『天下にイエス・キリスト以外に救いはない!』

2016年10月23(日)
新城教会主任牧師 滝元順
使徒の働き4章12節

『この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。』

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。一ヶ月ぶりでしょうか。新城教会の講壇に立たせていただけるのは。本当に感謝しています。みなさんのお祈りに支えられ、四十七都道府県巡回リバイバルミッションのために、約一ヶ月くらいの礼拝を留守させていただきましたが、祈りに支えられ、今日ここに立つことができまして、本当に感謝しています。

 新城教会のメッセージは、毎週、文字情報としてインターネットに掲載されます。毎回読んでくださっている方がいるみたいで、ある方から、メールが来ました。「滝元順先生は大丈夫なんでしょうか?一ヶ月くらい登場されませんが、何かあったのでしょうか?」と。心配してくださったみたいです。何かありましたね。みなさんのとりなしの祈りを背後に感じながら、風を受けながら、楽しく奉仕をさせていただきました。

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四十七都道府県の集会も、十一月に沖縄地方を最後に、終えるわけですが、いろんな教会を回って、「この働きは大切な働きだな、これからも継続していかなくてはならない」と、強く感じさせられました。

 全日本リバイバルミッションの働きは、今年で四十六年目になります。結構長く経ったのですが、一九七〇年から始まりました。誰から始まったのかというと、この二人から始まりました。

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 ちょっと懐かしいですね。この頃、見かけなくなった二人ではありますが、この地上での役割を終えて、天に帰ってしまいました。この二人はかつて各地を巡って、伝道集会をやっていました。彼らは巡回伝道者でした。そもそもリバイバルミッションは、巡回伝道者から始まりました。
 しかし、この頃、日本のキリスト教会から「伝道集会」という用語が消えてしまったと言われます。
 私が幼い頃、父は伝道者でしたから、毎日のように出かけて行って、いろんな教会で伝道集会をやっていました。当時教会は、ウィークデーは伝道集会が当たり前という時代でした。
 しかしこの頃は、社会の変化にともなって、なかなかウィークデーに人が集まるのが難しくなり、同時に伝道者の先生方も高齢化して、亡くなったりして、日本の教会から伝道集会が消えていきました。そんなわけで伝道しなくなると、教会もだんだんと下火になる現実があると思うのです。しかし、リバイバルミッションは、「伝道なくして将来なし!」ということで、日本中の教会をめぐって、伝道集会を開催させていただいています。
 ウィークデーに私たちは伝道集会を開催しているのですが、結構多くの方が集まってくださいます。

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 教会のサイズに合った人数が集まるのです。本当に感謝です。

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 今回、私は、韓国のチェ・ヨンドゥ先生と一緒に各地を巡って、集会をしました。本当に良かったです。
いろんな教会に行って感じるのは、教会も高齢化してきたなということです。新城教会もそうかもしれませんが、若い方々が救われないと、なかなか教会の未来も難しいかなという感じです。
 いつの時代にあっても、イエス・キリスト以外に救いはない!ということは確実です。リバイバルミッションは、「天下にイエス・キリスト以外に救いはない!」という標語を掲げて、四十数年やっています。この写真も大変懐かしい写真です。

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 背後に、「天下にイエス・キリスト以外に救いはない!」という、横断幕と共に集会をやっていました。これは、韓国の申賢均という先生が愛知県民の森で集会をやった時の写真です。どの国であっても、どの時代にあっても、イエス様以外には救いはないです。私たちは、この福音を力強く伝えていかなければなりません。

 今回、いろんな教会にお邪魔すると、やはり様々な会衆の方がおられます。メッセージを語る時も、会衆に合わせて語らないと、なかなか通じないのです。はじめから準備しておいて語るのではなく、講壇に立って、会衆を眺めて、「この会衆には、この弾を撃ったほうがいいかな。」と、会衆に合ったメッセージを投げかけなければいけないと思うのです。今回は、会衆にお年寄りが多かったので、多くの教会で、お年寄り向けに語らせていただきました。ちょっとインパクトの強いメッセージだったのですが、今日はそんなメッセージをみなさんに、お分かちさせていただき、今後も、日本のリバイバルのために祈っていただきたいと思います。

 今、神がいないとは言えない時代になりました。しかし、日本人の神概念はたいへん低いのです。なぜなら、人も死んだら神になるし、手で作ったものが神々だし、動物だって、石や木や金属でも、自然でも、神になるからです。日本人の神とは、そういうレベルのものだと、皆、考えています。
 しかし、聖書が告げている神は、そういうレベルではありません。天と地を造り、また私たちを創造してくださったのが、神であるわけです。
クリスチャンになったら、神概念を転換しなければなりません。

