「-2017年- あなたは良いもので満たされます! パート2
あなたにとって「良いもの」とは?」

2017年1月22(日)
新城教会主任牧師 滝元 順
詩篇103篇1節〜5節

『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。

 ハレルヤ!おはようございます。今朝も、みなさんと共に賛美し、主を礼拝できますことを感謝します。二〇一七年が始まって、一月も後半になりましたが、主が一年間、守ってくださいますよう祈ります。
 先週の日曜日は雪が降りまして、教会に来られなかった方々も多くおられました。しかし今日は良い天気になり、皆で集まって主を礼拝出来ますことを本当に感謝しています。

 この地域は雪が少ないですが、北陸のほうに行きますと雪が多いです。先週、私は、金沢と福井に行ったのですが、行く途中もこんな感じでした。

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 これは高速道路ですが、雪の中走っていました。本当に怖かったです。私が運転していたわけではないのですが、雪が降らないのはいいなぁと思いました。しかし、雪国で戦っておられる方々も多くおられます。そんな方々のためにも祈って差し上げなければいけないと思います。

 今日読んでいただきました聖書の箇所は、詩篇百三篇です。今年、受け取ったみ言葉です。特に五節の、『あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。』という言葉を、預言的に受け取っています。「あなたの一年は良いもので満たされる。」
 いいじゃないですか。若返る年になるのです。このみ言葉をお隣の方に宣言してあげてください。「あなたは良いもので満たされます!あなたは若くなります!」と宣言し合っていただきたいと思います。
 全員にこのみ言葉が実現することを心から願っています。

 しかし、「良いもので満たされる」と言いますが、「良いもの」の定義はそれぞれです。さて、みなさんにとって良いものとは何でしょうか。
 ある人は、「やっぱり健康だなぁ」と考えていると思います。だんだん歳を取るとやはり健康って、切実です。私も若い頃、健康のことなんか全く考えていませんでした。しかし近頃、血液検査の値が気になったりします。若い頃なんか血液に成分があることすら、知りませんでした。血液とは、ただ赤いものと思っていました。しかし今では、その中の物質の数値で一喜一憂します。
 ある人は、良いものとは、「やっぱり家庭だ」というでしょう。「友達関係」の人もいます。
 受験シーズンに入ってまいりましたが、希望校に入学できることが、「私にとって最高に良いもの」と考えておられるかもしれません。
 ですから、良いものは普遍的ではなく、相対的というか、一口に定義できないものであるわけです。

 しかし、世界の良いもののスタンダードって、何だか知っていますか?良いもののスタンダードは「金」です。経済です。
 実は、日本時間で昨日、大きなことがありました。それは、アメリカ四十五代大統領に、ドナルド・トランプ氏が就任したからです。

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 これは大きなニュースです。トランプさんが「私は大統領として、四年間忠実に働きます。」と、何かの上に手を置いて宣誓しています。これが、何か知っていますか。聖書です。しかし、聖書の上に手を置いて、「忠実に金儲けをします!」と、宣誓しているわけです。複雑ですね。いかがなものかと思います。しかしこれはアメリカの伝統で、大統領になる時には、皆、聖書の上に手を置いて宣誓するのです。先ほども「み言葉に立つ」と賛美をしましたが、国がみ言葉に立ち、やってることは金儲けです。彼の演説を聴けば、何が最も良いものかは明らかです。「アメリカ・ファースト!」と言って、「お金儲けだ!」と語っていました。
 TPPからも離脱したじゃないですか。良かったなと思います。新城教会では、TPP関連のことを祈っていましたが、ついに離脱しました。どうしてか分かりますか。そういう事を話していると、メッセージにならなくなっちゃいますから、また、セミナーか何かでやりたいと思いますが、TPPはアメリカにとっても良いことはないわけです。グローバル企業という、世界で金儲けしている人たちには良い制度だけれど、アメリカの中産階級においては、職を奪われたり、財産を奪われてしまうからです。

