『実行しなさい!』

2016年10月9(日)
新城教会牧師 上條実
ルカ10章25節~28節

『すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」』

 ハレルヤ!今日も、こうしてみなさんと一緒に、私たちの救い主である主を礼拝できます事を感謝します。
 お祈り頂いております四十七都道府県巡回リバイバルミッションは、昨日から九州地区が始まりました。昨日は長崎県佐世保市にて開催され、今日は佐賀県嬉野市にある嬉野キリスト教会で行われています。講師は滝元順牧師、そして賛美ゲストとして、韓国よりチェ・ヨンドゥ先生です。十六日の日曜日まで毎日開催されます。先生方の健康や交通事故などからも守られ、何よりも多くの方々が救いを頂く事ができるようにお祈りください。

 昨日、阿蘇の中岳が噴火したという報道がなされました。昨日の午前一時四十六分に噴火しました。今回、四十七度道府県巡回リバイバルミッションが、十月十四日金曜日に、熊本県高森町にあります、高森キリスト教会で開催する事となっています。リバイバル聖書神学校の卒業生であります、菅原雅子先生が牧会されておられる所です。熊本県は震災で苦しみ、これから復興して行こうという矢先に、阿蘇山の中岳が噴火して大変苦しんでおられる地域です。昨日午前中、菅原先生に連絡を取りました。先生がおっしゃるに、噴火の時すごい音がして、山頂を見たら火口付近で稲妻が光り、噴煙が空高く上がっていたというのです。ある報道では火山灰が降って、あるところではガラスが割れたと聞いていましたので、火山灰はどうですかと聞きました。すると高森町は風向きが逆なので、感謝な事に一切灰は降っていないと言っておられました。でもまたいつ爆発するのか分からないので、お祈りをお願いしますとの事でした。火山灰が降った地域では、これから稲刈りがあるところもあるので被害が出ないように。また夜になって停電してしまいました。それは火山灰が電線に付着して、そこに雨が降りショートしたからだという事です。菅原先生ご家族は、噴火の件でとりなしの祈りをされていて、真っ暗になった町並みを車で走りながら、「異様な光景ですよ。」と言われていました。町はシーンと静まり、なにか不気味な感じがするので、是非祈ってくださいということでした。お祈りください。

 また今、新城駅周辺では地域の神社の祭りが行われています。何か年々、派手になっている様に思えます。昨日の朝も今朝も、早朝六時に花火が上がりました。それも一発だけではなく、何発もあがりました。他の地域の方はお休みの日で、ゆっくり寝ていようと思ってもうるさくて眠れないと思います。また日中も連続して花火が上がり、わが家はよくその音が聞こえてうるさくて仕方ありませんでした。ぜひ新城市の為に祈っていきましょう。特に地域を練り歩き、悪霊悪魔が「この地域は私たちのものだ!」と、必死になって土地を奪い取ろうとしているような気がします。私たちは神の計画の中で、新城市に教会を建てあげて下さいました。この地域の責任があると信じます。地域の祝福のために、また守りのために祈って行きましょう。また皆さんの住んでいる地域も同じように、この土地は主のものだ!と、宣言して、祈っていきたいと思います。今週の金曜日の夜からは、私の住んでいる東新町地区で祭りがあります。皆さんの地域も同じかと思いますので、地域の為にとりなして祈っていきたいと思います。

 さて前回、私がここに立たせて頂き語ったみことばは、第一ペテロ四章十節を読んで「賜物を用いて互いに仕え合いなさい」と言うタイトルで語らせていただきました。そのみことばをリビングバイブルで読ませていただきますと、第一ペテロ四章十節(リビングバイブル)、

『神様はあなたがた一人一人に、何らかの特別な能力を授けておられます。その能力によって、互いに助け合い、神様からのあふれる祝福をひとり占めにはせず、他の人と分かち合いなさい。』

 「あなたがた一人一人に、何らかの特別な能力を授けておられる」とあります。既に私たちは、神様から与えられた役割、賜物を頂いていると言う事を学びました。この世の終わりの時、一人一人賜物を熱心に求め、教会に様々な賜物が現れて行くように求めましょうと語らせて頂きました。そして第一コリント十四章十二節に、