 先日、ある神道系の宮司が書いたブログを読んだら、こんな事が書いてありました。「そもそも、キリスト教の失敗は、天地宇宙を造った創造主を『神』という用語で表したことにある。」とありました。なぜならば、「神」というのは、「神道用語」だと述べていました。本当にその通りです。私たちは神様、神様と言いますが、これは神道用語です。
 明治時代、聖書翻訳の時に、一悶着あったというのです。天地宇宙を造られた創造主なる方を、どういう用語で表現するかと、いろいろ論議があったそうです。
 十六世紀に日本にカトリックが入って来た時、ポルトガルの宣教師は、創造主をなんと訳したかというと、「大日」と訳したそうです。これは、大日如来のことです。だから日本人は「大日?なんだ、日本人が信じているのと同じ神様が海外から入って来た!」ということで、大勢集まったというのです。しかし、それではまずいだろうということで用語を「デウス」と変えたそうです。私たちクリスチャンは「神様」と言っているけれど、本来は区別しないといけない用語の一つです。

私たちの神は手で作った神々ではなく、天地宇宙を造った創造主です。そして現代は、神が人を造った証拠が、見つかったのです。

 ちょっと話は変わりますが、先々週は、熊本でリバイバルミッションを開催させていただきました。それで、熊本県の益城町や、南阿蘇村を通って、熊本地震の様子も見させていただいたのですが、本当に悲しい思いになりました。

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 地震から、半年も経っているのですが、ほとんど手つかず状態です。
 片付けが終わっているのは、十数パーセントしかないというのです。家が壊れたまま、六ヶ月もそのままです。復興はまだまだ先のことだなぁと思いました。我々は、いつ地震が起きても文句が言えない国に住んでいることは確かです。しかし、地震が起きないように、真剣に祈らなければいけないと思います。

 先週の月曜日、新城教会のスタッフたちで、地域に出て行って、この地域に地震が起きないように、真剣に祈りました。なぜなら、熊本に行って現実を見たからです。地震が起きたら一瞬で今までの生活は崩れます。全てが崩れます。人生は、がらっと変わってしまいます。今日はいいですが、明日、地震が起こったら、全く今の生活は壊れるのです。まさに、東北でもそうでしたし、熊本でもそうでした。
 先週は鳥取のほうで大きな地震が起こりました。祈っておいてよかったなと思いました。だから、被害も少なめだったのかな、祈りの答えだったかもしれないな、と思いました。主が「祈れ!」と言われるタイミングを掴んで祈らなくちゃいけないと、改めて教えられた思いです。熊本で多くの家が壊れている現実を見る時に、本当に悲しく思いました。

 しかし、家は、いくら壊れても、家の図面さえ残っていれば、同じものを建て直すことができます。私は、昔、建設業をやっていましたから、図面を書くことをやっていました。図面が残っていたら一度は壊れたとしても、もう一度、同じものを造ることができるのです。
この会堂も、建てられてから、三十六年経ちます。一九八〇年のことですから、三十六年前にこの会堂は建ったのです。なかなかうまくできているでしょう。もしも地震が来て、壊れてしまっても、問題ないです。図面が残っていますから。もう一度、建て直すことができます。弱い所を補強して、もっと優れたものを建て直せるはずです。
 人間も同じです。もしも、私たちを造ってくださった神様が、図面を残していてくださっているとすれば、どんなに崩れたとしても、もう一度、建て直すことが可能なはずです。

 前にもお話ししましたが、神様が人間を造る時に書いた設計図が、この頃は見つかったのです。どこで見つかったのかご存じですか?洞窟の中に巻物として、長い間、隠されていたのです。しかし、ある人が洞窟の中から、神が書かれた人間の設計図を見つけてしまったのです。それが何かといったら、これです。

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 DNAの配列です。このDNAは、細胞という洞窟の中に、巻物として格納されていたのです。アダムとエバの時代からずっと、誰にでもあるものです。それを、ある人が見つけたわけですよね。

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 DNAは、AGCTという、たった四つの物質で構成されていると言われます。それが三十億個くらいずらっと並んでいるわけです。そして、この暗号の中に、人生のすべてが隠されているのです。私たちの臓器も、このDNAの情報でできたし、なんと将来さえも、この情報の中に含まれていると言われます。

