「-2017年- あなたは良いもので満たされます!
パート4 家族全員が幸せに生きる為に。」

2017年2月12(日)
新城教会主任牧師 滝元順
詩篇103篇1節〜5節

『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。』

 ハレルヤ!おはようございます。今日はたいへん寒い中、集まって下さり、本当に感謝します。この冬、大きな寒波が何波にも渡って日本列島を襲っていますが、感謝なことにこの地方は、雪が少ないです。雪が多い少ないは生活に大きな影響を与えます。大雪の中で、雄々しく生きておられる地方の方々の守りを祈りたいと思います。

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 実は今週から、「日本縦断リバイバルミッション二〇一七」が始まります。是非、祈っていただきたいと思います。日本を縦断して福音を伝える働きです。しかし、縦断すると言っても中部地方から始まるのですが、すべての都道府県で福音を伝えます。今週の金曜日から、名古屋を皮切りに始まります。私と、韓国から来てくださる、チェ・ヨンドゥ先生が賛美ゲストで一緒に回ります。この働きを通して、一人でも多くの方々がイエス様を信じて、人生が変えられるように祈っています。

 先ほども祈りの中にありましたが、今までに三度、私たちの所に聖霊が強く臨んでくださった歴史があります。
 歴史を振り返ると神の奇跡を見ることができます。案外、私たちは五分あれば何でも手に入る世界に住んでいますから、我慢が苦手です。インスタントラーメンも、三分以上待たせると買ってくれないそうです。現代人のがまんの限界は三分みたいです。ウルトラマンも三分しか生きることができないです。しかし神様は永遠のお方ですから、結構、時間をかけられる事が多いみたいです。
 神の奇跡は振りかえると、「あっ!奇跡が起こっている!」と、知るわけです。一九九二年に聖霊が注がれてから、二十五年が経過しました。「二十五年」とはアブラハムが約束の子、イサクを抱いた年だと、上條先生がメッセージを語ってくれました。今年は記念の年です。
 そして、明日は二月十三日です。一九九二年二月十三日、愛知県民の森で祈っている時に、激しく聖霊様が私たちの所に訪れてくださいました。あれから私も変えられたのですが、明日は、愛知県民の森で記念祈祷会を行います。是非とも時間がある方は、お越しください。県民の森の祈祷会は、夏よりも冬のほうが恵まれます。夏は妨害者がいます。それはブヨとか蚊です。しかし冬はブヨも蚊もいません。寒いから真剣に祈るしかありませんから、恵まれます。
 でも、来られなくても大丈夫です。私たちはいつも、「教会の代表として県民の森にやってきました!」という宣言の祈りと共に、祈祷会を始めます。ですから、全員に聖霊の油が注がれると信じています。いくら人数が少なくても、代表として遣わされていると信じています。

 この頃私は、教会の歴史を振り返って、救われて今ここにいるのが、決して偶然ではなく、神の深く広い計画と摂理の中で、この場所にいることをお話しさせていただいています。
 日本のプロテスタント教会は一八八〇年代のアメリカで起こった、チャールズ・フィニーのリバイバルとの関りがあります。アメリカの建国は一七七六年ですが、アメリカでは第一波、第二波、第三波と大きなリバイバルが起きました。特に、第二波のチャールズ・フィニーのリバイバルは、後世に大きな影響を与えました。そこで救われた人たちの中で、日本に宣教に来た人たちがいます。
 ジェームス・バラという人物が、日本に最初のプロテスタント教会を設立しました。それが一八七二年のことです。横浜に、日本最初のプロテスタント教会、「日本基督公会」が建てられたのです。
 何とそこで、愛知県出身の人たちがクリスチャンになりました。どこの人たちかと言うと、愛知県北設楽郡津具村(現在の設楽町)の二人の青年が、ジェームス・バラの集会で救われ、彼らが村に帰ると、津具村にリバイバルが起きたのです。それが一九〇〇年頃の事です。津具村にバラによってリバイバルが起き、村の半数近くがクリスチャンになったという歴史が残っています。クリスチャンになると、村の墓場に入れてもらえず、「墓石を持って出て行け!」と追い出されたそうです。それで墓石を庭の敷石にしたほどの、すごいリバイバルが起こったらしいです。
 津具に教会も建ち、三十年近く、村井与三吉という牧師が牧会していたのですが、津具村で信仰復興したのが「賀川豊彦」です。彼はリバイバルによって人生が変えられ、後に、キリスト教精神の社会運動家になったわけです。
 しかし、村井与三吉が一九二八年ごろに亡くなると、津具村のリバイバルの火は消えてしまったように見えました。
 けれども、一九二九年、一人の男が津具村に誕生したのです。それが私の父、滝元明です。当時、津具村は真っ二つに分かれたそうです。クリスチャン側と、クリスチャンに反発する側の勢力です。父は反対派の家庭に生まれたのです。不思議なことです。
 一八〇〇年代後半から、多くの日本人がアメリカや南米に移民して行きました。なぜなら、明治維新で日本の体制が大きく変わったからです。多くの人たちが海外に移住し、フェルナンド先生はお父さんの代で、ペルーに移住した二世になるわけです。

