「風に助けられて

2017年6月11(日)
新城教会牧師 滝元開
イザヤ書30章21節

『あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め。」と言うことばを聞く。』

 ハレルヤ!この度、「風に助けられて」という新しいCDが与えられて、本当に心から感謝しています。神様ご自身がここまで一歩一歩の歩みを助けてくださって、導かれてきたことを心から感謝しております。
 この新城教会の歩みも、またリバイバルの歩みも、神様が一歩一歩導いてくださって、風に助けられるように、ここまで導かれていること、そして導かれているだけでなくて、大きな祝福と勝利が前進して拡大していることを覚えて心から感謝していきたいと思います。
 「風」とは、聖書を見ると、聖霊様を意味しています。聖霊様のことは、炎であったり、火であったり、油であったり、息であったりと、いろんな表現のされ方がしていますが、風に助けられる、ということは聖霊様ご自身に助けられて、私たちが歩んでいくということです。その時に、神様の祝福と恵みと神様の御心が現されていくと信じています。

 ヨハネの福音書三章八節のみ言葉をお読みしたいと思います。

『風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くのかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。』
 風、聖霊様は思いのままに吹き、その音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くのかを知らない。私たちもリバイバルの働きを求め、そして、この新城教会の歩みも進められて来ましたが、私たちには、どこから来てどこへ行くのか分からないですが、でも確実に一歩一歩、主がお与えくださるリバイバルに近づいている、そしてイエス様が帰られる道を備える働きをしていることを、皆さんも強く感じておられると思います。本当に心から感謝します。

 このヨハネの福音書三章八節のみ言葉を文語体で読むと、こんなふうになっています。

『風は己が好むところに吹く』

ということで、風はその好むところに吹かれるわけですから、聖霊様が好まれる私たち一人一人でなかったらいけないと思います。この新城教会も、リバイバルの働きも、聖霊様が好まれて、「ここにわたしは吹く!」という、主に好まれる、そんな者であり続けていきたいと、心から願っています。

 この「風に助けられて」という歌は、今回のHiraku & Norikoのニューアルバの中の一曲なのですが、その曲が与えられたのはもうすでに二十年くらい前です。二十年くらい前から賛美させていただいているのですが、その歌はどこで与えられたかというと、実は刑務所の中で与えられました。といっても刑務所に収監されてそこで与えられたわけではなくて、刑務所に奉仕に行った時に与えられた賛美です。
 監守の方がこんな事を言っていました。「受刑者たちが最も不安定になる時期がある。」と言うのです。それはどういった時ですか?と聞いたら、「いよいよ釈放されて世の中に出て行く、その前になると、すべての受刑者が不安定になって動揺するんだ。」と言うのです。その事を聞いた時に主が与えてくださった歌が、「風に助けられて」でした。主は、受刑者に向けても、一歩一歩歩めばいい、風に助けられてと語っておられるのです。神様はすべての人を愛しておられて、すべての人に対する導きを与えてくださっていると思うと、本当に感謝なことです。
 私たちは本当に罪人ですけれども、イエス様の血潮によって聖めていただいて、聖霊様に好まれる、そんな歩みをしていく時に、神様の御心の道を進み続けることができるので、そんな歩みをしていきたいと、心から願っています。

 五月十日に、この風に助けられての新しいCDがリリースされたのですが、そこにいたるまでは、いろんな戦いと、いろんな導きがあったのですが、本当に聖霊様に助けられて一歩一歩導かれたなということをすごく思いました。
 素晴らしいミュージシャンたち、以前お証しさせていただきましたが、信じられないような、この時代の、この世界の中で、最高の方々の助けを得てレコーディングをすることができました。まさしく、今まで世界の音楽を牽引してきた第一人者と呼ばれる、いわゆる今世紀最強と言われるような人たちだけが集まってくださって、主への賛美のために、彼らが心からその働きをサポートしてくださったのです。
 その五月十日のリリースの二日、三日前に、一つの映像を見ました。それは、今回のCDの中で、ドラムを演奏してくださったジョン・ロビンソンさんのインタビューでした。彼がその中で何を言っていたかというと、「自分は今まで世界で最も多くのミュージシャンを助けたドラマーだと言われていて、本当に多くのビックアーティストをサポートしてきた。でも元々は教会でドラムを叩くところから始まったんだ。」ということを、彼が語っていました。「昔はこのミュージシャン、また、あんなミュージシャン、」と名前を挙げていました。みなさんも必ず、どこかで彼の演奏を耳にされているはずです。ドラマー、ジョン・ロビンソンのホームページを見ると、彼が今まで演奏してきたものを聴くことができるのですが、本当にびっくりすると思います。これもこの人!これもこの人!そのような世界の最先端を歩んで来た人が、今、この終わりの時代にリバイバルのために賛美を通して神様の業が成される、その研ぎ澄まされた剣の先端のような方々が今回助けてくださいました。
 彼がインタビューの中でこう言っていました。そのインタビューは私たちのレコーディングの一ヶ月後くらいだったのですが、「最近では彼らの言葉の発音もできないような人たちも助けるようになった。」と言っていたのです。さらに「しかも、すごくスモールバジェットだ。」と言うのです。予算も少なかったと、でも、そんなことも言いながら、「でも、これは本当に大きな祝福だ。」と言っているのです。その中で彼が、「本当にこの働きができて、私にとって誇りだ。」と、彼が言ってくださっていたのです。神様によって選ばれて、神様の働きをした彼らが、この小さな働きの小さな予算の中で、しかも言葉を発音もできないような、さらにミュージシャンでもない私たちを相手に一緒に働く中で、神様を感じられて、この働きは神様が与えてくださった働きだ!と受け止めてくださっているその姿を見て、もう一度、神様に心から感謝しました。改めて神様が備えてくださったCDだったなぁと感謝しつつ、五月十日に無事リリースされたことを本当に感謝しています。