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 去年もお話ししましたが、世界の下位三十六億人が持っている資産と、最も裕福な六十二人が持っている資産が同じだというのです。あなたも私も、三十六億人に入っているかもしれません。しかしです、先週発表されたデータによると、六十二人がなんと、「八人」になったのです。
 一年で八人になりました。来年は、一人が世界の半分の資産を所有するかも知れません。金を第一にしても、良いとは言えないです。はっきり言って現在、世界は一人勝ちです。日本人は、「こんな情報は関係ない!」と思っているのですが、実は大ありです。あっという間に、金は奪われていきます。
 バブルの時期、日本中の中小企業の社長さんは、皆、クラウンに乗っていました。光り物をいっぱい身につけて、羽振り良くすっとばしていました。しかし今、その社長さんたちの多くが、軽自動車に乗っています。光り物が全て身から落ちています。「いつからそうなったの?」と聞いても、分からないというのです。金に希望を持っても、幸せにはなれないということです。
 世界のスタンダードに合わせても、良いことは全くありません。やはり聖書の基準に合わせて、「良いものって本当は何だろう?」と真剣に考えなければなりません。
 マタイの福音書七章十一節に、こんな言葉があります。

『してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。』

 求めたら天の父なる神様は、あなたに「良いもの」を下さいますと約束されています。これがマタイの記述です。同じ内容を、ルカが解き明かしています。
 ルカの福音書十一章十三節、

『してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」』

 聖書の結論。良いものとは、「聖霊」です。聖霊に満たされることが、良いことなのです。あなたの一生を良いもので満たされる。これを聖書の価値観で、訳すなら、聖霊に満たされるなら、その中にすべての良きものは含まれるということです。ということは、聖霊に満たされることが、最も良いことであるのです。

 霊に満たされる時、結果が生まれます。それが何かというと、使徒の働き一章八節。

『しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」』

 聖霊、良いものに満たされると、その結果は、「世界の果てにまで福音を伝える」のです。それは世界宣教です。
 今日、私たちは愛知県の片田舎で、礼拝を守っていますが、福音は、二千年近くかけて、イスラエルからここまで来たのです。それで私たちは、今、クリスチャンをやっています。それは聖霊様の働きです。
 しかし、聖霊様が単独で働かれたというより、人に良きもの、聖霊を注いで、人から人へと伝わったのです。
 ということは、世界中どの教会でも、聖霊様を求めるなら、世界を見据えて、世界宣教に興味を持たないとその働きは消えてしまうのです。
 この片田舎の教会も、聖霊様に働いていただくためには、国内だけでなく、地の果てにまで、福音を伝えなければいけないわけです。

 二〇一七年になりましたが、三月にはネパール宣教があります。是非祈っていただきたいと思います。今年はなぜ、三月にやるのかというと、去年までは八月でした。ネパールの八月は雨季なのです。天候との戦いです。過去三回、八月にやりまして、うまくいったのは奇跡でした。それは祈りの結果でしかないです。
 でもやはり、雨季は危ないということで、乾季である三月の終わりに行くことにしました。この時期はネパールのベストシーズンです。本当に過ごしやすいですし、一番良い季節です。先方の要請もあって、今年は三月に決定しました。是非お祈り下さい。今回も、三十名近い方々がネパール宣教に参加されます。
 去年の暮れ、ネパールの山の子どもたちが、「日本のみんな来てー!」と写真を送って来ました。

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 行った人たちは、懐かしいですよね。子どもたちが山で待っていますから、やはり、行かないといけないです。この村のために奉仕することは大事です。
 資本主義が腐りきったような日本から、金がそもそも社会にない場所で働かせてもらえるのは、大きな恵みです。山には貨幣社会がありません。今でも、自給自足、物々交換の社会です。世界最古のライフスタイルを保っている部族です。今回は、さらに一歩踏み込んだ働きをしたいと願っています。