『あなたがたのばあいも同様です。あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。』

とあります。教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。とあります。教会の徳を高め、イエスキリストの栄光が表されるように祈り続けていきましょう。教会は、来たるべき神様が来られる道ぞなえをする教会になっていかなければいけないなと思います。教会というのは、建物を表すのではなくて、ご存じのようにイエスキリストが頭(かしら)であって、私たちは各器官です。一人一人が教会の徳を高める為に賜物を頂きましょうと語らせて頂きました。

 教会とは滝元順牧師が、沖縄の空軍基地での奉仕の事を語られたことを思い出します。ある体格の良い軍服を着た人に「あなたはどんな飛行機に乗ってらっしゃるのですか?」と聞くと、「私は飛行機には乗っていません。私はキッチンワーカーです。厨房でいつも料理を作っています。」と言われたそうです。全員が戦闘の為に働く人ではなく、その基地には病院があり、スーパーがあり、娯楽施設があり、基地の中に都市機能がちゃんと備わっています。それと同じように、戦う人もいれば、厨房で働く人もいる。スーパーで働く人、銀行員等様々な仕事をしている。しかしその基地全体が戦うためという絶対的使命を持って様々な仕事について働いている。教会はそれと同じだと話しておられました。今日滝元順牧師は佐賀県嬉野市で奉仕。ざわめきは、東京都練馬区で奉仕をしています。いろいろな所に遣わされて出て行く人たちは、ある面前線に出て戦っておられる方々です。私たちは普通に生活をしています。一人一人神様からの役割を頂いており、あなたが会社や自宅で生活していても、神さまはあなたにしかできない役割を与え、賜物を使って働きなさい。戦いなさいと言われています。教会の徳を高める為に毎日働かなくてはならないのです。

 今日は先ほどお読み頂いたルカ十章二十五節~二十八節から「実行しなさい」と言う事を学んでいきたいと思います。

『すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」』

律法の専門家はイエスを試す為に「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」とたずねました。するとイエスは「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」と訪ねます。そして律法学者は

『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』

 と答えました。するとイエスは二十八節で、

『イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。」』

 「実行しなさい。」とイエスは語りました。この「実行しなさい。」ということばは知ってはいるのですが、なかなか実行できないと思います。ヤコブ一章二十二節

『また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。』

とありますが、この「実行しなさい。」ということを、神様から教えられています。

 歯車は、たくさんの歯車が組み合って一つとなり、目的の動力を表します。一個一個力を伝えるために回転し、次々と力を伝えて行きます。同じように、私たちは各器官です。私たちは歯車と同じように「教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。」というみことばのごとく、教会の徳を高めるために一致して働いて行くことが必要です。その為にはあなたの役割を実行しなくてはいけません。あなたが役割を果たさないと、教会の働きはストップしてしまい、教会の徳を高める事はできないのです。

 私たちは各器官であり、歯車であるわけですから、神様が与えてくださった役割を、「実行しなさい。」というみことばを、私たちに語って下さっています。

 イエスキリストは、ピリピ二章六節~十一節(リビングバイブル)に

『キリスト様は神様なのに、神様としての権利を要求したり、それに執着したりはなさいませんでした。かえって、その偉大な力と栄光を捨てて、奴隷の姿をとり、人間と同じになられました。そればかりか、さらに自分を低くし、まさに犯罪人同様、十字架上で死なれたのです。しかし、それだからこそ、神様はキリスト様を高く天に引き上げ、最高の名をお与えになりました。それは、そのお名前のもとに、すべてのものが天でも地上でも地下でもひざまずき、すべての口が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。』

 ここで語らなくてもご存じのように、イエス様ご自身は神でありながら、この地上に来てくださいました。私たちのために、偉大な力と栄光を捨てて、奴隷の姿をとって下さいました。そして自分を低くし、まさに犯罪人同様、十字架上で死なれたのです。しかし、それだからこそ、神様はキリスト様を高く天に引き上げ、最高の名をお与えになりましたとあります。そのイエスキリストを信じた事の上に、神の子どもとしてくださり、永遠に神とともに住む事ができるとあります。なんと素晴らしい祝福。ただただ恵みを頂きました。その救いを下さったイエスキリストはエペソ五章一節、

『ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。』

 私たちは、「神にならう者となりなさい。」と言っています。また、使徒の働き二十章三十五節(リビングバイブル)、

『また、貧しい人たちを助けることでも、常に良い手本となったつもりです。それは『与えることは受けることよりも幸いである』という、主イエス様のことばが、いつも頭にあったからです。」』

 これはパウロが語ったことばですが、パウロもイエスに習って、『与えることは受けることよりも幸いである。』と言っています。私たちは受けることが徳だと考えます。しかし聖書は、受けるよりも与えていくものだと言っています。イエス様ご自身が、この地上に来てくださった目的は、与える人生でした。ですから、私たちは、受けるよりも与えるほうが幸いである。与える人生。そして、神に習う者になって、隣人を愛していく必要があるのです。

 自分はどれほど隣人を愛しているのかと考えると、全く愛していない。自分の事ばかり考えて、自分が得する事のみ考えています。聖書は「実行しなさい。」です。「心に留めなさい」ではありません。「実行しなさい。」です。私たちは実行する器になっていきたいと思います。

 しかし、エペソ六章十一節、

『悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。』

とあります。私たちが、実行しようとすると悪魔は策略を巡らせてきます。悪魔は絶対に実行してほしくないのです。前回のメッセージでもこのみことばを引用しましたが、黙示録十二章十一節~十二節(リビングバイブル)に、

『クリスチャンは、小羊の血と自らの証言によって、打ち勝った。いのちを惜しまず、小羊のために投げ出したのである。天よ、喜べ。 天に住む者よ、喜べ。 しかし、地上の人々には災いがのぞむ。悪魔が、自分の時の残り少ないことを知って、怒りに燃え、あなたがたのところに下って行ったからだ。」

 この世の終わりの時、必死になって、この教会が機能しないように、様々なネットワークを使い、様々な手段を使って、私たち一人一人に対して悪魔は、総攻撃を仕掛けてくるのです。彼らはこの地上では、残り少ない。働く事ができなくなるとわかっているから、必死になって、私たちに戦いを挑んできます。私は時々、スーパーへ買い物に行くのですが、レジを通ろうとしたら、レジで働いているバイトの女の子でしたが、手の甲にマジックで、大きな字で「シュークリーム」と書いてあるのです。とっさに私はシュークリームが安いのかな?考えました。結局シュークリームは普通の値段でした。たぶん彼女が絶対に忘れてはいけないから書いたんだろうと、勝手に理解し帰りましたが、私たちは実行するという事を忘れてはなりません。やはり、そこに霊的戦いがあると信じます。悪魔が時が短いからこそ、実行できないように、策略を仕掛けてきます。今日この悪魔に立ち向かい、戦って行きましょう。私たちは実行できません。悪魔は一人一人が実行してしまったら大変な事になる事を知っているからです。有名なみことばで、使徒の働き一章八節に、

『しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」』

 私たちが実行し始めるとき聖霊が働かれます。聖霊に満たされて、私たちは各器官を働かせ、大きな原動力を生み出す事を知っているからです。私たちが力を受けると、『「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」』とありますが、私たちはこの地域の証人となって、神が来られる道ぞなえをし始めるからです。また、イザヤ書二十九章六節に、

『万軍の主は、雷と地震と大きな音をもって、つむじ風と暴風と焼き尽くす火の炎をもって、あなたを訪れる。』

 こんなみ言葉があります。これは聖霊様を例えています。今年は台風が多くきていますが、よく石垣島とか、大東島など強い勢力のまま台風が通っていった時、頑丈なあの電柱が折れ、屋根が飛び、トラックや乗用車が吹っ飛んでいる画像を見ます。聖霊の働きはそれ以上の大きな力。地上のことばで力ある最大限の表現を使って聖霊様の力を表現しています。今一人一人が神を愛し、隣人を自分自身のように愛し始めると。実行し始めるというのです。

