「最大の奇蹟・復活。 〜あの方はよみがえられました〜」

2017年4月16(日)
新城教会主日牧師 滝元順
マルコの福音書16章1節〜6節

『さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。彼女たちは、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか」とみなで話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。それで、墓の中に入ったところ、真っ白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた。青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。』

 ハレルヤ!今の演奏すごかったでしょう。激うまでしたね。みなさん、アンコールほしいですか?では、私のメッセージを聞いていただいたら、最後にお願いしたいと思います。彼らはプロですから、やってくれると思います。
 みなさんは、ディーン・フジオカという人を知っていますか?私はよく知りませんが、この人たちは、ディーン・フジオカのバンドメンバーです。この四人が先日、大阪城ホールで、一万人以上を集めてのコンサートで、演奏したのですが、五月にDVDが出るらしいです。その宣伝のYoutubeがあがっていましたので、よかったらチェックして見てください。彼らが演奏しています。新城教会のザワメキの働きから始まって、今や彼らは、日本の音楽シーン最前線で働いています。是非とも、祈ってあげていただきたいと思います。

 私にはこの頃の音楽、本当に分かりません。でも、息子が時々演奏するという事で、コンサートに呼ばれます。先々週、磐田のエコパアリーナで、EXILE THE SECONDのコンサートが二日間ありまして、息子が演奏するので一日は観に来いというものだから行きました。しかし大変でした。一万人近く集まっていて、雨の中でも、総立ちで盛り上がってすごかったです。私は座っておりましたが、三時間くらいのコンサートでした。あのような中で、音楽を主の元に勝ち取る勇士たちが必要だと思います。
 賛美は、よみがえりの主を賛美するのが原点です。何の希望もない存在を賛美するのではなく、生きて働いておられる主を賛美する、これが音楽の原点です。
 今日はイエス様のよみがえられた日を記念する、このような復活記念礼拝を持つことができ、本当に感謝です。

 毎年、復活祭と合わせて、過去に私たちと一緒に礼拝を守っておられ、今は主の元に召された方々の記念礼拝があります。今朝も朝の九時半から行われました。ちょっぴりもの悲しい集まりですが、今日はいつもと違うみ言葉を引用させていただきました。
 天に帰った人たちは、今、何をしているのでしょうか。聖書は、「眠った人々」という表現をしているのですが、別に寝ているわけではないのです。死んだ人は、眠ったように見えますから、「眠っている」と表現しているのですが、聖書は、主の元に召された人たちは、私たちの応援団だというのです。観客席に座って、声援を送っている、応援団のようなものだと告げています。

 ヘブル人への手紙十二章一節から、リビングバイブルで読んでみたいと思います。

『このように、数えきれないほどの信仰の勇者が、競技場の正面観覧席で、私たちの競技を見つめているのです。 だから、スピードを落とさせたり、うしろへ引き戻そうとする力に目を光らせなさい。特に、足にうるさくまつわりついて、つまずかせようとする罪をふり捨てなさい。 そして、神様の用意された特別のコースを、忍耐して走り抜こうではありませんか。』

 オリンピックなどで観客席から声援を送ることによって、選手たちは、自分の持てる力以上の力を出して競技するように、まさに先に主の元に帰った方々は、観客席の、正面に座って、私たちに声援を送っているというのです。
 先々週のEXILE THE SECONDのコンサート、私は一番いい席で正面でした。でもあまりにも正面過ぎて、声援を送るどころか萎縮してしまいました。皆のパワーに押されてですね。一般のコンサートでも、観客が盛り上がるので、演奏者たちもさらに真剣に演奏し、舞台も盛り上がるのです。
 これと同じです。主の元に帰った人たちは、決して眠っているわけではありません。観客席の正面から声援を送っているわけです。天と地はつながっています。大きな希望です。