 大きな犠牲を払ってくださっています。本当に感謝します。旅費もかかるし、滞在費もかかります。でも、なんとか、支えたいと願っています。一応、参加者一人のネパール滞在費、いくら徴収しているかと言いますと、一万円です。飛行機代プラス一万円です。一万円で一週間暮らすのは、ネパールでもなかなかのサバイバルです。しかし、足らない分は皆さんの尊い献げもので、まかなわれています。
 今日はそのための働きがありますから、ご協力をお願いいたします。去年もありましたが、韓国人ばりばりの林福子さんが、ご自分でキムチを作って、教会に献品して下さり、売り上げ代金すべてをネパールのために、献げてくださったのです。あれでどれだけ、助かったのか分かりません。今日はまた、「福子のキムチ」販売会があります。全額、ネパールの献金になります。

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 今年は、百六十個作って下さいました。私はいろいろなキムチを韓国で食べまくっていますが、福子さんのキムチ、最高です。
 みなさん、キムチの一番美味しい季節って、いつか知っていますか?前回の八月も美味しかったでしょう。でも、あれは序の口です。一番美味しいのは、やはり、寒い季節を乗り切った今のキムチが最高です。この最高の季節に、福子のキムチ、さらに最高です!騙されたと思って、いや、騙しちゃいないですが、食べてみてください!そして、それがネパールのために使われるなんて、最高です!本当にありがとうございます。
 韓国の方って、本当に一生懸命、主に仕えてくださいます。日本人も見習わなければいけないなと思います。良いもの。それはキムチ。あれっ、聖霊じゃなかったの?キムチを食べながら、ネパールのために、世界宣教のために祈らなくちゃ!と、祈りながら食べてくださいね。

 今もこうしている間に、ネパールの子どもたちは、山の上で何をしているのでしょう。私たち、日本に生まれて全然環境が違います。日本の子どもたちも、日本で教育するよりも、百聞は一見にという事で、ここに連れて行くとみんな変わります。新城教会が世代を越えて、世界に目を向けて働く時、聖霊様はさらに強く働いてくださいます。

 実は時々、豊川に住んでいる兄弟・姉妹と共に、夜、山に登って、町の祝福を祈ります。なぜ、豊川かというと、豊川の人たちが「豊川の町のために祈ろう!」と言い始めたからです。一月七日、赤塚山という山に登って、祈った時の光景です。

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 豊川だけでなく、豊橋も見えるし、新城も見えます。そうしたら、そのとき主が一つの祈りを与えて下さいました。

 先ほども話しましたが、何気なく私たちは、クリスチャンであるように思いますが、先人達の血の滲むような宣教の結果として、今、ここにいるのです。誰かがみなさんに福音を伝えてくれたのです。元といえば、エルサレム、ユダヤ、サマリヤ、そして、世界に福音が飛び出したことによって、今があるのです。
 新城教会は、始まって六十六年です。私が生まれた時、両親は津具で伝道を始めました。六十六年の歴史です。新城に引っ越して来て、六十四・五年です。
 両親がここに伝道に来た時、彼らのことを知っている人は誰もいませんでした。田舎で伝道したって、なかなか難しいです。
 新城市は、今は五万人弱ですけど、合併前までは三万五千人でした。その中に、寺院は七十あり、神社は、大小様々、百二十あります。こういう場所で伝道したって、そう簡単には動きません。しかし、これだけの方々が主を信じられたのは、本当に感謝です。最初はいくら伝道しても、人は来ませんでした。それで、産んで増やせ作戦を始めました。両親は八人子どもを産みました。お隣さんがクリスチャンになって、そこにも頼んだかどうか知りませんが、十二人産んでくれました。三軒目が岡本さんちで、五人産んでくれて、田んぼの真ん中の伊藤さんちがクリスチャンになって、六人生まれました。四軒で四十人以上の日本の平均的な教会ができました。そんな所から始まったのです。
 でも初め、教会だけでは生活できませんから、父は、兄貴が豊橋で町工場を経営していて、そこで働いていました。麻を精製するような工場だったらしいです。仕事が終わってから、トラクト配布をしたり、伝道をする生活でした。

