「腰に帯を締め、あかりをともしていなさい」

2017年1月8(日)
新城教会牧師 滝元開
ルカ12章35節〜40節

『腰に帯を締め、あかりをともしていなさい。主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸をあけようと、その帰りを待ち受けている人たちのようでありなさい。帰って来た主人に、目をさましているところを見られるしもべたちは幸いです。まことに、あなたがたに告げます。主人のほうが帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばにいて給仕をしてくれます。主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、いつでもそのようであることを見られるなら、そのしもべたちは幸いです。このことを知っておきなさい。もしも家の主人が、どろぼうの来る時間を知っていたなら、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。あなたがたも用心していなさい。人の子は、思いがけない時に来るのですから。』

 今日は、「腰に帯を締め、あかりをともしていなさい。」というタイトルでみ言葉を開かせていただきました。昨年末のカウントダウンワーシップの時に私が開いたみ言葉ですが、このみ言葉を与えられ、今が終わりの時代だということをとても感じさせられています。ですから、このような時代の中で、私たちは、しっかりと腰に帯を締めて、あかりをともして、主の帰られる道を備えなければならないと感じるとともに、私たちはそんな時代の中に立たされていることを認識しなければなりません。
 世の中はどんどん暗くなって、大変な時代の中にあるのですが、でも教会は本当にすばらしいと思います。こんなにも大変な時代の中にあって、この二〇一七年はじまって、なんだかとても希望に満ちていますね。すばらしいみ言葉が先生方から語られて、本当に主がご用意され、そして、私たちにくださるものが、私たちの思いを越えた、すばらしく大きなものであることを信じて、この二〇一七年進み、そして、「良きもので満たされる!」という、そんな信仰を持って、立つことができるということを本当に嬉しく思います。

 つい先日、シオンタイムがありました。その集会の中で、みなさんが本当に希望に燃えているのです。「今年は何か期待できる!」と、希望に燃えておられて、いや〜すばらしいな〜と、本当に、お年寄りから若者の世代に至るまで、神様がくださるこの希望に向かってこの暗い世界の中で歩むことができるというのはすごく大きな恵みだと思います。

 でも、そんな中で、私自身のスタートは、この年が始まって、二十四時間PPHがあって、今回、今まで以上にハードなスケジュールでした。二時間だけ睡眠を取って、その間に山に行ったり、歌ったりというのが、ずっと続いたものですから、終わったらもう声が出なくなっていました。今日はだいぶ声が出るようになったのですが、先週は本当に声が出ない状況でした。
 そんな中での出来事です。私の家は、薪ストーブなのですが、ストーブのために昨年、薪棚を作りました。自分で作って、新たな場所に設置して、そしてそこから薪を運ぶのですが、夜、暗い中で、薪を運んでいました。私は薪を持ち上げて、そしてこう振り向きました。振り向いたら、そこに何があったかというと、物干し竿がありました。それがばーん!と、ここに(額)当たりました。もうめちゃくちゃ痛くて、真っ暗闇の中で、やってしまった!と思いました。
 気づいた方がいらっしゃるかもしれませんが、この額に、何と三日月型の傷がつきました。月光仮面ですよ。イスラムのシンボルみたいなものをつけてしまって、いや〜えらいことになってしまった!本当に希望に満ちて、さぁこれからだ!と、みなさんがおっしゃっている中で、私は三日月の傷を額につけるということからはじめてしまいました。私の心はへこみはしなかったのですが、すべてのことを感謝しなさいと書かれているので、最初に思ったのは、いや〜感謝だったな!思いました。もしこれが家内だったら、あの美しい顔が…、いや、ちょっと余分なことを言いましたが、顔に傷がついたら申し訳ないし、娘たちだったらかわいそうだと思うし、私で良かったな!と。額に三日月型の傷をつけてしまいましたが、痛みを感じつつ、ひたすら冷たい水道水に額をつけて、腫れないように!と思っていたのですが、腫れずに済みました。でも、この傷消えるかなと思ったら、やっぱり消えないですね。
 月光仮面を知らない子どもたち、たくさんいると思うのですが、月光仮面のおじさんは正義の味方、いい人だというのです。だから、そういう人間にならなければいけないなと思って、ちょっと月光仮面の歌を調べてみました。まず一番を見ると、こんなふうになっています。

1)どこの誰かは 知らないけれど 誰もがみんな 知っている
月光仮面の おじさんは 正義の味方よ よい人よ
疾風(はやて)のように 現れて 疾風のように 去ってゆく
月光仮面は 誰でしょう 月光仮面は 誰でしょう