 教会は、生ものと言いますか、日々刻々、いろいろな事が起きます。それに対応するのが仕事なのですが、三週間くらい前でしょうか。この教会に島田市から来られているTさんご夫妻が来られて、「先生、祈ってください。父が入院中です。まだ洗礼も受けてないし、イエス様をしっかりと信じているわけではないので、是非お祈りしてください。」と言われました。
 お父さんは、九十三歳ですが基本的には元気なのです。でも近頃、入退院をくり返しておられました。私はその時、なんだか知らないけれど、「このチャンスを生かして、バプテスマを受けるように勧められたらどうですか?」と言うと、「うーん、ちょっと難しいなぁ。」と言われました。しかしご夫妻は勇気を出して、その足で病院に行って、「お父さん。イエス様を信じて、バプテスマを受けて、永遠の準備をしましょうよ!」とお話されたそうです。時々、T家で家庭集会が開かれているので、福音は聞いておられました。でも、洗礼を受ける決断までは至っていなかったのですが、なんと、洗礼を受ける決断されたのです。
 それを聞いて、私は早めにお父さんに洗礼を授けようと思って、その週の木曜日に病院に行かせていただきました。そして、お父さんに、救いについて語らせていただき、洗礼を授けさせていただきました。

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 いつも家庭集会に集って下さっている方々も一緒に、お父さんを励ましました。

 しかし、その五日後の事でしたが、お父さんは主の元にやすらかに帰って行かれました。先週は召天式が行われました。家族葬のような召天式でした。「良かったなぁ」と思いました。滑り込みセーフ!というところもあったかもしれませんが、しっかりとイエス様を救い主として受け入れて、「信じてバプテスマを受ける者は救われる!」ですから、バプテスマを受けられたのです。

 この頃、よく語っているのですが、現代の教会で語られている福音が、初代教会と比べると矮小化してしまって、かつて語られていたような福音の全容が語られなくなってしまった、と指摘されています。
 本来、聖書の福音とは何かについて、近頃、話していますが、ただ人が救われるだけにとどまらず、「全宇宙、地球、すべての生物、社会制度、被造物全体の回復」です。そして全幅の福音の鍵を持っているのが、管理人として創造された人類であるというのです。

 そしてもう一つ、福音の中で本来、最も強調されなければならないことが、復活なのです。イエス様は死なれたけれど、復活された!やがて、私たちも復活する!ということが救いの中心です。また、被造物全体も、滅びの束縛から解放されて、新しいいのちに生きるのが福音です。
 普通、病床で伝道する場合、「イエス様を信じたら救われますよ!永遠のいのちがありますよ!」という話をするわけですが、私は福音について語っていますから、全容を語らなくてはいけない!ということで、勇気を出してお父さんに質問しました。
 まず、「お父さん、イエス様を信じますか?」と聞いたら、今までは少し頑ななお父さんも、聖霊様が働いてくださり、「信じます!」と力強く告白されました。
 そして、「死後のいのちがあることを信じますか?」と聞くと、お父さんは、「信じます!」と告白されました。
 そして、普通はここで止めるのですが、もう一つ、福音とは復活ですから、「お父さん、一度は死後の世界に行くかもしれないけど、再び、この地上によみがえってくる日があるんです。もう一度この地上に戻ってくる、よみがえりを信じますか?」と聞いてみました。はっきりした方なので、「それは信じられん!」と言われるかと思ったら、本当に力強く、「復活を信じます!」と告白して下さいました。嬉しかったです。
 バプテスマを授けたら、誰も何も言わないのに、お父さんは両手を挙げて、「ハレルヤ!」と言われました。それは死後の世界に入る、五日前の出来事でした。あのタイミングで奉仕させていただいて、本当によかったな!と感謝しました。

 聖書が語っている救いとは何か、それはイエス様が復活されたように、私たちも復活するということです。この地上から去って終わりではなくて、もう一度、この地上に復活することを聖書ははっきりと伝えています。第一コリント十五章十三節〜十五節に、

『もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。』

 教会が、事実に基づかず、ただの神話の世界ならば、教会は世界で一番嘘つきの場所です。牧師は嘘つきの大将みたいなものです。復活なんかないのに、「復活しますよ!」なんて言っていたら、大嘘つきです。そして、ネパールまで行って宣教とかも、何の意味もないわけです。
 でも、復活が事実だとしたら、すごいことです。聖書は、イエス様がよみがえったことが事実ならば、私たちだってよみがえる!と、力強く宣言しています。

 聖書はイエス様と共に生きた人たちが、目撃証言として書いた書物です。イエスさまが生まれて後、二千年経って考古学的な発掘調査をして書いたわけではないのです。
 弟子たちはイエスさまと一緒に行動したのです。パウロも同時代に生きた人です。その人たちの目撃証言として、記録されているのです。これすごいことでしょう。第一コリント十五章十六節〜十九節、

『もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。』

 イエス・キリストという人物に関して、いろいろな評価があります。世界の三大聖人の一人だとか、歴史上の人物だとか、いろんな評価があるのですが、私たちはどのように信じているのか、それは、イエス様は神であり、神の子であり、地上に人として来てくださり、死なれたけれども、よみがえられたお方だ!と堅く信じています。
 イエス様のことを単なる人物としているだけなら、何の意味もないのです。

 イエス様は今も生きておられ、よみがえられた方、また私たちも、やがてよみがえることを堅く信じなければならないのです。そして先に主の元に帰って行った人たちは、死後の世界で、よみがえりの日を待っているのです。

 召天者記念会、だいぶファイルが増えて来ました。天国の新城教会が地上に迫ってきた感じです。六十数年の歴史がありますから、だいぶ主の元にお帰りになった方々が多くなりました。しかし、死後の世界が天国ではないのです。そこは、よみがえりのための待合室みたいな場所です。主を信じた者たちは、その場所に取り置きされているのです。この地上が改まった時、もう一度、地上によみがえってくるのです。
 私たちは、「天国で会いましょう!」と言いますが、天国はどこかというと、死後の世界も天国といえば天国ですが、それ以上に、この地上が天国となり出会うことが、「天国で会いましょう!」の本当の意味です。

 でもどうでしょうか。この地上、「こんな場所に戻ってきて会いたくないわ!」という感じじゃないでしょうか。今の世に、死後の世界で生きている人たちがよみがえってきたら大混乱です。
 私が、先に死んでいたら、地上なんかに絶対、よみがえりたくないです。ひどい環境ですから。
 神様は人に地球を管理するように託したのですが、最初の人間、アダムとエバが神様から離れ罪を犯した為に、地球は大変なことになったわけです。

 『はじめに神が天と地を創造した。』という言葉がありますが、神様が天と地を創造したのです。

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 日本語って、単数と複数の区別がすぐには分からない言語です。しかし、英語で読むとよく分かります。「heavens」と複数形になっています。どうも、「天」は複数あるみたいです。いくつあるのかは分かりませんが、神は複数の天を造られたのです。
 この天の中の一つが、死後の世界で、死んだ人々はそこでよみがえりを待っているのだと思われます。
 一般に天というと、空を見上げて、この広い空が天だと思いますが、そうではないのです。天とは、異次元と呼んだ方がいいと思われます。

 現代の天文学は、異次元があることを証明しています。私たちは三次元的な空間の広がりの中、時間軸の中で生活する生物ですが、それ以上の高次元があるのです。宇宙は高次元の中に浮いているというのが、現代の天文学の理解です。見える天だけではなくて、さらなる高次元があるのです。
 最近の理論だと、十一次元くらいまで考えないと、今の宇宙論は成り立たないというのです。少なくとも、神様は天を十一くらいは造ったらしいです。
 私たちの地球は低次元かもしれません。この地球、本当に、環境が悪くなってしまいました。本来、人は天も地も管理する存在でした。神は人を、神に次ぐ存在として創造されたからです。諸天も、地も、全て管理する権限を人に与えたのにもかかわらず、罪を犯した為に、heavensもearthも、一緒に堕落したのです。それも、蛇の言うことを聞いてそうなってしまった為に、諸天の中に住んでいた悪魔が、人類と被造物の上に乗ってしまったわけです。

