「ひとりひとりは各器官

2017年5月21(日)
新城教会牧師 上條実
第一コリント12章27節

『あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。』

 ハレルヤ!主の聖なる名前を心から賛美いたします。今日皆さんと一緒に礼拝を主にささげる事ができます事を感謝します。いつも私と家族のためにお祈り下さり感謝します。
 一番下の子も高校受験のために祈って頂きましたが、感謝な事にT高校に合格する事ができ、朝七時くらいには学校へ出かけて行っています。

 滝元順牧師とフェルナンド牧師夫妻、また滝元開牧師夫妻が今スペインに出かけています。メールに登録されておられる方は随時祈りの課題や写真が送られてきておりますが、登録されておられない方のために送られてきた写真の中から三枚ほど、写真を用意させて頂きました。

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 これは先週滝元順牧師がメッセージでも語っておられましたが、テレビ出演された時の写真です。

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 また霊的戦いセミナーもされたそうですが、大変祝福されたとの事です。

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 今度の火曜日に滝元順牧師と滝元開牧師夫妻は帰国されます。またフェルナンド牧師ご夫妻は三十日まで奉仕してに帰国されますので全ての行程が祝福されますように、続けてお祈りしましょう。

 また日本縦断リバイバルミッションのためにもお祈りくださり感謝します。今回は第三弾、中国、四国地区を巡回しております。全ての集会が祝福されているとの報告を受けています。十日間の奉仕ですが、本日は高知県の須崎市において、そして午後は高知市において奉仕をします。
 講師は有賀喜一先生。そしてゲストとして中村匡さんが賛美してくださっています。

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 この数日大変熱くなっております。野外でお仕事をされている方々は大変だと思います。お年の方も部屋で過ごされていても熱中症になるそうですから充分水分を取って頂きたいと思います。皆さんに一人一人が健康で守られる様に、互いのために祈り会いましょう。

 私が今年、二〇一七年に与えられたみ言葉が、ローマ九章九節でした。

『約束のみことばはこうです。「私は来年の今ごろ来ます。そして、サラは男の子を産みます。」』

 これはアブラハムに息子イサクが産まれるとの約束の言葉でした。創世記十二章一節~四節、

『その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがカランを出たときは、七十五歳であった。』

とあります。アブラム後のアブラハムに、神から「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすればあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる」との約束を頂きました。その時七十五歳の時でした。その後百歳で約束の子、イサクが産まれ、確かに約束を頂きました。

アブラハムとサラには子どもがいませんでした。このローマ書九章九節「私は来年の今ごろ来ます。そして、サラは男の子を産みます。」とあります。アブラハムは既に九十九歳、妻のサラも、胎はすでに死んでいたとあります。人間的には不可能な状態でした。しかし時がたち、神はこの二人に奇蹟を起こしてくださいました。七十五歳の時約束して下さった通り男の子イサクが産まれました。

約束を頂いて、約束が成就するまでに二十五年間かかりました。新城教会に聖霊様が激しく臨んで下さり、教会に霊的戦いを初めて下さった一九九二年から今年で二十五年になります。アブラハムに起きた奇跡を私たち新城教会にも与えて下さる。二十五年目、新しいことを起こしてくださると教えられました。私はとても期待して今年を迎えました。神がどんなすばらしい祝福を、私たちの教会にくださるだろうかとワクワクしながらこの年を迎えました。そして五ヶ月も終わろうとしてきている今、私たち新城教会に大切なもの、祝福を与えて下さる。不可能を可能にする神の力を信じて、神の業を新城教会に下さると信じています。

 また滝元順牧師も新年礼拝で二〇一七年のみことばとして、「あなたは良いもので満たされる!」詩篇百三篇のみことばから「二〇一七年 あなたは良いもので満たされます!」と語って下さいました。そして毎聖日、「あなたは良いもので満たされます」というタイトルによってシリーズで語られています。私たちはこの地の管理人!また私たちは残りの者だ!と語られ、この年新城教会に豊かな祝福をくださると、ワクワクするみことばが毎週語られています。

 考えてみますと今まで新城教会を主が守ってくださり、多くの祝福を与えて下さいました。そして今年、更なる祝福。不可能を可能に変えて下さる事、大きな祝福を頂けると語られ、期待しています。先ほど読んで頂きました第一コリント十二章二十七節

『あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。』

とても有名なみことばです。教会は頭がキリストであり、私たちは各器官であると例えられています。教会というと、建物を想像しますが、キリストが頭で、一人一人は各器官であるとたとえています。今回私に、更に器官を愛しなさい。意識しなさい。愛し合いなさいと語られました。兄姉一人一人が愛しあい、仕え、支え合って行く。一つになっていく事を教えられています。今日は兄姉が互いに意識しあうこと。一致していくことを学んでいきたいと思います。

 この頃滝元順牧師が語られておられる大切なメッセージに「福音とは何か?」ということが語られています。福音は、今まで人類の救いだけを求めて、必死に祈り続けていました。日本のリバイバル、日本とこの地域の人々が救われるように、祈り、またとりなしてきました。そんな中、今年神様は私たちに扉を開いて下さいました。それは「福音」は、人類の救いだけではなく、それに加えて全宇宙、地球、自然、すべての生き物、社会制度、被造物全体の回復、これが聖書のテーマで福音だと語られました。私たちはこの被造物の管理人であると語って下さいました。今まで被造物に対して目を留めることなど理解していませんでした。しかし今回真理を示して下さいました。神が目を開かせてくださったのです。ある面、今までは片目だけ開けられていたようでした。しかし、今回、人類の救いとともに全宇宙、地球、自然、すべての生き物、社会制度、被造物全体の回復が福音であると教えて頂き、両方の目が開かれた気がしました。片目で運転すると距離感も視界も狭くなり、大変困難を覚えます。しかし両目が開くとハッキリ見え安全です。片目の状態ではゆっくりしか進めません。しかし両目が開いていたら、今まで見えなかったところまでしっかり見え、しっかりした足取りで、スピードも早く前進していく事ができます。今回被造物の管理を教えて頂き、なにか新しいことが始まった気がします。良いものを教会に満たして下さり始めたと思います。まさに今年新城教会に下さったみことばが、動き始めた気がします。

 しかし悪魔、悪霊はいつも私たちに攻撃をして来ます。片目が開かれているときよりも、両目で見えるようになった分、必死になって私たちに攻撃してくると思います。そんな中で、私たちは、新しいこと、良いもので満たしてくださるというみ言葉を奪い取られないように、また一部の人だけが祝福を受け、祝福を受けない人がいると言うのではなく、教会が健康で、前進していけるようにして行かなくてはなりません。その為にも更に聖さを頂き、主を愛し、各器官が一致して行く事が大切だと教えられます。

 昨日は被造物管理のとりなしというプログラムが、教会のプログラムとして初めて行われました。昨日撮られた写真がありますが、一つは中央構造線の所に行って、みなさんで祈りました。災害がないように、起きないように祈りました。

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 この中央構造線が目で見える場所に行って、みんなで宣言しました。また豊川をカヌーで下る人、またウォーキングする人に分かれて被造物管理のとりなしを行いました。

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 そして最後の写真は、

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参加してくださった方の集合写真です。とても暑い日でしたが、とても良い被造物管理のとりなしができました。孫も「カヌーを一人で乗った!」と大喜びしていました。昨日はこの新城の一部ですが、豊川沿いを祈ることができました。これは本当にすばらしい祝福です。今までこのようなとりなしをしたことがない、新しいとりなしが始まった。被造物のとりなしに対しての第一歩。新しい一ページが開いたと感じます。

 アブラムとサラが、祝福を頂けると言われながら、二人の間に世継ぎが産まれると言われていながら、既に人間的には絶望的、不可能でした。しかし「私は来年の今ごろ来ます。そして、サラは男の子を産みます」と語られ、確かに翌年イサクが産まれました。私たちも福音を信じて、リバイバルを求めて祈り続けていましたが、現実に不可能のような状況。この日本が更に悪い方向に向き、世界情勢も緊迫している状況です。しかし神は「私は来年の今ごろ来ます。そして、サラは男の子を産みます」と語って下さいました。「良いもので満たす」と語って下さいました。私たちは、人類の救いだけを求めていましたが、両方の目を開いて下さり、人類の救いとともに、それに加えて全宇宙、地球、自然、すべての生き物、社会制度、被造物全体の回復、これが福音だと知る事ができました。このことが良い事であり、霊的に大きな出来事が開かれました。