 人間の根源に情報ありきということは、知的存在が関わった証拠です。「神」という言葉を使ったりすると、宗教的な気分になりますから、宗教が嫌いな人は、「そういう話はいやだよ。」というかもしれないけれど、「人間の根源に、人間以上の知的存在が関わった。」ということは、明らかです。DNAがその動かない証拠です。大宇宙には、人間を超える知的生物が存在することは、明らかなことです。だからこそ、DNA情報が組まれたわけです。
 しかし分かってきたことは、この情報の中に、悪い情報も含まれているということです。この頃、ちょっとお金を出せば、この中に含まれている悪い情報も、調べる事が出来ます。
アメリカの有名な女優、アンジェリーナ・ジョリーが、自分の遺伝子を検査したら、八十数パーセント以上の確率で、乳がんになるという結果が出たそうです。だから、彼女は何をしたかといったら、まだ健康であるのにもかかわらず、切り取ってしまったのです。その手術をしたら、確率が四パーセントにまで下がったそうです。八十数パーセントの確率がはじき出されたならば、将来、ほぼ確実に病気が出て来るというのです。
 これは、人ごとではなくて、私もみなさんも同じです。こういう情報の中に、将来何が起こるかも含まれているのです。
 そんなこといったら、どうでしょうか。「神様って、良い方じゃないんじゃないか?」と思います。
神様が、人生の設計図を書く時に、鉛筆をなめながら、「よし。滝元順。いつ殺してやろうかな、どんな死に方がいいか。よし。心臓麻痺で行くか。」とか言って、情報を入れたのか?ということです。でも、神様は絶対にそんなお方ではないはずです。

 なぜなら、はじめの人間、アダムとエバは、永遠に生きる存在として造られています。すばらしいですね。いのちの木の実を取って食べさえすれば、人類って、永遠に生きる存在だったのです。今でも、いのちの木の実がどこかで売っていたら、買いたいものです。マルイチさんなんかに行って、「いのちの木の実はありますか?」と聞いてもありません。しかし、かつてはこの地球に、いのちの木の実をならす木が存在したのです。
 アダムとエバの遺伝子の配列は、完璧だったのです。どこにも狂いがなかったのです。しかし、その後に死が入ったということは、遺伝子が操作されたということです。
 では、どうして、そういうことが起こったのか。それは、蛇との出会いです。蛇と出会った時、人間は死ぬものになったのです。遺伝子情報を操作されたくなかったら、蛇と出会うなということです。
今週も気をつけてくださいね。犬の散歩の時に、田んぼのあぜ道なんかで蛇と出会うと、寿命が縮まりますから。現実的に縮まる人もいるかもしれませんが、そういうことではなく、蛇とは、サタンです。悪魔です。人類が悪魔と遭遇してから、死が入ったし、様々な問題が起こって来たのです。そして、地球環境も変化しました。人が神から離れて、自分勝手な生活をするようになったゆえに、地球全体が歴史を通して、罪で満ちたのです。
 その結果として、何が起こったのでしょう?神様がくださった完全な情報が、どんどん変化しているのです。
遺伝子がどうして変化したのか、それは、神に原因があるのではなく、人間の側に原因があるのです。神様のせいではないのです。神様は、最初、完璧なものを人類に下さいました。しかし、人間は神から離れ、自分勝手な生活をし始めた事により、環境も変化したのです。
 福島の原子力発電所が壊れてから、その悪い影響は計り知れません。どのくらい悪影響が広がっているのか、分からないです。この頃、流れていたニュースによると、福島の子どもたちに、喉頭癌がかなり増えているというのです。政府は、「因果関係はない」と言っているのですが、原発も、壊れた時に直す技術まで、ちゃんと確立してから作ればいいけれど、見切り発車です。エネルギーさえ取り出せて、金儲けのために使うことが出来ればいいと、ああいう物を作ったのは人類側の罪です。
 罪とは、ただ自分が犯した罪だけではなく、人類全体の共同体的罪が結構、私たちに大きな悪影響を与えているのです。

 しかし、今の時代は、遺伝子情報も分かって来て、その狂いが人生にどんな害を及ぼすかということも分かって来たし、それを人間側からも、少しは操作することができるような技術も出て来ました。
 以前にも紹介したことがありますが、NHKスペシャルで、一人の少年のことがレポートされていました。

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 この子は、二歳までに百回以上の手術を経験したそうです。それは、腸に穴が開く病気で、「もうこれ以上、どうにもできません。」という事になったそうです。まさに、さじを投げられたのです。
けれども、医療チームが、この子どものDNAを解析して、健康な子どもと、どこがどのように違うのかについて、徹底的に調べたというのです。
 調べたところ、なんと、その違いはたったの一箇所だったそうです。

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本来、Gでなければいけない箇所が、Aだったというのです。その結果、この子は、生きることができない状況に陥っていたのです。
 この子を治療するために、この一文字を変える医療を行った結果、何が起こったかといったら、完全に良くなったということをレポートしていました。人間側からでも、こういうことができるとしたならば、神様がご自分で組んだ情報を、修理できないはずがありません。