 この間も、O兄が経営しているスーパーに行った時、お客さんが店長に対して怒っていました。次の日店長に大丈夫だった?と聞きましたら、根も葉もない事で怒っていたというのです。五百ミリリットルのお茶のペットボトルを箱で買うと、一本まけてくれるって言ったじゃないか!と怒っているのです。全くそんなサービスはないのですが、激しく怒っていました。結局、店長は納得させ、お客さんは帰って行ったそうですが、店長曰く、お客がクレームを言う時いつもあることばが出てくるそうです。それは「この店はキリスト教だろ!」と、言うそうです。キリスト教だからとクレームを言うそうです。地域の人はキリスト教に対して、怒りと敵対心を持って語ってくるそうです。何故自分で勝手に思っていてペットボトル一本ごときで、イエスさまの御名を汚すような言葉を語ってくるのでしょうか?祈らなくてはなりません。霊的戦いです。
 霊的戦いの勝利の秘訣の一つは、みことばを実行する事です。人ではなく悪魔悪霊が、地域の人に偏見と敵対心を持たせてきます。私たちは人は愛し、悪魔に対しては立ち向かう必要があります。時が短いからこそ一致できないように。互いに愛する事ができないように策略を仕掛けてきます。今回、私が教えられたのは、「実行しなさい。」ということです。
 
 この間、ある牧師先生が自分の所属している教団の事を話しておられました。ある教団に属する教会の中で、牧師の家庭で、子どもたちがクリスチャンになっているのは、約三十パーセントだというのです。そして牧師の子どもたちの中で、献身者として主のために働いているのはたったの四人だというのです。そしてその先生は「今、家族が狙われているから、牧師家庭、兄姉の家庭のために祈る必要がある。」とおっしゃっておられました。悪魔は家庭を破壊してきます。子どもに対して親は命を代えてでも何かしてあげたい!という思いがあります。家族が一つになって行くと、神は大きな力を表します。リバイバルが進むのです。だから悪魔は子どもに策略を仕掛けます。また親にも仕掛けます。そして家庭を、家族愛を崩していくのです。家族が一つとなって祈り始める時事が動きます。家族の一人が事件を起こしたり、病気になったり、傷ついたりすると、主の働きはストップします。皆さんの家族のために祈りましょう。隣人を自分自身のように愛し合い、一致して戦いましょう。祈りましょう。心配するだけでなく、実行しなさいと主は言われます。

 第一テモテ五章八節に、こんなみ言葉があります。

『もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。』

とあります。家族を顧みて、愛して戦って行きましょう。夫婦のために、兄弟同士のために、両親のために、親族のために、私たちの役割を実行していきましょう。

 また、もう一つは教会を愛しましょう。イエスさまを心から愛し、そして兄姉を愛し、兄姉を隣人として自分自身のように愛しましょう。ある方は病で教会に来れない方がいます。経済的な問題。受験、仕事などなど多くの問題を抱えておられる方がいると思います。私たちはイエスさまが頭で私たちは各器官です。器官である私たちが、ともに主を愛し、隣人を自分自身のように愛して、実行し始めるなら大きな祝福がこの教会に訪れます。暴風のような神の力が表され、暗やみの力が打ち砕かれます。実行し始めましょう。

第一コリント一章十節(リビングバイブル)に、

『しかし、愛する皆さん、私は主イエス・キリストの御名によってお願いします。仲間同士の言い争いはやめなさい。 教会の中で仲間割れなどしないよう、真の一致を保ってください。同じ考え、同じ目的で結ばれて、一つ心になってほしいのです。』

 ここに、本当に真の一致を保ってくださいとあります。先週も、「一致」ということが語られていましたが、兄姉が一つになるということが、いかに大切か。それも、『同じ考え、同じ目的で結ばれて、一つ心になってほしいのです。』とあります。主が帰られる準備をするために、同じ考え、同じ目的で結ばれて、一つ心になって実行しましょう。

 もし高価な電化製品がすぐ壊れてしまった時に、私たちはメーカーに電話をします。もしメーカーの一人は、「全額保証します」と言ったとします。しかし別の日電話をして、「それは保証できません。」と言われたら、どうしますか?「昨日は全額保証するって言ったよ!」と、直してもらうために、得となるために、必死に言います。だから会社はどのような事になったら、これだけ保証すると取り決め、会社が儲かるように、様々な事を考えて行きます。私たちはそんな商品とか、全く次元の違うイエスキリストのために働いています。一つの目的を持って、みんなが一致し、自分の任せられている役割の為に、精一杯働いて行くのです。『同じ考え、同じ目的で結ばれて、』とありますが、教会がバラバラな状態であれば、悔い改め一致していく必要があります。御霊によって一つとなり、主を愛し、隣人を愛して、一つになっていくということが大事です。