 その時、不思議なことがあったというのです。私は父が書いた「われ土方なれど」という本をよく読んだことがありませんでした。なぜかというと、ぺらぺらっと読んだら、昔話全集だなぁと思って、父がいつも話していることばかりだから、真剣に読んでなかったのです。
しかし、豊川で山の上で祈っている時に、それをちゃんと読んでみるべきだと教えられました。
 実は、豊川という町がなかったら、新城教会もないし、リバイバルミッションもないからです。その事をふと思い出して、親父の書いた本を読んでみようと思いました。会堂の二階に記念室があるので、そこに行って本を探したら、ちゃんと保管してありました。
 そうしたら、麻工場で不思議なことがあったと一九七ページに書いてありました。

“それから数日後に麻工場の機械を手にしながら働いているとき、実に不思議なみ声を耳にした。確かに、私の耳元で、神の聖霊が語りかけられた。こんな経験は今までに一度もなかった。「今日、あなたが家に帰ると、スウェーデン宣教師のところから、手伝いをしている三輪町子さんがあなたの家に来ます。そして宣教師はあなたに伝道に来てくれるように依頼するでしょう。するとあなたは伝道に行くようになります。すると、他の宣教師もあなたを伝道に招くでしょう。そしてまた他の宣教師もあなたを招き、ついには日本中を回って伝道するようになるでしょう。」”

 こういう声を耳元で聞いたというのです。本当に具体的な内容です。個人名も出て来ます。
 どうでしょうか。こんな事を聞いて、実現しなかったら、すぐに病院に行ったほうがいいかも知れません。時々、耳元でこういう具体的なことが聞こえて、お疲れの時とかあります。親父もすごい事を聞いてしまったのです。これが実現しなかったら、「親父、ちょっと危ないぞ!」という感じですが、なんと、それがすべて実現したのです。
 その日、家に帰って、母親に聞いたそうです。「今日、三輪さんという人、来なかった?」『はい、来ましたよ。』「えっ!何しに来たの?」『豊川で働いているスウェーデンの宣教師が、あなたに会いたいから、明日の夕方、豊川の駅に来てほしいと言いました。』「えっ!?」という感じですよね。

 翌日、豊川駅に行ったら、背の高いスウェーデン宣教師が待っていたというのです。当時父は、伝道者をやっていたわけでもなく、有名な牧師でもなんでもなかったわけです。新城で教会をはじめて、生活さえままならず、麻工場で働いていた男。神学校にも行ったことがなく、以前は鉱山で働いていた男でしたが、なんと、伝道集会に招かれたというのです。
 「私の教会に来て、伝道集会で話してください。」と。それを聞いてびっくりしたそうです。そんなこと、今まで一度もやったことがなかったからです。
 「二、三日ならやりますよ。」と答えたら、「いやいや、十日間やって下さい。」と頼まれたというのです。十日間、豊川の町にテントを張って、伝道集会をやってくれと、頼まれたというのです。頼むほうも頼むほうですが、それを受けるほうも受けるほうだと思います。それで人生で初めての、伝道集会の奉仕をしたというのです。
 そもそも、なぜ、スウェーデンの宣教師が豊川に来ていたのかが疑問です。また、スウェーデン宣教師は、なぜ、親父に伝道集会を頼んだか。それは彼が、「日本語ができなかったから」です。親父は日本語を得意としておりました。三河弁が特にうまかったです。ただそれだけです。宣教師さん、日本に宣教に来るなら、少なくとも、日本語を勉強してきてよ!という感じですが、日本語ができない宣教師でした。
 ただ、「隣町に日本語のうまい駆け出しの牧師がいる」ということで、伝道会を頼んだというわけです。

 しかし、スウェーデンの宣教師、なぜ、豊川に来たのかなぁ?と思いますよね。その宣教師は、一九五〇年頃、豊川に来ているのです。日本で戦争が終わったのは、一九四五年です。その五年後にすでに来ています。実は、一九四五年の八月七日、豊川に大空襲があったのです。アメリカによって、豊川海軍工廠が大爆撃を受けました。その時の貴重な写真です。