 ザワメキの働き、特にこの半年の中もすごく忙しく、私たちが思っていない歩みの中で、想像してなかったことがあまりにも多かったので、とても忙しく感じました。
 そもそもそのレコーディングも私たちはしようという思いはなかったのですが、後ろから聖霊様に押し出されるように、やりなさい!と言われて、突然決まりました。昨年の暮れには全くそのようなプランはなかったのですが、神様がロサンジェルスでレコーディングするようにと導いてくださいました。それが二月で、三月はネパールに行かせていただいて、四月はハワイに行きました。ハワイ宣教、今回私たち二年ぶりに行ったのですが、本当にすごく祝福されました。少しだけ写真があるので、ご覧いただきたいと思います。

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 冬木先生はネパール宣教にも二度一緒に行ってくださった私の親友の牧師先生ですが、その先生の教会の働きで、これはマジックアイランドでの伝道会なのです。ここに見える方々、親子教室という所に来ておられる方々で、九十パーセント以上ノンクリスチャンです。彼らが福音を聞いてくださって、本当に祝福でした。
 親子教室という働きを冬木先生の教会でずっとなさっておられて、その働きを通して、ハワイ在住の子どもたちとお母さんに福音を伝える!という働きなのですが、二年前にはまだクリスチャンでなかった方々が、今回はクリスチャンになられて、スタッフとして勇ましく働いているのです。そんな素晴らしい光景を目の当たりにして、本当に大きな祝福の集会でした。

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 そして、その次。これはファーマーズマーケット。ハワイでは有名なマーケットが幾つかあるのですが、ハワイで最大級のKFCのファーマーズマーケット、ここで歌いました。ご覧いただけるようにテントが立ち並んでおり、あの青いテントのほうが入口で、向こう側からテント越しに、何を売っているかなぁ?と見ながら来るのです。そして、何を売っているかなぁ?と見てくると、私たちが歌っている。通行人のみなさんと目が合うという、そういったシチュエーションでしたが、多くの観光客や地元の方々が来られて、すごく恵みの時でした。たくさんの方が賛美を聴いてくださって、中には地元ハワイのすごく有名なドラマに出演している女優さんもずっと立ち止まって聴いてくださっていました。このように神様が豊かに働いてくださるのを見ました。

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 これはハワイの冬木先生の教会です。IJCCという教会です。この教会は、私たちと一緒にリバイバルを求めて叫んでくださっています。二〇〇七年のリバイバルミッションの時も一生懸命戦ってくださいましたが、それ以来、冬木先生が二度にわたって、二〇一五年、二〇一六年と、一緒にネパールに行ってくださって、世界のリバイバルのために、悪しき根源が打ち砕かれて、その勝利がこのハワイにも現されるように!と、そういうビジョンで戦ってくださっています。ですからここの若者たち、中学生、高校生たちも、是非僕たちも一緒にネパールに行きたい!と、熱く語っておりましたが、本当に祝福の礼拝でした。一つになって戦い、一緒に礼拝をして、すばらしい恵みで、また私たちが信じられないほどのいろんな方が救われて来ています。その救いの実が結ばれていることを見ることができて感謝でした。
 ハワイで最大級の広告代理店の社長がクリスチャンになっておられ、その方、本当にすごい方なのです。その方が、ハワイのいろんな教会を見たらしいのですが、IJCCに来て、「ここだ!」と決めたらしいのです。「間違いない!ここなら間違いない!一緒にこれからリバイバルのために私は戦って行きます!」まだ救われて一年くらいの方なのですが、本当にリバイバルのために熱く燃えておられました。