 キリスト教の救いは、永遠のいのちです。はじめて教会に来て、「キリスト教の救いは永遠のいのちですよ。」なんて聞くと、「えっ?永遠のいのち?おとぎ話のようだ。」と感じる人もいるかもしれません。
しかし、これは、当然な事です。もしも神様が良い方で、原点で、良いものをくださっているとしたら、永遠のいのちは当然です。最初の遺伝子配列は完璧で、死は無関係でしたから。人間の罪によって、それが変わったならば、救いとは、元に戻してくれること以外の、なにものでもないのです。
 もしも神様からいただいた情報が、人間の罪により、途中で崩れたとしても、もう一度、建て直すことができるし、二度目に建て直す時には、弱かった所を強くして、立ち上がらせてくださるはずです。
 今日、私たちは、神の前にいますが、天地宇宙の創造主は、私たちのオリジナルの図面を持っておられますから、壊れた所は建て直すことが出来ます。そのことを信じて神の前に出たいです。

 しかし現実はこの地上で、どんなに幸せに健康で暮らしたとしても、やがて、私たちはこの地上から出ていかなければならない運命です。去年の八月、私の父が亡くなり、今年の八月に母が亡くなりました。
 滝元家の長男は私ですから、父が亡くなり、母が亡くなり、そして、当然のことですが、「今度は俺だな」と思うわけです。私は死なんて、人ごとだと思っていましたが、親父も死んだ。おふくろも死んだ。そして今度は俺か、ということで、少しは考えるようになりました。
 今年、私は、六十五歳です。もう定年なんです。夢も希望もありません。でも、六十五歳になって、この十月は、一つだけ嬉しいことがありました。私の誕生日は八月ですが、なんと十月、初めて年金が入りました。やったー!という感じです。
 私は、年金のこと、あまり知らなかったので、先輩に聞いてみました。「年金って、いつ入るの?」すると「十五日だ。」と言うのです。しかし、「十月は十五日が土曜日だから、十四日に入る。」と聞きました。だから、私は、楽しみにしていましたよ。
 家内が、「お父さん、あんたの年金、ちゃんと手続きしといたからね。」と言ってくれました。「ありがとう。」と言いましたが、どの口座に入るのか聞くのを忘れました。先週の十四日、ちょうど四十七都道府県リバイバルミッションの最中でしたが、午前中が空いていました。私は午前中、何をしたかと言ったら、一生懸命祈って、聖書を読んで集会の準備をしたのではありません。年金の口座を突き止めて、コンピューターを使って、本当に私の口座に年金が振り込まれているかどうかを、確認していました。
ありましたよ。ありました。ちょっぴりではありましたが、記念すべき年金が振り込まれていました。嬉しかったです。でも、「俺の人生の評価って、これっぽっちかよ・・・」という、そんな気持ちもありました。

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 日本のシステムっておかしいですよね。年金よりも生活保護のほうが、ずっと値段がいいですから。六十五歳くらいになると、人生も着陸準備です。

 私は両親が死んでから、いろいろと考えるようになったのですが、たぶん死ぬ時って、こんな感じじゃないかと思います。

 これも以前に話しましたが、海外旅行に行く時に、出国の列に着くようなものだと思います。私たちは、やがてこの地球から出ていかなければいけないわけです。

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 海外旅行のことをイメージしていただければ、そんな感じじゃないかと思います。死んだ瞬間、私たちは、いろんな人たちが出国の列に着いているのを見て、結構びっくりすると思います。いや~、世界では、一度に大勢の人たちが死ぬもんだなぁ~と。周りの人たちと、いろいろ会話をするかもしれません。「私は突然の交通事故ですよ。」「そりゃ大変でしたね。あなたはどうですか。」「私は心臓麻痺ですよ。」「あなたは何ですか?」「私は癌で死にました。」「あなたは何ですか?」「私は老衰でした。」とか、いろいろと死亡原因はありますが、全員、この列に着くわけです。
 人ごとのようなお顔をされていますが、あなたも私も、百年以内には、必ず体験しますからね。百年以内、みなさん、楽しみにしておいてくださいね。みんな出国しなければいけないわけです。出国したら、必ず、どこかの国に入国します。

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 出国したら、必ず、他の国に入国です。出国した時、どこの国に行くかを知らない人はいません。例えば「日本を出国して、韓国に行く!」という、しっかりとした目的を持って人は旅行します。

 ちょっと話は変わりますが、今週は、私と一緒に、九州を回ったチェ先生と、そのチームの人たちが新城教会に来てくれます。それで、この土曜日、ザワメキで奉仕をしてくれますので、ぜひ来ていただきたいと思います。