 私は更に、みことばの剣を手に持って、両目をしっかりあけて、とりなし祈り続けていきたいと願わされました。そんな中、もう一つ神が私に教えて下さったことは各器官を意識しなさいと言うことでした。兄姉である器官一つ一つがこの時更に一致しなくてはいけないと思いました。教会は頭がキリストであり、私たちは各器官です。しかし悪魔悪霊は、一致を妨げてきます。今互いの器官を愛し、祈る時だと思います。

『悪魔に機会を与えないようにしなさい。』

悪魔に機会を与えないように、更に愛しあい、聖さを持ちましょう。そして

 第一ペテロ五章八節、

『身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。』

敵がどこにいるかをハッキリ知るために目を覚ましなさい。いつもイエスさまを見ていくことが大切です。悪魔は腹をすかせて、食べるものはないかと探し回っています。聖さを持ち、みことばの剣を持って備えなくてはいけません。

 また、エペソ六章十節~十三節から、

『終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。』

策略に立ち向かうために、各器官が神の全ての武具を着け、いつでも対抗できるように、準備しなくてはいけない。祈ることを止めずに、いつもファイティングポーズを取る必要がある事を教えられます。器官はその器官だけでは絶対に生きられません。器官は機能に応じて正常に動き、他の器官としっかりつながり、体とならなくてはいけません。

悪魔は各器官が一致しない様に、今あげたみとこばのように働いてきます。使徒の働き二十章三十五節に、有名なみ言葉があります。

『このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」』

 受けるよりも与えるほうが幸いである。愛も受けるのではなく与えるものです。この間の礼拝でも、マルコの十章から、良きサマリヤ人のことが語られていました。詳しくは滝元順牧師が語った五月七日のメッセージをお読み下されば良く理解できると思いますが、ユダヤ人とサマリヤ人の生々しい民族紛争の中で、ユダヤ人のイエス様が、ユダヤ教の教師たちに、あたかもサマリヤ人側に立つかのような発言をされました。そしてユダヤ人たちに対して、「サマリヤ人のように振るまえ!」と告げ、ルカ十章三十七節、

『彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」』

 「同じようにしなさい。」これがイエス様の教えです。私たちは「隣人を自分自身のように愛しなさい。」と言うことが簡単にできるのですが、歴史問題などを除外しても、サマリヤ人の様にはできないなぁと思います。すぐ家族に連絡して、あとは家族が対応して下さいと依頼して終わってしまうものです。やはり自分が一番に考えてしまいます。自分の家族、親族、関係者、やはり利益的な愛のほうを優先してしまいます。隣人を愛するということはとても難しいと思います。いつも家内のためにお祈り下さり心から感謝します。多くの方が、「奧さんどうですか?」と聞いてくださいます。まだ相変わらずの状態ですので続けてお祈り下さい。受けることはうれしいことです。しかし実際自分に、家族に問題があると、自分しか見えなくなってしまいます。私は祈るとき、皆さんのために祈っていますが、知らず知らずに家内の病がいやされるようにという事が祈りの中心になっています。他の人に対して自分自身のように愛しなさいとありますが、他の人に思いがなかなか回らない。自己愛の固まりになってしまっています。自分の事や家族の事を思ったり祈ってはいけないと言っているわけではありませんが、自分の事しか見えなくなってしまいます。しかし聖書は

『彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」』

同じようにしなさいとあります。互いに各器官が労り合うこと、そして受けるよりも与えるほうが幸いであると聖書は教えています。しかし自分しか見えず、他の器官が優っていて、自分は弱い器官と嘆く事があります。第一コリント十二章二十二節、

『それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。』

 神は弱さを感じている方をなくてはならないものと語っています。また詩篇四篇三節

『知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる』

あなたは人類の中で最も特別に扱って下さる。あなたが祈れば聞いて下さるとあります。またイザヤ書四十三章四節、これは有名なみ言葉です。

『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。』

 そして詩篇百三十五篇四節、

『まことに、主はヤコブを選び、ご自分のものとされ、イスラエルを選んで、 ご自分の宝とされた。』

 神から見てあなたは宝物だと語って下さいます。またイザヤ書四十五章三節~五節(リビングバイブル)、

『こうして、暗やみに隠された財宝や、だれも知らない富を与える。その時おまえは、おまえを名ざしで呼ぶ、わたし、イスラエルの神が、このことをしていると気づく。ところで、この仕事のためにおまえを名ざしで呼んだのはなぜか。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだイスラエルのためだ。おまえがまだわたしを知らない時に、わたしはおまえを名前で呼んだ。わたしは主だ。 わたしのほかに神はいない。たといおまえがわたしを知らなくても、わたしはおまえを強くし、どの戦いにも勝利を得させる。』