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 もう一つの教会が、これはホノルルキリスト教会です。夜の集会だったので人数こそ少ないのですが、でもとても素晴らしい時で、この教会にも神様が新しいことを始めてくださっていました。
 ある一つの宗教団体のナンバーツーの祈祷師のような方がイエス様を信じて変えられて、イエス様すばらしい!と、またこの賛美の中で感動してくださっていました。また某新興宗教のハワイの中のナンバーツーの方も救われて、イエス様を信じたと言っておられ、神様は本当にハワイにある意味で、先駆け的な福音宣教、リバイバルと共に福音が魂の中に広がるという働きを見させていただいて、すごく大きな恵みでした。
 ハワイの写真はここまでですが、本当に神様の大きな恵みの中で一歩一歩の歩みが進んできたことを本当に感謝しています。

 ハワイから帰って、次の日はこの教会で水曜礼拝があって、奉仕をさせていただきました。そして午後、ちょっと教会の中でなくしものがあったので、私はちょっと教会内のいろんな所を探しに回りました。それで牧師館の後ろ側を見て、探しに行き、探し物はなかったのです。父も母もいなくなった牧師館を眺めながら、そうしたら父が植えたアケビがあり、私はそのアケビを去年の夏、剪定しました。ぼさぼさだったので、思いっきり切ったのですが、そうしたら、この四月には花がいっぱい咲いていて、いや〜、こんなに花が咲いて良かったな〜!と嬉しくなりました。そして、ちょっと嬉しくなって、あのフェンスをひょいっと飛び越しました。飛び越し着地したところに、何と五センチほどの段があって、転んでしまいました。足がぐにゃっとし、その瞬間、パキッと乾いた音がしました。わぁー、これはめんどくさいことになっちゃったかなと思いました。そうしたらなんと、ここ、これはジョンズ骨折だというのです。この辺の骨がポキッと折れる骨折だそうですが、実はそれをやってしまったのです。もう歩くどころではない。一歩一歩歩けばいいとか言ってますが、一歩一歩歩くのも必死で、本当に大変な状況になってしまいました。
 これは大変なことになってしまったと思って、でも最初は捻挫かなと思っていたので、捻挫だ〜とか言っていたのですが、どうもそうではなさそうで、これまずいことになった。その週のうちに栃木県での奉仕があったので、そうしたら家内が、「私がずっと運転する!」と言ってくれたのですが、六百キロ走ってそしてまた二百キロ走るという、そういう奉仕だったので、それ無理だなっということになり、結局鈴木陽介さんが一緒に行ってくださったので助けられたのですが、そんな痛い目に遭いました。
 どういう訳か、こういう話をすると、みなさんすごく喜んでくださるんですね。この話を東京でも話をしたのですが、みなさんなんだか嬉しそうに聞いてくださるのです。嬉しいんですかね。でも本当にみなさん祈ってくださって感謝していますが。そんな中で、私は家ではひたすらじっと動かずゆっくりしていました。そうしたら娘が私の事を何と言ったかと言ったら、「ロウソク」と言うのです。「風前の灯火」とか言って、「何もしないからロウソクだ。」とか言っていました。ロウソクで結構、もうなんでもいいからと思って、ひたすらじっとして治るのを待っていました。
 そして私、痛いとかなんとかあまり言わないので、家で、「どうしてお父さん痛いとか言わないのかね?」とか言ったら、娘がまたこう言うのです。「男っていうのはだいたいプライドの動物だから、プライドの塊なのよね。だから痛いとか言わないのよ。」と言うのです。プライドの塊かどうか知らないですけど、ただ痛いのでじっとしたロウソクであったわけですけど、でもその話を東京でしたら、本当にみなさん喜んでくださって、アンケートの中にこう書かれていました。「プライドが砕かれて良かったですね。」と書かれていましたが、これで砕いていただいて、主のために、もうひと度、一歩一歩歩けるようになればいいなと思ったのですが、そんなこんなの中での足を引きずった中の、続く奉仕がスペイン宣教旅行でした。