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 二十分くらいで二千数百人の若者が死にました。怪我した人たちは、一万人くらいでした。この町に悲惨な大事件が起こりました。豊川に住んでおられる方も多くおられますが、豊川は、本当に血なまぐさい町でした。
 けれども、爆撃の五年後に、スウェーデンから宣教師が来て、海軍工廠のあったすぐ近くで伝道していたのです。なぜかと言ったら、「日本に宣教に行け!」という、主の声を聞いたからです。「どこに行こうか?」と祈った時、「爆撃で深く傷ついた豊川に行こう!」ということで、来られたみたいです。
 日本人なら、こういう所に、なかなか入れないです。血が流されて、五年しか経ってないと言えば、あたりは穴ぼこだらけだったと思います。なんと、そこに来て、伝道していたのです。

 しかし不思議や不思議、この宣教師たち、本来は中国で伝道していたらしいのです。中国やモンゴルで伝道していた宣教師達だったのですが、日本にやってきたのです。なぜ来たのかというと、一九五〇年頃、中国で共産革命が起こって、宣教師は全員、国外に追放されたのです。それで、第二の宣教地を求めて祈っている時、日本に行くことを示され、日本にやってきて、豊川で伝道していたのです。日本語はできないけれど、「なんとかして福音を伝えたい!どうしたらいいか?」と、祈っている時、隣町に日本人の牧師がいると誰かから聞いたのでしょう。それで私の父が招かれて、豊川で十日間の伝道会を行ったというのです。

 それがすごく良かったというのです。何が良かったのか、どんな事を話したのか、今では全く分かりません。結構、いい加減なことを話したのかもしれません。でも宣教師の目には、「この若者、結構やるじゃん!」と映ったらしいのです。
 当時、豊川だけでなく、東三河一円に多くのスウェーデン宣教師の方々が来られていて、働いていました。十日間も伝道会が続きましたから、その光景を多くの宣教師達が見たのです。熱血漢でメッセージを語っている男の姿を見て、「これいいな!」と、周りの宣教師たちが「うちにも来てください!」「うちにも来てください!」「伝道集会をやってください!」と、どんどん注文が入って、やがて、日本中を回って伝道するようになったのです。なんと、麻工場で聞いた不思議な声が実現したのです。
 それをきっかけとして、1970年には日本リバイバルクルセードという宣教団体ができ、全日本リバイバルミッションにつながり、今があるのです。

 もしも、豊川という町に宣教師が来てなかったら、今頃、私たちは、何をしているのでしょう。新城教会も、ないのではないかと思います。親父も一生、鳴かず飛ばずで、この近所で一生を終わったんじゃないかと思います。私なんかきっと信仰から外れて、今頃何をやっているのか分からない人生だったと思います。
 家内によく言われます。「あんたクリスチャンじゃなかったら、大変な人間だわ。」ってね。そうかもしれんなと思います。昔の同級生なんかに会うと、恥ずかしい感じがします。「おまえよくやっているな・・・。」という目で見られます。
 あの宣教師の方々がおられたことによって、今があるのです。

 しかし、スウェーデンから宣教師達が日本に来た背景に、さらに、すごいことがあるのです。私たちは案外、自分がクリスチャンになったのを、簡単に考えていますが、振り返ると神のすごい奇蹟を見いだすのです。
 それで、「あぁ!これは偶然ではない。私たちがこの場所にいるのは偶然じゃない!」と知るのです。良いもの、聖霊様によって、世界に出て行って福音を伝え、自分しか入れない世界に福音を伝えなければいけない事が分かります。それは、「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな!」につながります。

 実は、近代の聖霊運動は、「一九〇六年」からはじまっています。聖書を見ると、初代教会にはすごい聖霊の働きがあったのですが、いつしか、聖霊の働きが教会から消えてしまいました。
 ヨーロッパで福音が停滞して、暗黒時代を長く過ごすわけですが、聖書には、一つの預言がありました。それは何かと言いますと、使徒の働き二章十七節〜十八節、