 その中に、鳥取県出身の西谷祐という少年がいました。後に、彼によって私の両親がクリスチャンになったのです。日本人アメリカ移民と並行するように、一九〇六年にアズサ・ストリートにリバイバルが起こり、それがノルウェー、スウェーデンへと飛び火して、スウェーデンの多くの青年たちが、中国に宣教師として派遣されていきました。しかし、一九五〇年ごろ、中国に共産革命が起きて、宣教師たちは国外追放され、日本にやって来たのです。
 一方、太平洋戦争に敗北した日本に、GHQによって、アメリカから宣教師たちが遣わされました。その伝道で両親は救われました。父は一九四九年にクリスチャンとなり、スウェーデン宣教師と出会い、一九五四年から巡回伝道者となったのです。それで今の新城教会があるのです。
 簡単にまとめてみたのですが、「聖霊の風、世界を巡る」です。ちょっとでもボタンの掛け違いというか、タイミングがずれたら、今日はないです。私も生まれてはいません。みなさんも、この教会には来られていなかったはずです。
 これらすべて、何の働きかと言えば、聖霊様の働きです。神の霊によって、このようなことが起きたわけです。

 特に、近代の聖霊の働きの原点が、ロサンジェルスのアズサ・ストリートにあると先日、話しました。主は、消えかかった火を、もう一度復興して、「終わりの日にわたしの霊をすべての人に注ぐ」と、その約束を実現してくださったのです。
 決して偶然だと思わないでください。グローバルな神の霊の働きによって、今日、私たちはこの場にいるのです。これほどの深い歴史の中で、私たちを選んでくださったとするならば、私たちを通して、主は、何かを実現されたいはずです。世代を越えて主が働いておられることが分かります。その時代、時代、世代ごとに与えられた役割があるのです。神からの役割を、忠実に実行した人達によって、福音が広がったのです。これからも、私たちは、忠実に主に仕えなければいけないです。

 聖霊様が激しく訪れてくださった一九九二年は、ある意味、特殊な年だったと思います。あの頃、青年だった人達は、今やおじさん・おばさんです。あれから四分の一世紀が経ちました。当時の青年たちは、聖霊に満たされ、祈っている中で、地域に対するビジョンが与えられました。それは、千二百人を集めて、バーベキュー宣教大会を開催する事でした。ハートフルサパーという集会を計画しました。
 あの時の青年たちは燃えていました。集会の三ヶ月くらい前から、会場となる河川敷にテントを張って、毎日のように祈っていました。結果的に、なんと千二百人が本当に集まりました。その時の写真です。見てください。

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 この写真は実に預言的な写真だと思います。豊川の河川敷に、新城教会を引っ張って行って、というわけではないのですが、レプリカを作って、川の側に千二百人が集まって、バーベキューを食べたのです。さながら、神の国の現れのような光景です。やがて主が帰って来られたら、いのちの川の側でバーベキューをするのです。それを表すような感じです。あの時、「日本にリバイバルを与えてあげます。」と、主が語ってくださったのですが、その縮図のような感じです。教会の前に人々がわんさと集まっています。この光景が実現するためには、現在の私たちに、責任があります。これから、どのくらい熱心に主に求めるかにかかっています。
 二十五年経って、アブラハムに対する約束が成就したという、聖書のみ言葉にのっとって、今年は真剣に祈らなければならないと思います。
 私は昨日、かつての現場に行って祈って来ました。二十五年前に多くの人が集まった場所は、今、どんな風になっているのだろうかと行ってみたら、がっかりしました。こんな感じでした。