 誰ですかね〜。そして、二番。二番、結構びっくりしましたね。

2)どこかで不幸に 泣く人あれば かならずともに やって来て 
真心(まごころ)こもる 愛の歌 しっかりしろよと なぐさめる 
誰でも好きに なれる人 夢をいだいた 月の人 
月光仮面は 誰でしょう 月光仮面は 誰でしょう

 いや〜、すごい。こんなこと歌ってたんだな〜。真心こもる愛の歌、しっかりしろよと歌う。いや〜、私はこの年、本当に真心こめて歌って、泣く人がいたらそこに行って、月光仮面のように飛んで行きたいな〜と思っていました。そして、三番、極めつけでした。

3)どこで生まれて 育ってきたか 誰もが知らない なぞの人 
電光石火(でんこうせっか)の 早わざで 今日も走らす オートバイ 
この世の悪に かんぜんと 戦いいどんで 去ってゆく
月光仮面は 誰でしょう 月光仮面は 誰でしょう

 いや〜、霊的戦いの人でしたね。月光仮面は誰でしょう誰でしょう。いや〜、ここで歌うわけにはいかないので。実は、今日のタイトル、「月光仮面」にしようと思ったのですが、あまりにも世俗的すぎるなと思ってやめたのですが、このような暗い時代の中で傷をつけましたが、まだちょっと痛いのですが、そんな中でも本当に月光仮面のように、どこの誰だか分からないけど去っていく。これは主のしもべの姿だなと思います。ただ栄光は主に現されて、主の御業がなされて、だけど「あれ?誰だったんだろう!癒やされている!サタンの力が打ち破られている!」という、そんな者でありたいと、この年、始めさせていただいています。

 この場所でメッセージをさせていただくのは、実は八月十一日の母の召天式の次の日曜日、それ以来です。その後、私は本当にいろんな所を巡りました。
 その時、私がここで語ったみ言葉は、「今日も明日も次の日も進んで行かなければならない」というみ言葉だったのですが、本当に、今日も明日も次の日も神様の手の中で、ここまで進んで来ることができたことを覚えて、本当に心から感謝をしています。

 そして、昨年、私自身、神様に与えられて、また教会に与えられたみ言葉と信じていますが、そのみ言葉が、黙示録のみ言葉でした。三章八節、

『わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。』

 この御言葉が与えられました。私たちはリバイバルのために、日々進んで行かなければなりませんが、しかし、神様ご自身が先立ってくださり、険しい道が平らになって、扉が開かれているということを強く感じた昨年でした。み言葉は真実で、神様は確かに私たちの祈りを聞いてくださるお方だな!ということを、すごく感じました。
 ですから、この年、与えられている、この教会に対する約束を信じて行きましょう。みなさんお一人お一人の勝利は、この教会の勝利です。みなさんそれぞれが遣わされていく所に神様の国が現されて、天が開かれて、天の軍勢が上り下りするような業が、みなさんを通して現されることが、この教会の勝利であり、またこの教会の勝利と使命というのは、この教会のみならず、この日本とアジア、全世界のための勝利につながりますので、その事を信じて、み言葉の約束を握って歩んでいきたいと、本当に心から願っています。

 「腰に帯をしめて、あかりをともしていなさい」。私たちは本当にイエス様がいつ帰って来られてもいいように、腰に帯を締め続けなければいけないというのです。主人が婚礼から帰って来られて、それが夜中になるのか、明け方になるのか分からない。でも、そのしもべたちはいつ帰って来られるかということを、じっと耳をすまして、その主人が帰って来られるのかを待たなければならなかったのです。いつか分からないけど目を覚ましていなければならないというのは、結構ハードなことだと思うのですが、普通寝る時には、腰の帯を取ってリラックスして寝るのですが、私たちは、この今の時代の中では、やはり二十四時間、戦い続ける、そんな姿勢でなくてはいけないと思います。ルカの福音書の十二章の四十節には、

『あなたがたも用心していなさい。人の子は、思いがけない時に来るのですから。』

と書かれています。イエス様は思いがけない時に帰って来られます。私たちはそのような時代に生かされている。そしてまた、そのような時代に私たちが立っているということは、そのような時代に神様が私たちを選んでくださっている。神様の選びというのは本当に完全ですよね。そのような中で、私たちが選ばれて、今この時代にあるということを覚えてすごく本当に感謝しなかったらいけないことだなと思っています。