『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。』

 終わりの日、すなわち、イエス様が帰って来られる日が近づくと、聖霊の働きが、初代教会と同じように回復するという預言です。旧約聖書の時代は、聖霊は、特定の預言者とか、王様にしか注がれませんでした。しかし、終わりの日になると、「子どもたちから老人たちまで」、しもべにもはしためにも、注がれるというのです。これは何を預言しているのかというと、全員に聖霊が注がれる日が来ることを予告していたのです。
 今日ここに集まっておられる方々、全員が、良きものを受け取る条件が整っているのです。
 終わりの日のリバイバルは、全員参加型です。全員に聖霊が注がれるような時代が来ますよ!と預言されていたのです。その預言がある意味、成就したのが、一九〇六年でした。
 どこに聖霊が注がれたのかというと、ロサンジェルスのダウンタウンに「アズサ・ストリート」という場所があります。

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 その小さな集会に聖霊が注がれました。今でも看板が残っています。「一九〇六年から一九三一年まで、この通りで、リバイバルがありました」と表示されています。しかし実際に聖霊が注がれ、激しい動きがあったのは「三年間」だけだったそうです。初め、百数十人の人たちが聖霊を受けたのです。けれども、その後、そこから世界に聖霊の働きが広がっていきました。
 日本の教会は現在、八千くらいありますが、聖霊の働きを積極的に受け入れている教会は、本当に少ないです。父なる神様、子なるイエス様、聖霊様というけれど、聖霊様の働きには、ほとんど知らん顔しています。これでは三位一体じゃありません。しかし世界の教会は、現在、その七割が、聖霊の働きを重んじる教会です。
 その原点がどこかというと、アズサ・ストリートです。そこで注がれた聖霊の働きが広がったと言われます。今や世界で、ペンテコステ派、聖霊派に属するクリスチャンの数は、「約六億人」だそうです。たった百数十人に聖霊が注がれ、今や、六億人にも広がったのです。イエス様の昇天後、聖霊が下った時も百二十人に注がれ、世界中に広がりましたが、聖霊の注ぎは、その原点においてはあまり大勢の人たちを必要としないのかも知れません。その後、野火のように拡大するからです。

 一九〇六年、アズサに聖霊が注がれた時、ノルウェーのメソジスト派の牧師、T・B・バレットが、その様子を見に来たというのです。そしてそこで、聖霊を受けたというのです。すると今度は、ノルウェー、スウェーデン、ドイツ、フランス、イギリスへと広がったというのです。

 ノルウェーの隣はスウェーデンです。すぐにスウェーデンには大きなリバイバルが起こったそうです。スウェーデンに起こったリバイバルは、すごかったそうです。スウェーデンは、かつてはバイキング、海賊たちの国でした。気の荒い人たちが多く、また、森が多く、きこりたちが多かったのです。しかし名ばかりのクリスチャンの所に、聖霊が注がれて、それも悔い改めの霊が注がれたというのです。
 森で仕事中に、罪が示されて、泣き伏して、仕事ができなくなって、村の教会に行ったら、同じような人たちで溢れていたというのです。
 特に、若者たちに聖霊が注がれて、悔い改め運動が起こり、彼らが聖霊によって変えられ、世界に散っていったというのです。その多くがどこに向かって行ったかというと、中国やモンゴルに行ったというのです。
 すると、その後、中国に共産革命が起こり、彼らは国外追放されて、日本に来たのです。そして、その人たちの一部が、豊川市に住んでいたのです。
 これは聖書の預言の成就じゃないですか。ロサンジェルスの下町に注がれた聖霊が、地球をぐるっと一周し、それも迫害によって豊川まで来て、その宣教師たちによって、父が引き出され、日本中に宣教が拡大し、私も救われ、みなさんも救われ、今があること自体、単純なことではないのです。神の深い計画の中で、今日があるのです。その事を、豊川の町を眼下に見ながら祈っていたときに知らされ、心から主に感謝しました。