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 強者どもの夢の跡のような感じで、かつてここにリバイバルの働きがあったのか!?と、唖然としました。ちょっと景色も変わっています。ここで毎晩のように祈祷会が行われ、激しく聖霊が注がれました。この所の祈祷会に行ったことある人、スイッチオン!いますね。でも、少ないね。
 あの時、すごかったですよね。私の話は大げさですけれど、この話は大げさではないです。本当にすごかった。水の上を素足で歩けそうな雰囲気でした。一人の人に、聖霊の風が吹いて、この斜面を転がって上ってしまいました。
 びっくりしました。そこに行って試してみてください。転がって登れるかどうか、絶対にできないですよ。聖霊の風が激しく吹いて、この坂を上ってしまったのです。本当にすごいことが起こった。今は荒れ地になってしまいましたが、もう一度主のみ業を回復していただきたいと、昨日は、真剣にこの場所で祈って来ました。

 一九〇六年のアズサ・ストリートリバイバルの前身となったのが、アメリカ、カンザス州のトピカにあったベテル聖書学校の祈祷会でした。使徒時代の実現を求めて、一同は祈ったのです。「使徒の働き二章に記されているようなリバイバルをもう一度起こしてください!」と真剣に祈ったら、突然、ほとんどの人たちが聖霊のバプテスマを体験して、異言を語ったのです。
 使徒の働き二章一節〜六節、

『五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。』

 こんな事が初代教会で起こったのですが、聖霊様の激しい働きは次第に、なくなっていたのです。今のようにインターネットがあるわけではないし、情報が共有されなかったということもあるとは思いますが、使徒の働き二章に匹敵するような、聖霊の働きを歴史の中で見いだすことはできません。
 しかし一九〇〇年、神学校の祈祷会で、「使徒二章が回復しますように!」と祈ったのです。なぜなら、二章の後半に、『終わりの日にわたしの霊をすべての人に注ぐ』とあるからです。すると突然天が開かれて、ほとんどの聖徒たちが聖霊のバプテスマを体験し、異言を語ったのです。

 みなさんの中にも、異言の賜物を持っている方がおられるかもしれません。異言が現在のように、パブリックになったのは、一九〇〇年からです。この出来事は、強いインパクトを人々に与えました。人は強烈な体験をすると、その体験によって支配されるようになります。やはり体験は、何よりも強力に私たちに動機付けを与えます。聖書の中には記されていても、歴史の中に見いだす事の出来ない体験が、突然現れたわけですから驚きです。皆が聖霊のバプテスマを受け、異言を語ったのです。
 それがアズサ・ストリートにおいて、世界中に広がって行ったわけです。

 聖霊のバプテスマを強調する教会は、「聖霊を受ける=聖霊に満たされる=異言を語る」という図式です。なぜ、このような図式ができたかというと、トピカやアズサでの、強烈な体験があったからです。
 当時は、チャールズ・フィニーの影響で、聖書以外の書物を読むな!という風潮があり、そのような中で起こった出来事でした。多くの人達が、感動したのです。
 使徒の働き二章は、聖霊を受けて、異言を語ったら、外国人たちが集まって来て、他国のことばによって救われたという記事です。同じことが起こったと考えたわけです。
 それで聖霊のバプテスマを受けた人たちは、すぐさま、世界に福音を伝えに出て行ったのです。当時は、聖書以外は何も読まなくてもいい!勉強もしなくてもいい!という流れがあり、聖霊を受けて異言を語るなら、他国に行けば、聖霊によって外国語を話せるはずだと考えたわけです。だから鼻息荒く、海外に福音を伝えに行ったのです。
 そして、いろんな国で、自分に与えられた異言を語ってみたのです。その瞬間、ある事に気づかされました。それは、「何も通じない!」という現実でした。
 「あれ?おかしいぞ!使徒の働き二章が実現したのではないの?なんで?」と大ショックを受けたのです。

 それで、だんだんと、「トペカやアズサで起こった出来事は、なんだったんだろう?」と過去を振り返るようになったのです。
 今では、あの注ぎは、使徒の働き二章の「他国の言葉」ではなく、コリント人への手紙第一、十三章に「天使の異言」とありますが、その現れではないかと考えられるようになりました。