 またルカによる福音書では、隣人を自分自身のように愛しなさいのすぐ後に、良きサマリヤ人のことが出てきます。敵対する人のために、祝福を求め、愛する事を実行しましょう。今日は語ることはしませんが、民族とか、国。敵対する人のために愛し、祝福を求めて祈りましょう。隣人を自分自身のように愛し、実行していきましょう。

 私は今すごく励まされていることがあります。それは何かと言いますと、私は家内の事で、家庭集会に伺う事ができなくなりました。本当に申し訳ないと思っています。でも若い世代のスタッフが立派にかわって担当して下さっているので幸いです。そんな中で、毎週火曜日、私は新城西部地区を担当させて頂いていました。しかしその担当も外れてしまったのですが、ほぼ毎週、私の家内のためだけではありませんが、祈祷会をして下さっています。「今日、祈祷会があります。奥さんのために祈りの課題があれば返信下さい」とメールが来ます。そして私は、「今、こんな状況です。祈ってください。」と、祈りのリクエストを返信します。本当に感謝だと思います。私のような者を、また特に家内を愛していつも覚えて祈って下さる。本当にすばらしい愛する兄姉が、いつも祈ってくれていると思う時に、「覚えられていること。祈って下さっている事。」に対して本当に慰めと励ましを頂きます。

 今日、私たちは、みことばを「実行しなさい。」このことを覚えて、実行できるように祈り、互いに励まし、ある時は、「実行」と、手に書いてでもいいので役割を一つ、行える器になっていきたいと思います。
 良きサマリヤ人の例えでの最後の所でルカ十章三十七節

『彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」』

 ここで、「あなたも行って同じようにしなさい。」とあります。思うだけでなく、実際に彼の所に駆け寄り、介抱し、愛したこのサマリヤ人のように、出かけて行って、同じようにしなさいと言っています。私たちはすぐに日常生活で忙しいからなど言い訳をしてしまい、自分の役割をストップしてしまいます。しかし毎日の生活の中で、助けてあげなければと思う人がいると思います。この方のために祈らなければ。この方を助けなくてはと思う時があります。絶対に偶然はありません。神様が出会わさせて下さっていると信じます。毎日の生活の中で、会社の中で、また家庭の中で、また買い物に行った時、テレビを見ている時など様々な時に、主は私たちに語って下さっています。その声に対し、聞き、出かけて行って実行しましょう。あなたの任せられていることを、実行して行きましょう。この教会の各器官が、実行し始めたなら、台風のように、暴風雨のように、大きな大きな力が表され、教会の徳をあらわしていく事が出来ます。今週は実行の週にしましょう。
 今日、週報に今週行われる四十七都道府県巡回リバイバルミッションのスケジュールが挟んであります。ぜひその為に毎日お祈り下さい。またその下には「とりなしの祈り」というタイトルで空欄が作ってあります。ぜひお近くに座っておられる方と、祈りの課題を交換して下さい。また今日何らかの事情で来られない方のために名前を書いて祈りましょう。まず実行するという事で、あなたの教えられている方のために、毎日祈りましょう。
 あなたが一つでも、小さなことでも、祈り始める時、歯車が回ります。あなたの役割を実行しましょう。ある方は、愛の施し、愛の実践をすることによって、ある方は電話、手紙など神が教えて下さった事を祈り、実行しましょう。今週は祈る器になりましょう。お祈りします。


 愛する天のお父様。あなたのみ名を心から賛美します。私たちを、あなたを愛し、隣人を自分自身のように愛すもの。実行する事のできるものとしてください。今から聖餐を祝福して下さい。このカップと、パンは、イエス様ご自身である事を信じます。そしてみ霊によって、今実行できる器として変えて下さい。聖霊さま、この教会に臨んでください。自分の役割を理解し、実行できる者として下さい。教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。とあるように求めます。この聖餐をいただく時に、主を覚えると同時に、聖霊の力、聖霊の油注ぎ、聖霊のバプテスマをいただく時となり、教会の徳を高める者となりますように。今からのこの聖餐を祝福してください。感謝してお祈りします。アーメン。