 本来、順先生のカバン持ちで行かなければいけないのにも関わらず、カバンを持つどころではなくて、私、必死ですよ。みなさん本当にお祈りくださって、毎日、日ごとに良くなっているのです。昨日より今日、今日より明日。癒やしっていうか、主の癒やしと、みなさんの祈り、こんなにきかれるもんだって、本当に感謝な毎日でした。自分にとって今までなかったような、すごく大きな試練というか、あまり試練とは感じなかったのですが、この出来事の中にも神様の導きがあって、一歩一歩、歩くんだぞ!と、主が語ってくださったなと本当に思っています。風に助けられて、本当に聖霊様に助けられて歩まないと何もできない。自分で歩いて、自分で走っているようなつもりになっちゃうと、ぽきっと折るようなことになってしまうのかもしれない、と思いつつのスペイン宣教でした。ただ奉仕の他はずっとホテルでひたすらじっとしていました。
 順先生が出発時に、「向こうに行ったら、そこのホテルの生ハムがすごく美味しい。」という話をしていました。「でも、生ハム、美味しいけど、二日食べると、もうその後は食べたくなくなる。」と言ってました。そうかな?そう言っても食べられるだろうなと思って行ったのですが、行って一日目の朝、めちゃくちゃ美味しかったんです。生ハムの種類も豊富で、こんな豊かな生ハムと感激しながら、朝からいっぱいご馳走になりました。そして、その一日目の午前、ホルヘ先生が私たちを迎えに来てくださいました。「それではちょっとお茶でも飲みましょうか。」と言って、どこに連れて行ってくれたかというと、マドリードで一番美味しいと言われている生ハムのお店に連れて行ってくださいました。そうしたら、そこのお店中、生ハムだらけで、天井にもあり、生ハムの種類もすごく豊富でした。でも、そのお店、床がすごく汚いのです。ナプキンやティッシュとか使ったものを下に落とすのです。「床が汚いお店ほど美味しいんだ。」とか言って、嘘か本当か知らないけど、汚い所に入って、でも美味しかったですね。その二回目まではすごく美味しかったのですが、私たち、実を言うと、その感動、二日間持ちませんでした。一日目で生ハムを食べ過ぎて、二日目から体が生ハムを受けつけないというか、「ありがとう!」というか、次の日からコーンフレーク食べていました。そんな中だったのですが、ただそのように出かけない時には、ひたすらホテルでじっとしているというのが、今回のスペインの旅でした。
 そうしたら、今回、順先生が気を遣ってくださって、カバン持ちで行ったはずの私たちに、まずは水を持って来てくれて、「ここのホテルの水はお金がかかるからこれを飲め。」と言って、わざわざ買って持って来てくれて、水をくれました。そして次の日も私が再び部屋でじっとしていたら、コンコンと誰かな?と思って開けたら順先生なのです。そうしたら今度は、オレンジジュースと、ハムと、チーズと、いろんな物を持って、「おまえたちこれ食べろ!」と言って、ちゃんと餌付けしていただきました。本当になんか、お兄ちゃん?という感じで、ちょっと愛を感じましたが、そんな本当に大きな愛の中で、スペイン宣教の働きが始まってまいりました。みなさん、どうして笑うのか分からないですが、本当にいいお兄さんですね。

 そしていよいよこれから始まるという最初の働きが、順先生もお話しされていましたが、テレビ局での働きでした。ホルヘ先生という先生、本当に不思議な先生で、元々新城の奥地、東栄町の東栄チキンで働いておられたという先生。その上、その後、強制送還になって、本国に帰って、気づいたらスペインで牧師になっていて、しかもテレビ伝道者になっていたと。スペインには順先生も今回四回目だったんですが、今回ザワメキも連れて行く!なんか神様がそう語られたような気がしたから連れて行った!と、そういうふうに言ってくださいましたが、はじめての働き。
 それまでずっと部屋の中でじっとしていて、最初の働きが、スペインでの生放送二時間。CMなしの二時間。しかも、ホルヘ先生、しっかり打ち合わせしてくださったらいいのですが、何も言わないのです。「それで、どのくらい歌うの?」と言ったら、「うーん。どうかな?」とか言っていて、ホテル出るまで、「せいぜい一曲、二曲かな?一曲歌えたらいいね。」って、ホテルの中で少し練習するくらいだったのです。だから人前で歌っていなくて、だからせいぜい一曲かな?と思って、いよいよテレビ局に到着して、何分歌うんですか?と聞いたら、二十分歌えと言うのです。二十分?いや〜、これは大変だなと思って、四曲、そこで初めて歌いました。でも、すごく大きな祝福でした。いや、祈りの力はすごいですね!
 初めて歌ったのにもかかわらず、しかも生出演でですね、守られました。まず最初にインタビューの時間があって、そのインタビューも三十五分くらいあって、それも全く打ち合わせゼロでした。ホルヘ先生、フェルナンド先生、順先生、家内、私という、こういう並びでした。