 みなさんも聖霊のバプテスマ、聖霊の満たしに関して、いろいろな見解を持っておられるかもしれません。しかし一般に、「異言を伴う聖霊のバプテスマ」に関しては、三つの考え方があります。
 一番目、「異言を語ることが、聖霊のバプテスマの最初の外的兆候。」
異言を語らなかったら、聖霊とは関係ないという、初期のペンテコステ運動で始まった考え方です。
 二番目は、「異言を一つの霊的賜物とする。」という理解です。異言は数多くの賜物の一つであり、言語学とは違う領域のものだという考えです。
 さらに三番目では、「異言は聖霊のひとつの現れ。」と捉えています。二番をさらに幅広く捉える考え方です。このように三つの考え方があるのです。考え方によって全く、聖霊の位置づけが変わります。

 この辺もキリスト教界全体で、しっかりと考えを統一しなければいけないのです。私も異言の賜物をいただいていますし、異言で祈ることは大好きです。しかし異言を語ることが、すべてだとは考えていません。
 実は私の知り合いで、「一番」の考え方の中に育ち、後に神学者として、「ペンテコステ神学」という本を著した大川修平先生がおられるのですが、その先生が著書の中で次のように語っています。聖書を詳しく解釈する結論として、「聖霊に満たされる体験の中に、聖霊のバプテスマがあり、聖霊のバプテスマの中に異言を語るという体験もある。」と結論づけていました。私もこの考えに賛成です。
 聖霊様とは、三位一体の中の神ご自身ですから、人格を持ったお方です。それを異言の中だけに押し込めることは出来ないはずです。天地創造の時に、聖霊が暗闇を覆い創造が始まったのです。第一の聖霊の外的現れは天地創造です。天地創造にも関わったお方ですから、決して、異言を語る中だけに現れてくださるお方ではないはずです。聖霊に満たされる体験の中に聖霊のバプテスマもあり、聖霊のバプテスマの中に異言を語るという体験もある、このようなとらえ方が健全な聖霊に対する理解ではないでしょうか。
 今日、ここにおられます方々の中で、異言の賜物を持っている方も、また持っておられない方も、同じ聖霊様の満たしの中にあるならば、すでに聖霊に支配されているのです。

 しかし、人間はやはり体験がないと、「神がおられる!」となかなか分からないので、時々、主は体験を与えて下さいます。「これは実に神業だ!」というような、体験を与えて下さるのです。私たちの教会に、過去、三度ほど、大きな聖霊の注ぎがあったと言いましたが、これがすべてではないのです。
 聖霊に満たされるという中に、聖霊のバプテスマという体験もあって、賜物も現されるわけで、この三回は、教会全体への聖霊のバプテスマであったと思われます。聖霊様が主権を持って、私たちの教会に訪れてくださったということです。
 これからも私たちは、ただ体験を求めるのではなく、ご人格である聖霊様を求めなければいけないです。その中で、必要に応じて、体験も与えてくださるのです。
 「見ずして信じる者は幸い」と、何も体験がないけれど信じているならば、聖霊の満たしの中にあるのです。
 聖霊に満たされるとは、言い換えれば、「聖霊によって支配される」ということです。刻々と変化する人生の場面で、聖霊様の支配があるならば、必ず、良い道を歩むことができます。そのような中、主が、必要なら、特殊な体験、聖霊のバプテスマを与えてくださるし、様々な賜物の現れも、見える形で、見えない形で、一人一人に現されるはずです。

 最も大事なことは、聖霊に満たされる、すなわち、聖霊様に支配される事です。
 明日は、二月十三日で、私たちの教会全体への聖霊のバプテスマのような記念日ですが、それだけに捕らわれるのではなく、世界を包んで働いておられる聖霊様の支配を、さらに深く受け取っていきたいと願っています。

 私は年間一度は、このみ言葉を語るようにしているのですが、それは、第二列王記四章一節〜七節の言葉です。
 これはエリシャという預言者が、やもめの家に行って奇蹟を起こした物語です。実際に油が増えたという奇跡です。聖書を解釈する法則があり、「初回言及の原理」というのがあります。最初に出て来る事柄が、最終的に新約聖書で、何を意味しているのか、その結論を通して、前半の解釈を変えることができるという法則です。ここに「油」が出て来ますが、油とは最終的には「聖霊様ご自身」を教えていますから、実際に油が増えたというのを、聖霊の満たし、すなわち、聖霊様の支配と置き換えて、解釈できると思います。一節から読んでみます。第二列王記四章一節〜七節、