 実は、八月に母が亡くなった時、ご存じのように、母は自宅で息を引き取りました。自宅で息を引き取れるって、本当に幸せだと思います。今、ほとんどの人が、病院で息を引き取ると言われますが、自宅で息を引き取ることができるのは、一番幸せじゃないかと思います。私の母は、自宅で息を引き取ったのですが、寝込むようになって、だいたい二週間くらいで召天していきました。その二週間、本当に感動しました。なぜならば、訪問介護とか、看護とか、医者も含めて、毎日のように我が家に来て、望みのない母の介護をしてくださったからです。みなさんの中にも、訪問介護とか、看護とか、そのような領域で働いておられる方がおられると思いますが、本当に頭が下がります。真剣にケアーしてくださって、私の母も本当に幸せだったと思います。
 医者も結構頻繁に来てくれました。普通、医者は週に一度くらい来て、来たとしても、来た途端に「俺は忙しい」と言うような雰囲気を出しながら来るといのが普通だと思うのですが、今回、母の所に来てくださった医者の方は一生懸命やってくれました。
 終わりのほうは毎日のように、様子を見に来てくれました。我が家に来た時に、その医者はすごく感動したというのです。
 どうしてかというと、日本人って、死が目前に迫っていても、死と真正面から向き合わないというのです。みんな目を背けるというのです。家族も死のことを絶対に口にしないし、本人も死が明日かも知れないというような状況になったとしても、死に真正面から向き合わないで逃げるというのです。誰も死という言葉を口にしないというのです。
 しかし、我が家は違ったというのです。その人にとっては、初めての体験だったというのです。我が家では、本人も、家族も、「死」という言葉を多用して、真正面から向かい合っていたからです。「ばあさん。もうじき死ぬよ。」とか言って、「死んだらじいちゃん待ってるよ!天国に行ったらイエス様に日本にリバイバルが起きるように頼んでくれ!」とか、「死ぬ前になんか言い残すことはあるか?」と言ったら、ばあさんは、一時間くらい、講演会をやって死んでいきました。「私の人生は幸せでした。イエス様と出会ったことが、最高の幸せでした。」と話しました。
 母が死にそうになった時には、部屋は片付け始めるは、葬式の準備はするは、葬式で歌う歌を本人に聞くは、いろいろ死とガチンコ勝負でした。そうしたら、それを見たお医者さん、すごく感動したそうです。「今までに見たことがない家族だ!死を恐れていない!真正面から向き合っている!どうしてですか?」と言うのです。「それは、イエス様を信じているからですよ。私たちは出国後、どこに入国するか、ちゃんと分かっているからですよ。」と話しました。そうしたら、「やっぱり信仰の力ですね。」と言われました。みんなから、「あなたもイエス様を信じなさい!」と、伝道をされておりましたが、クリスチャンって、すばらしいですよね。

 出国の列に着いたとしても、どこに入国するかがはっきりしていますから。でも、一般の日本人は、出国後のこと、たいへんアバウトです。これは、宗教の問題ではなく、現実の問題です。出国するのも現実の問題です。これを宗教の問題にするのではなく、現実どうなるのか自分で確信を得て、選ばなければいけないわけです。

 日本人として生まれたならば、選択肢って、たった三つしかないと思うのです。これもよく新城教会で話す話なのですが、私は今回、四十七都道府県で、おじいちゃんおばあちゃん方に、このお話をさせていただきました。「みなさん、出国後、どこに入国されますか?」とお話をさせていただきました。結構、差し迫っておられる方が多かったので、私は緊張させないで、楽しくお話をさせていただきました。

 日本人ならば、出国後、選択できるのは、三つの中から一つですと、ここではよくお話しさせていただいておりますが、それをお話しさせていただきました。
 一つは「輪廻」。二つ目は「先祖の霊」になる。三つ目は「消えてなくなる」。この三つです。
 「極楽浄土」は選べません。なぜなら、極楽というのは、浄土宗がキリスト教から天国の概念を拝借して、作ったものだからです。だから、極楽・天国は、クリスチャンになる以外、選択できないのです。クリスチャンでなければ、三つの中の一つを選ぶしかないのです。死んだら輪廻する。先祖の霊になる。または、消えてなくなる。この三つから一つを選ばなければならないのです。

 さて、みなさん、どうでしょうか。クリスチャンでなければ、この三つのうちの一つを、先に選んでおいてくださいね。今回、四十七都道府県の集会には、クリスチャンではない方々が多く出席されましたから、「さぁ!みなさん、三つのうち、どれをお選びになるでしょうか?今から、選んでみましょうか!」なんて楽しく話しました。

 まずは、輪廻から考えてみましょう。しかし、もしも輪廻が本当だとしたら、ちょっと悲しいです。この輪廻とは、死んで四十九日したら、地上にもう一度生まれ変わるという考えです。仏教の教えは、輪廻です。
四十九日法要を、重要な日としてやるじゃないですか。なぜかというと、四十九日目に、地上に新しく生まれ変わったということで、四十九日の法要をするわけです。四十九日経って、新しく生まれ変わったならば、「墓もいらないし、先祖の霊もいない」ことになります。なぜならば、リサイクルで地上に戻って来ていますから。

 でも輪廻って、突き詰めれば悲しいです。一度、輪廻のサイクルに入ってしまったら、追っかけっこになりますから。
 江戸時代の将軍で、徳川綱吉がいたのですが、彼は犬将軍で、犬をすごく大切に扱いました。なぜ犬を大切に扱ったのかといったら、「この犬も、もしかしたら、前世は人間だったかもしれない。人間界で失敗をやらかしたから、犬に生まれ変わったんじゃないか?自分も、犬によくしないと、輪廻先が犬なら困る」ということで、一生懸命世話をしたわけです。