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 そうすると、ホルヘ先生が、突然唐突にインタビューをぶつけて来るのです。それで、「開先生、どう思いますか?」とか、「リバイバルはどう思いますか?」とか、家内にも「どう思いますか?」とか、それぞれに聞いてきて、三十五分。何の打ち合わせもなしにこれをやる。すごい人だなと思いながら、でも神様の助けでしたね。本当に祝福されました。
 そのインタビューの中で順先生に、「このスペインに来て、何が大切だと思いますか?」と聞かれた時に、順先生はこう言いました。「私たちの働きは覆いを取りのける働きです。サタンは神様の祝福を届けさせないために覆いをかけてしまっている。もしもこのスタジオのライトに毛布をかけて覆ったら、ここに光が見えないように、サタンはこの地に覆いをかけているのです。その覆いを取りのける。それが霊的な戦いです。」と話しました。なるほど、その通りだな!と思いました。

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 そしていよいよ、私たちの賛美の時間になりました。この写真のように私は座って歌いました。すごく祝福されました。本当に祝福されて、神様の大きな助けとご臨在を感じました。
 歌っていく中で、最後にダンシングを歌ったのですが、私は話しながら、なるほどな!と思ったのですが、「今から最後、ダンシングを歌います。テレビの前のみなさん、みなさんはその場所で踊って歌ってください。」と私が言いました。「賛美の中には力がありますから、賛美を力一杯捧げると、そこの天が開かれます。覆いが取り除かれるのです。だからスペインのみなさん!ヨーロッパ中のみなさん!そしてアフリカのみなさん、そこで力一杯踊って歌ってください。その時に、天が開かれます!」と、そう言っていたのです。
 そして賛美した中で、本当に神様が天を開くという働き、こんなにも大きくしてくださっているんだということをすごく強く感じた恵みの時でした。

 今回、ホルヘ先生のお兄さんご夫妻がちょうどペルーからマドリードに来られていました。最初、お交わりしたのですが、お二人ともクリスチャンではありませんでした。やはりクリスチャンじゃないから、少し表情も堅いかなぁと思って、お交わりをしました。一生懸命お祈りしていたのですが、そのテレビ局にお二人が来てくださり、ずっと見てくださっていました。そうしたら、その賛美の中で、何と、その奧さんが主に触れられました。私たちの片言の、通じているか通じていないか分からないような賛美の中で、涙されていました。そして心が溶かされたというのです。それゆえ、その次の日にフェルナンド先生が導いてくださって、お二人ともイエス様を信じたのです。すばらしい祝福を見ました。

 先ほどの写真の続きがあります。

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 これが順先生と通訳をされているフェルナンド先生です。三十五分間、順先生、素晴らしいメッセージをされました。本当に恵まれました。霊的戦いというこの剣が、全ヨーロッパ、アフリカ、中東にまで解き放たれ、だからその生放送中に、スペイン国内はもとより、アフリカとか、イギリスとか、スイスとか、スウェーデンとか、イラン等の中東からも、ライブで電話がかかってきて、後からそのためにお祈りするということが持たれたのですが、すばらしいメッセージの一時でした。

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 そして次の写真です。これはセミナーの中での賛美の時ですが、この真ん中で手を挙げているのが、この人はブラジル人なのですが、マドリードで宣教をしている、この方もフェルナンドと言う名前の牧師ですが、フェルナンジョと言われていましたが、もうめちゃくちゃファンキーなのです。順先生いわく、「自分が今まで出会った中でこんなに元気なやつは初めて見た!というか、もう違う動物のようだ。」とかおっしゃっていましたが。

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 それで、このフェルナンド先生の横で手を振っている人。この人がホルヘ先生のお兄さんの奧さんなのです。まるでクリスチャンでしょう。お兄さんもこの会場の中にいて、全く普通に手を挙げて賛美して礼拝していて、いや〜、イエス様の救い、こんなにはっきり見えるんだ!実は、この写真、昨日見ていて、もしやと思って拡大したら、この奧さんの写真を発見しました。クリスチャンでない方が前に出て踊って賛美する。それ普通ありえないことですが、神様がしてくださること、本当に素晴らしいですね。

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 これはフェルナンド先生のメッセージです。フェルナンド先生も特にその地域にかけられた呪いを取り除くという素晴らしいメッセージをしてくださいました。牧師先生、リーダーたちが喜んでそのメッセージを受け取ってくださいました。

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 これが順先生のメッセージですが、みなさんがメモを取って、一生懸命この霊的戦いというものを受けとめておられる姿を見て、本当にすごく感動いたしました。