『預言者のともがらの妻のひとりがエリシャに叫んで言った。「あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存じのように、あなたのしもべは、主を恐れておりました。ところが、貸し主が来て、私のふたりの子どもを自分の奴隷にしようとしております。」エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。あなたには、家にどんな物があるか、言いなさい。」彼女は答えた。「はしための家には何もありません。ただ、油のつぼ一つしかありません。」すると、彼は言った。「外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。家に入ったなら、あなたと子どもたちのうしろの戸を閉じなさい。そのすべての器に油をつぎなさい。いっぱいになったものはわきに置きなさい。」そこで、彼女は彼のもとから去り、子どもたちといっしょにうしろの戸を閉じ、子どもたちが次々に彼女のところに持って来る器に油をついだ。器がいっぱいになったので、彼女は子どもに言った。「もっと器を持って来なさい。」子どもが彼女に、「もう器はありません」と言うと、油は止まった。彼女が神の人に知らせに行くと、彼は言った。「行って、その油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子どもたちは暮らしていけます。」』

 この奇蹟は、預言者の家族に起こった奇跡です。預言者とは、真剣に生涯をかけて神に仕える人でした。今で言うならば、牧師やクリスチャンの家族のようです。
 しかし、真剣に神に仕えていた家族だったのにもかかわらず、なんと、この家族は、最悪でした。最も神に近いはずの、エリシャの弟子である預言者が死んでしまったわけです。ただ死んだだけではなく、家族には多くの借金が残されたみたいです。借金は預言者が死んで、妻がサラ金に手を出したのかどうかは知りませんが、毎日のように借金取りが家に来て、「金を返せ!」と、わめいていました。
 そして、絶対に、借金なんかつくったとは考えられない、子どもたちが狙われていたのです。いい迷惑です。自分がつくった借金でもないのに、命を狙われていたのですから。この家族は、不幸のどん底のような家族でした。
 これはクリスチャンホームを表しているようです。「一家で真剣に主に仕えてきたのにもかかわらず、家族の中に、なぜ、こんな重大な問題が起こるのか!?」という話を時々聞きます。信仰生活の中で、理解できないようなことが起きるのも事実です。

 しかし、その原因について、聖書は手がかりを与えていると思うのです。このストーリーは、不幸のどん底のクリスチャンファミリーに幸せが戻ったというストーリーとして理解できます。私は七節の言葉が大好きです。油が止まって、やもめの奧さんが神の人エリシャに知らせると、『「行って、その油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子どもたちは暮らしていけます。」』と告げました。
 幸せって何でしょうか。私もだんだんと歳を取って、幸せって何だろうかと考えます。若い頃は、自分さえ幸せならばいい!と思っていたような時期もありましたが、歳を取って来ると、幸せとは自分一人だけでは言えません。家族、親族、子どもたち、孫たち、全員が安定し、健康でいることが幸せだなぁと感じます。
 油が増えた時、エリシャが『その油を売り、あなたの負債を払いなさい。』と告げました。今までは負債があったけれど、負債がなくなれば、二度と債権者におびやかされることはありません。
 そして「残った油で、あなたも家族も暮らしていけます!」とあります。自分だけでなく、家族のメンバーも幸せに生活できるのです。経済的にも、何もかも守られて、暮らすことができたら最高です。
 七節のような人生を送りたいですよね。クリスチャンになったら、自分だけではなく、家族も親族も、みんな幸せになったら最高です。その秘訣がここにあります。

 エリシャは奇跡を起こすまでに、いくつかの条件を、やもめの家族に告げています。以前にも、お話しさせていただきましたが、最初に、「あなたの家には何がありますか?」と聞きました。そうしたら、「何もない。」と答えているのですが、「あえて言うなら、油のつぼ一つ」と告げています。エリシャは、「その油のつぼを持って来い」と言いました。すると、そこから奇跡が始まりました。奇跡は、外側ではなく、内側から起こったのです。これは何を意味しているのでしょうか。
 私たちは、「何はなくても、油のつぼ」です。これさえあれば、すべてうまくいくのです。「何はなくても油のつぼ」です。これは、何を意味するのでしょうか。コリント人への手紙第一、十二章三節に、こんな言葉があります。

『ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。』

 今日、心の底から、「イエスは主です!」と告白できるなら、聖霊があなたと共におられます。
 先ほど、聖霊のバプテスマについての定義を話しましたが、アズサで聖霊体験した人たちは、異言が出て来たことによって、異言がなかったら聖霊のせの字とも関係ないというくらいの勢いでした。
 でも、見てください。私たちが「イエスは主です」と語ることは、すでに聖霊様の支配によって語っているということです。
 今日みなさん、「イエスは主です!」と語ることができますか?語ることができれば、みなさんの中には油つぼがあるのです。聖霊様の支配があるのです。「イエスは」まで言えたけれど、息が詰まった人は危ないかもしれないですよね。
 ちょっとやってみましょうか。「イエスは主です!」と、心から告白できるならば、聖霊様がおられるのです。いきましょうか。「イエスは主です!」全員言えたじゃないですか。よかったですね。息が詰まった人いませんでしたね。もう一度、言ってみましょうか。「イエスは主です」ハレルヤ!主に大きな拍手を!

 恵まれるのは難しいことではありません。「イエスは主です!」と語るだけで、聖霊様が喜んでくださる感じです。イエスは主です!と告白するのは、重要なことです。

 特に、敵の面前で「イエスは主です!」と告白しなければならないのです。イエス様は弟子たちを、ピリポ・カイザリアに連れて行って、「あなた方はわたしのことを誰だと言いますか?」と聞きました。それをパン神という、ギリシャ神話の神殿の目の前で聞かれました。なんと弟子たちは、敵の目前で、「イエスは主です!」と告白したのです。日本には偶像が多いのですが、そんなただ中で、「イエスは主です!」と告白することは、聖霊様によらなければできっこないです。
 そもそも、日本でクリスチャンになるのは、敵の面前で「イエスは主です」と告白するしか、道はないのです。日本でクリスチャンになった方は、相当強い、聖霊様の支配があってクリスチャンになったということです。聖霊様はみなさんと共におられます。

 油が増えるとは、聖霊の支配がもっと強まることです。時々、誰かから支配されることがあります。子どもが、母親に支配されるとかは良い例です。母親と子どもの距離が近ければ近いほど、母親の支配は強まります。関係が遠くなると、支配が弱くなります。母親の支配は時々、怖いものがありますが、聖霊様に近寄っていけば、聖霊様の支配を強く受けるわけです。聖霊に満たされるとは、そのように捉えれば良いと思います。

 油が増える奇蹟の中で、何が条件となったかと言ったら、最初は、小さな、ほとんど消えかかった油のつぼを持って来い!から始まりました。

 二番目の条件として出されたのが、「外に出て行って、からの器を借りて来い」です。『外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。』とエリシャは告げました。
 この条件が出た時に、この家族には躊躇があったと思われます。なぜならば田舎って、みんな正面を見ているようで、隣のこともよく知っているじゃないですか。隣の人たちはやもめ一族のことを、よく知っていたと思われます。「あの家には何もないよ。そのうち飢え死にするよ。」くらいに思っていたでしょう。それが、「すいませーん!からの器を貸してくださいませんか?」ってね。「あなたの所、何もないのに、なぜ、からの器が必要なの?ちょっと頭にきちゃったんじゃないの?」と言われたかもしれません。でもあえて、隣の家に行って、からの器を借りて来たのです。
 これは何を意味するのでしょうか。霊的には、からの器は、油が入っていない、聖霊様の支配を受けていない人たちのことです。これは福音を伝える事を意味します。私たちが聖霊に満たされるために必要なことは、やはり福音を伝える事です。その時に、油はもっと増えますよということです。

 過去のリバイバルを学ぶと、必ず、リバイバルは宣教に向かっています。それも自分たちの民族だけではなく、他国のことば、海外宣教に目が向けられているのです。これは聖霊様の働きです。
 豊川市にスウェーデンの宣教師たちが来て、父が不思議な方法で伝道者になった話をさせていただきました。
 豊川市にオーケ・レナンデルという先生と、アルネ・リンデンという先生の家族が来られていました。

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 「リンデン先生ご一家」の写真がありますが、二人子どもさんが写っています。しかしご夫妻にはもう一人、男の子がいました。でも、男の子は亡くなりました。なぜ、亡くなったと思いますか?私はその事を、あるホームページで知ったのですが、中国で長男を殺されたのです。それも家族の目の前で殺されたというのです。誰に殺されたかというと、日本兵に殺されているのです。
 日本は神道を中国にも持って行きました。そして、宗教を弾圧しました。見せしめとしてキリスト教宣教師を捕まえて、家族を殺したというのです。なんとリンデン先生の長男は、みせしめのために、みんなの目前で殺されたというのです。
 しかし最も憎らしい、日本人の所に伝道に行くって、普通じゃないです。はっきり言って、聖霊様の働きがなかったら、そんなこと絶対にあり得ません。即、国に帰ると思います。しかし彼らは、神の声を聞いたのです。神の愛を受け取ったのです。「あなたの息子を殺した、日本人の所に行って伝道しなさい。爆撃で一番傷ついている豊川という町に行って伝道しなさい!」と聞いたはずです。すでにご夫妻は、天に帰られていると思いますが、大きな犠牲によって、父も引き出されて伝道者になり、新城教会もあるのです。
 「からの器を借りてこい」と、スウェーデンから来てくださった先生方が、日本まで来て下さったことによって、今私たちはあるのです。全日本リバイバルミッションは、今年は日本縦断リバイバルミッションとして、国内宣教活動を行います。また、新城教会では、三月にネパールまで行って福音を伝えます。これは聖霊様の促しなのです。支配なのです。聖霊様の支配があるがゆえなのです。

 「からの器を隣に行って借りて来い!」「一つや二つじゃいけない!」と語られている言葉って、結構意味深いです。一つ二つではいけないとありますが、後に、聖霊に関して、イエス様は、ルカの十一章の所で、「パンを三つ貸してくれ」という例えを語られています。
 パンを三つ貸してくれということから、聖霊を与えてあげるにつながっているのです。一つ二つじゃいけない、三つパンがいるとは、どういうことでしょうか。私たちの神様は、父なる神様、子なる神様の二つじゃいけません。もう一つ、聖霊様が必要です。三つ目のパンが必要です!
 クリスチャンは、天地宇宙を造られた父なる神様は知っています。また、救い主イエス様は知っています。しかし、そこでとどまっているクリスチャンが、結構多いのです。一つ二つではいけません。三つ目のパン、聖霊様を求めなければいけないのです。

 さらに、隣の家に行って、器を借りてこい!とは、飢え渇きを表しています。
 三つ目のパンは、「求め」「探し」「叩く」という、ひたむきさによって与えられるものです。救いは即与えられます。イエス様を主と告白したら、もらえます。でも聖霊様、三つ目のパンは、求めて、探して、叩くという、ひたむきさが大事なのです。
 考えてみれば、あの一九九二年、聖霊様が来てくださったのは、やはり背後にひたむきさがありました。聖霊様に触れていただきたい!という、教会全体のひたむきさがあって、訪れてくださったのです。
 良いものは、究極的には聖霊様のことです。聖霊様に来てもらうためには、求め、探し、叩くというひたむきさが必要です。外に出て行って、からの器を借りて来い!それも一つ二つじゃいけない!飢え渇きによって、からの器が油で満たされるのです。
 からの器が満たされるなら、二〇一七年に新しいリバイバルの扉が開かれると信じます!
 韓国なら、みんな「アーメン!!」と言うのですが、日本ではシーンと…、でも、私は気になりません。これが日本ですから。しかし日本人は、内側でアーメン!と叫んでいるのです。今日は一度、声に出して叫んでみましょう。「今年はリバイバルが起きると信じます!」「アーメン!」

 そして、もう一つ。最後の条件。これはよく語らせてもらっています。一九九二年に聖霊が注がれて、一番強く教えられたことが、「うしろの扉を閉める」ということでした。なぜ、うしろの扉を閉めろとエリシャは告げたのでしょうか。なぜなら、この家には毎日、債権者たちが取り立てに来ていたからです。子どもを奴隷にしようとしていたわけです。そんな環境下で、油が増える奇蹟が起こったのです。当時、油って、高価なものでした。扉が開いていたら、油は奪い取られ、日頃なら、逃げ隠れしていた子どもたちも、連れ去られたはずです。そうしたら、その家族は以前よりも悲惨になります。

 時々、「聖霊なんか求めないほうがいい!後から問題が起こるから。」という噂を聞きます。体験的に言うのですが、なぜでしょうか。それは、うしろの扉が開いているからだと思います。
 扉が開いていて、油が増えたら油は奪い去られるは、子どもたちはさらわれるはということにもなりかねません。「扉を閉めろ!」と、一九九二年に強烈に教えられたのは、家族の幸せのためでした。誰に対する扉かといったら、債権者に対する扉です。敵に対する扉です。悪魔・悪霊に対して、その進入路を塞げ!ということです。

 あれから二十五年。私たちは、うしろの扉を閉める祈りに徹して来ました。曲がりなりにも、リバイバルの働きを継続出来ているのは、扉が閉められて来たからだと思います。
 特に、「あなたと子どもたちのうしろの扉を閉めろ」というのです。これは家族に開かれている、敵の力をブロックしろということです。言い換えれば、家系の中に開いている、悪魔に対する扉を閉めろ!です。
 この扉を閉めて、油が増えたら、二度と敵は来ないし、その残りであなたも子どもたちも暮らしていけますよ!家族全員が幸せに生きる秘訣として教えていると思います。
 家族を代表して、敵に対する扉を閉め切ります!という祈りをしてから、油を増やしていただきましょう。

 この祈りが重要だということを、私は年始めに再度教えられました。
 私の家内の母は、まだはっきりとしたクリスチャンではないのですが、母のお姉さんは、この教会に来てくれています。
 実は一月のはじめ頃、義母は病気になりました。目が腫れて、食事ができなくなって、熱が出て、どんどん痩せて、頭から顔にかけて強い痛みがあり、苦しんでいました。すでに八十過ぎですから、去年は私の母が亡くなり、今年は家内の母が亡くなるのかと思うくらいでした。五キロくらい痩せて、危ないと思いました。
 しかし弱った時にこそ、福音を伝えるチャンスです。家内が福音を語って、大胆に祈ってあげました。「奇蹟を見せてください!」と祈りました。しかし治らなかったのです。「大胆に祈ったのに…。」と、家内はがっかりしていました。
 しかし、ある夜、家内に主が語ってくれました。「うしろの扉を閉めろ」と語ってくれました。具体的には何かというと、母の父親が、ある新興宗教の霊媒師でした。
 ある時、家族の中で病気になった人がいたというのです。それで、「俺は、この神様に拝んで、拝み倒して病を治す!」と言って、昔のことですから病院なんかにも行けないので、真剣に霊を下ろして拝んだそうです。しかし何が起きたかといったら、その人は、死んでしまったそうです。
 そういう家系の義母です。悪霊に対して祈って、人が死んだという流れの家系です。家系の中に悪霊の力が入っていて、本物の神に対する祈りさえも阻害し、ブロックするような力が働いているから、その扉を閉めろ!と夢の中か、幻の中か知りませんが語られたというのです。
 その新興宗教のおどろおどろした山が近くにあるのです。私たちは、そこに行って、うしろの扉を閉め、暗闇の力が打ち破られるように戦いの祈りに行きました。行く前に母親の所に行ったら、頭は痛いし、顔も痛い、衰弱して立ち上がることもできず、布団の中に入っていました。
 しかし私と家内で、偶像礼拝の家系である罪を悔い改め、滝元家のほうも関わっているので、「罪を赦してください!」と悔い改め、「癒やしの祈りを止める、悪しき力との関係を断ちます。扉が開いているなら、閉めます!」と、「家系を代表して、そのうしろの扉を閉めます!」と敵の面前で宣言しました。
 その後、何が起こったでしょうか。癒やされたでしょうか。癒やされなかったでしょうか。癒やされなかったら、なんでこの話をするんだ!と、申賢均という先生がよく言っていましたが、祈った時刻に、ピタッ!と痛みが止まり、起き上がれるようになったのです。元気になっちゃったのです。びっくり!私もそこまでうまくいくとは思わなかったのですが、扉を閉めるって大事だなぁと強く思いました。
 今日みなさんに、もう一度、家系の中に開かれている敵に対する扉を閉めろ!と、主が語っておられるのではないかと、分かち合わせていただいています。

 今日は、聖霊様についてよく考え、一つ二つではいけない、三つ目のパンを求め、探し、叩いて、いただかなければならないです。家族全員が幸せになりますように。最後に祝福をお祈りして終わりにしたいと思います。一言祈ります。

 ハレルヤ。天の父なる神様、御名をあがめ感謝します。家系の中に空いている穴が閉められますように。この一年、良きもの、聖霊様で満たされて歩むことができますように。
 今からの聖餐式、祝福してください。このパンとぶどうのジュース、あなたのみ前にお捧げします。今日は三つ目のパンとしてもいただきます。イエス・キリストの御名によって、祈りを捧げます。アーメン。