『あなたは「残りの者」です! パート3
~主の歩まれた地を巡って~』

2016年11月20(日)
新城教会主任牧師 滝元順
ミカ書5章7節〜9節

『そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、主から降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みをおかず、人の子らに期待をかけない。ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎては踏みにじり、引き裂いては、一つも、のがさない。あなたの手を仇に向けて上げると、あなたの敵はみな、断ち滅ぼされる。』

 ハレルヤ!ゴスペルクワイヤーの素晴らしい賛美を聴くことができまして、心から感謝します。まもなく、クリスマスがやって来ます。一年、早いな〜と思いますが、クリスマスには多くのクリスマス・プログラムがありますので、楽しみにしてください。

 特に、十二月十八日には、ジョン・フルッカーさんがコンサートを持ってくださいます。私は、「四十七都道府県巡回リバイバルミッション」で、ジョンさんと一緒に各地を回りました。彼は素晴らしいエンターテナーです。今回は生バンドと共に、迫力ある演奏してくれますから、是非とも、多くの方をお誘いいただきたいと思います。

 また、十二月二十四日は、今、賛美しましたヘブンリー・キングダムがコンサートを持って下さいます。今年彼らは、豊川でコンサートを行いました。よくまとまった、すばらしいゴスペルを歌って下さいます。クリスマス、多くの人に福音を伝えたいと願っています。

 みなさんのお祈りに支えられ、イスラエルツアーも、守られ、無事に帰ることができて感謝します。今回ほど安らかな、祝福されたツアーもありませんでした。本当に楽しかったです。やはり、祈られているツアーは違うなと思いました。今日は、そんな旅から学んだ事を交えて、み言葉を学んでいきたいと願っています。

 近頃、主が私に語ってくださっているみ言葉が、ミカ書五章です。「残りの者」として、主が用いてくださるという、み言葉を掴んで、イスラエルに行って来ました。ミカ書の五章のみ言葉は、本当に励まされるみ言葉です。残りの者は、乾ききった時代が来たとしても、雨を降らしてあげますよ、露を降ろしてあげますよ、森の獣の中で、ライオンのような存在にしてあげますと。さらには、羊の群れの中の若い獅子のようにしてあげると約束されています。
 そして究極的には、『あなたの手を仇に向けて上げると、あなたの敵はみな、断ち滅ぼされる。』とあります。すごいじゃないですか。パワーがどんどんアップしています。
 まずは、森には多くの獣がいますが、その中のライオンです。次の段階では、羊の中に送られた若い獅子です。力が対等の獣と戦うのではなく、羊の群れの中のライオンですから無敵です。そして最終的には、手を上げるだけで敵が倒れると言うのですから、そんな痛快なことはありません。私たちが、人に信頼するのではなく、主に信頼するなら、どんな時代が来たとしても、あなたをそのように扱ってあげますという約束です。このみ言葉を握って、イスラエルに行ってまいりました。

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 今回、大きく分けて、四つの場所に行きました。四箇所を訪問して学んだことを、お分かちして、恵みを受け取っていきたいと願っています。

 最初に、ガリラヤ湖の北の「ピリポ・カイザリヤ」という場所に行きました。

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 この場所は、聖地旅行に行かれた方ならば、訪問したことがあるかもしれません。ガリラヤ湖は淡水湖です。ここでイエス様は、いろいろな奇蹟を行われたのですが、ピリポ・カイザリヤは、ガリラヤ湖の水源です。このように水が沸き上がっています。

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 そこに行きますと、こんな洞穴があります。

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なにか奇妙な雰囲気がするのですが、実は新約聖書を見ますと、この場所は大変重要な場所として述べられています。マタイ十六章十三節〜十六節、

『さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」』

 ピリポ・カイザリヤは、イエス様の活動の中心地から、五十キロくらい北上した街でした。当時は車はありませんでしたから、徒歩でしか行くことができませんでした。たぶん二日、三日かけて、イエス様はわざわざ弟子たちを、そこまで連れて行って、「あなたは、わたしのことをだれだと言いますか。」と質問されたのです。
 これは、私たちにも適用できることだと思います。イエス様は、私たちに、「あなたは、わたしのことをだれだと言いますか。」聞かれるはずです。みなさんは、どのように答えられますか。
 その時、弟子たちは、「巷では、あなたのことを預言者だと言ってますよ!」とか、いろいろと答えたのですが、「あなたはわたしのことをどう言うのですか。」と聞かれたわけです。その時、ペテロが弟子たちを代表して、「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と、イエス様を救い主として、メシアとして、認めたのです。
 このようにイエス様に対する信仰告白がなされた場所が、ピリポ・カイザリヤです。こんな洞穴がある場所にまで、わざわざ連れて行って信仰告白に導いたのです。
 先週、撮った写真なのですが、今でも洞穴が開いています。
 実は、かつては、このような神殿がこの場所に建っていました。

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 これはギリシャ神話の神殿で、半分が人間で、半分が羊の姿をした、「パン」という神が祀られていた神殿でした。こんな偶像の神殿の目の前にまで、弟子たちを連れて行って、「あなたは私のことを誰だと言うんですか。」と尋ねられたわけです。
 弟子たちはイエス様に対する信仰告白を、どこでしたかというと、教会の十字架の前でしたわけではないのです。なんと、偶像の面前で、それに対抗する形で、「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と、大胆に告白したわけです。

 イエス様の時代、イスラエルはローマ帝国によって支配されていて、ローマはイスラエルを三つに区分しました。ピリポ・カイザリヤはその第二区分に当たりました。ローマは三つの領域にそれぞれ、皇帝礼拝をする場所と、偶像の神殿を作って住民に礼拝を強要したのです。
 ピリポ・カイザリヤには、第二地域の人たちすべてが集まって、ごった返していたわけです。その地域の人たちに、「神様って誰ですか?」と聞けば、「目の前のパン神が私たちの神様です。」と答えていたわけです。しかし弟子達は、人々が偶像礼拝をしているただ中で、大胆に、「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と答えました。

 これは日本と同じです。私たちは、クリスチャンになったら、みんなが喜んでくれるような環境の中で、イエスを信じるわけではないのです。大多数の人たちが、偶像の神々になだれ込んでいくような参道に立ち、「私は偶像には仕えません!イエス様だけに仕えます!」と宣言するのです。
 やはり原点に行って聖書の言葉を読むと、よく分かります。弟子たちも、私たちと同じような環境でイエス様に従って行ったんだな〜と分かります。
 その時に、イエス様は弟子達に何と言われたのかというと、マタイの福音書十六章十七節、

『するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。』

 日本に住んでいて、周りは偶像だらけです。なかなかクリスチャンになりにくい環境ですが、そんな中、イエスが救い主であると信じることが出来たとしたら、自分で理解したように考えるけれど、そうではないのです。そのことを理解させて下さったのは、他でもなく、「天にいます父、天地宇宙を造られた父なる神が、あなたに教えたのですよ!」と語られています。
 時々、「私は神に会ったことがありません。」なんて言うクリスチャンがいます。しかしイエス様が救い主だと分かったなら、父なる神に出会っているのです。そうでなければ、告白できないからです。
 続けてこのように言われました。

『ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。』

 ハデスとは何か、それは、悪魔・悪霊どもの住処のことです。悪魔・悪霊どもの住処は、先ほどの写真を見るとよく分かります。人々はパンの神殿の門をくぐって、中に入って行ったわけです。日本でも同じです。洞窟のただ中に、観音像があったり、仏像があったりします。そこが悪魔・悪霊どもの住処だと言っているわけです。
 偶像礼拝は、なんらかの霊感を感じて行くのですが、それは、悪魔・悪霊どもの巣の中に入っていくようなものです。
 しかし、私たちがイエス・キリストを信じると、「ハデスの門もそれには打ち勝つことはできない!」と言われました。イエス様を信じるなら、ハデスの門を打ち破る存在となるのです。そればかりか、

『わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」』

 なんと、天と地が連動する鍵を下さるのです。あなたがこの地上で鍵を使って祈るなら、天の扉が開くのです。また、地上の悪しき扉も鍵を使って閉じるなら、悪しき天においても扉も閉められ、ハデスの門に打ち勝つのです。
 この場所に行って、マタイの十六章のみ言葉を宣言して、日本も同じような、偶像の神々の環境の中にありますが、敵の面前で、「イエスは主である!」と宣言し、敵の門を勝ち取る祈りをしました。