 つい先日はPPHがありましたが、すごく大きな祝福でした。新城教会の方々のみならず、いろんな所から多くの方々が犠牲を払って来てくださいました。特に正月の一日、二日という、日本全体が大移動する中で遠方から来られるのです。ですから、私も今回、二時間しか眠る時間がなかったとか言っていたのですが、ただ遠方から来られる方々のことを思うと、そんなことでぶつぶつ言っていてはいけないなと思いました。本当に何十キロ、何百キロを運転して来られて、ある方は夜を徹して賛美をして、明け方は山の上まで上がりましたし、本当に夜を徹してリバイバルを求めて一生懸命賛美されている姿の中にすごく感動を覚えました。そして終わったら、それぞれ帰って行かれるのです。交通渋滞の中に入って帰って行かれる。
 いや〜、本当に大きな恵みのPPHだったなと思ったのですが、でも、そのPPHの中で、すごく神様ご自身が、一昨年から語られているように、次の世代に対する働き、神様からのリバイバルバトンがバトンタッチされていくという働きが確実に、私たち、この新城教会のみならず、この日本の教会、それぞれに対して、またお一人お一人に対して、次に受け継がれていく、そんな時だなぁ。それはもう逃げることのできない事実だなぁということをすごく強く感じた、そんなPPHでした。ですから神様は、私たち一人一人のみならず、この日本に対するご計画を確実に進めておられるということを信じて、進んでいきたいと思います。

 昨年、『だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。』というふうに神様がおっしゃって、進んでいく中で、その新しい扉の向こう側というのは、私たちが思っている以上に、神様はもうご計画を広げてくださって、その働きを始めておられるなとすごく感じました。それが、教団教派を越えて、また地域の壁を越えて、それぞれの場所に神様が御業をなしておられるなということをすごく見ました。

 私たちは十一月に、四国の瀬戸内海の二つの島に行きました。そこの牧師先生は、今まで交流のないグループの牧師先生で、普段、なかなか私たちとお交わりのない先生でした。でも、不思議な形で、一昨年お会いして、「島にこれから赴任します。是非助けてください。」と言ってくださって、そして私たちはその島の教会に行きました。
 まず一つ目は、直島という島だったのですが、アートの島といって、今すごく有名な島です。世界中の観光客が今そこに来るのです。フェリーで直島まで渡ったのですが、フェリーの大半が外国人でした。しかも白人系の方々が多くて、みなさん直島に行って、その島を楽しまれるという場所なのですが、そこに小さな教会が随分昔からあったのですが、昨年の三月に献堂されたのです。そして、これからがんばっていこう!という時に、私たちがお邪魔させていただいたのですが、信徒の数はお二人でした。しかもお年寄りのおじいちゃんとおばあちゃん。二人だけなのですが、最初はこんな所でこんな伝道会なんかできるのか?と、否定的だったらしいのですが、でもがんばりましょう!と、若い牧師先生が励まし、一生懸命、全島にチラシを配布して、準備してくださって、結果、すごく大きな祝福でした。その島の方々から、さらに他の島からも、同じ教団のいろんな方々が来てくださって、今まで全く交わりのない方ばかりなのですが、みなさんがすごく喜ばれて、すごく大きな祝福でした。それが直島でのコンサートでした。