 みなさん、どうでしょうか。死んで輪廻して犬になる、これもいいかもしれませんよ。日本には愛犬家が結構、多いですからね。この間も、ある教会に行きましたら、「私のわんちゃんがこの頃死んだの。」というおばちゃんに出会って、「本当に悲しかったわ!主人が死んだ時よりも、ずっと悲しかった!」と言われました。そういう方もおられましたから、そんな家に犬として、輪廻するのもいいのかもしれないな~と思います。人間よりも、手厚くしていただいて、服なんかも着せてもらって、良い物を食べさせてもらうという、人間よりも待遇がいいと思います。
でも、一度輪廻したら、おっかけっこですから、二度と会うことはできません。

私の両親も、結構、仲良かったです。私の父なんか、「私は今まで夫婦喧嘩をしたことはない!」なんて、よく言っていましたが、両親はなぜ夫婦喧嘩をしなかったのか。その秘訣は、父は母とあまり一緒にいなかったのです。喧嘩する機会がなかったということもあるのですが、父が喧嘩をふっかけても、母が取り合わなかったというのが事実だったと思います。でも、ほとんど喧嘩しませんでした。
 あの二人は本当に仲が良かったです。最後の最後まで、手なんかつないじゃって、結構仲良かったですよ。
 父が昨年死んで、犬として輪廻した、母が死んで、今度は猿になって輪廻した、この辺の山で出会ったら、犬猿の仲になります。それはちょっと嫌だぞ!という感じですよね。みなさん、どうでしょうか。輪廻という選択肢があったら、選びますか?私ならばパスです。
 虫になったりすることもあるみたいですね。セミなんかになったら大変です。長い間、土の中にいて、やっと出られた!ミンミンミンミン!一週間くらいで、ぽとんと落ちます。そしてまた輪廻しなければいけないなんて、そんなのいやですね。

 では、日本人がよく言う「先祖の霊になる」これは、考えようによってはいいと思います。日本人の最も多くが、これを選択していると思われます。なぜならば、先祖の霊になって、生ける者と一緒に過ごすことができるのですから。自宅に帰ることも可能です。
 しかし先祖の霊になった場合、たったの「三日間」という限定付きですから、それをよく覚えておいてくださいね。さらに、四日目には、悲劇が訪れる事も理解する必要があります。なぜなら四日目には、茄子とかキュウリの馬に乗せられて、川に流されて、地獄に行きますから。
でも、家に三日間でも帰れるし、ある時には、墓場によりつき、ある時には仏壇によりついて、孫の成長も見届けられるというのもいいじゃないですか。石塔の後ろから、ちらっと、極たま~に墓参りに来てくれる、孫や子どもたちの様子を見る事ができます。でも、興奮しすぎて姿を現すと、怖がられますから注意して下さいね。姿を現しちゃいけないです。ちらっと見るだけです。それも、いいかもしれないな~という感じです。

 でも、人生にいろいろな問題が起こって、拝み屋さんの所に行くと言われるのは、ただ一つです。「あんたの先祖がたたっている!」昔、拝み屋に、こう言われた人がいるかもしれません。「 なぜ、こんな悪いことが起こるんですか?」「あんたの先祖がたたっている!」となるわけです。「それでは何代前の先祖か」と聞くと、「十代前」とか言われるわけです。十代前の先祖っていうと、相当遠くて、大勢いますから、特定するのはなかなか難しいです。
 霊能者の言うことを分析してみれば、たたっている先祖は、だいたい五代目から遠くの先祖です。五代、六代、十代、、、百代とかね。二代目、三代目、四代目がたたっているとは、聞きません。なぜかと言えば、四代目くらいまでは、みんな知り合いですから、そう言うと角が立つじゃないですか。でも、五代から向こうなら、誰も知りません。敵にしても構わないのです。
四代目までは、家族と楽しく過ごせても、五代目からは、家族、親族の敵となりたたる存在になるなんて、絶対に嫌ですよ。先祖の霊になって、子どもたちや、可愛い孫たち、ひ孫たちをたたるような存在になんか、絶対になりたくないです。
 多くの日本人が先祖の霊になると考えていますが、よく考えたら、なかなか勇気がいることです。私ならパスです。輪廻もパス。先祖の霊になるのもパスです。