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 今、こういう状況で、諸天も、地球もすべて悪魔に支配されています。ですから、今の地球によみがえれと言われても、嫌ですよね。

 ちょっと話は変わりますが、今、私たちは、真剣に祈らなければならない時が来ていす。朝鮮半島情勢が大変緊張しているからです。国民が怖がるからあまり報道されていませんが、真剣に祈らないと、戦争に向かうかもしれません。
 一九五〇年頃、朝鮮半島で、朝鮮動乱があって多くの人たちが死にました。今度戦争が起こったら、日本も必ず巻き込まれて大変なことになります。日本でも、大勢の人たちが死ぬと思います。
 私たちは管理人として、お隣の国のために、世界の平和のために祈らなければなりません。

 いつも話していますが、マスコミは正確なことは伝えません。政府に都合の良いことしか報道しないのです。
 実は、何か月か前に、北朝鮮の指導者の息子、金正男が、マレーシアでVXガスによって殺害されたわけです。あの事件は、大きく取り上げられました。
 今回、アメリカがシリアにミサイルを撃ち込みました。その理由はシリアがVXガスとか、サリンを使って大勢の人たちを殺したという理由で、ミサイルをシリアに撃ち込んだわけです。シリアと北朝鮮は関係ないように思うかもしれませんが、大ありなのです。
 アメリカがシリアにミサイルを撃った時、「化学兵器を使う国々は罰を受けなければならない!」という国際世論が形成されたのです。続いてアメリカは何をしようと考えているのか、そのターゲットは北朝鮮です。
 先に、金正男が、VXガスで殺されましたから、アメリカは世界の世論を味方につけて、今度は北朝鮮で戦争をやろうとしているのです。
 今、アメリカの空母が、北朝鮮のほうに向かっています。いつ何時、戦争が始まるか分からないのです。東洋人の考え方と、アメリカやヨーロッパ系の人たちの考え方は全く違うのです。
 北の首領は、「戦争するぞ!するぞ!」と何度も挑発しています。それは、脅しをかけたら、引いていくだろうという考え方です。しかしこれはきわめて東洋的な考え方です。
 アメリカやヨーロッパ的な考え方は、「早めに悪の根は摘んだほうがいい。」という考えです。また、敵が自国から遠くにいる間に戦争して、やっつけたほうがいいという考えです。敵がだんだん近づいてから戦争するよりも、敵が遠くにいる時に戦ったほうが安全という考えです。
 太平洋戦争はどうでしたか。アメリカと日本が戦争した時に、戦場はこの付近でした。アメリカ本国は何も被害を受けませんでした。これがヨーロッパ系の人たちの考え方なのです。挑発行為が続けば、確実に、容赦なく、戦争は始まります。本当に祈らないと危険です。

 すべて物事には、裏があります。私たちは北の首領が悪いとか、アメリカが悪いとか、シリアが悪いとか言いますが、そのまた後ろがあるのです。その事をよく知って、クリスチャンはとりなし祈らなければなりません。