 そして、その次の日は豊島という島でのコンサートでした。そこは教会が建って六十年という島なのですが、やはり島はすごく閉鎖的なのです。フェリーが朝、そこの島に着いて、誰々がそのフェリーを下りて、誰々さんちに行ったというのが、朝着くと、夜には島中の人たちが知っていて、「あそこの誰々さんの所にお客さんが来たそうだ。」という噂がすぐに回ってしまうという、そういう島だというのです。だから、そんな中で、教会に行くということは、すごく大きな戦いだというのです。
 そんな教会での集会で、創立六十年で、歴史はあるのですが、信徒数は二十人くらいいらっしゃるという教会だったと思います。その島に前日の夜、遅くについて、一つの民宿に泊まりました。自分の家を開放して、その部屋で泊めてくださって、ご家族の風呂やお食事も一緒にという場所でした。
 お風呂を順番で入るので時間がありました。その民宿のおじさんとずっとお話をしました。もちろんクリスチャンの方ではないのですが、まず石塚さんが入って、私が入って、家内だったのですが、まず石塚さんが入っている時に、家内がそのおじさんに対してイエス様のお話をしました。それで私もお風呂に入って、帰って来たら、そのご主人が「はぁ〜!」と、ちょっと興奮しているのです。どうしたんですか?と聞くと、「あとちょっとで引きづりこまれるとこだった!」と言っているのです。「あとちょっとでイエス様を信じるところだった!引きづりこまれるところだった!」と興奮しているのです。
 そして、今度バトンタッチをして、私もお話をしていたら、本当に感動してくださって、民宿というといろんな人が来るというのです。特に今は、都会のほうからいろんな人が来て、良い人もいれば、そうでもない人も来ると。いろんな人が来て大変なんだけど、「いや〜、感動した!」と、私たちの宿泊をすごく感動してくださいました。
 実は、その方の奥様はクリスチャンでした。ご主人は奥様が教会に行くことに関しては迫害をしない方だったのですが、「俺はいい。俺は仏だから。」とおっしゃっているのです。そもそも、そこに泊まることになった時に、私は予め新城から電話しました。「ザワメキの滝元と申します。よろしくお願いします。」と言ったら、向こうからの返事が、「はい、わかりました。よろしくお願いします。あのね!僕は仏だからね。」という、それが最初のご挨拶でした。思い切り壁を作ってくださっていたのですが、でも今回の交わりを通して、いろんな話をしていく中で、どんどん壁が崩れていくことを感じました。そうしたら、そのご主人、本当に感動してくださいました。次の朝、礼拝だったのですが、ご主人が奧さんを教会まで送ってくるという約束をされていました。
 そして、礼拝に出ていて、奥様は前列のほうおられ、私たちも礼拝に出席していたところ、ふと後方を見たら、何とそのご主人が座っておられるのです。そして、最後まで礼拝に出られて、終わって、そこの教会の方が「今日は新しい方々が来られています。」と、そのご主人を紹介しました。そうしたら、その奧さん、「えっ!あなた来ていたの!」と言うのです。そして、さらに、その後、お昼の交わり会も出て、一緒に食事をしているのです。そしてもう一人、ノンクリスチャンの方が来られていて、「あなた毎週来ているのですか?」と聞くと、「そうではない。はじめてだ。」と言いながら、ご飯を食べていて、そして、午後のコンサートにも出席され、本当に大きな恵みの時でした。神様は確実に、救いの扉、開いておられるな。神様が開かれた向こう側は素晴らしい大きな祝福が満ちているということをすごく感じた、そんな時でした。

 そして、午後からのコンサートでのことですが、コンサートに果たしてどれだけのノンクリスチャンの方が来られるか、結構その教会員の方々にとっても、大きな関心だったのですが、一人のご高齢のご婦人の方が来てくださいました。「ようこそおいでくださいました。」と私もご挨拶しました。すると、島に来て、嫁いで五十年だというのです。「五十年間、ずっと教会に来ていなかった。一回だけケーキを作るという、その時に来たけど、やっぱり教会っていうと敷居が高いから、なかなか来られないのよ!」と、そうおっしゃいました。「でも、今日来てくださって良かったです。」と言って、そしてコンサートが始まって、終わった後に、またその方の所に行ってご挨拶をしました。「どうもありがとうございました!どうでしたか?」と聞くと、その方、すごく喜んでおられ、その方、なんと言ったかと言ったら、「あのね、今日ね、神様、私の所に来てくれた!」と言うのです。いや〜、イエス様、本当にすばらしい方で、初めて来てくださったその方の所に、そのノンクリスチャンの方が、「神様が来てくださった!」と、そうおっしゃって帰って行かれたのですが、神様は誰も閉じることのできない扉の向こうに私たちの信じられないほどの扉をもうすでに開いて、ご用意されているなということをすごく強く感じました。