 日本のリバイバルを求めて、この地のリバイバルを求めて私たち、聖霊様の助けの中で一歩一歩導かれて来ました。そんな中で特に三年ほど前から世界宣教という扉が開かれて、世界の根源の悪しきものが打ち破られるように!ということで、神様が新しい世代に対する新しい働きというのを確かにはじめられています。その働きの中から今回、私たちも本当にびっくりしたのですが、突然スペインに導いていただいて、そしてスペインで開かれていたその宣教の扉というのが、このスペインのみならず、ヨーロッパ、アフリカ!という、本当にすごいな、神様がこれからしようとしておられるリバイバル、私たちが思っている以上の、すごく大きな働きだなということを、今回強く感じました。

 そのテレビ局に行く前に私はホテルで一つのみ言葉が与えられました。そのみ言葉は第一歴代誌四章十節のみ言葉でした。「ヤベツの祈り」と言って、聖書の有名なみ言葉の一つとして知られている所なのですが、第一歴代誌四章十節、

『ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。』

 地境を広げる。私たちの中にリバイバルの地境というのがあると思います。これくらいかな?と思っているリバイバルの地境は、私たちが思っている以上に、広く、神様は大きく開いておられるということを、今回強く感じました。
 主は私たち一人一人の地境、そしてまた祝福の地境も大きく広げてくださっておられます。ヤベツが、私が苦しむことがないように!と祈った祈りを、主はそれを聞き遂げたと書かれていますので、主のために、ましてやリバイバルのために働き、リバイバルのために戦い、リバイバルの産みの苦しみをするお一人お一人の上に、主はその祈りに答えてくださらないはずがないのです。その事を信じ、ぜひ、このみ言葉を、それぞれが、ご自分のものにしていただきたいと思います。
 この二〇一七年、この新城教会に与えられている一つのみ言葉は、詩篇百三篇五節だと思います。

『あなたの一生を良いもので満たされる。』

 そのみ言葉で、何度も語られて、もうそのシリーズはパート十四まで来ていますが、神様がくださる、私たち一人一人に、また教会に良いもので満たす!という約束をしておられるのですから、祝福の地境というものは、私たち、みなさんそれぞれ思っている以上に広く大きな祝福が注がれていくと信じていきましょう。

 詩篇百三篇五節が、『あなたの一生を良いもので満たされる。』というみ言葉ですが、同じ詩篇百三篇の十節からの所を少しお読みしたいと思います。詩篇百三篇十節〜十三節、

『私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。』

 このみ言葉も、実はそのマドリードのホテルの中で与えられました。神様ご自身の愛というのは、本当に私たち一人一人に対して深く、一生を良きもので満たし、そして本当に一人一人を温かく愛してくださっているというのがイエス様であり、それが私たちの父なる神様だなということを強く感じました。特に十三節、『父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。』
 来週は父の日ですよね。お父さんたちは、ご自分の子どもたちに対して、その子に対する愛というのをみなさんそれぞれ深く持っておられると思います。

 二年前に明牧師が天に帰りましたが、明牧師が二〇一五年の七月五日に九州からの伝道旅行を終えて、帰って来て、私は豊橋まで迎えに行きました。そして七月五日、最初に父が言ったことが、「私のために天国で歓迎会の準備が始まっていると思う。」そこから始まりました。「いや!そんなことはない!」と私は否定しましたが、七月七日に浜松の労災病院で検査し見ていただいたら、結局癌だったということで、悲しかったですね。本当に二〇一五年の悲しみの七月から八月でしたが、その時、父が癌宣告を受けて最初に言ったことは、「すばらしい!クリスチャンって、すばらしい!永遠のいのちを持っているってすばらしい!」と輝いて、父がそう言ったわけですが、それが七月七日、そして、その二日後の七月九日、父はこう言いました。「私は県民の森に行って祈りたいから開、連れていってくれ」と言い行きました。その時はすでに腹水を抜いた後で歩くことができず、車椅子を押して行きました。

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 その時の写真があります。この写真見たことあると思いますが、父と陽介さんと三人で行きましたが、この時はまだ雨がそんなに降っていないのですが、でもパラパラしていました。私はカッパを着ていましたが、この時は父、がんばっているのですが、もう一枚あるのですが、実はこんな嬉しそうな顔をしています。

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 来れて良かった!祈れる!と言って、本当ににこにこして森の中へ入って行きました。