 アズサ・ストリートのリバイバルは、「ウィリアム・ジョセフ・シーモア」という黒人の牧師から始まりました。

 十九世紀が二十世紀にかけて、アメリカではまだまだ、人種差別がひどく、白人と黒人が一緒に席に着くことさえできませんでした。
 初め、カンザス州トピカの白人たちの神学校に、聖霊が注がれました。シーモアはその事を聞きつけて、自分も聖霊に満たされたいと願い、神学校に入学したいと願ったのです。
 すると、「ここは白人の神学校だから、黒人は入れない!」と断られました。しかし、「私は聖霊の恵みを知りたいのです!」と熱心に頼むと、「じゃぁ、授業中、窓を開けておくから、外で聞いてください。」ということになって、シーモアは野外で授業を聞いたというのです。
 神学校も、黒人を中に入れると法に触れるということで、それが苦肉の策でした。シーモアはそこで聖霊の恵みを体験し、ロサンジェルスに来て、リバイバルが起こったのです。そこにノルウェーの牧師がはるばる来て、火がついて、今度は北欧にリバイバルは拡大し、スウェーデンの若者たちが救われて、中国に来て、日本に来たというのですから、主の働きは、すごいです。

 父を伝道に招いてくれたのは、オーケ・レナンデル先生といって、私も小さい頃、よく知っていました。その方が父を伝道者として引き出してくれ、今があります。本当に感謝です。

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 当時の両親はこんなに若かったわけです。しかし豊川に、もう一人、リンデン先生というスウェーデン人の宣教師がおられました。昔、私たちはグロリア・シンガーズというバンドをやっていましたが、グロリア・シンガーズという名前を付けてくれたのが、リンデン先生でした。「アナタタチ名前アリマスカ?」「ありません」と答えたら、「グロリア・シンガーズにシナサイ。スウェーデンにアリマス」と言われて、次から「グロリア・シンガーズです。」となっちゃったのですが、この先生、元はヤクザみたいな人だったそうです。
 この先生は森で聖霊を受けた一人です。いろいろと写真を探したら、ネットに一枚ありました。アルネ・リンデンという先生です。リンデン師が通ったスウェーデンの教会ってあります。多分、罪が示されて、昼間仕事ができなくなって人々が集まった教会でしょう。そこで聖霊を受けた若者達が、なんと日本までやってきたのです。この先生は聖霊の恵みについて、よく知っていました。ですから、私たちも、この先生を通して、聖霊の恵みを体験しました。
 新城教会に、今まで三回、激しい聖霊の注ぎがありました。

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 ちょっと図にしてみました。父は、一九五四年にスウェーデン宣教師と出会ったのですが、第一回目は、一九六〇年です。これは聖書の聖霊降臨とは違いますよ。新城教会にとって、第一回目の注ぎでした。当時の若者たちに聖霊が注がれました。当時、この近所は製材所でした。製材所だった頃の写真が一枚残っていました。

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 丸太が積んでありました。製材所の奧さん、見城しずえさんというおばさんが聖霊に触れられ、夜な夜な丸太の間に入り込んで、自分の主人が、また、従業員の若い衆たちが救われるように祈ったのです。すると、不思議な事に、製材の職工さんたちが次々と救われました。そして一九六〇年、製材所の職工さんたちに聖霊が注がれました。その職工さんたち、休憩時間になると、当時は小さな教会でしたが、ここに集まって祈っていました。そうしたら聖霊が注がれて、彼らは、宣教に出て行きました。新城から、設楽町、東栄町、静岡県佐久間町浦川、そして鳳来町大野に伝道に出て行きました。なんと、山奥に行ったのです。しかし、その事がなかったら、リバイバルクルセードは始まりませんでしたし、リバイバルミッションもないのです。
 今日は、その事に関して、詳しく話すことはできませんが、第一回目の聖霊の注ぎが一九六〇年に起こりました。

 次に聖霊が注がれたのが、一九七〇年です。この時は、当時の子どもたちに注がれました。私は高校生でした。ある日、学校から帰って来たら、教会がすごく騒がしいのです。教会の母子室に入っていったら、子どもたちだけが祈っていました。そこに聖霊が注がれ、子どもたちが異言で祈ったり、賛美したり、笑ったり、泣いたり、すごい光景でした。
 その中にいたのが、岡本信弘先生とか、上條実先生とか、滝元開先生とかの子どもたちでした。後に、その子ども達は献身して、主のために働くようになりました。聖霊様は人を宣教に押し出すのです。