 あと、いろんな所の奉仕をさせていただいた中に、刑務所にも行かせていただきました。少年刑務所という所でコンサートをしました。刑務所の中にはA級とB級とありまして、そこはB級なのです。A級は初犯の方で、B級はリピーターの方々と言いますか、行ったり来たりしている子たちで、もうずっと居座っちゃうような子なのです。少年とは言えども、だいたい二十五、二十六歳以上、結構歳がいっているのです。
 そこは、今から十二年ほど前に初めてその刑務所に行って、それから四年ごとくらいに行かせていただいているのですが、最初に行った時には、そこの刑務所、ぎっしりだったのですが、随分減りました。だから良いことかなぁと思うのですが、ただ最初行った時の刑務所にいた子たちというのは、みんなドスがきいていました。みんな眉毛はないし、「おまえたち、何言うんだ?」というような空気で、威圧感満載だったのですが、でもそんな中で、初めて行った時に家内がこう言いました。「私はクリスチャンになったらいい人になれると思った。聖書の中に右の頬を打つ者は左の頬を差し出しなさいというみ言葉があるんだけど、私はそんな人じゃなくて、右を打たれたら両方打ち返す。そんな人です。」と言いました。そうしたら、彼ら、安心したのか、とても心を開きました。そして、その最初から、神様がここに来てくださった!ということを、凄く強く感じたそんなコンサートでした。
 今回行ったら、結構彼らはちゃんと眉毛があって、しっかり私たちを見るのです。そして反応するのです。手拍子で歌おう!と言ったら、手拍子で歌うし、クリスマスだったので、「メリークリスマス!」と一緒に言おうと言ったら、みんなで「メリークリスマス!」と、大声で言うのです。そして歌の中で、一般的な歌ですが、「さぁあなたからメリークリスマス!」というのを歌いました。もうすごいのです。彼らがこの時とばかりに、普段大声出せないのか知らないですが、にこやかに歌いました。でも私はその分、その時、百五十人くらいの受刑者の子たちだったのですが、全員の目を見ました。本当に一人一人と目を合わせるようにして見ました。一人だけうつむいている子がいたのですが、あとはみんなしっかりと見て歌っていました。彼らに、確かにイエス様が届いておられる姿を見て、すごく感謝しました。
 終わった後、そこの刑務官の方々がすごく喜んでおられました。刑務官の人たちが、その受刑者の彼らの子たちを何と言うかというと、「うちの子」と言うのです。「悪いことをしたやつら」じゃなくて、「うちの子」と言うのです。そのことを、コンサートの話の中で家内が話しました。「刑務官の方々は、みんなのことを何と言っているかといったら、うちの子と言っているんですよ。愛されることの大切さを覚えてください。」という話をしたのですが、彼らが本当に神様の愛の中で変わっていくことを是非覚えて祈り続けていかなかったらいけないなと思いましたが、その中にも、すばらしい主の業を見させていただいたクリスマスでした。

 あと、昨年、一つおもしろいことがあったのですが、この地域、新城市の富沢というのですが、ここに教会が建ったのが、ちょうど私が生まれて一ヶ月後に、この場所に教会が建堂されたのですが、だからもう一度この地に救いの扉が開かれるようにということで、「開」と付けられたらしいのですが、富沢という所に来て、父母が来て、伝道を始めて、最初はすごく迫害されたらしいのです。みなさんご存じだと思いますが、迫害があって、酒飲まない、偶像を拝まないという中で、様々な戦いがあって、そんな中で、父が一昨年、母が昨年、天に帰って、父母が天に帰った後の「敬老会」で歌ってくれと、区長さんからご連絡をいただきました。これ、神様の時だなと思って、本当に感謝して、そこに行って賛美させていただこうと思ったのです。
 すると、区長さん、ちょっと心配されたようで、区長さん、なぜなら、母の召天式に来てくださっていたので、「教会でああいう歌を歌う分にはいいが、宗教を敬老会でやってもらうとちょっと困る。」とおっしゃったのです。「でも、よく刑務所とかで歌うような歌だから、大丈夫だと思いますよ。」と言うと、「そうか、そうは言ってもな。」と言うので、「はい、分かりました。なんとか。」と言っていたのですが、その区長さんからまたコンサート前に電話があって、「いろいろ考えたんだが、『上を向いて歩こう』を歌ってくれんか。」と言われるのです。「それじゃあ頑張ります。」と言ったら、すごく安心してくださいました。
 そして、『上を向いて歩こう』を歌いました。ただあの歌詞、本当にむなしい歌で、「ひとりぼっちの夜。」それをつぶやくように歌って終わるのです。いや〜むなしい歌だなぁと思ったのですが、みんな馴染んで歌ってくれて、そしてその後に「風に助けられて」を歌って、すごく恵みの時でした。
 コンサートの時に私は言いました。「五十六年前に父母がここに来て、富沢のみなさんが受け入れてくださって、それゆえに今この新城に私たちの教会があることを本当に心から感謝します。おじいちゃん、おばあちゃん、みなさんが受け入れてくださったがゆえに、今年と昨年、父と母が天に帰りましたが、本当に心から感謝をしています。」と言って、そして歌いました。そうしたら、本当にみなさん喜んでくださって、本当に良かったとおっしゃってくださいました。
 コンサートが終わったら、次の年の区長さんが、私たちの所に来て、こう言うのです。「滝元さん!本当に良かった!来年の敬老会のその日、他のオファーが入っても断ってくれ。頼むよ!」と言うのです。分かりました!と言って約束しました。今後、お声がかかるかかからないか分からないですが、でもなんだか神様がこの地の扉をすでに開いておられて、主の業がなされておられる、その瞬間だなと思って、本当に感謝しました。

