官からの厳しい指揮がないと命に関わります。教会は敵の最前線にあるということを、しっかりと理解しなければなりません。
 今の時代、混沌とした時代になっていますが、これは決して人間対人間の戦いではありません。「子羊の王国」対「獣の王国」のガチンコ勝負です。教会は激しい戦いのただ中にあるのです。

 今世界では、IS問題、テロ問題があったり、様々な問題が起きています。これは本質的には、獣の王国が子羊の王国に対する挑戦です。教会は霊的戦いのフロントライン、最前線に置かれているのです。ゆえに主は、「しっかりしてくれ。命に関わるぞ。」と厳しい言葉をかけておられると思います。これは私たちの命というよりも、世界の歴史に関わる戦いです。
以前にもお話ししましたが、新約聖書で教会のことを「エクレイシア」いいます。エクレイシアは教会という意味もありますが、当時は一つの民衆の集会でした。それをモデルにして、イエスを主としている人たちの集会とはよく似ているということで、その団体をエクレイシアと呼んだわけです。同じ言葉を使ったということです。

『エクレイシアとは教会を意味する語であり、それゆえ、新約聖書の中で最も重要な語の一つである。元々、エクレイシアは民衆の集会であった。この集会は行政官を選び、免職し市の政治を支配した。宣戦を布告し、講和を行い、条約や同盟を結び、将軍やその他の軍隊の将校達を選び、様々な遠征に軍隊を割り当て、市から派遣し、すべての軍事的作戦行動の最終的な責任を負っていた。』

それが当時のエクレイシアでした。その市民団体とキリスト者の集まりはよく似ている事から、エクレイシアという語が、教会を指す言葉として採用されということです。そこには、軍事的な要素がありました。七つの教会に対して、イエス様が結構厳しいことを言われている背景に、教会の本質と使命が関わっています。教会は本軍事基地であり、最前線なのです。
特に第四コーナーを走る教会はこのことを、しっかりと理解しないといけません。それは日本の歴史にも、世界の歴史にも関わる大きな事です。私たちが目を開いて、時代を鋭く分析して、祈りのくさびを打ち込むなら、世界は変わります。

しかし、何の小言も言われなかった教会が、フィラデルフィア教会です。先週は、そのことを話しました。三章七節から十七節を読みたいと思います

『また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。
「わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。
見よ。サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たちに、わたしはこうする。見よ。彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを知らせる。
あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。
わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。』

 最近、黙示録が詳しく研究されて、「教会は困難な時代を通過する。しかし、その困難な中で、勝利するのが教会だ」という理解が深まってきました。患難の前に助けて欲しいと個人的には思いますが、聖書を冷静に、しっかり読んでいくと、教会は末の日の様々な困難の中に突入するけれど、そこで戦って勝利を得る場所だと思い始めました。患難期前に教会は助けられるという考え方は、十九世紀から始まりました。それ以前教会は、困難な中に入っても、戦っていくのが教会だと信じていたそうです。しかし十九世紀ぐらいから、楽観的な考え方が教会に入ったと言われます。どの説を採用するのかは、慎重にしなければなりません。しかし末の日は困難な日が来ますとイエス様も言われました。
 ある意味、私たちはすでに困難な中に入っているかもしれません。先週も少し話しましたけど、日本は憲法改正に大きく動いています。最近の政府の動きを、憲法改正という視点で見るとわかるような気がします。先々週、天皇が生前譲位したいと言いました。この情報も怪しいです。それも憲法改正のための準備です。平和のシンボルの天皇を国家元首とはできませんから、現在の皇太子が天皇になった時点で、新しい憲法にしようとする動きです。天皇は究極の政治家です。
 先週は、さっそく皇太子一家が奈良県の神武天皇陵に参拝に行きました。何気なくニュースを見たかも知れませんが、神武天皇は天皇家の根源です。しかし、それは架空の存在です。二千数百年前の天皇ですから、縄文時代の人物となります。天皇制があったはずがありません。
 神武天皇陵は、明治時代にわざわざ、百万人以上の学徒を動員して、何にもないところに古墳作り、神武天皇稜を作ったのです。そこに皇族が拝みに行くようになり、国民は神武天皇が実在した人物のように騙されたのです。
 先週は、皇太子一家が神武天皇陵を参拝に行きました。憲法改正により、日本の歴史が大きく変えられようとしています。すでに困難な時代の中にあることを知って、祈らなければなりません。

 この獣の王国は、聖書では「大バビロン」として表現されています。大バビロンについて、黙示録十八章を見ると、

『彼らは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、こう言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。力強い都、バビロンよ。あなたのさばきは、一瞬のうちに来た。』また、地上の商人たちは彼女のことで泣き悲しみます。もはや彼らの商品を買う者がだれもいないからです。商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、香木、さまざまの象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具、また、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、麦、牛、羊、それに馬、車、奴隷、また人のいのちです。』

 大バビロンが世界に出現するというのが、聖書の預言です。大バビロンがどこに出現するかというと、「もはや彼らの商品を買う者がいない」とあるように、経済界に形成されるのです。それも、グローバルな経済活動のただ中に、大バビロンが出現するのです。今、TPP協定などが結ばれようとしています。