 残りは一つです。死んだらすべてが終わりという選択です。これは、綺麗さっぱり、宇宙から消えるわけですから、考えようによっては、いいのかもしれません。しかし両親がなくなってみて、今までいた人がいなくなるというのは、やはり寂しさがあります。彼らが生きている間は、うるさいなと思ったこともありますが、死んでみてはじめてわかる、寂しいもんだなぁってね。
 髪の毛もそうです。髪という漢字を知っていますか?「長い友」に「さんづくり」です。さんづくりがぱらっと落ちると、「長友」という字だけが残るのです。抜けてみて初めてわかる、髪は長い友達。しかし、私は短かったな・・・と。なくしてはじめて、「あの頃は良かったな」と感じるわけです。

親父も死んだ途端、シャボン玉のように壊れて消えてしまったのか。母親も同じように、消えてしまったのか。人生って、なんのためのものだったのかなぁって思います。それは本当に悲しいです。

 何年か前に、ある人の病室を訪問したことがあります。その方は死ぬ間際で、あと数日しか持たないという方でした。地位も名誉もあって、有名な方でしたが、病気になって入院して、あと幾ばくもないという感じでした。奧さんはクリスチャンで、私に、「夫に伝道してください」と言われました。しかし「主人は無神論者だから、失礼なことがあるかもしれないけれど話をしてください。」と言われました。
私は、そういう所に行って伝道するのが、結構得意です。
昨日も、近くの病院の病室に行かせていただいて、百歳のおばあちゃんに福音を伝えました。おばあちゃん、ほとんど意識もなく、目をつむっていましたが、私がイエス様の話をして、一緒に祈ってあげた途端、ぱっと両目を開けたのです。ご家族は、本当に喜んでおられました。「通じたんだね!」と。私は、死ぬ間際の方々の所に行って、伝道するが大好きです。なぜならば、確実に天国に送ることができるわけですから。
 私は、ヘアースタイルは坊さんのようですが、牧師ですから、そういう所に入ることができます。坊さんじゃなくて良かったなと思います。坊さんが病室に「こんにちは。」なんて入って行ったら、「縁起でもない。入って来ないで!」と言われると思いますが、牧師なら入ることができます。

 私が無神論の方を訪問すると「牧師さん。あなたが何を話すのか、だいたい予測がつくけど、何を話しても無駄だよ。」と言われました。彼はこう言うのです。「私は無神論者じゃない。無神論というのはいくつもの論の一つだけど、私は無神だ。」と。「神なんか絶対にいない。だから、人は死んだら全てが終わり。消えてなくなる。」と言うわけです。とりつくしまがないな、困ったなと思いました。
 でも、いろんな話をする中で、彼はこう言うのです。「あと数日の間に、この地上から消えることはよく分かっている。これですべてが終わりだ。自分の身体だから、自分が一番よく分かる。」と言われました。
 そして、こう言うのです。「病気になって、苦しいこともたくさんあったけど、いい事もあった。」と言うのです。何がいいことだったのかと聞くと、「家族の愛をはじめて体験した。」と言うのです。その方は、本当に忙しい方で、ご家族との交わりがあまりなかったらしいのです。病気になって初めて、奧さんが一生懸命看病してくれることとか、娘さんたちが入れ替わり立ち替わり一生懸命、看病してくれるのを体験して、「家族っていいもんだな。はじめて家族の愛に接した。」と言うのです。
 彼がそのように話したので、私はすかさず、「でも数日したら、このすばらしい愛も全て消えるんですよね。寂しいですね。」と話しました。そうしたら、彼が、本当に暗い顔をして、「そうなんだな・・。それが本当に悲しい。」と言いました。
 すぐに私は、「もしも、この家族のすばらしい愛が、死んでからも受け継がれ、発展するような道があったら、それを選びたいと思いませんか?」と言ったら、「そんな道があったら、選んでみたいもんだなぁ。」
えっ?さっき何って言ったの?という感じでした。彼は消えると堅く信じていると言うのですが、死が差し迫った時は、その道を選びたくないのです。
 私は、続けて話しました。「あるんですよ!一つだけあるんですよ。」と。聖書の中に、ヨハネの福音書十四章六節、『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』とありますよ!と。
 「イエス様を信じたら、このすばらしい愛が、永遠の世界にまで持ち越されて、それがもっと大きくなってやがて、家族全員が集まって、共に過ごすことができる、そんな道があるんですよ。」と話したら、その方が、「その道を選びたい!」と言うのです。
 やはり、人間は「死んだら終わり」と口では言いますが、差し迫った死を目前にするならば、誰もそれを選択したくないと思います。