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 二番目に、スシータに行きました。このスシータは、ガリラヤ湖の東側にあった古代の街です。ここはどういう所かというと、崖の頂上に位置します。

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 崖の下が、ガリラヤ湖です。このような険しい崖の上に街があったのですが、途中には、こんなサインがありました。

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「地雷が埋めてあるから気をつけろ!」という標識です。
 しかし登る道は大丈夫です。鉄条網を超えると、爆発するみたいです。危ないです。でも、この地雷は、戦車用の地雷だそうです。だから、体重が重い人でなければ大丈夫だと言っていました。私たちのような軽い人は大丈夫みたいです。あっ、ちょっと危ないかもしれません・・。
 ここを登って行きますと、広い場所があって、かつてここに大きな街があったことが分かります。そして、周辺には、このような穴が開いています。

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 実はここが、イエス様時代に「ゲラサ」と呼ばれた場所なのです。

 マルコ四章を見ますと、イエス様がゲラサに行かれたことが書かれています。途中、ガリラヤ湖の上で、突風が吹いて、あやうく舟が沈没しそうになりました。しかし、その時に、イエス様が風と湖に、「黙れ!静まれ!」と、言われると、おおなぎになったと記されています。その後、マルコの福音書五章一節〜三節を見ますと、

『こうして彼らは湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。イエスが舟から上がられると、すぐに、汚れた霊につかれた人が墓場から出て来て、イエスを迎えた。この人は墓場に住みついており、もはやだれも、鎖をもってしても、彼をつないでおくことができなかった。』

 穴の写真をお見せしましたが、あれは古代の墓場です。ゲラサの男、どこに住んでいたのでしょうか。この中の一軒に住んでいたのでしょう。現地に行くと聖書の世界が目の前に広がっています。聖書に記されている話は、おとぎ話とか、神話という部類ではなく、歴史的事実であることが、よく分かります。

 イエス様は、その男から、悪霊を追い出したのです。その時、どんなことが起こったかがマルコの福音書五章五節〜十節、

『それで彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた。彼はイエスを遠くから見つけ、駆け寄って来てイエスを拝し、大声で叫んで言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」それは、イエスが、「汚れた霊よ。この人から出て行け」と言われたからである。それで、「おまえの名は何か」とお尋ねになると、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないでくださいと懇願した。』

 このみ言葉をこの場所で読むと、男が山と墓場で騒いでいたというのが分かります。
 ここで、イエス様が「レギオン」という悪霊を追い出したのです。レギオンとは、六千匹くらいの、悪霊の集団、軍団だったのです。それを追い出すと、男が正常になったばかりでなく、この近所に、デカポリスと言って、十くらいの街があったのですが、全体に福音が広がりました。
 どうしてか、「私たちをこの地方から追い出さないでください!」とレギオンが願っているように、レギオンは町々に執着していたのです。街々を支配していた、レギオンが打ち負かされたことによって、そのような奇蹟が起こったわけです。

 では、なぜ、レギオンはそんなにも強力になったのか、その理由がここに行くと、よく分かります。この街の名を、「スシータ」というのですが、ヘブル語で、馬のことを、「スース」と言うそうですが、「スシータ」とは「雌馬の街」という意味だそうです。
 実は、ここには、時に雌馬に変身する「デメテル」という、ギリシャ神話の豊穣の女神が祀られていたのです。人々は、街の真ん中にあるデメテル神殿に行って拝んでいたのです。先ほどのパンの神殿と同じです。