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ダニエル書も足首が鉄と粘土が混じった、強い国と弱い国が混じっている時代を告げました。それは経済協定により、国々が国境を越えて一つになる時代を預言しています。TPPなど、まさにそうだと思います。この十二カ国、強い国も弱い国も、言語違えば宗教が違う。しかし、商品が売れるならば、国境も関税も全て取っ払ってしまいましょう、という感じです。

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 以前にも、話しましたけれど、TPP条約は各国の国内法よりも上になります。日本の国内法は、関係なくなります。しかし、悔しいことにTPP条約の上に、アメリカの国内法が乗るのです。アメリカの国内法の下にTPP条約がきて、その下に、日本の国内法が来るのです。これでは日本じゃなくなります。国さえも奪われます。誰から奪われるのか、それは、一握りの資本家たちです。
 今アメリカは大統領選挙のただ中です。トランプが共和党の指名を受けました。なぜ、そのような現象が起きるのか。それは、今まで一握りの人たちに支配されてきた現実に、国民は気付いたからです。ヒラリーは支配者層から金をもらっているので、自己資金で選挙戦を戦う、トランプに期待しているのです。
 今後、世界の国境線はどんどんなくなります。TPPなんて序の口だそうです。今、話が進んでいるのは、TPPは「環太平洋のパートナーシップ」ですが、「TTIP」というパートナーシップが進んでいるそうです。それはEUの「環太西洋貿易投資パートナーシップ」です。

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 そしてもう一つ、「TISA」という交渉が進んでいたのですが、日本政府は秘密にしていました。この頃やっと、外務省のホームページに出ましたから一度見て頂きたいです。それは、「新サービス貿易協定」と言って、すべての公共サービスを民間に委託する条約です。日本から公共サービスが消える日が来ます。ほとんど、大バビロンの世界です。一部の人たちが儲けて、あとは奴隷みたいなものです。

 アメリカをも支配しているのが実は、イスラエルです。しかしイスラエルといっても聖書が告げるイスラエルではなく、「ユダヤ人だと自称しながら、実はそうではなくて嘘を言っている者たち」に当てはまる人たちです。そのような人たちが、世界を支配しています。
 先週もセミナーをしましたけれど、今の時代は、まさしく黙示録が預言しているような状況です。

 しかしフィラデルフィア教会ってすごいです。カギを持っている教会です。このカギはダビデの家のカギです。イザヤ書の二十二章からの引用です。二十節から二十二節を見ると

『その日、わたしは、わたしのしもべ、ヒルキヤの子エルヤキムを召し、あなたの長服を彼に着せ、あなたの飾り帯を彼に締め、あなたの権威を彼の手にゆだねる。彼はエルサレムの住民とユダの家の父となる。わたしはまた、ダビデの家のかぎを彼の肩に置く。彼が開くと、閉じる者はなく、彼が閉じると、開く者はない。』

エリヤキムという人物は、ダビデの家を管理するカギをもらったと言うのです。権限をもらいました。それが、黙示録にくるとイエス様がそのカギを持っていることがわかります。そして今度は、そのカギが教会に渡ったのです。それも、フィラデルフィア教会が、そのカギをもらったのです。困難の中にあったとしても、この教会は守られたのです。そして、「ユダヤ人だと自称しながら、実はそうではなくて、嘘を言っている者たちに、わたしはこうする彼らをあなたの足元に来てひれ伏せさせ、わたしがあなたを愛していること知らせる。」と告げられています。

 ちょっと普通じゃ、信じられないです。大バビロンを支配しているような、偽のユダヤ人達が足元に来て、ひれ伏すような大勝利をフィラデルフィア教会に与えてあげますよと語られています。少しばかりの力があれば大丈夫なのです。
現代を生きる教会は特にフィラデルフィア教会を意識して、祈りによって奉仕をしなければならないことを教えられます。日々の生活の中で、私たちが心して、現代を生きる教会としての役割を果たすことができたら本当に幸せです。七つの教会に語られたメッセージをしっかりと心に留めるとともに、フィラデルフィア教会の様に行動する教会となれたら、最高です。
 今週はネパールの働きがありますが、みなさんぜひとも祈って頂きたいです。今日はささげものの時間もありますので、ネパール宣教のためにささげて下さい。私も自分で言うだけではいけないと思って、用意しました。神様のために経済も使って、終わりの時代がいつまで続くかわかりませんが、与えられた使命を果たしていきたいと願っています。最後に一言お祈りして終わりにさせて頂きます。


ハレルヤ、天の父なる神さま、御名をあがめて心から感謝いたします。
今の時代を生きる教会として、私たちを選んで下さっていることを心から感謝いたします。あなたが「わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしは地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう」と仰せ下さっていることを感謝いたします。今日ここにおられるすべての兄弟姉妹が、神の国の時代を生きることができますようにお願いいたします。今日は七つの教会のメッセージを真剣に受け取って、フィラデルフィア教会のように生きることができますようお願いいたします。この時を感謝いたします。あなたが教会のために流して下さった、十字架の血潮と勝利を心から感謝します。今からの時を祝福して下さい。イエス様の名前で祈ります。アーメン