 一月にも話したのですが、世界は最も裕福な人たち六十二人によって、世界人口の半数三十六億人分の資産はすべて占有されているというのです。世界の半分の財産は、たった六十二人に所有されています。六十二人の中に入っている人は、ここにはおられないでしょう。しかし、今年になって、それが六十二人ではなくて、「八人」になったというのです。
 戦争は国々の戦いのように思いますが、その後ろで、戦争を仕掛けて儲けている人たちがいるのです。
 明治維新の時も、まさにそうでした。富裕層の人たちが持っている会社は、どういう会社かというと、彼らは武器商人です。武器商人は、敵にも味方にも武器を売るわけです。現在世界で最も武器が売れそうな地域が、朝鮮半島と日本近所です。この辺で戦争を始めて、最新兵器を売ろうとしている人たちがいます。物事には必ず、裏の裏があります。
 八人の人たちは、最終的には、世界を所有しようとしていると思います。それがすぐ側まで来ているのかもしれません。聖書の預言の成就が近づいている感じです。
 報道に出て来る悪者は、本当の悪者ではないのです。その裏で一番悪いのは潜んでいます。これらを祈って解放できるのは、クリスチャンしかありません。
 真剣に祈らなければならない時期がきています。いつ何時、戦争が始まるか分からない時代だからです。背後を操っている、霊的な暗闇に対抗できるのは、唯一、クリスチャンだけです。

 このような地球によみがえったら、大変なことになります。死後の世界のほうが、よっぽどいいかもしれません。
 でも、イエス様が帰って来られる時に何が起こるのか・・・。それは、新しい天と新しい地が創造されるのです。そこに死後の世界でよみがえりを待っている人たちは、よみがえり、その時に生き残っている私たちは、栄光のからだに変えられて、世界の王がイエス様になって、永遠に暮らすことができるのです。この地上が、天国に変えられるのです。

 家が古くなったらどうしますか。建て替えをするじゃないですか。もしくは、リフォームします。
 時々、リフォーム番組をやっています。私はあれを見るのが大好きです。ビフォー&アフターという番組です。私の友人の牧師が、あの番組に応募したら採用されて、安く、良くなったと言っていました。みなさんも頼んでみたらいいかもしれません。
 「こんな家、どうなるのかな?」と思うような家でも、優秀な匠が出て来て、あっと驚くような家になるわけです。リフォームというよりも造り直してるんじゃないか?という感じですが、全く違う家になります。始めは蟹歩きしなきゃいけないような家でも、ゆったりして、おばあちゃんが、「わー!すばらしい!」なんて感動します。あれもやらせっぽいですけれど、でも、すごいものになるでしょう。
 同じなのです。今の時代、地球は最悪です。地球の環境はどんどん悪くなるし、国々は戦争するし、この地球、どうなるんだろう?ってね。
 しかし、地球は元々、神様が造られたものですから、神様は地球をリフォームされるのです。壊しちゃったら何もならないです。やっぱり神様が造ったから、地球をリフォームされるはずです。新しい天と新しい地とは、諸天も、宇宙も、地上もリフォームして、死後の世界の人々も共に住むことができるような空間を、この地球に造って下さるのです。どんなリフォームになるのか楽しみです。世界で最高の匠であるイエス様が、やがてこの地球をリフォームして、私たちは共に住むことができるのです。

 私たちのゴールはどこなのか、それは新しい天と新しい地がゴールです。私たちの歴史の延長線上に、やがて主が帰って来られる日が来ます。地球がリフォームされ、世界の王がイエス様になって、共に住む、これが復活の意味です。
 それを証明するかのように、イエス様が十字架に架かられた時、すごい奇蹟が起こったのです。これをレポートしているのは、マタイですが、マタイの福音書二十七章五十節〜五十三節。
 これはイエス様の十字架で、ちょっと埋もれてしまっている感がありますが、この事は本当にすごいと思います。

『そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都に入って多くの人に現れた。』

 みなさん、信じられますか?イエス様の十字架という大事件の中に、ちょっと埋もれていますが、すごいレポートです。リビングバイブルで読みますと、こうなっています。

『その時、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られました。するとどうでしょう。 神殿の至聖所を仕切っていた幕が、上から下まで真っ二つに裂けたのです。 大地は揺れ動き、岩はくずれました。さらに墓が開いて、生前神を敬う生活を送った人たちが、大ぜい生き返りました。彼らはイエスが復活されたあと、墓を出てエルサレムに入り、多くの人の前に姿を現わしたのです。』

 幕が破れたとは、聖所と至聖所を区切っていた幕だったのです。至聖所とは、神の領域を表していました。人は聖所までは入っても、至聖所の領域には、やたらめったら入れませんでした。大祭司が年間一度しか入れなかったのです。
 それが、幕が破れて、死者がよみがえったのは、何を表しているのでしょうか。私たちは神を信じています。また、神が共におられることも信じています。しかし神さまを見ることはできません。なぜなら神様は諸天を造った方であり、すべての上におられるお方だから、見えるはずはないわけです。
 しかし、幕が破られたのは、神の世界が人間の世界に下りて来た瞬間でした。その時、死者がよみがえったのは、当然です。やがて主が帰られる時、私たちが過ごしている空間が、次元的にリフォームされて、神と共に住むことができる、肉眼で神を見る、イエス様が見える空間を創造されるのです。今は死者とは一緒には住むことができない空間ですが、共に住むことができる空間を造ってあげます。それが天国です、ということです。

 よみがえりの日、人は、おじいちゃんはおじいちゃんのままではありません。おばあちゃんはおばあちゃんのままじゃありません。私のようにハゲはハゲのままではありません。すべてが回復されます。女性のみなさん、心配しないでください。あなたが一番美しかった頃、さらにそれを上回る美貌で、永遠に過ごすわけです。どんな感じでしょう。
 家族で一番楽しかった頃が回復するのです。いや、それ以上が回復して、二度と死も苦しみも悲しみもない場所で、永遠に過ごすことができるのです。
 先週も話したでしょう。教会とは、友達の概念ではなくて、家族の概念だ!と。主を信じる者たちは、大きな家族になるのです。
 イエス・キリストを頂点とする家族に属して、一つとなって過ごすことができる。その日が間近に迫っているかもしれません。

 最後に、それを具現化しているのが何かというと、他でもない「バプテスマ」なのです。

 今日は復活祭礼拝ですので、是非、リラックスして過ごしていただきたいと思います。初めに言っておきますが、お昼ご飯は一時からです。一時間十分後です。今日は、いろんなプログラムがあります。長いなぁなんて思わないでくださいね。メッセージが終わった後、聖餐式があって、婚約式もあります。今日はK君とSさんが婚約されます。婚約式、いいですね。私、婚約式やったかなぁ、ちょっと忘れ気味ですが。何十年も前のことなので。今日は初々しい婚約式があります。
 K君も新城の住民ですし、Sさんも新城という、縄文時代から存在している地域の出身です。地元の二人がイエス様を信じて、結婚する。それを約束する婚約式です。

 そしてもう一つ、バプテスマ式があります。今日は、来ているかな?いつも授産所から来てくださっている、Nさんがバプテスマを受けます。
 普通は、バプテスマは水の中にざぶんっと浸かって、五分間我慢していただいて取り出すと、死んじゃうので、瞬間的ですが、Nさんはお体が少し不自由なので、象徴的に滴礼という洗礼式です。
 そして、スペシャルランチが用意されています。今日は午後からは楽しんでいただきたいと思います。

 バプテスマって、本当にすごいのです。私は小学校二年生の時にバプテスマを受けました。今でも忘れることができないのですが、桜淵公園の豊川で受けました。私は自分でバプテスマを受ける季節を決めました。八月でした。なぜならば、バプテスマを受けると濡れるから、そのまま泳げるという不純な動機でした。何も理解せずにバプテスマを受けましたが、後になってバプテスマってすごい!と感動したのです。
 コロサイ人への手紙二章十二節〜十五節、

『あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。』

 よみがえりを具体的に表しているのが、バプテスマです。水の中に入るとは、死ぬ意味です。水から出て来るのは、新しく生まれ変わる、新しいいのちです。その結果、何が起こるのかというと、一つは、罪が赦されるのです。次に、すべての支配と権威の武装が解除されます。悪魔・悪霊どもの勢力が打ち破られるのです。悪魔は訴えることができなくなって、すべての支配と権威は武装解除されて、奴隷として、凱旋の行列に引きずり出されるほどの、大勝利にしてくださるのです。すごい。これはやがてイエス様が帰って来られる、新しい天と新しい地の象徴です。その日を待たずして、イエス・キリストを信じてバプテスマを受ける者は、罪赦されて、悪魔・悪霊どもから解放されて、悪魔・悪霊どもにやられていたのが、今度は彼らをやっつけて、彼らを凱旋の行列に引き出すことができるのですから、すごいです。

 人間って、どんな罪を犯しても、死ぬと罪は赦されるのです。殺人犯でも、死ぬとそれ以上、追求されないのです。捜査本部は解散です。
 韓国リバイバルミッション、二〇〇七年でしたが、盧武鉉という元大統領が逮捕される寸前でした。捜査本部もできて、逮捕されるかなと思っていたら、彼が自殺したのです。そうしたら、捜査本部は、全て解散でした。死んだら罪は消えるのです。
 我々も、神の前で死ぬまでは罪人ですが、死んだら罪はなくなります。古い人は死ぬのです。そして、新しい人がよみがえるのです。古い人には罪があり、悪魔にアタックされますが、罪がなくなれば、新しい人だから、悪魔が関わりようがないわけです。
 新しい地が創造された時は、悪魔・悪霊どもがいない世界になるわけです。それをバプテスマを通して先に再現して下さるのです。いや〜、すごいことじゃないですか!今日Nさんは、どこまでの理解があって、バプテスマを受けられるかどうか知りません。いや、ちゃんと理解していますよね。だから、まだ洗礼を受けていない方々は、是非受けていただきたいと思います。

 彼女の出身は豊川です。家の近くに縄文人の遺跡があります。調べてみると、そこで長い間、子どもを生け贄としていたのです。悪魔と契約を結んでいたのです。彼女がバプテスマを受けるは、すごいことです。長い間、その地域は、暗闇の力に生け贄を捧げていた場所でしたが、被造物全体に対しての大きな福音です。遠い昔に生け贄として捧げられた人たちも、死後の世界で、Nさんがイエス様を信じてバプテスマを受けるのを喜んでいるはずです。「やっとあの地域が解放される!主を信じる者が生まれた!」と。

 みなさん、バプテスマとは、イエス様のよみがえりそのものを表しているのです。すでにバプテスマを受けられた方々は感謝してくださいね。
 そして、私たちは、地球の管理人として、宇宙の管理人として、主が帰られる道を用意していくのです。それが私たちクリスチャンに与えられた、使命です。石が取りのけられるのです。
 教会に来る時は、「目の前の石を取りのけてほしい」という気持ちで来るのです。
 でも、教会に来てみると、石は取りのけられるは、墓の中に入って死体はないは、よみがえりのイエス様に出会うはと、考えてもみないことが連続して起きるのです。
 女性たちは石が取りのけられることしか考えていませんでした。教会に来る時も、自分の問題が解決することしか考えないかもしれないけれど、そこで起こることはすごいです。今日みなさんにその事が起こっていると宣言します。

 最後に、みなさんとご一緒にお祈りしたいと思います。やがてよみがえることができる者であることを信じて、主の前に出たいと願っています。一言、祈らせていただきます。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝します。
 主よ、私たちの信仰を、よみがえりに照準を合わせてください。かつて私たちと一緒に主を礼拝していた兄弟姉妹も、やがて地上がリフォームされた時に、よみがえってくる事を、イエス様の御名で宣言します。その時が早められますように。今からの聖餐式のひとときを祝福してください。イエス様の御名によって、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。