 同時に人々は、墓場に行って祖先を拝んでいたのです。これは、日本と同じです。日本人も、町の真ん中に神社があって、住民全体が拝みに行く、もう一つは、墓場に祖先崇拝に行きます。ゲラサの人たちも同じことをしていました。前にも話しましたが、今でもギリシャ系の人たちが、一番よく、墓参りに行くと言われます。
 イエス様の時代も、ギリシャ系のスシータにおいては、多くの人が墓参りに行っていたのでしょう。よかれと思って、文化として行っていたのですが、どんなことが起こったのかというと、悪霊どもがどんどん集まって来て、六千匹もの軍団になっていたのです。そして恐ろしい男が出現して、街の人たちはびびりまくっていたのです。
 しかし、イエス様がそこに行って、地域を支配していた悪霊どもを打ち破られたことにより、街が変えられた!リバイバルが起こった!同時に、この街の根源的な問題も解決したのです。
 今回、私たちは、霊的戦いの視点で、この場所に行きました。普通のツアーでは、ここには行きません。なぜならここは、考古学的発掘の最中で一般には公開されていないからです。しかし、頼めば行くことができます。

 レギオンが男から追い出された後、なんと言っているのか、「私たちを豚の中に追いやってください。」と頼んでいます。するとイエス様は、「行け!」と言われました。レギオンは豚の中に入り、崖からなだれ落ちて溺れて死んだとあります。

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 とんころりんの丘と呼ばれますが、ここから豚が転げ落ちて、湖に落ちたのでしょう。よく分かりますね。デメテルが神殿で拝まれていたと仮定すると、福音書の記述がよく理解できます。
 デメテルは、風や波、自然を支配する力を持った神とされ、もう一つ、聖獣として、デメテルにはべっていたのが豚でした。「豚の中にやってください。」とは、「私たちを追い出さないでください。」という意味です。日本も、地域全体が悪霊にしばられています。そこに主が来てくださるなら、レギオンの力は打ち破られ、町に新しいことが起こる、そんな期待感を持って、戦いの原点に行って、祈ることができました。

 続けて、イエス様の時代、「スカル」と呼ばれていた街に行きました。この場所はアブラハムの時代には、「シェケム」と呼ばれていました。
 ここは、「イスラエルの原点」とも言える場所です。この街にこのような井戸があります。深さ四十メートルです。水を汲んで水を落とすと、しばらくしてから音がします。すごく深い井戸です。


 実はここで、イエス様の時代に一つの出来事がありました。

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イエス様が、疲れて、この井戸の近くに座っていた時、一人の女が真昼に出て来て、水を汲んでいました。その時にイエス様が、「ちょっと水を飲ませてくれませんか?」とその女に声をかけたという、サマリヤの女のストーリー、それが、この井戸で起こったのです。今でも水が枯れていないのです。

 ガイドさんは左側のおじさんですが、水を汲んで、「飲んでみろ!俺も先週飲んだけど、お腹は痛くない!」とか言ったので、飲んでみました。「イエス様も、この水を飲んだんだろうな!」と、感動して飲ませていただきました。イエス様はこの井戸のそばで、一人の女性を導いたわけです。ヨハネの福音書四章三節〜七節、

『主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は第六時ごろであった。ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。』

  水を飲ませてくれと、イエス様は一人の女性に訴えたわけです。その時に、このサマリヤの女は何と答えたかというと、ヨハネの福音書四章九節から、

『そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」──ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである──イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」』

 意味深な言葉を語られました。また、イエス様の時代、社会がどんな環境であったのかも、ここから読み取ることができます。
 イエス様は、ユダヤ人でした。ユダヤ人とは、「ユダ族の人」という意味です。イスラエルには、十二部族があり、これも前にお話ししましたが、ヨセフ族がマナセとエフライムに分かれていますから、全部足すと十三になるのですが、ユダ族とベニヤミン族が一緒になって、南朝のユダ王国を作りました。レビ族は、十二部族を祝福する役割でした。あとの十部族が、イスラエル王朝を作りました。日本でも、天皇家が南朝、北朝と別れた事がありましたが、イスラエルも、国が二つに分裂して、ユダとベニヤミンが、ユダ王朝を、あとの十部族が、イスラエル王国を作りました。
 それが起こったのが、紀元前十世紀くらいのことです。ですから、イエス様の時代は、その千年後くらいですから、二つの国が元々は同じルーツだったのですが、全く違った国みたいになって、北イスラエルの人たちをサマリヤ人と呼んでいました。そして、ユダヤ人とサマリヤ人は、付き合いをしなかったというのです。喉が渇いて、「水を飲ませて!」と頼む事さえ、普通ではなかったみたいです。相当、こじれにこじれていたのです。
 ヨハネ四章十六節から見ると、その事を読みとることができます。イエス様が、この女に「生ける水をあげる。」と言ったら、「私もほしい!どうやったら、もらえるんですか?」と聞くわけですが、その時のイエス様の答えが、十六節から出ています。ヨハネの福音書四章十六節〜二十一節、

『イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。』

と語っていますが、この中に歴史的背景が含まれています。いろんな背景があるのですが、一つは宗教的問題でした。それも、礼拝する神が違うのではなく、ユダヤ人とサマリヤ人では、礼拝場所が違ったのです。
  この街には二つの山が両側にあります。それがエバル山とゲリジム山です。サマリヤ人たちは、ゲリジム山が、神を礼拝する正式な場所だと考えていました。



サマリヤ人たちは、ゲリジム山が、神を礼拝する正式な場所だと考えていました。
 しかし、ユダヤ人たちは、「いや。エルサレムが正しい礼拝場所だ!」と言って対立していたわけです。歴史的にも礼拝場所の違いで戦いがあり、こじれにこじれていたわけです。
 しかし、イエス様は、「エルサレムのほうが正式ですよ。」「ゲリジム山が正式ですよ。」とは答えませんでした。イエス様の答えは、『この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。』と告げました。「霊とまことによって礼拝する」、どこでも神を礼拝できる時代が来ます!と言って、サマリヤの女を導かれたわけです。ゲリジム山は、旧約聖書の時代から今に至るまで、同じ山です。動いていないです。ここに行って、聖書を読むと、本当によく分かります。

 ここにアブラハムがサライを連れて入って来たのです。手前に石が崩れたような廃墟が見えますが、アブラハムが入って来た時、「その地には、カナン人がいた。」と記録されていますが、カナン人たちの建てた、最古の町の廃墟です。そこにイエス様も行かれたのです。
 今回、私たちは、「あの山でもない、この山でもない。霊とまことを持って、私たちはどこでも礼拝できる!」とみ言葉を宣言しました。
 このゲリジム山の周辺に、なんと、今でもサマリヤ人の子孫が今でも、礼拝を続けながら、住んでいるのです。
 今回、サマリヤ人の子孫に出会いました。

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 北イスラエルって、十部族でしたから、南ユダよりもずっと人口が多かったのです。北イスラエルができた当時は、三百万人くらいいたそうです。
 しかし、今、何人残っているか知っていますか?なんとたったの、「七百九十人」だそうです。どんどん殺されて、減って、たったの七百九十人です。
  彼らは自らを残りの者たちと呼び、頑なに、ゲリジム山麓で礼拝を続けています。サマリヤ教団には今でも祭司がいて、「話をしたいです。」と、申し込むと、話すことができるのです。今回、サマリヤ教団の祭司と言われる人に時間を取ってもらって、一時間くらい、話を聞かせてもらい、いろんな質問もしました。いろんな質問もしました。最後には白熱した討論となりました。

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 サマリヤ人の祭司に、「イエス様のことはどう思いますか?」と聞いたら、「彼は預言者だ。」と答えました。あれ?どっかで聞いたことがある言葉だなぁ…と思いました。スカルの井戸でイエス様に会った女も、「あなたは預言者だと思います。」と言っているのです。今も、全く考え方が、変わっていないのです。彼らは、このゲリジム山で、メシアが来ることを待ち望んで祈っているのです。二千年前と同じこと言うじゃないか!と感心しました。

 この人たちって、イスラエル人の血筋を、真に継いでいる人たちです。ある意味で、真のイスラエルと言えると思うのです。彼らは自ら、「残りの者だ!」と言っています。
 この人たちの祝福を祈り、彼らが祝福されることが、本当の意味でイスラエルが祝福され、世界の回復につながるのではないかと、今回は、彼らの祝福を祈ることが出来ました。本当に良かったです。
 そして今回、私には一つのミッションがありました。それが何かと言ったら、この祭司のおじさんにヘブル語の新約聖書を渡すというミッションでした。なぜなら、新約聖書の中には、サマリヤ人のことが書かれているでしょう。良きサマリヤ人のこととか、サマリヤの女のこととか、書かれていますから、「この本の中に、あなたたちのことが記されていますよ。読んでみてください。」と言って、渡すことができたら、昔、サマリヤの女が救われたことによって、サマリヤにリバイバルが起こったことが書かれていますが、同じ事が起こるかも知れません。ヨハネの福音書四章三十九節、

『さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。』

 同じことが起きるように!と祈ってヘブル語の新約聖書を渡しました。喜んで受け取ってくれました。

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 「この中に、あなたたちのことが書かれていますから、読んで下さい!」と言ったら、「わかりました。」と、受け取ってくれました。是非とも、この人達がイエス様と出会い、救われるように、祈ってください。
 今回、目に見えない世界においては、大きな事が起こったのかもしれないと期待して、帰って参りました。 みなさんの祈りを本当に感謝します。

 そしてもう一つは、エルサレムです。今日は時間がなくなってしまったので、来週に回したいと思いますが、エルサレムはこんな感じです。

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 黄色い金色のドームが見えるでしょう。これは、イスラムの神殿です。昔、イエス様の時代には、あの場所にユダヤ教の神殿が建っていました。

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 サマリヤにはサマリヤ教団の神殿が建っていて、エルサレムにはユダヤ教の神殿があったわけです。
 しかし、両方とも壊されてしまったわけです。今じゃ、イスラムの神殿が建っています。ルカの十九章を、家に帰ったら、是非とも読んでいただきたいと思います。ルカの福音書十九章四十一節〜四十四節に、こんな事が書かれています。

『エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」』

 イエス様は、エルサレムの崩壊と滅亡を、知っておられたのです。イエス様の時代は神殿が建っていたのですが、滅ぼされます!と預言された通りになって、今、見てください。ユダヤ教の神殿の場所に、イスラム教の神殿が建っているのです。また、サマリヤ人の神殿も壊されてしまって、両方とも廃墟となっています。

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 ユダヤ教の神殿は、かろうじて昔の神殿の壁だけ残っています。壁だけが残っているので、ユダヤ人達はそこに手を置いて、真剣にメシアが到来するように祈っているのです。黒い服を着ています。サマリヤ教の人たちは白い服を着ています。
 なんか対象的ですが、五十キロくらいの距離を挟んで、二つの神殿があって、昔も、今も同じです。
 では、どうして神殿が崩壊したのか?いろんな理由があるのですが、今回、少し学んで来ました。

 今日は、あまり詳しくお話しすることができないのですが、ルカ十九章のはじめから見ると、ザアカイの話が出てきます。ルカの福音書十九章八節〜十節、

『ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」』

 ザアカイの話から、十九章は始まります。ザアカイの話は、エルサレムではなくて、エリコという、死海に近い街で起こったことです。ザアカイという、背が低い取税人が木の上に登って、イエス様が来るのを待っていたと書かれています。
 今でもザアカイが登った木が残っているのです。見てください。この木です。

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 私は、「そんな木、残っているわけじゃないか!」と思いました。二千年前ですから。
 でも、今回のガイドさんは、正直でした。普通は、「これがザアカイが登っていた木です。」と嘘を言うのですが、今回のガイドさん、「この木は、三代目だ。」と言っていました。
 なぜなら、この木は八百年くらいの寿命があるそうです。だから、三代目だと言うのです。三代前のじいちゃんの木に、ザアカイは登っていたらしいです。

 ルカの十九章を読み進んでいくと、その後、一人の人が、十ミナを持って来て、十人の人たちに、一ミナずつ渡して、「商売をやれ。」と続きます。
 十九章って、すべて、お金のことばかりが書かれているのです。そして、「エルサレムに行って、イエス様が泣いた。」という記事につながるのです。これは、どういう意味かということなのですが、今回、そのことをユダヤ人のガイドが話してくれて、納得しました。
 なんと、イエス様の時代は、エルサレムはこんな感じだったそうです。