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 そしてもう一つは、これは祈り終わった後の写真ですが、ちょっとやっぱり疲れた顔をしていますが、この時、途中、雨が降ったり止んだりしていました。その時の父の一言で忘れられない一言があって、あそこまで車椅子を私も押したりしながら交代で行きました。そしてカッパを着て行ったので、汗を本当にびっしょりかきました。カッパの下のTシャツもびっしょりで、もう乾いていない所がない状態になってしまいました。だからそのTシャツを脱いで絞ったりしていたのですが、そうしたら父が持って来ていたタオルを一枚だけ持ち出して、「開、これで拭け。」と言いました。たった一枚しかないそのタオル、これで拭けと言われた時に、「それは親父さん、あんたのものだ。」と言って、さすがに私は拭くことはできなかったです。やっぱり父の愛って、こういうものだな。自分は大変なただ中にあるけど、子は子で、おまえこれで拭けよと言ったのです。
 そして、この二日後に私は山に上がって夜に祈るのですが、その時はまた父がこう言いました。「また山に行くのか。今度は着替えをたくさん持って行けよ。」とか言って送り出されたことを思い出しますが、父がその子をあわれむように天の父なる神様は私たちをあわれんで愛してくださる。それが私たちの父なる神様なのです。

 最近この教会でよく語られている聖書のみ言葉はローマ書八章のみ言葉が語られていますね。聖書の中のダイヤモンドだと言われるような箇所ですが、ローマ書八章十五節に、こんなみ言葉があります。

『あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。』

と書かれています。
 御霊によってアバ父と呼ぶことができる。天の父なる神様は私たちを責め立てるお方ではなくて、悔い改める者には、その悔い改めによって赦してくださるお方で、そして子としてくださる。アバ、父!お父さん!お父ちゃん!と呼ぶことのできる方が、私たちの神様なのです。

 本当に私たち、聖霊様に導かれて、聖霊様に喜んでいただける歩みをして、私と天の父なる神様との関係というのが、いつも本当に自分の父親と、父が無条件で愛を注ぐように、天の父なる神様も、私たち一人一人に対して、無条件で愛を注いでくださる方なので、そのようなお方だという信仰にたっていなかったらいけないと思います。

 その同じローマ書の八章二十二節に、最近よく語られています、

『私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。』

と書かれています。
 私たちは本当に神様に愛されて、神の子どもとされて、神の子とされた特権を持って、そして神様の子どもとしての権威と、そして管理者としての働きを、私たちはこれからさらにし続けていかなければいけないと思います。子どもとしての特権と、管理者としての使命、それをまっとうしていく時に、神様の御業がなされていくと信じています。

 先ほど読んだ詩篇百三篇の中に、「あなたの一生は良いもので満たされる!」私たち、良きもので満たされて、子とされて、主によって罪赦されて、そしてアバ父と呼ぶことができる者たち、その私たちに与えられているその働きというのは、今度はこの被造物の回復のために働かなければいけないと書かれていますので、そのようなものであり続けていきたいと思っています。

 最後に詩篇百四十八篇、先週の礼拝の最後にみなさんと共にお読みして、そして今日も賛美したみ言葉の賛美ですが、詩篇百四十八篇一節〜五節、

『ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ。主をほめたたえよ。すべての御使いよ。主をほめたたえよ。主の万軍よ。主をほめたたえよ。日よ。月よ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。主をほめたたえよ。天の天よ。天の上にある水よ。彼らに主の名をほめたたえさせよ。主が命じて、彼らが造られた。』

と書かれています。この一節〜五節まで、ここから、私たちの天、「天にあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。」と書かれています。御使いから天の軍勢にいたるまで、主をほめたたえさせよ。月も星も、すべてのものよ主をほめたたえよと書かれているのですが、特にその五節には、『彼らに主の名をほめたたえさせよ。』と書かれているので、神の子どもである私たち一人一人の使命としては、その「すべての被造物に主をほめたたえさせる。」という働きをしなかったらいけないんですね。「しますように。」じゃなくて、「天の軍勢も、主を歌え!」という、そんな賛美をこれから捧げていかないといけないと思います。

 そして六節以降は、この地にあるすべてのものに対して語っています。詩篇百四十八篇六節〜十三節、

『主は彼らを、世々限りなく立てられた。主は過ぎ去ることのない定めを置かれた。地において主をほめたたえよ。海の巨獣よ。すべての淵よ。火よ。雹よ。雪よ。煙よ。みことばを行なうあらしよ。山々よ。すべての丘よ。実のなる木よ。すべての杉よ。獣よ。すべての家畜よ。はうものよ。翼のある鳥よ。地の王たちよ。すべての国民よ。君主たちよ。地のすべてのさばきづかさよ。若い男よ。若い女よ。年老いた者と幼い者よ。彼らに主の名をほめたたえさせよ。』