 祈ってきたリバイバルの業、そしてそのリバイバルという大きな旗を、いろんな先生方が持って走って来たと思います。さぁ!リバイバル!と言って、そのリバイバルを見ることができず、天に帰って行って、そのリバイバルのバトンが、旗印が、次から次へとバトンタッチされて行って、私たちは掲げるわけですが、私たちは恐れることなく、このような時代の中で、神様は新しい扉を開いておられて、主の業を成しておられる、そのことを信じて進んでいきたいなとすごく思っています。

 イスラエルのツアーも本当に祝福されて感謝でした。今回、賛美を通して、イエス様の帰られる道を備えよう!ということで、本当にずっと賛美しました。これまで歌うか!というくらいの賛美を本当に至る所でさせていただいて、すごく大きな恵みでした。二十九名でしたが、その内、ザワメキを知らない方が幾人もおられました。しかも、七十代の方々が多くて、リバイバルミッションのこの働きとお交わりのない教団の方々も来てくださったりしたので、全くザワメキに触れたことのない!という方が来てくださいました。でも、そういった方々がいらっしゃったので、できる限りの準備を出発前にさせていただいて、そして当日を迎えましたが、みなさん喜んで受け入れてくださって、賛美の旅が始まりました。途中「大丈夫かな?聖歌を歌ってくれ、讃美歌を歌ってくれとおっしゃるのかな?」と思いながら、ずっと歌い続けました。みなさんすごく喜んでくださいました。
 そして、行く先々で、イスラエルの子たちが、賛美の中に加わってくださるし、踊りの中に加わってくださるので、その姿を目の当たりにして、賛美ってすごいな!と、参加された皆さんが感じました。

 イスラエルから帰った後に、幾人かの方とお電話でお話しました。お電話すると、みなさん同じ反応なのです。「もしもし、ザワメキの滝元です。」と言うと、電話の向こうで、「はははは!」と笑い出すのです。「はははは!楽しかったですね〜。」と、みんなおっしゃるのです。いや〜、本当にその祝福がにじみ出るような反応で、すごく深く恵みが注がれたんだなぁと、強く感じました。
 それで、一人のそのザワメキを全くご存じでなかったおばあちゃんが、「いや〜、本当に良かった。あの時のことを考えるだけで、賛美が溢れてくる。」と言うのです。神様が新しいことをしてくださったなということを、すごく感じました。

 今回、イスラエルで一番たくさん歌ったのが、「ダビデの子にホザナ!」でした。イエス様が帰られる道を備えようと、ホザナ!ホザナ!と、本当にあちこちで歌いました。
 ダビデの町という所に行きました。ダビデの町は行かれた方は分かると思いますが、神殿の丘のそばにあります。ダビデが最初に攻め込んだ所で、ダビデの町という所があるのですが、そこに行っても、私たちは賛美して、神様をお迎えして、すばらしい恵みでした。
 そして、そこでの観光というか、いろんな所を見て、私は座っていました。そうしたら、小学生の遠足の子たちが来ていて、私の横に座りました。それで、もちろん言葉は通じないですが、いわゆるユダヤ人と言われる子どもたちで、厳格な家庭の子たちで、男の子ですが、鬢長をこんなに長く伸ばしているような子たちばかりなのです。そこにユダヤ人の先生方が一緒に引率しているのですが、小学校一年生か二年生くらいの、悪さ小僧というか、そういった子たちが、わー!っと遊んでいるのです。そして、私が横にいたら、会話はできないですが、心は通じました。そして、彼と一緒に写真を撮ろう!と言って、写真を撮りました。一枚目の写真がこれです。

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 彼が本当に喜んで私とツーショットの写真を撮ってくれました。二枚目は、そこに三人くらい来て、

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そして、最後にはこんな風になって、わーっ!という写真なのですが、本当に楽しい写真で、でも後から感じました。今回、イエス様の道を備えるために行って、そこで賛美した中で、私たちの一番の願いは賛美の中で主がそこに訪れてくださって、子どもたちの口を通してサタンの力が打ち破られることを願いました。
 マタイの福音書の二十一章十五節〜十六節、