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 手前にあるのが神殿です。これはオリーブ山から街を見た光景で、エス様が、この町を見て泣いた光景を再現しているのです。「イエス様が泣いた」と書かれているけど、それは、しくしく泣くのではなくて、うわーっと、激しく泣いたというのです。
 この街の光景を見て泣いたというのですが、どうしてかというと、今回の説明によると、神殿が手前で、その上のほうに富裕層の家々、下方が、貧困層の家々、イエス様の時代、神殿に仕える祭司とかレビ人たちは、神に仕えるのを忘れて、神殿税を徴収し、生け贄用の動物なんかを売って、かなり儲けていたというのです。

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 宗教家達は、富裕層の人たちとつながって、利権を握っていました。富が、富裕層とか宗教者たちの手の中にすべて握られ、貧困層の人たちは、奴隷のような状況になっていたというのです。それを見られて、イエス様は、激しく泣き、「エルサレムは崩壊する!」と預言されたというのです。

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 先日のアメリカ大統領選挙、なんと、トランプが勝ちましたね。私は、トランプが勝つように祈りましょう!と、ちらっとは言いましたが、みなさんの冷たい視線を感じましたので、あんまりつっこんじゃいけないなと思ってやめたのですが、私はトランプが勝つといいな!と、二人に一人を選ぶなら、そう思っていました。
 ヒラリーが勝つとみんな思っていたでしょう。しかし、トランプが勝ったのです。どうしてか知っていますか?今回、アメリカから竹内先生達がツアーに参加してくださって、話していましたが、「今回は、アメリカ庶民の勝利だ!」と言うのです。「アメリカ人をバカにするな!」という、勝利のシンボルが大統領として選ばれたというのです。
 実は、ヒラリーとトランプ、選挙戦で、集めたお金の額、なんとヒラリーはトランプの三十倍も資金を集めたのです。しかし、ヒラリーは落選したのです。お金を、少ししか集めることができなかった、自己資金で選挙戦を戦ったトランプが勝利したのです。
 どうしてかと言ったら、前にもお話ししましたが、現代はごくわずかの人たちにお金を握られていて、ほとんどの人たちが貧困層という、超格差社会です。そのような中で、多くの人々が苦しんでいて、今までのように、富裕層からお金をもらって大統領になるような人物は、うんざりだ!ということで、トランプが勝ったというのです。

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 富裕層が貧困層の小銭まで搾り取っています。あなたが転がっているじゃないですか。私も転がっています。私たちは小銭さえも、富裕層から搾り取られているのです。世界には、富裕層と貧困層という、くっきりした層ができてしまったのです。
 イエス様の時代も、全く同じだったのです。富裕層と貧困層に分かれて、これじゃやっていけないよ!ってね。すべてが金で買い取られるような時代でした。
 しかし、そこに、イエス様が来られて、激しく泣いて、エルサレムの滅亡を預言し、その後、十字架につながり、救いが完成したのです。
 救いは、現代社会と深くつながっていることを、今回強く、感じたのですが、ちゃんと時代的背景を聞かないと、聖書も正しく理解できないと思います。
 今回のイスラエルツアーで様々なことを学ばせていただきました。また、時間のある時に、もう少し詳しく述べることができたらいいなと思いますが、私たちは、残りの者として、主が歩まれた地を巡って、祈りを捧げることができたのは、見えない世界では大きな意味があったと信じます。

 私たちは砂漠のような時代に住んでいますが、そんな中でも、あなたに露を降らせてあげますよ!夕立を降らせてあげますよ!そして、あなたが手を挙げるなら、仇は倒れるほどの、すばらしい勝利を与えてあげます!と約束されています。
 最後に一言お祈りして、終わりにさせていただきます。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて、心から感謝します。主が守ってくださり、旅路を支えてくださったことを心から感謝します。教会の強力なとりなしの祈りがあって、すばらしい旅をすることができ、心から感謝をします。み言葉が、一人一人の心の中に種として蒔かれ、実を結んでいきますように。
 今から、聖餐式を行います。あなたが私たちの罪のために十字架にかかってくださったことを心から感謝します。今はよみがえられ、生きておられます。
 私たちが残りの者として、働きを全うすることができますように。ここに備えられましたパンとぶどうのジュースを、み言葉と聖霊によって祝福し、あなたと一つになる時とさせてください。イエス様の御名によって、祈りを御前にお捧げします。アーメン。