 あなたを神ご自身が、名前を呼び、わたしは主だ。 わたしのほかに神はいないと語って下さり、たといおまえがわたしを知らなくても、わたしはおまえを強くし、どの戦いにも勝利を得させる神です。どんな戦いでも勝利とあります。弱いときこそ強いと、神は語ってくださっています。今は現実がどうであろうと、神はあなたに常に関心を持ち、助けて下さる。誰から見ても幸せ者だと呼ばれる者、器官です。強い方もいれば、弱い方もおられるかも知れません。しかし主はそんなとき互いに愛しあい、助け合い、いたわり合う教会、各器官であることを望んでいます。

神が「この人のために祈れ」と語って下さっていると信じます。その方のために祈りましょう。愛しましょう。支え合いましょう。いたわりましょう。また、私たちは自然界など、被造物の管理人ですので、この地域のために祈れと語られているなら、祈りましょう。

特にここは暗いなぁと感じる所、是非今週は祈って下さい。その暗い地が回復して明るい地となる様に祈りましょう。そして教会が愛し合い、一つとなり、聖さを持ち、祈りはじめましょう。霊的に両目が開かれて、福音をしっかり知った今、今年は良いもので満たして下さると信じましょう。

 「福音」は、人類の救いだけではなく、それに加えて全宇宙、地球、自然、すべての生き物、社会制度、被造物全体の回復、これが聖書のテーマで福音だと語られました。私たちはこの被造物の管理人です。今まで被造物に対して目を留めることなど理解していませんでしたが今回真理を示して下さいました。神が目を開かせてくださいました。今までは片目だけ開けられていたようでしたが、人類の救いとともに全宇宙、地球、自然、すべての生き物、社会制度、被造物全体の回復が福音であると教えて頂き、両方の目が開かたのです。二十五年間、片目の状態で戦ってきました。

しかし今度は両目を開いて、見えなかったところがハッキリ見えて、まだ戦っていない所を知り、戦い、大きく勝利を持って前進することができます。今まで見えなかった敵が分かります。

今年は、兄姉が愛し合い、各器官が一致し、人類の救いだけではなく、それに加えて全宇宙、地球、自然、すべての生き物、社会制度、被造物全体の回復のために祈り続けましょう。主が祈れと言われた兄姉のために、被造物の管理人として祈りましょう。

 今日帰る時にでも、風景を見ながら「ここを主にあって解放してください。」と祈って帰宅しましょう。あなたが主の管理人として、支配権を行使して、祈って行きましょう。

 悪魔悪霊どもに、「おまえたちはここにとどまることができない!」と、そして、「出て行け!」と、「手を離せ!」と、権威を持って宣言しましょう。最後にお祈りして、その後聖餐式を持ちたいと思います。聖餐式というのは、「私たちは神様の子どもです。」と、そして、「圧倒的な勝利者です!」と確認する時だと思います。勝利を宣言し、そしてキリストが頭であり、私たちは各器官だと宣言して聖餐を頂きましょう。お祈りします。

 ハレルヤ。天のお父さま。御名をあがめて、心から感謝します。今日も主の前に出ることができて、心から感謝します。主よ、私たちが救われたのは、被造物全体の救いであることを感謝します。今日、ここにおられるすべての兄姉が、今週その権威を持って、主が教えて下さるところに祈り置く事ができますように。かしらはキリストであり、私たちは各器官であることを宣言します。愛し合い、一致していく、そのような愛を私たちが持っていくことができますように。被造物のうめきにも、人のうめきにも心をとめて、聖霊によってとりなしていくことができますように、そして圧倒的な勝利者として働くことができますように導いてください。今から備えられた聖餐式を受け取ります。主よ、神のみ言葉と聖霊によってパンとぶどうのジュースは、あなたのからだと血であることを宣言します。それによって私たちはよみがえりのイエス様と一つになり、そして本当にすばらしい管理人として、今週強い一人一人となっていくことができますように。感謝をもって、主イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。