『ところが、祭司長、律法学者たちは、イエスのなさった驚くべきいろいろのことを見、また宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と言って叫んでいるのを見て腹を立てた。そしてイエスに言った。「あなたは、子どもたちが何と言っているか、お聞きですか。」イエスは言われた。「聞いています。『あなたは幼子と乳飲み子たちの口に賛美を用意された』とあるのを、あなたがたは読まなかったのですか。」』

 本当にその子どもたちが、「ダビデの子にホザナ!」と賛美したことの中で、神様が働いてくださって、敵の力を打ち破るという働きをされたという、その箇所なのですが、このことを思い出しました。ダビデの町で出会ったあの子どもたちと交わったという中にも、それは何か預言的な大きな意味があったなぁと、後々感じて、すごく大きな恵みをいただいた、そんな時でした。
 神様は、この日本に対して、またこの地域に対して、本当に外国に対しても、この世界に対しても、主の持っておられるご計画の扉というのを開かれて、主の御業は今、確実に進んでいるということを、その事を信じて進んでいきたいと思います。

 つい先日、シオンタイムがある前に、おじいちゃんおばあちゃんを訪問しました。最近、なかなか礼拝に出席できないおじいちゃんおばあちゃんなのですが、その家に行きました。みなさんご存じだと思いますが、夏目義隆さん、民江さんなのですが、義隆さんは、まもなく百歳になるのです。今度の三月で百歳になるとおっしゃっていましたが、なかなか教会に来られなくて、だから少し大変だなぁ、がんばってほしいなと思っていました。
 それで、今回、行ったら、おじいちゃん元気かなぁと思って入って行ったら、普段よく二人とも、昼間から寝ておられるのです。あそこが痛い、ここが痛いと、もう間もなくだとおっしゃっているので、「おじいちゃんおばあちゃん、がんばってよー!」と、教会スタッフやいろんな兄弟姉妹も行って励ましをしてくださっているのですが、今回行ったら、二人ともこたつに座っていたのです。だから、元気だったな、良かったなと思って、いろんな話をしました。
 そうしたら、おじいちゃんが、こう話をしだしました。「実は、私ももう百歳になるけど、本当に夜中によく痛くて苦しい。」と言うのです。どうしてかというと、戦時中に打たれた鉄砲の球が頭の中に入っているのです。だから、頭が痛んで苦しくて、昨晩もイエス様に、「もう私の命を取ってください!」と、祈ったというのです。本当に苦しかったと。そうしたら何が起きたかというと、突然イエス様の温かい手が自分の身体の下に来たんですって。ほわっとなって、痛みが取り除かれた!というのです。そしておじいちゃんが涙を流しながら、「本当にイエス様はすばらしい!」と言って、涙を一生懸命拭いておられました。イエス様は本当に、若い人からお年寄りに至るまで、イエス様は一人一人を選んでおられて、愛してくださって、主の業をなしておられるなということを思いました。

 イザヤ書四十六章三節〜四節、

『わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。』

 今、私たち、特別主に選ばれた「残りの者」という一つのテーマが与えられていますが、私たち一人一人が主によって選ばれた残りの者であって、それが、お年寄りから若者に至るまで、そして四節には、『あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。』神様の御業がそのようになされたことを覚えて、本当に感謝します。

 そして、最後におじいちゃんがこう言いました。「これからは二刀流で戦う!」と言うのです。何を言うのかなと思ったら、「日本の剣を持ってサタンと戦うんだ!」と、そうおっしゃっていました。サタンは、吠え猛る獅子のごとく命の灯が消える瞬間まで、その魂に対して激しく挑戦してくるんだなぁ!と、すごく思いました。「だからこれからも戦うからよろしくお願いします。」と、おっしゃっていましたが、第一ペテロ五章八節、

『身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。』

と書かれています。ですから、私たち、この終わりの時代に、腰に帯をしめて、あかりをともして、主の業に励み続けていきたいと本当に心から思っています。時間が来ましたので、最後にもう一箇所、聖書を読んで終わりにしたいと思いますが、順先生が今年に向かって語られたみ言葉の一つですが、詩篇百三篇一節〜五節、