 でも私は、その方の発言を聞いて、ちょっと虫のいい話だなぁと思いました。今まで、「俺は無神だ」なんて言っていて、死ぬ寸前に、「そんな道があったら選びたい」なんて、あまりにも虫がよすぎるじゃないですか。
 でも、それでいいのです!聖書の救いは、むちゃくちゃいい話です。なんと、ぎりぎりでも救われるのですから。
イエス様と一緒に、十字架につけられた二人の強盗たちがいました。イエス様を真ん中にして、自分たちも十字架につけられたのにも関わらず、悪口三昧でした。「おまえが神の子ならば、自分で自分を救ったらどうだい。自分で自分を救え!」なんて、悪口雑言ばかり言っていました。
 しかし、片方の強盗が途中で気が変わりました。イエス様の受け答えをみていると、「普通の人とは違うぞ!」と。それで、イエス様にこう言いました。今までは悪口を言っていたけれど、「イエス様、あなたがパラダイスに行く時には、私を覚えてくれませんか?」という、むちゃくちゃ虫のいい要求をしました。
 その時、イエス様は何と言われましたか?「あなたは今日、わたしと共にパラダイスにあります。」と言われたのです。すごいと思います。私はそこを読むたびに、イエス様って、救い主だなぁと思います。
私なら、絶対にそんなことは言いません。「なにを言ってんだ!今まで俺に何と言ったんだ。悪口三昧言っておきながら、舌べろが渇かないうちに、天国に連れて行ってくれだと?冗談じゃない!おまえなんか地獄のどん底に突き落としてやる!救ってやるもんか!」とか言って死んでいくと思います。イエス様はなんと、十字架についた時に、死ぬ寸前の強盗を天国に入れてあげたわけです。
 本当にイエス様の救いは、完璧です。イエス・キリスト以外に、救いはない!ということは本当です。

 ということはどうでしょうか。日本人が日頃口にする、「輪廻する、先祖の霊になる、死んでなくなる」という、三つの選択肢から選びたいと思う人は、誰もいないのです。
 けれども、悲しいかな、日本人として生まれたならば、この中から、選ぶしかないのです。
 しかし、私たちがイエス・キリストを信るなら、もう一つのオプションがつくのです。それが何か「永遠の国、天国に入る」という道です。
 「さて、この四つの中から、みなさん、どれをお選びになりますか?」という話をしたら、全員、「四番目!」と言います。今回、どれだけのご老人の方々を、四番目に導いたか分かりません。人は、差し迫った現実に対して答えを持っていないです。しかし、イエス様を信じれば、出国後、神の国に行くことができるのです。

 そして、先ほど語った、「一番から三番まで」は、全て偽りです。悪魔が作ったストーリーです。
 実は、出国後、入国できる国は、たった二つしかありません。それは、神の国か、サタンの国かの二つに一つです。

 出国した後、入国できる国は、二つに一つしかありません。日本人は、多くあるように考えているけど、違うのです。輪廻も違うし、先祖の霊になるのも違うし、消えてなくなるわけでもないのです。二つしかないのです。それは、神の国に入るのか、それとも、悪魔が支配している国に入るのかのどちらかです。
 出国した場合、どういうことが起こるのか。お迎えが来ているのです。みんな言うじゃないですか。「お迎えが来る」って。本当にお迎えが来ます。
 この二つの国から、私たちを迎えに来るのです。そして、どちらかに引き取られていくのです。本当です。あなたは百年以内にそれを体験できます。

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 しっぽが生え、角が生えたのが来るか、神の国から天使が迎えに来るか、どちらかに私たちは引き取られていくのです。
 しかし、私たちがこの地上で、「この方以外に救いはない!」と、「イエスが救い主だ!」と信じるならば、必ず、光の天使があなたを永遠の国に連れて行きます。そしてもう一度、この地上によみがえることができるという、すばらしい未来を保証されるのです。

 今日、ここにおられます全員が、光の天使に導かれて、主が支配される永遠の国に入ることを願っています。四十七都道府県の集会を、なぜやっているかというと、まさにこのためです。全員が、イエス様を信じて、永遠の国に入ってほしい!悪魔の国に入ってほしくない!ぎりぎりでもいいから、イエス様を信じて、永遠のいのちを受け取っていただきたい、この一念で「四十七都道府県巡回ミッション」は進められています。ぜひとも、残された沖縄のためにも祈っていただき、今後とも、この働きを、日本国内、世界に広げていくことができるよう、サポートし、祈っていただきたいと願っています。

 今日、ここにおられるすべての方が、イエス・キリストを救い主として受け入れる選択をしていただきたいです。
それは簡単です。イエス様と一緒に十字架についた強盗と同じです。「イエス様、私を覚えてください。」と言ったらよいのです。「イエス様、私を覚えてくれませんか?」そうしたら、イエス様は、「わかった。今日、あなたは私と共にパラダイスにある。」と言ってくださるのです。

最後に、ご一緒にお祈りをしたいと思います。私の後について、お祈りをしていただきたいと思います。では、一緒に祈りの時を持ちましょう。イエス様!と言ったら、イエス様!と、大きな声でくり返していただきたいと思います。

 イエス様。私を覚えてください。私はイエス様だけを、救い主として受け入れます。私の罪を、すべて赦してください。永遠のいのちを与えてください。私だけでなく、家族も、親族も、救って下さい。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン。