2017年あなたは良いもので満たされます!〜パート9 
~山から出て来た一つの小石パート4〜

2017年4月2(日)
新城教会主任牧師 滝元順
ダニエル書2章41節〜45節

『あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土、一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです。その国には鉄の強さがあるでしょうが、あなたがご覧になったように、その鉄はどろどろの粘土と混じり合っているのです。その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。 鉄とどろどろの粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは人間の種によって、互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。あなたがご覧になったとおり、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのは、大いなる神が、これから後に起こることを王に知らされたのです。その夢は正夢で、その解き明かしも確かです。」』


 ハレルヤ!おはようございます。今日、みなさんと会うことができて本当に嬉しいです。祈りに支えられて、ネパールの宣教旅行、私にとっては六日間という短期間でしたが、やり遂げて帰国することができました。背後の祈りをひしひしと感じながら過ごすことが出来ました。
 今回は四方向から現地集合のような形で、ネパール宣教に行きましたが、三チームは中国経由でした。いずれも行き帰り、中国で一泊しなければならなくて、昨晩は夜中の十二時頃に帰って来ました。私は韓国経由でしたので、ちょっと早く着いたのですが、ほとんどのメンバーは、夜中の十二時くらいに新城に到着しました。
 みんな、来ていますか?午後から報告会がありますが、寝過ごしている人もいるかもしれません。でもみんな守られて、多少下痢をした人がいたように聞いていますが、ほとんど問題なく守られて感謝です。

 教会には、一週間に様々な動きがあります。佐野結実さんは現在、出産中です。午前中には新しい命が誕生すると思います。本当に嬉しいですね。
 また先週は結婚式がありました。岡本泉ちゃんと中山創君、なかなか美しいですね。

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 お父さん。もううるうるです。ウルルン滞在記みたいです。娘の結婚式とは、こういうものです。
 教会は生き物というか、生ものですね。いずれにしても、心から感謝しています。

『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。 』

 これはすべての教会に、すべてのクリスチャンに語られた言葉です。「すべての造られた者に」と訳されているので、人だけのように感じるのですが、原語からも、また、英語の訳で見るとよく分かります。
 ”Preach the good news to all creation.”となっています。「creation」とは神の被造物のことですから、all creationとは、神が創造された「すべての被造物」に対して、福音は宣言されなければならないのです。
 福音とは何かについて、近頃語っていますが、福音とは人の救いだけではなく、「全宇宙、地球、自然、すべての生物、社会制度、被造物全体の回復」です。
 そして、「福音とは宣言だ!」と、以前学びました。人類の救いは、被造物の管理人として重要です。
 私たちは被造物全体に対して、神から権限を委託されていて、福音を宣言する役目です。その時、世界は変わっていきます。やがてイエス様が、この地に再び来てくださることによって、主が王となって地を治めてくださるのです。世界はイエス様を王として生きるわけです。その日を私たちは待ち望まなければなりません。

 今回のメッセージタイトルは、長ったらしく、サブフォルダが付くようなタイトルになっています。その理由は、毎回、インターネットにメッセージをアップしていますから、一つだけだと誤解されやすいので、関連を読んでいただくためにも、こういう長いタイトルを付けています。今年は「良いもので満たされる!」というテーマで、進んでいきたいと願っているのですが、今日のサブタイトルは、「山から出て来た一つの小石」です。以前にも語ったのですが、今回はパート四になります。福音は、すべての被造物に対しての、良い知らせの宣言です。

 私たち人類は、大変重要なポジションです。人間の責任は、「神、自分自身、他者との間に関係を持つことであり、また神と共に支配する者として、神の宇宙的神殿における神の臨在の仲介者として世界と関わることである」と、『福音の再発見』の著者は述べていました。

 今年もネパールに行かせていただきましたが、このような福音理解と共に、福音を宣言する使者として行かせていただきました。先週も語らせていただいたのですが、今回のテーマのみ言葉は、ミカ書五章七節〜九節でした。
 私たちが残りの者として、福音を携えていく時、森の中の動物の中で最も強いライオンのような存在として用いてあげます!と約束されています。
 ネパールのチトワンは、国立公園になっています。国立公園と言いましても、野生の王国です。様々な野生動物が住んでいるわけです。そこで一番、有名なのが虎です。虎が森にひそんでいるわけです。私たちが訪れた山にも、虎がいるという噂でしたが、守られたことを感謝しています。
 ミカ書五章を見るならば、福音を携えて出て行く時、羊の群れの中の若い獅子のようにして下さるというのです。クリスチャンとは、森の中の獅子のように、羊の群れの中の若い獅子のように振る舞うことができるのです。

 イザヤ書四十章九節からのみ言葉も、今回のネパール宣教のために与えてくださったと信じました。イザヤ書四十章九節〜十一節、

『シオンに良い知らせを伝える者よ。高い山に登れ。エルサレムに良い知らせを伝える者よ。力の限り声をあげよ。声をあげよ。恐れるな。ユダの町々に言え。「見よ。あなたがたの神を。」見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。』

 このみ言葉は、イエス様が再び帰って来られて、すべてを統べ治められるという預言につながっています。『良い知らせを伝える者よ。』とあります。これは福音を伝える者たちを指します。「福音を伝える者は、高い山に登れ!」というわけです。
 以前にもお話しさせていただきましたが、お一人一人、その人しか登れない高い山があります。様々な職業に就いておられると思いますが、その人しか見下ろせない領域があるのです。そこに立って、福音を宣言することが、私たちに課せられた使命であり、義務です。
 今回は、実際に高い山に登り、福音を宣言する働きでした。今朝のメッセージは旅の土産話のようですが、午後に一緒に行ってくださった方々が、感想を述べて下さいます。是非とも出席していただきたいと思います。

 ネパールはどこにあるのかと言いますと、何度も示していますから、分かると思いますが、インドの北のほうに位置する長細い国です。直行便がないので、十時間以上はかかります。
 時差は三時間十五分という、中途半端な時間帯ですが、人口は約三千万人くらいです。国旗は三角形の国旗です。しばらく前まで、世界で唯一のヒンズー教を国教にした国でした。今は、民主化されて、どんな宗教でもいいことになっているのですが、実際は、ヒンズーが強いのでクリスチャンが迫害されています。

 この国の標語があるのですが、国の標語は、「祖国は天国よりすばらしい」という標語です。私はネパールの教会の先生方、リーダーのためのセミナーを持たせていただきました。今回、すばらしい通訳の方が備えられて、日本語からネパール語に通訳されました。普通では、なかなか通訳を見つけるのは難しいのですが、アシシュさんといって、日本の九州でクリスチャンになった方で、二年前に私たちの集会に来てくださり、名刺をもらいました。それで、「あの人は、そういえばどこにいるのかな?」と、メールを出してみたら、私がセミナーを持とうとしていたチトワンに住んでおられたのです。それも日本語の先生をやっていて、彼に通訳をお願いして、メッセージの音源も事前に送ったりして準備していただいたのですが、本当にすばらしい奉仕をしてくれました。
 信仰的にも熱い方で、一生懸命祈って、準備したというのです。セミナーの前日は断食して、備えたというのです。私なんかモリモリ食べていましたので、申し訳ない感じでしたが、本当に良かったです。主の山に備えありでした。

 これはチトワンで行ったセミナーです。ほとんど、地域の牧師先生方とリーダーの方々です。山を越え、谷を越えて、やって来て下さいました。
 セミナーは本当に良い集りとなって、みんな真剣にネパールのリバイバルのために祈っていました。ネパールという国は主から選ばれた、大切な国だというお話をさせていただきました。
 ネパールは国が貧しいですから、自分たちの国に自信を持てないところもあるようです。一人当たりの平均年収は千五百ドルくらいです。所得は低いし、彼らの夢とは、自分の国から逃げ出して他の国に移住するのが夢だというわけです。ですから、少し勉強して、世界が分かってくると、自分の国から逃げ出してしまう人が多いのです。そんな現実があって、なかなか国が発展しないのです。
 私はセミナーの中で、「国の標語ってご存じですか?」と聞いてみました。誰も知りませんでした。ここにあるように、「祖国は天国よりもすばらしい。」というのが国の標語であることを教えてあげました。
 「みなさんは、自分の国が天国よりもすばらしいと思っていますか?」と聞いたら、「私たちの国は地獄よりもひどい。」と言いました。
 しかし私は、この言葉は、預言的な言葉だと思います。もしもクリスチャンたちが、福音とはただ単に、人が救われるだけでなく、神が造られたすべての被造物の回復だということに気づいて、祈り、戦い始めたら、この国は天国よりもすばらしい、神の国が下りて来る!と話しました。しかし、もしもその事を怠るならば、皆が感じているように、この国は地獄よりもひどくなるということです。

 しかし、これはネパールだけに限った事ではなく、すべての国に言えることです。神の国が訪れたら、そこは天国になります。天国よりもすばらしい場所はありませんが、神の国とは、空の彼方にできるものではなく、私たちのただ中に、私たちの目の前に下りて来るものです。その鍵を持っているのが、他でもない、クリスチャンと教会に与えられているのです。
 私たちクリスチャンには、地球を天国に変える権限が与えられています。それに気づいたら、天国が地に下りてくるのです。
 しかしそれをクリスチャンが見落としたら、地獄よりもひどい場所ができるわけです。ある意味、日本は生き地獄みたいな状況になっています。どこに原因があるのかといったら、やはり教会とクリスチャンにあるのです。

 今回も、チトワン郡の山中に住んでいる、チェパン族の所に行かせていただきました。新城教会の全ての方々を、この山の中にまでお連れしたいと思うほどです。現在は乾季で、雨があまり降りません。しかし、山に二日間いる間に、結構雨が降りました。乾いた大地が少し潤されて良かったのですが、緑で覆われていたのが、こんな感じでした。今まで行った方々は、全然違って驚いたでしょう。

 私は、この村の酋長さんの家にホームステイさせていただきました。それで、村のことをいろいろと教えてもらいました。
 「山には何軒くらい家があるのですか?」と聞くと、だいたい二百軒くらいあるというのです。今回、チェパン族の方々の意識調査もさせていただいて、何を食べているのかとか、毎日何をしているのかを調査させていただきました。調査員が一緒に行きました。午後から、少しは発表してくれるかと思います。チェパン族に、「苗字は何ですか?」と聞いたら、全員、「チェパン」でした。

 去年、興味深いこと事がありました。山の上の子どもたちの集会で、ある人がメッセージを語りました。「みんな!友達いるかい?」と聞いたら、誰も反応しませんでした。普通なら、「いますよ!」と反応するはずですが、全く反応がありませんでした。おかしいな?言葉が通じていないのかな?と思いました。でもちゃんと通訳してくださっていますから正しいはずです。何回も、「みんな友達いるかい?」と聞いたのですが、シーンとしているのです。しょうがないから、先に進んで、「イエス様は君の友達だ。」という話をしたのですが、全く通じませんでした。
 しかし、後になって気づいたのは、その山には友達という概念がなかったのです。どこからどこまでが家族なのか、友人なのか、切れ目が分からないのです。本当に不思議な部族です。
 しかし今回、その原因が判明しました。彼らには友達という概念はない代わりに、「家族」という概念で村が成り立っている事がわかりました。苗字は全員チェパンなのです。二百軒の大家族なわけです。一軒に十人くらい住んでいるというのです。ですから、人口は、二千人くらいです。
 山に住む全員が家族のメンバーだという概念でした。それは聖書的な概念だと思いました。私たちは「神の家族」として集っています。誰がどうというのではなく、みんな家族です。
 友達という概念には、「この人は重要。この人は重要ではない。」という、そこには差別意識が入っています。しかし家族という概念には、誰かが強くても、弱くても、お互い家族ですから、差別はありません。それぞれに役割が決まっているのです。

 そのことが分かりましたから、子どもたちの集会で、「みんな家族はいるかい?」と聞いたら、みんな手を上げました。
 そして「私たちも、君たちの家族に入れて欲しいんだけど、、、」と話しました。そうしたら顔を見合わせながら、「いいよ。家族に入れてあげるよ。」と言ってくれました。それで、「今夜は、君たちの家に泊まりに行ってもいいかい?」と聞いたら、「家族だからいいよ。」と受け入れてくれました。
 それで、五チームに分かれて、現地の方々の家にホームステイしました。

 数年前にもホームステイをやったことがあるのですが、彼らの考えが分からなかったので、ホームステイといっても、軒先を貸してくれただけでした。その辺で寝たらどう?という感じで、みんな牛小屋や鶏小屋に寝かされたわけです。しかし今回は、家族という概念を知って行きましたから、歓迎してくれたのです。あるチームは、普通では食べることのない、お祝いの時しか食べない水牛のビーフジャーキーを食べさせてくれたそうです。すごいサービスをしてくれたわけです。家族という概念を知ってから、行かなければならないことが分かりました。

 私は、「私たちは家族ですよ!そして、一番すばらしい家族は神の家族です!」と話しました。「みんな神の家族の一員ですよ!」と話しました。
 今日ここにおられます方々は、皆、神の家族に属しています。教会に来たら、友達関係ではなく、神の家族であることを意識しましょう。

 チェパンの人たちは、一九六〇年代までは知られていなかった人たちでした。先週もお話ししましたが、チェパンの人たちは、ネパール人口三千万人中、五万二千人くらいだと言われます。「ネパール先住民連合」というのがあって、周辺化の度合いによって、先住民族を幾つかのグループに自ら分けているのですが、チェパン族は、「極度に周辺化された民族の一つ」に分類されているのです。世界で最も古い生活様式を保っている人たちだというのです。

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 家はこんな感じです。縄文時代の住居と、現代のチェパン族の住居は、ほとんど変わりません。ということは、二千年以上、自分たちのライフスタイルを変えていないわけです。現代人から見ると、取り残されてしまった、周辺化されてしまったと言うのですが、神の目から見たら、そうではありません。彼らは重要な使命を持った人たちであり、神の家族においては、重要な人たちなのです。

 私は酋長さんの家に泊めていただいたのですが、家の中で火を炊いていて、鶏も一緒に住んでいました。

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 この家の鶏は偉いです。走り回らないで、所定の場所にちゃんとおさまっていました。人も動物も鶏も一緒に暮らしているのです。日本人も、以前はこういう生活だったかもしれません。縄文時代はこんな感じであったと思います。

 鶏の横に寝かされるのかなと思ったら、結構いい場所で寝かせてくださいました。これ、見てください。
 この家は大工さんで、結構、よく作ってありました。米とか置いてある横のほうに寝かせていただきました。

 これが一緒にホームステイしたメンバーです。真ん中のおじさんがホストしてくれました。本当に貴重な体験をさせていただきました。できることなら、全員ホームステイしたら、人生の価値感が変わるのではないかと思います。
 帰り際、みんなで証し会をしたのですが、一人の女の子が「人生の価値感が変わった。」と話していました。人生の価値感って、なかなか変わらないものですが、一週間くらいで価値感が変わったら、そんなすごいことはないですよね。人生、豊かになります。

 今日、読ませていただきました聖書の箇所は、ネブカデネザルという王様が見た夢をダニエルという預言者が解き明かした所です。この預言は、本当に壮大な預言であるわけです。以前にも何度か話していますから、分かっていると思いますが、ネブカデネザルが見た夢とは、大きな像が出て来て、頭が金で、胸が銀で、腰が青銅で、膝が鉄で、足首が鉄と粘土の混ざった大きな像が出てきたのです。
 そこに、一つの小石が飛んで来て、鉄と粘土の足首を打ったわけです。そうしたら、この像が粉々に砕け散って、小石が大きくなって世界を覆ったという夢でした。
 これは何を意味しているのかというと、やがてイエス様はこの地上に帰って来られて、世界の王となって治める日が来る!ということです。山から切り出された小石とは、イエス様のことでした。二千年前、イスラエルで、誰も知らないベツレヘムの山の中から一人の男が切り出されたわけです。人手によらない処女マリアから切り出されたのです。そして今や世界に伝えられたわけです。
 イエス様は十字架にかかって死なれたけれど、三日目によみがえり、天に帰られたのですが、やがてもう一度、地上に帰って来られます。もう一度、人手に寄らない小石として、この世に戻って来られ、世界を変えてしまわれるのです。
 どんな時代になったら、小石が飛び出て来るのか預言されています。それは、「鉄と粘土が混ざったような国々の形態になった時」、イエス様はもう一度帰って来られるということだと思われます。鉄と粘土が混ざった足首とは、強い国と弱い国が一つになった時代だというのです。しかし、一つになっているように見えるけれど、実は、団結してはいないというのです。
 本来、強い国は、弱い国を支配し、どんどん吸収し続けたのが世界の歴史です。しかしそうではなく、強い国と弱い国が互いに結び合い、混在しているというのです。
 聖書をよく学んでいきますと、やがて「大バビロン」と呼ばれる、経済の領域で一つの世界になることを預言しています。その時代に石が飛び出してくる!というわけです。

 先日もTPP交渉が決裂しましたが、本当に良かったと思っています。TPPに参加した国々を見ても、強い国と弱い国が一緒になっています。世界中で、強い国と弱い国が一つになっています。まさに、経済によって国が束ねられています。
 そして、石が切り出されるきっかけとなるのは、町ではなくて、「山から」と預言されています。「山から」一つの石が切り出されるわけです。

 先週もお話しさせていただきましたが、ネパールは、ある意味貧しくて、遅れているように見えるかもしれません。しかし、世界を支配しているのです。
 世界の宗教って、キリスト教を除いて、すべて根源はネパールにあります。ネパールの宗教は、ヒンズーですが、ヒンズーとは、世界の宗教の根源です。
 日本の神々を調べてみると、ほとんどがヒンズーの神々です。日本で一番流行っている神々は、やはりお金を儲けさせてくれる神です。世界は経済が中心ですから、拝む対象も、金を儲けさせてくれる神が流行るわけです。
 今、日本で一番金を儲けさせてくれると言って、人が集まるのが、他でもない「豊川稲荷」です。豊川稲荷は全国的に金儲けの神として有名です。正月は、百万、二百万という人たちが来るわけです。豊川稲荷って、何が祭ってあるのか、人々はほとんど知りません。豊川稲荷?狐じゃないの?と言うかもしれませんが、今度、豊川稲荷の近くに行ったらよく見てください。漢字で、「吒枳尼真天」(だきにしんてん)と書いてあります。何を表しているかというと、「ダキーニ」というヒンズーの神です。「吒枳尼真天」(だきにしんてん)と漢字で当て字にしただけで、ネパールの神なのです。

 私は今回、セミナーでこの話をしました。世界は経済中心で回っていて、神々もその手下として使われていると話しました。日本もまさにそうだ!と。日本で経済のために使われている名前が、ダキーニだけど、知っていますか?と聞いたら、「えっ!それはネパールの神だ!」と答えました。ネパールには世界一高い山があります。八千メートル級の連邦があるわけです。

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 この山も、よく見ると、頭の先っぽが三角形です。これがなんのモチーフになったのかと言うと、ドル札です。世界のどこに持って行っても使えるお金がドル札です。ドル札はすごいです。どこの国でも使えます。日本円は悲しいです。日本円を外に持って行ってそのまま使えるのは、韓国の明洞と、ハワイのホノルルストリートくらいです。他では使えません。でも、ドル札は、どこでも使えます。パワフルな世界の基軸通貨です。この三角形を見てください。
 何をモチーフにしているのかというと、元々は、ヒマラヤの神々をモチーフにしています。世界を支配している霊的な力は、やはりネパールから流れ出ているわけです。
 みなさん知っていますか。ドル札を発行しているのは、アメリカ政府ではないのです。個人の銀行家たちです。通貨の発行権を持っている人たちがいるのです。アメリカにFRBがありますが、それは個人が持っている組織で、その人たちがお金を印刷したら、世界で流通できるのです。
 もしもプレイズ出版が世界の通貨を印刷する権利をもらったらどうでしょうか。プレイズで札を刷ったら、世界のどこでも合法的に使えるなんていったら、新城教会は人で溢れると思います。信弘先生にちょっと頼めば、お札となって流通しちゃうなんてね。しかしそんなことしたら、すぐに捕まります。世界の基軸通貨、ドルは、個人が権利を持っているというのですから驚きです。
 ということはどうでしょうか。経済においても、ネパールの霊的な力が権限を持っているということです。しかし、悪魔はそれに気づかされないように、国をすごく貧しくして、経済とは全く関係のないように仕立てているのです。

 一方、チェパン族の人たちは、前回もお話ししましたが、ここには通貨の流通がありません。お金がそもそもないのです。こういう世界って、ほとんど現代にはあり得ません。
 ということは、この人たちがイエス様を信じて、管理人として、世界を牛耳っている経済の背後に働いている敵に対し、勝利を宣言したらどうでしょうか。世界は変わっていくはずです。私たちがいくら、「経済の中に働いている悪霊どもよ、出て行け!」と言っても、「あんたたち、いつもお金使ってるじゃないか。俺たちのシステムの恩恵を受けているあんたたちが宣言したって、俺たちは出て行かないよ。」ということじゃないですか。
 しかし、この人たちが「お金の背後に働いている悪霊どもよ、出て行け!」と言ったら、そもそもお金を使っていませんから、金のシステムはありません。そんなシステムがなくても生きていける人たちですから、こういう人たちは、すごいパワーとなるはずです。まさしく、山から切り出された小石になると思います。
 不思議とこの場所に、何年も前から導いてくださり、奉仕させていただけるようになりました。

 今回もフードミッションといって、山の子どもたちに食事を提供しました。喜んで食べてくれました。男の手料理でしたが、結構美味しかったです。クリームシチューと豚汁でした。豚が手に入らなかったので、シーチキンで代用したのですが、それがうまかったのです。シーチキンの豚汁というのか、シーチキン汁というか、結構うまく出来ました。
 この子どもたちは、食べるのは底なしです。体は小さいですが、結構山盛りですが、ぺろっと食べて、だいたい平均三杯くらいお替わりします。食べられる時にはどんどん詰めこんでおけ!という感じです。
 これはチェパンのおばちゃんです。このおじいちゃんは、元酋長。元気に生きていました。八十四歳だと言っていましたが、定かではありません。この山の人たちは、自分の誕生日を知りません。誕生日を聞くと、「あれは月夜の晩だった・・・。」とか適当に答えます。月夜の晩と言ってもいっぱいありますから、推定で八十代ということです。子どもたちの集会で、今回は平岡先生の教会から、シオンちゃんが参加して、バレエを躍ってくれました。不思議な踊りだなぁという感じでみんな見ていました。

 この男の子も健在でした。彼はなかなか元気のいい子です。
 今回の医療ミッション、新城教会の優秀なお医者さんが二人、行ってくれました。贅沢なもんです。

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 いろいろと診療奉仕をしてくれました。これは薬局です。

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 薬もたくさん持って行って、治療にあたりました。向こうの人たち、私たちが来るのを楽しみにしていて、年間一度だけ医者に診てもらえるというので、山を越え谷を越え、健康な人だけしかここにたどり着けない感もありますが、やって来ます。

 この方々が救われて、自分たちのアイデンティティーに気づいたら、山から切り出された小石として用いられると信じています。
 昨年の事でしたが、これは信じるも信じないも皆さん次第という話で、この山でチェパン族の方々が、山から切り出された一つの小石となって用いられますように!と祈ったほぼ同時刻に、新城教会で不思議なことが起こりました。空間が空いて、突然、小石が落ちました。信じられますか?
 それも、ヘブンズカフェのスパケッティ・ルーの中に落ちたのです。不思議なことでした。主が疑い深い我々に、この山の人たちは山から切り出された小石のような存在になるかもしれないから、本気で働け!ということを教えて下さったのではないかと思います。
 これを体験したのは、ヘブンズカフェのお姉さん方です。あの人たちが嘘を言うとは思えません。たいへん恐がりの人たちで、本当にびっくりして逃げ出したくらいでした。昨年、浄水器を山に作ったのですが、似たような石が多くありました。石なんか世界中どこでも同じかもしれませんが、ネパールから石が飛んで来たような気がして、もう一度、この方々が管理人となって働くようにと、祈りました。

 先ほども話したのですが、私のホームステイ先は、事前に決められていました。「順先生はあの家に行ってください。」と言われました。「私は教会で寝たいんだけどなぁ。」と思いましたが、「もう決まっていますから。」と言われました。それが、村の酋長の家でした。
 でも、その酋長は、ただものではありませんでした。

 実は毎年、夜中になるといつも太鼓の音が聞こえるのです。深夜になると強くなり、ドンドンドンドン、気味悪いです。こっちの山からドンドンドン、あっちの山からも、ドンドンドンという感じです。なんだろうなぁ・・・という感じです。私たちを呪っているような雰囲気で、いつもみんなで祈るのですが、今回、その太鼓の発生源と目的が分かりました。

 この村には病院がありません。病気になったら、どこに行くのかというと、ドクターと呼ばれる人たちがいるのです。そのドクターとは「ウィッチ・ドクター」と言って、魔術師なのです。魔術で病気を治す、ウィッチ・ドクターが山に結構いるのです。太鼓を叩き、悪霊を呼んで治療するわけです。山々から聞こえる太鼓の音は、治療中というサインでした。太鼓を強く叩くのは、お互いに、「うちのほうに強い霊よ来てくれ!」と、霊の取り合いで、戦いになるらしいのです。山の向こうで大きな音でドンドンドンと太鼓を叩くと、霊がそちらに行っちゃうから、逆に呼び返すためには、ドンドンドンドン!ともっと強く太鼓を叩く必要があるみたいです。お互いに霊の取り合いでヒートアップする事が判明したのです。
 そんな、ウィッチド・ドクターの長が酋長をやっているわけです。そのお宅に、私はホームステイだったのです。「え〜!そんな所行くの!?」という感じでした。

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 この煙っている男こそ、ウィッチ・ドクターであり、魔術師です。この壁に太鼓がありますが、病人治療用の太鼓です。クリスチャンの家庭に行かせていただけるのかと思いきや、なんと、ウィッチ・ドクターの親分の所に行かされてしまいました。そして、彼に伝道して来い!というミッションでした。
 この人がクリスチャンになったら、大きなことです。今回、こちらの方々とお交わりをということで、コーヒーを持って行きました。お湯だけ注げば出来るコーヒー、ミルクも砂糖も入っているのを持って行って、日本のクッキーや煎餅で、ホームステイのお宅の方々と交わりをするプログラムを計画しました。
 このおじさん、初めは、煙の中で何やら怪しげにしていましたが、「おじさん!コーヒーって飲んだことあるかい?」と聞いたら、「飲んだことはない。」と言っていました。それで、「コーヒーを飲ませてあげる!」と言ったら、興味を持って出てきました。それでお湯を沸かしているのです。おじさん、やはり鋭い目をしています。娘たちも一緒に行って、愛嬌を振りまいていましたが、この家に泊めてもらいました。

 私はどうやって伝道したらいいのかと、ちょっと祈りました。使徒の働き八章を見ると、サマリヤにリバイバルが起こった記事があります。リバイバルが起こったきっかけは、何かというと、使徒の働き八章四節〜八節、

『他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は直ったからである。それでその町に大きな喜びが起こった。』

 サマリヤ地方に起こったリバイバルの記録ですが、この後、八章九節〜十一節に、こんなふうに書かれています。

『ところが、この町にシモンという人がいた。彼は以前からこの町で魔術を行って、サマリヤの人々を驚かし、自分は偉大な者だと話していた。小さな者から大きな者に至るまで、あらゆる人々が彼に関心を抱き、「この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ」と言っていた。人々が彼に関心を抱いたのは、長い間、その魔術に驚かされていたからである。』

 サマリヤは、エルサレムの近くに位置する地域です。イエス様がユダヤ地方で奇蹟を行ったけれど、隣の地域に住んでいる人たちは関心を持たなかったのです。なぜならば、このシモンがイエス様と同じように、病気は治すは、問題は解決するはと、パワフルだったからです。
 しかし、弟子たちの宣教によって、このシモンという魔術師がクリスチャンになったのです。主を信じたわけです。その後、いろんなストーリーが展開しますが、サマリヤ地方全体の福音化にシモンの救いが大きく関連しました。

 まさにパレワコ村も同じです。このウィッチ・ドクターのおじさんが魔術をやっていて、村人は彼の霊能力で縛られて、彼のまねをして太鼓ばかり叩いているのです。その結果、福音が閉ざされているわけです。事もあろうに、私は、その家にホームステイというわけですから、「これは楽しそう!」と思って彼と話をしました。

 実はこのおじさんは、山の上にヒンズー寺院があるのですが、その寺院の祭司なのです。祭りとかも全て仕切っているのです。このヒンズー寺院の上に、彫刻があります。

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 パレワコというのは、「鳩」という意味ですが、鳩をコブラが狙っている彫刻です。それが寺院の四隅に付いているのです。
 私は、そのおじさんに話しました。「ここはパレワコ、鳩の村ですよね。でも、先ほどあの寺院に行ったら、鳩がコブラに狙われていました。この辺にはコブラはいるんですか?」と聞いたら、畑にいるとか言ってました。「コブラ、蛇とは、クリスチャンから言わせると、悪魔の象徴です。」と言ったら、そのおじさん、『それは知っている。』と言うのです。
 私は続けてこう話しました。「酋長さんはこの村全体を統括する責任があるでしょう。そして、村人たちが幸せになるために働いているんですよね?」と言ったら、『そうだ。』と言うのです。「鳩が蛇に狙われているとは、村が悪魔に狙われている証拠ですよ。おじさんの仕事は、蛇をやっつける仕事じゃないですか?」と言ったら、『そうだと思う!』と言うのです。
 それで、「蛇は悪魔だから、酋長さんが悪魔をやっつけたら、この村は全員幸せになりますよ!」と話しました。それで、「いつも太鼓を叩いて霊を呼んでいるけれど、霊の存在を感じますか?」と聞くと、『そりゃぁ当たり前だ。霊が下りて来たら分かる。』と言うのです。「でもその霊が味方なのか、敵なのか分からないでしょう?」と言ったら、『あまりよく分からん。』というのです。しかし、『俺は霊を見たことはないけれど感じる。』と言うのです。

 だから私はこう言いました。「世界で最も強い霊の呼び方を教えてほしいですか?」と聞いたら、『教えてほしい。』と言うわけです。
 彼はこう言っていました。『ある時は一晩中、太鼓を叩かないといけない夜がある。』と言うのです。「なぜ?」と聞くと、やはり霊との取り引きの中で、霊が「叩くのをやめるな!」と言うもんだから、叩き続けるらしいのです。

 私たちは夕方の六時半くらいに、その家に行きましたが、酋長さんはすでに寝ていました。なぜ、寝ていたのかと聞いたら、『早めに寝ておかないと、いつ何時、霊に起こされて、太鼓を叩けと命じられるかわからんから。』と言うのです。「歳取ったら、その仕事大変だね。一発太鼓を叩いただけで、強力な霊が下りて来たら、そんなすばらしいことはないでしょう?」と言うと、『そりゃいいねぇ。』と言うのです。だから、「その方法を教えてあげる!」と言いました。
 『どんな方法だい?』と聞くから、「いつもはどのように叩いているの?」と聞くと、『ヒンズーの神々の名前で叩いている。』と言うのです。それで、私は、「それはやめて下さい」と言いました。「強力な霊の呼び方、それは、天地宇宙を造られた方の霊、聖霊様ですよ。それはイエス様という名前で呼ぶことができる。これから、イエス様、ドン!イエス様、ドン!イエス様!イエス様!と太鼓を叩いてごらんよ!そうしたら、聖霊の力を感じると思うよ!イエス様という名前で、神の霊がどんなにすばらしいかを体験したら、おじさんは酋長だから、ヒンズー神の名前で太鼓叩くのやめよう!イエス様の名前で太鼓を叩こう!と村人全員に伝えてください。」と言いました。そうしたら、『一度それを試してみる。』と言うのです。是非、みなさん祈っていただきたいと思います。
 結構その魔術師のおじさん、私の話に食らいついてきて、今頃、イエス様!イエス様!ドンドンドン!とやっているのかも知れません。本当にイエス様の名前に力があると分かったら、目が開かれます。今まで呼んでいた霊は悪霊だということが分かったら、村全体がサマリヤのように変わるはずです。そして今度は、この人たちが管理人となり、一つの石として用いられるのではないかと思います。

 牧師たちのセミナーをさせていただいたのですが、チェパン族の牧師たちも一緒にセミナーに参加してくれました。私がチェパンの人たちは大事な人たちだ!そして、山から切り出された小石になる人たちだ!ということを話しました。
 そうしたら、チェパンの人たちの目が輝きました。彼らが後からこう言うのです。「チェパン」の「パン」とは、「小石」のことだというのです。彼らは、小石と関わりのある民族らしいのです。私たちがこの場所に導かれたのも、決して偶然じゃないと思いました。主が帰って来られる道を用意するために、ここに連れて来られたんだなぁと感動しました。セミナーは、すごく良かったです。今までは「ネパールという国は悲惨な国だ。ここは地獄よりも厳しい。」と思っていたのが、もしかしたら、ここは天国になるかもしれない!その鍵がネパールの教会にある!と気づいたのです。
 「みんなで祈りましょう!」と言った時、真剣に、激しく祈っていました。

 今回、みなさんのお祈りに支えられ、すべての働きを終えることができました。神の家族の中で、それぞれに役割があり、賜物が結集されて起こったことだと感じました。
 今日は午後から、前線に出て行ったメンバーたちが証しをしてくれます。
 日本に与えられた使命を果たし、お一人一人に高い山があって、みなさんしか見ることができない光景があります。そこに福音を宣言する働きを今週も担っていきたいと思います。
 全世界に出て行って、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。「all creation」すべての被造物に福音は宣言されるべきものです。
 ここにおられるすべての方々に、それぞれの役割があることを知って、福音を宣言していきたいと思います。
 では最後に聖餐式の時を持ちたいと思いますが、一言祈らせていただきます。

 ハレルヤ。天の父なる神様、御名をあがめて心から感謝をいたします。祈りに支えられ、今回もネパール宣教旅行を終えることができて心から感謝いたします。イエス様が十字架にかかって死んでくださっただけでなく、よみがえり、天に帰り、やがて帰って来られる方として聖餐式を行います。
 福音は、私たちだけではなく、主が造られた「all creation」に対しての福音であることを今日は学びました。主よ、私たちはあの山の中で今日も暮らしているチェパンの人たちの祝福を祈ります。彼らが山から切り出された一つの小石として機能しますように。私たち一人一人も山から切り出された一つの小石として、主が帰って来られる道を準備する者として用いられますように。
 私たちを聖めて、役割を果たす者として、用いてください。私たちは神の家族です。それぞれに役割があることを心から感謝します。イエス様の御名によって、今からの聖餐式を福音を宣言して行います。アーメン。