とあります。ですから、地にあるすべてのものに主をほめたたえさせる。そのような使命が私たちはあると信じて、歌っていきたいと思います。

今日も歌いました 「ハレルヤ!天において」。この歌は十七、八年前に与えられた歌なのですが、沖縄の奉仕が終わって、東京に行く途中の飛行機の上で与えられました。飛行機に乗っていたら、途中富士山が眼下にありました。ひょっと見たら、その日の富士山すごく綺麗に見えて、綺麗だな〜と思ったら、前のおばちゃんが私に話しかけて来て、「ねぇ!お兄ちゃん!富士山、綺麗よ!」「綺麗ですね!」と、そんな話をしていたのですが、その時に与えられたのが、「ハレルヤ〜天において〜」という、この賛美だったのです。
 別にその時、この被造物すべてがほめたたえるという、そんな概念、私の中にはなかったのですが、この詩篇百四十八篇の賛美が主によって与えられて、本当にある意味、日本の象徴である富士山そのものが主をほめたたえるように、富士山に主をほめたたえさせる、それが私たちに与えられた使命だということを今本当にこの時、主は示してくださっていますので、そのような働きをさせていただきたいと心から願っています。

 先週の日曜日は、午後から青空賛美集会があって、豊川の河川敷で歌いました。すごく祝福の時でした。野外での集会に行く時はだいたいPAセットを持って、バンドが一緒に行って歌います。今回も、さぁこれからマイクのチェックをしようと言って、発電機を持って行きましたので、いつもと同じように、マイクが音が出るか、その他のベースの音が出るか?としたら、音が出ないのです。いくら何をしても音が出ないので、結局どうやって歌ったかといったら、私はギターを持っていたので、ギターの生音と、ボーカルも生で、そしてドラムだけで、生で歌いました。それでみなさんで丸くなって歌いました。
 それが本当に祝福でした。なんか生で、電気音に邪魔されないというか、本当に素朴にただ主を賛美して、この地が主を賛美するように!という賛美をしたのですが、それが本当に祝福されて、地と天が一つになったような賛美で、いや〜本当に地も賛美している!天も賛美している!という、そんなすごく恵みの時でした。行かれたみなさんもそれぞれ大きな恵みをいただいたことと思いますが、私たちの日々の歩み、別に特別な音響設備がなくても、みなさんがそれぞれの場所で、神様を心から賛美して、賛美していく時に、みなさんのみならず、その地の地にあるすべてのものが主を賛美し、さらに天にあるもの、また御使いから天の万軍まで主を賛美せよとあるので、やっぱり天の軍勢たちも心から賛美するように、私たちは命じなければいけない領域があると思います。
 私たち、主にあがなわれ、主に愛され、神の子とされたものが、心から主に賛美していく時に、天にあるものから天の御使いにいたるまで、神様を賛美して、そしてイエス様の帰られる道を備える。そのような働きがなされていきますので、そのことを信じて、前進し続けていきたいと思います。

 今日のみ言葉は、風に助けられて、イザヤ書三十章二十一節、

『あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め。」と言うことばを聞く。』

 聖霊様ご自身が、私たちと共にいて、私たちを愛して、私たちを好んでくださる時に、「これが道だ。これに歩め。」と導いてくださること、そのことを信じて、もう一度、心から感謝して、そして主をほめたたえて、この地のリバイバル、全世界のリバイバル、その御業を見させていただきたいと、心から願っています。一言お祈りします。

 ハレルヤ。愛する天のお父様。あなたのすばらしい御名をあがめて心から感謝します。今日こうして、あなたを賛美し、あなたを礼拝する、このすばらしい恵みの時を主がくださったことを心から感謝します。この新城教会の働き、そのすべての歩みを、あなたがここまで導いてくださったことを本当に心から感謝します。あなたご自身が助けてくださって、様々な戦いの中で、その都度、その都度、右へ左へと導いてくださったことを心から感謝します。私たち一人一人、主よ、あなたをあがめたたえ賛美し続ける者であることができるように助けてください。絶えずあなたの御声を聞くことができる者であるように助けてください。父がその子をあわれむようにと私たち一人一人をあわれみ、私たちを子として、そして子としての使命を私たち一人一人に与えてくださっておられるお方であることを、もう一度、今日、み言葉を通して学びました。心から感謝します。あなたの恵みを心から感謝します。今週のすべての歩みを通してもあなたの栄光が現されますように。私たちのみならず、すべての被造物が、主よ、あなたをほめたたえる、そのような時となることができますようにお導きください。今日の時を心から感謝します。今すべての栄光を主にお返しして、尊き主イエス・キリストの御名によって、この祈りを父なる神様の御前にお捧げいたします。アーメン。