『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。』


 『あなたの若さは、わしのように、新しくなる。』このみ言葉は、本当にすばらしいみ言葉です。この年、「良いもので満たされる二〇一七年である」ことを信じていきたいと思います。
 実はこのみ言葉、私は今から三十二年前くらいにいただいたみ言葉です。当時二十五歳でした。「さぁこれから結婚する!」という、本当に心浮きまくっていた時に、私はその頃、すごく元気でした。そもそも、父母が病院に連れて行くという習慣を私たちに教えませんでした。頭を切って、この辺から血が出ていても、「赤チンを塗っておけ。」と、それで祈って終わりでした。だから、病院に二十五歳まで行ったことがありませんでした。歯医者には行ったことはありましたが、いわゆる普通の病院に行ったことがなくて、病院にかかるということは、一度もありませんでした。
 そんなある日、私はおしりが痛くなってしまいました。それでこれは普通じゃないなと思って、病院に行ったら、「あなたこのまま入院してください。手術をします。」ということになりました。ちょうどグロリアシンガーズのツアーの最中だったのですが、えらいことになっちゃったなと思って、でも逃げられなかったので、結局、手術をしました。痔瘻という手術でした。「最も痛い手術はこれだ!」と言われて、そして手術をしてもらいました。
 二郎三郎の二郎じゃないですよ。お尻が本当に大変なことになるという、そういう手術だったのですが、私はその時、一つ決めたことがありました。「よし感謝しよう!」と思いました。医者は、「これは最も痛い手術だからね。」と言いました。どうしてかというと、お尻のすべての神経が集まっている所を切開して、患部を取り除いて、そこを手術するということだったので痛いといので、私は「よし!感謝しよう!」と決めました。最初は麻酔でちょっと気持ち良い感じになっていて、手術後、麻酔が切れた後は痛いなんてものじゃないのです。手術で切開した所に、そこにこんな大きなガーゼを詰めこむのです。そしてそれを詰め替えるということをするのですが、全部出すんです。もう痛いなんてもんじゃない!あー!!もう思い出すだけでも冷や汗が出るくらい、本当に痛かったのです。
 でもその時、私、「痛い」と言わないと決めて、「感謝します!感謝します!」なにやってんだろう。「感謝します!感謝します!」二十五歳の男ですよ。「感謝します!」と、一生懸命やりました。本当に感謝しきって、まぁ退院して、今があるのですが、その時、終わった後に与えられたみ言葉がこの御言葉で、『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖う』という、このみ言葉でした。もう穴の中に入ったような苦しみだったのですが、そこから贖い出してくださって、そして、『あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。』と。そして、私の中では特に、『あなたの若さは、わしのように、新しくなる。』というみ言葉が与えられました。このみ言葉を読む度に、あの二十五歳の若き日のあの痛い思い出がよみがえってくるのですが、私たち本当に、このリバイバルのために新しい力をいただかなくてはいけないなと思うのです。

 実は、昨年も一昨年も、ちょっとなんか疲れたのです。心疲れましたし、いろんな事で疲れて、いや〜、目の前にあるスケジュールをこなしていくのが精一杯というか、なんとかこれが終わったら次があって、その後にちょっと休んで、ちょっと寝て…と、だから、次に向かって体力を温存しておいて、次にその体力を使う。だから、もっと体力を増し加えていく!ということは、全くなかったのですが、この二〇一七年は、もう良きもので満たされるので、やはりわしのような新しい力が必要だと思うのです。
 主を待ち望む者はわしのように新しくされる。「わし」というのは随分生きるらしいのです。そして、どうしてわしのようかというと、わしは年を重ねた後、羽が全部抜け変わるのです。また、くちばしも、嘘か本当か知りませんが、新しくなるんですって。新しくなるためには、そのくちばしを岩にバンバンと叩きつけて、そして新しくなって、そして再び高く高く上っていくのです。これからの二〇一七年、もう一度新しくしていただいて、わしのような若さと共に、この二〇一七年、良きもので満たされるために進んでいきたいと思います。

 月光仮面のように疾風のように現れて疾風のように去っていく。そんな一年であればいいなと心から願っております。一言お祈りします。

 ハレルヤ。愛する天のお父様。あなたのすばらしい御名をあがめて、心から感謝します。主がこうして、この二〇一七年、希望に満ちた年を、私たちに与えてくださっていることを心から感謝します。あなたの用意されているこの二〇一七年は、大きなすばらしい良き年であることを、心から感謝します。良きもので満たされることを心から感謝します。そのために私たちをわしのように新しい力で満たしてください。そして本当にこの終わりの時代、腰に帯を締めて、あかりをともして、主の帰られる道を備えつつ前進する、そのような者であることができるように助けてください。今日のこの時を心から感謝し、すべての栄光をお返しして、尊き主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。