 そして、最後に聖霊が注がれたのが、最後なんて言ってはいけないのですが、「一九九二年」です。その時、遅ればせながら、私も聖霊に触れられました。「順だけは無理だろう・・・」と、思われていたのですが、予想を裏切って私にも聖霊が注がれ、私も変えられました。そこでは、霊的戦いが始まって、全日本リバイバルミッションを通して、日本中、世界中に広がるようになったのです。
 これは決して、私たちが熱心だったからではないのです。世界を巡り巡っておられる、聖霊の波が私たちに届いたということです。この連続性の中で、主は、続けて、業を進めたいと願っておられるのです。

 実はこの原点となった、アズサ・ストリートのリバイバルは、その後、火が消えてしまいました。そこには、是正しなければならない問題も多くあったと思われます。しかし、確かに、聖霊様の働きは強くあったわけです。
 その時の模様をまとめた、短いYouTubeがあったので、ちょっと、お見せしたいと思います。それを見て、私はすごく感動しました。今からお見せするYouTubeは字幕なので、見にくかったら前のほうに来て、見ていただきたいと思います。



 なかなか感動的な映像でした。一番感動したのは、集会に入ったら、みんな静かだったというのです。赤ちゃんまでも、静かだったというのです。教会では、子どもたちが走り回るのが普通だけれど、アズサでは赤ちゃんも泣かなかったというのです。それも、お母さんがあやしていたわけではなかったというのです。
 聖霊様が働くと、赤ちゃんまでも、神の前に出るというのです。自然と人々の手は上げ、主を賛美したというのです。ぱっと見ると、赤ん坊まで手を上げていたというのです。新城教会でも、そういう事が起こったらいいですね。子どもたちまで、手を上げて礼拝する教会になりたいです。それも、誰かに言われてではないです。聖霊によってです。

 私は子どもたちに聖霊が注がれるのを、何度も見ました。本当にそういうことが起きます。子どもたちから、おじいちゃん、おばあちゃんまで注がれるとあります。今年は、良いもの、聖霊様に満たされる年となりますように。これが、最も良いものであることを、しっかりと握って明日に向かって、進んでいきたいと願っています。

 実はアズサ・ストリートで、1998年、父が一人の人物と出会いました。その出会いが日本のリバイバルを大きく進めました。それが誰かといったら、「ロン・ブラウン」です。
 アズサ・ストリートの隣に、「ユニオン・チャーチ」という日本人教会があります。父がそこに行って、メッセージをした時、その教会に来ていたのが、ロンさんでした。アズサ・ストリートのリバイバルは、へりくだった黒人の方々から始まりましたが、まさにそこでロンさんと出会ったのです。その事がきっかけで、日本の宣教が広がったのです。全部つながっています。
 今日のメッセージを聞いていただいて、私たちがここにいることは、決して偶然ではない事がおわかりいただけたと思います。エルサレムから始まったリバイバルのうねりの中で、一人一人、主が選んで、次のステップに向かわせるために救ってくださったのです。心から感謝し、良いもの、聖霊様をさらに求めて、聖霊様に満たされた一年でありたいと心から願っています。

 最後にみなさんでご一緒に、聖霊様を求めて、聖餐式を行いたいと思います。イエス様の十字架によって、勝利によって、聖霊様が来てくださったのです。私に聖霊を注いでください!と、祈ってから、聖餐式を始めたいと思います。
 みなさんでご一緒に、「主よー!」と叫んで祈りましょう。

 ハレルヤ。父なる神様、感謝いたします。今日私たちが救われているのは、決して偶然ではないことを、心から感謝します。エルサレムから始まった聖霊の働きが、新城にまで来ていることを、心から感謝します。主よ、私たちを今年、聖霊に満たしてください。終わりの日のリバイバルのために、私たちを満たしてください。主よ、天を開いてください。天が開かれ、聖霊が注がれますように。赤ちゃんからお年寄りまで、全員に注ぐと主は言われました。全員に聖霊が注がれますように。赤ちゃんたちにさえ、注がれますように。あなたを心から礼拝します。二〇一七年、私たちを用いてください。今からの聖餐式を聖霊により、導いてください。内側を聖め、主の働き人としてください。イエス様の御名を通して祈ります。アーメン。